著者
黒川 彰夫 木附 公介 黒川 幸夫 増田 芳夫 畑 嘉也
出版者
The Japan Society of Coloproctology
雑誌
日本大腸肛門病学会雑誌 (ISSN:00471801)
巻号頁・発行日
vol.52, no.10, pp.1051-1056, 1999-10-01
被引用文献数
2

最近の医療情勢の変化から, day surgeryに対応できる手術が俄かに注目され, 術者の手技の熟達度とは関係なく, 頻繁に実施されるようになってきた.day surgeryの増加に伴って, 患者側からの不満も増えている.したがって, このような状況が肛門病学の本質に適った変化であるか否かを真剣に検討する必要があると考える.筆者らは長年, 外来手術だけで肛門疾患に対処してきたが, 主として古典的な非観血療法を実施してきた.技術的には, この特殊性がday surgeryを可能にさせてきたのかもしれないが, 最も大切にしていることは患者と担当医が相互に直接連絡できる体勢をとっていることである.患者らが安心して自宅で入院と同じ状態で治療できるシステムの形成が最重要と考えている.<BR>今後, 本気でday surgeryを実行しようとする術者は, 術後の一定期間は24時間拘束される覚悟がなければ, 安易に実践するべきではないと警鐘を鳴らしたい.

1 0 0 0 OA 病恋愛

著者
徳田秋声 著
出版者
隆文館
巻号頁・発行日
1905
著者
高橋 昭
出版者
日本鱗翅学会
雑誌
蝶と蛾 (ISSN:00240974)
巻号頁・発行日
vol.28, no.4, pp.133-142, 1977-12-01

近年,日本産Neope属は2種の独立種に分離されたが,この両者に対して用いられるべき学名については未検討のままである.筆者は,これら日本産Neope 2種に関するすべての原記載と,British Museum (Natural History)所蔵のButlerが記載したN. niphonica, N. japonicaのダイプ標本を検討し,サトキマダラヒカゲにはN. goschkevitschiiの学名を,ヤマキマダラヒカゲにはN. niphonicaの学名を用いるのが正しいと結論した.N. goschkevitschiiの原記載には,タイプ標本をGoschkevitschが採集したことが記されているので,彼の足跡を歴史的に検討すると,1854年12月4日に下田港に到着し,12月23,24日の両日におきた安政地震と津波でDiana号が大破したため,1855年7月14日まで伊豆半島(主として下田,戸田(へだ))に滞在したことが明らかとなった.Menetriesの原著には図版が添付されており,この図から,N. goschkevitschiiは明らかにサトキマダラヒカゲ春型♂と判断され,本種のタイプ標本は1855年の春に伊豆半島(下田,戸田またはその近傍)で採集されたものと思われる.
著者
長谷川 博
出版者
近畿作物・育種研究会
雑誌
作物研究 (ISSN:1882885X)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.1-6, 2012

原子力発電所の爆発事故により放出された放射性セシウム(Cs)の環境への影響を理解し,環境中から除去するための基礎として,Csが植物の生育に及ぼす影響と放射性Csの吸収と蓄積に関する遺伝変異を明らかにした.Csはカリウム(K)のアナログとして挙動するが,10μMという低濃度で植物の生育を阻害する.CsはKと拮抗的に作用することから,Csの生育阻害効果はKの存在下では低減すること,Csの吸収がKの存在下では低下するなどの現象が報告されている.放射性Csの蓄積に関して種間差異が認められており,テンサイなどアカザ科の作物のCs含有率が高かったという報告がある.根から吸収されたCsは茎葉部,ことに若い葉に多く分配される.以上の報告を考えあわせてファイトレメディエーションを利用した放射性Csの環境中からの除去の可能性と問題点について考察した.
著者
小浜 耕己
出版者
日経BP社
雑誌
日経systems (ISSN:18811620)
巻号頁・発行日
no.240, pp.62-67, 2013-04

亜佐美は硬い声で応じた。妻のむっとした顔つきを見て、檜山は後悔した。非難するつもりはなかったのに、刺々(とげとげ)しい言い方になってしまった。別に亜佐美のせいではない。担当しているプロジェクトが迷走しているせいで、昨夜もカツサンドをかじりながら資料と格闘する羽目になったのだ。 終電に乗ってマンションに帰り着くと、亜佐美は既に床についていた。
著者
韓 守信
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.15-37, 2007-06

