著者
白井 利明
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 総合教育科学 (ISSN:24329630)
巻号頁・発行日
no.69, pp.163-174, 2021-02-28

アーネット(Arnett, 2000, 2015)は,自分の人生に責任をもとうとする主体を重視する立場から,青年期から成人期への移行は単なる青年期の延長ではなく,新しい発達段階としての成人形成期(emerging adulthood)であると提案した。現代の若者は,成人形成期にアイデンティティのための労働を探求し,自分の可能性を信じているとしたのである。この提案をめぐって心理学のみならず社会学からも論争が起きた。成人形成期は恵まれた社会階層の現象を過度に一般化したもので,社会構造の影響が無視されており,かれらの楽観性は社会的排除に対する心理的防衛にすぎないと批判された。本稿はこの論争を整理することで,成人形成期は社会的排除の結果であるだけでなく,たとえば若者なりの新たな可能性の認識に基づくものであり,そこに社会現実を乗り越えようとする主体のダイナミズムが示されているのではないかと問題提起をした。
著者
住谷 裕文
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 1 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.17-38, 2009-02

昨年リヨンで1867年に刊行された英語による中国と日本のガイドブックのコピーを入手した。1867年というと日本は江戸時代もまさに終わろうとする時期で,この年の11月9日大政奉還が行われ,翌年1月3日には王政復古が宣言される。この中国と日本の案内書はアヘン戦争後の中国-その隣国の屈辱にまみれた敗北を前に,開国を迫られ,主権が将軍から天皇に移行する激変を前にした日本を扱っている。本論稿はとりあえずはこのガイドブックの日本案内の部分の邦訳紹介と,その歴史的意義の分析がテーマである。ところで筆者がリヨン滞在時,当地では「世紀の精神-リヨン1800-1914」という企画展が市内の博物館,図書館,教育研究機関を網羅して開催されていた。このガイドブックを出版したイギリスで行われたわけではないが,いわゆる植民地帝国時代のヨーロッパの生活をつかむのにはまたとない機会であった。しかも近年日本では東南アジア・東アジア史(東インド会社史も含め)の研究がいよいよさかんになり,この時期の日本の鎖国開国の経緯がこれらの地域の国々と比較検討できる状況になってきた。また岩波書店の『大航海時代叢書』をはじめさまざまな旅行記がすでに翻訳され閲読可能な状態であり,キリスト教伝道と欧米諸国の海外進出の関係についても先鋭な研究が蓄積されつつあるように思われる。また欧米における18世紀以降における旅行ブームと旅行案内書の研究も見られるようになった。こうした中で今回,1867年刊行の中国・日本案内の紹介をなしうることは筆者にとり望外のよろこびである。今回は翻訳紹介する資料の概要についてまず述べると同時に,ガイドブックそのものの誕生の背景と本書の性格について,現在までに気づいた点を指摘したい。I世界最初の英文日本ガイドブック,II本書の対象とする国と都市,III『米欧回覧実記』との対比,IV刊行当時の世界とガイドブック-なぜ「『知』の収奪」か?Jusqu'ici on croyait que le guide du Japon en anglais avait ete publié pour la première fois en 1891 à l'édition de Murray et qu'il avait utilisé le contenu des deux differents, l'un sur Nikko et l'autre sur le Nord et le Centre du Japon, édités principalement par Ernest Satow. Mais nous en avons decouvert un plus ancien qui avait ete compilé à Honkong en 1867, un peu avant la Restauration de Meiji. Nous allons présenter tout d'abord le sommaire de ce livre en parlant de ses quelques valeurs historiques et notre traduction en serie.
著者
小野 恭靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 (0xF9C1)人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.p133-147, 1993-02

ここに紹介する『朗詠要抄』は、その奥書の署名から円珠本と呼ばれる朗詠九三首を収録する譜本である。これは、魚山と称される天台声明の中心地大原に伝えられた朗詠譜本という点で貴重であるが、そればかりでなく、その奥書により原本は法深房(藤原孝時)所持本であったことから、藤家流朗詠の流れを伝える一本としても重要な位置を占めている。一方、本書は既に活字本や写真版本として提供されている後崇光院本『朗詠九十首抄』、流布本『朗詠九十首抄』、『朗詠要集』、因空本『朗詠要抄』、陽明文庫本『郢曲』などとともに朗詠古譜として著名であるにもかかわらず、従来まったく本文が公刊されていない。本稿は円珠本『朗詠要抄』の中でも、最善本と目される京都大原三千院円融蔵本を底本として翻刻し、伴せて解題を試みるものである。
著者
北川 純子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 1 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.27-43, 2011-02

