無面目 (@hieda02rou)

投稿一覧(最新100件)

RT @tsukasafumio: 福井藩の忍者に関する基礎的研究 https://t.co/fArmTNXkzh 慶安二年から慶応二年まで存続した福井藩の忍び。忍術を稽古して忍び道具携行するのはテンプレなのに、権利が株として売買されてたり、タウンマップに忍者屋敷が堂々と載って…
RT @yashuzenmon: 拙稿「室町幕府の文書管理―南北朝~室町初期を中心に―」(『アーカイブズ学研究』36、2022年)がダウンロードできるようになりました。正誤表もあります。 https://t.co/E3cZYFWZO8 https://t.co/6EKi0JOH…
RT @lotushouse: ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』問題は以下に詳しい 日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から― 二村 太郎, 荒又 美陽, 成瀬 厚, 杉山 和明 https://t.co/GuL9yufY0u
RT @nekonoizumi: PDFあり。面白い。 「打ちこわし被害者」の立場から見た打ちこわし観と、それへの対応、影響を検討。 ⇒林 進一郎 「打ちこわされし者たち : 百姓一揆後の地域社会における「外聞」と「遺恨」」 『国士舘史学』第27号 (2023年3月) http…
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒小川 剛生 「兼好の居る場所─六波羅探題とその周辺─」 『中世文学』67 (2022) https://t.co/qrniAPyhgZ
@shinko11jp 中世期に「一向宗」と呼ばれた人達、山伏や祝、ものしりといった人々もそうであり、彼等は一揆を扇動するという風に認識されています。彼等は明らかに真宗とは畑違いな呪術的な人達でした。 まあ、あくまでも南九州での禁制の事例ですが。 https://t.co/PxRMK8Ygv5
これは南九州での禁制の事例ですが、そこでは祈禱をする祝や山伏=一向宗という認識が見られます。 三河方面はどうであったはよく分かりませんが、中世期の段階では呪術的な人達が=一向宗という認識があったのは確かです。 J-STAGE Articles - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/tniniipYLS https://t.co/NpsQWeemmV
@rokuonin @Tanuyasukun リンク切れしてましたので訂正 「真宗禁制と山伏および売薬商人」 https://t.co/SU6Zg4hwvb
RT @QmHSxpgqThzrxfk: TLに流れている「竹千代は最初から織田信秀のもとに人質として送られたのではないか」という説については、典拠論文がネットで読めるので、URL貼っときますね #どうする家康 村岡幹生「織田信秀岡崎攻落考証」 https://t.co/tM…

1 0 0 0 鯖江市史

鯖江市史史料集第3巻(諸家文書編2) https://t.co/pImcC3RfjB
@mNDdzS46GmyA3mA 鎌倉末、越中の放生津の廻船商人が関東御免津軽船団に属していて、船が「難破船」とされ三国で略奪に。 https://t.co/XDN0AtVPvZ 南北朝期には越中の水橋と越後の柿崎間で真宗の門徒の交流があったと 『水橋門徒考』大場厚順 https://t.co/yje7s3tiEo 中世期には様々な人や物が行き交った様です。
蜷川氏の本が読めますだ。 デジタルコレクションに本登録の必要が。 坂井誠一『遍歴の武家―蜷川氏の歴史的研究―』(吉川弘文館、昭和38) https://t.co/qrl46Jye5n

