著者
小宮山 誠一 目黒 孝司 加藤 淳 山本 愛子 山口 敦子 吉田 真弓
出版者
一般社団法人 日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.35, no.4, pp.336-342, 2002-11-20 (Released:2013-04-26)
参考文献数
13

We examined the relationship between the starch content of potato and its cooking quality. Potato tubers were assigned according to their starch content from 12% to 16%. They were cooked by different methods and a sensory evaluation then carried out. In the case of boiling, steaming, frying and heating in a microwave oven, potato with the high starch content (HS) was evaluated as having a richer and more mealy feeling and better taste than potato with the low starch content (LS). On the other hand, in curry and nikujaga (pototo stewed with pork), LS was evaluated to be better than HS because of less collapse after cooking. In potato salad, HS was evaluated more highly than LS in taste only by the manufacturers' panel. The glutamic acid content was particularly low in potato tubers with a starch content of 15% and above.
著者
江口 里加 加藤 正久 金子 絵里奈 草場 健司 吉川 学 山野 徹 瀬尾 隆 萩原 明人
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
YAKUGAKU ZASSHI (ISSN:00316903)
巻号頁・発行日
vol.135, no.3, pp.501-506, 2015 (Released:2015-03-01)
参考文献数
26
被引用文献数
1

Much of the damage to health caused by drugs could be prevented by appropriate care. A well-defined duty of care and further information are required for healthcare professionals. Although there are many litigation cases to use as references, neither the extent of the duty of care nor the obligation to explain medication according to the type of drug prescribed has yet been fully established. Thus, we systematically collected decided cases of adverse drug events, and assessed the degree of the duties of care and information. Specifically, we collected decided cases in which physicians, dentists, pharmacists, nurses, or hospitals had been sued. Data were derived from Bessatsu Jurist Iryo-kago Hanrei Hyakusen, Hanrei Jihou, and Hanrei Times from 1989 to November 2013, and information on precedents in the records of the Supreme Court of Japan from 2001 to November 2013. We analyzed the cases, and assessed the following according to the type of drug: (1) standards and explanations when dealing with drugs that were critical issues in litigation, and (2) the degree of the physician's or pharmacist's duties of care and information. In total, 126 cases were collected. The number of drug categories classified was 27, and 9 were considered of practical importance. After this systematic review, we found a trend in the degree of the required level of care and information on several drugs. With respect to duties of care and information, the gap between the required level and actual practice suggests that healthcare professionals must improve their care and explanations.
著者
加藤 政洋
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.71-87, 1997-04-28 (Released:2017-04-20)
参考文献数
76

Recently, we can find many studies which insist on appreciating the concept of place in a contextual way not only in the English speaking world but also in Japan. In this renewed concept, place is contended to be humanly (socially) constructed with spatial practices, We (the user) make sense of place by the spatial practices, through which the user creates his own behavior and acts place-ballet. In the socio-spatial studies, Sack (1988) and Shields (1991), for example, advocate this point of view and contend that understanding of many factors operating in the place-making, the invention of place, and the construct of place, should be a primary theme in this discipline. Drawing attention to the conceptual framework of 'genealogy of place', this paper aims at describing the historical transition of amusement quarters (Sakari-ba) of Osaka Sennichimae. Osaka Sennichimae is one of Sakari-ba, where marginality and 'carnivalesque' dominated and both ephemeral and temporal logic was considered as those alternative to everyday rife working. Originally, Sennichimae was a grave yard on the margin of built-up areas of Osaka city in Edo era. After Meiji Restoration, this grave yard changed to an amusement site at first, and then, this site gradually transferred to Sakari-ba. Therefore, the name of this place, Sennichimae, had evoked people with both horror and pre-modern 'Edo' nostalgia after redeveloping from the grave yard into Sakari-ba. In the case of Sakari-ba Sennichimae, this paper examine the very constructed place as a genealogy interwovened with the historical place-images, the interventions of political powers, the act of show-planners (Yashi), and the spatial practices of the walkers. The development of Sennichimae as Sakari-ba is outlined as follow. In the early Meiji period, Sennichimae changed its landuse from grave yard to amusement site. This change might suggest two aspects. Firstly, the place as grave yard was cleared out for the sanitary reason. Secondly, at the same fane, the government of Osaka prefecture carried out the project of improvement in the old section of the city. Neverthless, the former image of grave yard influenced contingently the proceeding devlopment of amusement quarter of Sennichimae. Introducing many of new leisure attractions, especially cinema, this place was gradually characterized as Sakari-ba, and created the typical landscape of amusement site, and, in the 1920's, Sennichimae attracted people who loved to walk around as flaneur, and enjoyed their practice of walking, seeing, and being in the space of Sakari-ba with the mass.
著者
原 知子 加藤 美香
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成14年度日本調理科学会大会
巻号頁・発行日
pp.101, 2002 (Released:2003-04-02)

