大野右仲追いかけ隊 (@oonoucyuu)

投稿一覧(最新100件)

RT @zasetsushirazu: 安政7年3月3日(1860年3月24日)、井伊直弼が桜田門外の変で死去。幕末の彦根藩主で、安政の大獄を断行した幕府の大老。廣木尚「大隈重信にとっての歴史認識」(『早稲田大学史記要』50)は、井伊直弼の銅像除幕式に維新の元勲クラスで大隈重信…
RT @zasetsushirazu: 明治12年3月11日、司馬凌海が死去。佐渡出身の医師で、幕末期に松本良順の助手を務めた。ドイツ語辞典の『和洋独逸辞典』を編纂。池田哲郎「本邦におけるドイツ学の創始について」(『福島大学学芸学部論集』14-2、1963年)曰く、「幕末から明…
RT @zasetsushirazu: 明治20年3月7日、黒田長溥が死去。薩摩藩主・島津重豪の子で、幕末の筑前福岡藩主。蘭癖と呼ばれた大名の1人。慶応元年に加藤司書や月形洗蔵らを弾圧した「乙丑の獄」について、西尾陽太郎「黒田長溥と筑前勤王派」(『史淵』98、1967年)をネッ…
RT @zasetsushirazu: 明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。討幕の密勅の受領に関わった。末木孝典「明治二十五年・選挙干渉事件と立憲政治」(『近代日本研究』32)曰く、第1次松方正義内閣の内相時代の選挙干渉で、「選挙に成果を出す責任と治安を維持する責任との間で…
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @tikougouitu: 長南伸治さんの金子与三郎(金子清邦)の論文および史料紹介、ダウンロードできるんだ❗ https://t.co/qbg4qy3xcl https://t.co/dGBKfuFHgr https://t.co/cmF9ETnGO1
RT @tikougouitu: 長南伸治さんの金子与三郎(金子清邦)の論文および史料紹介、ダウンロードできるんだ❗ https://t.co/qbg4qy3xcl https://t.co/dGBKfuFHgr https://t.co/cmF9ETnGO1
RT @tikougouitu: 秋田の戊辰戦争…。 是非とも研究が進んでほしいな…。 この史料群が役立つはず❗ https://t.co/EaWZR0ce7L
RT @UTokyo_GenLib: 口上の部分を読んでみたい方は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている『近代世相全史』(梅原北明 編)46コマ(36ページ)を参考にどうぞ! https://t.co/AqKIJ3Qn19
RT @zasetsushirazu: 明治29年2月2日、川田甕江が死去。古賀謹堂、藤森弘庵、大橋訥庵、安井息軒らとの交流で学問を深めた漢学者。山田方谷の推薦で、備中松山藩主・板倉勝静に仕えた。古賀勝次郎「安井息軒の門生たち(2)」(『早稲田社会科学総合研究』10-3)は、川…
RT @zasetsushirazu: 明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身で、兄の枝吉神陽が主宰した義祭同盟に参加した。明治期に外務卿、内務大臣などを歴任。池田勇太「史料紹介 「政体」」(『史学雑誌』125-2、2016年)は、政体書の草稿と思われる史料を分…
RT @shibawankok2: CiNii 論文 -  <論説>箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) https://t.co/qVEeiASimk #CiNii
RT @zasetsushirazu: 1894年1月22日、モンブラン(ベルギー貴族)が死去。五代友厚と頻繁に交流するなど薩摩藩と関係が深く、パリ万博への薩摩藩の参加に協力。一時期、明治政府からパリ総領事に任命された。文献に、宮永孝「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」(『社会…
RT @zasetsushirazu: 明治26年1月10日、杉田仙十郎が死去。政党政治家・杉田定一の父親で、幕末期には越前の大庄屋だった。元治元年には、敦賀で投降した天狗党の助命を嘆願した。文献に、家近良樹『ある豪農一家の近代』(講談社)がある。下記は、柳澤芙美子氏の書評(『…
RT @saigetudo: 国立国会図書館デジタルコレクション 『前将軍としての慶喜卿』 市村残月 著/春江堂書店/大正2年 https://t.co/W7LEQKdPRy 懐かしいものがネットで閲覧できるようになった感慨
RT @machi82175302: 拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩-西郷吉之助の動向を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要8号』、2016年)は以下を参照下さい。https://t.co/bR9OnAxGwv
RT @zasetsushirazu: 明治2年10月20日(1869年11月23日)、大村益次郎襲撃犯の神代直人について、斬首が決定された。処刑が執行された正確な日付は不明。下記リンクの論文、伊藤一晴「神代直人の捕縛-大村益次郎襲撃犯に対する山口藩の対応-」(『山口県文書館研…
RT @zasetsushirazu: 水上たかね「幕府海軍における「業前」と身分」(『史学雑誌』122-11、2013年)曰く、幕末の幕府海軍では職務に必要な能力を「業前」と呼んで重視し、人材を登用した。だが、「家」の枠組は強固で、家督相続で別の役職に就いて海軍を離れる人材流…
RT @zasetsushirazu: 明治42年11月14日、山川二葉が死去。会津藩士・山川尚江の娘で、兄弟姉妹に山川浩と健次郎、大山捨松がいる。会津藩家老の梶原平馬と結婚。東京女子高等師範学校で教育に携わった。文献に、遠藤由紀子「会津藩家老梶原平馬をめぐる女性」(『女性文化…

