著者
岩田 和子
出版者
早稲田大学
巻号頁・発行日
2015

終了ページ : 220
著者
大宮司 勝弘 竹内 淳 岩岡 竜夫 岩田 利枝
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.74, no.636, pp.505-513, 2009-02-28

The purpose of this study is to identify the architectural characteristics of Kyoto Tower Building, which was designed by Mamoru Yamada. The description of space composition and the features of the architectural design of Kyoto Tower Building, at the initial completion time, are based on a documentary film showing the building under construction and pictures and drawings held by Osaka Yamada Mamoru Architects and Engineers. On the basis of Yamada's studies of the floor plans, the rough drawings and perspectives, the design process of this building is analyzed.
著者
岩田 泰 中根 一匡 河内 誠 野田 由美子 舟橋 恵二 後藤 研誠 西村 直子 尾崎 隆男
出版者
一般社団法人 日本臨床衛生検査技師会
雑誌
医学検査 (ISSN:09158669)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.617-621, 2015-09-25 (Released:2015-11-10)
参考文献数
17

Mycoplasma pneumoniae(Mp)は小児肺炎の重要な起因病原体である。われわれは,肺炎患者からloop-mediated isothermal amplification(LAMP)法を用いたMp DNA検出検査を実施しており,今回,最近5年間の成績を報告する。2009年4月~2014年3月に,肺炎の診断で当院に入院した小児2,215例から咽頭ぬぐい液を採取し,LAMP法によりMp DNAの検出を行った。2,215例中712例(32%)がMp DNA陽性であった。年齢は1ヶ月~15歳6ヶ月で中央値年齢が7歳2ヶ月であった。年度別のMp DNA検出例数は2009年37例,2010年161例,2011年308例,2012年147例,2013年59例であった。2011年に全国的なMp肺炎の流行があり,当院においても,2011年の9月に最も多い月間発生数をみた。検出例数の暦月別検討にて,春に少なく夏から初冬にかけて多いという季節集積性を認めた。712例全例でペア血清の抗体価を測定し,559例(79%)に抗体陽転または4倍以上の抗体価上昇を認めた。LAMP法によるMp DNA検出は簡便・迅速で感度が高く,小児Mp肺炎の有用な検査室診断法と考えられた。
著者
大曽根 隆志 岩田 栄之
出版者
富山県立大学
雑誌
富山県立大学紀要 (ISSN:09167633)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.60-68, 1991-03-30

By using Synthesized Crystal Growth Technology which can simultaneously grow several kinds of semiconductor crystals on a single substrate, it is proposed that high-performance Synthesized-CMOS Devices with high electron & hole mobilities can realize both of ultra high speed operation and ultra low power dissipation. Assuming the supply voltage of 3.0V and operation temperature at 77K, it is estimated that CMOS devices fabricated by the combination of (p-GaAs/n-Ge) crystals may show the most high performance characteristics among many combinations of element and III-V compound semiconductors. From the circuit simulations of CMOS inverter chain, delay time (τ) and product of delay time and power dissipation (τP) may be improved by a factor of 15 and 14,respectively, in comparison with the conventional Si-type CMOS devices. Moreover, it is expected that the integration density of the Synthesized-CMOS Devices may become higher by about 10 times.
著者
大井 節男 岩田 進午
出版者
社団法人 農業農村工学会
雑誌
農業土木学会誌 (ISSN:03695123)
巻号頁・発行日
vol.56, no.11, pp.1115-1121,a2, 1988-11-01 (Released:2011-08-11)
参考文献数
8

化学物質は, 土中の複雑な間隙の中を, 移流と拡散との結合した運動により移動する。そのため, ミクロに見ると, きわめて複雑な移動現象に見える。しかし, マクロ的には, 平均流速と分散係数のみで表される非常に単純な現象となり, この分散現象の理解こそが, 物質移動を解くカギとなる。分散現象に関連した概念は, 現在かなり混乱しており, 本講では, 分散の理論的背景と概念の整理が行われている。まず, 拡散現象について, 拡散とは何か, 拡散のスケール効果, 拡散速度を明らかにした上で, 次に, 移流と結合した分散現象を, 毛管中の分散, 粒子層中の分散, 土中の分散に分けて述べている。
著者
小野 和彦 岩田 靖
出版者
信州大学
雑誌
教育実践研究 : 信州大学教育学部附属教育実践総合センター紀要 (ISSN:13458868)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.77-86, 2002-07-31

