著者
山形 伸二 菅原 ますみ 酒井 厚 眞榮城 和美 松浦 素子 木島 伸彦 菅原 健介 詫摩 武俊 天羽 幸子
出版者
日本パーソナリティ心理学会
雑誌
パーソナリティ研究 (ISSN:13488406)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.103-119, 2006-08-30
被引用文献数
6

本研究は,人間行動遺伝学と双生児研究の方法,とりわけ多変量遺伝分析について紹介し,その適用例として4-6歳児の気質と問題行動の関連性を検討した。双生児の母親142名に対し質問紙調査を行い,子どものエフォートフル・コントロール(EC)および外在化問題,内在化問題についての評定を得た。表現型の相関を検討した結果,外在化問題と内在化問題は中程度の正の相関を示し(r=.55),またECは外在化(r=-.42),内在化(r=-.18)のいずれの問題行動とも負の相関を示した。多変量遺伝分析の結果,ECを低めるような遺伝的影響は同時に両方の問題行動のリスクを高めるような働きをすることがわかり,ECの低さが両問題行動の共通の遺伝的素因である可能性が示唆された。また,外在化問題と内在化問題の相関関係には遺伝(22.8%),共有環境(53.4%),非共有環境(23.8%)のいずれもが寄与していた。問題行動間の相関関係への遺伝要因の寄与は相対的に小さかったが,これはECに関わる遺伝要因が両問題行動を正に相関させるように働くのに対し,ECとは関連しない遺伝要因が両問題行動を負に相関させるように働くため,互いに相殺しあった結果である可能性が示唆された。
著者
酒井 郷平 塩田 真吾 江口 清貴
出版者
日本教育工学会
雑誌
日本教育工学会論文誌 (ISSN:13498290)
巻号頁・発行日
vol.39, no.Suppl, pp.89-92, 2016-01-25 (Released:2016-02-12)
参考文献数
4

従来の情報モラル教育では,主にトラブル事例の紹介とルールづくりの啓発を扱う場合が多く,子どもたちに「当事者としての問題の自覚」を促すことが課題となっている.例えば,「ネット上で悪口を書かない」という指導では,何がネット上での悪口なのかを子どもたちが,具体的に想像することができず,自分は加害者ではないと考えてしまう可能性がある.そこで,本研究では中学生を対象とし,ネットワークにおけるコミュニケーションについてトラブルにつながる可能性のある行動の自覚を促すことを目的とした情報モラル授業の開発・実践を行った.実践後,質問紙調査や感想の分析を行ったところ授業を通して,トラブルにつながる行動を自覚できたことが明らかとなった.
著者
藤原 治 増田 富士雄 酒井 哲弥 入月 俊明 布施 圭介
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.41-58, 1999-02-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
49
被引用文献数
12 19

内湾(溺れ谷)の泥底に砂や礫を再堆積させるイベントが,完新世の三浦半島と房総半島南部で繰り返し発生したことが,沖積低地で行ったボーリング調査によって明らかになった.これらの再堆積層は,上方へ細粒化する淘汰の悪い泥質砂層や砂質礫層からなり,他生の貝化石や粘土礫を多く含み,生痕が発達し,自生の貝化石を含む泥層を削り込んで覆う.これらの再堆積層は,3ヵ所の沖積低地で掘削した6本のボーリング・コアで認められ,加速器質量分析計(AMS)による79個の14C年代測定値に基づいて,近似した年代をもつ7つの層(下位からT1~T7)にまとめられる.T3~T7は,水深10~20mの内湾中央部に堆積したものであるが,岩礁などに棲む貝化石を泥底の群集と混合して含む.また,貝化石は下位層と14C年代値が逆転するものがある.T1,T2は上述した異常堆積物と類似した堆積構造や化石を含み,特に貝形虫化石群集は外洋水が内湾奥の汽水域へ流入したことを示唆している.T1~T7の堆積構造,化石の種構成,14C年代値は,海底および海岸の侵食と削剥された堆積物の湾央への運搬が強い流れに起因することを示している.さらに,T3~T7は,相模トラフ周辺で発生した巨大地震に伴う海岸段丘の離水時期と年代が近似する.以上のことから,T1~T7は海底地震に伴う津波で形成されたことが強く示唆される.これらの津波は,過去約10,000年の間に,400年から2,000年の間隔で発生した.
著者
藤原 治 増田 富士雄 酒井 哲弥 布施 圭介 齊藤 晃
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.73-86, 1997-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
37
被引用文献数
5 13