日本の「語り物」の一ジャンルである浪曲では,うたいかたる声ならびに伴奏をうけおう三味線の双方が,演じるたびごとに異なるパフォーマンスを行なうという「即興性」をもつ。本論文は,浪曲三味線の即興性のありかたの一端を探る目的のもとに,過去の録音物における「弾き出し」(前奏部分)を対象とする分析を行い,どのような枠組に基づいて即興が行なわれるのかという「見えない音楽理論」の解明を試みたものである。考察の結果,「弾き出し」末尾に位置する明確な機能をもった音型と,浪曲の史的展開の過程でストックされてきた音型の二者が,即興の準拠枠としてはたらいていることが浮かび上がった。Rokyoku, which arose in Meiji era, is a subgenre of Japanese katarimono(a narrative music), performed by a pair of a rokyokushi(a vocalist) and a kyokushi(a shamisen player). There are no notation systems in teaching and learning of rokyoku and rokyoku shamisen, and the rokyoku performances constantly include some sort of improvisation. The purpose of this paper is to examine some aspects of improvisation in rokyoku shamisen. Through analyzing the "hikidashi", i.e. the instrumental prelude part in rokyoku, the author tries to clarify some aspects of "invisible musical theory" about rokyoku shamisen. The results show that there are "guiding motifs" at the end of hikidashi which guide rokyokushi to his her vocal pitch and that there are some "formulaic figures" which have been used in rokyoku shamisen. These motifs and formulaic figures are thought to serve as the "models" of improvisation in rokyoku shamisen .
著者
山内 友三郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.55-70, 1971

