著者
碓田 智子 西岡 陽子 岩間 香 谷 直樹 増井 正哉 中嶋 節子
出版者
大阪教育大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

全国の町並み保存地区等でみられるイベント型の屏風祭りとひな祭りを主対象に現地調査を積み重ね、町家や町並みの空間利用とまちづくりとの関わりについて検討を行った結果、以下の研究成果が得られた。1)イベント型の屏風祭りは、伝統的祭礼に由来するものである。屏風は町家の座敷に展示されることが多く、見物人はふだん見ることができない町家内部の居住空間を訪問し、住民と交流を深める機会を得やすい。曳山祭礼とは別の日程で開催、曳山祭礼と同日に行うが祭礼行事としての色彩はないもの、曳山祭礼の一環として実施する場合を比較すると、伝統的な曳山祭礼とは切り離して行われる方が、まちづくり活動としての色彩が強い。2)全国約120カ所でひなまつりイベントが行われ、とくに平成10年以降、歴史的ストックを活用した町並み回遊型のタイプが急増している。行政の手に寄らず、雛祭り実行委員会など、住民主体の組織によって開催されているものが半数近くを占める。ひな祭りイベントは、手作り雛や小物の雛人形でも参加でき、店先や玄関先、住宅の外部空間での展示も可能である手軽さが、住民が参加しやすい点である。3)まちづくりとしてのひな祭りや屏風祭りは観光資源として有用で町の活性化に寄与していることは勿論であるが、日常的な居住の場である町家や町並みが、外部からの来訪者にとっては魅力的なものであること、同時に貴重な歴史遺産であることを地域住民自身に意識させる機会になっている点で評価できる。
著者
橋本 是浩 土田 秀雄 赤澤 寿一 新井 文子 乾 東雄 加藤 章三 坂本 宏和 下出 心 疋田 直樹 山本 景一
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. V, 教科教育 (ISSN:03893480)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.61-80, 2005-09-30

本研究は,数学学習での「文字」の習熟の実態について,中学生・高校生・大学生を対象として,予備調査を行った。予備調査の調査結果の部分的な分析から中学生・高校生の文字に対する未成熟なイメージの実態を明らかにするとともに,それらの結果から 仮説(I):生徒は,文字の表す「数」を固定的に捉えている 仮説(II):生徒は,文字のイメージを自然数的に捉えているの2つの仮説が導出できたことを報告する。
著者
冨永 光昭
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. IV, 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.47-56, 1997-08

本稿は,1996年3月27日から1996年4月4日にかけてのスイス研修を基に,スイス障害児教育研究をすすめるパースペクティブを提示することを目的としている。スイスでは,ハンゼルマン,モア亡き後,ヘーベルリン,コビー,ビューリー等により治療教育学の理論化の作業が進められている。この現代スイス治療教育学の動向を明らかにすることが課題として示された。また,スイスの障害児教育システムには,1960年に施行された連邦障害保険法の存在が大きな影響を与えている。この法令が有する問題点を詳細に跡づける必要があろう。さらに,スイスは26の州による連邦国家で,ドイツ語圏,フランス語圏,イタリア語圏等により障害児教育システムの様相が異なっており,今後,障害児のインテグレーションを中心にこの構造を解明する必要性が指摘された。In dieser Arbeit beabsichtige ich, die Perspektive der Studien über die Behindertenpädagogik in der schweiz mit dem Erfolg der Studienreise vom 27. Marz bis 4. April in der Schweiz, zu erlautern. Die Perspektive, die vorlegte ich, sind wie folgt. 1, Die Entstehung und die Eigenschaft der Behindertenpädagogik bei Haeberlin, U., Kobi, E. E., Bürli, A.u.a.m., welche der Behindertenpädagogik in der Schweiz heute gross beeinflusst hätten, müssen immer wieder betrachtet werden. 2, Der fragliche Punkt und die Aufgabe der Eidgenössischen Invalidenversicherung, die einen grossen Einfluss auf die Politik und das System der Sonderschulung der einzelnen Kantone in der Schweiz hat, müssen aufklärt werden. 3, Die Eigenschaft der System der Sonderklasse in der Schweiz, die eine Position im System der Regelschule Erziehung einnimmt, muss afuklärt werden. 4, Der Unterschied der schulischen Integration behinderter Kinder im deutschsprechenden Schweiz, dem französischsprechenden Schweiz, italienischsprechenden Schweiz und die Basis der Theorien müssen immer wieder aufklärt werden.
著者
小寺 茂明
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.17-29, 2004-09-30

