著者
真山 仁 丸山 茂徳
出版者
日経BP社
雑誌
日経エコロジー (ISSN:13449001)
巻号頁・発行日
no.123, pp.42-44, 2009-09

急速に温暖化が進み、その主要因はCO2だといわれる。しかし科学者の中には他の要因を疑う声や、研究が不十分との指摘もある。地質学の権威である丸山教授も、CO2主犯説に疑問を呈する1人だ。真山 最近のCO2による地球温暖化一辺倒の風潮に疑問を感じています。地球は本当に温暖化しているのか、その原因はCO2だけなのですか。
著者
松岡 俊裕
出版者
信州大学人文社会科学研究会
雑誌
信州大学人文社会科学研究 (ISSN:18817858)
巻号頁・発行日
no.1, pp.117-132[含 要約], 2007-04

本論は、魯迅の歴史小説集『故事新編』の第一篇「不周山」(のち「補天」と改題)に関して論じた中国語論文の日本語訳を補訂したものであり、筆者の"魯迅の歴史小説『故事新編』に関する総合的研究-もう一つの「国故整理」-"の第一篇である。魯迅が「不周山」の執筆に着手した経緯については、作者自身の説明はあるものの必ずしも読み手にその発言の意図が伝わってこず、従来不明とされてきた。筆者は本論(前)に於て「不周山」の執筆意図を含む執筆経緯について各種資料に基づいて独自の解釈を提示した。詳細は以下の通り。○かつて中国国民の劣悪な国民性の改造を目指して史実に比較的忠実な「スパルタの魂」を書いた魯迅であったが、文学革命後は、菊池寛や芥川龍之介の影響で史実に自由に潤色を加えた"歴史的小説"に傾倒して何篇か訳出した。ただ森鴎外の歴史物は、その晩年の「渋江抽斎」等の史談物に不満を覚えたからなのだろうか、全く訳していない。魯迅は特に菊池の「三浦右衛門の最後」に感心し、その理由を「この小説が日本の武士道精神[の本質]を暴露し諷刺している」からであるとし、「中国に封建"名教"[儒教道徳のこと]を糾弾する作品がまだ欠けているのを慨嘆した」。そして魯迅は現に三浦右衛門と同様な目に遭った楊貴妃の死をテーマにした戯曲もしくは小説の執筆構想を持っていた。○当時文学研究会同人の茅盾は周作人に手紙を出し、その兄魯迅に該研究会の季刊誌的存在たる『小説月報』のために小説の寄稿を依頼した。前述したように歴史物の執筆については、すでに考えていたと思われる魯迅は、茅盾からの依頼を契機に小説の執筆に真剣に取り組むことになった。先ず現代物に手を染めるも出来は芳しくなく、次第に歴史物に関心が向くようになる。○魯迅の歴史小説への関心の背景には、以下に記す如く、胡適流の"国胡(国の文化芸術)整理"への反発、"国粋保存派"たる『学衡』派と鴛鴦胡蝶派への批判があった。魯迅は胡適らの唱える白話文学を中心とした"国故"の整理自体は別に反対ではなく、他人、特に青年に強制すること、"現実"や"主義"とかかわりを持たせないことに反対した。魯迅は歴史小説の執筆によって、胡適らのとは別の"国故整理"、"現在"と関わりがあり、他人に強要しない"科学的国故整理"の在り方を示そうとした。魯迅が歴史物を執筆したのには、文学革命後の新文学に異を唱え、復古主義を標榜して全ての"国故整理"に反対していた"国粋保存派"たる『学衡』派への反発もあった。『学衡』派の他に"国粋保存"に熱心だったのは上海の鴛鴦胡蝶派であった。これにも魯迅は諷刺、批判の文章を審いている。○魯迅は「不周山」に於て、当時なお人々の心に生きている、「不老不死」を求める神仙思想を批判した。「不周山」執筆時は、「不周山」以外にとりたてて神仙思想を批判諷刺していないが、その3年前には科学を否定する迷信として神仙思想を痛烈に批判している。○魯迅の属する人生のための文芸を標榜する文学研究会に対抗して芸術至上主義を主張する創造社を結成した郭沫若の女神、女ァZの復活を取り上げた新詩「女神の再生」(詩集『女神』の冒頭作)の出来映えへの不満が、本篇執筆の直接の契機になった。そもそも魯迅は女ァZの復活はいまだしと考えていたし、「女神の再生」はただ「光明」や「再生」を唱えるだけであり、魯迅はこうしたスローガン文学的な作品に我慢できなかった。○日本の九州帝国大学で医学を学んでいた郭抹若は、フロイト精神分析学がことのほか気に入っていたようであり、例えばフロイト精神分析学を使って『西廂記』を分析している。この郭抹若の『西廂記』論を読んでいたと見られる魯迅は「不周山」においてフロイト精神分析学を利用したと回想しているが、フロイト精神分析学を信じて利用したというより、フロイト精神分析学に疑問を持ちつつ別に用意があって利用した(フロイト好きの郭辣若に対する痛烈な諷刺。この点については本論(下)で詳しく触れる予定)。○当時北京大学で発生した講義費の徴収に反対する学生運動は、学長等の辞職、大多数の学生の運動に対する反対の意思表示、学長等の復職を経て、止んだ。大学当局は譲歩して講義資徴収を取り消すも、ただ学生の馮省三だけが、風潮発生後に参加したにすぎず決して中心人物ではなかったにも拘わらず、除籍処分となる。学生たちは勝利したものの、"犠牲者"馮省三の無事を祈る者は皆無であった。魯迅は「即小見大」を書いて学生運動を紹介し、この"犠牲者"馮省三の無事を祈る者は皆無であった事(「小」)から長い間理解できなかった事(「大」)、つまりさる花園にある衰世凱等の暗殺を計画して処刑された「四烈士」の墓のうち三つの墓の墓碑に未だに一文字も刻する者が現われない、つまり彼らの死を記念する者が現われないことの理由を悟ったとした。この北京大学の学生運動に纏わる魯迅の思いは、明らかに「不周山」に投影されている。○これも正に魯迅が「不周山」を執筆中のことであろう、北京各進歩団体が北京大学で連合してロシア"10月革命節紀年会"を挙行した。その開催の報に接して自国中国の辛亥革命の意義を改めて問い直していた魯迅の脳裏に、革命に命を捧げた多くの志士、特に紹興出身の徐錫麟、秋瑾のことが浮かんだに違いない。たぶんこの"10月革命節紀年会"も、魯迅の「不周山」執肇を一層促した筈である。○以上全体として、本作が清末に密告によって処刑された紹興出身の女流革命家秋瑾を始めとする改革や革命に殉じた人々の奮闘と死を、女ァZの奮闘と死を描くことで記念したものであることを示唆した。
著者
山中 直明 塩本 公平 長谷川 治久
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会論文誌. B-I, 通信I-情報通信システム・理論 (ISSN:09151877)
巻号頁・発行日
vol.80, no.7, pp.542-553, 1997-07-25
被引用文献数
2

