- 著者
-
和田 崇
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- pp.100309, 2014 (Released:2014-03-31)
映画制作業は文化・コンテンツ産業あるいは創造産業の一つであり,都市への集積が顕著にみられる。その一方で近年,芸術的および経済的な理由から撮影工程がハリウッドから離れた国内外の他都市で行われるケースが増加しており,映画産業の空洞化をもたらす「逃げる生産問題(Runaway production)」として認識されている。撮影工程の空間的分離は,撮影隊の滞在に伴う経済的効果に加え,映画公開を通じた知名度および地域イメージの向上,住民らによる地域魅力の再発見とまちづくり機運の高まり,撮影地を訪れる観光客数の増加など,撮影地に多面的な効果をもたらす可能性がある。そのため近年,自治体や経済団体はフィルム・コミッションを組織し,映画撮影の誘致および支援,映画公開に乗じた観光振興に積極的に取り組むようになっている(Beeton 2005ほか)。 以上を踏まえ本報告は,映画制作業にみられる撮影工程の空間的分離とそれへの地域的対応の実態を報告することを目的とする。具体的に,制作本数(2010年)が世界最多で,近年は「バージン・ロケーション」を求めて海外での撮影が急増しているといわれるインド映画をとりあげ,2013年から新たな撮影地の一つとして注目されつつある日本における撮影実態を日本のフィルム・コミッションによる誘致・支援活動とあわせて報告する。 富山県では2013年4月,タミル語映画の撮影が行われた。富山で撮影が行われることになったきっかけは,2012年9月に駐日インド大使が富山県知事を表敬訪問した際に,同大使が知事にインド映画の富山ロケ誘致を提案したことにある。知事がその提案に関心を示すと,インド大使館は東京でICT関連事業と日印交流事業などを営むMJ社を富山ロケーション・オフィスに紹介した。MJ社がインド人社員N氏の知人であるチェンナイ在住の映画監督を通じてタミル映画界に富山ロケを働きかけたところ,U社が上記映画のダンスシーンを富山で撮影することを決定した。2013年3月に事前調整のために監督などが富山に滞在したのに続き,同年4月に27名の撮影チームが富山を訪問し,9日間にわたり富山市内のほか立山や五箇山合掌造り集落などで撮影を行った。この映画は2014年6月からタミル・ナードゥ州はもとより隣接3州,海外の映画館でも2か月以上にわたって上映され,公開後3週間はタミル語映画売上ランキング1位を記録するなど,興行的に成功した。一方,富山ロケによる地域波及効果は,撮影チームの滞在に伴う経済効果として約360万円が推計されるほか,日本とインドのメディアによる紹介,俳優らによるFacebook記事,映画および宣伝映像を通じた風景の露出などを通じて,相当のPR効果があったとみられている。映画鑑賞を動機とした観光行動については,インド本国からの観光客は確認できないものの,在日インド人による富山訪問件数が若干増加しているという。 大阪府では2013年8月にタミル語映画,同年11月にヒンディー語映画の撮影が行われた。大阪とインド映画の関わりは,大阪府と大阪市などが共同で運営する大阪フィルム・カウンシルがインドの市場規模と映画が娯楽の中心であることに着目し,2012年度からインド映画の撮影誘致活動を展開するようになったのが始まりである。具体的には2013年2月にムンバイを訪問し,映画関係者に大阪ロケを働きかけたが,そこでは十分な成果を挙げることができなかった。一方で同じ頃,神戸で日印交流事業などを営むJI社のインド人経営者S氏が大阪フィルム・カウンシルにインド映画の撮影受入の可能性を打診しており,2013年5月にはいよいよタミル語映画の撮影受入を提案した。大阪フィルム・カウンシルはこの提案を受け入れ,撮影チームとの調整業務についてJI社と契約を締結した。2013年8月に25名の撮影チームが大阪と神戸を訪れ,水族館や高層ビル,植物園などで撮影を行った。その後,JI社からヒンディー語映画の撮影受入が提案され,同年11月に約40名の撮影チームが大阪城公園などで撮影を行った。 大阪ロケによる地域波及効果については,富山ロケと同様に,撮影チームの滞在に伴う経済効果と各種メディアを通じたPR効果があったとみられるが,映画鑑賞を動機としたインド人観光客数の増加は確認されていない。 2つの事例に共通する点として,①フィルム・コミッションがインドからの観光客増加を目指して撮影受入・支援に取り組んでいること,②実際の撮影受入・支援には在日インド人が重要な役割を果たしていること,③現段階ではインド人観光客数の増加は確認できないこと,が挙げられる。この他,両フィルム・コミッションとも撮影支援を通じて日本とインドのビジネス慣行や文化の違いが浮き彫りになったと指摘している。