著者
橋本 成仁 厚海 尚哉
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D3(土木計画学) (ISSN:21856540)
巻号頁・発行日
vol.71, no.5, pp.I_567-I_576, 2015 (Released:2015-12-21)
参考文献数
17
被引用文献数
2

本研究は,高齢者の幸福感を向上させる要素として余暇活動に着目し,高齢者の余暇活動が幸福感とどのように関わっているのかについて検討を行った.回答者を取り組んでいる余暇活動を元に類型化したところ,「多彩型」「平均型」「消極型」の3つの余暇活動タイプに分類された.また,幸福感を表す指標として主観的幸福感尺度(LSI-Z)を用い,この値と各余暇活動タイプとの関係について検討した.高齢者の幸福感の要因分析の結果,余暇活動タイプや経済状況の満足度,総合的な余暇活動満足度などが重要な要素となっていることが示された.総合的な余暇活動満足度を向上させるためには本人の健康状態とともに,一緒に活動できる仲間の存在や時間的余裕が重要な要素となることが明らかになった.
著者
村井 章介
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.87, no.4, pp.411-453,552-55, 1978-04-20 (Released:2017-10-05)

The machinery which the Kamakura Bakufu set up in Kyushu to govern a large area has been much studied from the point of view of institutional history, with priority given to its judicial aspect. In the present article, attention is given to two aspects which have been largely overlooked, namely, its close relationship with the office of county shugo 守護 (Protector) in Kyushu, and its connection with the "tokusei" (徳政 : political innovation), especially the protection of the estates of Shinto shrines. As to the first point, at least eleven counties saw their shugo replaced at the same time towards the end of 1275. This reshuffle formed part of the plan for a counter-attack on Ko-ryo, which had been used by the Yuan as a base for their invasion of Japan. In the reshuffle, the arrival in Kyushu of Kanesawa Sanemasa 金沢実政 as deputy for the shugo of the county of Buzen 豊前 was the starting-point of the political process leading to the establishment of the office of Chinzei-tandai 鎮西探題. There followed the arrival of Hojo Tokisada 北条時貞 as shugo of Hizen 肥前 in 1281 and the exercise of military power over the whole of Kyushu by Hojo Kanetoki 北条兼時, who was appointed shugo of Higo 肥後 in 1293. These appointments were made directly in response to the external tension caused by the Mongol invasion, and resulted in the extension of the influence of the Hojo clan. This process reached its peak when in a short space of time the offices of shugo of four counties, Hizen, Higo, Buzen and Osumi 大隅, were monopolized by Kanesawa Sanemasa, who returned to Kyushu as Chinzei-tandai in 1296, and his close relatives. The development of regional power, pointing to the future territorial government system under the shugo, had already begun. As for the second point, the Tokuso (得宗 : head of the Hojo clan) government, which dominated the Kamakura Bakufu, framed a series of policies called Koan-tokusei 弘安徳政 in 1284 after the Mongol invasion. These policies were an attempt to elevate the Bakufu into a central power ruling over the whole of Japan by having the Bakufu decide cases concerning the land-tenure problems of shrine estates and by organizing the people under the control of manor lords into a new feudal hierarchy. The policies were, however, upset by a coup-d'etat in November 1285 in which the leader of the innovatory movement, Adachi Yasumori 安達泰盛, was killed. What the post-coup Tokuso government inherited from the Koan-tokusei and developed still further was a policy of almost blind protection of the Shinto shrines. Although the Tokuso government was prematurely possessed of several characteristics of the Muromachi Bakufu, it did not attempt to reform the shogun-gokenin (将軍-御家人 : lord-vassal) relationship which was the institutional backbone of the Kamakura Bakufu. Lacking any legitimate claim to exercise domination over the gokenin, it sought to enhance its power by obtaining a huge material base. But this was only to estrange the vassals and to intensify the isolation of the government. The Tokuso government even feared that the Kanesawa family, which belonged to the Hojo clan, might extend its influence in Kyushu, and a step was taken to check the process by which the Kanesawa were becoming a territorial power. In this way, the government could not avoid continually giving rise to its own critics and opponents, and so it deepened its reliance on divine protection in order to escape from the sense of isolation.
著者
西本 章宏 勝又 壮太郎 本橋 永至
出版者
日本マーケティング学会
雑誌
マーケティングジャーナル (ISSN:03897265)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.44-57, 2021-03-31 (Released:2021-03-31)
参考文献数
27

