著者
外池 亜紀子
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
2015-03-31

イヌの起源は1万5千年から3万3千年前と考えられており、祖先種の一部の集団がヒトの近くで生活するようになってイヌへ進化したと言われている。その後、およそ1万年前に農業の発達と共に小ささや従順さなどによる強い人為的選択が始まったとされている。さらに200年前に、犬種クラブや組織的な繁殖が始まり、多くの犬種が急激に作成された歴史がある。この進化と家畜化の過程において気質・行動や認知能力が選択圧に大きく寄与して、変化したと予測できる。例えばイヌはオオカミに比べて解決不可能な課題が提示された場合にヒトの方を早く振り返ることや、ヒトの指差しにしたがって指し示されたカップを選ぶ確率が高いことが報告されており、イヌはその進化・家畜化の過程で特異的な認知能力を獲得したと考えられる。しかし、その遺伝的背景は未だ明らかとなっていない。 現在、非公認犬種も含め世界には700から800もの犬種が確立されている。最近の遺伝子クラスター解析により、それらの犬種の中には祖先種に近いクラスター(以降原始的な犬グループと呼ぶ)が存在することが明らかとなり、原始的な犬グループには、柴犬や秋田犬等の日本固有の犬種が含まれていた。このことは柴犬や秋田犬等の日本犬が、その他の犬種よりも遺伝的にオオカミに近いことを意味している。 本研究では、イヌの選択圧の中心的役割と考えられる気質・行動や認知能力において、原始的な犬が一般的な犬種とオオカミの間に位置し、その行動は遺伝的に制御されていると仮説を立てた。さらにこの仮説に基づき、イヌの進化・家畜化の過程でオオカミから変化した行動に関与する遺伝子の探索を目指し、以下の第1章から第4章までの研究を行った。第1章:原始的な犬グループのイヌの一般的な飼育下における行動特性 日本及び米国における一般の飼い主及びブリーダーを対象としたイヌの行動特性に関するアンケート調査を、インターネット媒体を用いて実施した。イヌの行動解析システムは、C-barqを用いた。質問は、米国100問、日本78問から成り、様々な場面における犬の行動を5段階で評価する内容である。犬種を既に報告されていた遺伝分岐図を元に8つのグループに分類し、犬の行動特性の犬種グループ比較に用いた。質問項目について因子分析及び平行分析を行い、各因子の平均値を因子得点として分析に使用した。 アンケート結果を因子分析したところ、11の因子に分類された(訓練性、活発度、愛着、分離不安、侵入者に対する攻撃性、飼い主に対する攻撃性、見知らぬ人に対する攻撃性、見知らぬ犬に対する攻撃性、非社会的刺激に対する恐怖反応、見知らぬ人に対する恐怖反応、見知らぬ犬に対する恐怖反応)。そのうち、原始的な犬グループのイヌはどの犬種グループよりもヒトへの愛着が低いことが明らかとなった(p<0.05)。原始的な犬の愛着はその他のどの犬種グループよりも低く、先行研究で知られている遺伝分岐図と一致した結果である。その他の犬種グループでは、ワーキンググループは、見知らぬ人に対する恐怖反応、見知らぬ犬に対する恐怖反応、非社会的刺激に対する恐怖反応、飼い主に対する攻撃性、活発度が低いことが明らかとなった。また、ハーディンググループは訓練性が高く、トイグループは飼い主に対する攻撃性、見知らぬ人に対する攻撃性、侵入者に対する攻撃性が高かった。第2章:原始的な犬グループのイヌの社会的認知能力の特性 様々な犬種のイヌを用い、イヌの認知能力の犬種差を解決不可能課題及び指差し二者選択課題により評価した。解決不可能課題では、餌を容器で覆い容器を固定した状態で、イヌがヒトを見るまでの時間、ヒトを見ている時間、ヒトを見る回数、交互凝視の回数を測定した。指差し二者選択課題では、2つのカップのどちらかに餌を隠した上で、ヒントを出すことによりイヌが餌の入っている方のカップを選ぶ回数を測定した。ヒントとしては容器をとんとんとたたく(タッピング)、容器へ視線を向ける(視線)、容器を指差す(指差し)の3種類を組み合わせて用いた。 解決不可能課題では、原始的な犬は、最初にヒトを見るまでの時間がトイグループ、スパニエルグループ、ハーディンググループよりも長く、ヒトを見ている時間がスパニエルグループ、ハーディンググループ、レトリバーグループよりも短く、ヒトを見る回数がスパニエルグループ、ハーディンググループよりも少なく、交互凝視の回数がトイグループ、スパニエルグループ、ハーディンググループ、レトリバーグループよりも少なかった。また、原始的な犬と一般的な犬種とで2群比較を行ったところ、最初にヒトを見るまでの時間、ヒトを見ている時間、ヒトを見る回数、交互凝視の回数の全てにおいて、原始的な犬は一般的な犬種よりも有意にヒトを見ない結果が得られた(p<0.01)。 