本稿は接触節 (ゼロ関係詞節) についての問題点あるいは特徴をさまざまな視点から検討したものである。まず, 接触節は古くからある英語であり, それを必ずしも関係代名詞の省略とは見ない, という考え方について述べている。その後に, 改めてそれらの問題点あるいは特徴について, 次のような点を明らかにしている。 (1) 名詞句の連続という構造上の特徴はあとに従属節が続く合図であり, 接触節と先行詞の間にはなんらのポーズもなければ, 目立ったピッチの変動もない。 (2) 接触節での主語には人称代名詞がきわめて多用されている。 (3) 接触節では伝達すべき情報は旧情報並であり, 情報量は極めて少ない。また, そのために接触節をなしている部分の語数については2-4語であり・きわめて少ない構成をしている。接触節は,つまるところ,直感的に理解できるようなレベルのものであり,詳しい関係代名詞などの合図などは不要なほどにやさしい構造, 換言すれば, 情報の少ない構造のものなのである。すなわち,接触節は情報量をいわばぎりぎりのところまで抑制したものであり,すべてがそのいわば「スリム化の方向」に向かっているものと考えてよいであろう。
著者
山内 友三郎
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.26, no.3, pp.133-144, 1978-03

本稿は『饗宴』におけるソクラテスのエロース論をとりあげて、倫理学的な解釈を試みたものである。そのさいとくにエロースの究極の段階における,美ソノモノを見て真の徳を生む、といわれている箇所(212a)を解明しようとした。またそのさいソクラテスがディオティマから聞いたとされているエロース論はソクラテスープラトンのものであることを前提とした。プラトンによれば感覚界において価値のある美しいものや秩序あるものは、すべて、永遠の存在であるイデアにあづかることによって、美しくもなり秩序あるものにもなるのであり、またそのことによって存在性をおびるのであって、美しくもなく秩序もないようなものは非有と考えられる。美しく秩序あるものであることは、その分だけ存在の刻印をおびることを意味している。神の創造作用によって、範型(パラデイグマ)に似せられて作られたためにこの宇宙(コスモス=秩序)は美しく秩序あるものになるのであって(『ティマイオス』28以下)感覚界はその意味では永遠の存在と無のあいだを揺れ動く映像のようなものである。したがって、この世界は秩序があることによって、イデア界と連続性をたもち、そのことによって全体が保たれているのである。「天も地も人間たちも神々も結合関連させているのは、交わりと友愛と秩序と慎慮と正義であって、このためにこの全体はコスモスと呼ばれる」(『ゴルギアス』508a)。さてエロースはまず何よりも美しいもの秩序あるものへの愛である。そして美と秩序とはイデア界・感覚界にわたってはりめぐらされているのであって、これに対応して、エロースはイデア界と感覚界とを仲介し結びつけているのである。天地はエロースがなければ瓦解する。エロースは偉大なるダイモーンであり、「神々と人間の中間にあって、両者のあいだを仲介し、間隙をみたしていることによって、全体は自己と結合している」(『饗宴』202e)。さらにまた美しいものは感覚界にあって特別の位置をしめていて、イデアを映す影のようなもののうちで、もっともよく見られるものである。『パイドロス』(250d)の神話によれば、人はこの世の美を見て、真の美を想起する、と言われているが、正義や慎慮やその他価値あるものについての、この世におけるいわばイデアの影像を見ても、とくべつの光を発するものではないが、美だけはこの世における影像が光り輝いていて明晰に視覚にうつるのである。このために美は感覚界のうちにあって、イデア界への通路の役割をはたすことになる。『饗宴』におけるエロース論は『国家』における善のイデアをめざす教育課程と本質的に同一の目的をもち、それを,美を媒介にして端的に示したものと考えられる。美しいものは美によって美しい(『パイドン』100d)のであって、美しいものはもっともイデア(形相)に似ていると考えられる。エロースは単なる欲求ではなく美への欲求であることによって、直接にしろ間接にしろ、イデア界への憧憬ともなりうるのである。したがって、エロースは、美を媒介にして、イデア界へと上昇しようとすることによって、真の知をえようとする愛知者でもあるのである。というのは、プラトンによれば、イデアのみが真の意味での有であって、これを対象として知識が成立するのである。感覚界にあるものは、有と非有の中間であって、それを対象としては知識はありえず、ただ思惑(ドクサ)があるだけである(『国家』478d)。エロースは知と無知の中間にあって、美を手がかりにして、真の知を求めているのである。知が見える形をとるとすれば恐るべきエロースをひきおこしたであろう(『パイドロス』250d)といわれるが、美しいものは、イデア界への通路として、知が見える形をとったものの相似物のようなものと考えられる。In this essay I have tried to interpret ethically the last stage of the ascent passage of eros in Diotima-Socrates speech of 'Symposion'. In the ascent passage of eros, if guided aright, the lover will begin to love beautiful bodies and then beautiful souls and be forced to contemplate the beauty in human conduct, laws and knowledges and finally absolute beauty itself. This beauty itself is thought to be the source of order in the intelligible world as well as in the sensible world. The love of the source of order, when directed into the soul of the lover himself, becomes the reason which orders eros for beautiful things in the sensible world. Therefore to strengthen the eros of beauty means to strengthen the eros of order in the soul. This is a real meaning of bringing forth true virtue by means of seeing beauty itself.
著者
北川 純子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 人文社会科学・自然科学 (ISSN:24329622)
巻号頁・発行日
no.67, pp.93-112, 2019-02-28