「このコスモス(宇宙、秩序)は、すべてにとって同じであるが、神々にしろ人間にしろ、誰が作ったものでもなく、常にあったし、あるし、あるであろう。メトロン(度、矩)に従って燃え、メトロンに従って消える永遠の火として」(DK. 22B30)、「太陽はそのメトロンをこえないであろう。もしこえれば、ディケー(正義の神)の助力者たるエリニュエス(復讐の神々)が見つけ出すであろう」(DK. 22B94)、という言葉がヘラクレイトスのものとして伝えられている。また、アポロニアのディオゲネスによれば、冬夏、夜昼、天候など「すべてのものに或る一定のメトロンがある」と云われている(DK. 64B3)。一般に自然界においては一定の法則があって、自然は一定の限度をこえることがない。動物の行動もまた一定の限度をこえることはないと云われる。ところが人間だけは、その自由によって、自然の限界をふみこえ、たえず限度を見なう可能性をもっている。限度や節度をこえることを、古代ギリシア人は、ヒュブリス(暴慢,不遜)としてしりぞけた。有名な「君自身を知れ」(DK. 10A3, cf. Philebos 48c)にしても、ソロンに帰せられる「すごすな」(DK. 10A3, cf. Philebos 45e)にしても、あるいは七賢人の一人クレオブーロスのものとされる「メトロンが最善」(DK. 10A3)という言葉も、さらにタレスに帰せられる「メトロンをたもて」(DK. 10A3)も、このヒュブリスをいましめたものと考えることができる。人間に火を与えたプロメテウスはゼウスによって罰せられなければならなかったが、悲劇の主人公達も、人間としての限度をこえることによって、没落していったのである。ところが,現代は、限度や節度を失っているところに、その特徴がある、とされることがある(cf. Bollnow, s. 36ff.以下引用書名は、とくにことわらないかぎり、末尾の文献表にまとめて示して、頁数だけを記すことにする)。たとえば『悲劇の誕生』(Bd. I, s. 33ff.)において、デュオニュソス的なものに対して、アポロン的なもののひとつの徴表を節度のうちに見たニイチエは、他の箇所で、つぎのように云っている。「節度(Maß)がわれわれに縁遠いものとなったことをわれわれは自認する。われわれの欲望は無限・無節度なものの欲望である。奔馬をかる騎手さながらに,無限なものを前にして手綱をはなすのである。われわれ現代人、われわれ半野蛮人は。」(『善悪の彼岸』第七章224, Bd. II, s. 688)。ギリシア的なメトロンの考え方が最もよく現われている作品のひとつとして、プラトンの『ピレボス』をあげることができる。本稿は、メトロンの概念をひとつの導きの糸としながら、この対話篇の一解釈をこころみたものである。たとえばヴィンデルバントは、この対話篇について、およそ次のような意味のことを述べているが、きわめて核心をつく言葉とおもわれる。すなわち、「これはプラトンの哲学的倫理-ギリシア精神のもっとも純粋・貴重な産物のひつ-である。美と真理の理想をもって、くまなく感覚生活に光をとおすことは、ギリシア人の創作と造形芸術すべてにおいて私たちに語りかけていることであるが、このことがここで光を放っているのである。これは節度(Maß)につながれ、ハルモニアにみちている。そのために、プラトンはここで、円熟のさなかにあって、また形而上的思考の頂点にたって、二世界論によって基礎づけようとした神学的倫理の場合よりも澄明で輝やかしい色彩のうちに,人間存在を見たのである。」(s. 108)。しかしながら、節度といい、限度といっても、それだけでは相対的なものであって、中心、規準をどこにとるかによって規定されてくるはずである。では規準となるべき「尺度」はどこに求めるべきであろうか。まずこのことについて、『ピレボス』篇の背景をさぐりながら、考えてみたいとおもう。In der Interpretation des Philebos bemerkt man bisher nicht besonders die Bedeutsamkeit des Maßes (metron), etwa außer Natorp und Krämer. Daher übersieht man oft die Einheit des Dialogs. In dieser Abhandlung versuchen wir, die Einheit dieses sehr verwickelten Dialogs dadurch zu finden, daß wir den Begriff des Maßes als Leitfaden der Ariadne benutzen. Das Prinzip, das diese Welt des Werdens als gewordenes Sein aus Mischung von Bestimmtheit und Unbestimmtheit erzeugt, ist auch dasdas gemischte gute Leben erzeugende Prinzip. Dasselbe Prinzip der Bestimmtheit, d. h. des Maßes macht also diesen Kosmos schön und das Leben des Menschen gesetzmäßig und geordnet. Auch in der Erforschung von Lust und Erkenntnis teilt Platon, meiner Ansicht nach, diese in Klassen nach Kriterium des Maßes ein. Und das, was als maßhaft anerkannt wird, wird in das aus Lust und Erkenntnis gemischte gute Leben eingemischt als die Bestandteile desselben. Die fünf Stufenfolgen der sogenannten Guttafel (ktēma 66 a ff.) scheinen die innerhalb dieses gemischten Lebens zu sein. Also darf man dieselbe Stelle nicht so interpretieren, daß die ersten drei Stufen Maß, Schönheit und Wahrheit sind, die zusammen das Prinzip des Guten darstellen. Den ersten Rang hat das Maßhafte und Normhafte in dieser gemischten gewordenen Welt, den zweiten das Symmetrische und Schöne, den dritten die maßhafte Vernunft, den vierten die nicht so maßhaften praktischen Wissenschaften, den fünften die ungemischte wahrhafte, d. h. maßhafte Lust.
著者
瀧 一郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.167-171, 2019-02

『道徳と宗教の二源泉』(1932)においてベルクソンは,「想像」と「宗教」という語の二つの意味を区別している。一方は「想話的機能」から出てくる「静態的宗教」,他方は「創造的情動」によって広がる「力動的宗教」である。知性の回りに残る潜在的な本能として「想話的機能」は,閉じられた社会において神話的表象を出現させるのに対して,開かれた社会において「創造的情動」は,知性の直中で現働化される神秘的直観から生まれ,観念や形象を産出するばかりでなく,純粋な魂として自らに体を与える。「想話的機能」は,想像力の論理による諸々の観念や形象の水平的連合の研究である『笑い』(1900)を想起させるのに対して,「創造的情動」は,心的努力の機構が図式と形象との垂直的遊戯に還元される「知的努力」(1902)を想起させる。こうしてベルクソン哲学には,〈生に内在する社会的想像〉と〈超越的,創造的な個人的想像〉という二種類の想像が見出される。一方は形象の此岸に働く知性以下の想像で,他方は形象の彼岸に高揚する知性以上の想像である。両者を相補的に媒介しうるものは,創像界における「形象の類比」(アンリ・コルバン)の論理である。Dans Les Deux sources de la morale et de la religion(1932), Bergson distingue deux sens des mots « imagination » et « religion » : « la religion statique » issue de « la fonction fabulatrice » et « la religion dynamique » répandue par « l'émotion créatrice ». Instinct virtuel resté autour de l'intelligence, « la fonction fabulatrice » fait surgir les représentations mythiques dans la société close, tandis que dans la société ouverte « l'émotion créatrice », née de l'intuition mystique actualisée au sein de l'intelligence, non seulement engendre des idées ou des images mais aussi se donne un corps en tant qu'âme toute pure. La première nous renvoie au Rire(1900), étude sur l'association horizontale des idées ou des images par une logique de l'imagination, alors que la seconde nous rappelle « le schéma dynamique » de L'Effort intellectuel (1902) où le mécanisme de l'effort mental se réduit à un jeu vertical entre schémas et images. Il se trouve donc deux types d'imagination dans la philosophie de Bergson : l'imagination sociale, immanente à la vie et l'imagination personnelle, transcendante et créatrice. L'une est infra-intellectuelle, travaillant en-deçà des images, l'autre est supra-intellectuelle, s'exaltant au-delà des images. Or, quelle est la relation entre les deux imaginations ? Comment sont-elles complémentaires ? Nous trouvons qu'une logique de « l'analogie imaginale » dans le mundus imaginalis(Henry Corbin)peut servir d'intermédiaire.
著者
坂口 守男
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第IV部門 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.67-75, 2010-02-26