The purpose of this paper is to report the lesson of "net-type(especially dual-type)" game practiced in elementary school. The reason that net-type game is selected to physical education curriculum depends on the theory of "tactical games approach". In this lesson, decision making process in the game context was emphasized as learning objective. Learning outcome was considered from the viewpoint of formative class evaluation scored by learners.
著者
足立 はるゑ 井上 眞人 井奈波 良一 岩田 弘敏
出版者
公益社団法人日本産業衛生学会
雑誌
産業衛生学雑誌 (ISSN:13410725)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.79-87, 1999-07-20
被引用文献数
9 6

某公立病院看護婦の精神健康状態とストレス対処行動の問題を検討するために230名の看護婦を対象に自記式質問紙調査をおこなった. GHQ 60及びSSCQによる評価ではストレッサー及びストレス評価尺度での高得点者が多くいることがわかった. GHQでは卆後1-2年の看護婦, 婦長, 手術室及び外来勤務の看護婦の精神健康度が低い傾向を示した. SSCQでの高得点者は卆後5年未満と当院で仕事の中心的な存在となっている卆後10年以上の者に多かった. 本調査で特徴的なことはGHQ調査で精神健康度が高い者のなかにもストレス対処行動等において高得点者, つまりストレス予備群を発見できたことである. 以上より, 職場の健康管理において, 職場環境及び労働条件, 勤務配置, 卆後教育等の配慮が必要であると共に看護婦自身が自らの健康状態やストレスを自覚し, 主体的な健康行動をとることが重要であると考えられた.
著者
田中 英道 松尾 大 野家 啓一 吉田 忠 鈴木 善三 岩田 靖夫
出版者
東北大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1993

芸術の問題を狭い範囲でとりあつかわれるのを避け、広義な意味での「形象」という概念でとりあげ、そこで他のジヤンルの表現形態との関連をさぐってきた。Formという言葉は哲学、生理学、言語学などでも使われるが、19世紀末から精神科学の領域にも適用されている。それはデイルタイの形象学的解釈学であり、それは世界観に諸々の類型があり、その形成の合法則性を認識しなければならないとするものである。またゲシユタルト心理学においては、目に直接与えられた形象がそれ以上還応できない事実であるとする。さらにフッサールの現象学は、彼が「根本現象」と呼ぶ本質的な現象を把握を目指すものであった。カッシラ-の「象徴形式の哲学」では、カント的な「慣性」や「感性」と区別しその新たなる総合を目指したのであった。又「構造主義」においても、構造を形象学的にとらえている。この流れはプラトンのイデア論のようにまず「神」とか「イデア」といった背景の観念から発し、それが「形相」としてアリストテレスが述べるような4つの因果性(質料、形相、運動、目的)からなるものとする。伝統的な概念と対立するものである。あるいは近代的なプラトン批判の系列に属する。イデアだけが本来実在するものであるとするのに対し、形象だけが本来実在し、そこから観念、が生まれる、というものである。われわれの研究成果はこのように西洋のプラトンから発する観念的な立場と反対の、物象そのものを「形象」としてとらえる立場の中から、さらに実践的に芸術作品そものの分析を通してその実相を明らかにするものである。研究代表者は美術作品を通して、そこから解釈できるさまざまな思想-イデアを抽出した。とくにミケランジエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの芸術作品はまさに「形象学」の対象として深い考察を行なった。又各分担者はそれぞれの分野から以上の方法論的な意識をもって考察を行なっている。
著者
芦田 美輪 藏岡 愛 西村 香織 芦塚 文美 牛島 信雄 本間 喜蔵 西本 勝太郎 岩田 貴子 竹中 基 佐藤 伸一
出版者
Western Division of Japanese Dermatological Association
雑誌
西日本皮膚科 = The Nishinihon journal of dermatology (ISSN:03869784)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.43-47, 2010-02-01
被引用文献数
1