94 0 0 0 OA 奇兵隊日記

RT @kirik_nya: 「奇兵隊日記」に、元治2年(1865)大奥で金無垢の粟田口吉光の脇差が紛失、おそらく薬研藤四郎か。という謎事件が載ってる。おまけにそのあとに赤銅色絵の脇差が置かれていたそうな。 江戸時代の人にとって粟田口吉光といえばまず薬研なんだろうね。 http…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 明治3年9月8日(1870年10月2日)、青木研蔵が死去。長州藩の蘭方医で、藩内で初めて種痘を実施。兄・青木周弼の養子となった。森川潤「青木周蔵の渡独前の修学歴(3)萩城下における蘭学の修業時代」(『広島修大論集』54-1)曰く、「当代屈…
RT @zasetsushirazu: 明治18年9月27日、都築温(都築荘蔵)が死去。慶応3年10月、大政奉還の趣旨が二条城で諸藩重臣に説明された際、宇和島藩代表として出席。将軍・徳川慶喜にも謁見。大政奉還が勅許されたことを帰国して報告(三好昌文「幕末期宇和島藩の動向(13)…
RT @zasetsushirazu: 明治9年9月23日、安井息軒が死去。芳野金陵・塩谷宕陰と共に文久三博士と称された儒学者で、弟子に谷干城・品川弥二郎・陸奥宗光・世良修蔵・井上毅など。佐々木雄一「陸奥宗光の思想形成」(『法学会雑誌』59-1、2018年)は、幕末期に陸奥が師…
RT @zasetsushirazu: 明治26年9月1日、細川護久が死去。明治3年に熊本藩知事に就任して、弟・長岡護美と共に熊本藩の藩政改革を推進した。その際、横井小楠の門下生たちを多数登用した。三澤純「熊本藩明治三年藩政改革の再検討」(『文学部論叢』109、熊本大学、201…
RT @zasetsushirazu: 天保12年7月14日(1841年8月30日)、林述斎が死去。松平定信に嘱望されて林家を嗣いだことは、林家の最大の画期とされる(小野将「近世後期の林家と朝幕関係」『史学雑誌』102-6)。朝鮮通信使との窓口役も務めた。幕末外交で活躍した林復…

10 0 0 0 IR 林研海の生涯

RT @zasetsushirazu: 明治15年8月30日、医師・林研海が死去。幕末の長崎でポンペに学んだ後、榎本武揚や沢太郎左衛門らと同じ船に乗ってオランダ留学。帰国後の明治期に、静岡病院長、陸軍軍医総監などを歴任。高橋慎司「林研海の生涯」(『早稲田大学大学院教育学研究科紀…
RT @zasetsushirazu: 慶応元年6月24日(1865年8月15日)、喜多岡勇平が死去。幕末の福岡藩士で、黒田長溥に信任され、長州征伐や五卿移転問題の解決に奔走した。梶原良則「長州出兵をめぐる政治情況」(『史淵』129)は、喜多岡の周旋が薩長和解の端緒になったと指…
RT @zasetsushirazu: 文久2年7月12日(1862年8月7日)、大橋訥庵が死去。田中有美「坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩」(『立命館言語文化研究』23-3)は、坂下門外の変の首謀者で、過激な攘夷論者として知られる大橋が、討幕は志向せず、あくまで幕府の枠組…
RT @zasetsushirazu: 大正10年7月25日、佐藤進が死去。戊辰戦争で治療に従事した医師で、日本人初のベルリン大学卒業生。酒井シヅ「順天堂三代目堂主・佐藤進 (1845-1921), ドイツ留学から帰国まで」(『順天堂醫事雑誌』59-2)曰く、「明治,大正時代,…

