著者
渡邊 勉
出版者
信州大学
雑誌
人文科学論集. 人間情報学科編 (ISSN:13422782)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.65-78, 2005-03-15

最後通牒ゲーム (Ultimatum Game) に関する実験研究の知見は, 経済理論から得られる予想と大きくずれていることが知られている。つまり, 経済理論では不平等が実現すると予想するのに対して, 現実の実験では平等が実現するのである。このズレを説明する有力な仮説の一つとして, 人々が経済合理的個人なのではなく, 公正観を持つ個人だからという仮説がある。本稿では, 最後通牒ゲームの実験研究から得られている知見を, 理論的に説明することを目的とする。その際, 競争志向プレーヤーと平等志向プレーヤーを想定し, それらのプレーヤーがゲームをおこなった場合に, 平等が実現するのかを検討した。その結果, 競争志向プレーヤー間, 平等志向プレーヤー間だと平等が成立する。その一方で, 異なるプレーヤー間, あるいは相手のタイプがわからない場合には平等が実現しないことも示した。つまり, 人々が経済合理的個人であっても, 公正観を持つ個人であっても条件次第によって, 平等が実現することが明らかとなった。
著者
當麻 幸子
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学人文科学論集 (ISSN:09190791)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.85-95, 1997
被引用文献数
1

John SteinbeckのCannery Rowには何故暗い雰囲気が漂っているのか,年老いた中国人を分析しながら考察した。この中国人は作品中わずか4回しか登場しないが,非常に強い印象を残す不思議な人物なので,作品を考察するには好材料だと思ったからである。 まず,スタインベックの中国人観を探るために,スタイソペック文学に出てくる代表的な中国人2人,すなわちEast of EdenのLeeとCannery RowのLeeChongについて考えてみると,彼らはいずれもアメリカ人とは一線を画していることが分かる。表面的には周囲に溶け込んでいるように見えても,心のどこかでアメリカ人は彼らを自分たちとは異質な人種だと考えているからだ。よそ者扱いされる彼らと故郷を失ったスタインベックには,共通点がある。 次に,年老いた中国人が毎日海へ行く意義であるが,スタイソベック文学にとって水はいかに大切な意味を持っているだろうか。聖書で海または深淵について書かれているところを分析すると,水は何よりもまず初めに存在していたもので,混沌としてはいるが,秩序や統一を内に宿しているものと見ることがでぎる。更に,スタイソベックは古代ギリシアの世界観に強い共感を示していること,ギリシアの自然哲学者タレスは「生命ある一切のものは水から生じた」と考えていることからも,水は大変神秘的で,全てのものが生まれ,そして帰っていくものであるといえる。 スタイソベック自身,もう故郷を失くしたことは悟っていたが,それでもなお心の拠り所を求めて故郷の町をさまよわずにはいられなかった。せめて想縁の世界だけでも,いざこざの起こる前の平和な故郷へ戻りたい,一番初めからやり直したいという思いは,こうして年老いた中国人に託された。つまり,この中国人は安らぎを求めて毎日海へと向かうスタインベック自身であり,悲しみに打ちひしがれたスタイソベックの亡霊なのである。 スタインベックは,この作品を「戦争で傷ついた兵士らを楽しませるための作品」と述べた。しかし,実際には彼は自分自身のためにこの作品を書いたのである。年老いた中国人の靴の底がぺったんぺったんと通りに響くとぎ,スタインベックの声にならない悲痛な叫びがこだましていると考える。
著者
吉田 博 藤本 水石 林 淳三
出版者
Japanese Society for Food Science and Technology
雑誌
日本食品工業学会誌 (ISSN:00290394)
巻号頁・発行日
vol.39, no.6, pp.496-503, 1992
被引用文献数
1 1