東家楽浦(1898-1978)は,1920年代から70年代にかけて活動した浪曲師である。彼のキャリアについては,とりわけ三点の事柄が評価されている。一点目に,初代ならびに二代東家浦太郎の師匠であること,二点目に,浅草の木馬亭を浪曲定席の場としたこと,三点目に,野口甫堂のペンネームで多くの浪曲台本を執筆したことである。本稿は,浪曲台本作家としての楽浦に焦点を定め,〈良弁杉〉を素材として,楽浦が講談を土台にしつつ,どのように浪曲版をつくりあげていったかを分析する作業を通して,講談と浪曲の性格の違いの一端を明らかにする試みである。
著者
高橋 哲也 中須賀 巧 赤松 喜久
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第3部門 自然科学・応用科学 (ISSN:13457209)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.43-51, 2010-09

本研究の目的は,恒常性のある「見る」運動(一点注視)と多様性のある「見る」運動(分散注視)が,それぞれクローズドスキルの運動学習に及ぼす影響を明らかにすることであった。本研究ではクローズドスキルの運動課題としてダーツを用いて行われた。Day1からDay3までの練習期間において,分散注視型の注視課題を与えた群の得点は低い値を示し向上もみられなかった。しかし,注視課題を与えずに行ったPost Test及び保持テストの得点がPre Testの得点を上回った。また,一点注視群の得点との間には逆転現象が見られた。本研究で得られた結果は,多様性注視課題をもって練習を行うことで,多様性筋運動による練習と同等もしくはそれに近い効果が得られる可能性があることを示唆している。The purpose of this study was to show clearly the effects of "closed observation" and "dispersed observation" give the motor learning of the closed skills. In this study we used darts as the motor task. During practice period, Day1 to Day3, "dispersed observation" group showed low scores and their scores didn't improve. However, in post test and keeping of skills test, their scores exceeded pre test and reversed "closed observation" group's. The results of this study showed possibility of to practice with "variability vision control" is equal or nearly to practice with "variability movement".
著者
輪田 真理 入口 豊 井上 功一 山科 花恵 東明 有美
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第IV部門 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.15-28, 2012-02-29