9 0 0 0 OA 房総の偉人

RT @midnightexp2017: 出格至仁之 思召ヲ受ク、小笠原中務大輔ヘ永預仰付候事。」 https://t.co/gWOsGKdzxX (以上)
RT @yabattfit1962: 文久3年(1863年)7月24日 幕府の外艦攻撃詰問史・中根市之丞(一之允)らが朝陽丸で赤間関に到着。 #中根市之丞 #朝陽丸事件 https://t.co/aYLZr7h7up #町田明広 #赤間関 #長州藩 #長州
RT @zasetsushirazu: 明治15年7月23日、医師・佐藤尚中が死去。佐倉順天堂創始者・佐藤泰然の養子で、順天堂二代目堂主。また、明治期の東京で順天堂医院(後の順天堂大学)を開いた。小川鼎三「佐藤尚中伝 (3)」(『順天堂医学』18-3、1972年)は、幕末の長崎…
RT @domioriha: CiNii 論文 -  箱館戦争降伏人と静岡藩 https://t.co/QrvYKUxIRF #CiNii 今日唐突に知ったんですが戊辰戦争の終結後、箱館に残されていた旧幕府兵を静岡藩が受け入れることになり、後の静岡県知事になる関口隆吉らと共に…
RT @zasetsushirazu: 明治2年6月6日(1869年7月14日)、鵜殿鳩翁(長鋭)が死去。幕臣で、日米和親条約交渉に携わり、文久3年に浪士組取扱。永井尚志は、「人材登庸を重んし、職掌を辱めす」と評した(河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」『茨城大学人文学部紀要…
RT @zasetsushirazu: 明治7年7月12日、伊達慶邦が死去。幕末の仙台藩主で、東国最大の国持大名。戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主。綿抜豊昭「伊達慶邦一座の七種連歌をめぐって」(『中央大学文学部紀要 言語・文学・文化』119、2017年)は、藩祖の伊達政宗以来行わ…
RT @zasetsushirazu: 慶応4年5月22日(1868年7月11日)、益満休之助が死去。江戸の撹乱工作を主導した。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50)は、江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件で逮捕され、勝海舟に引き…
RT @zasetsushirazu: 明治2年5月18日(1869年6月27日)、萱野権兵衛が死去。幕末の会津藩家老で、戊辰戦争の責任者として自刃した。寺田芳徳「会津藩留学生郡 長正と豊津藩 (旧小倉藩) の英学」(『英学史研究』25)は、萱野の切腹は、少年だった息子・郡長正…
RT @zasetsushirazu: 吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13、2018年)曰く、慶応4年の長崎における大隈重信らの活動は、新政府中枢に食い込みたい佐賀藩と、開港地を安定化させるため佐賀藩を取り込みたい新政府…
RT @fu_sakura: 「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」という論文が面白かったのでシェア。https://t.co/IvEKKlntu4  例の界隈の、なんでそーなったwwwwという頭痛体験に思い当る人にはとても面白いと思います。読んでて何度もフフッてなった。 (…
RT @zasetsushirazu: 明治32年4月20日、遠藤允信(文七郎)が死去。幕末の仙台藩重臣で、政争に敗れて閉門。竹ヶ原康佑「文久期における仙台藩内政争の争点と「割拠」策への展開」(『駿台史学』162)が詳細。戊辰戦争の戦後処理を担当し、仙台藩の降伏を批判する榎本武…
RT @zasetsushirazu: 昭和9年4月12日、田島応親(田島金太郎)が死去。幕末の幕臣で、横浜仏語伝習所に入り、戊辰戦争の際には通訳として箱館まで赴き、ブリュネら榎本武揚に協力したフランス人を手引き。澤 護「箱館戦争に荷担した10人のフランス人」(『千葉敬愛経済大…

37 0 0 0 OA 処世の大道

RT @hajime0083: [処世の大道 渋沢栄一 著]幕臣だった頃の渋沢栄一が近藤勇を褒めてる本はこれです…!!!!あと土方歳三ともちょっとお仕事している(一緒にピクニッ……護衛をしてお弁当を食べました)340コマ目からどうぞ https://t.co/9BwOW8EQW…
RT @zasetsushirazu: 明治25年4月3日、松森胤保が死去。幕末の松山藩(庄内藩の支藩)家老で、江戸の薩摩藩邸焼討事件や戊辰戦争で藩兵を指揮。梶沼彩子「松森胤保『止戈小議』考」(『東北文化研究室紀要』50)曰く、「松森」は藩主から賜わった「松守」(松山を守ったと…
RT @zasetsushirazu: 長谷川昇「尾張藩草莽隊始末攷」(『東海学園大学紀要』創刊号、1965年)は、明治の愛知県における自由民権運動研究の過程で、壬申戸籍に「元草莽隊」と記録された者の存在に着目。維新期、尾張藩の磅石薄隊や集義隊を分析。長谷川氏には『博徒と自由民…
RT @zasetsushirazu: 明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。長州藩出身で、慶応2〜3年、京都の薩摩藩邸内に長く滞在し、薩長提携の象徴のような役割を担った。齋藤伸郎「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9)曰く、明治14年の日…
RT @zasetsushirazu: 昭和6年2月24日、久米邦武が死去。日本の歴史学の先駆者で、大隈重信の親友。杉谷昭「和魂漢才から和魂洋才へ」(『純心人文研究』12)は、久米が岩倉使節団の報告書『米欧回覧実記』執筆のため玉虫左太夫(万延元年遣米使節に参加)の『航米日録』を…
RT @zasetsushirazu: 須賀博樹「因州鳥取藩と大坂両替商-文久三年~慶応元年の大名貸-」(『経済史研究』21、2018年)は、幕末の鳥取藩主・池田慶徳による国事周旋と京都警衛に関して、その財政状況を分析。鳥取藩が、慶徳の兄・徳川慶篤が藩主を務める水戸藩に、援助金…
RT @zasetsushirazu: 柳澤京子「長州戦争と労働者」(『お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター研究年報』13、2017年)は、幕末の長州戦争(長州征伐、幕長戦争)において、いわゆる諸隊に参加した賃銀労働者集団を分析。諸隊の内部や周辺には、「稼ぎ」を求める人々…
RT @zasetsushirazu: 大正11年2月8日、樺山資紀が死去。幕末の薩摩藩出身で、薩英戦争や戊辰戦争に従軍。西南戦争で熊本鎮台参謀長として、谷干城と共に熊本城に籠城した。海軍大臣、内務大臣などを歴任。齋藤伸郎「明治十四年 樺山資紀日記」(『国士舘史学』22)は、明…
RT @zasetsushirazu: 明治8年2月3日、熊谷直孝が死去。京都の商人(鳩居堂当主、香具屋久右衛門)で、幕末期には長州藩の活動に親和的な立場だった。戊辰戦争の際には新政府に千両を献上し、ほかの有力商人にも新政府への献金を促した。小林丈広「明治維新期の「市長」」(『…
RT @zasetsushirazu: 明治23年1月23日、新島襄が死去。幕末期に米国に密航した。高久嶺之介「新島襄と京都府政の人々」(『同志社談叢』36、2016年)は、新島が同志社を設立するために行った「大学設立募金運動」についての講演録。京都府知事・北垣国道の積極的な協…
RT @zasetsushirazu: 慶応3年12月26日(1868年1月20日)、上山藩士・金子与三郎が死去。薩摩藩邸焼討事件で負った傷が死因。清河八郎暗殺に関与した疑惑がある。長南伸治「近代における旧上山藩士金子清邦像形成に関する一考察」(『国士舘史学』21)は、清河八郎…
RT @zasetsushirazu: 慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満休之助が…
RT @zasetsushirazu: 明治32年1月19日、勝海舟が死去。金澤裕之「咸臨丸米国派遣の軍事史的意義」(『近代日本研究』26)は、海舟の目指した海軍像がサンフランシスコで見た米国海軍で、そのイメージは木村芥舟も共通だったとする。金澤氏の著書『幕府海軍の興亡』(慶應…
RT @zasetsushirazu: 明治33年1月5日、秋月悌次郎(秋月韋軒)が死去。幕末の会津藩士で、文久3年8月18日の政変で重要な役割を果たした。中西達治「秋月悌次郎の公用局復帰」(『金城学院大学論集 人文科学編』15-1、2018年)は、慶応2年に勤務していた蝦夷地…
RT @zasetsushirazu: 元治元年11月18日(1864年12月16日)、第1次長州征伐の総督・徳川慶勝が、自刃した長州藩の3家老(福原越後、国司信濃、益田右衛門介)の、首実検を行った。そこに至る過程は、町田明広「第一次長州征伐における薩摩藩」(『神田外語大学日本…

