久曽田 (@_kusoda)

投稿一覧(最新100件)

RT @1059cham: 昔の青漆の色の原料の話、昨日硫黄までは出てきたものの硫黄でなくて化合物だったような……と思いながら話していましたが、正しくはヒ素が硫化した石黄でした。それと藍ですね。鍋島の甲冑の青(緑)についての論文はこちらからダウンロードできましたhttps://…
RT @gengo6com: ハイイロゲンゴロウはボウフラの天敵として知られていて、そうした行動を研究した論文も存在します。これはタガメの研究で知られる大庭伸也先生の奨励賞受賞論文 希少種を含む水生昆虫類に関する生態学的研究; 捕食者一被食者の関係から保全と応用を考える ht…
RT @BungakuReportRS: 梶原 洋 - サハリン発見「アイヌ鎧」の年代につい て【したがって、この鎧は、平安時代9 世紀の所産ではなく、室町時代の15 世紀頃に奥州以北などで製作され、サハリン(樺太)にまでもたらされたとの説明が最も有力となり、従来の年代感は訂…
RT @holy_sengoku: 足利義輝の鎧姿とくれば、まず連想するのは、足利将軍家重代の鎧「御小袖」のこと。『江陽屋形年譜』が永禄の変における義輝の御小袖着用を伝えているそうですが、同時代史料によると、御小袖の唐櫃は伊勢貞助に警固されて禁中に預けられ、その後は三好家が管理…
RT @kokutenkyou: んおお!!この報文、北海道から出土した星兜の実測図が載ってる!!「兜出土地一覧表」とかいう神リストまで付いてるのでメモ。 https://t.co/zLTzTKwMfH https://t.co/zIWFptTsjn
RT @urakkun26: 甲冑は奈良紀伊辺りの産が人気だったのか… https://t.co/vjhQTEdJJV
RT @kokutenkyou: あと、同ページで書かれていた「八幡黒は劣化しやすい」という点について検証した報文があったのでメモ。鉄漿に含まれる酢酸が媒染中に絹繊維の劣化を引き起こしている模様。 https://t.co/AjQqTqQDxQ
https://t.co/2cTSukgFN2 これによると鎌倉公方出陣時には大鎧が使われていて、つまり本小札の甲冑が存在(そりゃそうだが)したことは確認できる。単にモノが度重なる戦乱で失われたということなのか?
RT @yoroi_gurui: 1586年の天正大地震で壊滅した木舟城下町跡の石名田木舟遺跡から練鉢の残欠が出土していたとは知らなんだ。しかも小星風の意匠らしい。 https://t.co/taqIBiavPr https://t.co/XuYZzgEXdM
https://t.co/2cTSukgFN2 これこれ。持氏が金襴の肩衣に小袴、片籠手、脇盾、鎖の単袴という小具足姿で出てきており、厳密な故実が存在したらしい。

10 0 0 0 OA 群書類従 : 新校

RT @kokutenkyou: 大鎧の古称と言われている"牛綴皮"について書かれた記事が電子化されてたのでメモ。『群書類従』神祇部三 巻第三に所載の太神宮諸雑事記 第二(同年(治暦)二年十二月の記事)。1066年の伊勢神宮での記事。 https://t.co/eIxwBUN2…
https://t.co/dM7EEzFwVf 山岸素夫「中世大袖の規格化と甲冑用鷹バカリについて」。甲冑製作時の基準尺度と実遺例の寸法から大袖生産の規格化を探る。

14 0 0 0 OA 温古〓彙

RT @yoroi_gurui: 古甲冑の研究熱が高まった江戸後期に編まれた絵韋のパターンカタログ。甲冑自作派へ推奨するが、使う箇所や時代観を誤らぬよう注意すべし。 『温古せん彙』の著者・春田永年は幕府のお抱え甲冑師。 ・春田永年『温古せん彙』https://t.co/KLC0…

19 0 0 0 OA 革[ゼン]図考

RT @yoroi_gurui: 古甲冑の研究熱が高まった江戸後期に編まれた絵韋のパターンカタログ。甲冑自作派へ推奨するが、使う箇所や時代観を誤らぬよう注意すべし。 『温古せん彙』の著者・春田永年は幕府のお抱え甲冑師。 ・春田永年『温古せん彙』https://t.co/KLC0…
RT @kokutenkyou: 6年前に神奈川県で出土した鎌倉時代の大鎧の調査報告が出てた。ありがてぇ! https://t.co/IQTrxNbIew https://t.co/OKyy9j8OOh