相模湾周辺では,完新世を通じて巨大地震が繰り返し発生したことが,完新世の海成段丘や歴史地震の研究から知られている.しかし,完新世の地震を示す津波堆積物などの地質学的な証拠は,ほとんど知られていない.完新世の3回の地震隆起に対応する津波堆積物を,房総半島南部の館山市周辺に分布する内湾堆積物から初めて見いだした.これらの津波堆積物は,館山市周辺で広域に追跡できる.津波堆積物は,基底が侵食面を示し上方へ細粒化する砂層や砂礫層からなり,貝化石片や木片を多量に含む.貝化石は,内湾泥底と沿岸の砂底や礫底に住む種が混合しており,海底の侵食と再堆積が生じたことを示す.また,陸側と海側への両方の古流向が堆積構造から推定される.3枚の津波堆積物は,それぞれ約6,300~6,000yrs BP,4,800~4,700yrs BP,4,500~4,400yrs BPに堆積したことが貝化石の14C年代値から明らかになった.最下位の津波堆積物は,沼I段丘,野比I段丘の離水と年代が一致する.また,中位と上位の津波堆積物は,それぞれ野比II段丘,沼II段丘の離水と年代が一致する.調査地域では,上述の津波堆積物と類似した堆積相を示す砂層や砂礫層が,約7,400~3,600yrs BPの間に100~200年に1枚の割で堆積している.これらの砂層や砂礫層の一部は,沼段丘上に分布する離水波食棚群(茅根・吉川,1986)に対応する津波堆積物の可能性がある.

2 0 0 0 OA 熊谷百物語

著者
酒井惣七 (天外) 著
出版者
埼玉新報社
巻号頁・発行日
vol.前編, 1912
著者
酒井 千絵
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

2017年度は大学における国際化・グローバル化に向けた取り組みを観察し、資料を収集した。特に、英語を用いる授業の実施や研究者の国際的な研究体制を支援する具体的な取り組みについて、聞き取りを行うとともに、実際にその取り組みに参加し、参与観察を行った。また、主に中国からの大学及び大学院への留学生に対して聞き取り調査を行い、日本への留学を決断した経緯や留学生活に対する評価、卒業後のキャリア展望について情報を収集した。調査を通じて、国際化・グローバル化に向けた政府の教育行政の取り組みがもつ問題点が明確化されてきている。たとえば、英語を共通語とするグローバルな研究体制の中で日本の高等教育が持つプレゼンスや地位を上げていくことをめざす一方で、日本人学生を主体とする大学学部教育では、その取り組みに呼応していく学生が一部にとどまっていること、英語圏からの留学生も一定数含まれる短期留学・交換留学と、東アジアの非英語圏からの留学生とが混在していること、などの矛盾を含むものであることが分った。2017年度はまた、オーストラリア・パースで行われた「アジアにおける女性」の学会に参加し、日本から中国へ移住する女性の経験に関する研究発表を行い、合わせて、アジア研究者の国際交流のあり方について、研究者から話を聞いた。大学や研究機関の国際化・グローバル化においては、アメリカやヨーロッパが目指すべきモデルとしてイメージされることが多いが、日本との人的交流の規模を考えると、中国をはじめとするアジア諸国の役割は大きい。日本に留学して学ぶ中国からの学生に加え、中国で学ぶ日本人や研究・教育活動に当たる日本人研究者への聞き取りは、英語を軸に成り立つ研究ネットワークと併存する、アジア圏での研究交流のあり方を示唆するものとして分析が可能である。
著者
望月 貴裕 藤井 真人 篠田 浩一 酒井 善則
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会論文誌. D, 情報・システム (ISSN:18804535)
巻号頁・発行日
vol.93, no.6, pp.1009-1023, 2010-06-01
被引用文献数
2

