著者
巻 美矢紀
出版者
千葉大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2004

研究の最終年度として、理論及び実践(解釈論)にわたり、これまでの研究成果を公表した。理論に関しては、リベラリズムの公私区分に対する、フェミニズム、共同体論、共和主義、討議民主主義、ラディカル・デモクラシーなど、左右両派からの批判をふまえ、公私区分の再構成を試みた。具体的には、公私区分は公私の相互関連性を看過している、人格の分裂を強いる、ア・プリオリの私的領域は人民主権を侵奪するとの批判をふまえ、人民主権の制度化にとって公私区分が不可欠であることを明らかにするとともに、とりわけドゥオーキンの法・政治道徳理論をてがかりとして、人格の統合に配慮しつつ、公私の境界線を漸進的に変動させる公私区分論を提示した。さらに公私の相互関連性にかんがみ、「領域」の公私区分とともに、井上達夫が提唱する「理由」の公私区分を、憲法学においても導入する必要性を主張した。また実践に関しては、理論的研究成果をふまえ、私的領域の中核に位置する自己決定権について、アメリカの議論を中心にドイツの議論も参照しながら、自己の基底的信念にもとづく最終的判断権を留保して人格の統合を確保することが、自己決定権保障の趣旨であることを明らかにし、日本国憲法の解釈論に示唆を与えた。さらに、このような意味で決定的に重要な自己決定権の貫徹を阻止しうる存在として、家族という憲法上の法制度保障について考察し、両者の緊張関係を指摘しつつ、人格の根源的平等性を尊重すべきことを論じた。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.A37-A83, 1995-03-15

言語哲学において重要な研究領域として位置付けられている指示研究には, フレーゲ的研究方法と反フレーゲ的研究方法 (いわゆる指示の新理論家の研究方法) の対立が全般にわたって見られる。本稿では, 特に指標詞と指示詞を取り上げて, その対立点を検討するのが目的であり, 具体的には指標詞と指示詞に対するフレーゲ本人の説明, そしてそれに対立するペリーとウェットスタインの説明を比較・検討することになる。なお, 一般的に解釈されているフレーゲ像が, 必ずしもフレーゲの真意を反映しているものとは言いがたく, 従って擁護するにしても, また批判するにしても, フレーゲの主張をより正確に解釈する必要があり, その意味で指標詞と指示詞に対するフレーゲの説明を多少詳細に検討し, それに続いてフレーゲの主張を批判するペリーとウェットスタインの主張を明確にする為に, 指標詞と指示詞に対するペリーとウェットスタインの説明を比較・検討することにする。指標詞と指示詞に対する説明の相違は, 単純な言い方をすれば, 指標詞と指示詞の指示 (指示物) が意味によって決定されるとするのか, それとも言語的意味と文脈的要素によって決定されるとするのかの対立によるもので, その点を具体的に検討していくことになる。
著者
松井 暁 松元 雅和 向山 恭一 坂口 緑 伊藤 恭彦 施 光恒 田上 孝一 有賀 誠
出版者
専修大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本プロジェクトでは、全体テーマであるグローバル・イシューを六つのパートに分け、グループに分かれて研究を推進する体制をとった。すなわち、グローバル市場、政治空間の変容、戦争と平和、環境・生命、主体・関係・アイデンティティの変容、変革の方向である。そのうち、グローバル市場については、伊藤恭彦が国際的な課税の正義に関する著作を発表した。政治空間の変容については、有賀誠が著作『臨界点の政治学』で総合的に考察している。松元雅和が合理的投票者の行動についての論考を、施光恒が愛国主義と左派を巡る論考を提出した。戦争と平和については、松元雅和がテロと戦う論理と倫理について、有賀誠が上述書で正戦論について検討している。環境・生命では、松井暁が生産性の上昇や労働からの解放といった現象とエコロジーの両立可能性を探求している。主体・関係・アイデンティティの変容では坂口緑のポスト・コミュニタリアニズム論や承認論の研究が進んでいる。最後に変革の方向については、施光恒がリベラルな「脱グローバル化」の探求という観点から、新自由主義、ナショナリズム、保守主義を比較検討し、田上孝一がマルクスの社会主義を哲学的観点から再考している。それぞれの研究は、すべて本プロジェクトのテーマであるグローバル・イシューとの関連を踏まえつつ進められている。すでに出された業績からは、本プロジェクトの特色である規範理論的なアプローチの成果が明らかに示されている。
著者
竹尾 治一郎
出版者
関西大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1986

