- 著者
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河野 忠
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- pp.168, 2004 (Released:2004-11-01)
1.はじめに高知県の沈下橋に代表される潜水橋は,日本各地に存在している.その概要は高知県(1999)の調査で,全国に407ヶ所現存していることが明らかとなった.その第一位は高知県(69ヶ所),第二位が大分県(68)で,以下,徳島県(56),宮崎県(42)と続いている.しかし,このデータは一級河川のみに限られており,その実態は未だ不明である.そこで大分県における沈み橋の実態を明らかにするため,悉皆調査を実施した.2.沈み橋の数と築造年大分県には四万十川や吉野川に架かるような100mを超える大きな沈み橋こそ少ないものの,200ヶ所以上存在していることが判明した.なかでも杵築市の八坂川には明治9年築造の「永世橋」という,日本最古といってよい沈み橋が残っている.これまでは,高知市にあった昭和2年築造の「柳原橋」が最古(現存する橋では四万十川の「一斗俵橋」,昭和10年)とされていたが,50年ほどその起源をさかのぼれることがわかった.また,大分県院内町には,河川の合流地点にある中州に延びたT字型をした「三つ又橋」という珍しい沈み橋の存在も明らかとなった.3.沈み橋の名称沈み橋という名称は,九州地方固有のものであり,高知県では沈下橋と呼ぶ.一般的には潜水橋と呼ばれ,潜り橋(東北_から_中部),冠水橋(荒川流域),潜没橋(京都府),潜流橋(広島県),地獄橋(関東)などの例がみられる.4.沈み橋の建設要因大分県に沈み橋が多い理由としては,小藩分立に由来する財政難,および肥後石工の流れを汲む豊後石工の存在がある.しかし,最も決定的な要因は地形,地質的条件と考えられる.大分県の沈み橋は,国東半島(22%)と大分県北部(26%),南部(40%)に集中している.南部に沈み橋が多い理由は,9万年前の阿蘇大噴火による火砕流堆積物(溶結凝灰岩)の存在といってよい.この溶結凝灰岩は竹田から臼杵,大分市にかけて堆積しており,広くて浅い谷底平野と河床縦断面が緩やかで平らな河床を形成している.北部は第三紀の古い地質であり,開析の進んだ谷が多い.従って,農地と河床との高低差が少なく,堤防も少ないことから,沈み橋の条件が整っていたといえよう.5.参考文献高知県四万十川流域振興室(1999):流域沈下橋保存に係わる全国事例調査結果,高知県.