本格的なマルチメディア通信網の実施を目指して, 新しいコンセプトに基づいたネットワークアーキテクチャ, フレキシブルマルチプロトコルエミュレーションネットワークALPEN(An A__-TM Multi-P__-rotocol E__-mulation N__-etwork)を提案する. ALPENでは, ATMレイヤの各種プロトコル, 例えば, ABR(Available Bit Rate), FRM(Fast Resource Managment), SHM(Short Hold Mode)プロトコル等をシンプルでかつ単一な中継網で実現する. 各種プロトコルは, WAN(Wide Area Network)のエッジのノードでエミュレーションされ, 中継網の状況把握は周期的なルートの空帯域情報等の性能チェックによりのみ行う. 新しいサービスやプロトコルを導入する場合も, エッジノードのみの変更により実現できるため経済的でかつフレキシビリティに優れたネットワークアーキテクチャである. ALPENでは, エッジノードが周期的に事前にルートの帯域情報を知っているため, ユーザの帯域要求変更に対して高速に応答できる可能性がある. 特にWANのようなRTT, (Round Trip Time, 周回時間)が長い網では, 応答性能の問題を解決する可能性がある. 周期的ルートの空帯域情報は分散的にエッジノードが入手しているが, 情報が古い可能性や, 複数のエッジノードで独立に処理を行う必要がある. そこで, 統計的な手法により実効的な空帯域を推定し, かつ複数のエッジノードで許可した帯域変更が中継線で重複する(オーバブッキング)ことも統計的に設計する. 本論文では, この統計的な帯域変更の手法についても述べる. 本論文で提案したALPENは, 各種サービスやプロトコルの混在する将来のマルチメディア時代において新サービスの追加や多様で不確定なネットワークサービスに柔軟に対応できるネットワークアーキテクチャと考えられる.
著者
桜井 謙次 関根 祥介 赤松 茂 蒲池 みゆき
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. HIP, ヒューマン情報処理 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.109, no.345, pp.53-58, 2009-12-10
被引用文献数
2