15歳(中学生),地元相撲クラブの男子。体幹,四肢の鱗屑を伴う紅斑と左側頭部のBlackdot ringwormにて2007年3月に当科を受診した。<I>Trichophyton tonsurans</I>(<I>T. tonsurans</I>)を分離し,塩酸テルビナフィンの3ヵ月間内服にて治癒した。高校の相撲部に入部後も再発を繰り返し,その都度治療により治癒した。再発のたびに頭髪のhair brush法にてコロニー数を確認した。部内における皮膚の症状を認める部員は,試合や遠征合宿の後に増加する傾向にあった。アンケートによる調査で,顧問教官の指導がなく,<I>T. tonsurans</I>感染症の認識に乏しいことが分かり,再発を繰り返す原因として無症候性キャリアーの存在が考えられた。小・中学生の相撲クラブとの交流もあり,さらなる感染の拡大を防止するためにも,継続的な集団検診,指導者への啓発,治療の徹底が重要と考えた。
著者
岩田 一成
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.81-94, 2010-08-31

国立国語研究所が行った「生活のための日本語:全国調査」の結果によると,日本に住む外国人住民(インフォーマント)中,英語ができる人は44.0%で日本語ができる62.6%を下回ることがわかった.中国語ができる人は38.3%であることを考えると,もはや,英語だけを特別扱いする理由はない.広島での言語サービスを検証することで見えてくる英語志向をふまえて,本稿では「やさしい日本語」を現在より積極的に用いるべきであるという主張を行う.
著者
岩田 吉弘 福士 秀人 鈴木 義孝 平井 克哉
出版者
岐阜大学
雑誌
岐阜大学農学部研究報告 (ISSN:00724513)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.201-205, 1987-01-10

某輸入愛玩鳥卸売業者において,流涙,結膜の浮腫と充血,眼瞼腫張,角膜の混濁と潰瘍などの症状を示すオウム・インコ類の疾病が観察された。アオボウシインコ11羽中9例ならびにオカメインコ5羽およびボタンインコ4羽の全例からボックスウイルスが分離された。また,これらの症例からグラム陽性菌がほぼ純粋に検出され,混合感染によって病性が悪化すると考えられた。
著者
岩田 拓記 浅沼 順 大谷 義一 溝口 康子 安田 幸生
出版者
養賢堂
雑誌
農業気象 (ISSN:00218588)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.1-9, 2009-03-10
参考文献数
39
被引用文献数
2

サーフェスリニューアル法を顕熱輸送モデルとして用いて,日中の平坦なマツ林上における複数高度での乱流観測から算出した鉛直長さスケールと乱流輸送の関連性を調べた。鉛直方向の積分長さスケールは大気不安定が強くなるに従い大きくなる傾向を示したが,Raupach <i>et al.</i> (1996, Boundary-Layer Meteorol., 78, 351-382) のシア長さスケールは大気安定度に比較的依存しなかった。これらの長さスケールを輸送渦の高さとして用い,サーフェスリニューアル法によって顕熱フラックスを算出した。渦相関法で算出したフラックスと比較した結果,異なる長さスケールを用いたサーフェスリニューアル法のパフォーマンスは不安定条件下で大きく異なり,積分スケールを用いた場合のフラックスの精度が最も良かった。これらの相違は長さスケールの安定度依存に関係していると考えられる。この結果は,渦のスケールを直接測定した積分スールをサーフェスリニューアル法において用いることが妥当であることを示している。また,乱流生成において浮力の影響が大きいときには,シア長さスケールは粗度層の渦スケールを表すのに制限がある可能性が示唆された。
著者
岩田 修二
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.275-296, 2014
被引用文献数
3

