著者
吉留 厚子 吉岡 香織
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.29-34, 2010

〔目的〕昭和20年代の加計呂麻島 (かけろまじま) での妊娠・自宅出産体験について明らかにし,現在の出産環境について再考する。<br>〔方法〕中林ミエ子氏に戦時中・戦後の加計呂麻での暮らし,妊娠・出産・子育て,「とりあげ婆さん」としての体験について聞き取り調査をした。<br>〔結果〕中林氏は調査日当日88歳であり,21歳で結婚し,7人出産した。妊娠中は,出産間際まで田植え・畑仕事・薪拾いなどの農作業を毎日した。出産に向けて準備するものなどは義母に話を聞き,本を見て勉強していた。当時,産科医や産婆はいないので,出産の介助は出産経験のある「とりあげ婆さん」であった。一度出産を経験した女性は伝統的な「とりあげ婆さん」として,出産介助を行なっていたので,同氏も「自分も出産に立ち会う」と自覚し,8人の赤子を取り上げた。<br>〔考察〕結びつきの強い地域でのお産は,世代間での知識・技術の伝承や共有なども行なわれ,母親は「次の世代に伝えなければいけない」という使命感や責任感をもっていたと考えられる。妊娠から育児までの経験は,その後の女性が主体性をもって物事に向き合う生き方に繋がっていたのではないかと思われる。
著者
藤坂 博一
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.54, no.6, pp.423-430, 1999-06-05 (Released:2008-04-14)
参考文献数
20

粗視化は統計力学のもっとも基本的な考え方であり, 複雑な現象から粗視化によって簡明な法則を抜き出すことができる. 対象とする1023個もの大自由度系から圧力, 温度, 体積などの少数個の統計量の間の関係を与える熱力学はその典型的な例である. 熱平衡系に限らず, さまざまな分野で観測されるフラクタルや発達した乱流で観測される相似性は, 粗視化スケールの変化に伴ってみられる統計法則である. このように, 粗視化は熱平衡系に限らず, 非平衡系においても基本的で重要な概念である. また, 非平衡系では間欠性のような平均値からの大きな揺らぎが観測される例が多い. 本稿では, このような揺らぎを扱うための, 時間的粗視化に基づく大偏差統計を用いた新しい解析法について紹介したい
著者
橋本 行洋
出版者
愛知教育大学数学教育講座
雑誌
イプシロン (ISSN:0289145X)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.95-102, 2015-12-12

「『自律的に学ぶ』という心の態度」- これは2013 年度入学生から始まった初年次導入教育で学生に是非身につけて欲しいと掲げたテーマでした[2]. その際もっとも重視したのが学生から自然に湧き上がる「なぜ, どうして」でした.その後の様々な講義においてもこの自然に湧く自発的な疑問と興味の下,学生各自が試行錯誤し自分で答えを探す活動が維持されることが理想ではあるけれど,初年次教育ではわずか5回の講義のため,あっという間に受動的な学習態度に戻ってしまいます.そこで通常の座学中心の数学講義とは異質なものになり得る「プログラミング」の講義において,受動的な学習習慣に埋もれててしまった「内発的動機による学び」をもう一度掘り起こすことを最大の目標に定め,講義を設計しなおしました.このノートはその一つの実践記録を兼ねた試論です.
著者
堀野 雅子
出版者
The Japan Society for Oriental Medicine
雑誌
日本東洋医学雑誌 (ISSN:02874857)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1-2, pp.41-46, 2002-03-20 (Released:2010-03-12)
参考文献数
10
被引用文献数
1

傷寒論, 金匱要略において, 振り出し薬として唯一記載されているのは, 傷寒論の大黄黄連瀉心湯である。振り出し薬とした意味は, 緊急性が要求されているからであろうと思われる。筆者は, 大黄, 黄連, 黄苓三味の瀉心湯の振り出し薬を当院受診の高血圧患者32名 (男性5名, 女性27名) に使用し, 服用前, 服用後30分間経時的に血圧測定した。その結果, 収縮期圧10mmHg以上の降圧効果は, 全体の68.8%であった。平常時, 陽実証と思われない人においても降圧効果があった。今回の投与において, 下痢をした人はいなかった。振り出し薬は瀉下作用よりも, 鎮静作用が強調されていると思われた。緊急的に血圧上昇した場合の降圧剤として有用と思われる。
著者
渡辺 公三 玉井 和哉 吉田 耕志郎
出版者
Japan Shoulder Society
雑誌
肩関節 (ISSN:09104461)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.47-49, 1992

