著者
渡辺 彰 佐藤 博 常石 英作 松本 光人 滝本 勇治
出版者
公益社団法人 日本畜産学会
雑誌
日本畜産学会報 (ISSN:1346907X)
巻号頁・発行日
vol.63, no.9, pp.935-941, 1992-09-25 (Released:2008-03-10)
参考文献数
14

牛の屠殺方法が各種筋肉のpHおよびATP-関連化合物(ATP,アデノシン三りん酸;ADP,アデノシン二りん酸;AMP,アデノシン一りん酸;IMP,イノシン酸;Ado,アデノシン;Ino,イノシン;Hyp,ヒポキサンチン;Xan,キサンチン)の死後変化に与える影響を調べた.子牛9頭を供試し,麻酔処置により筋肉を採取したA区,屠殺時に延髄•脊髄破壊したP区および破壊処理なしに放血のみで屠殺したN区の3区に3頭ずつ分けた.採取した筋肉は胸最長筋(LD筋),大腰筋(PM筋)および大腿二頭筋(BF筋)で,採取後37°Cに保温して,pHおよびATP-関連化合物の経時変化を測定した.pH変化について,LDおよびBF筋では,処理による有意差は認められなかった.PM筋では,極限pHに到達するまで,pH値は,A区,N区,P区の順で高く推移し,屠殺1,3および4時間後では,A区がP区およびN区よりも有意(P<0.05)に高かった.また,ATP-関連化合物の分解程度をKa=(IMP+Ino+Hyp+Xan)/(ATP+ADP+AMP+IMP+Ino+Hyp+Xan)とすれば,PM筋のKaでは,屠殺1時間後でP区がN区よりも有意(P<0.01)に高かった,LD筋では2時間後にP区がN区よりも高い傾向があった.BF筋では,3時間以内で処理間に差異は認められなかった.これらのことよりPM筋は屠殺時の延髄•脊髄破壊の影響を強く受けてATPの分解が進んでいることが明らかとなった.
著者
貝羽 義浩 大橋 洋一 佐藤 馨 佐藤 博子
出版者
日本臨床外科学会
雑誌
日本臨床外科学会雑誌 (ISSN:13452843)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.987-990, 2016 (Released:2016-10-31)
参考文献数
13
被引用文献数
1 3

患者は80歳,男性.腹部大動脈瘤手術後に生じた腹壁瘢痕ヘルニアに対して,メッシュを6箇所の非吸収糸による筋膜固定と金属製コイル式タックで固定する腹腔鏡下腹壁瘢痕ヘルニア修復術を施行した.その約2年後,腹部の発赤・発熱が出現し,メッシュ感染による腹壁膿瘍の診断で入院した.膿瘍をドレナージした後,膿瘍腔を造影すると小腸と交通していたため,開腹手術を施行した.開腹所見では,メッシュの辺縁部の金属製コイル式タックが小腸と強固に癒着し穿通していた.メッシュ,膿瘍腔,癒着腸管を切除し,腸管を再建した.術後は創感染を認めたが,軽快し退院となった.腹腔内での金属製コイル式タックの使用は,金属の一部が腹腔内に突出して腸管が癒着,穿通しメッシュ感染の原因となることがあるため,吸収性タックなど金属製コイル式タック以外の固定具を用いるべきと考えられた.
著者
佐藤 博幸
出版者
新潟医療福祉学会
雑誌
新潟医療福祉学会誌 (ISSN:13468774)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.23-35, 2019-03