日本アルプスの氷河地形研究における転向点1(1940年)は,発見時代の多様な氷河地形を今村学郎がアルプス型氷河地形だけに限定した時点である.転向点2(1963年)は,空中写真判読による日本アルプス全域の氷河地形分布図を五百沢智也が発表した時点である.その後,日本アルプスの氷河地形研究は大きく進展したが,転向点3(2013年)は,「地すべり研究グループ」によって複数の氷河地形がランドスライド地形と認定された時点である.転向点3以後における日本アルプスの氷河地形研究の課題は:1.露頭での詳細調査による氷河堆積物とランドスライド堆積物との識別,2.白馬岳北方山域での氷河地形とランドスライド地形との峻別,3.白馬岳北方山域での山頂氷帽の証拠発見,4.剱岳の雪渓氷河や後立山連峰のトルキスタン型氷河がつくる氷河地形の解明である.つまり,急峻な山地での氷河による侵食・堆積作用とその結果できる地形を見直す必要がある.
著者
岩田 和男
出版者
愛知学院大学
雑誌
愛知学院大学教養部紀要 (ISSN:09162631)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.55-73, 1992-07-20

本論文は、平成2年度の文部省科学研究費 (奨励研究A) の援助による研究、「英語文学作品に現われる日本のイメジの変遷」(課題番号02710212) の具体的成果の発表である。目的は西洋人が抱く日本の典型的イメージの一つであるムスメを分析することで、明治以降そのイメージがどのように形成されていったか、どんな特徴があるのかを調べることにある。研究の基本的態度はいわば西洋中心主義的日本理解批判である。Ruth Benedict, The Chrysanthemum and the Sword (1946) に代表されるように、日本人の精神構造は二つの相反するイメージ、しとやかな上品さと激しい攻撃性 (daintiness and violence) の不可解な融合として理解されている。しかし、そういう西洋のイメージ分類法に従った理解は一種の偏向であり、「ムスメ=すみれ」というステレオタイプには、明治以降の西洋人の目を通した日本ムスメのイメージが固着している。それはまた日本人に決定的な影響をもたらしている。既に日常感覚とは程遠いジャポネスクに驚くほど依拠して、日本人は自らを語るのである。だからこそそれは東洋的視点から見直される必要がある。まず「ムスメ」という言葉が英語文学に登場する歴史的文脈を検討する。要点は、(1) 文化交流史の観点に立つと明治維新とは新しいジャポニズムの始まりであった、(2) 英語文学における「日本」は反西洋文明、すなわち地上楽園 (Paradiso Terrestre) の記号的特徴を帯びる、以上二点である。必然的に英語文学上のムスメは少なからず虚構化される。それは、当時出版された書物のうち多くのタイトルにムスメの固有名が使われたほどその存在がポピュラーだったという事実に符合する。虚構化の一例を辿る。ムスメの図像的類型は当初写実的要素が強かった。彼女らは大抵背が低く、実年齢よりも若く見え、狐目をしていて、体型は日本的であった。しかし、驚くほど外国人に親切であけっぴろげなムスメという別の定型が示すように、写実的な要素と明治ジャパノロジストの彼らなりの価値が混在してムスメ観は成立している。だから小説に描かれるムスメの絵も英国人的姿をとるようになる。それは恐らくほとんどの読物が西洋男性によって書かれたという事実に深い関係がある。ムスメ虚構化の裏には当時の西洋男性が抱えていた現実があり、西洋女性がある。ムスメとは西洋男性の現実逃避の文学的手段なのである。男性側の現実を要約する。Dawn Lander, "Eve among the Indians" によると、アメリカ開拓文学には男性中心主義 (masculinism) が明らかである。開拓部落の男たちは白人のまともな女性を荒原に必要としない。そこでは性差上の他者、すなわち黒人、インディアン、白人娼婦がいればいいのである。このアメリカ西部の話は明治期日本にあてはまる。まずは地理上、"Far West" と呼ばれた西海岸よりさらに西にある日本は、アメリカ人から次の西部と呼ばれる可能性を潜在的に常に持つ。それに James Francis Abbott が指摘するように the Spanish-American War (1898) がアメリカの積極的外交政策をヨーロッパ諸国に示した端緒だとすれば、日本=新たな開拓地という見方は成り立つ。また英国では英国固有の特殊事情、婦人参政権運動が英国男性を日本へと向かわせた。