本稿の目的は,COVID-19のアウトブレイクによって大きく市場環境が変化している今日のように,急激な環境変化による非連続な状況下において,次世代イノベーションの源泉として,創発的性質を有する消費者(ENCs)に着目する有用性を示すことである。本稿では,緊急事態宣言下を含むCOVID-19のアウトブレイク(第1波)を分析対象期間とし,消費者のスマートフォンのアプリ起動ログの収集と先端層調査を実施した。その結果,ENCsは同じ先端層であるリードユーザー(LUs)よりも環境変化に対して頑健であり,新しい生活様式に適応した消費者であることが明らかになった。また,ENCsのソーシャルメディアの利用動向はLUsや一般ユーザー(GUs)とは異なり,コロナ禍でも利用数は多いが,その変化量は少なった。このことから,ENCsは平常時からソーシャルメディアを他の消費者よりも広範かつ高頻度で利用している可能性が推察された。
著者
今井 鉄平 森口 次郎 安部 仁美 前田 妃 助川 真由美 柴田 英治 錦戸 典子
出版者
公益社団法人 日本産業衛生学会
雑誌
産業衛生学雑誌 (ISSN:13410725)
巻号頁・発行日
pp.2021-004-E, (Released:2021-06-24)
被引用文献数
3

目的:新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大により,多くの企業において従業員の安全・健康のみならず,事業への大きな影響を受けていることが考えられる.特に大企業と比べて経営資源が不足しがちな中小企業においては,新型コロナウイルス対策の遅れが懸念されるだけでなく,事業継続へのより大きな影響を受けている可能性が否めない.そこで,中小企業における新型コロナウイルス対策への取り組みの工夫,対策の困難点,および今後求められる支援の内容を明らかにすることを目的に研究を行った.対象と方法:企業として従業員数300名未満,または企業全体では300名を超えるものの50名を超える事業場のない27社の経営者または人事労務担当者を対象に,2020年8~10月に,新型コロナウイルス対策の実態や困難点,今後望まれる支援等に関するインタビュー調査を行った.聞き取り記録を作成し,産業医経験のある2名と産業保健師経験のある2名で,内容分析の方法に準じコードの共通性に着目して小カテゴリーを抽出し,徐々に抽象度を上げ,大カテゴリーを抽出した.結果:新型コロナウイルス感染症対策への取り組みについては,「企業として迅速に意思決定ができる体制を整える」,「正確な情報を入手し全従業員と共有する」,「社内の具体的対策を強化する」,「事業継続のために懸命に対策を練る」の4つの大カテゴリーに集約された.また,対策における困難点については,「情報収集・共有に関する困難」,「未知の感染症対策への困難」,「備品調達・検査受診の困難」,「合意形成・社内体制整備の困難」,「事業継続と感染症対策のバランスの難しさ」の5つ,今後望まれる支援については,「正確な情報を一元化・簡潔にしてほしい」,「Polymerase Chain Reaction(PCR)検査環境を整備・拡充してほしい」,「事業継続支援がほしい」の3つの大カテゴリーに集約された.考察と結論:中小企業の特性を活かしながら,細やかに大カテゴリーとして抽出された4つの取り組みを行っているケースも多くみられたが,これらが成立する前提として経営者が正しくリスクを認識できていることが必要と考えられる.しかしながら,専門資源に乏しい中小企業においては,意思決定に必要な正しい情報が得られない懸念もある.このため,産業保健専門職には,意思決定者が溢れる情報の中から正しい情報を取捨選択できるような支援が望まれる.
著者
澤田 寛子
出版者
公益社団法人 大気環境学会
雑誌
大気環境学会誌 (ISSN:13414178)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.20-26, 2020-01-10 (Released:2020-01-10)
参考文献数
23

対流圏オゾン濃度は経済発展が著しいアジア地域で増加しており、農作物生産に及ぼす影響が危惧されている。アジア地域の主要作物であるイネも現状のオゾンレベルで減収している可能性が指摘されているが、収量などに関わる慢性的なオゾン影響の発現メカニズム解明は遅れていた。著者は共同研究者とともに国内外の数十品種を用いたオゾン暴露試験や感受性が異なる品種のプロテオーム解析、さらに分子遺伝学的解析を行い、オゾンによるイネ、特にインド型品種の収量低下において、従来指摘されてきた葉の可視障害などによる光合成機能の低下を主因としない新たなメカニズムが関与することを発見した。本稿では、オゾンによるイネの収量と品質低下に関する新たな分子メカニズム解明のため、著者が共同研究者とともに取り組んできた研究の成果について概説する。
著者
能城 修一 佐々木 由香 鈴木 三男 村上 由美子
出版者
日本植生史学会
雑誌
植生史研究 (ISSN:0915003X)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.29-40, 2012 (Released:2021-03-17)