141 0 0 0 OA 新訳平家物語

@uizhackiinmuufb ちょい気になって心当たり見てみたらありますた。「剣の巻」ですだ。諸星先生はこれを下敷きにしたのかな。 古代の神話と海底の龍宮という仏教的設定混ぜ混ぜな中世の伝説の世界ですだ。 https://t.co/jc6iWdYQCo
RT @NDLJP: 『宴会・即席・座興かくし芸大全』(昭和11年)から #コレどうなってるの な芸を1つご紹介します。実はこちら「自分の膝に顔を描いて、人形に仕立て、人形使いの真似をしようという他愛のない芸当」、膝人形踊。演技力が試されそうですね。 #キュレーターバトル ht…
@saikoinjyokyoji 初期どころか戦国期の時点でも割とそんな感じが。こちらによれば南九州では真宗とは畑違いな感じの人達(山伏、祈祷師)が布教活動してたっぽいです。 J-STAGE Articles - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/tniniipYLS
J-STAGE Articles - 『日本往生極楽記』と密教浄土教 https://t.co/HIpJbNrJJv
@satoko_koyama @MITARAI_H 少し前のツイに失礼させていただきますが、南九州の禁制の中ではくすしと共に山伏や祝と呼ばれた呪術的な存在が=「一向宗」と認識されてた様子です。 J-STAGE Articles - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/tniniipYLS
J-STAGE Articles - 近世北陸地方に於ける山伏の勧進活動と統制-特に勧進札をめぐつて- https://t.co/PUgA0BXGRu
J-STAGE Articles - 中世聖徳太子伝と油日神社の縁起 : 聖徳太子の兵法伝受譚と武人としての太子像 https://t.co/LVxK3DLIfn
@nouhuhoumei @wasadamakoto >真宗とキリスト教の類似性の指摘 中世期の段階の「一向宗」、そもそも、=真宗とは限らない可能性 南九州の禁制の事例では祈祷をする祝や山伏がそうであるという認識が。明らかに彼等は真宗の教理とは別口です。 J-STAGE Articles - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/tniniipYLS
RT @sokosokosokosan: 入院費用と電気代の比較は、学会論文のテーマにもなるほどマジなやつで、ネタではございません。 https://t.co/FLAzsz99Wn
@rivereastbamboo J-STAGE Articles - 入善町道市地区における浄土真宗の講組織の構造とその持続性 https://t.co/Ow8M4kuiWq
@anchorworks1971 >自治権や武装勢力としての生存権などを含んでいます 成程、了解です。 中世期の段階で単純に「信仰」で見たら、真宗以外の浄土門のみならず山伏や祝といった存在も「一向宗」と認識されている例も。 J-STAGE Articles - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/tniniipYLS
RT @rokuhara12212: 坂東武士の教養を論ずる際に、その識字率の低さの根拠にされるのが関東御成敗式目について述べた北条泰時書状の内容ですが、従来の解釈は、武士は無教養だという思い込みが前提にあったようです。この論文を御一読ください。↓ https://t.co/T…
RT @shima_126: 馬部隆弘「細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配」『大坂大谷大学紀要』(56) #こんな論文がありました ブログ記事でも触れられているように早速PDF公開されていますね https://t.co/4vN41vBaDl
@QmHSxpgqThzrxfk 何か凄い雲の写真が真偽も確認されずにTL上を流れていく様子に、これを思い出しました CiNii 論文 - 日露戦争期の妖怪・怪異 : 「奇跡」「瑞祥」の役割 https://t.co/7p6IUjhS2A #CiNii
CiNii 論文 -  日露戦争期の妖怪・怪異 : 「奇跡」「瑞祥」の役割 https://t.co/7p6IUjhS2A キエフの幽霊のお話を聞いたら、日露戦争の白い兵隊さんや赤い兵隊さんのお話をふと思い出した。 ただ、日露戦争の方はどうやら、戦後になって語られ出したストーリーの様だ。
@mizutaken 中世期辺りにぶいぶい言わせてたらしい時衆なんて、むしろ、かなり呪術的だった様です。 CiNii 論文 - 時衆の機能とその歴史における意義 https://t.co/cijop16T2P #CiNii
@yorakukenjo なお、江戸の本末制強化以降の「一向宗」表記はほぼ真宗で間違い無さそうですが、中世期の段階だと時衆や一向俊聖上人の門流、南九州では山伏や祝と、呪術者も含まれました。 そりゃあ、一向宗呼ばわりを嫌がるわけです。 CiNii 論文 -  真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/MidZlxJglq
@tengudosyobo 祠堂銭のシステム自体は檀家から預かった供養料を絶やしてしまわないために始まったので、むしろ、中世期のお寺は檀家ありきですだな… CiNii 論文 - 中世京都における祠堂銭金融の展開 https://t.co/zhYk4LPYBc #CiNii
@kirie_folklore 正確には「常世虫」というべきだったかな? 大分と前にこれでちょろっと見かけました。 J-STAGE Articles - 『常世國』に就いて https://t.co/1usiLl3kON
これ(CiNii 論文 -  立山権現[矢疵阿弥陀如来]の史料的考察 : 立山信仰と生身仏信仰 https://t.co/D2n1X754aZ… #CiNii https://t.co/Nn2nbOg3Z7) を読むと、地元民的には矛盾は無かったのかもと思われます。 https://t.co/HXipOBaH77