本研究では、「満州事変」以降の半島兵站基地化期における朝鮮総督府の宗教政策についての分析を、非西欧系宗教と西欧系宗教との比較を用いて分析した。日本は、韓国合併および武断統治期、三・一運動および文化統治期と同様に、それぞれの宗教に対して異なった方法論を用いた。それぞれの宗教に対する政策は、同一の統治理念に依拠していたにもかかわらず、具体的な適応方法と過程において顕著な差異を見せていた。総督府は、既存の宗教を用いて「心田開発運動」を展開した。ここには、自らの統治体制にとって好都合な価値観および宗教心を半島全体に植えつけようとする意図があった。総督府は、韓国人が主導する非西欧系宗教(仏教、儒教)に対しては直接的に介入する「直線的な政策」をとった。その一方で、宣教師が中心となった西欧系宗教(キリスト教)に対しては、宣教師の存在と働きに配慮する「迂回的な政策」をとった。総督府にとって、半島における西欧列強の代表および象徴である宣教師は、決して無視できない存在であった。このような背景のゆえに、この時期におけるキリスト教政策の方法と内容は、仏教政策や儒教政策と大きく異なっていた。
著者
國原 美佐子
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.55-83, 0000

During the 15th century, the Choson court performed diplomatic ceremonies for China, Japan, and barbarian tribes(野人).These ceremonies were based on the Confucian tradition. They consisted of music and Dancing. At parties, which were holded after the ceremony, ladies played music and danced as well. During the reign of King Songjong(成宗)these lewd performances increased during the diplomatic ceremonies. However, for the reason of ancient traditions in China, the Chinese diplomatic mission would avoid the ladies' performances. The Choson court understood this situation, but could not help stopping this showy and unrespectful dancing. That is the reason why China avoided these performances but for the Japanese missions they were useful.15世紀の朝鮮王朝は、明、日本、野人(女真族)に対して、外交儀式をおこなった。それは儒学的な立場に沿ったもので、その礼楽は歌舞からなっていた。儀式後の宴において、女性達による歌舞も催された。成宗代には、これらの儒教社会の礼に抵触するような歌舞が、外交儀式の場にも用いられる傾向が強まり、明使節は故事を理由に女楽を忌む。朝鮮王朝は明側の事情を理解しつつも、派手な演出の歌舞をやめる事はできず、日本からの通交者たちには、この歌舞をもって接待した。
著者
邊 英浩
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.159-169, 2011

朝鮮王朝は朱子学によって建国され、その思惟様式と対外観は16世紀に登場した李退溪(名は滉、字は景浩、退溪は号1501~70年)、李栗谷(名は珥、字は叔獻、栗谷は号 1536~84年)によって代表される。しかし朝鮮王朝が末期に近代に遭遇したとき、その基本的な思惟様式と対外観は大きく変容していた。それは、夷狄の中華への上昇可能性の肯定、儒教文明化以外の文明化への視野の拡大、この2 点である。こうした思惟様式と対外観の変容が起きつつあったときに、朝鮮王朝は近代を迎えることとなった。そのため高宗政権は、自ら近代化を進めながら、これらの近代的な夷狄との外交交渉、同盟関係を適宜構築していく政策を推進し、一定の成果をあげていくことができたのである。これらは国際関係を単に力関係から見るという次元では理解できないものであった。
著者
邊 英浩 BYEON Yeong-ho
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大学研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
no.76, pp.87-96, 2012-10-20