お気に入り一覧(最新100件)

PDFあり。 「1549年に毛利元就が大内義隆を訪問した際の6回分の饗応献立」 ⇒渡壁 奈央, 河野 知歩, 石橋 ちなみ, 岡田 玄也, 杉山 寿美 「資料 『元就公山口御下向之節饗応次第』に記された戦国期毛利氏の饗応献立の再現とその活用」 『会誌食文化研究』18 (2022) https://t.co/MJZm91VijI
PDFあり。 ⇒井手口 彰典 「童謡はなぜ〈怖い〉のか : 言説の背景とその機能について」 『大衆文化』第26号 (2022) https://t.co/9LB99MEGCp
鉄に関しては精錬時や鍛造時に固溶 した炭素14を元に年代測定する手法が模索されていて興味深い。 https://t.co/VBXjhpnBaj

86 0 0 0 OA 十二類巻物

15世紀に成立した十二類巻物、画像は江戸期の模本だけど、この絵巻、当時の合戦の様子を語る良い資料になるんじゃないか https://t.co/l2xqOyKgnE https://t.co/jJiKsfKZY9
昔の青漆の色の原料の話、昨日硫黄までは出てきたものの硫黄でなくて化合物だったような……と思いながら話していましたが、正しくはヒ素が硫化した石黄でした。それと藍ですね。鍋島の甲冑の青(緑)についての論文はこちらからダウンロードできましたhttps://t.co/4FvXEvxadA
https://t.co/yQLoVGf6Tj 文禄・慶長の役で明軍を率いた宋応昌の日本軍評。「論者が謂った。倭の鳥銃は、我々は遮り蔽い難く、倭の利刀は、我々は防ぎ堪え難い、と。しかし、我々の快鎗や三眼鎗、および諸神器は、鳥銃と匹敵しうるものである。倭は熟達するがゆえに利と称し、我々は未熟ゆえに鈍と https://t.co/op3lQytTHR
大阪湾海底から発見された後期鮮新世-前期更新世のビワコオオナマズ(Silurus biwaensis)の化石。 現在は琵琶湖とその周辺にしかいないこの魚が、かつてはより広い分布域を持っていたことを示す発見です。 論文フリー(本文日本語) #とよけら論文紹介 https://t.co/1riSqM1rcF https://t.co/YlYjQVMPgI
中世前期における東国武士の教養に関する最新の研究。  杉橋 隆夫・上島 理恵子「「かな」「まな」と「和字」「漢字」―北条泰時書状を手掛かりに―」(『立命館白川靜記念東洋文字文化研究所紀要』14、2021-03) https://t.co/TOY1fFRTX3
日文研の学術誌『日本研究』に掲載の大塚英志氏のこの文章、単なる学会展望というより、氏の膨大な著作に根ざしたポピュラーカルチャー「研究」批判として骨太の論考になっている。刊行当時も読んで唸ったが、改めて読むと今回論争になった書評の内容にも直接繋がっている。 https://t.co/NxgSkDPvkm
坂東武士の教養を論ずる際に、その識字率の低さの根拠にされるのが関東御成敗式目について述べた北条泰時書状の内容ですが、従来の解釈は、武士は無教養だという思い込みが前提にあったようです。この論文を御一読ください。↓ https://t.co/TOY1fFRTX3
●滝沢家文書について : 八戸櫛引八幡宮の由来と神事御用(2018) https://t.co/fZ3BLONvtu
国会図書館デジコレで見れる大正年間複製の誉田宗廟縁起絵巻。白黒だけど。永享時点での古墳築造の絵が載せられており面白い。この絵では、横に戸がついていて横穴式石室を彷彿とさせる。 https://t.co/jbIcBkmCfh https://t.co/t5bxoH9iRV
『立教史学』5号に「御成敗式目の現代語訳はどうして難しいのか : 立法技術・語彙・本文に関する覚え書き」を書きました。以前、学部のゼミで扱って試訳をつくったのですが、どうにも難しくて、どうして難しいのか、自分なりに考えたことのメモです。リンク先にPDF。https://t.co/VHdvurxfwQ
ハイイロゲンゴロウはボウフラの天敵として知られていて、そうした行動を研究した論文も存在します。これはタガメの研究で知られる大庭伸也先生の奨励賞受賞論文 希少種を含む水生昆虫類に関する生態学的研究; 捕食者一被食者の関係から保全と応用を考える https://t.co/UOfUK4NQul
院政期以降だと、女御は后(中宮・皇后)のほかに置かれるというよりは、立后の前段階としての地位であるのが普通なので、むしろ女御がいない期間の方が長いのではないか。 なお、伴瀬明美「院政期における後宮の変化とその意義」(『日本史研究』402、1996年)を参照。 https://t.co/XBfoYyEgBG