本研究では,視線を正確に制御できる三次元顔モデルを用いて,人間の視線知覚特性を調べる2つの実験を行った。実験1では,視線の対象との距離が変化した際の輻輳角(寄り目具合)を定量的に変化させて実験を行った.結果として,相手と対面した状況においては,自分より後方への視線に関しては正確に判断されない傾向がある事が明らかになった.また,「自分より前」を見ているという判断を行うためには,1)水平角度に関して正面を見ていると判断された上での輻輳による奥行きの判断,もしくは2)水平角度が大きい(非常に自分から逸れた位置にある)と判断された上で角度変位が大きな視線の向きを観察したことによる判断,という2つの知覚過程による領域に分類できることが示唆された.したがって,視線の奥行方向判断は,水平方向判断に大きく依存することが分かった.また実験2では,先行研究において調べられている,水平方向の頭部角度,照明角度の変動によって起こる視線知覚のズレの予測式を算出した.結果から、知覚される視線角度は、顔モデルの頭部、照明方向、眼球の角度により予測可能であることが明らかになった.
著者
普勝 清治 グリンワルド ジェラルド
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.850, pp.98-103, 1996-07-22

6月末の日米航空交渉が物別れ。今後の行方は視界不良。両国内の航空会社同士に既得権の有無で対立があり,利害がねじれる。全日空は自社の運航自由化を主張,日航は以遠権の不平等にこだわる。ユナイテッドは完全自由化を唱える一方で,現行協定尊重を望む。日米間乗り入れの自由化が解決への道。ただ,インフラの未成熟が壁に。
著者
成田 孝三 藤田 昌久 岡田 知弘 足利 健亮 石川 義孝 金田 章裕 金坂 清則 石原 潤 応地 利明
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1996

8年度は、1.都市を中心とするシステムについて欧米、日本、アジア・アフリカに関する比較研究を行う、2.地理学の空間分析、マルクス経済学の構造分析、近代経済学の計量分析の統合を目指す、3.日本のシステムについて動態的研究を行なう、という研究の枠組みと分担を決定した。9年度はそれに従って各自がフィールド調査を実施し、報告書の研究発表欄に掲げた成果を得た。10年度は統合の実を挙げるために、近畿圏を共通の対象として研究し、次の知見を得た。1.古代国土システムの構成要素としての近畿圏は、従来説の大化の畿内と天武の畿内の間に、近江を中心とする天智の畿内が存在し、それは三関の範囲に合致する軍事的性格を帯びており、中国の唐制に類似する。2.古代畿内の首都は孤立した一点ではなく、複数の首都ないしは準首都によって構成されており、それは現代の首都移転論をめぐる拡都論にも通じる状況である。3.中世期末畿内の構造変化を本願寺教団の教勢の進展を通じてみると、それは近江・京都・大阪を中核とし、奈良・三重・北陸に広がり、最後に兵庫・和歌山に伸びて現代の近畿圏を覆った。近江が中心となった理由はその生産力と交通の拠点性である。4.五畿七道の区分を踏襲してきた幕藩体制から近代国家体制への転換に伴って、府県を単位とする地方区分が確立した。近畿の範囲は6府県を核とし、場合によっては三重や福井が加わるという形をとった。この構成は現代にもつながっている。5.現代の大阪圏は初め西日本に広がっていたが、次第に縮小して上記の近畿圏に収斂しつつある。また近畿圏の構成単位である各日常生活圏の完結性が弱まり、大阪と京都を中心とする圏域に統合されつつある。それに伴って各種行政領域と日常生活圏との整合性が崩れ、その〈地域〉としての有意性が損なわれるおそれがでてきた。なおバブル崩壊後、中心部の都市地域と周辺部の農村地域との格差が拡大しつつある。
著者
植田 由香 若林 茂 松岡 瑛
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.36, no.9, pp.715-723, 1993-09-30 (Released:2011-03-02)
参考文献数
14
被引用文献数
2