1860年に水雲・崔済愚(1824~1864年水雲は号)によって創始された東学は韓国固有の生命思想、神観念を基軸としつつ、儒教を中心とし、老子思想、仏教思想、キリスト教的な要素をも取り込みつつ集大成したものである。崔済愚は漢文とハングルとでその思想を書き残したが、韓国固有の人格神ハヌルニムを漢文史料では、天、上帝などと記した。しかしそれは中国思想における天、上帝などではなく、ハヌルニムを漢文で記すときに生じる現象であるため、あくまでも韓国固有の神観念であるハヌルニム信仰を内容としている。東学は人間の心はハヌルニムの心であるとし、人間と神との距離を圧縮的に接近させ、当時存在した身分差別を否定的に見る内容を持っていた。そのため東学は以後中下層の農民層を中心として急速に信徒を獲得すると共に、朝鮮王朝や当時の支配層である士族(両班)からの弾圧を受け始めた。 崔済愚は朝鮮王朝により1864年に処刑されたが、東学は第2 代教祖の海月・崔時亨(1827~1898年海月は号)に伝授され、経典と教団の整備に尽力し、東学は一層民衆生活の中に浸透し大勢力に成長していった。そのため東学は中下層の農民層を中心とした信徒を獲得すると共に、朝鮮王朝や当時の支配層である士族(両班)からの弾圧を受け始めた。その弾圧に反発したのが1894年に勃発した東学農民戦争である。当初東学農民軍は朝鮮王朝に抵抗し南部地域を中心とした独立王国的な勢力となっていったが、そこに日本軍が介入することにより壊滅的な打撃を被った。 東学農民革命以後、風前の燈火のようになった教団を継承したのは、第3 代教組の義菴・孫秉(1861~1922年義菴は号)であった。孫秉は日本からの弾圧を逃れるために、1905年東学の名称を天道教と改称し、教団を近代的な宗教組織体系に整備した。だが、孫秉は日本からの独立運動を放棄したわけではなく、1919年の3・1 独立運動を主導し、獄中死することになる。 東学は韓国固有の神観念の集大成的なものとして韓国ではしばしばその画期的な意味が触れられてきた。しかし、日本では東学は相当誤解され、天道教という名称さえ知られていない状態である。日本における東学・天道教への一般的な受け止め方は、恨みと民衆反乱、あやしげな民衆呪術といった反応に要約できる。思想内容に関心が薄い歴史学者、文化人類学者たちにより研究されてきたためであろう。 著者の金容暉氏(高麗大学校研究教授、ハヌル連帯事務総長)は、2011年10月に日本の一般市民向けに「東学・天道教の霊性と生命平和思想」という講演原稿を作成された(肩書きは講演当時のもの)。訳者は、日本ではあまり知られていない東学のエッセンスとでもいうべき生命思想、神観念を簡潔に整理したこの原稿を日本語で紹介する意義が小さくないと考え、ここに訳出した次第である。なお翻訳にあたり朴源出氏(天道教布徳師2011年当時)による翻訳原稿草案があり、邊英浩がそれを活用しつつ訳文を完成させた。そのため、翻訳の責任はすべて邊英浩にある。
著者
張 東宇 邊 英浩 鄭 宰相 JUNG Jae-sang
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.45-68, 2013

