- 著者
-
新倉 貴仁
- 出版者
- 日本社会学会
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.59, no.3, pp.583-599, 2008-12-31 (Released:2010-04-01)
- 参考文献数
- 41
- 被引用文献数
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本稿は,ナショナリズム研究において提起されている構築主義的アプローチの批判的検討を通じ,その射程を描き出すことをめざすものである.近年,ナショナリズム研究において,従来の近代主義と歴史主義の相克を乗り越える為に,構築主義的アプローチが提起されている.これは,国民国家批判に代表されるような政治的構築主義としてではなく,方法論的構築主義の立場から再検討される必要がある.この企図のため,本稿はベネディクト・アンダーソンのナショナリズム論を再構成していく.アンダーソンは,「想像の共同体」という語に示されるように,ナショナリズムに対する構築主義的説明を行っている.だが,他方で彼は,「なぜ人はネーションのために死ぬのか」という問題をナショナリズムの中心的な問いに位置づける.すなわち,構築をめぐる知の問題系と,構築主義に突きつけられる死の問題系が,アンダーソンの議論には共存している.この理論的意義を検討することを通じ,以下の3点を示す.第1に,アンダーソンの議論は,その主張以上に,観察可能な言説を対象とする点で方法論的構築主義に位置している.第2に,ナショナリズムは,構築の外部を排除しつつも内部へと包含するような構造を有している.そして,第3に,ナショナリズムにおける構築主義の理論的賭け金は,構築の外部を補足することの失敗自体を記述していくことにある.