著者
中川 忠彦
出版者
徳島大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

眼から入る光刺激は内因性光感受性網膜神経細胞を介し脳内ホルモンやコルチコステロイドの分泌を促進する。このため日常生活における照明光は脂質代謝に影響を及ぼし、脂質代謝異常症の発症や増悪に関与する可能性が考えられる。本研究では、普及の進む新たな照明源であるLED光によって生じる脳内ホルモンならびに脂質分解・合成酵素の変化についてマウスを用いて評価した結果、脂質代謝に影響を及ぼす可能性が示唆された。
著者
川添 和義
出版者
徳島大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1998

1.各産地におけるArtemisia annua及びArtemisia apiaceaに含まれるアルテミシニンの含有率について,さらに評価を続けた.昨年開発を行った固層抽出法とGC-MSを組み合わせた分析法により,台湾産(高雄市場品)について分析を行った結果,黒竜江省で採集したA.annuaに匹敵する含量を認めた.今年度はさらにHPLCによる分析を行い,著者が開発したアルテミシニンの分析法を評価した.すなわち,昨年分析を行った大阪市場品,北京市場品,陜西省市場品,黒竜江省採集品,雲南省採集品の各石油エーテルエキスを作製し,それらをHPLCで分析したところ,GC-MSを用いた結果とほぼ一致することがわかった.さらに感度はGC-MSの方が数万倍上回ることから本方法の有用性が明らかにされた.2.ヨモギ属植物の評価をさらに国内産のヨモギについても行った.今年度はヨモギ,ワタヨモギ,リュウキュウヨモギなど国内に自生するヨモギ属植物13種について栽培し、その生物活性成分を検討した.その結果,日本において絶滅危惧とされているワタヨモギのアルコール抽出エキスに強い抗MRSA活性のあることが判明した.そこで,本エキスについて種々のカラムクロマトグラフィーを用いて分離精製を行い活性成分を単離した.本化合物については現在その構造を解析中である.抗MRSA活性を有するヨモギ属植物はワタヨモギ以外にも確認されており,今後さらに検討を続ける予定である.
著者
松田 聡
出版者
徳島大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1995

[目的]アナンダミドは、カンナビノイド受容体の内因性リガンドとしてブタ脳より単離され、構造はアラキドン酸のエタノールアミドである。最近、アナンダミドの薬理作用が注目されているが、眼に及ぼす影響については、ほとんど解明されていない。今回われわれは、アナンダミドの眼、特に眼圧に及ぼす影響について検討した。[方法]体重2.0-2.5kgの雄白色家兎を使用し、日照時間などの環境因子による眼圧の変化を考慮し、照明時間や温度の管理された環境下で飼育した。対照実験としてバルミチン酸エタノールアミド(アナンダミドのアラキドン酸部分を飽和脂肪酸に置き換えたもの)を使用した。投与方法は、50mlのミネラルオイルに溶かした各種薬剤を片眼に点眼し、他眼には対照液を点眼した。その後ウサギを覚醒状態で点眼麻酔し、眼圧を経時的に測定した。角膜、虹彩、結膜の症状についても経時的に細隙灯下に観察した。[結果]150mgから1mgのアナンダミドの点眼により点眼1時間後から対照眼に比べ、眼圧が有意に下降し2時間後には最低値に達した。その効果は点眼7時間後まで持続した。バルミチン酸エタノールアミドには眼圧下降作用は認められなかった。細隙灯検査ではアナンダミドの点眼で充血をきたし、その程度は眼圧の変化と同様に2時間後で顕著であった。[結論]アナンダミドは用量依存性に眼圧下降作用があり、新しい緑内障治療薬としての可能性が示唆された。
著者
六反 一仁
出版者
徳島大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2015-04-01

