- 著者
-
北崎 幸之助
- 出版者
- 経済地理学会
- 雑誌
- 経済地理学年報 (ISSN:00045683)
- 巻号頁・発行日
- vol.45, no.3, pp.217-235, 1999-09-30 (Released:2017-05-19)
これまでの戦後開拓地研究は, 政策的評価やモノグラフ的な営農形態と土地利用の変容過程に限られていた.しかも戦後開拓地における営農形態や土地利用の変容・分化が生じた原因については十分に究明されていない.本研究は福島県西白河高原西郷村に建設された戦後開拓地を研究対象地域として, 自然条件や開拓組織, 入植者の属性, 農家個々の対応, 開拓指導者の役割などの内生的な要因に着目して, その変容過程を明らかにすることを目的とした.白河報徳開拓農業協同組合は第2次世界対戦後, 加藤完治が直接的な営農指導を行った開拓地である.加藤は地縁・血縁関係のない20歳代の農業技術に未熟な入植者を, 共同経営を通して開拓地に定着させようとした.一方, 海外での入植経験をもつ40歳代の入植者には, 個人経営の形態をとらせた.営農基盤が確立すると, 共同経営を小ブロックに分割して, 個人経営への移行段階とした.加藤完治の後継者となった息子の弥進彦は, 営農の柱を酪農とバレイショの生産にし, それまでの自給的・共同体的な営農から脱却させて, 商業的農業への転換をはかった.このことは, 高度経済成長期での開拓農村維持に大きく貢献した.また, 加藤完治を核として形成された共同体的集団は, 機能的集団へとその性格を変化させた.1980年代に開拓集落の農家は, 大規模酪農家と第2種兼業農家に分化していった.この両者間の土地貸借関係も, 農業集落を現在まで維持する大きな要因となっている.