難消化性デキストリン (PF-C) の耐糖能改善効果を健常人において評価した.(1) PF-C (3, 6, 30g) 添加・非添加条件下, ショ糖30gを含む炭酸水100mlを成人男性6名に投与し, 耐糖能および負荷後2時間尿のC-ペプチド (U-CPR) 値を測定した. 負荷後30分の血糖値の平均変化率は前値を100%とすると, ショ糖単独154%に対してPF-C3および6g摂取時はいずれも141%と有意に低値であった (30g摂取時146%). U-CPR値はPF-C 6g摂取時に最も低下し, ショ糖単独 (4.62±0.72μg/2hr) の86%であった. 以上から, PF-Cの最有効添加量はショ糖30gに対し6gと推定した (2) ショ糖30gを含む水羊羮 (100g) を成人35名に投与したところ, PF-C6g摂取時のU-CPR値は非摂取時 (5.71±0.78μg/2hr) の78%に低下した. さらに, 試験前臨床検査において上半身肥満男性6例のBG, T-Cho, TG, γ-GTPは正常体型男性 (25例) に比べ有意に高値であり, PF-C 6g摂取によるU-CPRの低下効果はより顕著に認められた (非摂取時の61%).
著者
野村 誠 中島 泰子 阿部 裕
出版者
公益社団法人 日本栄養・食糧学会
雑誌
日本栄養・食糧学会誌 (ISSN:02873516)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.21-25, 1992-02-10 (Released:2010-02-22)
参考文献数
11
被引用文献数
4 17

難消化性デキストリンを実験動物ならびに高脂血症を伴った非インスリン依存型糖尿病患者にて長期間にわたり投与し, 血中脂質ならびに糖代謝に及ぼす影響について検討した。SD系ラットにおいては9週間にわたり5%の濃度で飼料中に混合し, 一方, 高脂血症症例においては各食事ごとに20gを内服し (1日量60g), それぞれ9週ならびに12週にわたり血中脂質ならびに空腹時血糖値の変動を追跡した。その結果, SD系ラットにおいては食物繊維投与後, 空腹時血糖値, 血中コレステロールならびに中性脂肪レベルの有意な低下を認めた。同時に非インスリン依存型糖尿病症例においても血中コレステロール値と空腹時血糖値の著明な低下を認めた。
著者
山崎 祥史 福田 真一 白石 浩荘 泉 康雄
出版者
(社)大阪生活衛生協会
雑誌
生活衛生 (ISSN:05824176)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.84-88, 2006 (Released:2006-04-07)
参考文献数
21

Eighty kcal of rice crackers containing indigestible dextrin (4.6g/21g) were administered as test samples to 27 healthy adults (18 males and 9 females) and the postprandial rise of blood glucose levels were compared with placebo samples (80kcal, 17.8g) not containing indigestible dextrin. As a result, test samples showed lower blood glucose levels (p <0.05) at 15 and 30 minutes after intake compared to placebo samples.This result suggests that rice crackers containing indigestible dextrin are useful for primary prevention of diabetes.
著者
藤原 啓子 松岡 瑛
出版者
特定非営利活動法人 日本栄養改善学会
雑誌
栄養学雑誌 (ISSN:00215147)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.361-368, 1995 (Released:2010-04-30)
参考文献数
15
被引用文献数
3 10