近年,コナラ属アカガシ亜属のうちイチイガシの同定が木材組織から可能となり,それをもとに,関東地方で弥生時代中期から古墳時代の木製品を多数産出した7 遺跡を対象として,アカガシ亜属の木材を再検討した。その結果,この時期を通して鋤鍬にはイチイガシが選択的に利用されていた。海岸に近い神奈川県池子遺跡と,千葉県常代遺跡,国府関遺跡,五所四反田遺跡では,鋤鍬の完成品だけでなく,未成品や原材でもイチイガシとイチイガシの可能性の高い樹種が50 ~ 70%を占めており,遺跡周辺で原材の採取から加工までが行われていたと想定された。それに対し,内陸部の埼玉県小敷田遺跡と群馬県新保遺跡ではイチイガシの利用比率が下がり,イチイガシ以外のアカガシ亜属やコナラ属クヌギ節を鋤鍬に用いる傾向が認められた。もっとも内陸部の新保遺跡では,鋤鍬の完成品だけでなく未成品や原材でもイチイガシ以外のアカガシ亜属とクヌギ節がほとんどを占め,イチイガシの鋤鍬は完成品と未成品が少数しか出土せず,これらは関東地方南部から移入されたと想定された。鋤鍬以外の木製品では,神奈川県や千葉県の遺跡でもアカガシ亜属以外の樹種が70%以上を占め,アカガシ亜属の中でもイチイガシの比率は低い。このように,イチイガシが鋤鍬に限定して選択されていた理由は,イチイガシの木材がアカガシ亜属の他の樹種の木材に比べて柔軟性があり,軽いわりに強度があるためであると想定された。
著者
武谷 慧悟
出版者
独立行政法人 大学改革支援・学位授与機構(旧 大学評価・学位授与機構)
雑誌
大学評価・学位研究 (ISSN:18800343)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-18, 2021-03-01 (Released:2021-03-24)
参考文献数
36

学習にかかわる調整方略の組み合わせパターンは,学習者によって異なるであろう。そして,調整方略の組み合わせ方によって,授業へのエンゲージメントに対する効果も異なる可能性がある。学習者の授業に対する意欲を引き出し,学習を動機づけるためには,学習者の調整方略に関する指導・助言が有用である。そこで,本研究の目的は,学習者の授業に対するエンゲージメントを高めたり,低下させたりする調整方略の組み合わせを明らかにすることである。調整方略の複合的効果を明らかにすべく,質的比較分析(QCA)によって,学習にかかわる調整方略とエンゲージメントの関係性について検討した。分析の結果,行動的エンゲージメントを高めるうえでの感情的エンゲージメントの重要性が示されるとともに,感情的・行動的エンゲージメントを高めるための調整方略の組み合わせパターンが複数明らかにされた。分析結果に基づいて,理論的・実践的意義について議論した。
著者
Natsuko Kanazawa Sumio Yamada Kiyohide Fushimi
出版者
The Japanese Circulation Society
雑誌
Circulation Reports (ISSN:24340790)
巻号頁・発行日
vol.3, no.10, pp.569-577, 2021-10-08 (Released:2021-10-08)
参考文献数
37
被引用文献数
11

Background:Despite the prognostic effectiveness of cardiac rehabilitation (CR) in patients with cardiovascular disease (CVD), it has been underutilized. Understanding the trend of dissemination of CR over the years would help provide a perspective of CR in Japan.Methods and Results:A retrospective epidemiological survey between fiscal years 2010 and 2017 was conducted using the diagnosis procedure combination database (a Japanese administrative database). Data on 2,046,302 patients with CVD from 1,632 hospitals were extracted. The proportion of CR-certified hospitals among hospitals treating patients with CVD increased from 31.6% in 2010 to 56.6% in 2017. Over the same period, the participation rate in inpatient CR (ICR) increased from 18.3% to 39.0%, but the participation rate in outpatient CR (OCR) remained low (from 1.4% to 2.5%). The CR participation rates varied widely according to the main disease group. Approximately 95% of ICR participants did not continue CR after discharge.Conclusions:The number of CR-certified hospitals increased from 2010 to 2017, leading to increased ICR participation across patients with CVD; however, OCR has remained extremely underutilized. Immediate action is urgently required to increase the use of OCR.
著者
関 行道
出版者
公益社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
自律神経雑誌 (ISSN:03870952)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.415-419, 1981-03-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
15
著者
岡田 真理紗
出版者
NHK放送文化研究所
雑誌
放送研究と調査 (ISSN:02880008)
巻号頁・発行日
vol.70, no.8, pp.78-87, 2020 (Released:2021-04-16)

