著者
成川 祐一
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.69-78, 2017-05-01 (Released:2017-05-01)
参考文献数
7

難しい漢字や言葉は使わない,常識ある大人なら誰でも読めるわかりやすい記事――。共同通信と全国の加盟新聞社向けの新聞記事の書き方の手引である『記者ハンドブック』は,やさしくわかりやすい文章のための用字用語集としてマスコミ以外でも幅広く使われている。1956年の初版から60年,義務教育の課程と重なる国の国語施策をベースに手直しを加え,言葉の意味や表記の変化には少し遅れてついていく姿勢で改訂を重ねてきた。本稿は戦後の書き言葉の大きな変化の中,記者ハンドブックの基礎ができるまでの過程を振り返るとともに,最近の事例として2010年(第12版)と2016年(第13版)の改訂を取り上げ,常用漢字表改定への対応やインターネットの横書きに対応した数字表記変更などを紹介する。
著者
武藤 浩二 長島 雅裕 原田 純治 安部 俊二 古谷 吉男 上薗 恒太郎 小西 祐馬
出版者
長崎大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2010

本研究では、疑似科学が用いられた学校教育の実態等を調査するとともに、最近の大規模調査データを用いた血液型と性格に関する解析を行った。その結果、疑似科学言説を用いた授業の多くが「水からの伝言」とその派生物であること、ほぼ全国で行われており高校理科で肯定的に扱われている事例もあることを明らかにした。また血液型と性格に関する解析では、過去の研究結果を拡張することができたとともに、21世紀以降のデータでは、安定して血液型ごとに性格の自己申告について有意な差が出ることが判明した。

90 0 0 0 広告批評

出版者
マドラ出版
巻号頁・発行日
1979

90 0 0 0 OA 平天儀

著者
岩橋耕[リュウ]堂 [著]
出版者
岩橋耕[リュウ]堂 (蔵版)
巻号頁・発行日
1801

著者の岩橋嘉孝(善兵衛 1756-1811)は江戸時代の望遠鏡製作者。平天儀は日月星の運行等が分かる早見表で、円盤は回転する。最上層の北半球図のヨーロッパ大陸の部分は、オランダの位置が赤くなっている。題箋のデザインは司馬江漢『地球全図』の題箋の影響であろう。天文学者渡辺敏夫旧蔵。(電子展示会「江戸時代の日蘭交流」より)
著者
一般社団法人日本集中治療医学会/一般社団法人日本呼吸器学会/ 一般社団法人日本呼吸療法医学会ARDS診療ガイドライン作成委員会
出版者
一般社団法人 日本集中治療医学会
雑誌
日本集中治療医学会雑誌 (ISSN:13407988)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.295-332, 2022-07-01 (Released:2022-07-22)
参考文献数
7

日本集中治療医学会/日本呼吸器学会/日本呼吸療法医学会ARDS診療ガイドライン作成委員会は,今回,合同で『ARDS診療ガイドライン2021』を作成した。2016年版の診療ガイドラインでは,成人のみを対象とした臨床課題(clinical question: CQ)を取り上げたが,今回は成人の46のCQに加えて小児を対象とした15のCQも作成した。前回と同様,GRADE(Grading of Recommendations Assessment, Development and Evaluation)システムを用いた推奨度決定の手法を用いた。また,新たな手法として診断精度のメタ解析およびネットワークメタ解析を用いたシステマティックレビュー(systematic review: SR)も行った。これらにより,より充実した信頼性の高い実用的な診療ガイドラインを作成することができた。

90 0 0 0 OA 3.鉄と炎症

著者
張替 秀郎
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.99, no.6, pp.1282-1286, 2010 (Released:2013-04-10)
参考文献数
10
被引用文献数
1 1