天ぷら衣に重曹やしょうが汁を添加することによって軽い衣に揚げあがることはよく知られているが、「酢」を添加した場合の影響については記述は少ない。そこで、身近な調味料である米酢を用いて、天ぷら衣に添加してみたところ、重曹と同様に、官能評価において「さくさく度」「軽さ」の向上が認められた。ただし、米酢の場合には添加量が粉の1/6(酢容量ml/粉重量g)程度でも酢自体の味が衣に反映されてくる。衣の生地の状態については、酢を添加することによって、衣の「流れやすさ」が有意に大きくなり、その結果、揚げ種に衣をつける際にも薄くつきやすいというメリットがあると考えられた。
著者
加藤 一郎
出版者
日本ロボット学会
雑誌
日本ロボット学会誌 (ISSN:02891824)
巻号頁・発行日
vol.11, no.5, pp.614-617, 1993-07-15 (Released:2010-08-25)
参考文献数
9
被引用文献数
5
著者
加藤 正春
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.209-229, 2000-12-30

かつての沖縄では,若者の死の直後に若者仲間が墓に赴き,歌舞音曲をともなった伽をする習俗がみられた。ワカリアシビー(別れ遊び)などと呼ばれたこの儀礼は,死んだ若者のモーアシビー(野遊び。青年男女の野外交遊のこと)仲間が夜毎に墓前に集い,そこで一時を遊び過ごすものであった。儀礼はほぼ一週間ほど続けられたが,いくつかの報告では,幕内から死者の棺箱を出したり,その蓋を開け,死者を座らせて行われることもあったとされている。また,墓前の仮小屋に短く織った手拭い(いんきや織りの手さじ)を飾って集う例も報告されている。儀礼は昭和時代に入ると行われなくなった。本稿では,19例の報告事例の検討から,この儀礼が野遊びの形態をとって死後に行われる若者仲間の追悼儀礼であり,幕内の死者の霊魂を幕前に招き出して行う,生者と死者との直接交流・交歓であることを明らかにする。若者たちが墓前に集まり,棺箱を墓から引き出すのは,死者に近づいて交流しようとする意図であり,短い手拭いをさげるのはそれを霊魂の依代として用い,そこに寄り憑いた死霊を実感するためである。また,引き出した棺箱を開け,死者を座らせるのは,生前と変わらぬ形で死者と直接に交流しようとする試みである。ただし,このような儀礼行為の前提には死の認識があり,死体の変化に対する人々の知識と経験が存在する。なお,儀礼には死霊の危険性に対する忌避観念が表出されていないようにみえる。これは,若者たちが死んだ仲間を追悼するために,死霊の危険性を受け入れた上で儀礼を行っているからである。それは,若者仲間の同輩結合の強さを示すものである。
著者
乾 直人 山川 宇宙 丸山 智朗 加藤 柊也 酒井 卓 佐藤 武宏
出版者
神奈川県立生命の星・地球博物館(旧神奈川県立博物館)
雑誌
神奈川県立博物館研究報告(自然科学) (ISSN:04531906)
巻号頁・発行日
vol.2019, no.48, pp.43-54, 2019 (Released:2019-09-01)

