著者
川池 健司 馬場 康之 武田 誠
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

近年、豪雨によって頻発している内水氾濫を実験室で再現するため、内水氾濫実験装置を作成した。この装置を用いて内水氾濫を発生させ、数値解析モデルの結果と比較した。その結果、内水氾濫の発生の有無および浸水規模を規定する、地上と下水道管渠の雨水のやり取りを扱うモデルとして、従来の段落ち式と越流公式では両者の間の流量を過剰に評価してしまうことが明らかとなった。当面の措置として両公式中の流量係数の改正値を提案したが、今後は新たな定式化も視野に入れた更なる検討が必要と考えられる。
著者
岩田 浩太郎
出版者
山形大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

以下の3つの柱を立てて研究調査活動をおこなった。主な内容の概略をまとめる。I 豪農経営間の相互関係に着目した地域社会構造に関する実証研究まず、(1)大規模豪農-中小豪農の経営間の階層的関係に関する研究、を実施した。大規模豪農の金融を受けながら中小豪農が商業金融や地主経営の回転資金や村役人としての活動資金を得て自己の豪農経営を存立させる形で、豪農間にヒエラリッシュな関係構造が存在することを実態的に研究した。つぎに、(2)山形城下町商人の経営構造に関する研究、おこなった。山形城下町巨大商人の経営実態を新史料を発掘して考察し、幕末期に村山郡はもちろん南奥羽をおおう経済活動を展開し大規模豪農とも金融関係を強化していく彼ら巨大商人の蓄積様式について考察を進めた。II 幕末期地域社会の政治的経済的文化的ヘゲモニーの関係構造に関する研究まず、(1)大規模豪農-中小豪農の間の諸ヘゲモニー関係に関する研究、を実施した。大規模豪農の金融力を基礎とした経済的なヘゲモニーの傘下に、村役人や組合村惣代の各管轄地域における政治的ヘゲモニーが位置付いていることを検証した。中小豪農による政治的活動は普段は独自なものだが、緊急危機時や大規模豪農の経営発展に関わる局面などにおいては大規模豪農のヘゲモニーに編成される傾向にあることを指摘した。また、(2)大規模豪農と地域社会の宗教民俗文化動向との関係に関する研究、をおこない、大規模豪農が契約講や伊勢講の整備に尽力し居村や地域の宗教文化的な諸活動を支援し、自己の地域基盤を強化し農兵組織化などの基盤を培っていった動向を考察した。III 近世近代移行期における地域社会のヘゲモニー構造の変動過程に関する総括的研究まず、(1)幕末〜明治前期における地域社会のヘゲモニーと政治情報に関する研究、を実施した。激動する政治情報の入手ルートを、豪農間の思想文化的ネットワークや本家-分家関係に基づく神職の江戸派遣などの新史料により検討した。また、(2)大規模豪農-中小豪農・村役人の間の諸ヘゲモニー関係に関する研究、を総括的におこない、小作争議に直面した中小豪農が大規模豪農に連携し地主講が支配領域を越えて組織されるとともに、大規模豪農の強力なヘゲモニーのもとで農兵組織がつくられた過程を考察した。この過程で培われた豪農間の関係性は維新後の養蚕振興を中核とする地域の殖産勧業の推進主体に確実に帰結し、同時に県会議員ネットワークの基礎ともなることを展望した。
著者
目時 弘仁
出版者
東北大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