ヤナギマツタケの栄養世代における栄養要求性を基礎培地を設定して静置培養法により検討した.<BR>(1) 本菌は広範な炭水化物を炭素源として利用できるが,その要求性は炭水化物の種類によりかなり相違していた.キシロース,グルコース,フルクトース,ラクトース,マルトース,デキストリン,グリコーゲン,ペクチン,可溶性デンプンは良好な炭素源であった.<BR>(2) 有機態窒素であるペプトン,ソイトン,酵母エキス,肉エキス,カザミノ酸は良好な窒素源であった.無機態窒素のうちアンモニウム態窒素は比較的良好な菌糸体生長を示したが,硝酸態窒素での生長は良好ではなかった,グリシン,アラニン,アスパラギン酸,グルタミン酸,セリンは良好な窒素源であり,これらのアミノ酸は単独で比較的良好な効果を示した.<BR>(3) 燐酸カリウムおよび硫酸マグネシウムは栄養生長に不可欠であり, 30mg/lの濃度で最大生長に達した.硫酸亜鉛も生長促進効果を示し,3mg/lの濃度で最大生長に達した.<BR>(4) チアミンは栄養生長に不可欠であり,30μg/lの濃度で最大生長に達した.しかし,チアミンの単独添加では栄養生長は不十分であり,他の8種のビタミン類(ニコチンアミド,リボフラビン,パントテン酸,ピリドキシン,葉酸,シアノコバラミン,ビオチン,イノシトール)の添加により栄養生長は促進された.<BR>(5) 核酸塩基類(アデニン,グアニン,シトシン,チミン,ウラシル,オロット酸)の添加により栄養生長は促進された.
著者
辻 佐保子
出版者
日本西洋古典学会
雑誌
西洋古典學研究 (ISSN:04479114)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.68-82, 1979-03-29

Cet article fait partie d'une serie d'etudes consacrees au theme de la Resurrection du Christ, dont le premier article a ete deja, publie dans "Orient", XIII, 1977 ("Ce que l'iconographie des Saintes Femmes au Tombeau doit a l'art funeraire paien"). Dans ce second article, nous voulons examiner une representation fort originate et inome-vue du cote de l'art chretien-des trois personnages habilles en blanc qui s'evadent a, travers de deux portes entr'ouvertes, peintes en perspective et amenagees dans deux compartiments du cubiculum F de la nouvelle catacombe de Via Latina a Rome. La structure de ces ouvertures avec deux vantaux repliants et la presence de personnages au dessus de leurs seuils peuvent etre rapprochees de la representation semblable au decor d'interieur qu'on trouve souvent dans la peinture romano-campanienne. Mais, cette comparaison ne sufnt pas pour expliquer le geste precipite et l'expression d'etonnement que montrent nos trois personnages. L'un vu de dos, la jambe droite projetee en arriere, essaie d'ecarter les vantaux de la porte avec sa main droite et son epaule gauche. Deux autres se retournent un instant apres avoir traverse le seuil de la chambre funeraire. C'est surtout une serie de sarcophages, dite de "la porte d'Hades", recemment etudiee par B. Haarlov, y compris le celebre sarcophage de Velletri, qui nous aide a elucider la signification de ces personnages peu habituels. En effet, mise a part une simple porte sans figure humaine et en trois etats differents fermee, entr'ouverte ou brisee par force , on y trouve quelquesfois l'ombre du defunt ou des personnages mythologiques (Alcestis, Protesilaos) accompagnes des divinites psychopompes (Hercule, Hermes) , qui emergent de la porte entr'ouverte d'Hades. Une longue tradition iconographique depuis l'art etrusque nous montre que l'ouverture de la porte du tombeau signifie a la fois le depart vers le monde d'audela, et le retour a, la vie, la resurrection. Les ivoires paleochretiens autour de l'annee 400 ont adopte le meme motif de la porte en trois etats differents, pour le tombeau du Christ dans la scene des "Saintes Femmes au Tombeau" : elle est fermee dans l'ivoire de Munich, entr'ouverte dans celui de Milan et detruite dans celui de Londres. Surtout deux derniers etats doivent evoquer la sortie miraculeuse du Christ de son tombeau, a savoir une Resurrection par excellence qui garantie celle des chretiens en general. Mais dans tous les cas, la representation realiste, la resurrection corporelle du Christ est evitee. Elle n'apparait que plus tardivement sous l'influence des illustrations des Psaumes. Il est generalement admis que la representation de la resurrection des morts ne commence qu'a, partir du 9^e siecle-de meme que celle du Christ en corps-, et qu'elle est associee soit avecle "Crucifiement" (selon Mat. 27, 52), soit avec le "Jugement Dernier". Dans ces cas, les morts ressuscitent en deplacant les couvercles des sarcophages et ce n'est plus a travers de la porte de l'edifice ou de la chambre funeraire. Pourtant, le theme traditionnel de l'ouverture de la porte a ete utilise d'une autre maniere par ces artistes medievaux, a la fois pour l'iconographie de "l'Ascension" en tant que l'ouverture de la porte du Paradis (Adventus du rois de gloire, inspire par le psaume 23)et pour celle de la "Descente aux Limbes" en tant que la destruction de la porte d'Enfers. Nous reviendrons a ce probleme dans notre prochain article. Pour expliquer les gesticulations tres vives de nos trois personnages, nous avons essaye de les confronter avec quelques textes du Nouveau Testaments relatifs a la resurrection des morts, entre autres I Ep. Cor., IS, 51-52, qui insistent sur l'instantaneite("in momento in ictu oculi") de cette "transformation" du corruptible a l'incorruptible. Un des sermons prononce a la fete de Paques de Gregoire de Nazianz decrit longuement, en terme biologico-psychiatrique-qui evoque la scene du cours de l'anatomie decorant une des lunettes du cubiculum I de la meme catacombe-, cette resurrection instantanee et le retour subit de la memoire du passe a chaque homme. Ainsi, au son de la trompette, les trois morts ensevelis dans les trois arcosolia du cubiculum F ressuscitent instantanement. L'un se precipite vers la porte qui s'ouvre et deux autres, deja franchi le seuil, se retournent et regardent avec un air etonne l'interieur de la chambre qu'ils viennent de quitter. Bien que tres precoce, il doit s'agir ici d'une representation audacieuse de l'evasion de la chambre funeraire, c'est-a-dire la delivrance de la mort, utilisant le motif semblable a l'ouverture et a la sortie de la porte d'Hades, frequent sur les monuments funeraires paiiens d'un ou deux siecles anterieurs. D'ailleurs, Prudence, poete chretien contemporain influence par le vocabulaire de la litterature classique, ne dit-il pas qu' "apres le trepas, notre chair qui etait morte. Notre poussiere se rassemble en corps, et du tombeau renait notre forme d'autrefois" (Cathemerinon Liber, III, 193-95)?
著者
村田 修 宮下 盛 那須 敏朗 熊井 英水
出版者
Japanese Society for Aquaculture Science
雑誌
水産増殖 (ISSN:03714217)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.145-151, 1995-03-20 (Released:2010-03-09)
参考文献数
12