本研究は,現在なでしこリーグの中でもトップクラスの環境を持ち,日本代表選手を多く輩出しているJリーグ所属浦和レッドダイヤモンズの下部組織である「浦和レッドダイヤモンズレディース」と,ぎりぎりのクラブ運営の中でもなでしこリーグ残留を続け,日本女子サッカーリーグでは最も歴史のある市民クラブ「伊賀フットボールクラブくノ一」(筆者所属)の事例を中心に,日本女子サッカーリーグ所属クラブの現状を明らかにし,それらから見ることのできる課題を検討することで,日本女子サッカーリーグ所属クラブの展望を考察することを目的とするものである。本稿では,まず,その前提となる日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)の歴史と現状を明らかにした。Japan national women's football team won the World Cup of Women's Football in 2011.7. After then Women's Football is rapidly gaining popularity in Japan. However, an environment of women's football in Japan is not favorable. The purpose of this study was to examine the current status and the future prospects of the Japan Women's Football League through the case study of the two teams (Urawa Red Diamonds Ladies and Iga Football Club Kunoichi) belong to the League. Especially, before examining the case study of the two teams, the present study is to examine the History and Current Status of the Japan Women's Football League the following topics :###1. Japan Women's Football League (1)Establishment and purpose of the Japan Women's Football League (2)History of the League (3)Restart of the League (4)Reformation of the League###2. Reformation of"Nadeshiko League"###3. "Nadeshiko Vision"
著者
山近 博義
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第2部門, 社会科学・生活科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.25-42, 2015-09

本稿の目的は,近代京都を描いた大縮尺地図である京都市明細図の作製および利用過程の一端を明らかにすることである。そのため,原図の特徴と景観および作製年代,原図に上書きされた更新情報の内容と年代を検討した。その結果,原図は基本的な情報を掲載するベースマップ的な地図であること,個別の建物を把握できる点で,昭和前期の京都研究の貴重な資料となり得ること,原図の景観年代は1926年を中心とした時期と推定できることが明らかとなった。また,更新情報には,1920年代後半からの京都市の都市計画に伴う景観変化を示す情報,1940年代末~50年代初頭の個別の土地や建物の用途に関する情報など,複数の時期と内容が含まれることが確認できた。Kyoto-shi-meisai-zu is one of the large-scale maps of modern Kyoto City. It consists of about 290 maps and these maps are drawn to a scale of 1:1200. These maps are appreciated by reseachers, as important material for study on the landscape of Kyoto during the first half of the 20th century. The purpose of this article is to clarify the making and use process of these maps. Kyoto-shi-meisai-zu was made first in about 1926 and published by Japanese fire insurance association. These original maps made then were maps describing basic information such as the ground plan of individual buildings or the lot number of individual land. And less information about individual buildings was described on these original maps than on other fire insurance maps made in the United States of America, the United Kingdom or Japan. In Kyoto, city planning was enforced from the late 1920's. And the landscape of Kyoto has gradually changed. For example, widening of roads, construction of streetcars or land readjustment projects were implemented. These changes were described on new paper, and the new paper was stuck on the original maps of Kyoto-shi-meisai-zu. Furthermore, around 1950, the information such as a use and the number of floors of individual buildings was handwritten on each maps of Kyoto-shi-meisai-zu. In this way, plural update information was accumulated on the original maps of Kyoto-shi-meisai-zu. And the important characteristic of this map is to have described the detailed information of individual buildings. Therefore, it may be said that this map is presious material to study landscape of Kyoto during the early Showa-era.
著者
辻本 洋子 奥田 豊子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 2 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.15-26, 2009-09