We set up Isometric exercises for patients with a glenohumeral joint contracture to do. The series of exercises consists of an abduction and an external rotation every 5 seconds, and internal rotation movements with a 5-second-rest interposed between each movement.<BR>The patients were ordered to keep their shoulders in the neut r al position while doing these exercises. We demanded that they do these exercises for about 10 minutes, twice a day at least.<BR>No patients had any local analgesics injected into their subacromial bursanor glenohumeral joint during this 4-week-isometric contraction exercise period.<BR>Loxoprofen sodium was prescribed as a painkiller when the patients wanted it.4 weeks later, we investigated the effects of these exercises in the relief of pain and recovery of motion.3 levels of pain were used in this study: better, no change, worse, compared with the pain the patients had when they started these exercises. The range of motion was indicated in total degrees of flexion, abduction and external rotation.<BR>Considering a margin of error, a 20-degree-increase or even from the beginning was considered as an -Improvement- and a 20-degree-decrease or even was considered as an -Aggravation-.<BR>We investigated 29 patients' 30 shoulders aged 56.9 years old on average. A relief of pain was observed in 64% of the patients and a recovery of motion in 67%.
著者
藤原 治 鈴木 紀毅 林 広樹 入月 俊明
出版者
一般社団法人 日本地質学会
雑誌
地質学雑誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.119, no.Supplement, pp.S96-S119, 2013-08-15 (Released:2014-03-21)
参考文献数
135
被引用文献数
9

本巡検では,東北日本の太平洋側新第三系の標準地域としての宮城県仙台市から名取市にかけて分布する新第三系を見学する.見学の要点は,シーケンス層序と奥羽山脈発達史などの研究成果を念頭においた観察にある.最下位の茂庭層では,同時期の地層では例の少ない岩礁性動物群化石を見る.時間が許せば,茂庭層-旗立層境界に見られる海緑石層を見学し,東北日本で同時期に海緑石層が形成されていた一端を紹介する.名取川下流の露頭が本巡検の主要な見学地で,これまでの巡検で詳細には紹介されたことがない,旗立層と綱木層の不整合と堆積サイクルを見学する.この見学地は,フィッション・トラック年代の測定用試料を採集した露頭でもあるため,旗立層・綱木層の見学地としては模式地に匹敵する重要地点である.青葉山丘陵の見学地点では,綱木層と梨野層の境界を見学する.梨野層は白沢カルデラの東縁を構成する地層とされるが,綱木層との層序関係については不整合か整合か決着していない.最後に,仙台層群を観察する.下位の名取層群とは対照的に水平層となっていることが分かるほか,竜の口層から向山層への層相変化を見ることができる.
著者
宮原 裕 Hiroshi Miyahara
出版者
安田女子大学
雑誌
安田女子大学紀要 = Journal of Yasuda Women's University (ISSN:02896494)
巻号頁・発行日
no.47, pp.289-300, 2019-02-28

がん治療における薬物療法では従来の殺細胞性の抗がん剤には限界があり、分子標的治療薬が登場した。近年、免疫チェックポイント阻害薬が悪性黒色腫をはじめとして多くのがん腫で再発、進行がんを対象に第Ⅲ相試験が行われ一定の効果が得られることから免疫療法として使用されるようになった。しかし、従来の抗がん剤ではみられなかった内分泌障害や消化管障害などの免疫関連有害事象が起こることが明らかとなった。それらに対しては、発症に早期に気づき対処することが求められる。悪性黒色腫に対しニボルマブやイピリムマブを投与し有害事象を来した自験例を示し考察を加えた。起こりうる免疫関連有害事象は多くの臓器に多岐にわたるので、治療科の医師のみでなく、腫瘍内科医、内分泌・代謝内科、消化器内科等の医師および、施設内の看護師、薬剤師を含めた診療連携体制が極めて重要であることを強調した。
著者
齋藤 康彦
出版者
山梨大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