西洋男性が演じるべき役柄は文学的類型で言えばオデュッセウス、日本ムスメはキュルケーである。Ayame-san ; a Japanese romance of the 23rd Year of the Meiji 例にとる。それは二人の地球放浪者 (globe-trotters)、オラファティー (O'Rafferty) とギフォード (Gifford) が日本を舞台に活躍する冒険恋愛物語である。この小説で印象的なのは次の三点である。(1) ギフォードという画家はアヤメに会ってから美の規範が西洋から日本に移行する。しかもアヤメを描いた絵は小部屋でひとり見るべき「聖なるもの」であり、その一種の洞窟での夢想は東洋のキュルケーとの秘かな楽しみを連想させる。(2) 女を逸脱しないムスメという構図は男にとって実に都合がいい。アヤメは自立を夢見ているというのにギフォードに旅行に出るよう勧められると、それが男のものであることにこだわる。三人で旅行に出ることを暗示して物語は終わるから最終的にこの図式は壊れるのだが、規を越えない女という構図に変化はない。(3) この小説は西洋の男性とムスメの間にありそうな愛の形を示している。物語には二人の合法的な結婚を将来に暗示する言葉はない。それは、日本を舞台にした英語文学のうち、東洋と西洋の文化摩擦を主題にするもう一つのタイプとは著しい対照をなしている。そこから見えてくるものは西洋男性のマッチョ願望であり、その文学的実現の装置としてムスメは不可欠であった。キュルケーの島で西洋女性がどういう役割をするのか、The Twin Soul of O'Take San (1914) を例に考察する。物語はガールストン (Garleston) 夫妻の離婚話から始まる。妻のセオドラ (Theodora) は夫オーエン (Owen) にコントロールされることを嫌う。自らを「制御されない女」と呼ぶ彼女は、かたくなであるがゆえにかえって男性優位の価値観に縛られた姿を浮き彫りにする。そこに私たちはヴィクトリア朝女性観の抗い難い浸透ぶりを見る。セオドラが馬鹿な女として描かれるのは社会イデオロギー上当然なのである。道徳とは男性の立場から構築されており、女性の立場に固執することは男性側の道徳・女性観に必然的に対立する。この男性中心主義こそがジャパノロジストをして、婦人参政権運動を背景にした女性の権利主張に対するアンチテーゼという役割を、日本のムスメに与えせしむるのである。オーエンは日本を訪れ、オタケさんというムスメを愛するようになる。オーエンが二人を精神的な意味での双子 (twin-souls) なのだと訴える場面があるが、それは彼とムスメとの不可分の関係、ムスメが彼のいわば理想的な影であることを示している。オーエンは来日前に、世界で忘れられたような場所 ("some out-of-the-wey place in the Far East") へ行きたいと言った。それは英国という彼の故郷とは正反対の場所である。その正反対さは、オタケの単純、無垢、聡明という性格がセオドラの複雑、不可解と正反対なことと奇妙に一致する。結局このようなジャポニズムは幻想なのである。ひとはあるべき場所に戻らなければならない。物語の構造上セオドラの改俊は必須である。果して彼女は来日し自分の心境の変化、わがままの後悔、全き犠牲への覚悟を語る。彼女は男性中心の道徳の軍門に下ったわけだ。利益を受けるのはオーエンただ一人である。セオドラは臨終の床のオタケと会うが、そのときオタケからオーエンとの間にできた子供 (もう一つの彼の影) のことを頼まれる。オタケとセオドラが物語構造上の二項対立であったことは明らかで、オタケはセオドラの逆像にすぎない。臨終の時のオタケの視線はセオドラには「深い水底 (profound abysses)」を思わせた。この視線は、結局ムスメのイメージとは西洋人にとっては全体的には不可解であることを象徴的に示す。確かに部分的特徴は理解できるが、そのイメージの核を成す部分 (一種の超自然性) がサムライのイメージと同様理解不能のまま残る。たおやかなイメージのムスメの中に相容れない要素が神秘的に混在しているのを発見するのはショックである。だからこそ彼らは繰り返しムスメの中のサムライ的要素に注目する。ムスメは英語文学の中で異質な影、他者という役割のみが与えられている。それはおそらく絶対他者、あるいはサムライのイメージに収斂されるものと定義し直すことができるだろう。
著者
岩田 正美
出版者
社会政策学会
雑誌
社会政策学会誌
巻号頁・発行日
no.16, pp.21-35, 2006-09-30