大阪府内の小学校3年生から6年生の368人を対象に食事を中心とした日常生活に関する質問紙調査を実施し,児童の食を中心とした生活習慣と心身の健康状態や学習態度との関連性を検討した。(1) 朝食の欠食者は全体の1割程度で,朝食を食べた者の半数が「主食」のみであり,主食が飯の場合が最も食事バランスが良かった。健康状態と朝食皿数との関連では,健康状態が良好な者の方が食事バランスがとれていた。(2)食事バランスによる食生活や健康状態を比較したところ,食事バランスが良い群は食事を楽しみにしており,朝食を毎日食べ,共食・食事の手伝頻度が多く,食意識が高く,よくかんで食べており,健康状態が良好であった。(3)共分散構造分析を行った結果,健康度に最も強く影響していたのは,「おいしく食べる」ことであり,就寝時刻や排便などの生活習慣も関与していた。以上の結果から,心身の健康度には,家族そろって,よくかんでおいしく食べることや,快便,快眠などの食生活や生活習慣が大きく影響していること,さらに,健康度が高いことは「授業中眠くない」,「宿題をきちんとする」等の学習面にも影響を及ぼしていることが示唆された。This study examined the relationship between dietary life and health status (health degree) and learning attitude in elementary school children. A questionnaire survey was conducted among 368 elementary school children (from grade 3 to grade 6) living in Osaka prefecture. The half of the children who had breakfast ate only staple foods. Children with better dietary balance had high degree of health and enjoyed meals, ate breakfast every day, chewed their food well, and made a help of a meal better. The components and items were subjected to covariance structure analysis. The hypothesized model fitted well (GFI, AGFI, and RMSEA). The results showed that enjoying meals, chewing food well, defecation every day, and enjoying meals with family altogether directly increased health degree. In addition, the high degree of health had exerted a good influence on their learning attitude. These results suggested that dietary life including enjoying eating were important to the health status and learning attitude in elementary school children.
著者
吉田 靖雄
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. II, 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.51-68, 2004-09-30

『史記』にみえる徐福 (徐市とも、〜前二一九〜二一〇〜) は、不老不死の薬の獲得を始皇帝に勧めて巨費を得たぺてん師として描かれている。しかし中国大陸では、一九八四年に徐福の出身地という土地の発見以来、研究が高潮して二百を超える論文が発表されている。それらは、徐福らが前三世紀、数千の若者・技術者・五穀の種と共に日本列島に到着し、弥生時代を切り開いたと主張している。徐福は偉大な航海者・日中友好の使者と評価されているが、そうした状況を紹介し、かつ『史記』記事の吟味を試み日本上陸説が成立しないと論じる。
著者
梅崎 さゆり 吉田 雅行 吉田 康成
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第4部門 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.227-240, 2009-02

本研究は,ゲーム中のスパイク動作における移動や助走,踏み切り局面の接地パターンを明らかにすることを目的とした。2006年世界選手権男子ブラジル対イタリア戦で実際のゲーム中に攻撃に参加した選手のスパイク動作65試技を対象として両足接地時間を記録し接地パターンの分析を行った。その結果,ブラジル,イタリアの両チームの攻撃に参加した選手の接地パターンには,接地時間のばらつきが少ない助走とばらつきが多い移動という2つの接地の仕方があることが明らかとなった。ブラジルチームでは37試技中32ケースについて4歩助走,残り5ケースは3歩助走を行っていた。一方,イタリアチームでは,28試技中全てのケースについて3歩助走を行っていた。これらの結果は,ゲーム中にスパイク技術を発揮するためにはそれぞれの選手が一定した助走技術を獲得していること,助走まではゲーム状況に応じた移動のステップを用いていることを示唆している。The purpose of this study was to make clear the grounding pattern of foot movement on spiking motion (movement, approach and jump phase, respectively) in volleyball game. We analyzed that grounding pattern in 65 spiking motion of attacking players in the match of Brazil versus Italy in 2006 Men's World Championships. The results that grounding pattern (1.movement phase, 2.approach phase) were found by analyzing about grounding time of each step. Most of all Brazilian spiker performed 4 steps approach 32 of 37 cases and 3steps in remaining 5 cases. In Italian spiker, all cases performed 3steps approach. These results suggested that each player had regular technique of approach and used the optimum step of movement to perform the spiking skill in game situation.
著者
土井 秀和
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第IV部門 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.107-116, 1983-09-30