1.フランツ・ブレンターノおよびブレンターノ学派の哲学の一般的特徴は、客観主義的実在論である。これとは対照的に、時代を同じくするもう一人の重要なオーストリアの哲学者であるエルンスト・マッハの科学哲学における実証主義は主観主義的傾向を代表する。これらの思想の間の緊張関係を、バートランド・ラッセルの1910年代の現象論から同20年代の中性的一元論への移行に注意を払ひながら、これとの関連において研究した。2.ブレンターノにおける、「志向的内在」の概念による心的現象の特徴づけ、および彼自身によるこの見解の否認に到る経過を跡づけた。更にブレンターノによる心的現象の分類と、これに基づく哲学の諸領域の区分を明瞭にした。また一方、心的現象についてのブレンターノのもとの見解が、マイノングの対象論においてどのやうに発展せしめられたかを、その主要な論点について追求した。その上で、ブレンターノとマイノングの存在論,認識論,倫理学の思想を比較研究した。3.マイノングとラッセルの論争をふり返り、それを通じてマイノングの対象論を、現代のたいていの論理学者によって受け容れられてゐる存在論に照らして検討した。その際、クワインやフリー・ロジックの研究者達の存在論的立場とマイノングのそれとの相違を明らかにした。われわれはなぜマイノングが彼の対象論において非有の対象を認めざるをえないと考へたか、またさうした(非有の)対象がわれわれの観点からどのやうに評価されるかを考察した。われわれはまた、ブレンターノ,G・E,ムーア,ラッセル,新実在論者といったオーストリアと英米の哲学者達が、いはゆる「主観主義の論証」を構成する各命題にどのやうに反応したかを考察し、観念論的認識論に対する彼等の個別的な反論がいかなる主張を含むかを明らかにした。
著者
清水 高志
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.A16, 2016 (Released:2016-04-22)

ストラザーンの『部分的つながり』が切り拓く思想的な展望を、二十一世紀の哲学の諸動向と同種の問題意識を孕んだものとして捉え直す。彼女が集団の全体という「一」と、その部分としての「多」を自明なものとして想定せず、媒体的なモノ=道具が集団形成に果たしている能動的な機能と、その変容を重視していることの意味を哲学的に考察する。
著者
佐々木 重洋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.242-262, 2015-09-30

本稿の目的は、エヴァンズ=プリチャード(以下、E-P)の思考の軌跡と、彼が示していた問題意識と手法をあらためて批判的に再検討し、その知的遺産と検討課題を現在に再接続させることにある。本稿では、民族誌や論考、講義録や書簡から読み取ることができるE-Pの構想のなかでも、人間の知覚と認識、その作用に影響を与えるものとしての社会、それも決して閉じた固定的なシステムではなく、人間関係の動態的な諸関係としてのそれとは何かをモンテスキューにさかのぼりつつ自省し続けた点と、民族誌と人類学の主要な仕事としていち早く解釈という営為を強調した点にとくに注目し、その背景を再検討した。アザンデの妖術やヌアーの宗教を扱った民族誌においては、当時の西欧的思考の枠組みに対する疑義ないし違和感が表明されていたが、E-Pとその後進たちの遺産は、そこに「インテレクチュアル・ヒストリー派」としての省察がともなうかぎり、主知主義批判、表象主義批判や言語中心主義批判、主客二元論批判や心身二元論批判としても、今なお私たちにとって着想の源泉たり得る。さらに、共感や友情を強調したその人文学的経験主義からは、絶えず自己に立ち返り、自らが影響を受けている知的枠組みと社会背景に対する自省を保ちつつ、調査する者と調査される者のあいだの共約不可能性を乗り越えようとする姿勢を継承でき、それはフィールドワークと民族誌を取り巻く思想的、物理的環境が大きく変わりつつある今こそ、あらためて参照に値することを指摘した。今日、E-Pに立ち返って考えることは、モンテスキューを脱構築しつつ、人類学的思考が哲学や社会学はもとより、法学や政治学、経済学などと未分化の状態であった時点に立ち返って考えることにつながるものでもあり、今後の人類学が人文学とどのように関係すべきかという点も含めた人類学の知のあり方を模索するうえで一定の意義があると考える。
著者
高田 宗平
出版者
大阪府立大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本年度も資料の蒐集・調査・分析に注力した。①清原家以外の公家・官人層、顕密僧の漢学実態を解明するため、京都大学総合博物館所蔵勧修寺家文書、国立歴史民俗博物館所蔵の廣橋家旧蔵記録文書典籍類並びにその同館所蔵資料、国立公文書館内閣文庫所蔵資料を調査・分析し、データ集積を図った。その成果の一端を上海師範大学で開催された国際学術会議「古寫本經典的整理與研究國際學術研討会」にて発表した。②日本中世に於ける漢学の実態を解明するため、日本古代中世に於ける類書利用について調査・分析した。③日本中世に於ける『論語義疏』の受容の実態を解明するため、精力的に日本古典籍所引『論語義疏』を蒐集し、それらと旧鈔本『論語義疏』等とを比較検討した。その成果の一端は国際学術雑誌『域外漢籍研究集刊』に投稿し、掲載された。また、台北へ出張し、台北故宮博物院図書文献館にて旧鈔本『論語義疏』を調査し、国家図書館にて関連資料を蒐集した。①の成果を中国哲学、経学、敦煌本・吐魯番学、中国古典文献学、仏教文献学などを専門とする日中学者が出席した上記国際学術会議にて発表し、また同国際学術会議の「總合討論」にて、日本伝存漢籍旧鈔本・古鈔本、日本古典籍所引漢籍の特徴・意義について提起し、討議できたことは大きな成果である。席上、上海師範大学哲学与法政学院教授 石立善氏、浙江大学古籍研究所教授 許建平氏、南京師範大学文学院副教授 蘇ホン(艸+凡,peng)氏、等と情報交換し学術交流した。③に関して、同上国際学術会議にて『論語義疏』についての発表のコメンテーターを務めた。また台北故宮博物院図書文献館にて、同館の諸氏と情報交換し学術交流した。上記のように、上海の国際学術会議にて研究発表と討議し、海外に発信でき、上海と台北にて海外の研究者と情報交換し、学術交流できた。この成果は学術ネットワークの基礎を築く一歩を踏み出すことになると言える。
著者
鳥光 美緒子
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
no.14, pp.29-34, 2005