本研究は、山梨県を事例に、社会的ネットワークの形成に着目して日本の近代化を支えた地方名望家層の再検討を行った。得られた新知見は以下の通りである。地方名望家の典型である昭和戦前期までの山梨県の県会議員は、銀行と電力会社に積極的に参画し、複数の役職の兼任によって銀行・企業ネットワークが形成され、これに被さるかたちで閨閥の二重、三重のネットワークは、全県的な規模で広がっていた。しかし、甲府在住の豪商層からなる甲府商工会議所議員による銀行・企業ネットワークや閨閥ネットワークは市域に止まり、甲府市の有力商人達には郡部地域の名望家層との間に積極的に閨閥を形成しようとする意図はなかったことが確認された。農地改革にみられる戦後の社会的な変動と、政党化の進展で、革新政党や労働組合を基盤とする県会議員も増加し、近年の女性の登場という時代状況は、地方名望家層が地方議員の輩出基盤であったことを変質させた。高度経済成長が開始される以前の1960年代までの県会議員の職業は、蚕糸業、建設業、製材業、郡内機業に代表されていた。寄生地主制の廃絶で地主層が総退場し、醸造業の地位も低下し、代わって地場産業の経営者層が多数進出した。しかし、1970年代以降は状況は大きく変わり、建設業のみが議員数を増加させた。そして企業ではなく、業界団体中心のネットワークが形成され、血縁ネットワークは失われた。この意味でいえば、県会議員レベルでは地方名望家体制は崩壊したといえる。しかし、政治に関与せず実業の世界に活動を限定している老舗や企業経営の存在が確認され、政治と経済の分離が進んだことも確認できた。
著者
清水 翔
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.185-196, 2011

小学校におけるデザイン教育は,これまで美術科教育の理念に準じて行われてきた。具体的には,「作る」という造形表現が中心であったといえる。そして,デザインという語の意味の曖昧さに加え,新学習指導要領においてデザインという語が削除されたことも相まって,デザイン教育の指針が見えなくなっている。そこで本稿では,デザイナーへのインタビューに基づき,デザイン教育の新たな可能性を提示した。インタビューの結果からは,小学校におけるデザイン教育の設計にあたって,日常生活を対象とする,デザインの機能を知る,協同学習を活用するという3つの特徴が重要であることが明らかになった。この結果に基づいて,デザインリテラシーの育成という観点から,デザイン教育の指針を提案した。
著者
村仲 隼一郎 島田 浩輝 植田 友貴 水野 健 大石 實
出版者
一般社団法人 日本作業療法士協会
雑誌
作業療法 (ISSN:02894920)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.239-247, 2020-04-15 (Released:2020-04-15)
参考文献数
47

本研究は,高齢者の摂食・嚥下障害事例報告の作業療法実践を分析し,今後の作業療法のあり方について考察するとともに,当該分野における作業療法の専門性確立の一助とすることを目的とした.文献検索の結果,25件が分析対象となりアブストラクトテーブルを作成した.また,介入内容は出現頻度順で示しICFで分類した.その結果,心身機能・構造では17種類,活動と参加では8種類,環境因子は5種類の介入内容に分類された.一方で,個人因子に対しての明らかな作業療法実践はなかった.したがって,今後の摂食・嚥下領域における作業療法のあり方は,心身機能・構造に偏重しすぎず,個人因子に十分に配慮した作業療法実践の必要性が示唆された.
著者
大貫 静夫
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.151, pp.129-160, 2009-03