マダイの卵にクロダイ精子を媒精して作出した交雑魚 (マクロダイと呼ぶことにする) の養殖品種としての特性を明らかにする目的で, その成長, 生残率, 外部形態, 環境ストレス耐性などについてマダイおよびクロダイ両種と比較した。(1) 媒精した浮上卵の受精率はクロダイ>マダイ>マクロダイの川頁, 孵化率はマダイ>クロダイ・マクロダイの順であった。(2) 孵化後30日目までの生残率はマダイ>マクロダイ>クロダイの順であったが, その後71日目から140日目までのそれはマクロダイおよびクロダイの方がマダイよりも著しく高くなった。(3) 成長は孵化後約8ヶ月目まではマクロダイ>マダイ>クロダイの順であったが, 満1年目からはマダイの方がマクロダイよりも徐々に大きくなり, 満3年目におけるマクロダイの成長はマダイよりは遅いがクロダイよりは早く両親の中間となった。(4) 環境ストレス耐性では, 水温上昇および低下, 比重低下, 並びに溶存酸素低下に対してマクロダイはいずれもクロダイよりも弱かったが, マダイよりも著しく強かった。(5) 外部形態や体色などからマクロダイはクロダイに近く父系遺伝が強いことが示唆された。
著者
高野 敏 長谷川 章 大塚 博司
出版者
公益社団法人日本分析化学会
雑誌
分析化学 (ISSN:05251931)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.137-141, 1988-03-05
被引用文献数
3 1