「熊野説話とその精神病理」の第6回目として「文覚荒行」を取り上げた。同僚の妻に横恋慕して殺人事件を起こした文覚は出家して,熊野の那智の滝で修行する。滝壷で一度死んだ文覚は不動明王の助けで再生し,すさまじいエナジーの持ち主に生まれ変わる。熊野は修験道の聖地でもあることから文覚の修行は修験道の擬死再生行為に相当すると考えた。一方で,熊野は浄土信仰の霊地でもある。浄土を求める心は地獄を恐れる心と表裏一体である。そこで西行の「地獄絵を見て」という27首の連作から地獄ついても検討した。さらに不安が本体である神経症の治療にも言及した。西行は執着心を捨てて不安に満ちた現実を見つめ,それを言語化しながら柔らかく受け止めてきた。文覚の荒々しい剛直な心とは対照的な西行のこうした柔軟な心にこそ精神療法の可能性があることを指摘した。This is the sixth paper regarding folk stories in Kumano. "Mongaku Aragyou" was taken up in the paper. The summary of the story is as follows. /Mongaku fell in love with his colleague's wife, Kesa. After they finished a love affair, Kesa asked Mongaku to kill her husband. One night, Mongaku stole into their house and killed a man who was sleeping on the bed. But the man was Kesa. She had disguised into her husband and lain sleeping on his bed. Because Mongaku was very strongly shocked, he became a Buddhist priest in Kumano and stood under Nati Falls for 21 days. He was saved in a dying state by Hudomyoo and became a more powerful man. He tried to conquer his feeling of terror for hell by his violent mental training. I studied Mongaku's mental state in comparing with Saigyou, who is a famous poet and contemporary with Mongaku. Saigyou overcame his feeling of terror for hell by his flexible mind like wind or water. Furthermore I discussed the psychotherapy of neurosis on the basis of Saigyou's poems.
著者
白井 利明 岡本 英生 栃尾 順子 河野 荘子 近藤 淳哉 福田 研次 柏尾 眞津子 小玉 彰二
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. IV, 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.111-129, 2005-09-30

非行の原因に関する研究は多いが,立ち直りの研究は少ない。非行経験のある多数の少年は矯正機関とかかわることなしに立ち直っている。このことを考えると,社会内に立ち直りを促進する要因があると考えられる。本研究は,立ち直りには「援助者との出会い」が必要であり,出会いのためには少年の心理的な特性として「ひたむきに物事に取り組む力」と「抑うつに耐える力」の成熟が求められると考える。この仮説を実証するため,非行から立ち直った2名に対する面接調査を実施した。その結果,親との出会い直しが必要であるが,そのためには親以外の大人による援助が重要なきっかけとなっていることがわかった。また,「ひたむきに物事に取り組む力」と「抑うつに耐える力」は仮説を支持したが,どちらか一方でもよった。仮説は部分的に支持され,さらなる解明は今後の課題とされた。
著者
山内 友三郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第Ⅰ部門, 人文科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.71-82, 2017-02