近年シュート技術の発展は目ざましいものがあるが,サイドシュートは技術的課題を多く含んだものであるため実践的な試みが積み重ねられている。とりわけこのシュートの巧拙はチームの得点能力に大きな鍵となっている。本研究は多様なサイドシュートのうち特に左サイドからのジャンプシュートをとりあげ,その成功に影響を及ぼす助走の方向と踏み切り姿勢を実験条件として,サイドシュートの技術的特性を運動形態学的に分析したものである。結果として次のことが明らかにされた。1)防御者にボールを奪われないようにする方法として,ボールを前方又は後方高く保持しながら上体をゴールラインの方向に傾けるか,背中を防御者に向けることが有効である。2)右手投げの場合,リリース時のボール速度を最大にする技術として,左肩を前方に出した半身の姿勢によって胴体をねじり,その後右足を後方に振りながらねじり戻し動作を行なうことが有効である。3)ゴールポストにボールが入る空間をより大きくするために,リリース時のシュート角度を大きくすることは極めて重要である。(1)ゴールラインの方向から助走して行なうシュートの場合は,踏み切り姿勢にかかわらず,ペナルティースローラインの方向に跳躍できるのでシュートの成功に有利である。(2)またフリースローラインの方向から助走して行なうシュートの場合は,右足で踏み切りその際右肩を前方に出す踏み切り姿勢によって,フォワードスイング期に上体をペナルティースローラインの方向に傾けながら,サイドスローを行なうことができるのでリリース時のシュート角度を大きくすることができる。In the Hand Ball game, various shoot-techniques are carried out. Among them, the most important one to win the game is the side-shoot technique. So, this study analyzes morphologically some techniques of jumping-side-shoot from the left side of the Hand Ball coat. This experiment sets the conditions on the directions of approach-running and the postures of jumping-up in performing side-shoot. This study leaves much problem, but following tendencies can be observed from the results obtained so far; 1) It is important technique for the success of the side-shoot that the shooter don't be cut the ball by his defenders. So, when he tries to side-shoot, he must incline his upper part of body toward the Goal-line or must turn his back to the defender, holding the ball upward or backward. 2) In any directions of approach-running, the right-hand-thrower jumps up by his left-foot and puts his left-shoulder forward, and then he twists his upper part of body to the right in the air. So, he makes the effective throwing motion for side-shooting. 3) Concerning the side-shoot running-approach direction from the Coal-line, if the shooter jumps up toward the Penalty-Throw-line in any postures of jumping-up, he can spread the shooting-angle which makes the goal-space much wider. 4) About the side-shoot running-approach direction from the Free-Throw-line, if the shooter jumps up by his right-foot and puts his right-shoulder forward and then he inclines his upper part of body toward the Penalty-Throw-line, he could success the good shooting by making the same conditions as above 3).
著者
新宅 賀洋 宮谷 秀一 岡田 真理子 甲田 光雄 奥田 豊子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 (0xF9C2)社会科学・生活科学 02 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.49-59, 2000-08
被引用文献数
2

低エネルギー, 低タンパク質の完全菜食がヒトの健康にどのような影響をおよぼすのかを検討した。対象はある医師の指導のもとで玄米, 野菜, 豆腐を中心とした完全菜食を45日間摂取したボランティア (菜食者) であった。完全菜食摂取前と摂取6週問後に食事調査, 体格, 体組成の測定, 血液検査などを行い, 非菜食者の成績と比較した。完全菜食の栄養学的な特徴は低エネルギー, 低タンパク質ではあるが, ビタミン, ミネラルや食物繊維を多量に摂取していたことである。完全菜食では摂取エネルギーの不足を, 体脂肪を燃焼させて補い, 体脂肪・体重が減少した。完全菜食の摂取脂肪酸組成は非菜食者のものと大きく異なり, 飽和脂肪酸と一価不飽和脂肪酸の割合が少なく, リノール酸の割合が高かった。またn-6/n-3比も高くなっていた。しかし, 血漿脂質の脂肪酸組成は非菜食者と差が認あられなかった。血液性状からみて低栄養状態, 貧血症状は認あられなかった。以上の結果より完全菜食は低エネルギー, 低タンパク質の食事で, 摂取脂肪酸組成も大きく異なっているが, 脂肪酸代謝に大きな影響を与えず, 生理学的な面での問題点は認められなかった。
著者
飯島 敏文
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第4部門, 教育科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.1-10, 2014-09