障害者差別解消法施行下における障害者福祉に関する市民意識調査を実施し、障害当事者71人を含む180人から回答を得た(回収率70.59%)。この結果、市民の間で法律や制度に関する理解は一定の理解が進んでいるものの、近所づきあい等地域生活の場面や社会参加の機会に障害に根差した差別を体験したことのある障害当事者が60.56%に及び、障害の種別により被差別体験に差があることが明らかになった。障害当事者の地位向上を図るために、厳しい雇用環境の改善と併せ日常生活における合理的配慮の提供の理念が広がっていくことが望まれた。合理的配慮の提供を感じる人の割合は、直接的なコミュニケーション場面で高く、文書による連絡など間接的なコミュニケーション手段では低い傾向がみられた。一方、ノーマライゼーションが進展していると考える者は全回答者の36.67%にとどまり、法律や制度に対する認知度と障害者福祉の充実度に対するとらえ方に開差がみられた。今、障害者福祉は、障害者差別解消に向けノーマライゼーション理念の浸透を実感できる共生社会の実現に向けた取り組が求められている。障害当事者の活動を制限し、社会への参加を阻んでいる社会的障壁を取り除くことは、障害者福祉の直面してきた大きな課題である。障害の社会モデルを土台にした合理的配慮の提供の広がりは、この課題解決に向けこれからの障害者福祉を進展させていく大きな力になるものと考えられる。
著者
佐藤 博幸
出版者
新潟医療福祉学会
雑誌
新潟医療福祉学会誌 (ISSN:13468774)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.23-35, 2019-03

障害者差別解消法施行下における障害者福祉に関する市民意識調査を実施し、障害当事者71人を含む180人から回答を得た(回収率70.59%)。この結果、市民の間で法律や制度に関する理解は一定の理解が進んでいるものの、近所づきあい等地域生活の場面や社会参加の機会に障害に根差した差別を体験したことのある障害当事者が60.56%に及び、障害の種別により被差別体験に差があることが明らかになった。障害当事者の地位向上を図るために、厳しい雇用環境の改善と併せ日常生活における合理的配慮の提供の理念が広がっていくことが望まれた。合理的配慮の提供を感じる人の割合は、直接的なコミュニケーション場面で高く、文書による連絡など間接的なコミュニケーション手段では低い傾向がみられた。一方、ノーマライゼーションが進展していると考える者は全回答者の36.67%にとどまり、法律や制度に対する認知度と障害者福祉の充実度に対するとらえ方に開差がみられた。今、障害者福祉は、障害者差別解消に向けノーマライゼーション理念の浸透を実感できる共生社会の実現に向けた取り組が求められている。障害当事者の活動を制限し、社会への参加を阻んでいる社会的障壁を取り除くことは、障害者福祉の直面してきた大きな課題である。障害の社会モデルを土台にした合理的配慮の提供の広がりは、この課題解決に向けこれからの障害者福祉を進展させていく大きな力になるものと考えられる。
著者
佐藤 博之
出版者
湘南工科大学
雑誌
湘南工科大学紀要 (ISSN:09192549)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.17-26, 2020-03-31

本稿ではキャリア教育科目群の授業設計に関して,さらなる深化に向けた契機とすることを目的とし,特に“PBL”“インストラクショナルデザイン”をキーワードとした調査研究から,授業担当者が授業設計を考える際のティップス的価値について整理・考察を行う.The purpose of this report is to provide opportunities for further deepening the class design of career education subjects. In particular, through a research study using "PBL" and "instructional design" as keywords, we will organize teaching strategies that are useful for class staff in thinking about class design.
著者
西山 忠男 宮崎 一博 伊東 和彦 佐藤 博樹 金澤 英樹 玉田 攻 北澤 恒男 小池 正義
出版者
Japan Association of Mineralogical Sciences
雑誌
日本鉱物学会年会講演要旨集
巻号頁・発行日
pp.47, 2004 (Released:2005-03-10)

Ito et al.(2003)において合成されたカンラン石単結晶中に見られる波動累帯構造の詳細を報告し,成因を考察する.これまで2成分系において成長速度の濃度依存性を組み込んだ拡散境界層モデルが提唱されているが,われわれの場合組成変動幅が小さいので問題にならず,既存のモデルでは説明不可能である.ここではメルト中の拡散が2成分系ではなく3成分系で起こると考え,FeOとMgOの拡散係数の大きさが有意に異なる場合はSiO2のアップヒル拡散が生じることを示す.カンラン石の成長によりこのようなアップヒル拡散が生じると,拡散境界層におけるメルト組成は,カンラン石のバルク組成から外れることになり,それにより成長が阻害される.SiO2の濃度勾配が解消され,拡散境界層のバルク組成が再びカンラン石のそれに近くなると成長が再開する.このようなフィードバック機構により波動累帯構造が形成されると考えられる.
著者
金中 直輔 佐藤 博明 阿部 肇 根城 尭英 福井 敦 寺西 裕 鳥橋 考一 宮腰 明典 楚良 繁雄 河野 道宏
出版者
一般社団法人 日本脳卒中学会
雑誌
脳卒中 (ISSN:09120726)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.203-208, 2013-05-20 (Released:2013-05-24)
参考文献数
5