37 0 0 0 OA 流星刀記事

RT @rosedesahara: そして本日は流星刀見てきました。撮影OKです。用いた隕鉄と作刀について榎本さんが「地學雑誌」へ寄稿した記事もDLして読めます。 https://t.co/p9GgyQ5GCj https://t.co/SqBpEpeDya
RT @zasetsushirazu: 明治31年11月6日、佐久間貞一が死去。戊辰戦争の際に彰義隊に参加した人物で、明治期に秀英舎(大日本印刷の前身)を設立。労働問題への関心が高く、「日本のロバート・オーエン」と称される。森博「佐久間貞一の8時間労働制」(『産業医学』26-4…

37 0 0 0 OA 流星刀記事

RT @_yukotk: 流星刀記事、アーカイブされておりました https://t.co/fsPeoEhgYv
RT @zasetsushirazu: 昭和32年11月2日、徳富蘇峰(猪一郎)が死去。『近世日本国民史』全100巻など多数の著作があり、言論界で影響力を持った。大島明秀「明治二十年代における「鎖国論」の多様性」(『日本文藝研究』59・3/4)は、蘇峰が『国民之友』に発表した「…
RT @zasetsushirazu: 安政6年9月24日(1859年10月19日)、儒者・佐藤一斎が死去。林述斎(岩瀬忠震の祖父)の門人で、昌平黌の教授を務めた。表向きは朱子学を講じたが、実際は陽明学を奉じていた。下記PDFは、中村安宏「林述斎と佐藤一斎の皇統意識について」(…
RT @zasetsushirazu: 明治23年10月17日、岩倉具経が死去。岩倉具視の子で、戊辰戦争の際に東山道鎮撫副総督に就任。英語を学んだフルベッキの世話で、米国のラトガース大学に留学。その頃、「龍 小二郎」と名乗っていたらしい(加島巧「近代日本の夜明け」『長崎外大論叢…

