著者
内藤 昌 大野 耕嗣 中村 利則
出版者
一般社団法人 日本建築学会
雑誌
日本建築学会論文報告集 (ISSN:03871185)
巻号頁・発行日
vol.180, pp.61-71,76, 1971

On this part of the paper, the Jurakutei-Castle has been studied from the viewpoint of the history of Japanese architecture by the use of the Folding-Screen Picture of the Jurakutei-Castle and the Rakuchu-Ezu (A.D. 1637, the oldest measured map of Kyoto) that has been discovered recently. And the contents are the following : Chap. 1 A short history of the Jurakutei-Castle from the construction to the ruin; Chap. 2 The planning on the Jurakutei-Castle; Chap. 3 The buildings in the Jurakutei-Castle; that is, Tenshu-kaku (donjon), Hiroma (main hall), Ohte-mon (main gate), and Buke-yashiki (Samurai's residence). As the result of this study, on the one hand the Shoin-style had been completed in this Jurakutei-Castle, and on the other hand the planning of this Jurakutei-Castle built on flat land seems to have been the model of another castle-town. The Jurakutei-Castle was exactly the symbol of the age.
著者
山下 晋三
出版者
一般社団法人 日本ゴム協会
雑誌
日本ゴム協会誌 (ISSN:0029022X)
巻号頁・発行日
vol.42, no.9, pp.661-690, 1969-09-15 (Released:2010-02-19)
参考文献数
158
被引用文献数
9 7
著者
加藤 悠希
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.77, no.675, pp.1201-1206, 2012

The purpose of this research is to clarify the spreading process of the legends about architectural remains of Juraku Palace, Fushimi Castle and Toyokuni Shrine. As a first step, this paper examines what is written about the legends in the topography of Kyoto in the late seventeenth century.<br> In some topographies, there were mentions about the tenshu (main keep) of Fushimi Castle that it had been moved to Fukuyama Castle. There were also stories that, at the destruction of Juraku Palace, its buildings had been moved to some places, but not with their specific names. Stories about the legends as such are told already, but these were not yet paid much attention at that time as in the later period.
著者
岡崎 文彬
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.36, no.4, pp.32-39, 1972-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
6

The Taj Mahal is surely one of the most beautiful pieces of architecture in the world, but we should not overlook the garden that was once beautifully created by Shah Jahan for the memory of his beloved queen Mumtaz Mahal.Compared with the original plan, the garden has changed through the ages, but if we observe the garden carefully, we can still recognize the original spacial design of the garden. The marble tank which is placed in the center of the garden especially breaks the simplicity of the large plain garden.

2 0 0 0 OA 夜と朝

著者
リットン 著
出版者
博文館
巻号頁・発行日
1893
著者
AhamedMohamedFathyMostafa
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.19, pp.105-121, 1999-06

「戦争」というテーマは安岡章太郎の少年時代及び青年時代そして父親がなくなるまでの壮年時代を題材にした作品の多くに、背景として取り上げられている。その中から、この論文では『愛玩』(一九五二年発表)を取り上げ、安岡章太郎はいかにこの作品をもってシンボリックに自分の中の「戦後」を表現したのか、という点を探ろうとする。そこで先ず、安岡章太郎の心の中に「戦争」のイメージを作り上げただろうと思われる幾つかの要素が取り上げられる。1、 少年時代から、軍人だった父親の仕事の都合のせいで転校生の生活を数回も強いられ、結果的に学校嫌い・勉強嫌いになり自分の世界に閉じこもってしまうわけだ。これで彼は軍および戦争に対して自分なりのイメージができてしまったのではないか。2、 太平洋戦争の終わりころに入隊をしたときの嫌な思い出。3、 敗戦の時期を伴った安岡章太郎の発病(脊椎カリエス)およびその長い闘病生活。4、 敗戦後の安岡章太郎家族三人による生活無能力の情けなさ。5、 両親の夫婦関係悪化。6、 戦場からの父親の不名誉な帰還。7、 母親の発狂。以上の七点の中から、この論文では、特に三点目から七点目まで取り上げてみた。これは『愛玩』からいくつかの引用と照らし合わせながら考えてみた。また、以上の七つの要素をもとに、安岡章太郎の胸の中にある種の「敗戦の後遺症」と呼び得るものができたのではないかと考えた。結論とするところは、愛玩つまりウサギは日本国民の「精神」がシンボリックに描かれていて、安岡章太郎一家三人、つまり日本国民に敗戦の後遺症の早期回復の希望を促すものではないかというのが一つの点である。もう一つの点は、いわばこの作品ではもしウサギが日本精神を表すものなら、これはまた「日の丸」のシンボルではないだろうかという点である。ウサギの白い毛や赤い眼が大事なキーワードではないかと思われる。
著者
柴田 健 SHIBATA Ken
出版者
秋田大学教育文化学部附属教育実践研究支援センター
雑誌
秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要 = Bulletin of the Center for Educational Research and Practice, Faculty of Education and Human Studies, Akita University (ISSN:13449214)
巻号頁・発行日
no.38, pp.203-212, 2016-03