脳腸軸は、脳と腸の機能の維持に重要な役割を果たしている。研究代表者は、腸に定着するユニークな乳酸菌CP2305が脳腸相関を介して医学生の慢性ストレス反応を緩和することを見出した。本研究は、CP2305の生体内シグナルの解明を目指した。CP2305の菌体成分自身の作用を調べるため、殺菌洗浄したCP2305のストレス緩和作用を人体解剖実習ストレスと医師国家試験ストレスモデルで調べた。殺菌洗浄したCP2305も生菌と同じく、ストレスによる身体・精神症状を緩和して睡眠障害を改善することを見出した。これらの結果から、CP2305の菌体成分が腸上皮細胞の受容体を介して作用する可能性が示唆された。
著者
濱田 治良 パラメイ ガリーナ V. エーレンシュタイン ヴァルター H.
出版者
徳島大学
雑誌
徳島大学総合科学部人間科学研究 (ISSN:09199810)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.1-13, 2000-12-12

Apparent size of circles in the Delboeuf configuration wasjudged under variation of their diameters and compared to that ofcircle singletons of equivalent diameter. The primary purpose of thestudy was to investigate the effect of judgment order on the perceivedsize, i.e. starting with either inner or outer circle. In addition, wecompared the measured strength of the illusion as obtained by twodifferent methods - category rating and magnitude estimation. We foundthat the circle judged first had an assimilative effect on the apparentsize of the subsequently judged circle, with the amount of the effectbeing contingent on diameter ratio and diameter difference of theconstituent circles. Moreover, assimilation of the inner circle wasmore pronounced than that of the outer circle. The judgment-ordereffect may be accounted for by attentional mechanisms: if the outercircle is judged first, spatial span of attention is large, so that theinner circle falls in the span. Conversely, if the inner circle isjudged initially, spatial span of attention is too small to take up theouter circle. The amount of illusion was greater when judged usingmagnitude estimation than category rating, conceivably due to a coarserinternal mapping at the latter procedure.
著者
村上 敬一
出版者
徳島大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2016-04-01

本研究はいわゆる「コホート系列法」によって四国や九州の若年層方言の動態を解明し,日本人の言語形成期最終盤から終了直後における,言語変化モデルの構築を目的とするものである。進学や就職などによって言語をとりまく環境が大きく変動する,この世代特有の活発な言語変化のプロセスとメカニズムを「コホート系列法」を用いた言語調査によって継続的に追究し,データによって実証された言語変化のモデル化を目指す。2017年度は,前年度に引き続き徳島県西部の吉野川市立山川中学校,美馬市立岩倉中学校,三好市立井川中学校,および徳島県立脇町高校,同池田高校の生徒を対象として,アンケートと面接,談話収録による言語調査を実施した。また、徳島県西部と類似の言語環境にあると思われる、熊本県天草下島の県立天草高校でも同様の調査を実施し,簡便な報告書を作成することができた。調査結果については、村上の担当する「日本言語演習」や、卒業論文のデータとして活用したほか,5月の「日本方言研究会(ブース発表)」,11月の「第1回実践方言研究会」,台湾(2017年5月)と韓国(2018年3月)の国際学会で研究発表することができた。「コホート系列法」調査によって,中学から高校,高校から大学といった進学などに伴う活発な言語変化が観察される,若年層の言語動態が明らかにできることが少しずつ実証できている。語彙や文法における方言使用,標準語使用および使い分けの実態や,言語生活の実態を明らかにすることで,若年層における言語変化の普遍的なモデルの構築を引き続き目指していきたい。
著者
田中 俊夫 長谷川 典子 小原 繁 佐竹 昌之
出版者
徳島大学
雑誌
徳島大学大学開放実践センター紀要 (ISSN:09158685)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.55-88, 2007-08