BOSHI研究では1年間を通じて317人の登録を行い、研究開始時より計831名の参加者となった。平成20年3月31日までに出産者した正常血圧妊婦109人を対象で、心拍数とショックインデックスは妊娠経過とともに増加して妊娠33週で最高値となり、以降は減少した。一方、ダブル・プロダクトは妊娠初期から妊娠後期までに単調に増加した。妊娠経過や季節変動が心拍数やダブル・プロダクトに及ぼす影響は、妊娠経過の影響が大きかったが、ショックインデックスは季節変動の影響が大きく、夏期に顕著に上昇した。平成21年3月31日までに出産した正常血圧妊婦258名に対象を広げ、妊娠初期の基礎特性とその後の血圧推移との関連を検討した。妊娠前に肥満であった妊婦は、妊娠時の血圧が正常レベルであっても、正常BMIの妊婦と比較し有意に高値であった。また、妊娠前にBMIが18.5未満であった群では2500g未満の低出生体重児であった割合が高かった。さらに、妊娠初期の血中インスリン濃度やHOMA指数と血圧推移との関連を調べたところ、血中インスリン濃度が高くなるにつれて、妊娠期間中の血圧レベルが高くなるばかりでなく、妊娠中期の収縮期家庭血圧低下は減弱した。大迫研究では、遺伝子多型や親の長寿と高血圧新規発症・高血圧有病との関連を検討した。計53個のSNPsのうち、RGS2、ADD1、CACNA2D2、CATの4つのSNPが高血圧発症と有意に関連し、オッズ比は1.6倍から1.9倍、P値は0.01から0.04であった。両親の長寿は、子の成人時の高血圧と関連し、母親が69歳未満で死亡した場合、子の血圧は127.4±13.2/76.2±9.1mmHg、84歳以上まで生きていた場合には123.4±15.2/74.4±10.3mmHgで、長寿の母親を持っ子の血圧レベルは有意に低かった。父親の場合も同様であった。
著者
二井 一禎
出版者
京都大学
雑誌
萌芽的研究
巻号頁・発行日
1997

マツ材線虫病の病原体マツノザイセンチュウ(Bursaphelenchus xylophllus)の日本国内での分化程度を調べるため、国内各地から採集した9つのアイソレイト間の特性比較を行った。まず、DNAのITS2(504bp)、及びHSP70A(378bp)領域の塩基配列を比較した。これらの領域は変異の蓄積しやすい領域であり、アイソレイト間比較には有効な領域であると考えられた。しかし、今回調査した9アイソレイト間ではいずれの領域でも塩基配列は完全に一致し、変異は認められなかった。また、これら9アイソレイトの塩基配列をこれまでの研究から明らかになっている海外のアイソレイトの塩基配列と比較すると、アメリカの1アイソレイトとITS2領域はすべて一致し、HSP70A領域でも高い相同性(99%)が得られ、日本国内のアイソレイトとアメリカのアイソレイトの近縁性が認められた。これは、日本国内のマツノザイセンチュウがアメリカからの侵入種であるという従来の仮説を支持するものであった。同時に、国内のアイソレイトがほぼ単一起源に近く、また、大きな分化のまだ起きていないかなり均質なものなのではないか、と考えられた。続いて、このように近縁なアイソレイトの形態や生理的特性に変異が生じていないのかどうかということを調査するために、これらの9アイソレイトに関して、形態を比較したところ、それぞれの値に関してアイソレイト間に有意差があることが明らかになり、形態においてはアイソレイト間に分化が認められた。次に,胚発生における発育ゼロ点に着目して温度に対する適応性をアイソレイト間で比較したところ、発育ゼロ点は7〜10℃となり、アイソレイト間に差があることが明らかになった。最後に、各アイソレイトの病原力に対する温度の影響を調べた結果、枯死実生の乾重、線虫数にはアイソレイト間差はみられなかった。一方、接種から枯死に至る所要日数に関しては、温度の影響、アイソレイト間差、それらの交互作用ともに有意性が認められた(二元配置分散分析)。さらに、100日目の段階における枯死率では、20、25℃の区でアイソレイト間差が認められた(カイ二乗検定)。
著者
福田 友子
出版者
千葉大学
雑誌
研究活動スタート支援
巻号頁・発行日
2010

本研究は、トランスナショナルな移住形態が顕著に、かつ継続的に見られる、在日/元在日パキスタン人移民とその家族を調査対象者として取り上げ、日本社会に一旦適応したはずのパキスタン人移民が日本社会を離れることを決断し、「第三国」や「最終目的国」に再移住して活動拠点を形成する過程を分析し、その背景にどのような要因があるのかを考察した。そして「間接移民システム」モデルとトランスナショナリズム論を組み合わせながら、独自の説明図式を提示した。
著者
川合 安
出版者
北海道大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1993