The focus of social welfare has recently shifted from welfare to workfare, and the term "independence" has become common in the social welfare field. More particularly, welfare policies for poor working people emphasized the achievement of independence through job programs. Job programs are not new to the social welfare field. Various methods are used to integrate job programs with welfare policies. This paper categorized adoption of job programs in welfare policies into three models: the substitution model, the addition model and the exclusion model. In the substitution model, job programs are seen as substitution to income supports and/or welfare services, while the addition model sees job programs as addition to income supports and/or welfare services as needed. The exclusion model assumes un-employability, thus, according to the model, a job program is not applied to those incapable to work, i.e. the elderly and the disabled, but income supports or social services are provided to them instead. In Japan before WW2, the Kyugo-ho (Poor Relief Law enforced between 1932 and 1946) was the typical implementation of the exclusion model. The Seikatuhogo-ho (Daily Life Security Law, 1950) first focused on balance between job programs and welfare benefits. The law became to exclude those capable to work and to target mainly the elderly and disabled, thus, job programs under the law hardly functioned. Since the late 1990s, some local governments have developed job programs for homeless people under the pretext of "independent living support". The national government enshrined these programs into 10-year provisional act, the Homeless Act based on efforts of local governments. The Homeless Act is to be applied before a person receives social assistance and is intended to first attempt to include the person in society through paid work. This program demonstrates substitution to the conventional model. Experiences in Tokyo suggest a number of difficulties in homeless policies associated with job programs (the substitute model). First, there is a limitation in the public sector to promote jobs as substitution of welfare. It should be noted that the job programs helped the homeless to return to the labor market by bridging employment with welfare. However, the public institutions can only encourage expansion of employment, but they can not expand employment itself. Second, the programs rates people according to their employability, and as a result, some people are excluded from the programs. Third, people excluded from the programs are stigmatized as people who have failed to become independent, and as a result of this stigmatization they may be undervalued. The contradictions of these programs led to the establishment of a new program in Tokyo known as "inclusion through housing". Yet this program also has its limitations; its services only include introduction of temporary jobs but exclude income supports. In 2005, new job programs were introduced to the Seikatsuhogo-ho and the childcare allowance to single-mother households. Unlike the job programs for the homeless, the introduction can be seen as the additional model (addition to income supports). Although this paper is not in the position to judge whether the additional model is successful, it should be noted that it is important to give job programs to cover all poor working people without reducing income supports to them.
著者
岩田 靖夫
出版者
日本西洋古典学会
雑誌
西洋古典學研究 (ISSN:04479114)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.15-28, 1979-03-29