挹婁は魏志東夷伝 Weizhi Dongyizhuan の中では夫餘の東北,沃沮の北にあり,魏からもっとも遠い地に住む集団である。漢代では,夫餘の残した考古学文化は第2松花江 Songhua Jiang 流域に広がる老河深2期文化 Laoheshen 2nd Culture とされ,北沃沮は沿海州 Primorskii 南部から豆満江 Tuman-gang 流域にかけての沿日本海地域に広がっていた団結文化 Tuanjie Culture に当てることで大方の一致を見ている。漢代の挹婁はその外側にいたことになる。漢代から魏晋時代 Wei-Jin Period に竪穴住居に住み,高坏を伴わないという挹婁の考古学的条件に符合する考古学文化はロシア側のアムール川(黒龍江 Heilong Jiang)中・下流域および一部中国側の三江平原 Sanjiang Plain 側に広がるポリツェ文化がよく知られている。北は極まるところを知らず,東は大海に浜するという点では,今知られる考古学文化の中ではアムール川河口域まで広がり,沿海州の日本海沿岸部まで広がるポリツェ文化が地理的にもっともそれに相応しいことは現在でも変わらない。そのポリツェ文化はその新段階に沿海州南部に分布を広げる。層位的にも団結文化より新しい。魏志東夷伝沃沮条に記された,挹婁がしばしば沃沮を襲うという記事はこの間の事情を反映したものであろう。ただし,ロシア考古学で一般的な年代観を一部修正する必要がある。最近,第2松花江流域以東,豆満江流域以北に位置する,牡丹江流域や七星河 Qixing He 流域において漢魏時代の調査が進み,ポリツェ文化とは異なる諸文化が展開したことが分かってきた。これらの魏志東夷伝の中での位置づけが問題となっている。すなわち,東夷伝に記された挹婁としての条件を考えるかぎり,やはり既知の考古学文化の中ではポリツェ文化がもっともそれに相応しく,七星河流域の諸文化がそれに次ぎ,牡丹江流域の諸文化,遺存がもっともそれらから遠い。しかし,だからといって,これらを即沃沮か夫餘の一部とするわけにはいかない。魏志東夷伝の記載から復元される単純な布置関係ではなく,実際はより複雑だったらしい。The Weizhi Dongyizhuan (Accounts of the Eastern Barbarians in the History of the Kingdom of Wei), describes the Yilou as a group living northeast of Fuyu and north of Woju in the land furthest from Wei. The archaeological culture left by the Fuyu is thought to have been the Middle Laoheshen culture that spread in the Second Songhua River basin during the Han period and the majority of opinion places Northern Woju in the Tuanjie culture that spread along the Japan Sea coast from the southern part of the Maritime Province (Primorskii krai) to the Tumangang River basin. In the Han period, the Yilou were outside these areas. From the Han period through the Wei-Jin period they lived in pit dwellings, and from the perspective of their not having pedestal bowls, the archaeological culture known to coincide with the archaeological conditions of the Yilou is the Pol'tse culture that extended from the middle and lower reaches of the Amur River (Heilong River) on the Russian side to the Sanjiang Plain that partially falls within China. With limitless land to the north and extending to the Maritime Province on the Japan Sea coast to the east, of the archaeological cultures known of today, Pol'tse culture, which spread as far as the mouth of the Amur River and to the Japan Sea coast, is still the most appropriate in geographical terms even today. At this new stage, this Pol'tse culture extended to the southern part of the Maritime Province. In stratigraphic terms as well, it was newer than Tuanjie culture. The text on the Yilou's occasional assaults on the Woju contained in the section on Woju in the Weizhi Dongyizhuan most probably reflects the situation at this time. However, it is necessary to partially modify the general view of dates in Russian archaeology. Recently, from an investigation undertaken of the Han-Wei period in the Mudan River basin and the Qixing River Basin situated east of the Second Songhua River basin and north of the Tumangang River basin, it has been discovered that cultures that were not the same as the Pol'tse culture developed in those areas. It is not easy to place these within the Weizhi Dongyizhuan. That is to say, when considering only the conditions of the Yilou as written in the Dongyizhuan, it is the Pol'tse culture which is the most fitting of known archaeological cultures, followed by the cultures of the Qixing River basin, with the cultures and relics of the Mudan River basin the most distant. However, it doesn't mean that these formed part of the cultures that succeeded Woju or Fuyo. Rather than being a simple positional relationship reconstructed from the writings in the Weizhi Dongyizhuan, it is actually far more complicated.

2 0 0 0 OA 水戸藩史料

出版者
[ ]
巻号頁・発行日
vol.別記上(巻1−12), 0000
著者
筒井 晃一 小林 敏勝 西沢 宏司 上野 太三郎 景山 洋行
出版者
一般社団法人 日本レオロジー学会
雑誌
日本レオロジー学会誌 (ISSN:03871533)
巻号頁・発行日
vol.25, no.5, pp.267-273, 1997-12-15 (Released:2012-11-20)
参考文献数
9
被引用文献数
2 2

Pigment dispersion technology plays an important role in attaining basic coating qualities such as a ”high quality appearance” and ”high durability”. Authors' experiments have quantitatively proved that a basic principle in pigment dispersion was an ”acid-base interaction between pigment and resin” in either non-aqueous or aqueous mediums, by optical and rheological measurements of pigment dispersions. These dispersions were prepared from pigments, acid-base characteristics of which were measured by a new method developed in our laboratory.A conventional pigment dispersing resin, called an ”amphoteric resin”, was also developed using a new idea that any conventional pigment having a variety of acid-base characteristics must be well dispersed, when a resin containing both acid and base functions was used.Pigments with almost no acid and/or base characteristic could be, however, well dispersed when the pigments were surface modified to have either an acid or base characteristic by plasma surface treatment. This result also supported that the ”acid-base interaction” was important in pigment dispersion.
著者
小島 德子
出版者
一般社団法人 日本助産学会
雑誌
日本助産学会誌 (ISSN:09176357)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.92-102, 2019 (Released:2019-06-30)
参考文献数
31