@j_enju 一方、この辺の本願寺の御連枝がブイブイだった感じの地域、実のところ、土俗的なものが力強い感じだったりします。 お寺の主張とそれを受容する側は必ずしも同一とは言えないと思われます。 CiNii 論文 -  神と人の間--北陸真宗門徒における蓮如伝承 https://t.co/HcwvlsOiVx
CiNii 論文 -  後奈良朝期の禁裏小番について https://t.co/gYQFrv6rPx #CiNii
RT @fushunia: 1975年以前と2000年以前の調査結果を比較すると、「雑煮の味が味噌仕立てであった地域が半減し,すまし仕立てが増えた」そうです。論文を探すと出てきました。地図でも比較されてます。 「日 本 の 食 文 化 研 究 と 地 域 性」 https:/…
@Kino_see うろ覚えですだが、多分、これだったかな… J-STAGE Articles - 近世被差別民の身分上昇志向と天皇・朝廷権威 https://t.co/QgvMUJWDQh
RT @tamaki1853: 近世の誕生日のお祝いについてはこういう論文がありますね。将軍は祝われていたし、庶民も子供のお祝いをしてたみたい。そこそこ行われていたようです。奈良時代からのルーツがあるので、西洋文化の影響だけではないっぽい。 「近世における誕生日」鵜澤由美 ht…
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え なお、南九州の人吉や薩摩の禁制の中では山伏、祝(はふり)、物しりといった占いや祈祷を行う呪術者も一向宗と認識されています。 CiNii 論文 - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/MidZlxr77i #CiNii https://t.co/kKzso7HnBe
父上が、学生時代に東京にいた時に東京にも水上生活の人がいたと以前話していたのはこれのことだろうか。 J-STAGE Articles - 東京に於ける水上生活者の生成 https://t.co/RCDz37mPfr
岩瀬名物飛び団子。 ちょっとお時間たった今でも十分うんまい。餡子と黄粉、モチモチお団子。 高志の松原で魔物退治の最中、飛んできたお団子を食べたら元気百倍で魔物退治成功という昔話があるそうな。 平成27年度高志の国文学館紀要第一号 https://t.co/PzCXaOxtyp https://t.co/crYDgW1K8M
CiNii 論文 -  弁財天の性格とその変容 : 宿神の観点から https://t.co/oUGz0RJ4Ek #CiNii
CiNii 論文 -  近世勧化本の展開--四十八願を主題とするもの https://t.co/BHTAggXwY4 #CiNii
CiNii 論文 -  真宗の声明についての一考察 https://t.co/AN5a04nPv7 #CiNii 坂東曲以外にもししこ念仏や田植念仏なんてのがあるですだか。
@tengudosyobo ところが、興味深い事に天文期や近世初頭の南九州の禁制では山伏やはふり、祝といった真宗とは何か違うっぽい祈祷をする存在が規制対象になってます。 CiNii 論文 -  真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/MidZlxr77i
CiNii 論文 -  一向上人と踊躍念佛 https://t.co/PZwR59jCZG #CiNii
CiNii 論文 -  時衆の機能とその歴史における意義 https://t.co/cijop1nW4P #CiNii
J-STAGE Articles - 咒禁師 (ずごんのし) の性格 -仏教渡来時の日本的実態とそのとらえかた- https://t.co/8cRdj5Y95T
@Olt_Calius @1059kanri 天文二十四年の相良氏領内での禁制では一向宗=祈禱をする山伏、呪術師という認識が。 藩政期の薩摩の禁制も同様であった様子です。 CiNii 論文 - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/MidZlxr77i #CiNii 民間への流布の過程では、もっと様々な認識が存在していたのかもしれません。
RT @turuga7000: 事例の1つである今小路西遺跡から出土した頭蓋骨の写真はこの論文に載ってます。論文では「首実検後に首だけが遺族に返されず、そこに仮埋葬されたものらしい」と推定されていますが、はたしてそんなことがあるんだろうか????? https://t.co/t…
@itaru_ohyama @syutoyoshikaze この辺の山間にも湿田というか、胸まで漬かるほどの結構深い湶田と呼ばれるものがあったそうです。 CiNii 論文 - 富山県中新川郡白萩地区における湶田部落の健康調査 (第I報) https://t.co/QJXfJ9rk8b #CiNii
@padoma37 おお、大分と前に読んだこれにそれっぽい事が書かれていましたです。 CiNii 論文 - 平安時代の焼身往生について https://t.co/ggjAzJbN3G #CiNii
RT @Kino_see: ⇒神事舞太夫、舞々、梓巫女が本山当山の修験や土御門家とのし烈な戦いをする! 論文。 CiNii 論文 -  近世後期における神事舞太夫と修験の争論 https://t.co/3kxhTNBkXg
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒馬部 隆弘 「江口合戦への道程 : 三好長慶と細川晴元の思惑」 『大阪大谷大学歴史文化研究』21 (2021/3) https://t.co/WkE9Dy2KiE
@uizhackiinmuufb @kankimura ええ、この辺の差異がややこしいんですよね。 あと、北陸では本山の整備された教理とは別枠の何かもっと土俗的な枠で蓮如さんや親鸞聖人が受容されて来ている感じがします。 CiNii 論文 - 神と人の間--北陸真宗門徒における蓮如伝承 https://t.co/Hcwvlsw9Hp #CiNii