西洋近代主義(Western modernism)は人間と自然を分ける二元論であって,人間による自然と先住民支配を本質とする「人間中心主義」(anthropocentrism)に陥っている,--というのは現代の環境倫理の定説である。これが地球環境危機を惹き起こした思想的原因と考えられている。西洋近代主義の二元論に絶望した環境倫理学者は,東洋思想の「自然と人間を分けないで一体と見る一元論」(ないしは全体論)に注目するようになった。こうして西洋的二元論と東洋的全体論の対立が生じて,両者を統合するような哲学は未だ現れていないような状況である。1)日本儒学の主流では--西洋的二元論,東洋的一元論に対して--第三の道として,人間が自然に働きかけて自然を豊かにする,という思想があった。筆者はこの思想を「天地の化育を賛く」という儒教(『中庸』)に由来する日本思想の主流の一つとみて,この思想を地球的・人類的規模にまで拡張して再構成する試みを続けてきたが,その試みの一つが本稿に他ならない。叙述は次の順序で進められます。序 徳川の平和と西洋近代主義, I 加藤弘之の人権新説, II 和辻哲郎の世界国家の説, III 普遍的道徳はあるのだろうか, IV 西洋近代主義の崩壊と梅原猛の人類哲学, V 新・人類哲学の構造。Today's environmental crisis and the threat of war have made an global ethics necessary and even urgent. My trial in this paper is in the creation of an integral philosophy of humanity that should synthesize the philosophies of East and West. My strategy is mainly in the using Hare's method of dividing levels of moral thinking into two; that is, intuitive and critical. While Hare excludes the human moral concern for nature from his ethical system, Leopold's land ethic asks people to change the role of humans from a conqueror of nature toward a simple member of the land community. I tried in this paper to found Hare's two level utilitarianism on the basis of Leopold's land ethic; thus creating three levels of moral thinking. Applying this three level theory (that I call three level eco-humanism), I compare the traditional Japanese philosophy with Western modernism to find the way of combining both philosophies.
著者
小川 力也 長田 芳和 紀平 肇
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第III部門, 自然科学・応用科学 (ISSN:13457209)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.33-55, 2000-08
被引用文献数
3

日本の固有種イタセンパラ(コイ科タナゴ亜科)は, その狭い分布域と絶滅の危機から, 天然記念物と絶滅危惧IA類に位置づけられている。本種を河川の中で保護・増殖するためには, 本種と本種が卵を産みつける二枚貝が繁殖する環境の特徴を明らかにする必要がある。そこで今回は, 淀川に生息するイタセンパラと生息環境に関するこれまでの研究をレビューした。また, 文化庁と環境庁の許可を得て, 本種の産卵, 貝内の卵・仔魚のはじめての写真を掲載した。本種は秋に産卵し, 仔魚はほぼ半年の間貝内で越冬した後に泳出する。淀川のイタセンパラの本来の繁殖場所は, 下流域に発達した河川内氾濫原に存在する池(通称ワンド)の中でも, 本流から隔離された小型の浅い池であることが示唆された。それらの池の水位は, 伏流水を通じて本流の水位と同調して変動する。そのため, 池には本流水が冠水し直接流入する時期(増水時)と氾濫原内に低水位で孤立する時期(減水時)が季節的に繰り返される。イタセンパラの繁殖に関する生態学的研究は, この観点にたって行なうことが重要である。The Japanese endemic bitterling, Acheilognathus longipinnis Regan was designated as both a natural monument and a critically endangered species for the reason of its restricted distribution and a sense of crisis of extinction in Japan. It is evident that the investigations on habitats of A. longipinnis and mussels were necessary for the purpose of preservation of the bitterling. In this paper, we summarized the studies that were carried out at the Yodo River, Osaka Prefecture, Japan. The first photographs of egg deposition into a mussel and eggs/larvae in the mussel were also published by permission both of the Agency for Cultural Affirs and the Environmental Agency. A. longipinnis deposittheir eggs in autumn, and larvae swim out from the mussel in May and early June, after passing the winter in the mussel during a half year. It was suggested that A. longipinnis mainly reproduced in small and shallow pools in the floodplain formed in the lower reach of the Yodo River. The floodplain pools where isolated from the main channel were filled occasionally by river flooding mainly in early summer and autumn. On the other hand, a small water body was remained in the pools through groundwater seepage in the lower water state of the river in winter. We must reseach the habitats both of A. longipinnis and mussels from the viewpoint of seasonal fluctuations in water level of the floodplain pools.
著者
北川 純子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第Ⅰ部門, 人文科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.23-43, 2017-02