"What is Place?" To this question Aristotle proposes four possible answers: form (ειδο&b.sigmav;) , matter (υλη) , the empty interval (διαστημα) between the extremities of the containing body and the limit of the containing body (περα&b.sigmav; του περιεχοντο&b.sigmav;), and examines these possibilities one by one. First, both place and form contain things so that we could say they are similar in this respect. But, while form is the boundary of the contained body and not separable from it, place is the boundary of the containing body and separable from the contained one. So we must say place is not form. Second, both place and matter receive qualities or other limitations, and in this respect they somehow seem to resemble each other. But, while matter is neither separable from the thing nor contains it, place is separable from it and contains it. So, also in this case, we must say matter is not place. The third possible answer, that is, the empty interval seems to be most appropriate as the explanation of place. But Aristotle denies even this answer. His main argument is as follows. If there were an interval which existed by itself(καθ' αυτο ειναι) , it would be a hypostatized κενον, which would further demand its own place to be in, so that there would be a place of place ad infinitum. (This argument of Aristotle seems in my opinion not to be so successful. But even if it fails, it reveals, by his strong denial of the existence of κενον, his conception of κοσμο&b.sigmav; which matters to us. Thus the only remaining answer is the fourth, that is, "the first unmoved limit of the containing body(πρωτον ακινητον περα&b.sigmav; του περιεχοντο&b.sigmav;)" which is indeed to be the final definition of place by Aristotle. This definition has two important characteristics. One point : Place as Aristotle understands it, is not an independent reality but the relation of a containing body to a contained one. In other words, place is an attribute of bodies. Another point: Although place as above said is the relation between bodies, it does not necessarily mean that place is a relative phenomenon. Rather, he says, the containing body realizing the role of place must be unmoved. From this it follows that place as a relation must be based on an absolute measure. This measure is just the everlastingly revolving circumference of the universe (κοινο&b.sigmav; τοπο&b.sigmav;)and the four ringed layers of the elements fire, air, water, earth-(οικειο&b.sigmav; τοπο&b.sigmav;)whose unalterable absolute arrangement in the incessant change into one another imitates the constant movement of the heaven. This fact that the elements have a natural tendency to move towards their own(respectively different)places is the very reason why he denied so strongly the existence of the void which implies the negation of all differentiation. Conclusion: the universe which is reflected in his theory of place is a finite(πεπερασμενον) and complete (τελειον) universe which is so densely filled (πληρε&b.sigmav;) by bodies that it has no empty interstices at all. Actually there exists no infinite thing. In ontology he was essentially the most genuine successor to Parmenidean theory of being.
著者
岩田 貢
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.97-112, 2012-09-28
著者
岩田 聡 河野 健二
出版者
情報処理学会
雑誌
情報処理学会論文誌コンピューティングシステム(ACS) (ISSN:18827829)
巻号頁・発行日
vol.3, no.3, pp.221-234, 2010-09-17

ウェブアプリケーションの性能異常が重要な問題となりつつあり,性能異常の発生をいち早く検出し,被害が致命的になるのを防ぐことが求められている.しかし,性能指標の1つとして用いられるリクエストの処理時間は,正常時でも揺らぎが大きいため,その微妙な変化から性能異常の兆候を検出することは難しい.そこで,本論文では管理図という統計的手法を利用して,リクエストの処理時間に表れる微妙な変化から性能異常兆候の検出を試みる.その際,検出の精度向上や検出後の原因究明に有益な情報を得るために2つの工夫を行っている.1つは,監視対象の値として個々のリクエストの処理時間ではなく,一定時間ごとのリクエストの処理時間に関する4種類の統計値を用いている点である.もう1つはウェブアプリケーション全体ではなく,リクエストの種類ごとに管理図を作成する点である.実際にRUBiSというウェブアプリケーションに管理図を適用した結果,性能異常の兆候をつかむことができた.管理図によって検出されたいくつかの性能異常の兆候を詳細に調査した結果,(1)データベースへのインデックスの追加および,(2)性能パラメータの調整などを行うことによって,検出された性能異常が解決できることを確認した.Performance anomaly is becoming a serious problem in web applications. To prevent performance anomaly, it is useful to detect a symptom of performance anomaly to proactively take action against it. Unfortunately, a symptom of performance anomaly is a slight change in processing time in a web application. Thus it is difficult to detect the symptoms without being confused by natural fluctuations in processing time. In this paper, we apply control charts, a statistical method to detect deviations from the standard quality of products, to detecting symptoms of performance anomaly. In applying control charts, we devise some means to improve detection accuracy and gain useful information for debugging performance anomaly. To demonstrate the usefulness of control charts, we conducted case studies with RUBiS, an auction site modeled after ebay.com. Control charts detected some symptoms of performance anomaly: (1) the increase in processing time due to inappropriate design of database index, and (2) the increase in processing time due to improper setting of performance parameters. We confirmed that the detected anomalies can be fixed by modifying database design and performance parameters.