1 0 0 0 OA 真宗全書

@QmHSxpgqThzrxfk 藩政期の文献、題名を思い出しました、『真宗懐古抄』です。 多分、私が見たやつはNDLのデジタルアーカイブの『真宗全書』にあったやつでした。 https://t.co/jPaKF7ZdXL

2 0 0 0 OA 真宗全書

@KKu26EALwm9A0xI ネットの情報は玉石混合で、不勉強な人が出鱈目を垂れ流している事例も珍しくなく、もしやと思いました。 なお、きちんと「玉」も存在して、例えば国会図書館のデジタルアーカイブスでは大正期の『真宗全書』(https://t.co/SrRhXHrAso)やその他の大分と古いものですが今でも使える史料集もあります。
CiNii 論文 -  研究資料 岩手・光林寺蔵 木造聖徳太子立像 https://t.co/Qh6l0UgGlM #CiNii
CiNii 論文 -  近代の立川流研究の端緒 -井上吉次郎著 『文観上人』 の誕生の背景を水原堯榮との交流から読み解く- https://t.co/6rtzz3Jhd9 #CiNii
CiNii 論文 -  一遍教学の一試論 : 一向俊聖との比較を中心に(第八部会,<特集>第六十八回学術大会紀要) https://t.co/3wZ7dykRC9 #CiNii
RT @Naga_Kyoto: 荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0N…
CiNii 論文 -  石山合戦譚の成長--勧化本「信長軍記」をめぐって https://t.co/Dnvn3UMqUh #CiNii
九尾の狐、瑞獣的な認識もあったのか。 CiNii 論文 -  山川の神々-1-「山海経」の研究 https://t.co/WX52yClGEH #CiNii
@ieyasuAvenue 薩摩での「一向宗」の認識に関しては神田先生の『信長と石山合戦』に言及があった筈です。あと、ネット上で見られるものでしたら、これが CiNii 論文 - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/MidZlxr77i #CiNii
ひょっとしたら、このお諏訪様は風鎮目的で勧進? CiNii 論文 - 富山県周辺における風祭と風鎌について https://t.co/pNO7gJhCll #CiNii https://t.co/IUIdggrP2u
CiNii 論文 -  南北朝期前後の連歌史における時衆 https://t.co/hFOUptiP8b #CiNii
CiNii 論文 -  天神と童子:―中世天神信仰の物語と図像― https://t.co/pvs8fnxaSe #CiNii
@kogakuboshige 明治初頭に石山軍記物はこんな感じで人気を博してた様なので、江戸の頃にはどの様に語られ受容されてたかを念頭に置いて考える必要はありそう。 CiNii 論文 -  明治期における石山軍記物演劇の流行と展開 : 歌舞伎「御文章石山軍記」を中心に (大取一馬教授退職記念号) https://t.co/iTQXdIt5IA
CiNii 論文 -  富山市内に現存する「兵隊地蔵」の碑文について https://t.co/9UlcOoIvp1 #CiNii
J-STAGE Articles - 加賀藩の瞽女と瞽女唄 https://t.co/9KS6KeXne8 婆様が幼少期に目撃したらしい目が不自由で三味線を弾いてた人、ひょっとしたら瞽女さん? ただ、残念ながら性別はどっちだったかと婆様に聞きそびれてしまった。