本稿の目的は,浪花節(浪曲)の「家」(派)は何を継承してゆくのか,との問題の一端を,過去の録音物を対象とした音楽分析から導き出すことにあった。明治末期から昭和初期にかけて人口に膾炙した桃中軒家,吉田家の二つの「家」の浪曲師たちによる浪花節〈赤垣源蔵 徳利の別れ〉の音盤を素材に分析を行ったところ,一方で,題材をどのような詞章文言の連なりで誦するかという点と,他方で,「節」の設計,文言のほぼ7モーラ+5モーラのまとまりに対応する旋律断片,リズム等を総合した「節」の様式が,「家」によって継承されるとの見方が導出された。加えて,吉田家の二代吉田奈良丸が頻用し,弟子たちにも継承された定型性の強い特定の旋律断片が,大正期の流行り唄《奈良丸くずし》の旋律の一部として使われ,現在に至っていることが明らかになった。This article examines the narrative style of naniwabushi according to `ie' (schools) which consists of performers with the same last name. After analysing recordings by ten naniwabushi performers who belonged to the Tôchûken school and the Yoshida school, it became clear that several things had been handed down through the `ie'. Those were as follows: the words of the text; the structure of the `fushi' (melody); the positioning of the highest tone and lowest tone; and the frequent use of the same specific melodic fragment. Furthermore, it became clear that a specific melodic fragment sung by Yoshida Naramaru II appears in the Japanese song `Naramaru Kuzushi,' which is still popular today.
著者
住谷 裕文
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第I部門 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.27-47, 2012-02-29

第4回は1867年刊行の英文ガイド("The Treaty Ports of China and Japan")の横浜篇を扱う。横浜は開国後,江戸にもっとも近い港として,日本の発展に大きな役割を果たしてきた。横浜は開港にあわせて建設された居住地であり,1636年鎖国令下,ポルトガルとの交易のために築造された長崎の出島に似ていたため,外国人の中にはその二の舞になるのではと不安を覚える者も多かった。そうした中で外国人居留民と幕府,さらには明治政府とのねばりづよい交渉を通して,今日の横浜は形成されていった。横浜の発展は,日本の発展そのものを象徴し,また長崎とは違って,新しい日本を切り開く力はここからあふれ出た。 それと同時に,ガイドブックに記載はないが,つぎの事実にも我々は目を向けておかなければならない。横浜に真っ先に乗り込んできた商社の中に,ジャーディン・マセソン商会がある。これは中国のアヘン戦争を策動し,デント商会とともに中国のアヘン市場を独占した。日本の開港とともに長崎・横浜に進出し,横浜では居留地の一番館(英1番館)を占め,長崎では支店のグラヴァー商会が,薩摩・長州と深い関係を結ぶにいたっている。ハリスによって結ばれた修好通商条約によって,日本へのアヘンの輸入は封じられたが,こうしたことも頭に入れて,ガイドブックの中身を考えていかなければならない。ところで,町としての横浜には歴史がなく,ガイドブックの記述は生彩を欠く。それを補うように付け加えられているのが,鎌倉である。古都の京都・奈良の解説はサトウの1881年版の「中部北部日本案内」まで待たなければならないが,ヨーロッパ人旅行者が江戸に近いかつての首都鎌倉に見ていたものは,本ガイドブックにもよく感じられる。しかも横浜とセットになることで,不思議な魅力を醸し出している。構成から見ても,江戸篇の直前に鎌倉を置いているのは悪くない。 ところで「横浜篇」でもっとも我々の関心をひくのは,遊郭「岩亀楼」にかかわってフォーチューンが述べた,その言葉の引用であろう。日本についての本ガイドブックは,西欧文明が日本にそそぐまなざしそのものであり,その後のガイドブックとくらべて,学術的な厳密さを欠くとしても,観察者の率直な視線がつよく感じられる。なおこの遊郭と風呂の習慣についての指摘は,次回以降に考察を加えたい。The second chapter of this guidebook treats the most promising port of Japan, which finds itself within easy reach of Edo (the ancient Tokyo). There was no interesting historical monument here, except the ancient temples of Kamakura, a former political capital in its suburb. However, there was much trade. Many famous companies and banks in Asia rivaled one another to do business in this city, including Jardine Matheson & Co., Dent & Co., Walsh Hall & Co., etc. We will look at the development of exchange of the new occidental partner of East Asia through the growth of this newly built settlement.
著者
佐々木 靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第4部門, 教育科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.137-145, 2015-09

