著者
山田 知充 西村 浩一 伏見 硯二 小林 俊一 檜垣 大助 原田 鉱一郎 知北 和久 白岩 孝行
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

近年の地球温暖化の影響であろうか、半世紀ほど前からヒマラヤ山脈の南北両斜面に発達する表面が岩屑に覆われた谷氷河消耗域の末端付近に、氷河湖が多数形成され始めた。ところが、同じ気候条件下にあり、同じような形態の谷氷河であっても、ある氷河には氷河湖が形成されているのに、他の氷河には氷河湖が形成されていない。何故ある氷河には氷河湖が形成され他の氷河には無いのであろうか?今回の研究によって、氷河内水系、岩屑に覆われた氷河の融解速度と氷河の上昇流速から計算される氷河表面の低下速度(氷厚の減少)を考慮した氷河湖形成モデルを導き出すことによって、この問題に対する回答を得ることができた。氷河湖が一旦形成されると、その拡大速度は非常に大きく、わずか30〜40年の間に、深さ100m、貯水量3000万〜8000万m^3もの巨大な湖に拡大成長する。何故これほどの高速で拡大するのであろう?氷河湖の拡大機構を以下のように説明出来ることが分かった。太陽放射で暖められた氷河湖表面の水が、日中卓越する谷風によって、湖に接する氷河末端部に形成されている氷崖へと吹送され、氷崖喫水線下部の氷体を効率よく融解する。そのため、下部を抉られた氷崖が湖へと崩れ落ちる(カービング)ことによって、湖は急速に上流側へと拡大する(氷河は逆に効率よく縮退する)。一方、湖底の氷は約2〜3℃の水温を持つ湖水で融解され、水深を増す。この両者によって湖は拡大している。湖の熱収支を計算すると、湖に崩れ落ち小氷山となって漂う氷の融解と湖底氷を融解させるに要する熱量は、アルベドの小さな湖表面が吸収した太陽放射エネルギーで主に賄われていることを確認した。研究成果の一部は3冊の英文報告書及び、3冊の邦文研究報告書として出版されている。
著者
服部 勇
出版者
福井大学
雑誌
福井大学地域環境研究教育センター研究紀要 : 日本海地域の自然と環境 (ISSN:1343084X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.99-115, 2007-11-01

福井県旧美山町芦見地区では近年いちじるしい人口流出に伴う過疎化,農業の衰退がおきている.地区全体の現在人口は200名ほどであるが,江戸時代はじめには1,000名近い人口があった.江戸時代を通じて芦見地区は大野藩の領地であったが,周囲を険峻な山々に囲まれ,ほぼ閉鎖社会であり,独自の共同生活社会を形成した.新文化は大野藩から峠越えに入ってきたに過ぎない.明治以降になると,西側の福井市との交流を求めるようになり,芦見道の整備と相まって,文化交流,産業交流,及び人的交流は獺ケ口を経由して福井市側と行われた.日本の国家政策や地方都市の都市化により,芦見地区の人口流出が始まった.都市へのあこがれ,農業収入の不安定さ,少子化,等がその原因であるが,さらに,道路の整備により,平常は都会で生活し,休日に農作業に芦見に来る人も増えた.道路整備が人口流出を導く例である.過疎は,若年層の流出により進展する.現在の芦見地区の年齢構成は極端に高年齢側に偏っており,農業従事者も高年齢の女性が中心となっている.働き手の減少は農地の放棄や植林による杉林化を導いている.現在の土地利用状況は,杉林が山から平地へ,奥地から中央部へ押し寄せていることを示している.農業に従事する高齢者へのインタービューでは,跡継ぎがいないこと,農業経営では生活できないことなどから,現在の高齢者が最後の農業従事者となるというようなあきらめの境地に浸っている.芦見地区も美山町も過疎の進展をただ黙って見つめていたわけではなかった.芦見地区には平成になってからも旧芦見小学校が新築され,森林体験キャンプ場やスキー場が開発された.芦見地区を過疎から守り,発展させる想いで造営されたこれらは,現在では壮絶な過疎との戦いの痕跡として残されている.過疎から逃れる方策はあるのだろうか.芦見地区の多くの人々は芦見地区に愛着があり,先祖からの田畑を守っていきたいと想っている.しかし,結局は芦見地区やその周辺に働く場があり,ある程度の生活が保障されないと芦見に住むことは困難である.芦見地区がなくならないための一つの方法は,現在の芦見道(県道31号)の両端側,すなわち獺ケ口側と大野市側を拡幅直線化,一部トンネル化し,国道158号の代替道路の役割を持たせることである.この道は福井市-大野市間の主要道路となり,いくつかの産業も入ってくると同時に地区外に出た住民も戻りやすくなる.しかし,芦見地区以外の人々の通行が増えることにより芦見地区が変貌していくことは避けられない.
著者
桐谷 圭治 山下 英恵
出版者
日本応用動物昆虫学会
雑誌
日本応用動物昆虫学会誌 (ISSN:00214914)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.77-86, 2008-05-25
被引用文献数
4