感染症などの炎症においては,ペプチドホルモンであるヘプシジンが分泌され,鉄の吸収・再利用が抑制される.また,細菌の鉄獲得を阻止するために様々な競合分子の発現が誘導される.この鉄動態の変化は,感染に対する防御機構として,また鉄の組織障害を回避する手段として有効であるが,長期間にわたる鉄利用サイクルの抑制は,慢性貧血の原因となる.
著者
小泉 雄一郎
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.74-79, 1995-07-30 (Released:2011-08-11)
参考文献数
8

膀胱異物のうち, 自慰目的のもののみを取り上げると, それは20代に多く, かつ青年, 子女に関する限りそれは農村部居住者に多いと考えていた。1994年の第43回日本農村医学会総会にその実態を発表しようと資料を纏めていた所, その裏付けがとれたので日本農村医学会総会に発表し, かつ本誌に記述した。期間は1978年よりの16年間で, 年齢は自験最少の13歳より一応25歳までとした。この間の膀胱異物総数は56例。うち自慰目的と考えられたものが34例。さらにこの年代に該当するものが14例であった。このうち都市部居住者が4例, 残り10例が農家在住を主とした農村部居住者であった。年齢を25歳までに区切ったのは独身者として観察したいと考えたからである。男子6, 女子4であるが, セクハラや, いじめ的なもの, 更には正確には膀胱尿道異物例も含んでいる。物品は模型用リード線, 体温計, スピン及びピストル弾丸, ビニールチューブ, 結石のついたヘアピン, クリップ, ポリエチレン管, 台所用サランラップ, 部品としてのポリエチレン管, 鉛筆であり, 異物膀胱鏡を中心とした治療で別出した。農村部の負の生活部分の一層の陽性化が必要と考えたが最近本症はややへり気味である。なおポリエチレン管の男子例ではオリーブ油と水を膀胱へ計300cc, 注入した所, 自然排出をみたのでおりがあったら, 追試して頂きたい。文献的にも考察して述べた。
著者
宮前 多佳子
出版者
一般社団法人 日本臨床リウマチ学会
雑誌
臨床リウマチ (ISSN:09148760)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, pp.266-274, 2014-12-30 (Released:2015-02-28)
参考文献数
27

若年性線維筋痛症(JFM)は本邦の線維筋痛症の2.5-5%に相当する約10万人の症例が存在すると推察されている.臨床症状は成人例と類似し,全身痛,筋痛,関節痛などの筋骨格系症状に加え,睡眠障害,易疲労感や消化器症状などの非筋骨格系症状で構成される.線維筋痛症の診断は,アメリカリウマチ学会から特徴的圧痛点の存在に拠らない予備診断基準が提唱されているが,小児例については鑑別疾患も多く,主訴の信頼性が不確かであるため,特徴的圧痛点が診断根拠の中核として重要である.その病態については,“Central Sensitization”や遺伝的な要素の関与が近年報告され,functional MRIなどの機能的脳画像診断によって中枢神経の痛み刺激に対する疼痛関連領域の活性化所見が客観的に確認されるようになった.小児例の治療は,成人例では有効と認められつつある抗うつ薬などの適応は困難な一方で,薬物に頼らない,JFMに特徴的な性格気質を裏付ける心理・発達における問題点の見直しが有効な症例が存在する.また近年,パピローマウイルスワクチン接種後にJFMに類似した症状を呈する症例が報告されている.JFMとの相違の一つが高次脳機能障害に由来する,集中力・記銘力の低下がより顕著であるとされているが,この副反応の機序もJFMに共通した部分があると推察される.現時点で科学と非科学がいまだ混在している疾患であるが,徐々に科学による解明が進みつつある.最近の知見につき解説する.
著者
吉澤 卓哉
出版者
日本保険学会
雑誌
保険学雑誌 (ISSN:03872939)
巻号頁・発行日
vol.627, pp.1-30, 2014-12