指差し二者選択課題では、原始的な犬の成績は、視線+指差し+タッピング課題、視線+指差し課題、指差し課題の全てにおいてその他の犬種グループと同等であり、犬種グループによる有意な差は見られなかった。原始的な犬と一般的な犬種とで2群比較を行ったところ、視線+指差し+タッピング課題において、原始的な犬は一般的な犬種よりも正答数が有意に高かった(p<0.05)。視線+指差し課題、指差し課題では、有意な差は見られなかった。第3章:イヌの認知能力に関連する遺伝子の探索 コミュニケーション能力に関わるホルモンとして、オキシトシンとコルチゾールに着目し、メラノコルチン2受容体(MC2R)とオキシトシン、オキシトシン受容体の遺伝子を選択した。さらにゲノムワイド解析によってイヌの進化に関わると報告されている候補遺伝子からWBSCR17を選抜し、これらに関連する遺伝子の多型を調べ、犬種差や行動実験の結果との関連性を調べた。 イヌの進化候補遺伝子であるWBSCR17(ウィリアムズ症候群関連遺伝子)において、原始的な犬と一般的な犬種とで出現頻度の異なる一塩基多型(C>T)が検出され、原始的な犬では一般的な犬種に比べTを持つ頻度が高かった。またこのT型の遺伝子型を持つ個体では、指差し二者選択課題の視線+指差し+タッピングの課題の正答数が高い結果となった(p<0.05)。MC2R(メラノコルチン2受容体遺伝子)において、原始的な犬と一般的な犬種とで出現頻度の異なる一塩基多型(G>A)が検出され、原始的な犬では一般的な犬種に比べAを持つ頻度が高かった。またこのA型の遺伝子型を持つ個体を一般的な犬種内で比較した結果、指差し二者選択課題の視線+指差し+タッピング課題、視線+指差し課題、指差し課題の正答数が低い結果となった(p<0.05)。OT(オキシトシン遺伝子)において、原始的な犬と一般的な犬種とで出現頻度の異なる一塩基多型(C>A)と反復数多型(repGGGGCC)が検出され、原始的な犬では一般的な犬種に比べ一塩基多型ではAを持つ頻度が高く、反復数多型では25塩基及び37塩基の長さの配列を持つ頻度が低かった。原始的な犬に多いA/A型の一塩基多型を持つ個体では、A/C型の遺伝子型を持つ個体よりも、解決不可能課題のヒトを見ている時間、ヒトを見る回数、交互凝視の回数においてヒトを見ない結果となった(p<0.05)。反復数多型では25塩基又は37塩基の長さの配列をヘテロで持つ個体において、挿入を持たない個体よりも解決不可能課題でヒトを見る回数が多い傾向が見られた(p=0.078)。OTR(オキシトシン受容体遺伝子)においては、原始的な犬と一般的な犬種とで出現頻度の異なる一塩基多型が検出されたものの、行動実験の結果とは関連性が見られなかった。第4章:日本犬のβアミラーゼコピー数多型 オオカミ、秋田犬、柴犬、原始的な犬グループ以外のイヌ(ラブラドール、スタンダードプードル等の様々な犬種)のアミラーゼコピー数を調査した。柴犬は、一般的にペットとして飼われている柴犬と天然記念物柴犬保存会の厳しい管理の元で交配が行われている縄文柴を用いた。 オオカミのアミラーゼコピー数は先行研究で報告されているとおり、2コピー程度であった。また、オオカミへの遺伝的近さから予想したとおり、秋田犬のコピー数はオオカミよりも多いが一般的な犬種より少なかった(p<0.01)。一方、秋田犬と同じく原始的な犬グループに含まれる柴犬のコピー数は、一般的な犬種と同程度であり、柴犬のオオカミへの遺伝的近さと反した結果となった。縄文柴のコピー数は、柴犬より少なく(p<0.01)、秋田犬より多かった(p<0.05)。 本研究によって、原始的な犬グループのイヌは一般的な犬種と比較してヒトへの愛着が低く、解決不可能課題においてヒトを見ないことが明らかとなった。これは先行研究によって知られている遺伝分岐図の結果と一致する結果であり、イヌの進化・家畜化は気質・行動や認知能力によって選択されていることを示唆する内容である。一方で、指差し二者選択課題でヒトからの社会的な指示を読み取る能力では、原始的な犬グループのイヌは一般的な犬種と同程度又はより高いという結果が得られた。解決不可能課題と指差し二者選択課題では関連性が見られず、解決不可能課題においてヒトを見ることや指差し二者選択課題でヒトからの社会的な指示を読み取る能力は、イヌの進化・家畜化において別々に獲得されたものであることを示唆する結果といえた。イヌの認知能力に関連する遺伝子の探索では、WBSCR17遺伝子、MC2R遺伝子が第一の選択に関与し、OT遺伝子が第二の選択に関わると考えられ、探索した遺伝子型の結果からも、イヌの進化・家畜化に二段階が存在する可能性が示された。
著者
ゲーマン ジェフ
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.127, pp.77-90, 2016-12-20