スクールカウンセラーの学校教育への浸透に伴い,学校教育の「心理主義化」が問題となっている.2011年3 月に発生した東日本大震災に伴い,秋田県は多数の被災転校生を受け入れることとなり,これをきっかけに急激な「心理主義化」が進んだ.被災転校生には「心の傷」があるという言説が流布し,学校に緊急スクールカウンセラーが導入され,被災転校生のカウンセリングや教員へのコンサルテーションが行われることとなった.筆者は緊急スクールカウンセラーの一人として,教員へのコンサルテーションを中心に活動した.コンサルテーションを行うに当たっては,「心の傷」言説に与することなく,転校生受け入れの際に教員が行った活動や工夫を明らかにするというインタビュアーの役割を取った.本稿では,3 つのコンサルテーション活動について報告し,社会構成主義的心理療法の観点から考察を行った. With the introduction of the school counselorto school education, "psychologism in schooleducation" has become a problem. As a result ofthe Great East Japan Earthquake that occurred inMarch 2011, Akita Prefecture has accepted a largenumber of transfer students from the disasterareas. Along with this, Sudden "psychologism"has progressed. A discourse that transferstudents have" psychological trauma" was spread,emergency school counselor is introduced into theschool, and counseling for the transfer studentsand consultation for the teachers were carriedout. As one of the emergency school counselor, Idecided to center activities counseling for teachers.In carrying out the consultation, I did not adoptthe "psychological trauma" discourse, took therole of the interviewer that clarified the activitiesand ideas that teachers have made at the timeof transfer student acceptance. In this paper, Ireported the consultation 3 activities, and discussedfrom the point of view of social constructionismpsychotherapy.
著者
生島 博之
出版者
愛知教育大学
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センター紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.291-298, 2001-03-30

本論文は,筆者が経験しか軽度の自閉的な児童2名に実施した遊戯治療の経過を報告したものである。小学校3年生男児Yは,遊戯治療の中で,自分が気にいった玩具を他児に使われないようにするために,「使用禁止」等の貼り紙をつくって貼る遊びに熱中したり,特異な思考様式や変わったジェスチャーを示した。また,突飛な感情表現も見られ,ゲーム遊びで負けかかると突然セラピストを殴ろうとした。幼稚園女児H子は,遊戯治療の中で,ママゴト遊びで玩具の食物をいつも口に入れたり,描画などにおいて固執傾向をしめしていたが,治療関係が確立するにつれて改善をみせた。また,イナイナイバァー的な遊びを経て,ゲップやオナラを楽しむようになったりした。これらの経過をふまえ,視線があいにくい自閉的な児童の内的世界などについて考察した。
著者
長谷川 博 山崎 晋 幕内 雅敏 水口 公信 平賀 一陽 横川 陽子
出版者
日本臨床麻酔学会
雑誌
日本臨床麻酔学会誌 (ISSN:02854945)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.152-166, 1983