界面活性剤定量用自動光度滴定装置を用いて,スルホン酸塩型及び硫酸塩型の界面活性剤とセッケンとの分別定量を検討した.既報の方法で分析したところ,アルカンスルホン酸塩(SAS)及びα-オレフィンスルホン酸塩(AOS)の酸性とアルカリ性条件下での分析値に有意な差が認められた.この原因は,SAS及びAOS中のポリスルホン酸塩の存在によるものと推定されたため,1-ヘキサノールによる協同効果を利用して,ポリスルホン酸塩のクロロホルム相への抽出率を向上させたところ,酸性とアルカリ性条件下での分析値が一致してセッケンの分別定量が可能となった.又,スルホン酸塩と硫酸塩の分別定量についても,加水分解条件を改良することにより定量性の向上が認められた.一方,陽イオン界面活性剤の分相指示薬として,酸性及びアルカリ性の両条件下で使用可能なジスルフィンブルーを用いて定量条件を確立し,同級アンモニウム塩との分別定量も可能となった.
著者
戸塚 唯氏 伊勢﨑 翼
出版者
千葉科学大学
雑誌
千葉科学大学紀要 = The University Bulletin of Chiba Insitute of Science (ISSN:18823505)
巻号頁・発行日
no.12, pp.139-151, 2019-02-28

江戸時代、銚子は政治・流通・交通の要衝であり、人口も多かった。そのため、多くの寺子屋が設立された。寺子屋とは6歳から12歳頃までの庶民の児童を対象とした当時の教育施設である。本研究の目的は、江戸時代中期から明治初期にかけて銚子地域に存在した寺子屋師匠の数と名前を明らかにすることであった。様々な文献や筆子塚の記載を調査した結果、最終的に107名の寺子屋師匠の存在を明らかにした。また、寺子屋師匠の没年情報を用いて年代別の寺子屋師匠数を算出したところ、銚子では19世紀中旬に多くの寺子屋師匠が存在していたことが明らかとなった。
著者
安藤 雄一 石田 智洋 深井 穫博 大山 篤
出版者
有限責任中間法人日本口腔衛生学会
雑誌
口腔衛生学会雑誌 (ISSN:00232831)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.41-52, 2012-01-30
被引用文献数
3

歯科医院への定期受診の全国的実態は必ずしも明らかとはいえないため,われわれは20〜60歳代の男女から成る調査会社のモニタ計3万人に対してWeb調査を行い全国の概況把握を試みた.質問項目は定期歯科受診の有無と最後の歯科受診時期とその診療内容で,対象者の属性として性・年齢・居住地区・職業の情報を用いた.定期受診者の割合は35.7%(男性31.5%,女性39.9%)であった.過去1年間における歯科受診ありの割合は50.3%(男性45.9%,女性54.7%)であった.定期受診の有無についてクロス集計とロジスティック回帰分析を男女別に行ったところ,年齢階級,職業,居住地区,診療内容が有意性を示した.定期受診者の割合は高齢層が高く(男女共通),東北地方(男女共通)と北海道・四国・九州地方(女性のみ)で低かった.最後に受けた診療内容が「歯周疾患」・「歯ならびやかみ合わせ」・「その他」だった人は定期受診者の割合が高く,「むし歯」,「抜けた歯の治療」だった人では低かった(男女共通).職業では,男性において自営業,パート・アルバイト,学生などが低率を示した.さらに性・年齢階級で層別したロジスティック回帰分析を行ったところ,若い年齢層ほど,また女性より男性において職業による差が顕著であった.本調査結果は全国を代表するものとは言えないものの,歯科定期受診の全国的な実態を示す記述疫学情報として有用と考えた.
著者
鍜治 伸裕
雑誌
人工知能
巻号頁・発行日
vol.34, 2019-07-01
著者
奥田 俊博
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.1-12, 2003

外国人児童生徒を日本の小中学校・高等学校に受け入れるための施策は、国、都道府県、市町村の各レベルで行われているが、外国人児童生徒が生活のための日本語 (生活言語) と学校教育で知識習得のために必要となる日本語 (学習言語) とを円滑に習得するためには、日本語指導の方法についてなお課題を残している。近年、国語科教育は、コミュニケーションを重視しており、一方、日本語教員養成においても、コミュニケーションを重視した養成へと転換を図っている。本稿では、上述のような外国人児童生徒に対する取り組み、ならびに、国語科教育の目標・内容と日本語教育の目標・内容を踏まえ、大学における国語科教員養成課程と日本語教員養成課程の関係の在り方を検討する。
著者
斎藤 理香
出版者
現代日本語研究会
雑誌
ことば (ISSN:03894878)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.124-137, 2018