これまでの朝鮮思想史の叙述において、17世紀は「礼学の時代」と性格づけられてきヒョン・サンユンた。この説を最初に言い出したのは、おそらく玄相允の『朝鮮儒学史』(1949)であろう。玄相允の『朝鮮儒学史』は、植民地時代以降のものとしては、最初の朝鮮儒学通史であるが、そこでは朝鮮儒学の流れを「至治主義儒学→性理学→礼学→経済学(実学)」と述べている。この捉え方は、後の研究に大きな影響を与え、朝鮮時代の儒学は「16世紀=理学、17世紀=礼学、18世紀=実学」のように展開したもの、という「理解・知識」として定着テゲユルゴクする。つまり、16世紀における退渓学派と栗谷学派の性理学に対する見解の差が、17世紀において礼学に対する見解の差を生み出し、栗谷学派に属する西人は『朱子家礼』を中心とする礼論を、退渓学派に属する南人は古礼中心の礼論を展開した、という見方が朝鮮思想史ないし礼学史の叙述においてほぼ通説となっているのである。例えば、韓国精神文化研究院で刊行された『韓国民族文化大百科事典』(全28冊)の「礼訟」の項目をみると、「栗谷学派である西人=家礼中心=守朱子学派」対「退渓学派である南人=古礼中心=脱朱子学派」という図式で説明がなされている。『韓国民族文化大百科事典』は研究者をはじめ一般人もよく利用する事典であるため、この図式的な理解は一般的な認識として根強く広まっている。17世紀の思想史・礼学史に対するこのような理解は、18世紀の朝鮮思想史の理解にもつながり、18世紀を「実学の時代」と規定し、「南人」系列の学者に焦点を当てながら、実学を「脱朱子学的」学問として位置づける言説と密接に結び付いている。このような状況の中で、17世紀の朝鮮思想史・礼学史に対する従来の研究に問題を提起し、新しい見方を提示する研究者たちが近年現れている。本稿の著者である張東宇氏(韓国、延世大学校国学研究院研究教授)もその一人である。氏は、朝鮮時代の代表的な思想タサンチョン・ヤギョン家の一人である茶山、丁若 の礼学の研究で博士論文(『茶山礼学の研究―『儀礼』「喪服」篇と『喪礼四箋』「喪期別」の比較を中心に』延世大学校、1997年)を著して以来、長年朝鮮礼学の研究に取り組んできた韓国の学者であるが、特に近年は朝鮮時代の『朱子家礼』関連著述の研究を精力的に行っている。本稿で氏は、朝鮮時代の『朱子家礼』関連著述に対する書誌学的な調査・分析を通じて、朝鮮における礼学の展開は、『朱子家礼』の研究が始まった16世紀後半から18世紀にいたるまで、「古礼による『朱子家礼』の補完」という共通の問題意識をもとに、学派の相違を超えて「蓄積的に進展された単一な流れ」であると結論づける。また「礼学の時代」といえるのは、17世紀であるというより、むしろ18世紀であるという見解を示す。これまでの朝鮮礼学の研究は、主に17世紀の服制論争(礼訟)史料を中心に行われてきたわけであるが、著者は朝鮮礼学史における家礼関連資料の持つ重要性を提示し、朝鮮礼学史の叙述は礼訟にとどまらず、もっと広い見地から捉えるべきであることを示唆しているのである。朝鮮礼学史への新しい視点を提供し、従来の朝鮮思想史の理解に反省をうながしている点で、著者の問題提起と結論は非常に大きな意味を持つものと思われる。また本稿で整理された膨大な量の『朱子家礼』関連著述リストは、朝鮮礼学史の研究のみならず、今後、中国・日本・ベトナムなど、東アジア各地における家礼文化の比較研究の基礎資料として活用できるものと期待される。翻訳は鄭宰相(京都大学講師)が草案を作成し、邊英浩(都留文科大学教授)が点検し責任を負うこととした。なお本稿は筆者が、科学研究費補助金(基盤研究(A))研究「東アジアにおける朝鮮儒教の位相に関する研究」(研究代表者:井上厚史島根県立大教授)の一環として弘前大学で行なわれた国際ワークショップ(2012年8月29~30日)において報告したものを加筆、修正したものである。It has been said that the two opposite stances exist in Choson scholars' studies on FamilyRituals of Master Zhu (Zhuzi Jiali 朱子家禮). Unlike the previous understanding of theirreconcilable difference between Yulgok 栗谷school and T'oegye 退溪school, this articleunveils their common consent that they endeavored to complete Zhuzi's Family Rituals inaccord with the ancient ritual principles. On the ground of such agreement, Ritual Studies ofthe two schools had interacted with each other, mainly in respect of three aspects : practiceof rituals (haengnye 行禮), interpretations or exegeses on those practices, and provisional/^ extraordinary rituals without clear manuals in the canonical scriptures (byollye 變禮).^ Through exploring extant 198 works of Choson Ritual Studies in the 15th to 19th centuries,this article shows the patterns of their evolution and interrelationship.
著者
Takuma AOKI Hiroshi SUNAHARA Keisuke SUGIMOTO Tetsuro ITO Eiichi KANAI Sakurako NEO Yoko FUJII Yoshito WAKAO
出版者
公益社団法人 日本獣医学会
雑誌
Journal of Veterinary Medical Science (ISSN:09167250)
巻号頁・発行日
pp.14-0508, (Released:2015-04-28)
被引用文献数
2

Dynamic left ventricular outflow tract obstruction (DLVOTO) is a common condition in cats and humans. In this case report, a dog is described with DLVOTO secondary to severe intra-abdominal hemorrhage caused by a hemangiosarcoma. The dog was a 9-year-old, 35.7-kg, spayed female German Shepard dog that presented with a history of tachypnea and collapse. A Levine II/VI systolic murmur was present at the heart base. Abdominal ultrasonography revealed a splenic mass and a large amount of ascites. Echocardiography showed a reduced left ventricular diameter and an increased aortic velocity caused by systolic anterior motion (SAM) of the mitral valve apparatus. The heart murmur and the SAM were resolved after treatment including a splenectomy and a blood transfusion.
著者
室崎 益輝 岩見 達也
出版者
地域安全学会
雑誌
地域安全学会論文報告集
巻号頁・発行日
no.5, pp.129-134, 1995-11
被引用文献数
1