11 0 0 0 OA 大日本仏教全書

RT @HisadomeK: 今更ですが、国会図書館デジタルコレクションで《大日本仏教全書》が読める事に気付きました。 台密の『阿娑縛抄』はこちら。 https://t.co/wB0vceTamV
RT @nekonoizumi: 赤阪俊一先生の「カール禿頭王は本当に禿げていたか」は、ヨーロッパの中世において頭髪が持っていた象徴的な意味や、容姿と男性性の関係など当時のジェンダーにまつわる議論もある面白い論文です。>RT PDFあり。 『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』1…
CiNii 論文 -  中世興福寺の声聞師編成 https://t.co/2Cj2ymShL4 #CiNii
CiNii 論文 -  近世・町修験の基礎的研究 https://t.co/dbMy1X8JQt #CiNii
@kawauso99370757 @inakateichin CiNii 論文 - 日本ではイエスが馬小屋で生まれたとされているのはなぜか https://t.co/35SO3eBzLd #CiNii 日本でのイエス様の「馬小屋誕生設定」に関しては、太子様の設定から逆に流用されたのでは?説も。
CiNii 博士論文 - 地方修験の宗教民俗学的研究 https://t.co/bI1DaDNejy #CiNii
CiNii 論文 -  近世前期における石動山の山伏支配について https://t.co/9eOLD72RaJ #CiNii
CiNii 論文 -  瀬戸内海地域における真宗の伝播--周防・長門国を事例として https://t.co/YmjQQeHKjf #CiNii
J-STAGE Articles - 加越能の勝軍地蔵 https://t.co/kLJXJt3TBt
RT @megalithmury: 磐座は依代であるという言説は今も通説ですが、民俗学や祭祀考古学の分野では、もうそれは過去のものとなりつつあります。 オンライン上に論文も公開されているので、今後はこの議論を通過して述べる必要があります。 時枝務氏「神道考古学における依代の問…
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 天皇誕生日にかこつけて再宣伝ですが、この論文はとても面白かったです 室町時代の武家や公家、天皇が誕生日をどう意識していたのか、という点に目を向けた木下聡先生の論文。 推しの誕生日祝いをしたい方はどうぞ https://t.co/UUnQ…

2 0 0 0 OA 山の伝説

越中にある猫又山、『山の伝説日本アルプス篇』(青木純二 昭和5)には猫又がいたという昔話が。 https://t.co/eLBIQ8BXDp #猫の日

5 0 0 0 OA 肯構泉達録

ちなみに、このお社がどうやら『肯搆泉達録(https://t.co/kWw5Sh1Gi4)』の池で魚を釣ったら祟られるお諏訪様。 場所を引っ越してしまったので、この浅い防火用水のお池には文中の尺余の魚や巨大イモリ風の主は多分いない。 雪が残る中スイスイしてたこのアカピッピミシミシ、ひょっとしたら… https://t.co/E0yGPvpd77
CiNii 論文 -  北陸における風鎮祈願にまつわる行事とその由来 https://t.co/YZwj4WZ6tg #CiNii
CiNii 論文 -  興正寺および佛光寺の成立について https://t.co/Mx7EoIUtDT #CiNii

5 0 0 0 OA 肯構泉達録

越中にも甲賀三郎のお話が―藩政期の『肯搆泉達録』に載っている。 https://t.co/kWw5Sh1Gi4 こっちの甲賀三郎は「諏方」や「兼家」ではなく「唯直」というお名前になっている これは、何か別に元ネタが?はたまた、単なる記録者の勘違い?
@goshuinchou この辺の呉西エリア~加賀辺りでは蓮如さんのそんな感じの例が。 まあ、実際、中世期の地方では洛中から来た中央の政権とのコネが強力な存在はある意味、来訪神っぽいといえなくも(ry… CiNii 論文 - 神と人の間--北陸真宗門徒における蓮如伝承 https://t.co/Hcwvlsw9Hp #CiNii
通説系のネタ元の一つが江戸期の創作物の「石山合戦譚」と思われます。戦国期に大坂と呼ばれた所が石山と呼ばれ続ける程度に後世の認識への影響の強さを思わせます。 CiNii 論文 - 明治期における石山軍記物演劇の流行と展開 : 歌舞伎「御文章石山軍記」を中心に https://t.co/iTQXdIt5IA #CiNii https://t.co/oCoaaa1bTa
@KKu26EALwm9A0xI そもそも、中世期に「一向宗」と呼ばれた存在は、かなり幅広く、真宗以外の時宗や浄土宗の一派(一向俊聖による正しい意味での一向宗)、更には南九州の禁制では山伏や拝み屋なんかもその様に認識されていた様です。 CiNii 論文 - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/MidZlxr77i #CiNii
CiNii 論文 -  研究資料 福井県法雲寺蔵の岩佐又兵衛関係文書 https://t.co/otBobjS1yv #CiNii
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 波多野氏といえば、友人から教えてもらったこの論文が大変分かりやすくて勉強になりました。 ネットで閲覧できるのがありがたい 渡邊大門「波多野氏の丹波国支配をめぐって」(『鷹陵史学』37号 2011年) https://t.co/E08s…
CiNii 論文 -  2.室町時代における日本海沿岸の旅と修験霊山との関わり(テーマセッション1 日本海側の宗教を研究し学ぶこと) https://t.co/PzrecX2mxb #CiNii
CiNii 論文 -  近世初期における高田派の教団形成--「出家衆帳」の分析から https://t.co/k2s6Td2byh #CiNii
婆様が生前に、首狩りやお役人がどうといってたのはこれか。 大正末生まれの婆様、ここで紹介されてる『尋常小学 国語読本 巻八 文部省』の世代だったのかな。 CiNii 論文 - 「義人呉鳳」の誕生地・諸羅県(嘉義) : 呉鳳物語の生成 https://t.co/e427ALVri9 #CiNii