要旨:頭痛を主訴に来院した68歳男性.3年間にわたる硬膜動静脈瘻の治療経過において,頭部CTやMRIのFLAIRおよびT2画像にて両側視床に限局した異常信号域を認めた.深部静脈系のvenous congestionによるvenous hypertensionが疑われた.臨床症状として特徴的な視床性認知症を呈していたが,血管内治療により画像的にも臨床的にも改善を認めた.このような適確な診断と治療により可逆的な病態である一方で,時期を逸することで不可逆的な変化を来すこともありうるため,迅速かつ適確な対応が必要な疾患であると考えられた.
著者
佐藤 博信
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.92, no.4, pp.449-471,566-56, 1983-04-20 (Released:2017-11-29)

The present paper attempts to clarify the basic movements of the Oyama Family (小山氏) of Shimotsuke province (下野国), a warrior clan who, together, with the Ashikaga Family, played a central role as one of the "patrician" families of the eastern provinces during the Muromachi and Sengoku periods. The method of analysis utilized takes on the form of individual investigations concerning consecutive Oyama family heads. As a result of organizing both documents issued and received by these family leaders on the basis of a complete analysis of such objective data, a preinitiation name (osanana 幼名), current name (tsusho 通称), given name conferred at initiation (namae 名前), title in the central goverment (kanto 官途), title in the provinces (juryo 受領), and abbreviated signature (kakiHan 花押), the author attempts to shed light on the fundamental political and historical substance of the generational changes which took place during the resurgence of the clan following the rebellion of Oyama Yoshimasa (小山義政) in the Namboku-cho period. The study begins with Yasutomo (泰朝) and continues through the family headships from Mitsuyasu (満泰), to Mochimasa (持政), Shigenaga (成長), Masanaga (政長), Takatomo (高朝), Hidetsuna (秀綱), Masatane (政種), and Hidemune (秀宗). The investigation demonstrates that not only the objective documentary evidence was born from a regular pattern of change, but also the particular generational changes were in many cases marked by intra-family conflicts. Also, within this historical process the author sees an important function played by the relationship of the Oyama Family to the Muromachi Bakufu government in the eastern provinces (Koga Kubo 古河公方). The conclusion that it was this close relationship to the Koga Kubo Ashikaga Family which determined the political destiny of the resurrected Oyama Family during the Muromachi and Sengoku periods. That is, the decline of the eastern Ashikaga Family power in the late Sengoku period necessarily led to the fall of the Oyama clan and consequently paved the way for its later retainership ties to the Go-Hojo Family (後北条氏).
著者
坂場 成昭 佐藤 博之 大橋 弘史 西原 哲夫 國富 一彦
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会 年会・大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.262, 2007

原子力機構では、HTTRに接続させる熱化学水素製造法ISプロセスの設計研究を進めている。商用段階における経済性向上のためには、HTTRに接続するISプロセスを一般化学プラントの規格基準を用いて非原子力級にて設計、製作、管理することが重要である。本報では、非原子力級化に必要となるR&D項目について述べる。
著者
斉藤 喬雄 佐藤 博
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.82, no.11, pp.1797-1801, 1993

重症の高血圧による急速な腎機能の低下は,悪性高血圧の症状の一つとして重要である.重症の本態性高血圧でコントロールがきわめて不良なため悪性腎硬化症を呈する場合,全身性進行性硬化症や結節性多発性動脈炎など膠原病に伴う場合,内分泌性あるいは腎性高血圧などの場合でこのような状態が生じることがあるが,さまざまな降圧薬の開発や基礎疾患に対する早期診断や治療により,その頻度は減少しつつある.
著者
太田 伸一郎 橋本 邦久 仲田 祐 佐藤 博俊 斎藤 泰紀 薄田 勝男 菅間 敬治 佐川 元保 佐藤 雅美 永元 則義 今井 督 須田 秀一
出版者
特定非営利活動法人 日本呼吸器内視鏡学会
雑誌
気管支学 (ISSN:02872137)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.122-130, 1986
被引用文献数
9