本研究の最終目的は「『郷土教育の現代化』をめざした郷土教育モデルの構築」であり,郷土教育モデルの構築にとって必要な諸ファクターを見いだし,研究テーマをそれらファクターによって焦点化して記述し,それらファクターがいかに機能するかを解明することは研究の一段階である。これまでは主として学校教育における「授業」のレベルで郷土教育を考察してきたが,それ以前の子どもの人間形成空間として「自己」や「家庭」の考察を省くことはできない。本稿においては「家庭」が郷土教育にとってどのような意義を持つのか,また家庭教育が果たす役割は何かを明らかにすることとする。筆者は身近な地域に存在しあるいは生起するあらゆる事物や事象が学習材となり得るという仮説を持っており,さらに日常生活におけるあらゆる経験が教育的意義を持つと考えている。成長期の子どもにとって学習と無縁の経験はないのである。この経験の特定の側面を評価し,サポートするタイミングを見計らうことは家庭や学校における指導者の役割である。本稿では日常生活における2つの局面において,経験の教育的意義を考察した。一つは奈良市界隈の寺社への子どもの興味関心から生じた寺巡りが表現を伴った活動として認知された事例である。この対象は奈良市近郊の児童にとっては地域学習に位置づけられるものであり,小学校中学年の地域史の学習に位置づけられ,小学校高学年以上の子どもたちにとっては日本史学習あるいは日本古代史もしくは考古学の対象となり得るものだからである。学習者の発達段階に応じて必要な相貌を見せてくれる学習材というものは実に貴重である。その対象を学ぶ児童の活動や表現物を分析することによって,身近な地域の歴史を学ぶ際に獲得可能な諸知識と諸能力,諸態度を明らかにすることとしたい。二つ目は子どもが日常生活の中で直面した切実な問題に対応すべく調べ,考え,考察する事例である。教科学習ではなかなか機会を得にくい「いのち」に関わる経験を取り上げた。筆者が研究仮説として考えていることは,学習主体にとって身近な地域から学習材を見いだし身近な地域で学習活動を実現することが,個性的な学びを保証するのみでなく地域的な特殊の学習が個別具体の学習にとどまらず諸領域の学習において普遍的な有効性をもつものであるという見解である。身近な地域にある事象や事物を対象とした学習は直接的かつ具体的であり,現代の子どもが日常的に得ている間接的な経験とは質が異なると筆者は考える。ペーパー上に記述可能な「知識」なるものは間接的な経験のみによって獲得されうるものであろう。その中には多数の事項のみではなく広く知られているような「定型的な論理」すら含まれる。記憶の対象として「論理」が意識されるようになると学習主体にとって価値ある学びは実現されなくなる。社会的な通説を反復記述するだけの人材を育てるだけでは教育の社会的意義も希薄にならざるを得ないであろう。本来は,学習者にとって身近な空間における活動が深化してのち,空間的・時間的に拡大され,対象を観察しあるいは対象を考察し,さらには観察内容・考察内容を言語表現する活動のプロセスの中に多様な教育的契機が存在していると考えている。一般的・普遍的な内容の学習はその発展の過程において実現するものであろう。本稿では,特殊の事例に関わる学習活動において見いだされた教育的諸契機が,より普遍的な教育モデルとして提案可能かどうかを提案するための検証評価をおこなっている。A construction by using only a ruler without scale and a compass is very interesting. There have been a lot of construction problems from ancient Greece era. In 1796, C. F. Gauss discovered how to construct a regular heptadecagon. His idea had joined to the Galois theory. Now, almost books introduce the construction of a regular heptadecagon by using the Galois theory. In this paper, we study how to construct a regular heptadecagon without using the word "Galois theory".
著者
藤田 裕司 三浦 正子 細水 令子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. IV, 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.89-104, 1988-08