六朝時代における官制改革論の中で一貫して提起され続けた重要な論点の一つが、地方分権の推進であることが明らかになった。地方分権の主張は、曹操政権の時代(三世紀初頭)、「封建論」として提起される。中央集権的な郡県制を採用した秦漢古代帝国が滅亡の危機に瀕していたこの時期、理想的な周代封建制回帰の志向が強まったのである。「封建論」を最初に提起した荀悦は、封建諸侯の政治は王と領民と双方の規制を受け、王の政治も諸侯の規制を受けて、極端な悪政の出現が防止される点をメリットとして強調する。当時の論者の中には、封建の立場をとらず、郡県制の枠内で地方長官に領兵権を与えることを主張する者もあった(司馬朗)が、権力の分散という方向性においては「封建論」と軌を一にしていたといえよう。三国・魏の後半には、司馬氏の台頭に対する危機感から、皇室曹氏擁護のための皇族封建が強く主張される(曹問等)。司馬氏による西晋王朝創業の際にも、魏滅亡の教訓から皇族封建が主張された(段灼)。これら皇族封建論にも分権という論点が欠落していたわけではないが、皇族重用の方に力点があった。西晋の皇族「封建」政策は、皇族重用ではあっても、地方分権ではなく、実質的には郡県制であった。この点に対する批判は、劉頌や陸機によって展開され、封建制採用による地方政治の活性化が唱えられた。が、四世紀初頭、西晋の皇族「封建」が無惨な失敗に終わると、封建の魅力は大きく後退し、四世紀後半の袁宏を最後に、「封建論」はみられなくなる。かわって登場してくるのが、郡県制の枠内で地方長官の任期を長期化する等の措置を講じて、地方分権を実現しようとする主張である。その嚆矢は、四世紀初頭の丁潭であり、六世紀初頭の南朝・梁の官制改革を主導した沈約の地方分権論へとつながっていくのである。
著者
藤井 律之
出版者
京都大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2003

今年度は、前二年度におけるデータをもとに論文を作成したので、その要旨を以て概要に代える。魏晋南北朝時代、とくに東晋から南朝では、官職の清濁が選挙の基準であり、官品が官人の地位を表象しなかった。そのため、官職の兼任によって、官僚の地位を昇進させる場合があった。官職の兼任は、従来注目されてこなかったが、侍中領衛(侍中が左右衛将軍を兼任すること)に代表される、侍中と内号将軍(西省ともよばれる)の兼任は、兼任によって地位が異動することを示す典型的な事例である。侍中は、尚書令へと続く最上級官僚の昇進経路のスタートにあたり、南朝では、侍中→列曹尚書→吏部尚書、中領軍・中護軍→尚書僕射、領軍・護軍将軍→尚書令という昇進経路が確立していた。それと並行して、侍中→侍中領五校尉→侍中領前軍・後軍・左軍・右軍将軍→侍中領驍騎・游撃将軍→侍中領左右衛将軍(→尚書令)という序列が形成されていた。これらのうち、侍中と驍騎・游撃将軍以下の内号将軍の兼任は、疾病による任命が多いことから、職掌は期待されておらず、官人の地位の上下を示すだけであった。それは、宋中期以後、驍騎・游撃将軍の定員が無くなり、必ずしも実兵力を統括しなくなったこと、また、侍中も才能ではなく、家柄や外見を基準に選ばれるようになっていたからである。侍中による序列が形成された理由は以下のように考えられる。1:東晋末から宋初に、侍中と左右衛将軍を兼任した人物が政局を左右し、そのため侍中領衛が高く評価されるポストとなった。2:侍中が昇進先にあたる列曹尚書よりも清とみなされ、当時の官人は昇進経路を逆行してでも侍中に任ぜられることを望んだため、侍中と他の官職を兼任させることによって官人の地位を昇進させることが行われ、侍中領衛へとつづく、侍中と内号将軍の序列が形成された。3:散騎常侍が濫発された当時において、代替として内号将軍を兼任することが当局に歓迎された。
著者
佐藤 大志 釜谷 武志 佐竹 保子 大形 徹 川合 安 柳川 順子 釜谷 武志 佐竹 保子 大形 徹 川合 安 柳川 順子 林 香奈 狩野 雄 山寺 三知 長谷部 剛
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究では、『隋書』音楽志上・中・下の本文校訂と訳注作成を行い、その訳注の検討を通して、南北朝末期から隋王朝へと各王朝の音楽及びその制度が整理・統合されていく過程を明らかにした。南朝では梁王朝によって雅楽が整備され、陳王朝を経て、隋王朝の雅楽改革へと影響すること、北朝では中原以外の楽が中原の楽と融合しつつ隋王朝の雅楽や燕楽に吸収されてゆく過程などを辿り、南北朝から隋へと至る宮廷音楽の変遷を解明することを試みた。
著者
野々村 美宗
出版者
山形大学
雑誌
若手研究(スタートアップ)
巻号頁・発行日
2007