スポーツ映像から特定シーンを効率良く検索する技術の実現が強く望まれている.我々は,シンボル列化したシーンの離散HMMを用いた学習による,野球映像の各シーンのプレイ種識別手法を提案した.しかし,出塁及びアウトカウント増加の起こる7種の「打席完了」プレイ種のみを識別対象としていたため,打席の完了しないプレイ種(投球のみ,ファウル,牽制及び盗塁)を識別対象に加えた場合,十分な識別精度が得られなかった.そこで本論文では,我々の従来手法に対し,新しく2種の「プレイ種相関度」を識別尺度として加えた野球映像のプレイ種識別手法を提案する.プレイ種相関度の一つは,シンボル列を構成するシンボルの中の「代表シンボル」の出現頻度に関するものであり,シンボル列全体ではなく個々のシンボルに注視した特定プレイ種との相関の強さを表す.もう一つは,投球ショット間隔に関するものであり,投球ショット間隔の長さのプレイ種との相関の強さを表す.学習用シーンのシンボル列を学習したHMMによるプレイ種ごとの出力ゆう度と,2種のプレイ種相関度を重み指数を付加して掛け合わせて各プレイ種の総合的なゆう度を算出し,識別を行う.そして本論文では,MLB放送映像を用いた実験により,打席完了プレイ種だけでなく,打席の完了しないプレイ種を含めた11のプレイ種を従来手法よりも高い精度で識別可能であることを示す.
著者
酒井 哲哉
出版者
一般財団法人 日本国際政治学会
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.1998, no.117, pp.121-139,L12, 1998

This essay intends to analyse the formative process of discourses on international politics in post-war Japan, and by doing so shed light on the hitherto neglected aspects of Japanese political thought. Most of previous studies have understood discourses on international politics in post-war Japan as a simple dichotomy, realism/idealism, and paid little attention to the intellectual contexts in which these discourses had their own roots; While &ldquo;idealists&rdquo; have searched for their identity in that Japan was reborn as a &ldquo;peace-loving&rdquo; nation after the end of the Pacific War, &ldquo;realists&rdquo; have acused the &ldquo;idealists&rdquo; of being naive. Both of them, however, seem to have overlooked or possibly masked from what kind of historical background discourses on international politics in post-war Japan had emerged and to what extent post-war discourses had been influenced by pre-war ones. Therefore, this essay will uncover the complicated relationship of political thought between post-war and pre-war Japan.<br>Chapter I &ldquo;Morality, Power and Peace&rdquo; treats how relationship between morality and power in international politics was argued during the early post-war era. Dogi-Kokka-Ron (Nation Based on Morality), the dominant discourse on peace immediately after Japan's surrender, insisted that Japan search for morality rather than power and by doing so exceed the principle of sovereignty, characterestic of modern states. In spite of its appearance, however, Dogi-Kokka-Ron contained echoes of philosophical argument of the Kyoto School which had advocated morality of Japan's wartime foreign policies vis-&agrave;-vis Western imperialism. Thus Maruyama Masao and other leading intellectuals, who belonged to the school known as Shimin-Shakai-Ha (Civil Society School), tried to differentiate their arguments from Dogi-Kokka-Ron and create another discourse on morality, power and peace. Since the Kyoto School had criticised harshly the modernity and nationalism during the Pacific War, Shimin-Shakai-Ha's undertakings resulted in reestimation of the modern nation-state. This chapter further elucidates Shimin-Shakai-Ha's ambivalent attitudes toward power and norm in international politics with special reference to its understandings of the concept of the equality of states.<br>Chapter II &ldquo;Regionalism and Nationalism&rdquo; focuses on Royama Masamichi's argument on regionalism. Regionalism was a difficult topic to handle during the early post-war era because it could bring to mind the idea of the Great East-Asia Co-Prosperity Sphere during the Pacific War. Royama, founder of the study on International Politics in Japan, was one of the rare figures who continued to advocate the significance of regionalism. This chapter surveys Royama's argument on regionalism from the mid-1920's to the mid-1950's and investigates how his concern about development and nationalism of Asian countries appeared within the framework of regionalism. Royama's argument is also suggestive for better understanding of the context in which the &ldquo;Rostow-Reischauer line&rdquo; surfaced in the early 1960's.<br>Chapter III &ldquo;Collective Security and Neutralism&rdquo; elucidates several aspects of this issue which have not been hitherto fully investigated. Whether positively or negatively, neutralism in post-war Japan has been understood as a typically &ldquo;idealistic&rdquo; attitude toward international politics. However, the context in which the concept of neutrality was understood and argued in the early post-war Japan was more complicated. Discourses on neutralism at that time had still echoes of the controversies over collective security during the inter-war years. The Yokota-Taoka Controversy which took place in the late-1940's witnessed the continuity of pre-war and post-war arguments on this issue. This chapter, therefore, focuses on the Yokota-Taoka Controversy and analyses its impact on the following arguments of
著者
松澤 芳昭 保井 元 杉浦 学 酒井 三四郎
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.57-71, 2014-01-15