シェリングとベンヤミン、この二人の時間論を対象に、「決断こそが本来的時間を惹起させる」という両者に共有される思想の当否を問うことが、池田論文の課題であるという。だが、なぜシェリングとベンヤミンなのか。決断、本来的時間、これらの用語がなによりもふさわしいのは、シェリングでもベンヤミンでもなく、ハイデガーだろう。それにもかわらず、池田論文は、ハイデガーとシェリングでも、ハイデガーとベンヤミンでもなく、シェリングとベンヤミンの時間論を、比較思想史的な考察の対象として設定する。以下の私のコメント論文では、池田論文の隠れた主役として、ハイデガーを想定する。ベンヤミンをハイデガー的時間論の近傍におき、ベンヤミンを実存哲学的、実践哲学的に問題にするという、池田氏のアプローチがどのようにして成立したのか、またそれはベンヤミンの思想解読として果たして実り豊かなものといえるのかどうかが、以下において問題にされる。
著者
菅野 礼司
出版者
文理閣
雑誌
唯物論と現代 (ISSN:09151974)
巻号頁・発行日
no.41, pp.45-62, 2008-11
著者
秋元 ひろと
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2011, no.62, pp.73-86_L5, 2011 (Released:2011-12-09)
参考文献数
7

In this paper, I take up Hume's theories of causation and morality, in particular, his accounts of belief and moral sentiment, and consider what his naturalism really amounts to.Hume treats causal reasoning and belief basically as a non-reflective reaction caused by custom. Hence he naturally attributes causal reasoning and belief not only to humans but also to animals. Causal reasoning and belief are mental operations, he thinks, which have their foundation in the nature shared by humans and animals.In so far as Hume explains the formation of moral sentiment in terms of sympathy viewed as a mechanism of contagion, his account of moral sentiment is on a par with his account of belief. However, Hume does not attribute moral sentiment to animals, because he does not suppose that animals are capable of reflective thinking, which he regards as essential for the formation of moral sentiment properly so called. Now the process of reflective thinking involved in the formation of moral sentiment can be seen as a process of self- and mutual-understanding of human nature. For example, we understand and mutually understand the fact that a certain degree of selfishness is inseparable from human nature, thereby correcting the sentiment of blame we naturally have toward those who oppose our self-interest. However, a process such as this has no definite end point. It is true that Hume tries to give a psychological explanation of moral phenomena and show that morality is an expression of human nature, but this is not all he does in his naturalism. He also has in his view the openended character of morality and the possibility of its transformation.
著者
森住 哲也 鈴木 一弘 木下 宏揚
出版者
情報処理学会
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2010, no.3, pp.1-8, 2010-05-15
被引用文献数
1

インターネットで情報流を制御する複雑系のエージェントを提案する.着眼点は,「公共性と私性に関する価値が,公私の間を循環するとき,相互の矛盾が情報漏洩・情報改竄の問題を引き起こす.」 と観る事である.本論文では,マルチエージェントの相互作用を,哲学と社会システム論の視点から捉え,その人文科学的見地を情報流制御に反映させる.情報流は,本論文で新たに定義する色彩循環のアナロジーとして記述され,マルチエージェント・シミュレータによって制御パラメータを解明する枠組みを示す.It proposes the agent of complex systems to control the information flow on the Internet. When the publicity value and the privacy value circulate between them, the contradiction of each other causes the problem of the information leakage and the information falsification. In this paper, the multi agent's interaction is caught from the aspect of the philosophy and the social system theory, and the cultural science viewpoint is reflected to the information flow control. The information flow is described as an analogy of the color circulation defined newly in this paper, and shows the frame to which the control parameters are clarified with the multi agent simulator.