228 0 0 0 OA 畫本古鳥圖賀比

RT @terada50397416: これらのへんてこりんな絵は江戸時代の浮世絵師である耳鳥斎(にちょうさい)の『畫本古鳥圖賀比(えほんことりづかひ)』にある。 無料で読めるので暇つぶしにどうぞ。 https://t.co/nGILXGLqlB https://t.co/H…
J-STAGE Articles - 心霊スポットの空間分布パターンにみる超常現象観の時代変化 https://t.co/OrSYLEvRsI
海運の人々とは経豪さんが佛光寺を出る以前からのお付き合いだったのかな? CiNii 論文 - 平成八年度 特別研修員 研究発表要旨 : 戦国時代の興正寺について https://t.co/B1yaGEXnHc #CiNii
CiNii 論文 - 近世真宗伝道の一考察 : 東国における大蛇済度譚 https://t.co/YFHLj0jzaq #CiNii
RT @lenti_taiga: CiNii 論文 -  阿弥陀如来像と真言密教 https://t.co/lw06rmR8PQ #CiNii 95年だが、全43ページ中12ページを注釈に費やす。現在は多少見解の変化があるだろうが、顕教浄土教・観経の記述に沿った阿弥陀如来立…
CiNii 論文 -  山門公人の歴史的性格: 『砥園執行日記』の記事を中心に https://t.co/E1LOQHTlxk #CiNii

お気に入り一覧(最新100件)

まずそもそもどの地域の遊牧民の話をしてるか明確にしていただきたいですね(農耕も並行して可能な地域もあれば農耕したら土地が死ぬんじゃな地域もあるので「遊牧民」でくくれない(そもそもモンゴル草原でも匈奴のころから農業やっとる(吉田順一先生のこれ https://t.co/h3bQ6pQwsi https://t.co/Jg8ULanvUd
【続報】猿回しの件 『土御門家神職座頭渡世出入一件』 https://t.co/33F6qn3iGP この中の最後のページに「猿引」というのがあったが・・・  ⇒つづく https://t.co/immS2QQPEC
メモ 山本啓介「蹴鞠伝授書から見た室町・戦国期における飛鳥井家とその周辺」(『国文学研究資料館紀要. 文学研究篇』40号 2014年) https://t.co/zORqEUm60Q
「八百比丘尼伝説—山陰を中心にその伝承の種々相を考える—」っていう2002年の鳥取短期大学の論文を見つけたのですが、そこに出てくる「千年比丘尼」の話の方は、高橋留美子先生の「人魚の森」の「なりそこない」を思い出す感じで、「人魚の肉を食べて幽閉される」話でした。 https://t.co/176FgD2orh
「社会学者はしばしば「おもしろい」とか「おもしろくない」といって他人の研究を評価するが、おそらく、この「おもしろい」という言葉にコンセンサスの不在を隠蔽する機能がある…おもしろいけど学問的には価値のない研究はあるし、おもしろくなくても優れた研究はある」https://t.co/R35N8rkmxM
安藤 弥『戦国期本願寺「教団」の形成(研究ノート)』蓮如から実如期にかけての本願寺の動向について、入門となりそうな内容。 https://t.co/ZeG9NUMGIN
CiNii 論文 -  戦国期における鷹狩 : 足利将軍家・細川京兆家・公家を中心として https://t.co/k67VPQuzFT #CiNii
こうした本末関係は近世真言宗において広く見られ、門跡寺院は末寺に対し通常の本寺権(住持の任免等)を持たなかったという。 この希薄化した関係を強化しようとしたのが「院室兼帯」だったわけね。 坂本勝成「院室兼帯寺院について : 近世における新義真言宗寺院の場合」 https://t.co/dBfPHxxPCm https://t.co/9R8aSObnLd https://t.co/z72FF55mBd
真言宗ですが、将軍家と醍醐寺三宝院の関係でも、こちらの論文に興味深い話がありました。明応の政で義材実弟の門主周台が京都から脱出するに及び、「門主不在となった三宝院には九条家出身で細川政元の猶子の入室が決定されたが実現せず」とのこと。これ後の澄之ですよね。 https://t.co/stFcnM0Yhh

