著者
田村 晃康
出版者
中京大学
雑誌
中京英文学 (ISSN:02852039)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.1-13, 1986-12-25

Quite a few scholars and critics refer to The Adventures of Huckleberry Finn as a story of initiation. We will see if it really is, by examining what two of them have to say. According to J. M. Cox, Huck Finn is a conscious continuation of Tom Sawyer, and the two boys are identical twins, not entirely separate individuals. At the end of Tom Sawyer the discovery of the treasure enables both the boys to enter the society of the respectable. Tom remains there (he attains initiation), but Huck cannot bear the civilized life. At the beginning of Huck Finn, he "kills himself" when he stages a mock murder of himself to escape from Pap. He is "dead" throughout the entire journey down the river. Huck is a man without identity who is reborn at almost every river bend. Finally, at the Phelps farm his initiation is completed; by playing the role of Tom, Huck is reborn as Tom Sawyer. This is roughly what Cox says. There are several points on which I cannot agree with him. Firstly his identification of Tom and Huck. They are definitely separate characters, who probably represent two opposite aspects of the author. Secondly, his idea of "initiation." Cox thinks of "initiation" simply as "acceptance into society," paying no attention to the initiate's state of mind. Thirdly, his meaningless use of the words "death" and "rebirth." He says that Huck is reborn time and again during the journey, but as long as it takes place while he is "dead," it cannot lead to any change in Huck's mind. What is called Huck's "death" and "rebirth" have nothing to do with his inner growth, or his initiation; it is no more than a play of words. Shuichi Motoda, on the other hand, starts from the right understanding of "initiation." He knows that the initiates in American literature sometimes rebel against civilized society and confront its evils. So he puts much stress on the element of the spiritual rebirth in initiation. On this understanding, he declares that the theme of this story consists in Huck's initiation, that Huck attains his spiritual rebirth when he determines to save Jim even at the risk of going to Hell. This interpretation, in its turn, leaves some matters inexplicable. If the theme of the story is Huck's initiation, then some of the episodes about the King and the Duke seem to be too long. In fact, they are so lengthy that they seem to impair the harmony of the whole story. Another problem is that we cannot find even a vestige of reborn Huck in the last ten chapters. As soon as Tom appears before him, Huck becomes his subordinate as he used to be. These problems suggest that Huck's rebirth is not the theme of this story. Motoda's interpretation does not seem to be justifiable, either.
著者
朝日 由紀子
出版者
白百合女子大学
雑誌
白百合女子大學研究紀要 (ISSN:02877392)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.A77-A94, 2006-12

マーク・トウェインの最高傑作『ハックルベリー・フインの冒険』は、アメリカ文学の古典としての地位を確立している作品であるが、一方、その語り手ハックルベリー・フインがこの世に登場したときから、社会的な排撃が起こり、以来、時代風潮のなかで社会道徳による断罪が批評家の評価の仕方に影響を及ぼしてきた点で、特異な作品である。この経緯をたどることは、必然的にアメリカ文化の深層と断層を知ることになろう。
著者
中垣 恒太郎
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田教育評論 (ISSN:09145680)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.55-68, 2003-03-31

マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』はアメリカ文学史において正典(キャノン)として位置づけられてきたばかりでなく,出版当時から児童文学としても読まれてきたために,アメリカ合衆国では,小中学校,高校,大学を通して教材として用いられてきた。作品の受容史を振り返るならば,文学史の生成過程をめぐる問題や,批評理論などを通じて,それぞれの時代思潮を反映した読まれ方がなされてきていることがわかる。文学研究の教材としてこの作品は様々な用い方が可能であろう。出版直後から議論を呼んできた作品でありながら,長い間,教材の定番として読み継がれてきたが,公民権運動の1960年代以降,複雑な人種問題を内包しているがゆえに,多様な文化背景の生徒たちが集う,教室での教材としてはふさわしくないのではないか,という声が出始め. 1980年代半ばから90年代にかけて,教材のリストから除外される傾向が強くなった。はたして,『バック・フィンの冒険』は教材としての耐用年数を超えてしまったのか。マーク・トウェイン研究者による,教育教材としての作品研究への最新の取り組みなどを参照しながら,教育現場での文学教育のあり方について考える。同時に,アメリカ文学を外国文学として学ぶ日本の教室の事情について考察する。作品の流入史などを,英学史,比較文学の観点なども含めてたどることによって,外国文学を研究することの意味についても考えることになるだろう。さらに,制度としての文学研究の変遷をも意識しながら,日米における文学研究のあり方を比較文化的に(比較教育学的な視座まで含めて)考察していくうえでの序論となることを目的としている。
著者
倪 静萍 鍛冶 弘一 柳 久雄 上田 裕清
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. OME, 有機エレクトロニクス
巻号頁・発行日
vol.96, no.143, pp.65-70, 1996-07-05

100℃に保ったKBr上に蒸着したMe-PTC膜は互いに直交する短冊状結晶から形成され、Me-PTC結晶は基板結晶と[100] (001)_<Me-PTC> &parsl; [110] (001)_<KBr>の関係で配向成長した。このKBr上のMe-PTC配向膜を基板として室温でCuPcあるいはVOTPPを蒸着すると、Me-PTCの短冊状結晶上にCuPcの針状結晶あるいはVOTPPの矩形状結晶が形成した。CuPcおよびVOTPP結晶はMe-PTC膜上で[010] (001)_<CuPc> &parsl; [100] (001)_<Me-PTC>および[100] (001)_<VOTPP> &parsl; [100] (001)_<Me-PTC>の関係でヘテロエビタキシャル成長した。
著者
武内 章記 柴田 康行 田中 敦
出版者
Japan Society for Environmental Chemistry
雑誌
環境化学 : journal of environmental chemistry (ISSN:09172408)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.1-11, 2009-03-17
被引用文献数
1