皮膚の構造と機能を模倣した表面を持つマイクロカプセルおよび皮膚モデルを開発し、皮膚が外部刺激や乾燥から体内の臓器を保護する機構を物理化学的視点から解明することを日的として研究を行った。その結果、羊毛を粉砕して得たケラチンパウダーによって被覆されたエマルション及びマイクロカプセルの調製に成功した。このマイクロカプセルは皮膚のモデルとして有用なだけでなく、生体への安全性や皮膚親和性の高い化粧品1医薬品用製剤に有用であることが予想される。また、固体粒子とモデル細胞間脂質混合膜で寒天ゲルを被覆した皮膚モデルを調製し、寒天ゲルからの水分蒸散量を測定した。その結果、コレステロールと脂肪酸を適量添加することにより、寒天ゲルからの水分の蒸散が効果的に防止されることを見出した。この成果は角質層内における脂質の存在の重要性を示すものであり、化粧品などの開発に有川な知見である。
著者
薄井 俊二
出版者
埼玉大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1993

本研究の目的は、「華陽国志」等の魏晋南北朝期の地方志に見られる地理思想・地理的世界観を思想史的に考察することにある。しかしこの期の地方志は、実際にはほとんどが散逸してしまっているため、先ず「地方志」の本文の蒐集・確定という基礎的な作業を行う必要がある。こうした仕事は清朝の学者達によってある程度なされており、その集大成として王謨の「漢唐地理書鈔」があるが、残念なことにこの輯逸本は一部分が刊行されているに留まり、多くの部分が散逸してしまっている。そこで本研究の具体的な作業としては、この「漢唐地理書鈔」にならった地理書の輯本の作成に力を注いだ。即ち現存する「漢唐地理書鈔」の二つの目録に収録されている、500種あまりの書名を下敷きにして、地理書の目録、及び輯逸本の作成を進めた。その成果の一部は、「漢唐地理書目(稿)その1-「起漢至唐諸州地理書記」篇-」として、研究成果報告書にまとめた。今後継続して進める予定である。また、後漢から魏晋南北朝期の地理思想の展開の様を明らかにする目的で、「紀行文的文学作品」や「遊記的散文」の検討も行なった。具体的には、「曹操の楽府詩「歩出夏門行」について」において、この詩が軍旅を契機とした紀行文的な連作の詩であるという点では紀行文的辞賦作品の系譜の上にあるものの、詩全体の性格としてはむしろ泰の始皇帝の「泰山刻石」や漢の高祖の「大風の歌」に通ずるものであることを明らかにした。また、「封禅儀記訳注稿」においては、この資料が封禅の記録という儀注・起居注的部分と、山川遊歴的な部分とに色分けされ、後者は後に登場する「山川遊記」の先駆的性格を有するが、そこに見られる山川観はきわめて即物的であったことを指摘した。こちらの展開としては、東晋の慧遠の作とされる「遊石門詩並序」を次の対象とし、仏教思想の展開を視野に入れつつ考察を深めてゆきたいと考えている。
著者
安田 二郎 津田 芳郎 中村 圭爾 吉川 忠夫 山田 勝芳 寺田 隆信
出版者
東北大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1992