17 0 0 0 OA 故実叢書

先日、国会図書館デジタルコレクションで https://t.co/uKAWMdFazx 尊卑分脈の備中伊勢氏の系図を眺めていたところ、 備中守盛定の子の盛時の仮名が”八郎”になっていたので 「ん?誤記かな?」と思っていたんですが、、、 https://t.co/eXKWBe2Mgd
細川高国が犬追物の再興に熱心だった件、政元期から京兆家が犬追物を盛んに興行していたこともありますが、個人的には、高国が師匠・小笠原尚清の日記と共に小笠原氏の秘伝を継承しており、幼少の稙盛を後見する立場だったことも大きな要因と考えます。こちらの論文を参照。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
論文はこちらを紙に印刷して再読中です。やっぱり印刷して枕元に置かないと、頭に入ってきませんよね。(スマホがあればそうでもないのかな?) https://t.co/cEPkruBPB3
『日本史のまめまめしい知識 第1巻』木下聡先生の「室町幕府において将軍直臣に対して将軍以外が名前の一字を与えること」を読んで気になっていた、伊勢氏から「貞」字を授与されている奉公衆や在国被官に関して、興味深い論文。先行研究を辿る道標としても参考になりそう。 https://t.co/zCnHtHSvR8
PDF公開。塩谷菊美「軍記の描く本願寺と一揆:細川両家記・越州軍記・信長公記」(『同朋大学仏教文化研究所紀要』39、2020年3月)「石山合戦」と同じか直後の時期に作られた軍記の作者たちが、本願寺の一揆をどうみていたかを検証しようとするもの。https://t.co/AOnlwzrMXf #こんな論文がありました

