著者
片岡 大右
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.61, pp.71-99, 2015

1 回想の中の加藤周一 : 「象徴主義的風土」の案内人2 阿部良雄における「象徴主義的風土」の乗り越え3 近代文学史の神学的読解4 ロマン主義の展開としての近代文学5 ロマン主義論の二源泉(1) : 渡辺一夫6 ロマン主義論の二源泉(2) : ジャン・ゲーノ7 「人間性への信仰」8 おわりに
著者
小池 淳一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.165, pp.47-62, 2011-03

本稿は雑誌を通して日本の民俗研究の形成過程の特徴をとらえる視角を追求しようとするものである。雑誌は、長く大学に講座を持たなかった日本の民俗研究にとって重要なメディアであり、研究の対象を登録し、資料を蒐集するだけではなく、課題を共有し、議論を深めていくためにも活用されてきたことがこれまでも指摘されている。ここでは具体的に一九一三年に石橋臥波を中心に発刊された『民俗』という雑誌が大正のはじめに「民俗」研究の重要性を主張し、国文学や歴史学、人類学の研究者を軸に運営されていたことを明らかにした。さらに同時期の高木敏雄・柳田国男による『郷土研究』との差異が「民俗」を把握する方法意識の差にある点について考察した。さらに一九三二年に発刊された『民間伝承』という雑誌を取り上げ、編集発行にあたった佐々木喜善が置かれていた状況や研究上の課題、雑誌刊行を支えた人脈について考察した。ここからは掲載された論考ばかりではなく、問答や資料報告を含む誌面の構成から、口承文芸を軸に東北を基盤としつつ事例の集積と論考とを共有しようとする姿勢を読みとることができた。雑誌にはその編集発行に携わった人々の研究への構想力が結晶しており、それはこれら二つの雑誌も例外ではない。そしてこのことは、民俗研究の史的展開を考える上で重要である。これまでは長期的に成功を遂げた雑誌に注目する傾向があったが、どちらの雑誌も短命に終わったもののこれらからも汲みあげるべき問題があることが判明した。今後は雑誌を支えた読者とのコミュニケーションの近代的な特色や謄写版といったメディアを生み出す技術との関係も考慮に入れて、雑誌を民俗学史の中に位置づけていく必要があろう。
著者
九島 紀子 齊藤 勇
出版者
立正大学心理学部 ; 2014-
雑誌
立正大学心理学研究年報 The journal of psychology Rissho University (ISSN:21851069)
巻号頁・発行日
no.6, pp.35-52, 2015

This study utilized the two dimensions of maturity and sexual dimorphism as standards for female faces, in order tostudy the effects of difference of facial features on interpersonal impressions. An illustration of a prototype face was firstmade, then only the positions of the features were altered, in order to make four faces with differing degrees of maturityand sexuality. As a result of examining whether the faces were identified as faces with different impressions, it was determinedthat the five faces prepared in this study conveyed different impressions reflecting sexuality and gender characteristics,which was due only to the difference of the position of facial features, without changing the facial featuresthemselves.
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.211-238, 2014-03

多くの言語において,電気器具のつけ消しを表すのに,火をつけたり消したりすることを表す動詞を用いる(フランス語 allumer/éteindre,日本語「つける/ 消す」など)。これは火による照明器具について用いられた動詞が電灯に転用され,それが電気器具一般に拡張されたものと考えられる。この過程で,電灯は電気器具のプロトタイプの機能を果たしたと考えることができる。 同じ行為を表すのに開閉を表す動詞を用いる言語も多く存在する(フランス語 ouvrir/fermer,中国語「开/ 关」など)。これは,以下の機序に大きくよっている。すなわち電気器具のつけ消しをメトニミーにより電気を流したり止めたりすることで表し,それをメタファーにより電気の通り道の開閉に見立てたのである。 それ以外にも,別の意味の動詞,句動詞,接頭辞付きの動詞を用いる方法がある。エスペラントは電気器具をつけることを表すために新しい単一の動詞を用意している点で特異である。電気器具をつけるという概念はある程度抽象的であり,これを表現するには自然言語は何らかの方略に訴えるのである。
著者
熊谷 滋子
出版者
現代日本語研究会
雑誌
ことば (ISSN:03894878)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.3-20, 2021

<p>東北方言が田舎イメージで表象され続けていることを2021年に放送されたNHKドラマから検証する。NHK連続テレビ小説は、舞台となる地域の方言を主人公が使う傾向がある。しかし、東北を舞台にすると、主人公や主要な役には共通語か「薄い」方言程度でにごし、地元の年配男女、林業・漁業従事者に東北方言を使わせる。後者に「田舎イメージ」をもたせるためである。また、使用する東北方言は濁音化とその他のわずかな特徴に単純化され、ステレオタイプ化されている。さらに、大阪を舞台にするドラマではほぼ全員が大阪方言を使用するため、大阪方言非母語話者の俳優は努力してマスターしようとするのに対し、東北方言の場合は主人公や主要な役はあまり方言を使用しなくてもよいといったことから、方言への意気込みにも方言の格差がある。多様性を唱える2000年代でもこの状況である。</p>
著者
羽鳥 徳太郎
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.p87-95, 1985