中国の知識人(士大夫)層の「歴史」との関わり方の諸相を、春秋時代から清末までにわたって幅広く発掘し、各々の時代性と関連づけて解明した。主要な成果の一部を紹介すれば、以下の如くである。(1).漢武帝が、季陵の家族や司馬遷に下した厳罰は純然たる司法処置であって、怒りにまかせた感情的行為とするのは、三国期に出現した新解釈であり、ここには古代的漢武帝像から中世的武帝像への展開を見出し得る。(2).『晋書』の日食記事には、実際には観測不可能な夜日食、わらには非日食さえもが数多く見出される。地上における政治的混乱は必ず天文現象に反映するという、編纂者たちがいだく天人相関理論に対する確信が、かかる虚偽記事を記さしめた理由の一として指摘できる。この事実は、中国中世における歴史叙述の特殊な性格をうかがわせる。(3).梟雄桓温の野望を抑えることを現実的な動機とした習鑿歯『漢晋春秋』が、魏をしりぞけて蜀を正統とした理由は、司馬氏一族が魏代に行った悪業を免罪することにあり、かかる視点の設定が、司馬昭の魏帝弑殺の事実を直書することをはじめて可能とさせ、鑒誠の実をあげしめた。(4).『新唐書』には、唐代の知識人が開陳した見解をそのまま利用しているケースがいくつも確認される。中国近世独裁体制下における修史事業の複雑微妙さを考えさせる。(5).司馬光『資治通鑑』刊行後、近世士大夫層の歴史理解が専らそれに依存したというばかりでなく、征服諸王朝下においても各々の国語に翻訳され、非漢民族支配層の好箇の教本として愛読され活用された。(6).金石資史料は、既存文献とは異なる情報を数多く与えてくれるが、特に墓誌銘の場合には、極度な虚飾を加えた記述も少くはなく、利用には慎重を要する。
著者
村上 哲見 渡辺 武秀 浅見 洋二 熊本 崇 川合 康三
出版者
東北大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1986

中国における文学芸術の最も洗練された部分は, 「文人」と呼ばれる人々によって支えられて来た. 人間類型としての「文人」は, 魏晋の頃に出現し宋代に至って完成したものと考えられる. そこで本研究は, 宋代を中心として, この「文人」なる人間類型の特色を解明し, 更にその現実の姿ならびに文学芸術との関係などを考究すべく計画された.「文人」と並ぶ中国特有の人間類型に「読書人」と「士大夫」がある. 本研究ではこれらを対比しつつ分析することによって, それぞれの特色を明らかにした. まず「読書人」の不可欠の必要条件を考えてみると, (1)儒教の古典に通ずること, (2)文言の韻文および散文が書けること, の二点に帰着する. この点は「文人」も「士大夫」も共通で, つまり「文人」も「士大夫」も「読書人」であることを前提として, 他の要素が加わったものである. 「士大夫」にとって必須のもうひとつの要素は, 国家社会の経営に対する使命感であり, 実践としては官僚となって政治に参与することになる.つぎに「雅俗観」すなわち「雅」と「俗」とを上下に対置して一切の評価の基準とする認識は, 中国の伝統的知識人に普遍的な価値観であるが, それを純粹につか徹底的に追求する精神が, 「文人」なる人間類型の核心である. そこで実践としては, 「読書人」としての必要条件を備えるのは当然のこととして, 書画音楽など, 更に高度な芸術に秀でることになる.「士大夫」と「文人」とは矛盾するものではなく, 双方の要件を兼ね備えた人を「官僚文人」という. 歴史的にみると, 北宋では欧陽修・蘇軾など, すぐれた官僚文人が輩出したが, 南宋になると姜〓・呉文英など, 純粋型の文人が輩出し, これが南宋の文化を特色づけている. またこれらの文人が江南地方と深く結びついていることも見逃せない. 本研究ではそうした具体的な情況についても考察を進めた.
著者
山田 利明 三浦 国雄 堀池 信夫 福井 文雅 舘野 正美 坂出 祥伸 前田 繁樹
出版者
東洋大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1991