5 0 0 0 OA 続群書類従

Twitter検索で、続群書類従武家部に収められている『伊勢貞助雑記』がNDLで読めることを知りました。「大唐の勘合はかり大内義興再興被申。其勘合ハ大内家に被預置訖。是は各別之儀候。」とか書いてる。礼法といっても、結構その時々の細々とした事を書き残してるんですね。 https://t.co/w1oBSbsIBn
当時、黒死病(ペスト)をユダヤ人のせいにしていなかったという研究は以下の論文読むといいです。 CiNii 論文 -  黒死病とユダヤ人迫害--事件の前後関係をめぐって https://t.co/3L1i12kfkx CiNii 論文 -  史料から探る黒死病--イギリスを中心に https://t.co/5mBFTjNBNl #CiNii
当時、黒死病(ペスト)をユダヤ人のせいにしていなかったという研究は以下の論文読むといいです。 CiNii 論文 -  黒死病とユダヤ人迫害--事件の前後関係をめぐって https://t.co/3L1i12kfkx CiNii 論文 -  史料から探る黒死病--イギリスを中心に https://t.co/5mBFTjNBNl #CiNii
松島周一先生の『延徳三・四年の織田敏定と細川政元』(https://t.co/vnTPF3s8oQ)や、石原比伊呂先生の『笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣』(https://t.co/K3o4bl0vtD)を読んだ上で、今のところは明応の政変に至る義材と政元の関係をそんな風に捉えています。
松島周一先生の『延徳三・四年の織田敏定と細川政元』(https://t.co/vnTPF3s8oQ)や、石原比伊呂先生の『笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣』(https://t.co/K3o4bl0vtD)を読んだ上で、今のところは明応の政変に至る義材と政元の関係をそんな風に捉えています。
こちらは東北学院大学学術情報リポジトリで無料で読めちゃう。有難い時代です。他にもいろいろあるので検索してみよう。 《史料紹介》石川県立図書館所蔵「本多家士軍功書」(竹井英文) https://t.co/bDriVXtS4J
畠山尚順を匿った疑惑で上原元秀により追い落とされた住吉大社の神主「津守国則」で検索して見つけた論文。堺の北荘と南荘が京兆家の支配下に入った経緯など分かりやすく解説されていました。北荘は摂津国で香西氏、南荘は和泉国で安富氏と、国も違えば代官も違ったんですね。 https://t.co/ecDH3KiMpM
PDF公開。神田千里「『越州軍記』にみる越前一向一揆」(『東洋大学文学部紀要.史学科篇』44、2019年3月)不明な点が少なくない越前一向一揆について、天正五年の奥書を持つ軍記物「越州軍記」を慎重に扱いつつ、北陸諸勢力との「外交」や政治史に即して実態考察を試みる。https://t.co/0tPCKv6iAD
馬部隆弘「丹波片山家文書と守護代内藤国貞」https://t.co/mdzlpShuaf いつの間にかPDF公開されてました。 >史料にしばしば登場するも、何者なのかよくわからない人物が畿内の戦国史には非常に多く残されている 冒頭からそれなボタン連打したい勢い
最近、室町後期と戦国時代の畿内史が自分の中でようやく繋がってきた実感がありますが、こちらの論文も面白かったです。摂津西成郡、中島城といえば典厩家ですが、嘉吉の乱で分郡守護が赤松家から没収され御料所となり、細川持賢が代官に任命されたのが始まりだったという話。 https://t.co/tjQbCbU2WM
南部密銭史は基本的に江戸期から明治最初期の話だけれども、それ以前から既に鋳造してた可能性あったんじゃねえの? って『中世後期日本貨幣史の再構築』で推測されてて夢が広がりんぐ。 https://t.co/fzPH9kLc13
CiNii 論文 -  14) 足利尊氏の歯(日本歯科医史学会第27回(平成11年度)学術大会講演事後抄録) https://t.co/fWUmS38Q3t #CiNii
興味深い論文。三好長慶の菩提所である大徳寺聚光院の成立経緯を考察されていますが、永禄の変前後の三好家の状況を把握して丁寧に書かれています。三好家について先行研究だけでなく東大史料編纂所のDBで独自に調査されたとのことで、註での考察も充実していて学びが多い。 https://t.co/5MNmrZZkEi
CiNii 論文 -  徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察-1- https://t.co/bNfu14xGbt #CiNii 福島正則らの改易についての論文はこちら。
CiNii 論文 -  中世における打ち首の技法 https://t.co/qJ7VGwork0 #CiNii
まあ目次見ただけでこんなの読みたくなりますね。備中高松城を毒ガス攻撃w 炭素太功記 https://t.co/MqRfcs0wuF https://t.co/7ahVwlUZ9p
危機の時代における中世王朝物語 : 『我身にたどる姫君』の善政描写をめぐって https://t.co/7Xq7G4rMQT 「『我身にたどる姫君」は、女帝の統治・今上帝の善政描写に特徴がある。それは机上の空論と見るべきではなく、鎌倉初期の九条兼実が実際に取り組んだ政策に
呉座勇一先生の『応仁の乱』が大ヒットし、亀田俊和先生が『観応の擾乱』を出す今こそ、亀田先生が立教大学史学研究会『史苑』第77号2に寄せた、呉座先生の一般書三冊の書評をどうぞ https://t.co/DB3rLHAZVt
CiNii 論文 -  百怪祭 : 陰陽道祭祀からみた中世における怪異意識の変容 https://t.co/la99VRPixB #CiNii
右上が炎上しているのは信長の比叡山焼き討ちのせいらしいよ?モンタヌスの日本誌、世界観本当に好き。 ちなみにこちらで無料で、しかも日本語訳で読めます。 リンク→https://t.co/mrJx2Dz9do https://t.co/at9JVhNW6s
@ou_fujiwara4 日本中世史論文bot @rkscinii CiNii 論文 - 摩多羅神の顕現とその芸能 https://t.co/sC92Xx0tOq … #CiNii
【資料】国文学研究資料館学術情報リポジトリに、中島和歌子氏の論文「『御堂関白記』の陰陽道」(国文学研究資料館紀要40 2014/3/14)がpdfで公開されています。興味のある方はぜひ https://t.co/gM3sfEP0gv

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