相模湾とその周辺地域において、9 種の分布が南偏するカニ類(ハシリイワガニモドキ、ヒメヤマトオサガニ、チゴイワガニ、サメハダヒメガザミ、アミメノコギリガザミおよびノコギリガザミ属の1 種、ヒメヒライソモドキ、タイワンヒライソモドキ、トゲアシヒライソガニモドキ、オオヒライソガニ)および2 種の稀少カニ類(ムツハアリアケガニ、トリウミアカイソモドキ)が採集された。いずれの種も既往研究による本地域での記録はごく少ない。採集されたカニ類のうち、一部の南方種については越冬状況や抱卵状況から本地域における定着や分布拡大が示唆され、地球温暖化による水温上昇の影響がこうした定着や分布拡大に寄与している可能性がある。
著者
森 修一 加藤 三郎 横山 秀夫 田中 梅吉 兼田 繁
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.27-44, 2003 (Released:2007-11-30)
参考文献数
22
被引用文献数
1

本研究は戦前、日本に唯一存在したハンセン病患者の自由療養地である群馬県吾妻郡草津町湯の沢部落の社会科学的分析の中から、何がハンセン病患者の隔離の二つの側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」のダイナミズムを後者への優位に導いていったのかを明らかにすることを目的とするものである。その過程は湯の沢部落の実態の解明(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究1、II」)、自由療養地議論の展開と消滅の過程の検証と湯の沢部落の関わり(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究III」)、湯の沢部落消滅後にその精神が日本の隔離政策に与えた影響(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究IV」)などの研究の総体である。本稿では湯の沢部落の歴史を描き、その変遷の過程における住民たちの努力、キリスト教者たちの活躍を描くと共に、国家によるハンセン病政策の変遷、特に明治期からの隔離政策と湯の沢の関係が密接である点を示した。またここに、逆境下でも人間はいかに生きようとするのか、何を望むのかを描き、自由療養地の価値をそこに示した。
著者
森 修一 加藤 三郎 横山 秀夫 田中 梅吉 兼田 繁
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.47-63, 2004 (Released:2007-11-30)
参考文献数
26

本研究は戦前、日本に唯一存在したハンセン病患者の自由療養地である群馬県吾妻郡草津町湯の沢部落の社会科学的分析の中から、何がハンセン病患者の隔離の二つの側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」のダイナミズムを後者への優位に導いていったのかを明らかにすることを目的とするものである。その過程は湯の沢部落の実態の解明(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究I、II」)、自由療養地議論の展開と消滅の過程の検証と湯の沢部落の関わり(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究III」)、湯の沢部落消滅後にその精神が日本の隔離政策に与えた影響(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究IV」)などの研究の総体である。本稿では戦後、栗生楽泉園から始まる患者運動を通して、湯の沢で培われた精神は楽泉園内でも生き続け、患者運動の戦端を開き、「特別病室」を廃止、職員の不正を暴き、やがて多磨全生園と共闘し、「全国癩療養所患者協議会」を生み、絶対隔離政策と対峙する力を形成する様相を描いた。併せて、「特別病室」設置の背景、戦中を中心としての療養所内の混乱の様相とその要因を述べた。
著者
森 修一 加藤 三郎 横山 秀夫 田中 梅吉 兼田 繁
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本ハンセン病学会雑誌 (ISSN:13423681)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.11-25, 2003 (Released:2007-11-30)
参考文献数
15
被引用文献数
2 1

本研究は戦前、日本に唯一存在したハンセン病患者の自由療養地である群馬県吾妻郡草津町湯の沢部落の社会科学的分析の中から、何がハンセン病患者の隔離の二つの側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」のダイナミズムを後者への優位に導いていったのかを明らかにすることを目的とするものである。その過程は湯の沢部落の実態の解明(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究I、II」)、自由療養地議論の展開と消滅の過程の検証と湯の沢部落の関わり(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究III」)、湯の沢部落消滅後にその精神が日本の隔離政策に与えた影響(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究IV」)などの研究の総体である。本稿では湯の沢部落がどのようなコミュニティーであったのかを概説した。ここで見る湯の沢部落は、病者の集団というイメージではなく、一般人のコミュニティー以上に活気があり、自治のシステム、施設等が完備された先進的なコミュニティーであった。
著者
佐藤 洋一郎 伊藤 敏雄 加藤 鎌司 河原 太八 藤岡 利生 万年 英之 鞍田 崇 西田 英隆 細谷 葵
出版者
総合地球環境学研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