1984月6年13日,鳥島近海地震(M=5.9)によって,伊豆諸島をはじめ,房総から四国に至る沿岸各地の検潮所で全振幅10~57cm,周期5~9分の津波が観測された.また,八丈島の八重根漁港では,最大波の全振幅130~150cmの津波が目撃された.検潮記録によれば,津波マグニチュードはm=0と格付けされ,地震規模に対して津波が異常に大きい"津波地震"であった.波源域は須美寿島(八丈島南方190km)西側の水深1,000mの伊豆・小笠原海嶺にあり,波源域の長さは25kmと推定される.津波初動の押し引き分布から判断して,波源の西側の海底が隆起し,東側が沈降したとみなされる.
著者
熊谷 学而 川原 繁人
出版者
日本言語学会
雑誌
言語研究 (ISSN:00243914)
巻号頁・発行日
vol.155, pp.65-99, 2019

<p>本研究では,ポケモンの名付けにおける新たな音象徴的イメージを検証した2つの実験を報告する。実験1では,進化後のポケモンの名前として,開口度の大きい母音[a]が,開口度の小さい母音[i, u]よりもふさわしいことが明らかになった。また,有声阻害音の数の効果を検証した結果,進化後のポケモンの名前として,有声阻害音が2つ含まれる名前は,それが1つしか含まれていない名前よりふさわしいこともわかった。実験2では,母音と有声阻害音の優先性や相乗効果の検証も行った。その結果,ブーバ・キキ効果と同様に,母音の効果より,子音の効果のほうが強く現れること,そして,母音と有声阻害音の組み合わせは,どちらか一方を含む場合よりも,進化後のポケモンの名前として判断されやすいことが明らかになった。さらに,本研究では,実験2で得られた母音と有声阻害音の音象徴的効果について,制約理論である最大エントロピーモデル(Maximum Entropy (MaxEnt) Grammar)の枠組みでの分析も提供し,音象徴を生成言語理論の視点から捉える。</p>
著者
石橋克彦
雑誌
地震学会講演予稿集
巻号頁・発行日
vol.1, 1983
被引用文献数
2
著者
中野 毅
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.111-142, 2010

民衆宗教とは社会的文化的政治的マイノリティーとしての「特徴」と「自己認識」を有している宗教運動であり、その研究方法には指導層と一般信者との階層差や格差、内部の非対称な支配関係などを捉えうる独自の方法が必要である。一試論として創価学会の運動を民衆宗教という視点から、社会層と国家との関連に限定して考察した。農村部から流入した都市下層民に、現世での新たな存在意義を確信させるアイデンティティー再確立過程に創価学会運動の民衆性を読み取ったが、社会層が上昇あるいは拡散していく中で、人生の勝利者・成功者という意識が強調されてマイノリティー意識が希薄化し、民衆宗教としての特徴を失っていった。この変化が決定的になったのは公明党が自民党との連立政権に参加した時期である。主たる支持者である創価学会員と党の理念的距離が大きく乖離し、支援運動の空転を招いた。両者の関係の再検証、再検討が必要な段階に至ったと言えよう。
著者
豊田 弘司
出版者
奈良教育大学教育研究所
雑誌
教育研究所紀要 (ISSN:13404415)
巻号頁・発行日
no.34, pp.121-127, 1998-03

291名の大学生を対象に「女性から嫌われる男性」「女性から嫌われる女性」「男性から嫌われる男性」及び「男性から嫌われる女性」の特徴を3つずつ自由記述する調査を行った。「女性から嫌われる男性」の特徴としては「不潔」「しつこい」、「女性から嫌われる女性」の特徴としては「自分勝手・わがまま」「異性の前での態度が違う」、「男性から嫌われる男性」の特徴としては「自分勝手・わがまま」「暗い」、「男性から嫌われる女性」の特徴としては「自分勝手・わがまま」「暗い」「うるさい・おしゃべり」が上位項目としてあげられた。また、男子学生と女子学生の回答の違いや恋愛経験による回答の違いが示唆された。
著者
柴田 大輔
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
no.16, pp.73-95, 1998

Die Mischwesengruppe, die im Enuma elis als Geschofe der Tiamat gegen Marduk kampft, tritt auch in einigen anderen Kontexten auf, die sich besonders auf Marduk beziehen. Ihre Statuen bef anden sich zum Beispiel vor Esagila, dem Tempel Marduks in Babylon. Die Mischwesengruppe wurde im 12. Jh. v. Chr. unter der Regierung von Nabukudurri-usur I. wahrend der Konstruktion der Marduktheologie, die auf den elf Trophaen Ninurtas aus dem Ninurtamythos basierte, geschaffen. Die Marduktheologie war eine ideologische Kulturkonstruktion, um die neue politische Verfassung von Nabu-kuduri - usur I. zu rechtfertigen. Sie basierte auf dem Enuma elis, welches seinerseits vomNinurtamythos abgeleitet worden war, um Marduk die zunachst die Stellung Ninurtas, des Kronprinzen der Gotter, der die gottliche Ordnung wiederhergestellt hat, und dann die Stellung Enlils, des Konigs der Gotter, zu geben. Weil Ninurta fur seinen Sieg von den anderen Gottern zu ihrem Konig erhoben wurde und seine Trophaen seinen Sieg symbolisieren, ist die Mischwesengruppe ein strategisches Mittel, Marduk mit Ninurta gleichzustellen. Spater wurde die Mischwesengruppe zunachst von Sanherib fur religiose Reform, dann zur Konstruktion der spaten Theologie Nabus, um Assur oder Nabu mit Marduk gleichzustellen, und schlieslich bei der Schaffung des Rituals der Schutzdamonenfiguren, um es unter Marduks Befugnis zu stellen, benutzt. Kurzum war sie ein strategisches Mittel, Marduk mit anderen Gottern zu identifizieren und neue Elemente in die Marduktheologie einzufugen.