11 0 0 0 OA 生きている歴史

RT @itaru_ohyama: @hana76781232 サンデー毎日は要注意です。ほかにも「生きている歴史」が、インタビューの形式で記事にしてますけども、内容はほぼ創作です。 https://t.co/9hq6Hf3W0V
RT @zasetsushirazu: 明治41年7月21日、松平定敬が死去。幕末の桑名藩主で、京都所司代を務めた。2008年に桑名市博物館が発行した図録に、『京都所司代松平定敬』がある。同図録に論文「幕末政局と桑名藩」を寄せた奈良勝司氏が、翌年の『史学雑誌』118巻5号「回顧…
RT @zasetsushirazu: 文久2年6月14日(1862年7月10日)、北有馬太郎(中村貞太郎)が死去。清河八郎を匿ったことで、獄死した。義父は、幕末期の著名な儒者・安井息軒。息軒との交流の一端は、町泉寿郎「安井息軒宛て中村貞太郎(北有馬太郎)書翰の翻印と解題」(『…
RT @zasetsushirazu: 明治43年4月26日、木梨精一郎が死去。長州藩出身で、戊辰戦争の際に英国公使パークスと会談して、江戸開城に尽力。斉藤理・渡部史之「地域文化財からみた木梨精一郎」(『山口県立大学学術情報』10、2017年)は、米沢藩出身の宮島誠一郎との交友…
RT @zasetsushirazu: 濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65、2018年)は、歴史家たちの榎本武揚政権への言動を紹介。例えば、日本とは別の「共和国」が北海道に存在していたと認めたら、北方領土問題で日本に不利になると…
RT @zasetsushirazu: 慶応元年5月16日(1865年6月9日)、第2次長州征伐に向けて、将軍・徳川家茂が江戸城を出発。幕末の将軍上洛をめぐる政治史については久住真也氏が詳しく、下記の論文「慶応元年将軍進発態勢の創出-長州「再征」に関する一考察-」(『史学雑誌』…
RT @zasetsushirazu: 大野真由「明治七年における若松博覧会-戊辰戦争後の復興と人々-」(『駒沢史学』86、2016年)は、政府主導で内国勧業博覧会が開催されるよりも前に、戊辰戦争の復興を企図した博覧会が、地域の人々の手によって会津で開催された意義などを指摘する…
RT @ogata2100: 読んだのはこれなんだけど、昨今の清川八郎再評価の流れに関わりそうだから覚えておこうと思う。あと史談会速記録またいろいろ読まないとだなー。: CiNii 論文 - 近代における旧上山藩士金子清邦像形成に関する一考察 https://t.co/Qcn…
RT @zasetsushirazu: 昭和9年5月30日、東郷平八郎が死去。幕末の薩摩藩出身で、薩英戦争や戊辰戦争に参加。妻は海江田信義の娘。宮永孝「イギリスにおける東郷平八郎」(『社会志林』46-3・4、2000年)は、明治初期の英国留学で海軍技術のみならず、英国流の敬虔主…
RT @hajime0083: 弁天台場の降伏日なので、無料で読める小笠原日記をよろしく!土方歳三と一緒に一本木方面に出撃した大野右仲の函館戦記(下記に載ってます)が総攻撃戦に関してとても臨場感あります。あと榎本さんがハチャメチャするので総裁推しにも読んでいただきたい326コマ…
RT @zasetsushirazu: 明治43年4月26日、木梨精一郎が死去。長州藩出身で、戊辰戦争の際に英国公使パークスと会談して、江戸開城に尽力。斉藤理・渡部史之「地域文化財からみた木梨精一郎」(『山口県立大学学術情報』10、2017年)は、米沢藩出身の宮島誠一郎との交友…
RT @zasetsushirazu: 明治43年3月17日、いわゆる草莽の志士・佐藤清臣が死去。大垣新田藩出身で、佐藤信淵や平田銕胤に師事。相楽総三らと交流し、赤報隊に参加した。明治期には地方教育に携わった。大濱徹也「佐藤清臣小伝-ある草莽の生涯をめぐって-」(『中京法学』1…
RT @zasetsushirazu: 明治28年3月13日、長三洲が死去。幕末期は広瀬淡窓の咸宜園で学んだ後、長州藩に身を寄せて奇兵隊に参加し、戊辰戦争で各地を転戦。木戸孝允と親しかった。関口直佑「明治初頭における長三洲」(『社学研論集』18、2011年)によれば、「学制」発…
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、幕長戦争の際に長州軍と交戦した。明治期には大阪府知事、駐米公使などを歴任した後、実業家に転じた。三崎一明「高島鞆之助と建野郷三」(『追手門経済論集』45-2)は、宮中に出仕していた明…
RT @8sk_kotetsu: 永倉新八私家本(『新撰組顛末記 永倉新八』底本)が国立国会図書館デジタルコレクションにて配信されています 国会図書館まで行かなくても図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館にて閲覧・複写可能 新撰組永倉新八:故杉村義衛の壮年時代 https…
RT @zasetsushirazu: 明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身。樺太国境問題やマリア・ルス号事件での交渉など、明治初期の外交を担った。白春岩「1873年における清国皇帝への謁見問題」(『ソシオサイエンス』16、2010年)は、清国皇帝への謁見をめ…
RT @zasetsushirazu: 慶応4年1月3日(1868年1月27日)、鳥羽伏見の戦いが起きた。矢羽野隆男「並河寒泉の政治思想と幕府観」(『中国研究集刊』50)は、大坂の懐徳堂(享保期に幕府の許可で作られた学問所で、特権も与えられていた)の教授・並河寒泉が、鳥羽伏見の…
RT @lotusxx61: 国立国会図書館デジタルコレクションで『小笠原壱岐守長行』が読めるようになってますので、こちらもあわせて。これずっと欲しかったんですよ〜〜ありがたいよ〜〜 https://t.co/bsfAuHzK9l