「人類世」という新しい地質年代を提唱されているが、これは産業革命以降の急速なエネルギー消費により、人間活動が地球環境に大きな影響を及ぼすようになったことを、地質学的にも記述すべきとの判断による。しかし、環境の歴史を丁寧に調査すると、人間活動の影響は産業革命のはるか前から、われわれの想像を超えてはるかに大きかったことがわかってきた。
著者
川井 謙太朗 舟崎 裕記 林 大輝 加藤 晴康 沼澤 秀雄
出版者
理学療法科学学会
雑誌
理学療法科学 (ISSN:13411667)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.13-17, 2016 (Released:2016-03-05)
参考文献数
23

〔目的〕投球障害肩における肩関節2nd内旋制限に対する3種類のセルフストレッチ方法の有効性を比較検討した.〔対象〕投球障害肩を有する男性の野球選手48例とした.〔方法〕APS法,CB法,IRS法における疼痛によるストレッチ不可率を比較した.次に,全てのストレッチが可能であった症例28名を3群に分け,ストレッチ前後において,後捻角の影響を除いた2nd補正内旋角度を計測し,各群間で比較した.〔結果〕ストレッチ不可率はAPS法が最も有意に低かった.2nd補正内旋角度はストレッチ前では3群間において有意差はなかったが,ストレッチ後では,APS法,CB法がIRS法に比べて有意に増大していた.〔結語〕APS法は投球障害肩に対する最も効果的なセルフストレッチ方法である可能性が示唆された.
著者
加藤 謙介
出版者
九州保健福祉大学
雑誌
九州保健福祉大学研究紀要 (ISSN:13455451)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.21-29, 2011-03

In this study, the relationship between pet animals and elderly residents in need of care was examined using a narrative approach. Semi-structured interviews were conducted with seven elderly residents of Nobeoka-city, Miyazaki, and with the social workers assigned to them. The author enquired about the relationship between the elderly individuals and their pets and focused on the benefits or difficulties associated with the animals in daily life. The analysis of narratives focused not only on the narrative content, but also on the manner in which the stories were narrated. The narratives fell into two general categories: (1) narratives including attachment and emotional bonding with the pet, based on a"model story"about the pet, and (2) narratives of the individuals own life story structured by their relationship with their pets. It is suggested that relationships with pet animals may contribute to the process of reconstructing the life story of elderly individuals.
著者
加藤 みわ子 伊藤 康宏 永 忍夫 清水 遵
出版者
日本食生活学会
雑誌
日本食生活学会誌 (ISSN:13469770)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.44-48, 2006 (Released:2006-07-28)
参考文献数
21
被引用文献数
3 2

本研究では, 不安の特性が味覚に影響を与えるかを, 官能試験を行って検討したところ,   (1) 高不安の人は甘味の感受性が高かった。  (2) 高不安の人はストレス感が高く, 覚醒度も高かった。の結果を得た。味覚に影響を与える大きな要因のひとつが不安の特性であり, 不安状態やストレスを緩和することが, 若者の偏った食行動の改善に繋がることが示唆された。
著者
加藤 寛一郎
出版者
一般社団法人 日本航空宇宙学会
雑誌
日本航空宇宙学会誌 (ISSN:00214663)
巻号頁・発行日
vol.35, no.399, pp.229-236, 1987-04-05 (Released:2010-12-16)
参考文献数
1

Flight path is calculated for the 1971 mid-air collision at Shizukuishi. The calculation is based on the flight-data-recorder records taken from the Government accident report. The crash point thus obtained shows fairly large discrepancy to the wreckage distribution. This paper reports about the contradiction and a new interpretation is given to the flight after the collision.