小学校での1学期の始業式における児童の関心事は,「だれが担任になるのか」「だれと同じ学級になるのか」である。「どの学級も均等」となるように教師集団がいかに知恵をしぼろうとも,少しずつ学級の雰囲気が「均等」ではなくなり,いろいろな特徴が見えてくる。だからこそ,「だれが担任になるのか」「だれと同じクラスになるのか」に関心が集まるのである。このような特徴は,一般的に「クラスカラー」と呼ばれるが,良い意味で使われるとは限らない。本研究は,「ことわざの好み」という一点にしぼって,教師の教育観と子供の価値観,そしてその関係がもたらす学級の雰囲気および教師と子供の相性といった漠然としたものを数値化して考察を加えようとするものである。At the beginning of each new academic year, students are concerned with who will be their homeroom teachers and also who will be their classmates. Teachers make every effort to minimise the discrepancy between classes. Despite this, students are gradually influenced by their homeroom teacher's characteristics. And it is seen how homeroom teachers unintentionally make distinctions between other classes. For this reason, students can't help being concerned about who will be their home room teachers and also who will be their classmates. This characteristic of classes is called "class colour". However it is not only limited to positive aspects. This study quantifies the relationship between teachers' educational outlook and students' sense of value by comparing students' and teachers' preference of proverbs. In addition, the study aims to find out how the relationship affects class atmosphere and chemistry between students and their homeroom teachers and discuss it.
著者
亀井 一
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.21-32, 2018-02

本論文は,ドッペルゲンガー形象という観点から,クライストの喜劇『アンフィトリオン』をジャン・パウル『ジーベンケース』第一版とホフマン『悪魔の霊液』の間に位置づける試みである。主人公アンフィトリオンとアルクメーネは,アンフィトリオンの姿をした神の出現によって,「わたし」と「あなた」の間にある孤独を意識するようになる。ジャン・パウルのテーマとの接点がここにある。アルクメーネとユピターの対話(第2幕5場)では,神の訪問,つまり,アンフィトリオンの二重化が,アルクメーネの意識されない情動と連動していることが暗示されている。アルクメーネの錯覚は,ホフマンのドッペルゲンガーの妄想から遠くない。Im vorliegenden Aufsatz versuche ich im Hinblick auf Doppelgänger-Figuren Kleists „Amphitryon" zwischen Jean Pauls „Siebenkäs" und E.T.A. Hoffmanns „Elixiere des Teufels" zu platzieren. Durch die Erscheinung des Gottes in einem anderen Amphitryon lernen Amphitryon und Alkmene gewisse Einsamkeit im ich-du-Verhältnis kennen. Hier schließt sich Kleists Doppelgänger-Thematik an Jean Pauls an. In Alkmenes Gespräch mit Jupiter(II. 5)wird angedeutet, dass der Besuch des Gottes, d. h. Amphitryons Verdoppelung an ihren unterschwelligen Gemütsbewegungen mitwirkt. Ihre Täuschungen sind nicht so entfernt vom Wahn der Hoffmannschen Doppelgänger.
著者
井上 直子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.41-54, 2002-09-10

プラトン以来, ミメーシスの問題は芸術の本質に関わるものとしてさまざまな議論を引き起こした。 19世紀まで, 対象を真似て描写することで成立すると見なされていた芸術は, オスカー・ワイルドの「芸術が本当に始まるのは, 模倣をやめたときである2)」という言葉に象徴されるように, 単なるコピーではなく, それ自体価値を持った領域として存続するようになる。 この変遷を, 19世紀から20世紀にかけてのフランスの絵画, 詩, さらに「純粋芸術」の概念の中に見ていく。Depuis Platon, l'essence de l'art en Occident consiste dans la mimésis. La notion de la mimésis doit être analysée à partir de deux points de vue : moral et esthétique. Du point de vue esthétique, l'art doit s'approcher de l'idéal. Les peintres classiques visent à représenter la beauté idéale ; les poétes classiques tentent de décrire ce qui est vraisemblable. Il existe une dissociation rigoureuse entre l'original et la copie, le représenté et le représentant. Cependant, cette tendance se modifie au 19e siècle. Comme l'affirme Oscar Wilde, <L'art ne commence vraiment que là où cesse l'imitation>. Le tableau devient l'expression de la vision saisie à travers le <tempérament> des peintres. L'original n'est plus supérieur à la copie, mais l'impression interne constitue l'essence du tableau. Dans la poésie, le langage n'apas de référent au monde réel. Le rapport entre le mot et la chose est détmit ; les choses apparaissent devant les poétes en tant qu'étre mystérieux libéré de la notion générale en acquérant l'étrangeté. Ces nouvelles tendances se résument dans la notion de l'art pur. L'art pur a comme origine <l'art pour l'art>, affirmation invoquéé vers 1840. L'art accepte une rupture entre la morale et lui-méme. Il ne posséde plus d'objectif précis tel que la morale ou la manifestation, mais il construit un champ fermé, anti-référentiel, autonome de la réalité.
著者
越桐 國雄
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第5部門, 教科教育 (ISSN:03893480)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.1-12, 2012-02