6 0 0 0 OA 暁斎絵日記

RT @wordcage: ジョサイア・コンドル、暁斎絵日記でコンテエル君て呼ばれてるのいいよね!日本画の弟子入りしたものの正座ができなくて、腹這いで描いていたとか。 https://t.co/f3mYeun3q3 https://t.co/Z1qogn41qX
RT @zasetsushirazu: 桜庭秀俊「箱館戦争と弘前藩」(『弘前大学國史研究会』68・69、1979年)は、弘前藩にとっての箱館戦争を分析。奥羽越列藩同盟を離脱した弘前藩は、箱館戦争で「顕著な功をたてることによって官軍側の疑惑を解き」たい意欲があったと指摘している。…
RT @zasetsushirazu: 明治26年12月5日、幕末の会津藩主だった松平容保が死去。新選組を配下に持つ京都守護職を務めた。慶応3年、いわゆる討幕の密勅と同時に、容保討伐の文書も作成されていた。『山口県文書館研究紀要』42号に、容保を批判して怪物のように描いた風説書…
RT @zasetsushirazu: 渡邊ゆきの「戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態」(『奈良大学大学院研究年報』22、2017年)は、函館、松前、会津若松、白河、柏崎など全国各地の戊辰戦争戦没者の墓(明治元年〜2年頃に建立されたもの)の状態を調査し、保存対策の必要を提言。 ht…
RT @zasetsushirazu: 金澤裕之「文久期における幕府の海軍運用構想」(『史学』84)によれば、小野友五郎や勝海舟ら軍艦方は、海軍を台場の補助戦力と見なす傾向が強かった。むしろ、軍艦の外洋への積極的展開を求めたのは、水野忠徳など外国奉行や大小目付だった。 htt…
RT @lalan1858: 『小笠原壱岐守長行』という本に、水野痴雲が同行していたこと、 しっかり載ってた (;^_^A 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/YxHXKGS86w https://t.co/oUjSLSJhsw
RT @zasetsushirazu: 明治33年8月23日、黒田清隆が死去。薩長同盟の際、木戸孝允を上洛させた人だが、町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9、2017年)によれば、西郷隆盛らの指示ではなく独断専行だった可能性が高い。 ht…
RT @komiya_aoyama: (承前)ご遺族所蔵の「遺稿」(「山川健次郎のもう一つの「遺稿」」https://t.co/oWHwVv92EU参照)、の3つです。今回の遺稿の内容紹介や他の遺稿との比較を「山川健次郎「遺稿」の基礎的考察」として『青山史学』第35号(2月刊行…
RT @komiya_aoyama: 補足。記事中の「種類の違う3点の遺稿資料」とは、花見朔巳編『男爵山川先生遺稿』(故男爵山川先生記念会、昭和12年)https://t.co/XEyP89vWo1、会津若松市立会津図書館所蔵の櫻井懋編『補遺(未定稿)山川健次郎博士遺稿』(私家…
RT @zasetsushirazu: 『小笠原壱岐守長行』は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。同書について、奈良勝司「小笠原長行と「公議」」(『立命館大学人文科学研究所紀要』105)は、長行の手記や日記と照合した結果、概ね信頼できる内容だと評価している。 ht…

お気に入り一覧(最新100件)

1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)… https://t.co/DcpnvnfZ2b
自刃十九士を埋葬した吉田伊惣次が民政局から褒賞を受けたとしている点が、のちの時代と異なる。 https://t.co/jre9XKqs9s
元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新… https://t.co/iaT633NSVN
明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮… https://t.co/fnmA0i7QYB
天保2年2月18日(1831年3月31日)、オーストラリアの捕鯨船レディロウエナ号が蝦夷地に来航。2週間ほど滞在し、松前藩士と若干の銃撃戦もあった。村上雄一「オーストラリアの捕鯨船と日本」(『行政社会論集』11-4)曰く、船長ボー… https://t.co/ila2hukAAj
藝藩志の中に「吉川周旋記」の引用があった。 https://t.co/rlDvVFEpGx
大正12年3月26日、加藤恒忠(加藤拓川)が死去。幕末の伊予松山藩出身で、甥に正岡子規がいる。『坂の上の雲』の主人公・秋山好古と同郷で、親友。外交官としてベルギー公使などを歴任。正岡明・今村暢好「加藤拓川資料集」(『松山大学論集』… https://t.co/RO0Lc9nhIX
安政7年3月3日(1860年3月24日)、井伊直弼が桜田門外の変で死去。幕末の彦根藩主で、安政の大獄を断行した幕府の大老。廣木尚「大隈重信にとっての歴史認識」(『早稲田大学史記要』50)は、井伊直弼の銅像除幕式に維新の元勲クラスで… https://t.co/VieIEvNyBX
これは好きな人多そう。城下町の構造を比較した論文。 横尾 実「東北地方の城下町起源都市における地域構造の移行:江戸時代から第2次世界大戦時まで」https://t.co/F7LAreFUqT https://t.co/qEnscbO9r2

2 2 0 0 OA 採襍録

@busyo3 @shibawankok2 ご教示ありがとうございます。 四総裁の件と共に『採襍録第二』(85〜86頁)に記載があります。 https://t.co/cf7dpQF1S9 (国立国会図書館デジタル53〜54コマ)
明治18年3月23日、亀井茲監が死去。幕末の津和野藩主で、明治初年の神祇行政を担った。岩谷泰之「森鴎外と仏教」(『大正大学大学院研究論集』42)は、亀井家典医の家に生まれた森鴎外について、その思想形成上の茲監の影響を、茲監が仏教を… https://t.co/63a7JwH94h
@ambujam10 「伊達宗城とその周辺(続):岩瀬忠雲、永井尚志ほか 河内 八郎」https://t.co/jAGVvQCqrrの62ページから始まる「12、明治二十一年七月七日」です。それとは関係ありませんが61ページの明… https://t.co/z0ncNxdrKX
大島明子「明治初期太政官制における政軍関係」(『紀尾井史学』11、1991年)曰く、「留守政府の時期が日本陸軍の形成にとって特に重要な意義をもつ時期であった」。その理由の1つとして、「陸軍と正院ないし内閣との関係が模索され,後の政… https://t.co/Xd5UMO0vCW
内山京子「木戸孝允と明治初期の新聞界」は『日本歴史 』727 (吉川弘文館 2008年12月)所収です。 https://t.co/RlEUc031Uz
拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 」(日本研究所主催講演会 要旨)は以下でダウンロード可能です