目 的産褥早期に直接授乳をしている褥婦への足湯を継続して行い,乳頭形態と乳頭・乳輪の状態に及ぼす影響を定性的に評価し検討する。対象と方法対象は,産褥早期に直接授乳をする褥婦25名で,無作為割り付けによる足湯群14名とコントロール群11名の2群間比較を行った。評価指標は,ピンチテストによる乳頭形態の判別と触診による乳頭・乳輪の状態とした。本研究は,愛知医科大学看護学部倫理委員会の承認を得て実施した。結 果仮性陥没乳頭が正常乳頭に変化した日(中央値(範囲))は,足湯群2.0(2~3)日(n=5),コントロール群4.5(4~5)日(n=4)であり(p<.05),扁平乳頭が正常乳頭に変化した日は,足湯群2.0(2~3)日(n=6),コントロール群4.0(3~4)日(n=5)であった(p<.05)。乳頭「硬」が「軟」に変化した日は,足湯群2.0(2~3)日(n=8),コントロール群4.5(3~5)日(n=6)であり(p<.01),乳輪「硬」が「軟」に変化した日は,足湯群3.0(2~4)日(n=3),コントロール群4.0(4~4)日(n=1)であった。乳輪浮腫の状態が消失した日は,足湯群3.0(3~3)日(n=2),コントロール群4.5(4~5)日(n=2)であった。乳頭形態・乳輪の状態が「問題なし」(n=5),乳頭「軟」(n=11),乳輪「軟」(n=21)の各該当者は,両群ともに産褥5日間その乳頭形態及び乳頭・乳輪の状態に変化はなかった。結 論産褥早期の褥婦への足湯により,仮性陥没乳頭・扁平乳頭は正常乳頭に,乳頭・乳輪は柔らかい状態へとコントロール群よりも早期に変化し,乳輪浮腫は早期に消失した。このことから,産褥早期の足湯は,褥婦の乳頭形態と乳頭・乳輪の状態に良い影響を及ぼすことが示唆された。
著者
渡辺 久雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.34, no.12, pp.631-649, 1961

本研究の目的は,条里制起源が,これに先行する肝晒地割にあることを明らかにし,中国の肝晒地割形式が,朝鮮を経て,古墳時代にわが国に伝来し,条里制の基盤となつたことを,地割形式およびGeo-magnetochronologyの成果より明らかにすることにある.その:解明の順序は1)条里制と5刊百地割, 2) 東亜における磁石・磁針の問題,3)兵庫県下における条里遺構の復原とGeomagnetochronologyの応用とする.<br> (1) 古い地積単位の残存から,条里地割に先行する一種の地割の存在を考える立場は早くからあつた.しかしそれがいかなるものか,いつ頃実施されたものかについては必ずしも明確にされていなかつた.この点に関して,筆者は条里先行地割が,中国の井田・肝階地割と同系のものと考え,その証明として,地割形式を尺度および進法の変遷から検討した,<br> (2) この種の先行地割方式が,いつ頃わが国で開始されたかという,本論文の表題である起源論について,この種の先行地割が古く阡陌地割と呼ばれていた点から,地割の経緯線は常に東西と南北を指している筈だと考え,中国における古代の方位決定法,ならびに磁石・磁針の問題の解決から出発した.その結果,わが国へも,古墳時代すでに司南と呼ばれる一種の簡易Compassが渡来し,阡陌地割の施行に利用されている可能性を認めた,<br> (3) 条里遺構の復原に関して,筆者の年来の疑問点の一つは,条里地割における経緯線方向の区々なることにあつた.その理由に関する従来の解釈に疑義を持つとともに,あらたな解釈として,磁針を用いたことによつて生.じた当時の地磁気偏角に原因すると仮定した.そのテストとして,兵庫県下における条里地割の経緯線方向の測定値を,近年著しく発達したGeomagnetochronologyの偏角永年変化表に照合し,地割が紀元3世紀より6世紀にわたつて施行されたことを知つた.また結果において,河系ごとに地割施行に関する地域的類型の存在をも認めることができた.<br> 最後にGeomagnetochronlogyが,本論文の起源論の根幹をなすものであるだけに,その客観妥当性を若干の吏実との照合によつて試みた.もちろん100%の妥当性があるか否かは,史実自体の側にも問題がある限り明言できぬが,かなり高い信頼度を認めることができた.しかし今後,全国各地における条里地割への適用をはじめ,各方面における妥当性の検証が必要である.