「漢代画像石における龍の図像について:第二分布区篇」より。清水寺の象嵌鉄鍬形の龍の図像はこのパターンが一番近そう。 https://t.co/sJwwOG0aKJ https://t.co/VNJu2m0HHl
アイヌの鎧はググると画像出てくる。最近論文がひとつで他ので妄想が楽しい。 サハリン発見「アイヌ鎧」の年代について https://t.co/KPZcwPPh8I
GOZA先生が色川文書を使って後南朝関連の報告書を書いたようで読んでいる。 後南朝フレンズにはちょっと耳の痛い報告 https://t.co/t5e9iv0AuJ
『尊経閣文庫国書分類目録』が国会図書館デジコレで閲覧可能。 https://t.co/L3ZR7WIyu7 目次が整備されていて便利である。伊勢流故実書いっぱいあるなあ・・・
@HIRAYAMAYUUKAIN 黒色火薬の燃焼により生成する煙についての試論 https://t.co/mfYozHwrXR これは花火の論文になります。
昨年発行の「忍者研究」3号がJ-STAGEに登録されました。 平山優「戦国時代の忍びの実像」 https://t.co/9DyB94DisC 上田哲也「熊本藩細川家の忍び」 https://t.co/cuugy9uD47 田村梨紗「「忍者・服部半蔵」の誕生──昭和三九年までの作品を対象に」 https://t.co/40Q2TA5RIi
昨年発行の「忍者研究」3号がJ-STAGEに登録されました。 平山優「戦国時代の忍びの実像」 https://t.co/9DyB94DisC 上田哲也「熊本藩細川家の忍び」 https://t.co/cuugy9uD47 田村梨紗「「忍者・服部半蔵」の誕生──昭和三九年までの作品を対象に」 https://t.co/40Q2TA5RIi
昨年発行の「忍者研究」3号がJ-STAGEに登録されました。 平山優「戦国時代の忍びの実像」 https://t.co/9DyB94DisC 上田哲也「熊本藩細川家の忍び」 https://t.co/cuugy9uD47 田村梨紗「「忍者・服部半蔵」の誕生──昭和三九年までの作品を対象に」 https://t.co/40Q2TA5RIi
梶原 洋 - サハリン発見「アイヌ鎧」の年代につい て【したがって、この鎧は、平安時代9 世紀の所産ではなく、室町時代の15 世紀頃に奥州以北などで製作され、サハリン(樺太)にまでもたらされたとの説明が最も有力となり、従来の年代感は訂正されなくてはならないだろう】 https://t.co/yCc9EOB24V
【メモ】木島 孝之「城郭研究『縄張り研究』の独自性を如何に構築するか」2012 https://t.co/5lZbAr3eAu
荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0NQwCbK https://t.co/jp5DgF5tfR
PDF公開。山田徹「社会史を経た室町期権力論・支配体制論(上)」(『人文學』207、同志社大学人文学会、2021年3月)情報元は鍵付なのであらためて拙垢でも放流。新連載シリーズということで次回が楽しみ。https://t.co/FpNuhUY8cs #こんな論文がありました
網野善彦と共産主義運動との関係について、論文があったんだ。https://t.co/1hMwBCUHq8
そういえば古墳時代の金メッキの耳鐶で地金に一旦銀板を被せてから金メッキする事例があったのでメモ。 12世紀の鉄鍬形でも地鉄に銅板を象嵌してから銀or金メッキする技法が使われているので興味深い。 https://t.co/FwRFoGFRzE
@kotofanatic この研究の様にX線と放射線を組み合わせたやり方なら、見えない所も判明するかもですね。 サンプルが120口と言うのも魅力的です。 https://t.co/0QhkHZOSYb
古文書にもとづいて古民家の床下の土から硝石をつくる実験をしたらしい。 https://t.co/4sBIhWSRU4 「煙硝づくり『古土法』の史学調査と実験的検証について」(薬史学雑誌 54(2)、2019)
出土事例を見た感じ古墳時代に両当式挂甲って存在しないよなと疑問に思っていたのだけど、塚本敏夫氏の調査でも「両当式と胴丸式の2型式が存在したとの通説があったが、今回の調査で両当式は確認できなかった」と報告されているのでやはり無いっぽい。 https://t.co/2MxhU7G8Tv
■鹿革の脳漿鞣しの分析調査の報告が出てたのでメモ。 ・脳漿自体にはほとんど鞣し効果は無く、ヘラなどによる物理的な揉みほぐしによる効果が大きい。 ・脳漿中のリン脂質分解物は肌触りの滑らかさに寄与(石鹸で滑りが良くなるような効果) ・ぶっちゃけ現代の油鞣しと同じ。 https://t.co/7rqms7D8f5