2005年12月11日に開催された第34回JALホノルルマラソンに参加したランナーに対してアンケート調査を実施した。調査対象者はホノルルマラソンに向けたトレーニングプログラムの参加者であり,207名から回答を得た。男女比は1:1で,平均年齢は46歳,半数がジョギング未経験者で7割がフルマラソン未経験であった。ジョギングの練習は平均で,週3回,約1時間行っていた。10月・11月の月間走行距離は150kmで,1回の練習における最長距離は26kmであった。ホノルルマラソンの最大の目標は「目標タイムで走る」が46%で最も多かった。ゴールタイムの平均は5時間29分で,半数が「思ったよりも走れなかった」と回答した。後半かなり遅くなった人,歩いた人,エネルギー切れを感じた人がそれぞれ約半数いた。太もも前側,太もも裏側,ふくらはぎ,足の裏,膝がレース中に痛みを感じた部位のトップ5であり,20kmを越えてから痛みを感じる割合が急増していた。レースの翌日に発熱や頭痛,下痢などの症状があった人はわずかであった。3分の2が太ももの前側に筋肉痛を感じていて,半数がふくらはぎに筋肉痛があった。また3分の1が膝の痛みを感じていた。長距離練習を実施したか否かがレース中の身体の痛みの出現の大きな要因となっていると考えられる。21.5km未満の練習しか行っていない群では,30km以上の練習を行った群に比べて,20kmを越えると太ももや膝,ふくらはぎ,足の裏などに痛みを感じる人が多かった。レース前日の睡眠時間の多少はレースのパフォーマンスに影響を与えないことが示された。
著者
杉山 茂 外輪 健一郎
出版者
徳島大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2009

プロパンからプロピレンへの接触酸化脱水素反応において、プロピレンの完全酸化によるCOやCO_2の生成を抑えるため、マイクロリアクタを用いた。カルシウム水酸アパタイトを触媒とし、反応温度に対し非定常操作を用いると、3. 2%のプロパン変化率の時、73%のプロピレン選択率が得られ、通常の常圧固定賞流通式反応器におけるプロパン変化率3. 1%におけるプロピレン選択率0%を著しく改善できた。
著者
村上 尚 宮本 忠幸 石村 和敬 桑島 正道 田中 敏博 年森 清隆
出版者
徳島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1998

Juvenile Visceral Steatosis(JVS)mouseにはカルニチン輸送担体の活性がない(BBRC223:283,1996)。即ち、ヒトのprimary carnitine deficiencyのanimal modelである。このマウスのオスでは妊よう性の低下があるので、その原因を検索した。研究実績の概要は以下のとおりである。1.原因遺伝子の同定JVSマウスは常染色体劣性の遺伝形式をもつ、単一遺伝子疾患である。原因遺伝子は、第11番染色体上に局在することを、1996年に報告していた。1998年にhuman OCTN2(Na^+dependent carnitine transporter)が報告されたので、mouseOCTN2をclonigし、その第6trnsmembrane domainにあるcodon352のCTG(Leu)が、JVSマウスではCGC(Arg)に変異していることを見い出した。2.精巣の分析JVSマウスのオスは生殖能が極めて悪く、その原因を知る目的で組織学的分析を行った。その結果、精巣上体の体部と尾部の間で、閉塞(6例中5例が完全、1例が不完全)し、完全閉塞の場合、尾部には精子が見られなかった。精巣上体は精子を通過させながら、成熟させていく極めて大切なorganであり、JVSマウスがヒトの閉塞性無精子症のanimal modelになりうる可能性を示した。3..カルニチン輸送に対する阻害剤の発見3-〈2,2,2-trimethylhydrazinium)propionateがカルニチン輸送に対する阻害剤であることを見い出した。将来本研究を推進させるのに有力な武器になりうると考えられた。
著者
寺尾 純二 板東 紀子 室田 佳恵子
出版者
徳島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