4 1 0 0 OA 復古記

自分の労働賃金で購入するには迷いがあるが貰った金だというならここにいささかの躊躇いも無い、くれるというなら貰おうか!っつう微妙なポジションの本筆頭は復古記外記です、なぜなら今なら無料で読めるから。(ここまで前振り)皆復古記を読もう… https://t.co/paUfdVy4No
松尾晋一「アヘン戦争情報と幕府対外政策」(『東アジア評論』11、2019年)によれば、老中・水野忠邦は長崎から入ってきたアヘン戦争情報のみに依拠して条件反射的に対応を行い、対馬などを経由して届いた情報が活用されなかった。また、幕閣… https://t.co/ga4aW5rb8t
『幕長戦争までの伊予諸藩の動向 :松山藩を中心として』田口由香 https://t.co/bGRIJT8aNL
1849年3月17日、オランダ国王ウィレム2世が死去。1844年、開国勧告の親書を幕府に送った。ただし、松方冬子「オランダ国王ウィレム二世の親書再考」(『史学雑誌』114-9、2005年)によれば、オランダの本音は「他国の介入を排… https://t.co/H871FJru2t

3 3 0 0 OA 浮沈日記

大久保利通関連文書、面白いですね。第二奇兵隊立石孫一郎が殺されたときに所持していたらしい「浮沈日記」が読めます。新館精一郎と会ったことは他の史料から分かりますが、楢林昌建とも面会していたり、色々と興味深い。 https://t.co/B1gS9SOL5h

3 3 0 0 OA 皇室之藩屏

まあ少なくとも江戸時代的な感覚だったら、エラい人の邸宅と菩提寺が個人情報なわけがないよな。 https://t.co/AqA0nSNkt5

9 5 0 0 OA 谷干城遺稿

@history_916 干城本人が記していますが、ちょっと微妙な表現ですね。鍛冶橋土佐藩邸へ出向いて、お吸い物とお酒を貰ったのは干城ですが家老の「巳屋」へ出向いて暴行したのは「同様頂戴の徒数人」で干城本人は関わっていないのでは。… https://t.co/UmfyphiqWp
明治12年3月11日、司馬凌海が死去。佐渡出身の医師で、幕末期に松本良順の助手を務めた。ドイツ語辞典の『和洋独逸辞典』を編纂。池田哲郎「本邦におけるドイツ学の創始について」(『福島大学学芸学部論集』14-2、1963年)曰く、「幕… https://t.co/1LQpAzLLv0
明治20年3月7日、黒田長溥が死去。薩摩藩主・島津重豪の子で、幕末の筑前福岡藩主。蘭癖と呼ばれた大名の1人。慶応元年に加藤司書や月形洗蔵らを弾圧した「乙丑の獄」について、西尾陽太郎「黒田長溥と筑前勤王派」(『史淵』98、1967年… https://t.co/UwCbbA4x00
天保7年1月18日(1836年3月5日)、石川忠房が死去。文政期の幕臣の中で、中川忠英・遠山景晋と共に三傑と呼ばれる。ロシア使節ラクスマンの応接を担当し、大黒屋光太夫を引き取った。多仁照廣「石川忠房と江戸幕府教化政策」(『敦賀論叢… https://t.co/yJILDeBAxK
大倉喜八郎の肉声。彰義隊に関わった人の声と考えると貴重だ… https://t.co/YXon9KDgdB
現在においてコシャマインの戦いの通説と思われている、だいたいのことは1878年(明治11年)の『松前家記』に依るところがあると言われています。 ▼詳しくはこちらをドゾー つくばリポジトリ | <原著論文>コシャマインの戦いに… https://t.co/ADQ1sDbyZk
昭和9年3月1日、長沢鼎が死去。幕末の薩摩藩が英国に派遣した留学生(サツマ・スチューデント)の1人で、さらに渡米してブドウ王になった。森孝晴「長沢鼎のワイナリーの発展と帰国と家族の誕生」(『国際文化学部論集』19-1、鹿児島国際大… https://t.co/fCbKXQTzP0