This paper sets out to describe the author’s educational undertakings as an Associate Professor serving in the School of Education and teaching content-based classes in English for general education programs for undergraduates at Hokkaido University, a tertiary institution located in the very center of Ainu country. While purportedly to do with the author’s teaching at Hokkaido University, the mainstay of the article actually deals with the characteristics of tertiary education for Indigenous peoples, as summarized by Barnhardt (1992), and as experienced by the author during his Master’s Degree coursework at the University of Alaska, Fairbanks, in 2004~2005. In short, tertiary education for Indigenous peoples tends to blur the boundaries between university and community by imbuing university education with traditional Indigenous knowledge and traditional Indigenous teaching practices, especially in the form of whole-person education under the tutelage of Elders, and through extensive community-based learning. It tends to be committed to the needs of the community, and can often center around community-participatory research approaches. Indigenous education at the tertiary level also often tends to seek to create a congenial environment for Indigenous students leaving the comfort of their families and communities for the first time. The author has striven to replicate such conditions amongst the students under his tutelage by inviting numerous Ainu guest teachers to speak at the university, by providing as many opportunities as possible for his graduate students to engage in fieldwork by attending local Ainu community events, and by providing a role model of himself doing service to the Ainu community. On the intercultural education front, he disseminates information as much as possible about public Ainu events to mainstream students, as well as by teaching students about the unique rights of Indigenous peoples as victims of processes of colonization and assimilation. The precarious state of current Ainu policy and possibilities for change via citizen activism are also touched upon.

4 0 0 0 OA 純潔の構造

著者
ノッター デビット
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.39-54,188, 2004-05-31 (Released:2016-05-25)
参考文献数
38

In this paper I argue that Durkheim's theory of the sacred and profane offers a theoretical perspective from which to grasp the unique dynamics involved in the interplay between romantic love in the Victorian period and Victorian culture.Durkheim's later theory is particularly apt for exploring the sociological dimensions of emotional phenomena, and I argue that its focus on the "religious" elements of social life such as beliefs and rites makes it viable as a framework from which to understand romantic love as an historically distinct phenomenon. While the "modern cult of individual love" has previously been analyzed in terms of Durkheim's ritual theory by Randall Collins, I argue that Collins's understanding of romantic love lacks an historical perspective, and that while his theory is valuable in its explanation of the significance of courting rituals , thus incorporating Durkheim's assertion about the importance of "rites," it fails to incorporate Durkheim's emphasis on the importance of "beliefs" and symbols. As a case study aimed at demonstrating the effectiveness of Durkheim's later theory in illuminating the nature of romantic love in the nineteenth century, I sketch the nature of both the beliefs and rites that made up the "religion" of romantic love in Victorian-period America. I then analyze the role of romantic love in the formation of the Victorian-period ideology of sexual purity in light of Durkheim's theory of the dual nature of the sacred as well as anthropological research on purity and pollution. I argue that the sacralization of romantic love brought about the coding of sex as a radically impure and polluting (profaning) force, and that the resulting need to purify sex led to the ritualization of sexual expression in marriage. This argument follows Foucault in rejecting the "repressive hypothesis" which characterizes so much theorizing about Victorian-period sexuality, but attributes the newfound preoccupation with sexuality in this period not to notions of "power/knowledge" but; rather to the symbolic power of the sacred and the equally powerful symbolic polluting force of the profane, resulting in an emphasis on extreme sexual purity outside of ritualized contexts.
著者
小川 順子
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.37-54,v, 2002