森林生息種のルイスオサムシの産卵フェノロジーと産卵数,発育零点,年間世代数を落とし穴トラップで採集した個体の解剖ならびに飼育によって調べた.越冬成虫は4月末に現れ,5月から9月初めまで成熟卵の形成がみられ,5月と8月に産卵活動(蔵部数と蔵卵雌率)のピークがみられた.捕獲消長には,5,6,8月にピークがみられ,それぞれが越冬成虫の産卵期に対応した活動期とみられた.解剖結果から有効卵巣小管数は通常5対,卵形成周期は平均3回,最高蔵卵数は15,また飼育実験からは,0.43卵/♀/日と計算された.産卵は約4ヵ月継続すると仮定すると,1雌当たりの産卵可能数は50卵以下と推定された.従来法と池本・高井法で推定した卵の発育零点と有効積算温度は,それぞれ6.36℃,133.3ddと7.86℃,120ddであったIsomorphy理論に基づき,卵から成虫羽化に必要な有効積算温度を求めるとともに,調査地における利用可能な有効積算温度から可能世代数を推定した.年間2世代の経過に温量の不足はないにもかかわらず,新生成虫の成虫休眠によって基本的に年1世代の生活史が維持されていると考えられる.さらにオサムシ科の共通の最適温度を求めたところ,15-16℃の範囲にあり,温帯圏起源が示唆された.
著者
大谷 昌弘 浦野 直樹 上田 徹
出版者
一般社団法人映像情報メディア学会
雑誌
映像情報メディア学会誌 : 映像情報メディア (ISSN:13426907)
巻号頁・発行日
vol.57, no.11, pp.1459-1464, 2003-11-01
被引用文献数
8

IEEE802.11委員会により標準化が行われている無線LAN (Local Area Network)規格が近年著しい進展を遂げている.同委員会は物理層方式として1997年に最初の3方式を規定した後,1999年には802.11bおよび802.11a方式,2003年には802.11g方式の標準化を完了している.しかしこれらの上に積まれる802.11MAC (Medium Access Control)層にはQoS (Quality of Service)確保のメカニズムが存在しなかったため,同MAC層を用いた映像・音声データの伝送は事実上困難であった.そこで同委員会は上記問題を解決するためのTGe (Task Group E)を1999年に結成した.ここで現在審議されている802.11eの標準化が完了すると,それぞれの映像や音声データに必要な帯域を確保した上でそれらを無線伝送することが可能となる.本稿では802.11eの最新の仕様内容についてその概要を述べる.
著者
奥 俊夫 前田 泰生 小林 尚
出版者
日本草地学会
雑誌
日本草地学会誌 (ISSN:04475933)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.177-182, 1972-10-25

盛岡市下厨川において,ラジノクローバ単播,およびラジノクローバ・オーチャードグラス混播草地におけるウリハムシモドキの,越冬後の密度減少過程を5年間にわたって調査し,次の結果を得た。1.卵期から幼虫中期までに約70%の密度低下があり,4月末から5月前半にかけての降雨が皆無に近い年にはさらに密度が低下した。2.幼虫中期から成虫の羽化までの間には,普通には密度の変化がとぼしいが,大発生の翌年から単播区に黄きよう菌による死亡率が非常に高まり,その後しだいに寄生率が低下した。3.成虫期間中の密度低下のうち,もっとも顕著であったのは,大発生時の過密による移動であった。4.成虫に対するヤドリバエ一種の寄生率は成虫末期に高まったが,10数%をこえず,また中期以前の寄生率は非常に低かった。
著者
佐藤 輝幸 井上 彰 福原 達朗 榊原 智博 太田 洋充 海老名 雅仁 西條 康夫 貫和 敏博
出版者
The Japan Lung Cancer Society
雑誌
肺癌 (ISSN:03869628)
巻号頁・発行日
vol.49, no.3, pp.257-261, 2009