馬鈴薯でんぷん由来の低粘性水溶性食物繊維である難消化性デキストリン (PF-L: 食物繊維含有率55%, PF-C: 同92%) の耐糖能改善効果をラット, 健常成人並びにインスリン非依存型糖尿病 (NIDDM) 患者において評価した。1) Sprague-Dawley 系雄ラットのショ糖1.5g/kg体重経口投与後の血糖値上昇は, PF-L (340μl/kg体重) 並びにPF-C (0.15g/kg体重) 存在下では非存在下に比べ有意に低下した。2) 健常成人8例を対象とした経口糖負荷試験において, PF-L 40ml (食物繊維量16g) はトレーランG75負荷により血糖値上昇並びにインスリン分泌を有意に低下させた。3) 30kcal/kg体重の食事制限を3か月以上施行し, 状態の安定しているNIDDM患者5例を対象にPF-Cを3か月間投与 (30g/日) し, 試験食 (459kcal) 負荷試験により耐糖能の変化を観察した。その結果, 3か月目では5例中4例で開始前に比べ耐糖能の改善が認められた。残り1例についても2か月目までは改善がみられた。
著者
安中 誠司 山本 徳司
出版者
社団法人 農業農村工学会
雑誌
農業土木学会誌 (ISSN:03695123)
巻号頁・発行日
vol.71, no.10, pp.881-885,a1, 2003-10-01 (Released:2011-08-11)
参考文献数
3

合意形成をめぐる近年の状況の変化を踏まえ, ワークショップ形式による住民参加型の合意形成支援の手法的な側面に焦点をあて, 意義や問題点, 今後の課題を提示した。濃密な人間関係と優れたリーダーの存在を前提とする個別説得型の伝統的合意形成を代替するものとして注目を集めているワークショップは, 集落点検やTN法等の様々な参加型手法を活用する。それらは住民参加支援という点で大きな意義を持つ反面, 意見収集の手法として形式的に適用される危険性も内在させているとともに, 合意の促進という面でも発展途上にある。実効性を高めるためには, 手法論的な観点から様々な点に留意し, 将来に向けてさらなる進化を図る必要がある。
著者
Artho Cyrille
出版者
奈良先端科学技術大学院大学
巻号頁・発行日
2015-10-26

IoTや組込み機器など、ソフトウェアが社会基盤を支える時代に必要となるソフトウェアの信頼性を確保する手法について、基本的な考え方を整理し、どのような形で技術を組み合わせて適用すべきかを考える。また、検証技術とソフトウェアのテスト技術を組み合わせて応用する技法について解説する。
著者
森井 裕一
出版者
JAPAN ASSOCIATION OF INTERNATIONAL RELATIONS
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.2012, no.167, pp.167_88-101, 2012

Germany ceased conscription for its military, the Bundeswehr, in July 2011. Ever since the establishment of the Bundeswehr, the system of conscription had played a key role in connecting the Bundeswehr and German society. The concept of "Staatsbürger in Uniform" (citizen in uniform) was a guarantee to keep the Bundeswehr as a military for peace. This paper discusses why Germany stopped conscription, even though it had long been regarded as a vital component of Germany's postwar security culture.<br>In the first section of this paper, historical developments in the German security culture and the role of the Bundeswehr are discussed. During the process of German rearmament in the 1950s, a new military was established in a way that would prevent it from being able to become an independent and undemocratic institution outside society—as it did in the days leading up to World War II. The Bundeswehr gained respect from society and became one of the most successful institutions in postwar Germany.<br>In the second section, the changing role and the military transformation of the Bundeswehr after the end of the Cold War are examined. The changing international security environment forced Germany to reconsider the role of its military. During the period up until the end of the Cold War, the use of Germany's military was restricted to the defense of its own and its allies' territories. However, this previously respected self-imposed restriction became an obstacle in the new international environment. The 1994 decision by the Federal Constitutional Court (FCC) made the deployment of the Bundeswehr outside NATO areas legally possible, although the FCC at the same time gave more power to the Bundestag, the German parliament, to control the deployment of the Bundeswehr. In the 1990s, the new military role for international crisis management demanded the military transformation of the Bundeswehr. Since the mid-1990s, many proposals were made to reform and reorganize the Bundeswehr, but they were not totally successful, because the domestic political discourse did not change as rapidly as the technical needs had changed. In addition, constraints upon the state budget made the reform even more difficult. After more than ten years of discussion, conscription was finally suspended under the strong leadership of the politically popular defense minister, Karl-Theodor zu Guttenberg. According to zu Guttenberg's reform, the Bundeswehr would be an effective, efficient and flexible military for international crisis management.<br>The final section analyzes the implications of the reform of the Bundeswehr on Germany's security culture and foreign policy. Germany's security policy defined in multilateralism, i.e. within NATO and the EU, would stay unchanged. However, the new security environment might change the domestic understanding of Germany's military, and thus Germany's security culture in the future.