本論は、チャンバラ時代劇映画における「殺陣」に焦点を当てて、殺陣のもつ歴史的な展開を新たに構成し、「殺陣史」の類型化を試みたものである。 チャンバラ時代劇映画における「殺陣」は映画がもつ宿命と同じものである。すなわち、ある程度ドミナントになったパターンが続くと、観客は新たなるものを欲望するようになり、そのようにして新たな欲望に応えるように映画は展開してきた。「殺陣」も同様に、歌舞伎の引き写しから様々な要素が加えられ、新たなる刺激を求める観客に応えようとしてきたはずである。しかし残念ながら、「殺陣」そのものを映画作品から独立させ、歴史的なパースペクティブからダイナミックな展開を構成していくというアプローチは見られない。多くは作品論や映画史、または役者の身体論という形において語られてきているのみである。 本論では、これまで流布してきた「殺陣」に関する言説を抽出し、歴史的な時間の流れにそって便宜上、時代配列した上で、映画史が繰り返し語る「黒澤時代劇」を一つの軸として、「殺陣の歴史的展開」のモデル化を試みたい。 歴史的なパースペクティブで「殺陣」を捉えなおしたとき、これまでの「殺陣」を構成してきたいくつかの要素が抽出可能であると考える。そして「殺陣」のもつダイナミックな展開は、これらの要素の導入や組み合わせ、並べ替えや特定の要素の強調、あるいは特定の要素の欠如によって、いくつかの類型に分類できると考える。そこで便宜上、四つの要素を抽出してみた。(1)映像効果的要素(映像技術の発展を指すので、歴史的にずっと変化し導入され続けている要素)。(2)コレオグラフィー的要素(歌舞伎的な舞踊からジャズ・ダンス的な要素まで全て含む「踊る」身体技法。これが当てはまる年代は、映画の草創期から「時代劇映画第二黄金期」と言われる一九六〇年代までを大きく含む。なぜなら、これは歌舞伎関係や舞台出身であるスターたちの身体と切り離せない要素だからである)。(3)スプラッター的要素(手足や首が飛んだり血が噴出するといった演出、いわば人間の身体を「モノ」化した映像表現)。(4)武術的要素(実際の武術の型を取り入れ、また武術家の名前をクレジットに出すことによって、武術的な関心を観客にアピールしたもの)。そしてこのスプラッター的要素と武術的要素は、映画史が繰り返して語る「黒澤時代劇」によってもたらされたものと考えられている。黒澤の『用心棒』『椿三十郎』、でこれらの要素が「殺陣」にもたらした革新は今更強調することもないであろう。 しかし、黒澤が与えた革新後、コレオグラフィー的要素は意識的に回避・否定されるようになり、そののちの「殺陣」は「黒澤時代劇」を一つの定型として仰いで反復を繰り返し、本質的に何ら新しい要素が加えられていないと考えられる。このような否定的状況の中で「殺陣」の未来は、失われたコレオグラフィックな身体技法を身につけたスターの出現か、新たなる要素の導入の他に可能性はないのではないかと考えられる。
著者
青山 猛 讃岐 徹治 増田 聖子 湯本 英二
出版者
日本音声言語医学会
雑誌
音声言語医学 (ISSN:00302813)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.149-155, 2010 (Released:2010-05-21)
参考文献数
17
被引用文献数
2 1