学習指導要領が改訂されるごとに小学校理科の教育内容も変化してきた。1980年以降,理科の授業時数が減らされるとともに,内容の精選により学習事項も削減されてきた。ところで,2008年に告示された学習指導要領ではこれに歯止めがかかり,一転して理科の教育内容は増加した。その一方で,取り上げられている事項や内容とその妥当性について戸惑いの声もきかれる。ここでは,物質・エネルギー領域の物理分野について,現行の小学校学習指導要領や理科教科書と,内容の精選が始まる以前の1958年に告示された学習指導要領や教科書とを比較した。これにより,今回の改訂で導入された教育内容の問題点について検討するとともに,小学校理科の教育内容の在り方を考察する。Contents of the elementary school science have been changing as the course of study or the national curriculum of Japan is revised. Since 1980, contents of elementary school science were carefully selected and reduced while cutting the time of school science classes. Meanwhile, in the 2008 revision of the course of study in Japan, it stopped to cut the time for school science classes, and it turned to increase and the contents of elementary school science are also increased. On the other hand, voices of confusion about the content and validity of newly introduced units in elementary school science are addressed. Here, we compare the elementary school science textbooks and the current school curriculum guidelines, between 1958 and 2008, since the past course of study of fifty years ago are thought very much appreciate for the science education. In this way, for the units of enegy and matter, we shed new light on the past textbooks and the course of study of 50 years ago and get hints how to improve the current curriculum and teaching method.
著者
小野 恭靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.47-56, 2005-09-30

日本のことば遊びの一種に判じ物がある。判じ物は絵と文字を用いて、主として日本語の同音異義によって解読させる視覚的なことば遊びである。その判じ物の資料のうち、同類の名詞を解とする判じ物を一枚摺りの錦絵版画に集成したものがある。それはいわば判じ物の「物は尽くし」資料と言え、今日「物尽くし判じ物」と呼ばれている。「物尽くし判じ物」は岩崎均史氏によって精力的に紹介されている。しかし、近時岩崎氏未紹介の「物尽くし判じ物」二点、また岩崎氏に言及がありながら、写真等による紹介がなされていない「物尽くし判じ物」一点が管見に入り、その,後大阪教育大学小野研究室蔵となった。本稿は従来十分な位置付けがなされていない以上三点の「物尽くし判じ物」を、写真とともに紹介する論考である。
著者
小野 恭靖
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.109-116, 2000-01

江戸時代末期に爆発的に流行し、巷間に流布した"判じ物"資料に「もの尽くし判じ物」がある。「もの尽くし判じ物」は動物、植物、食品、調度品、風俗などの部類によるもの尽くし絵であるが、それがいわゆる"判じ絵"で描かれている点に特徴がある。また、「もの尽くし判じ物」は大判の錦絵摺りで、一枚物を基本としたが、二枚から数枚で一組とされた例も見られる。本稿では、「もの尽くし判じ物」を代表する三種の表現手法を取りあげ、それらが一朝一夕に成されたものではなく、日本語のことば遊びの歴史と伝統に基づいたものであったことを指摘する。"Monozukushi Hanjimono", which took the world by storm in the Edo era, is one of picture puzzles. The picture puzzles in "Monozukushi Hanjimono" are classified by subjects such as animal, plant, food, supply and public moral. They are Nishikie, which are color prints. This report treats three kinds of expressions in these picture puzzles, and indicates that their expressions were not made easily but had been made in the long history and tradition of Japanese language.
著者
大島 昇 北野 洋子 形埜 まり江 河野 健三 福嶋 美津子 山本 晃 藤田 裕司
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. V, 教科教育 (ISSN:03893480)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.213-223, 2005-09-30
被引用文献数
1

特殊教育から特別支援教育への転換が迫られている折から,大阪教育大学附属養護学校における個別の教育支援の実状を1事例に即して紹介した。事例は知的障害及び場面緘黙症と診断された女子生徒で,高等部入学後3年間の取り組みの経過を,それに連携的にかかわったクラス担任,進路支援担当者,プレイセラピー担当者,養護教諭,精神科校医らの記録に基づいて要約する、とともに,場面緘黙症の生徒への教育支援の在り方について若干の考察を加えた。