平成3・4年度にわたる研究活動は、主に分担課題に対しての研究発表と、提出された資料の分折・カード化などを行い、分担者全員にそれらのコピーを送付して、更なる研究の深化を図った。それぞれの分担者による成果について記すと、山田は、フランスにおける道教研究の手法について、宗教研究と哲学研究の2方法とに分けて論じ、坂出は、フランスの外交官モーリス・クランの漠籍目録によって、フランスの中国宗教研究の歴史を論じ、舘野は、道家思想にあらわれた時空論のヨーロッパ的解釈を論じ、田中は、中国仏教思想のフランスにおける研究法を分折し、福井は、フランス所在の漠籍文献の蔵所とその内容を明らかにし、さらに、堀池は近安フランスの哲学者の中にある中国思想・宗教の解釈がいかなるものかを分折し、前田は、フランスの宗教学者による宗教研究の方法論を論じ、三浦は、フランスのインド学者フェリオザのヨーガ理解を分折し、宮沢は、フランス発行の『宗教大事典』によって、フランスにおける中国宗教研究の理解を論じた。以上の所論は『成果報告書』に詳しいが、総体的にいえば、フランスの東洋学が宗教に着目したのは、それを社会現象として捉えようとする学問方法から発している。二十世紀初頭からの科学的・論理的学設の展開の中で、多くの研究分野を総合化した形態で中国研究が発達したことが、こうした方法論の基盤となるが、それはまた中国研究の視野の拡大でもあった。本研究は、フランスの中国宗教研究を、以上のように位置づけてみた。つまり、フランスにおける中国宗教の研究についての観点が多岐にわたるのは、その研究法の多様性にあるが、しかしその基盤的な立脚点はいずれも、社会との接点を求めようとするところにある。
著者
柳川 順子
出版者
県立広島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、五言詩という詩型が、詠み人知らずの詩歌から、知識人の文学へと展開していった経緯を明らかにしたものである。特に、知識人による五言詩の祖と目される漢代の古詩について、この作品群の中に別格の一群が存在することを指摘し、このことを手がかりに、古詩が成立した場やその年代を推定し、この詩型が急速に知識人社会に伝播していった理由を解明した点で、これまでの研究史に新たな一視点を加え得たと言える。
著者
沼田 倫征
出版者
独立行政法人産業技術総合研究所
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

tRNAアンチコドン一文字目の塩基修飾は,コドンの適正な縮重を制御しており,正確なタンパク質合成にとって重要である。グルタミン酸,リジン,グルタミンをコードするtRMのアンチコドン1文字目のウリジンは,全ての生物種において修飾を受け2-チオウリジンとなる。アンチコドン1文字目のウリジンに導入される硫黄はシステインに由来しており,反応性に富む過硫化硫黄中間体となって硫黄リレータンパク質(IscS,TusA,TusBCD,TusE)を移動し,tRNAチオ化修飾酵素であるMhmAに引き渡される。本研究では,tRMへの硫黄転移反応を解明するために,IscS-TusA複合体,TusA-TusBCD複合体,TusBCD-TusE-MnmA複合体,TusE-MnmA-tRNA複合体の結晶構造解析を目指している。これまでに,IscS,TusA,TusBCD,TusE,MnmAの大腸菌を用いた大量発現・精製系,およびT7 RNAポリメラーゼを用いたin vitroにおけるtRNAの大量調製系を構築し,それぞれの複合体の結晶化条件の初期スクリーニングを行った。現在までに,いくつかの複合体に関して予備的な結晶を得ており,現在,結晶化条件の最適化を行っているところである。TusE-MnmA-tRNAからなる三者複合体結晶については,大型放射光施設にて回折強度を測定し,分解能5Å程度の回折データを収集した。
著者
田中 教照
出版者
武蔵野女子大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1985