披裂軟骨脱臼は全身麻酔の気管挿管の合併症として報告され, 外力のかかり方によって前方, または後方に脱臼する. 今回全身麻酔後に発症した前方脱臼症例と後方脱臼症例を経験したので各症例の臨床的特徴について報告する. 症例1:全身麻酔下の手術直後から高度嗄声を認めた. 初診時は右披裂部が固定し, 喉頭筋電図検査では発声時の両側甲状披裂筋に左右同等の活動電位を認めた. 右披裂軟骨前方脱臼と診断し全身麻酔下に整復術を行った. 術後右声帯の可動性と嗄声は徐々に改善し, 術後6ヵ月で声帯運動の左右差はなくなった. 症例2:全身麻酔下の手術直後より高度嗄声を認めた. 初診時は右披裂部の固定を認め, 発声時に左声帯は過内転していた. 右披裂部の固定位より右披裂軟骨後方脱臼と診断し整復術を予定した. しかし, 子供が背後から前頸部にぶらさがり, その直後より嗄声が改善, 再診時は右声帯の動き, 形態も正常となり予定していた手術は中止した. 本症例は後方脱臼が偶然ではあるが徒手整復されたものと考えた.
著者
大西 和歩 浦西 友樹 劉 暢 Photchara Ratsamee 東田 学 山本 豪志朗 竹村 治雄
出版者
特定非営利活動法人 日本バーチャルリアリティ学会
雑誌
日本バーチャルリアリティ学会論文誌 (ISSN:1344011X)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.331-340, 2022-12-28 (Released:2022-12-28)
参考文献数
16

Bouldering is a sport where competitors climb an artificial wall using holds as support. The climbing route from start to end is called a problem and each problem has its difficulty grade. As the grade of a problem plays an essential role in measuring climber’s ability, a unified standard is desirable. However, measuring the grade still currently relies on personal experience of the routesetters, which results in huge individual difference. The purpose of this study is to evaluate the grade of a bouldering problem in a uniformed manner. Specifically, we propose a two-step machine learning model that takes into account the difficulty and arrangement of each single hold. Experimental results using 11906 problems show that our model has achieved up to 65.5% of accuracy for classifying 13 classes of problem grades.
著者
福光 一夫 北村 征治 木内 恵子 谷口 晃啓 宮本 善一 平尾 収
出版者
The Japanese Society of Intensive Care Medicine
雑誌
日本集中治療医学会雑誌 (ISSN:13407988)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.99-103, 2003-04-01 (Released:2009-03-27)
参考文献数
9

1997年1月1日から1999年12月31日の3年間に当センター小児集中治療室(PICU)に入室した545例の年齢別,疾患別在室日数を調べた。平均年齢は2.3歳,平均PICU在室日数は10.6日であった。年齢別では新生児症例が全体の19.6%を占め,在室延日数の45.1%を占めた。新生児症例のうち27.1%は入院期間内にPICUに再入室していた。疾患別では左心低形成症候群,先天性横隔膜ヘルニァ,臍帯ヘルニアなどの先天性疾患で新生児手術症例のPICU在室期間が長かった。PICUに占める新生児症例の割合は,我が国での周産期医療の進歩とともにさらに増加すると推察された。診療報酬の試算結果では特定集中治療室管理料加算日数を現状の14日から21日に延長し新生児症例については60日にすることで,PICU在室延日数の88%が加算対象となった。PICU不足問題に対して医療経済面からも効果を期待するためには,加算日数を大幅に増やした小児集中治療室算定基準を設ける必要がある。
著者
杉浦 明弘 衞藤 拓也 木下 史也 髙田 宗樹
出版者
一般社団法人日本衛生学会
雑誌
日本衛生学雑誌 (ISSN:00215082)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.39-45, 2018 (Released:2018-01-31)
参考文献数
32
被引用文献数
1 1

Objectives: By measuring cerebral blood flow in the prefrontal cortex, we aimed to determine how reading a book on a tablet computer affects sleep.Methods: Seven students (7 men age range, 21–32 years) participated in this study. In a controlled illuminance environment, the subjects read a novel in printed form or on a tablet computer from any distance. As the subjects were reading, the cerebral blood flow in their prefrontal cortex was measured by near-infrared spectroscopy. The study protocol was as follows. 1) Subjects mentally counted a sequence of numbers for 30 s as a pretest to standardized thinking and then 2) read the novel for 10 min, using the printed book or tablet computer. In step 2), the use of the book or tablet computer was in a random sequence. Subjects rested between the two tasks.Results: Significantly increased brain activity (increase in regional cerebral blood flow) was observed following reading a novel on a tablet computer compared with that after reading a printed book. Furthermore, the region around Broca’s area was more active when reading on a tablet computer than when reading a printed book.Conclusions: Considering the results of this study and previous studies on physiological characteristics during nonrapid eye movement sleep, we concluded that reading a book on a tablet computer before the onset of sleep leads to the potential inhibition of sound sleep through mechanisms other than the suppression of melatonin secretion.
著者
内山 智尋 Chihiro Uchiyama
出版者
同志社大学社会学会
雑誌
評論・社会科学 = Hyoron Shakaikagaku (Social Science Review) (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
no.133, pp.137-159, 2020-05-31