〔研究の背景〕 私達の研究室は、阪神淡路大震災の被災地の真っ直中にあるということで、被災実態調査を行ううえで、調査に関連する情報が入りやすい、寝泊まりできる空間が確保できる、さらに必要な調査員の手配が可能であるといった「利点」を有していたために、各種の調査の基地として活用された。お得の調査団の基地となるとともに、多くの調査ボランティアィアの溜まり場ともなった。そのため、様々な調査をお手伝いするというか共同で実施する機会に恵まれた。例えば、筑波大学熊谷研究室と(株)まちづくり研究所とは、避難所のボランティア活動についての共同調査を実施した。(株)地域環境防災研究所とは、出火原因や延焼動態についての共同調査を実施した。そのなかの一つに、(株)野村総合研究所との共同調査がある。住民、自治体、ボランティア団体、職能団体、企業等のそれぞれについて、地震時の対応行動や日頃の防災対策について、アンケート調査を実施した。このなかでの私達の研究室の果たした役割は「名義貸し」程度のことであったが、アンケート結果については共有化しそれぞれが分析を加えるという形をとった。本報告はそのうちの企業に対する調査について私達神戸大学側が速報という形でまとめたものである。単純集計の域をでておらず研究論文といえるものではないが、企業の対応を知る一端にでもなれぱと思い報告するものである。今後、クロス集計などより緻密な分析を行い、有益な指針を引き出したいと考えている。 〔調査の方法〕 アンケートは、一部・二部上場企業および生命保険会社2,238社に対して、郵送により送付回収する方法(郵送留置法)で実施している。調査期間は1995年4月24日〜5月9日で、有効回収数は378票で回収率は16.9%であった。アンケート項目は、大きく(1)被害の実態、(2)震後の対応、(3)事前の対策、(4)支援の実態、(5)今後の対策に大別される。主な回答業種をあげると、商業関係企業57社、建設関連企業34社、化学関連企業32社、機械関連企業30社、銀行関連企業27社、輸送機器関連企業24社、電器機器関連企業21社、サービス関連企業20社などである。なお、被災地域内に本社をおくものは31社、支社営業所をおくものは208社、工場をおくものは51社、店舗をおくものは29社、倉庫物流拠点をおくものは56社であった。 〔調査の結果〕 本調査で得られた主な結論は以下の通りである。・約8割の企業は何らかの被害を受けている。・被災地に隣接する大阪に対策本部を設置した企業が多い。・地震時の対応マニュアルを作成していなかった企業が半数近く存在する。・人的支援をおこなった企業が5割、物的支援をおこなった企業が6割あった。・今後の対策として緊急時マニュアルや緊急時連絡網の見直しなどソフトな対策の強化をはかろうとする企業が多い。
著者
雄山閣 編
出版者
雄山閣
巻号頁・発行日
vol.第二卷, 1936
著者
吉野 巌 篠原 宗弘 吉田 典史 高坂 康雅 工藤 敏夫
出版者
北海道教育大学
雑誌
北海道教育大学紀要. 教育科学編 (ISSN:13442554)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.13-23, 2003-09-30
被引用文献数
1

算数・数学的問題解決においては,理解・プラン段階でのメタ認知が課題解決に非常に重要であること,吹き出しなどに思ったことを書くことがメタ認知的モニタリングを促進しうること,などが示唆されている.本研究では,大学生を対象に,数学学習時に吹き出しを用いることがメタ認知的モニタリングを促進し学習に有益な効果をもたらすどうかを実験的に検討することとした.事前調査により被験者を成績上位・下位,学習内容の既習・未習で群分けした上で,吹き出しあり条件と吹き出しなし条件で行列の乗法に関するプリント学習を行わせた後,同じ内容に関するテストを行わせた.この結果,統計的に有意には至らなかったものの,成績下位群の基本問題,並びに既習群の応用問題において吹き出しの効果が認められた.