大成火災破綻(2001年)の原因は,ある再保険プールを介した海外再保険取引にあると言われている。この海外再保険取引は永年に亘るものであるが,大成火災が原告となった米国税務訴訟の判決(1995年)で当時の当該海外再保険取引の実態を窺うことができる。他方,破綻時の取引実態は,大成火災役員や当該再保険プールのマネジング・エージェントの関係者に対する損害賠償請求訴訟や仲裁の資料から窺うことができる。本稿は,両取引実態を分析したうえで比較することによって,米国税務訴訟判決時点において,既に大成火災破綻へと繋がる取引実態となっていたこと,したがって当該時点で破綻への途から外れることができた可能性があることを明らかにするものである。
著者
岡部 祐介 友添 秀則 春日 芳美
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
体育学研究 (ISSN:04846710)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.129-142, 2012 (Released:2012-06-02)
参考文献数
72
被引用文献数
2

Konjo is the willpower necessary to endure suffering, and for making an effort, having become a word in daily use in society, as well as in sports. The purpose of this study was to clarify the opportunity and the factors responsible for the transformation of konjo in Japanese society in the 1960s. Our study focused on three points: 1) Clarifying how the meaning of the word konjo changed in the 1960s, from its dictionary definition and usage in newspaper articles. 2) Clarifying the situation in which konjo became popular through the Tokyo Olympic Games, and its spread to the sports community and to society. 3) Considering the factors responsible for the transformation of konjo, and to propose a hypothesis that could account for it.   Our conclusions were as follows: 1) The meaning of konjo evolved from a negative context of “a fundamental character and mindset with which a person is born” to a positive context of “a strong, resilient character that cannot be suppressed” and “a strong motivation to accomplish an aim” at the beginning of the 1960s. 2) Konjo was considered to the spiritual keynote for athletes at the Tokyo Olympic Games. Hirobumi Daimatsu's “konjo theory” had the persuasive reason by winning “Oriental Witches” championship at the Tokyo Olympics. In view of these factors, we considered that konjo was interpreted as a popularized moral virtue by society, and impacted on both education and popular culture. 3) We considered that the concept of konjo became transformed and was used to promote competitiveness in sports at the Tokyo Olympics as part of the strategy for “character building”. It also played a role in bolstering human resources that played a key role in economic development during the 1960s, and thus was of strategic value. The considerations listed above show that the Tokyo Olympic Games played an important role in the transformation of the concept of konjo in the 1960s.
著者
水野 直樹
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1996

日本の植民地(特に朝鮮)における治安維持法の運用、体制などに関する実証的検討を課題とする本研究は、次のような諸点において日本内地とは異なる治安維持法体制が朝鮮で構築されていたことを明らかにした。法制そのものが日本内地と異なる朝鮮では、治安維持法に対する当局の認識も相当異なり、斎藤総督は、治安維持法が議会で成立しなければ、朝鮮独自の制令で制定すると示唆する発言をしている。同法が最初に適用されたのは、日本内地ではなく朝鮮における事件であった。当初から、治安維持法は朝鮮の独立運動に適用されたが、「朝鮮独立=帝国領土の僭竊=統治権の内容の縮小=国体変革」という図式が判例として確立するのは、1930-31年のことである。独立運動への適用と並んで在外朝鮮人への適用によって、同法は拡大解釈された。検挙者・被起訴者のうち、「帝国領士」外に住む朝鮮人の比重は非常に高かった。中国共産党に加入した朝鮮人にも適用されたため、同法はいっそう拡大解釈・適用されることになった。朝鮮における治安維持法運用の大きな特徴は、死刑判決が下されたことである。従来の研究では、同法違反だけで死刑判決を受けた事例はないとされてきたが、少なくとも1件あったことを明らかにすることができた。1930年代以降の転向政策においては、朝鮮人に厳しく転向が求められた。「内鮮一体」「皇国精神」の強調、被保護観察者の生活全体を監視・教化するシステム(大和塾)の構築などは、日本内地では見られなかったものてある。思想犯予防拘禁制度は日本内地に先がけて朝鮮で実施され、被収容者に「日本人になり切る」ことを求め、それが認められない限り、釈放の可能性のないシステムとして運用された。このような植民地における実態を無視しては、治安維持法の全体像を把握・理解することはできないのである。