超少子高齢化社会である日本では今,「地域」の果たす役割に期待が高まっている。幾度にもわたる介護保険の改正や「ニッポン一億総活躍プラン」,「地域共生社会」,「我が事・丸ごと」など国から出される方針はどれも地域住民の積極的な地域活動への参画を期待したものである。一方で地域では社会的孤立の問題などが深刻化し,地域における互助的機能も弱体化しており,理想と現実のギャップは大きい。本稿の目的は,地域共生社会の推進が難しいのは,国の政策や制度と住民が抱える課題の乖離にあることを指摘し,その解決策を事例分析や理論研究から導き出すことである。住民参加の意味を改めて問い直し,そこで果たすコミュニティソーシャルワーク(以下CSW)の効果的な取り組み方法について,ソーシャルクオリティの包括的視点やエンパワーメントの考え方,また筆者自身のコミュニティサポーターとしての経験から横断組織的な制度や活動の重要性を強調している。住民の参加と社会の発展は車の両輪のような関係であり,互いの相互作用により地域コミュニティが成熟化し,このような関係性の先に地域共生社会があることを提示している。論文(Article)
著者
神田 幸彦 佐藤 智生 吉田 晴郎 小路永 聡美 熊井 良彦 高度~重度難聴幼小児療育GL作成委員会
出版者
日本小児耳鼻咽喉科学会
雑誌
小児耳鼻咽喉科 (ISSN:09195858)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.8-17, 2022 (Released:2022-07-31)
参考文献数
13

昨年「小児人工内耳(以下CI)前後の療育ガイドライン(以下GL)」が発刊され,先行の厚労省研究結果を抜粋して解説した。全国の調査で,新生児聴覚スクリーニング(以下新スク)を受けたCI小児は2,358名中59.3%未満であり,地域格差が見られた。また,低年齢の両耳装用児が増加していた。補聴器装用開始平均年齢が1歳未満である小児の割合は新スクを受けたCI児(約75%)がそうでないCI児よりも10倍近く多かった。通常小学校に在籍する小児の療育方法では,聴覚活用療育が約70%であり,聴覚活用をすることで通常学校により進学しやすい。新スクにより早期に難聴が診断されることで,難聴児が聴覚を活用できる方向性が明らかになっていた。CI難聴児の療育格差改善のため厚生労働省研究が採択されその成果の一つである「CI装用前後の療育のGL」は,多数のエビデンスレベルの高いCQと解答で構成され,信頼性のある重要な今後も活用できるGLと考えられた。
著者
ノッター デビット
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.53-68,151, 2001-02-28 (Released:2016-11-02)

In this paper I examine the discourses relating to the "love marriage" and courtship in the women's periodicals Fujin Koron (Women's Central Review) and Shufu no Tomo (Housewife's Friend) over a period of roughly ten years, from the inception of the periodicals in 1916 and 1917, respectively, until 1926, the last year of the Taisho period. As an analytical tool, I have adopted the concept of "acceptability" developed by Jean Pierre Faye, a theorist whose work is informed by a view of language as a socially and historically situated phenomenon. Faye is concerned with the processes whereby a narrative is rendered socially acceptable, and since this is contingent upon key words and expressions, Faye focuses on the way these expressions undergo complex transformations, a process I have termed "semantic transformation." I have examined the expressions "ren'ai kekkon" or "love marriage," and "danjokosai," a term which translates literally into "association of men and women" and whose meaning has shifted over time. I claim that the term "ren'ai kekkon," or "love marriage," shifts from signifying a congenial relation between spouses to meaning a marriage based on romantic love and free choice of partner. Ironically, since the "loveconquers-all" discourse, which gains momentum in the early 1920s, was saturated with the notion of sexual purity, this precluded talk of "danjokosai" as courtship, considered dangerous, but I argue that this inconsistency in the discourse is absorbed by the multiplicity of meanings for the term "danjokosai." I also argue that key words found in this discourse such as "junketsu" (purity) , and "jinkaku" (personality/character), had a special appeal for the newly educated women of the new middle class, an affinity which helped render the discourse acceptable.