Mercury (Hg) is a globally distributed and highly toxic pollutant in the environment. Its mobility and biomagnification in aquatic food chains depend on its biogeochemistry and redox cycling. Hg isotope analysis is an important new tool for identifying Hg source and tracking Hg transformations in the environment. This review summarizes the following 4 points to endorse the Hg isotope research; 1) definition of Hg delta (δ) values and Hg standards, 2) methods of Hg isotopic measurement, 3) Hg isotopic fractionation, and 4) natural Hg isotope variation.
著者
古江 森男 栗山 克美 上井 秀之
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育
巻号頁・発行日
vol.35, no.4, pp.227-228, 1987

今回,ボルダ振り子の吊り糸の材質・太さ・長さを変えてgの測定を行ったところ,錘が有限の大きさを持つことによる補正,振れ角の補正の他に,吊り糸の質量による補匿もかなり大きく寄与するという結果を得た.学生実験でも,振り子の長さ測定が正確に行われるなら,吊り糸の質量も考慮に入れてgの計算をした方がよいと思われる.
著者
美馬 正和
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.115, pp.137-152, 2012-06-29

本研究では,保育者の語りから〈気になる子〉に対する捉えや視点がどのようなものであるかを検討するため,私立幼稚園の保育者12名から聞き取り調査を行った。その際,①現在テクニカルタームのように使用されている「気になる子」についての認識,②日頃保育の中で感じる「気になる」という視点の2項目を設定して調査を行った。 結果として「気になる子」という言葉は,保育者が学習をしていく中で獲得したものであり,発達障害と一直線上にあるような受け止め方をしていた。そのため普段の保育では使用しない言葉であった。次に,日頃保育者が「気になる」と思う子どもは,生活の中にある困り感を持つ子どもや,保育者が違和感を覚える子どもであった。 この結果から,保育者は子どもとの関係の中で「気になる」感覚を持つ。そのため,「気になる子」という言葉は保育者にとって日常的な言葉ではないことが示唆された。
著者
宮盛 邦友
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.115, pp.153-163, 2012-06-29

本論文は,「子どもの生存・成長・学習を支える新しい社会的共同」の課題・方法・概念をめぐっての個人研究である。「子どもの生存・成長・学習を支える新しい社会的共同」という現代人間学を通して,現代学校論はどう構想できるのか,そして,現代教育学はいかに可能なのか,ということを探求するものである。
著者
和田 義哉 室橋 春光
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.115, pp.165-179, 2012-06-29

本研究では,算数の文章題において絵図を導入することで,問題解決にどのように効果があるのか検討する。調査では健常児と学習困難児それぞれに同じ算数の文章題を行った。文章題には,文章を理解する,絵図を作成する,式を作る,計算する問題があり,対象児間で絵図なし群,絵提示作成群,図提示作成群の3群を設定した。その結果,健常児では3つの対象物の比較問題において図の使用による効果 が現れ,学習困難児では文章の理解が不十分な問題において,絵が提示されることで理解が促進された。すなわち,絵は文章理解の助けとなるが,式を立てることに効果はなかった。一方,図は理論的に構成要素が配置されていても,その読み方や描き方を学習しないと有効に活用できないと考えられる。また,絵図の効果に差が出た問題については,事実関係が複雑で,文章内から書かれていない事実を抜き出 すことを要求するような文章題には,絵図の効果があると考えられる。
著者
森田 婦美子
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.15, pp.101-109, 2007

最後まで自分らしく生きるためにもっとも重要なことは,身体の全てを使うことである.使わないことで起こる廃用を予防することが大きな課題である.老化によって運動量が低下すると,運動機能が低下する.運動機能の低下は本人のやる気や意欲まで低下させる要因となる.いったん要介護状態になると,要介護状態から脱出するのは困難なことが多い.そのためには,要介護状態にならない努力が必要である.加齢には個人差があるが身体の変化が起こる.この変化を高齢者自身が気付かず,これまでどおりの生活スタイルで生活していると,転倒などの事故を起しQOLの低下をきたす.そのような事故から身を守るため,自分の身体の動きを変える能力を養うことが重要となる.自分の身体をどのように動かすかという,動き方を覚える学習,空間の中で自分の身体の動きを変化させていく学習が必要である.そのために身体知として,自分の身体が理解できる動きの学習を行なうことが重要である.
著者
森田 婦美子
出版者
奈良佐保短期大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13485911)
巻号頁・発行日
no.15, pp.93-99, 2007

介護予防は福祉的・医療的意味合いが大きい.しかし,介護予防支援を福祉的社会システムとして考えるのではなく教育として考え,高齢者自らが「こころ」と「からだ」に対して,関心を寄せる自立・自律に対する構えととらえると,積極的な学習として取り組みができるようになる.平均寿命が長くなり,定年以降の人生の生活設計を組み立てることはこれから重要な課題となる.健康はより良く生きるため,生活の満足度などを高めるために重要な要因となり,積極的に生きることの指標となる.介護予防を自らの健康に対する教育であるという視点に立ち「教育=自律」として,高齢者に学習の動機づけを行っていかなければならない.