パーソナルコンピュータに市販のデータベース用ソフトウェア『INFORMIX』(アスキー社)を用いて, パーリ語文献(今回はVibhangaとVibhangaatthakath#)の有効なデータベース化について研究した. 研究は主に, 入力方法と検索方法とINDEX作成方法について検討した.入力方法については, 現存のテキストをそのままの形式で入力保存することを原則とした. 従って, テキストの頁・行を単位として入力する方法を採り, パーリ語の文単位や単語単位の入力法にしなかった. これは, 現テキストのレファランスがデータベースにおいても可能とするためである. 入力文字については, パーリ語のローマ字表記が現存のJIS規格キーボードでは不足するので, その点を, 長音表記は単音二語に置換するなど工夫した. 外字作成法は入力タッチも複雑になるので採らないことにした.データの検索法については, 『INFORMIX』の出力形式を自由設定するプログラム, ACEを用いて, 指定する言名, 章名, 頁行, 本文を自由に検索するよう, エディタを用いて "KENSAKU"という構文を作成した. これによって, テキストの頁のレファランスも可能であるし, 同時に単語の用例検索, パラレルパッセジの検索も容易になった.INDEXの作成法については, 保存されたテキストをそのまま使ってINDEXを直ちに作る方法を考えたINDEX作成には, 一単語ごとの入力が一番よいが, それは, 入力データの再活用が出来ないので採らなかった. ワイルドカードを用いた, 単語の検索によって得られた単語と頁行を一時ファイルに納め, そのファイルから単語順に並べて取り出す方法と採ることにした. 但し, 単語順は, パーリ語の単語順に出来ないので, 単語を置換せねばならない. また, すべての単語の検索を自動化するところまで至っていない. これらの点は今後の課題である.
著者
早川 万年
出版者
岐阜大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

平成9・10年度の二カ年にわたり、岐阜県内の各遺跡において出土している古代の文字資料(墨書土器・ヘラ書き土器)の調査・検討を試みた結果、約180点の資料を見出すことができた。それらのうち三分の一程は、報告書等に未掲載のものである。岐阜県の出土文字資料の特色は、次の二点である。(1)、美濃須衛窯に代表されるように、有力な古代の窯があり、土器の生産地側の資料が比較的多く見られること。(2)、官衙・集落からの出土例は数少ないが、それでも8世紀後半から9世紀の資料が比較的多く、吉祥語句を書くものがしばしば見られる。(1)については、とくに各務原市・関市の資料に注目でき、焼成前にヘラ書きで人名を記す例として、関市の榿ノ木洞窯出土の「御使連」「馬使貞主」などがある。土器の製作主体となったと思われる氏族の居住が判明した。(2)については、美濃国府(垂井町)・推定武義郡衙(関市)などからそれぞれ数点、「里刀自」墨書土器が東山浦遺跡(富加町)、「東」墨書土器が三井遺跡(各務原市)が出ていることに注目できる。研究報告書においては、榿ノ木洞窯の「馬使貞主今日卅上」から、律令制以前に美濃に置かれた馬飼の存在を想定し、灰釉陶器が焼かれた時期である9世紀後半頃に、中央政府との結びつきからこの地に官営工房的な施設が設けられていたこと、また、三井遺跡の「東」については、住居の竈にこの墨書土器が置かれていたことから、大陸伝来の道教的な思想から竈の祭祀がなされていた可能性があること、さらに、御嵩町の「岡本」銘須恵器から、尾張からのヘラ書き土器の流入について論じた。
著者
川上 正浩
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

漢字二字熟語の認知過程に,その類似語(当該単語と一文字だけが異なる単語)が影響を及ぼすことが示されているが,漢字二字熟語においては,その類似語との間に形態的類似のみならず,意味的類似をも想定することができる.漢字二字熟語の類似語間の意味類似性の高低が,漢字二字熟語の類似語間で認められる促進的効果に影響を及ぼすか否かを検討するためには,当該漢字二字熟語の類似語間での意味類似性に関するデータベースが必須となる.本研究では,こうした類似語を対にして被験者に呈示し,その意味類似性に関して被験者の主観的評定を求めることにより,類似語間の意味類似性データベースを作成した.天野・近藤(2000)のデータベースから,JIS一種に含まれる2,965字のうちの二文字によって構成され,かつ普通名詞であると見なされている漢字二字熟語を頻度順に上位1,000番まで抽出し,これを基本語彙と見なした.これらを,まず前漢字を共有する熟語群に分類した.こうした熟語群は前漢字を共有する類似語群ということになる.同様の処理を後漢字の共有に注目しても行った.これらの熟語群内で,熟語二個のすべての組合せ(熟語対)が作成され,その結果2,530組の熟語対が作成された.これらを23種類のリストに分割し,質問紙調査の形式で類似性についての主観的評価を求めた.被験者として大学生1,133名(男子387名,女子745名,不明1名)が調査に参加した.被験者の平均年齢は19.5歳(SD=2.4)であった.各漢字二字熟語について,その類似語間での平均意味類似性評定値が算出された.この結果は報告書としてまとめ,また第3回日本認知心理学会において発表した.今後こうしたneighbor間の意味的類似性が,実際に当該漢字二字熟語の処理過程に影響を及ぼしているのかどうかを,実験的に検討することが望まれる.
著者
二文字 理明
出版者
大阪教育大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1988