43 1 1 0 OA 法令全書

すみませんリンクにエラーがありました 『法令全書』第3冊慶応3年 日本國米利堅合衆國修好通商條約 https://t.co/5iwa755FFN

2 0 0 0 OA 籏本姓名高寄

まあ、それだけ選択肢が減った、ということでもありますけどね。寛政期頃のものと思われる『旧幕府旗本人名録』(弥惣左衛門信孝が現れます)で二十八家、この『籏本姓名高寄』で二十三家なので未記載が五家と言うことになりますので。URLはこち… https://t.co/KAaMCbSaYT
明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去(暗殺)。慶応期に木戸孝允と共に長州藩政府の中核を担い、慶応3年には京都で討幕の密勅を受け取った。明治政府で参議などを務めた。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研… https://t.co/WHkvJlPNG9
明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。討幕の密勅の受領に関わった。末木孝典「明治二十五年・選挙干渉事件と立憲政治」(『近代日本研究』32)曰く、第1次松方正義内閣の内相時代の選挙干渉で、「選挙に成果を出す責任と治安を維持する責任… https://t.co/q1KyRgNHja
平成24年2月26日、歴史家の芳賀登が死去。著書に『幕末志士の生活』(雄山閣)、『幕末国学の研究』(教育出版センター)、『偽官軍と明治維新政権』(同)などがある。下記は、芳賀による高木俊輔『明治維新草莽運動史』(勁草書房)の書評(… https://t.co/561B9zCWAx
明治4年1月7日(1871年2月25日)、北浦定政が死去。古尾谷知浩「北浦定政「平城宮大内裏鋪地図解」」(『名古屋大学人文学研究論集』1、2018年)によれば、幕末の国学者で、フィールドワーク及び文献史料の調査によって平城京など、… https://t.co/mb2Qq183fB
@77marchen77 @X7Rh16Jtu0ZxdvB @machi82175302 ちなみにではございますが、町田先生は一本、越前藩関係で論文を書かれておられます。https://t.co/Fxr78AeRE4 私事で大変恐… https://t.co/iWviWd8oOC
警視庁史編纂資料. 警察官及消防官ノ服制徽章 他 https://t.co/mWoiDRoFyv は?なんか最高なの見つけた(もっと早く見つけたかった…)
@muta_torara そうなんです… そこまでは突き止めて佐賀県立図書館で「文明協会講演集」を借りてきたのですが大正10年からのしかなく 国デジにも詳細なデータは1921年分からしかないんですよね 複写サービスを申込むか現地に… https://t.co/l1nr5NDd34
このような論文もあり、読んでみたい。 太田昭子「アンテナ 岩倉使節団と模擬裁判事件」(『ケース研究』 2019(1) 日本調停協会連合会 2019年) https://t.co/LPsQ55x3Mt
板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者… https://t.co/zxRRTvUDo7
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻… https://t.co/VvhIawCHh0
青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かりま… https://t.co/F4fEFjP6kH
三村昌司「近代日本における多数決の導入―明治初年地方民会を中心に―」『史潮』84、2018年。「全会一致」と、意見そのものが「至当であること」を重んじた近世政治文化の原則が、近代的議会における「多数決」にどのように取って代わるのか… https://t.co/mUmiyZpw5J

15 0 0 0 OA 維新史料綱要

@darbyz80 @letrainblue811 慶応三年二月二十一日の「幕府、征夷大将軍徳川慶喜の音称『よしひさ』を布告す」 https://t.co/tIkthFsCtB これ「布告す」であって「改む」ではないところが味噌で… https://t.co/7X322v6m6p

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RT @zasetsushirazu: 1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載さ…
RT @zasetsushirazu: 1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載さ…
1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)… https://t.co/DcpnvnfZ2b
RT @zasetsushirazu: 元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新』(清文…
元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新… https://t.co/iaT633NSVN
RT @zasetsushirazu: 1865年4月2日、リチャード・コブデンが死去。英国の政治家で、熊谷次郎「『書簡集』にみるコブデンの急進的自由主義(上)」(『桃山学院大学経済経営論集』60-4、2019年)曰く、薩英戦争で鹿児島の市街を砲撃した点について「恐ろしい残虐行…
1865年4月2日、リチャード・コブデンが死去。英国の政治家で、熊谷次郎「『書簡集』にみるコブデンの急進的自由主義(上)」(『桃山学院大学経済経営論集』60-4、2019年)曰く、薩英戦争で鹿児島の市街を砲撃した点について「恐ろし… https://t.co/4LveS1xXmv
RT @zasetsushirazu: 明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題…
RT @zasetsushirazu: 明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題…
明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮… https://t.co/fnmA0i7QYB
高木不二「黎明期の日本人米国留学生」(『近代日本研究』34、2017年)は、幕末維新期に米国留学した横井左平太と津田静一を紹介した講演録。前者は横井小楠の養子で、勝海舟と何礼之に師事。後者は「アジア・ヨーロッパ・アメリカによる世界… https://t.co/ZrplNHQ0UG
天保2年2月18日(1831年3月31日)、オーストラリアの捕鯨船レディロウエナ号が蝦夷地に来航。2週間ほど滞在し、松前藩士と若干の銃撃戦もあった。村上雄一「オーストラリアの捕鯨船と日本」(『行政社会論集』11-4)曰く、船長ボー… https://t.co/ila2hukAAj

17 11 11 0 OA 東京帝国大学

国立国会図書館デジタルコレクションをみていれば無限に時間が溶けていくのよ。 例えば、小川写真製版所が1900年ころ撮影した東京帝国大学の写真集とかどうだい? https://t.co/eZtSdSNCA7 https://t.co/1NkuPXNZZO