国立がんセンター肝外科グループでは, 麻酔科と協同で肝切除の術前術中後管理のほぼ一定した方式を決めることができた. この方式は, 昭和48年の肝外科独立以来の172例の肝切除の経験において, 術後直接死亡率が肝硬変合併肝癌でも非合併例でも8%前後であり, 術中出血量は最近3,000m<i>l</i>を上廻るものがなくなったという経験的事実で裏付けられている.<br>1. 基本方針: (1) dry side に維持する. (2) Naを toxic ion 的に考える. (3) 尿浸透圧, 尿中電解質濃度とその動きを, 血清電解質よりも重視する (そのためには医師が常時使用できる血液ガス分析装置, Na&bull;K&bull;Cl電極, 浸透圧計が必需品である).<br>2. 術前管理: (1) Idsep で換気訓練を行ない, (2) IVH約1週間で耐糖能を向上させ, (3) 術後の dry side の輸液に腎が耐え得るか否かを濃縮テストで調べる (800mOsm/kg以上).<br>3. 術中管理: (1) 塩酸ケタミン点滴麻酔を加湿回路をつけて行なう. (2) 術中輸液を一律に1号液のみとし, 6m<i>l</i>/kg/h滴下する. (3) 術中乏尿(0.2m<i>l</i>/kg/h程度)には積極的には対処しない. (4) 出血量に対する輸血は, 80%をなま全血, 20%以上を血漿で補う. (5) 肝硬変例では術中から Trasylol 1日10,000単位/kgを点滴し術後5, 6日続行する. (6) 術中高血糖(250mg以上) には Insulin で対処する.<br>4. 術後管理: (1) なま血漿700~1000m<i>l</i>連日点滴をPT値60%まで続行, (2) Ht値を35&plusmn;3%に維持 (45%以上では瀉血), (3) KClを術終了直後から30~40mM/<i>l</i>以上の濃度で補給, (4) ClをモリアミンSで補給 (transfusion alkalosis 予防, O<sub>2</sub>解離曲線考慮), (5) Na<sup>+</sup>はACD液から入るので輸液中には一切加えない, (6) 総輸液量を, 血漿を含めて40m<i>l</i>/kg/dayに統一する(IVHから1m<i>l</i>/kg/h, 血漿&bull;抗生物質の合計0.6~0.9m<i>l</i>/kg/h). (7) ブドー糖0.1&rarr;0.25g/kg/h点滴(1POD以降 dose up), (8) 低Na血症を原則的に補正せず, 120mEq/<i>l</i>までは尿浸透圧>300mOsm/kgである限り輸液の速度を下げるのみ. 3POD以降で尿中Na100~150mEq/<i>l</i>ならば10%NaClを20m<i>l</i>静注, 著効ある時のみ反復. (9) 乏尿には武見処方を静注し, furosemide を原則的に使用せず(Cl利尿~ACD液による相対的Cl不足や予防のために), (10) Heparin 3~4000u/day IVHに混合(細網内皮系賦活, stress ulcer や血栓の予防).<br>かくて肝外科は, 肝実質の「とり過ぎ」をしない限り安全な手術となりつつある.
著者
末岡
出版者
日本造船技術センター
雑誌
SRC news
巻号頁・発行日
no.70, 2007-01
著者
河西 敏雄 米山 友之 西村 一郎 池野 順一
出版者
公益社団法人 精密工学会
雑誌
精密工学会学術講演会講演論文集 2006年度精密工学会秋季大会
巻号頁・発行日
pp.849-850, 2006 (Released:2007-03-04)

40年前の漆塗装テーブルの再研磨を試みた。使い古したものであり、表面には傷も多く、光沢もない。研磨については、特に伝統にこだわらず、簡単に入手できる研磨資材を用いて鏡面仕上げを進めた。
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンピュ-タ (ISSN:02854619)
巻号頁・発行日
no.629, pp.142-145, 2005-06-27

システム構築において、新技術/製品の採用はリスクを伴う。そのリスクを最小限に抑える仕組みを作り上げているのが、ヤマト運輸である。現場の視点で本当に必要な技術/製品を見極め、実績がなければ地道にノウハウを蓄積する。6月、さまざまな新技術/製品を活用して刷新した基幹システムは、この仕組みを生かした結果だ。