フィチン酸(Phytic acid:inositol hexaphosphaste:IP6)は.穀類豆類に広く分布し日常摂取する一般的な食品成分であるが.その強力な金属イオンキレート力には潜在的な生理機能性が存在するはずである。本研究は消化管の酸化ストレス抑制に対するフィチン酸の有効性を明らかにすることを目指すものであるがフィチン酸(IP6)とその部分加水分解物(IP5〜IP2)の(1)キレート能(2)リポソーム膜の鉄イオン依存性脂質過酸化反応に対する抗酸化活性,(3)ラット大腸粘膜の鉄イオン性脂質過酸化反応に対する抗酸化活性(in vitro系)の評価を行った。その結果(1)リン酸数に従い,IP2<IP3<IP4<IP5<IP6の順にキレート能が強まった。(2)リン酸数に従い,IP2<IP3<IP4<IP5<IP6の順に抗酸化活性が強まったがIP3以上ではIP6に匹敵する抗酸化活性がみとめられた。(3)IP3はIP6と同程度の粘膜酸化抑制作用を発揮することが明らかであった。さらにラット大腸粘膜の鉄イオン性脂質過酸化反応に対する抗酸化活性をex vivo系で評価することを試みた。フィチン酸投与群と無投与群(対照群)から18時間後に大腸粘膜を採取し鉄イオン誘導脂質過酸化反応を行ったところ,TBARS量,ヘキサナール量.4-ヒドロキシノネナール量においてフィチン酸群が無投与群よりも低値を示した。以上のことは、日常摂取するフィチン酸は実際に消化管での酸化ストレス防御に働くことを示すものであり.食品成分として摂取したIP6が消化管内で腸内細菌由来のフィターゼによる加水分解を受ける過程においても、生じた加水分解物が十分に抗酸化作用を発揮できることを示唆するものである。
著者
二宮 祐
出版者
徳島大学
雑誌
大学教育研究ジャーナル (ISSN:18811256)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.21-30, 2015-03

本論文の目的は新規学卒者の採用試験において幅広く利用されている総合検査SPIを事例として,その開発の経緯を理論的根拠となった心理学の知識と照らし合わせて経時的に整理することである。そのことを通じて,1960年代から1990年代にかけてSPIが普及した4つの理由を検討する。第1に,企業等がいわゆる「自由応募」が可能になり始めたことを背景として数多くの応募者の中から適した人材を効率良く選抜しなければならなかったことである。第2に,行動科学の知識が企業経営に用いられる傾向があったことである。第3に,採用担当者がSPIの結果を使うことによって心理的に問題があるとみなされる人を選り分ける際,科学の結果であるという正当化が可能であったことである。最後に,面接試験にSPIの結果を活用できたことである。つまり,面接者は応募者のSPIの結果によって質問内容を調整することが可能であった。The purpose of this article was to summarize the development process of the Synthetic Personality Inventory (SPI) in the point of view of a knowledge of psychology. The SPI came into widespread use in recruitment examinations for university students and vocational college students from the 1960s through the 1990s. There are four reasons.Firstly, employers had to select qualified people from a large pool of applicants effectively. Applicant numbers were increasing rapidly since university student and vocational college student populations surged at the time. In addition, students became able to apply freely any kind of job offer. Secondly, behavioral sciences tended to be applied to business administration and management. Most business managers trusted the SPI, as it was founded on applied psychology. Thirdly, some hiring staff could eliminate mentally handicapped applicants by using the SPI results and justify it by claiming of scientific results. Finally, the SPI could be utilized in an individual interview examination. In other words, some interviewers could adjust the questions according to the SPI results of an applicant.
著者
依岡 隆児
出版者
徳島大学
雑誌
言語文化研究 (ISSN:13405632)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.127-167, 2001-02-20