近年,SqueakやScratchをはじめとするビジュアルプログラミング言語による入門教育の実践が広く行われている.しかしながら,既存の環境はCやJavaなどのテキスト型言語への移行が考慮されていないため,学習の発展性に課題がある.本研究では,OpenBlocksフレームワークを利用して,ブロック型ビジュアル言語とテキスト型言語(Java)の相互変換ができるプログラミング教育環境「BlockEditor」を開発した.文科系大学生向けプログラミング入門授業の学生約100名に対して実証実験を行った.15週の授業で課した36題の課題解答過程において,学習者に2つの言語を任意に選択できる環境を与え,言語選択率を測定した.その結果,プログラミング学習の進行に沿ってブロック言語からJavaへ緩やかに移行していくこと,およびそのタイミングには個人差があることが定量的に示された.プログラミングに苦手意識を持つ学生ほどブロック型言語の選択率が高く,言語の相互変換環境が言語の交ぜ書きを促進し,Javaプログラム構築能力習得の足場かけとなることが示された.In the past decade, improvements to the environment of introductory programming education by visual programming language have been made by Squeak, Scratch, etc. However, there is still a problem for migration to text-based programming languages such as C and Java. Hence, using the OpenBlocks framework proposed by MIT, we developed a system named BlockEditor, which has functions to translate block language and Java both ways. We conducted an empirical study of this system in an introductory programming course for approximately one hundred university students. When students were given opportunities to select the language to solve their programming assignments, we traced their selection by tracking working time with BlockEditor or Java for each individual student. As a result, we succeeded in illustrating the nature of the seamless migration from block language to Java, and found there is great diversity for timing and speed of the migration by each individual. Additionally, we found the selection rate of the block language by students with low self-evaluation for their skills was significantly higher than students with high self-evaluation. The BlockEditor could scaffold them by promoting mixed writing with block language and Java in their migration phase.
著者
酒井 宣昭
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.19-29, 2004
被引用文献数
1

地場産業の産地存続に必要な機能としては技術伝承, 原料および市場の確保があげられる。本研究では宮城県の鳴子, 遠刈田, 弥治郎こけし産地を例に, 近年の技術伝承形態, 原木の入手形態, 流通販売形態について検討し, その特徴を明らかにした。<br>技術伝承についてみると,「家」での技術伝承形態のみが一部の事業所において存続している。多くの事業所では経営難が続き, 子に他の職業を薦める傾向にある。原料の入手についてみると, 伝統的に使用してきた原木を現在も継続的に入手しているため, 特に原木の量の制限などに関する問題はみられない。しかし, 一部の事業所では経営難という状況から原木の購入資金が不足し, 入手量を制限せざるを得ない状況にある。製品は各事業所が伝統こけし, 創作こけし, 木地玩具を生産している。なかでも需要の多い伝統こけしの生産が中心である。流通販売形態についてみると, こけし産地には産地問屋があるものの, 産地問屋の取引先の需要減少に伴い, こけし産地の事業所との取引回数や量は少なくなっている。また, 小売店などへ卸す経路も縮小している。そのため, 各事業所での販路を開拓する必要があるが, 独自の経営戦略を持って安定した販路を確保している事業所は少ない。