64 0 0 0 OA 師郷記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

64 0 0 0 OA [師守記] 64巻

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

67 0 0 0 OA 康富記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

67 0 0 0 OA 満済准后日記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史
『観心寺文書』 https://t.co/joTSPqWDFj 『金剛寺文書』 https://t.co/Ody2YNNu9K #在宅研究 #デジコレで中世史
『観心寺文書』 https://t.co/joTSPqWDFj 『金剛寺文書』 https://t.co/Ody2YNNu9K #在宅研究 #デジコレで中世史
読めない!詳しく知りたい!という方は、現存する書簡の写しを網羅考察した 堀智博氏の 大坂落人高松久重の仕官活動とその背景 - https://t.co/xATNwsOnfp をどうぞ!原本は残っていないようでこうした書簡の写しが断片的に存在するようです。
鎌倉時代の経典に真鍮泥を用いた物があったことが報告されていたのでメモ。 https://t.co/ApvwGgRk8r
足利義輝の鎧姿とくれば、まず連想するのは、足利将軍家重代の鎧「御小袖」のこと。『江陽屋形年譜』が永禄の変における義輝の御小袖着用を伝えているそうですが、同時代史料によると、御小袖の唐櫃は伊勢貞助に警固されて禁中に預けられ、その後は三好家が管理したようです。 https://t.co/mzilAMvfCI
記事残ってた!近藤好和氏が『止戈枢要』の武具パートに相当する部分の翻刻と解説作成を進めいるようなので期待大。 https://t.co/eIjJF7Kaz7

5 0 0 0 OA 武器図札

武器図札。著者の正木輝雄は作陽誌、東作誌で有名な人。絵が綺麗なんだけど、絵の下の解説には引用元の書名が水 (水鏡) みたいに出てる。こういう本で横刀で載せてるのあんまり見ない感じ。しかし肌袴(パンツ)は武器なのだろうか https://t.co/8556vAhbJO https://t.co/4dJJnhuVhp
んおお!!この報文、北海道から出土した星兜の実測図が載ってる!!「兜出土地一覧表」とかいう神リストまで付いてるのでメモ。 https://t.co/zLTzTKwMfH https://t.co/zIWFptTsjn
面白そうなのを見つけたので帰ったら読む。8-9世紀の郡司の任用状況についての論考。 『郡司任用制度の一考察-郡司・郡司層と天皇-』 https://t.co/j9VHrYHUF5
CiNii 論文 -  「伊勢国津城合戦手負討死注文」に関する考察(その1)津城合戦(慶長5年8月)における吉川家の軍事力編成についての検討 https://t.co/Q4VNcE8MJk #CiNii
■生産技術面からみた近世出土漆器の生産・流通・消費 北野信彦■ https://t.co/fQCNbBKiza →漆膜層の図示あり。分かりやすい。
CiNii 論文 -  秀吉政権下における徳川家康の「外交」 https://t.co/d2DsGoKUA3 #CiNii 家康は天下人になってから急に西洋との関係に目覚めたみたいなことが『徳川家康・秀忠の甲冑と刀剣』に書いてあったけど、違うよというのが分かる論文。
で、この矛盾を「元常の養子」に変えることで世代的には矛盾を無くしたのが18世紀成立の「御家譜」だったようなのだけど、それで思い出したのがこの藤孝の出自の移り変わり詳細に示してるこの論文 CiNii 論文 - 細川幽斎の出自について https://t.co/nma6aCXcCY #CiNii
@Kusoda_new 小桜の鉢高については、『芸州厳島社宝物鎧之図』には4寸9分とありますが、さすがに数値が不審でもう少し調べる必要がありそうです。 https://t.co/9wHaga5clL 余談ですが、『厳島図会』が編まれた天保年間にはすでに小桜を鎮西八郎の鎧とする見方があったようですね。
1586年の天正大地震で壊滅した木舟城下町跡の石名田木舟遺跡から練鉢の残欠が出土していたとは知らなんだ。しかも小星風の意匠らしい。 https://t.co/taqIBiavPr https://t.co/XuYZzgEXdM

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