Die deutsche Moderne, die in der Wendezeit des fruhen 20. Jahrhunderts entstanden ist, hat auf die japanischen modernen Theater-Bewegung einen groβen Einfluβ ausgeubt. Besonders das Kleine Tsukiji-Theater (Tsukijiishogekijo), das 1924 aufgemacht hat, hat viele deutsche expressionistische Stucke aktiv auf die Buhne gebracht. Die damaligen jungen Theater-Leute haben sich das deutsche Theater zum Vorbild genommen, um das eigene Theater in Japan zu begrunden. So wie sich der Lebensstil in Deutschland nach der Niederlage im ersten Weltkrieg enorm verandert hat und sich der Angst im Leben verstarkt hat, so kam die unsichere Zeit in Japan mit der Flaute nach der Hochkonjunktur nach dem ersten Weltkrieg und in dem Chaos wegen dem Groβen Erdbeben in Kanto. Die freie Atmosphare der sogenannten Taisho-Demokratie und die druckende des Militarismus vermengte sich. Deutschland und Japan hatten das gleiche Zeit-Gefuhl, das nach dem unmittelbaren Leben und der inneren Wahrheit subjektiv suchte. In dieser verschichtigen Zeit (der fruhen 20 er) sind Yoshi Hijikata und Tomoyoshi Murayama, die spater das Kleine Tsukiji-Theater begrundet haben, nach Deutschland gefahren, wo der Expressionimus statt des 'neuen Menschen' der 'neuen Gesellschaft' nachgejagt hat und wo die Neue-Sachlichkeit und die proletarische Bewegung mehr Interesse zu gewinnen begonnen haben. Das Kleine Tsukiji-Theater hat erst zwei Jahre lang meist ubersetzte Stucke aufgefuhrt und versucht sich ein Muster an Europa zu nehmen. Dabei haben sie viele Experimente in der Dramaturgie und der Struktur des Theaters oder der Buhne gemacht, Theaterstucke wiederholt, um ein neues Theater zu suchen. Murayama hat anfangs die Buhnenausstattung ubergenommnen und einen neuen Stil durch die Synthese aus dem Strukturalisumus und dem Expressionismus entwickelt. Hijikata, der viele deutsche epressionistische Stucke, besonders Georg Kaiser's, inszeniert hat und dem Piskator und Mejerhol'd einen groβen Eindruck gemacht haben, hat die politischen Bewegungen, z. B. die links-radikale oder proletalische, verstanden. Von den expressionistischen Stucken, die in dem Kleinen Tsukiji-Theater aufgefuhrt wurden, war das epochemachendste Stuck Georg Kaiser's 'Von morgens bis mitternachts' ('24). Der Regisseur Hijikata hat bewuβt expressionistisch inszeniert, und Murayama hat neuartig strukturalistische Buhnenausstattungen gemacht, Koreya Senda, der die Hauptrolle als Kassierer gespielt hat, hat die original expressionistische Darstellung geschafft. Aber dennoch gab es ein Problem bei der Rezeption des Expressionismus da, wo sie sehr oberflachlich bleibt und nur den technischen Bereich betont hat. Es scheint noch dazu, daβ man damals nur 'exzentrisch' und 'grotesk' expressionistisch nannte. Der Grund dafur ist die Verschiebung zwischen dem Schaffen und der Rezeption der Stucke. Der deutsche Expressionismus hatte seine Blutezeit, aber in Japan in der fruhen 20er wurden meistens 'milder' expressionistische Werke aufgefuhrt. Man kann sagen, die Tsukiji-Periode ist die Ubergangszeit von der 'Kokugeki' (=dem nationalen Theater) -und der Freie-Buhne-Bewegung zu der proletarischen. Aber auf die internationale Simultaneitat der 20er Moderne reagierend hat die 'Tsukiji-Generation' trotz vieler Verwirrung sehr fruh das europaische avantgardistische Theater aufgenommen. Es ist ein Gluck fur die spatere Entwicklung des japanischen gegenwartigen Theaters, mit dem internationalen Avantgardismus Bekanntschaft gemacht zu haben. Der Gegensatz in dem Kleinen Tsukiji-Theater zwischen Osanai und Hijikata war der zwischen asthetischem Avantgardismus und dem Sozialismus, der noch weiter mit dem internationalen Gegensatz in der avantgardistischen Kunst identisch war. Auβerdem hat die Tatsache, daβ Hijikata als avantgardistischer Regisseur wie als Theater-Betriebsfuhrer einen ungelosten Widerspruch in sich hatte, ein institutionelles Problem im gegenwartigen Theater vorgestellt. Man kann nicht sagen, daβ in Japan das im Volk eingewurzelte Theater entstanden ist, wie in Deutschland die 'Volks-Buhne'. Auf solch schwacher Basis fur das Theater muβte die proletarische theatraische Bewegung starten.
著者
平井 松午 鳴海 邦匡 藤田 裕嗣 礒永 和貴 渡邊 秀一 田中 耕市 出田 和久 山村 亜希 小田 匡保 土平 博 天野 太郎 上杉 和央 南出 眞助 川口 洋 堀 健彦 小野寺 淳 塚本 章宏 渡辺 理絵 阿部 俊夫 角屋 由美子 永井 博 渡部 浩二 野積 正吉 額田 雅裕 宮崎 良美 来見田 博基 大矢 幸雄 根津 寿夫 平井 義人 岡村 一幸 富田 紘次 安里 進 崎原 恭子 長谷川 奨悟
出版者
徳島大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-10-21