<p>山田わか(1879–1957)は、日本最初の女性による「文学雑誌」と、かっこ(「」)付きで紹介されることのある『青鞜』(1911–1916)で翻訳や文学作品を発表し、後に婦人問題評論家としての地位を築いていった。今回は、その執筆活動の最初の頃に、わかが同じ『青鞜』に掲載した短い小説「田草とり」(1914年4号)、「女郎花」(1914年12号)、「虎さん」(1915年2号)を紹介する。これらの作品は、女性の自己決定を阻む問題に深く切り込み、時代を超えて読み継がれる力をもつキャラクターを描いた作品とは言えず、また人物像や状況の書き込み不足もうかがわれる。小説はわかの本領を発揮する分野ではなく、その後に書かれたエッセーや評論へとつながる発展への一段階という役割を担ったと捉えられる。</p>
著者
佐藤 容子
出版者
一般社団法人日本認知・行動療法学会
雑誌
行動療法研究 (ISSN:09106529)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.111-122, 2002-09-30
被引用文献数
1

本研究は、学級内で仲間達から拒否されている6歳の学習障害児の仲間関係を改善するために、コーチング法を用いた社会的スキル訓練を実施した。訓練前の教師評定と行動観察によると、対象児は仲間との間で、適切なやり取りが少なく、不適切(攻撃的および引っ込み思案的)なやり取りが多かった。訓練は、1回につき約60分間で、特別な訓練室の場面で5セッション、自由遊び場面で4セッション、合計9セッション行った。その結果、ターゲット児の不適切(攻撃的または引っ込み思案的)なやり取りは、教師評価と行動観察のいずれにおいても、訓練とともに減少した。好意的やり取りは行動観察においてのみ増加がみられた。エントリースキルについては明らかな訓練効果はみられなかった。また、本訓練によって、SCR尺度でみた自己コントロールが改善した。
著者
草部 雄太 竹島 明 清野 あずさ 西田 茉那 髙橋 真実 山田 翔太 新保 淳輔 佐藤 晶 岡本 浩一郎 五十嵐 修一
出版者
医学書院
雑誌
BRAIN and NERVE-神経研究の進歩 (ISSN:18816096)
巻号頁・発行日
vol.69, no.8, pp.957-961, 2017-08-01

呼吸器感染症の原因ウイルスの1つであるエンテロウイルスD68型による,稀な成人の脳脊髄炎の1例を報告する。患者は33歳男性。発熱,咽頭痛,頭痛で,5日後に両側顔面神経麻痺,嚥下障害,頸部・傍脊柱筋の筋力低下を呈した。頭部MRIのT2強調画像にて脳幹(橋)背側と上位頸髄腹側に高信号病変を有する特徴的な画像所見を認めた。血清PCRにより当時流行していたエンテロウイルスD68型が検出された。両側末梢性顔面神経麻痺を急性にきたす疾患の鑑別としてエンテロウイルスD68型脳脊髄炎も考慮すべきである。
著者
岩田徳義 著
出版者
麻布学館
巻号頁・発行日
1921

2 0 0 0 OA 貞觀政要 10卷

著者
(唐) 呉兢 撰
巻号頁・発行日
vol.[3], 1600
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1034, pp.130-132, 2000-03-27

「『テレビで芸能人と騒いでいる』とか『講演で荒稼ぎしている』といった陰口があるのは知っている。だが、余計なお世話だ。プロがカネを稼いで何が悪いのか。そんなこと言われる筋合いはない」——。 一部のソムリエや飲食店経営者などから噴出している批判を伝えると、田崎真也は、それまでの穏やかな表情を一瞬険しくしてこう言い放った。
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1549, pp.30-33, 2010-07-12

参院選公示の6月24日。大阪・ミナミで発した第一声に、菅直人首相は一刻も早く消費税率を引き上げなければならないという思いを込めた。 普通なら一国の宰相が最も慎むべき発言だ。ともすれば国家の信用を失墜させかねない。しかしそれを失言とも気づかず、平然と聞き流せるのも、国債が平穏無事を保っているからだ。