<b>背景</b>.上皮増殖因子受容体(EGFR)チロシンキナーゼ阻害剤であるゲフィチニブは,活性型EGFR遺伝子変異を有する非小細胞肺癌患者に対して著明な抗腫瘍効果をもたらすが,後に生じる耐性化への対策は十分に検討されていない.<b>方法</b>.2004年6月∼2007年6月の間に,当施設で活性型EGFR遺伝子変異陽性と診断され,ゲフィチニブ治療が開始された進行非小細胞肺癌患者を対象に,増悪形式に関連した臨床的特徴をレトロスペクティブに解析した.<b>結果</b>.51例にゲフィチニブ治療が行われ,奏効率,病勢制御率は各々71%(36/51),86%(44/51)であった.病勢制御できた44例のうち,2008年4月末時点で33例に増悪を認め(無増悪生存期間中央値14ヶ月),21例は胸郭内,12例は遠隔臓器での増悪(うち10例は脳転移)であった.脳転移増悪例の過半数では放射線治療とともにゲフィチニブが3ヶ月以上継続され,生存期間中央値は28.2ヶ月と極めて良好であった.耐性遺伝子変異T790Mは全て原発巣近傍から検出された.<b>結論</b>.ゲフィチニブ治療例においては異なる増悪形式が認められ,それぞれの機序をふまえた治療法の開発が望まれる.<br>
著者
大島 英子 樋上 純子 山口 美代子 殿畑 操子 山本 悦子 石村 哲代 大喜多 祥子 加藤 佐千子 阪上 愛子 佐々木 廣子 中山 伊紗子 福本 タミ子 安田 直子 米田 泰子 渡辺 豊子 山田 光江 堀越 フサエ 木咲 弘
出版者
一般社団法人日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.338-345, 1999-11-20
被引用文献数
9

本実験では,焼成条件の違いがハンバーグの内部温度に及ぼす影響について検討し,次の結果を得た。 1.ハンバーグ内部の最低温度を示す点は,焼き始めはオーブン皿に接している底面の近くにあるが,生地の焼成とともに,底面から上の方に移動し,約10分経過の後からは厚さのほぼ中心付近にあることが明らかとなった。2. ガスオーブンの庫内温度を180℃,200C,230℃と変えてハンバーグを焼成した場合,焼成温度の違いは75℃到達時間の違いにあらわれるだけでなく,余熱にも影響を及ぼした。焼成温度が230℃の場合では,75℃到達後すぐに取りだしてもなお内部温度上昇が顕著に起こるので,75℃以上1分の条件を満たすことは十分可能であり,焼成時間の短縮も期待できる。 3.焼成開始時のハンバーグ生地品温が0℃,10℃,20℃と異なる場合,75℃到達時間は0℃では22分,10℃と20℃では16分となり,有意差が認められた。このことから,チルドなどの0℃付近の品温のハンバーグは,焼成の時間設定を長めにする必要があるが,焼成後オーブンから取りだしてからの内部温度の推移に差はなかった。 4.電気オーブンとガスオーブンでの焼成を比較すると,庫内を230℃に予熱して焼成した場合,ガスオーブンの方が75℃到達時間は0.9分早く,余熱最高温度も6.5℃高くなり,75℃以上保持時間も5.7分長かった。これらの差はガスと電気の熱量の違いによるものと思われる。 5.70℃まで焼成したハンバーグと,75℃まで焼成したハンバーグとを官能検査したところ,両者の間に有意差は認められず,75℃まで焼成しても焼き過ぎとは判定されなかった。厚生省指導による75℃以上1分間加熱は,ハンバーグの焼き色,香り,触感,味などの点で十分賞味できるものであることが認められた。
著者
笠井 直美
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.122, pp.43-118, 1993-11