本稿は,女子非行に関するわれわれの一連の研究のうち,父-娘関係の病理性を主題としたものである。まず,第I章では,導入をかねて女子非行とその研究の動向を概観したのち,そのなかにおけるわれわれ研究の意義及び特色について要点を述べた。続く第II章では,今回われわれの研究対象となった非行少女の家庭状況がどのようなものであるかを,彼女たちが綴った作文をもとにして紹介するとともに,彼女たちの父親像を大きく三つに類型化し,それぞれの特徴等について順次検討を加えた。これを踏まえて,第III章では,父-娘相姦の問題を取り上げ,自験例に即しつつその実態及び非行化とのかかわりを明らかにした。最後の第IV章では,以上の論点を総括し,本研究から見た女子矯正教育の望ましい在り方について若干の提言を行い,今後の課題提起とした。As a sequel to the previous study on"female criminality,"the present study,made up of four parts,aimed at revealing the psychopathological aspects in father-daughter relationships of delinquent girls.Firstly,the current topics of researches in this field were reviesed,and special emphasis was laid on the methodological uniqueness of our studies.Secondly,based on our 140 subjects' compositions concerning their families,a brief description of their domestic troubles was given,and focally their typical father images were clarified.Thirdly,nine cases of father-daughter incest were analyzed in detail in connection with her delinquent process or mechanism.This analysis formed a leading part of this paper.Lastly,in the light of the above-mentioned points,a proposal was made on the correctional education for girls as it shoud be.
著者
山下 博司 古坂 紘一
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.163-173, 1989-12

Murukan-Subrahmanya,God parexcellence of the Tamils,has been plausibly believed to be a son of Siva and Uma-Parvati and also to be the younger brother of elephant-headed Ganesa-Ganapati.There is another belief,on the other hand,that Murukan is the son of Korravai,the ancient Dravidian goddess of war and victory.How can such a twofold parentage of Lord Murukan be historically explained?When did such conventional relationship centered around this adolescent god come to be known?And,does his relationship with other deities represent any essential nature of God Murukan?In this paper,to find a clue to these questions,we will closely examine the so-called Cankam classics,the literary corpus written in ancient Tamil,so that we may catch a glimpse of extra-Sanskritic or,more particularly,Dravidian notions of the sacred which presumably gave profound influences on the formation and the development of the religious ideas and institutions of the Southern Hindu cultures.今日南インド・タミル地方(ナードウ)の民衆の間で絶大な人気と信仰を集める童子神ムルガン(スブラマニヤ)には,その出生に関して一定の神話的説明が施され,一般にも広く信じられている。この神の誕生にまつわる纏まった記述は,タミル語の古典として知られるサンガム文献の後期の諸作品中に初めて現れるが,そこに見出される説話のプロットは,北方インドの軍神スカンダ(クマーラ,カールッティケーヤ)の出生譚の言わば一つのヴァリエーションとも呼ぶべきものであって,ムルガンの誕生説話が,南インド・ドラヴィダ世界に固有の文化的・宗教的伝統に根差したものというより,寧ろサンスクリット系のエピックやプラーナの甚大な影響のもとに形成されたものであることを強く示唆している。同様のことは,ムルガン神の家族関係をめぐる神話的説明に関しても確認することができる。例えば,ムルガンとガネーシャ(ガナパティ)は兄弟をなし,共にシヴァ神の息子と信じられているが,シヴァの息子としてのガネーシャの初出は遅く,サンガム文献中では全く言及を受けない。ムルガンとシヴァ=パールヴァティー,或いはコットラヴァイ女神との親子関係についても,後期に成立した一部の作品を除いて,サンガム文献にはそれを支持する積極的な証拠が欠如している。これらの事実は,ムルガン神の出生と家族関係をめぐる神話や一般の信仰が,概して,タミル地方が北方インドからの絶え間ない文化的影響を吸収・同化する過程で,数世紀にわたって徐々に成立・定着を見たものであることを暗示している。
著者
町頭 義朗 佐藤 克明
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第3部門, 自然科学・応用科学 (ISSN:13457209)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.7-15, 2012-09

平面上に4点を与えたとき,その4点を通る放物線が存在するための必要十分条件は,4点が凸四角形の頂点となることである。また一般に,その時2本の放物線が存在する。放物線はコンパスと定規だけでは作図出来ないが,4点が与えられたときに,その4点を通る放物線の焦点と準線をコンパスと定規で求めることは可能である。本論文では,その求め方を論じ,幾何学ソフトウェアKSEG で,4点を通る放物線を描くやり方を述べる。