(研究経過)1.「オリエンテーリング」関係図書お呼び教科用図書を「社会科」を中心に収集した。いくつかの教科書について内容項目を整理し日本の福祉教育と比較する用意を行った。2.昭和63年度下期に、同一テーマの研究遂行のため民間財団の助成を得てスウェーデンに短期出張し当地の専門家、教科書執筆者等と意見交換し有益な示唆を得た。(研究内容)上記の経過を踏まえて概略的な論文をまとめた(裏面に記載した論文がそれである)。1.「オリエンテーリング」の教科としての成立過程の把握。2.現行の「オリエンテーリング」の教科書のうち特徴的なものについて具体的な記述内容を検討すること。以上2点が初年度あきらかにできたことである。1については1878年より1980年に至る教育課程8冊を通覧し、「オリエンテーリング」成立の概要を歴史的に整理した。1919年版が「オリエンテーリング」成立の萌芽期と考えられる。1955年版による「社会科」の登場で民主的な社会の成員としての教育が明確に志向され、「麻薬・飲酒から解放する教育」「性教育」「交通安全教育」などがこの教科の課題として指摘されている。これら一連の課題によって1955年版は「オリエンテーリング」の実質的な拡充期とみなされる。その後1969年版で自然科学系、社会科学系の全教科が一本化され、名実ともに「オリエンテーリング」の確立とみた。2については、スウェーデンの「福祉教育」に特有であって日本の「福祉教育」に欠落していると思われる、いくつかの特徴的な記述内容を引用し検討を試みた。次年度は以上の考察を深め、教科書及び教材の内容の分析を継続していく予定である。
著者
二文字 理明 堀 智晴
出版者
大阪教育大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1986

(概略)昭和61年度, 昭和62年度にわたり大阪府下全域, 奈良県の一部において研究授業を10数例実施した. 各校で各1学級に協力を依頼し, 各学級あたり1日1時限×3日, 計3時限実施した. 総計では30数カ日に及ぶ期間実施したことになる. 研究授業の1クール(3日間毎)に研究会又は反省会を開き, 授業内容の吟味, 反省等, 総括的な討議を行った.(方法)事前に指導案, 座席表の収集および, 当該の教材の研究を行うほか, 学級毎の個別の状況について事情聴取を行うことなどを原則とした. 全記録を2台のビデオカメラで収録し, 音声の記録のため1台の録音器を併用した. 同時に, 教員の発問, 児童の発言を速記した. このような一連の記録を授業後, 再生しながら検討分析を行なった.(結果)本研究の当初の, 基本的な狙いは, 健常児が障害児を深く理解するための「授業モデル」を構築することにあった. 具体的な実践事例を定着したことで一定の意味を有すると思われる. ただ実践例が, 各校で予想以上に別々のものになってしまい, 同一テーマによる複数事例を比較検討することが必ずしも十分できなかった. この点は今後の同趣旨の事例の集積を俊たなければならない. 本研究の内容における重点的テーマは次の通りであった.(1)自主教材の内容を実践に即して点検する. (2)教員の教育方法を総合的に観察しながら, 教育方法上の問題点を明らかにする. (3)健常児における「障害児」理解を深めるための試行を重ね, 健常児における反応を分析する. (1)の点では, 自主教材の内容の限界, ああるいは問題点がいくつか明らかになった. (2)の点では, 教材から離れて主体的にフリーに発言させるための学級集団の構成の態様にいくつかの傾向のでてくることも判明した. (3)の点については, 実践例のいくつかのパターンの報告にある程度言及することができた.