在此探討的不是:“《水滸》裏有怎様的矛盾闘爭?”,也不是“梁山好漢與貪官汚吏對立的來龍去脈”、“梁山好漢討伐姦臣的背景”、“《水滸》裏的義與不義之闘爭”,等問題。在此探討的是在形成這些“二元對立”模式的嬗變過程中,排斥了什麼。比較《水滸傳》楊定見本跟容與堂本、文簡本,我們發現楊本的刪改有一種明顯的傾向。如:文簡本征討田虎、王慶處,王慶的形象是一箇豪傑好漢,沒有絲毫壞人的成份,田虎王慶手下的將官也是跟梁山好漢沒有性質上的差別,他們投降後跟一百八員結爲兄弟,受到同等待遇。不肯投降的將官則獲得“忠烈”的贊賞。楊本把王慶改爲不義的壞人,贊賞的則是背叛田虎、王慶投降的人。又如:楊本常常刪掉了容本裏談到梁山好漢的兇惡的一面的詞句,増添強調他們正義、忠義的名子,改動容本的單純的情景描冩、容貌描冩,強調好漢的對手的不義。又如:在劫生辰綱一段,容本的詩句主要反復和預告情節,并似乎理直氣壯地贊賞着宋江、朱仝放晁蓋,楊本詩句則主要強調生辰綱是不義之財、因此反襯出好漢劫財的正義,放晁蓋也順理成章地成爲義挙。總之,楊本強調的是“義與不義”,“正義的好漢與貪官汚吏”,(常常卽“忠君的好漢與姦臣”)的對立模式。在取材於《水滸》的傳奇作品中,這種傾向更明顯。強調好漢的忠君,同時強調好漢與貪官汚吏的矛盾。由此,我們可以看出這些模式的産生并非基於反統治階級的意識,恰恰相反,是基於參與統治的意識。這些模式抛棄了好漢與敵手的同質性、排除了與正義無關的單純的好漢的無法無天的行爲産生的共鳴的基礎上而成立的。
著者
笠井 直美
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.131, pp.27-104, 1996-11

一九二五年,李宗侗(字玄伯)排印出版了一部百囘本《水滸傳》,封面有“看雲憶弟居照明嘉靖本重印百囘本水滸傳”的題字,李在《序》中稱;底本是一九二四年他的族侄在北京書攤發現,而後為他所収藏。當時百囘本是在中國還没“發現”的珍本,但學者們聽説日本等海外収藏幾部,深知其重要性。孫楷第一九三一年左右看過李所収蔵的底本,給予很高的評価。他雖然不承認其為嘉靖本,只認為“刻書在昌暦之際”,不過他在《中國通俗小説書目》(一九三三年)裏把它列為現存《水滸傳》諸版本中的第一種。一九三四年,李宗侗由於故宮“盗寳”案逃到上海租界,解放前夕又去了臺灣,其所藏《水滸傳》遂被認為“現藏何處不明”。其實,此書後來歸於鄭振鐸之手,現藏於北京圖書館善本閲覧室,存巻首及第一到四十四囘,有“高陽李氏〓雲意弟居”藏書章。筆者在一九九五年看到其縮微膠巻,據此進行初歩的探討,在此報告其特徴。第一,李玄伯舊藏本與日本佐賀縣多久市歴史民俗資料館所藏“遺香堂本”酷似,很可能是同版所出。第二,李玄伯排印本不太忠實於其“底本”,却接近於百二十囘本,尤其是郁郁堂本(《水滸全書》)。關於李玄伯舊藏本和郁郁堂本不同處,除了“挿増”二十囘以外,排印本基本上同於郁郁堂本。但是,其中也有較長的文句為郁郁堂本所無而與其他百囘本(包括李玄伯舊藏本)完全一致,因此排印本也不是全面採用郁郁堂本的。第三,《水滸傳》文繁本其實有分巻系和不分巻系之別,不只是形式上的區別,正文上的區別更重要而明顯。百二十囘本和七十囘本都屬於不分巻系,百囘本有分巻系和不分巻系之別。李玄伯舊藏本,遺香堂本屬於不分巻系。本文對於跟李玄伯舊藏本版式相同,乍一看來像似出於同版的五種版本(包括郁郁堂本)進行簡單的校勘,初歩探討李玄伯舊藏本在不分巻系版本群中的位置,並且探討不分巻系版本群的系統及繼承關係。