本研究では、城下町絵図や居住者である侍・町人の歴史資料をもとに、近世城下町のGIS図を作成し、城下町の土地利用や居住者の変化を分析した。研究対象としたのは米沢、水戸、新発田、徳島、松江、佐賀など日本の約10ヵ所の城下町である。その結果、侍屋敷や町屋地区の居住者を個別に確定し地図化することで、居住者の異動や土地利用の変化を把握することが可能となった。その点で、GISを用いた本研究は城下町研究に新たな研究手法を提示することができた。
著者
岸江 信介 中井 精一 佐藤 高司
出版者
徳島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

大都市圏言語が近隣の地域言語にどのような影響を及ぼしているかを探るため、東京、名古屋、大阪各周辺地域において様々な角度から言語調査を実施した。群馬各地で行った新方言調査では東京若年層とほぼ同じ傾向が独自に進んでおり、名古屋近郊の大垣市調査においても名古屋の影響が大きく、さらには富山など北陸地方へと広がりつつあることが判明した。大阪からの影響としては四国地方の中でも特に徳島への影響が大きいことが諸調査から明らかとなった。
著者
原水 民樹
出版者
徳島大学
雑誌
言語文化研究 (ISSN:13405632)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.A23-A60, 2005-12
著者
原水 民樹
出版者
徳島大学
雑誌
言語文化研究 (ISSN:13405632)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.A1-A49, 2003-02-20
著者
山内 暁彦
出版者
徳島大学
雑誌
言語文化研究 (ISSN:13405632)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.17-42, 2015-12

This essay examines the role of the raven Moses and the solicitor Mr Whymper inGeorge Orwell's Animal Farm, focusing particularly on the change of animal languagefrom mere bleating or grunting to the human language English. Moses is seen asrepresenting the religious situation on the farm, with attention paid to the historicaland mythological background of crows, rooks and ravens, birds that have beenconsidered to be gloomy and sinister since Aesop. There is mention of ravens'remarkable ability to mimic human voice and how Poe's "The Raven" and Grip inDickens' Barnaby Rudge influence Orwell's characterization of Moses, whosupposedly speaks English after coming back to the farm. Mr Whymper is viewed asan intermediary between the farm and the outside world, showing how Orwell avoidedspoken language in order to suggest that human beings cannot possibly speak toanimals. The impact of the description that some pigs, including the leader Napoleon,speak English, wear clothes and stand upright while holding a whip in their trotters isseen as the result that Whymper's role is not merely in trading but also in concealingthe pigs' gradual transformation from beasts to humans.