本稿では、NHKが2020年3月に実施した全国電話世論調査の結果をもとに、日本の社会に外国人が増えることへの国民の意識や外国人と共生するための課題などについて述べる。外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法が施行されて2020年4月で1年になるが、日本で働く外国人が増えることについては、賛成する人が70%と多数を占めている。しかし、自分の住む地域に外国人が増えることに賛成する人は57%にとどまる。日本に外国人が増えることに賛成する人でも5人に1人は、自分の住む地域に外国人が増えることに反対している。 自分の住む地域に外国人が増えることへの不安では、「言葉や文化の違いでトラブルになる」と「治安が悪化する」を挙げた人が多く、国や自治体に取り組んでほしいことでは、「生活上のルールを教えること」が最も多い。一方、外国人が増えることへの期待では、「新しい考えや文化がもたらされる」が最も多く、自分の住む地域に外国人が増えることに反対する人でも約6割が、外国人の増加に何らかの期待を抱いている。 外国人労働者が家族をともなって日本で暮らす「家族帯同」については、条件を緩和して今より広く認めるべきだという人は33%にとどまるが、日本で暮らす外国人の子どもに対しては、国や自治体の財政負担が増えたとしても日本語を十分に教えてほしいと思う人が79%にのぼっている。
著者
中山 悌一
出版者
The Japanese Society of Physical Fitness and Sports Medicine
雑誌
体力科学 (ISSN:0039906X)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.443-453, 2004-08-01 (Released:2010-09-30)
参考文献数
39
被引用文献数
3 2

本研究は, 1950年から2002年までの日本人プロ野球選手の身長と体重が, 戦後飛躍的に向上した一般人の体格と比較して如何に推移してきたか, さらに米大リーグ選手との体格の差は縮まりつつあるのかを明らかにする事を目的として遂行され以下の結果を得た.1.1950年の日本人プロ野球選手の平均身長は170.7cmであったが, 2002年には平均180.1cmまで高くなり53年間で9.4cm (5.5%) の成長を見せた.1950年の日本人プロ野球選手の平均体重は65.0kgであったが, 2002年には79.8kgとなり53年間で14.8kg (22.8%) の増加を認めた.さらに1950年の日本人プロ野球選手の平均BMIは22.3であったがその後徐々に大きくなり2002年には24.6となり, 日本のプロ野球選手ががっちりとした体格へと推移していることが明らかとなった.2.身長のポジション別推移では常に投手が一番高かった.この理由として投手は身長が高い方が投球に有利であるいうポジション的特異性に由来しているものと考えられる.体重のポジション別推移は, 1969年から現在まで捕手が一番重くなっている.この結果は捕手は移動距離が少なく, ポジション的役割としてホームベースを死守する役目を担っているために体重が重い方が有利である事に起因するためと推察される.3.一般人の体格は, 戦後急激に向上したことが数多く報告されているが, 日本人プロ野球選手の体格も同様に大きくなり, 身長は日本人一般男子 (24歳) より5.5%から8.6%の範囲で常に高く, 同様1に体重も日本人一般男子 (24歳) より15.9%から27.3%の範囲で常に重かった.このことより, 日本人プロ野球選手は, 同年齢の日本人一般男子より体格的に非常に優れた選手たちによって構成されていることが明らかとなった.日本人プロ野球選手と日本人一般男子 (24歳) の身長と体重の差は, 1950年代に急激に広がったが1960年以降はその差も小さくなる傾向にある.4.日本人プロ野球選手と米大リーグ選手の体格を比較してみると, 1950年代の身長差は11.4cmであったが, 2000年代の身長差は4.9cmとなった.同様に1950年代の体重差は17.7kgであったが, 2000年代の体重差は13.1kgまで縮まり, 日本人プロ野球選手と米大リーグ選手の体格の差は, 確実に縮まりつつあることが確認できた.