自験例13, 222件の気管支造影像で発見された気管支分岐異常71例, 85件について検討した。分岐異常は, 中枢気道に関係する区域支までの異常に限定し, 右B^7の欠如・左B^7の存在・左右Bは分岐異常にいれなかった。分岐異常の出現頻度は0.64%であり, 右上葉の異常が全体の75.3%を占めていた。転位気管支の頻度は過剰気管支の7.2倍であり, 気管気管支が全体の31.8%を占め最も多かった。中支から上葉区域支が分岐していたものが10例あり, そのうち8例は, 残る上葉区域支も気管気管支で異常分岐であった。極めて稀な分岐異常としてdouble right tracheal bronchusの1例を経験した。気管支分岐異常に合併した奇形(ASD, 頸肋, 肋骨欠如)を検討し, これら奇形の発症時期と気管支の発生時期とが符合していたことから, 胎生5週初めから6週末までの子宮内環境が気管支分岐異常の発生誘因になりうると考えられた。
著者
佐藤 博文 針金 三弥 龍村 俊樹 山本 恵一 小島 道久 山本 和夫 柴崎 洋一 松本 貞敏 鈴木 亮一
出版者
Japan Gastroenterological Endoscopy Society
雑誌
日本消化器内視鏡学会雑誌 (ISSN:03871207)
巻号頁・発行日
vol.26, no.8, pp.1330-1334_1, 1984 (Released:2011-05-09)
参考文献数
10

尋常性疣贅の多発を伴ったS状結腸癌の2例を報告した.症例は59歳の女性と78歳の男性で,ともに消化器症状はなかったが,2年以上前から尋常性疣贅が顔面,手背に多発し治癒傾向にないため,消化管の精査を行った. 上部消化管には異常所見を認めなかったが,注腸造影と大腸内視鏡検査によりS状結腸癌の合併をみとめ,根治術をおこなうことが出来た. 近年,本邦での結腸癌の罹患率は増加傾向にあり,結腸癌による死亡率を低下させるには一般住民を対象とした大腸集検と共に高危険群の精査による早期癌の発見が必要である. 尋常性疣贅はhuman papilloma virus(HPV)による皮膚感染症で,その発病は細胞性免疫能の低下と関連しているといわれている.今回の2症例の経験から,高齢者で尋常性疣贅が多発し,しかも難治傾向にある場合には,内臓悪性腫瘍の高危険群に屈すると考え,精査追跡をすすめるべきである.
著者
西山 由加李 泉田 久美子 木下 美佐栄 古屋 伴子 吉浦 洋子 川島 博信 松永 彰 井手口 裕 田久保 智子 迫田 岩根 友成 洋子 佐藤 博行 清川 博之 田中 光信 高橋 順子 谷 慶彦
出版者
一般社団法人 日本輸血・細胞治療学会
雑誌
日本輸血細胞治療学会誌 (ISSN:18813011)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.267-273, 2011 (Released:2011-09-09)
参考文献数
29
被引用文献数
1

58歳男性.脳出血のため当院救命救急センターを受診した.入院時,AutoVue Innova®のカラム遠心凝集法によるRh血液型検査で抗Dの反応が(3+)と通常より弱く,weak Dまたはpartial Dが疑われた.各種市販抗D試薬およびエピトープ特異的抗Dモノクローナル抗体を用いた精査では,partial DのカテゴリーDBTとほぼ同様の反応パターンを示した.Polymerase chain reaction-sequence specific primers法によるRHD遺伝子解析ではexon 5,6および7の増幅が認められず,更にcDNAのRHD遺伝子領域を直接シーケンス法にて分析したところ,RHD遺伝子のexon 5,6および7がRHCE遺伝子のexon 5,6および7に置換していることが確認された.以上より,本例は本邦でも珍しいpartial DのDBT-1(RHD-CE(5-7)-D)と同定された. カラム遠心凝集法での抗Dの反応は,試験管法に比べ強く反応することが多いので,カラム遠心凝集法で(3+)以下の凝集を示す場合は,weak Dやpartial Dの可能性を念頭におく必要がある.
著者
佐藤 博信
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.87, no.2, pp.203-218,272-27, 1978-02-20 (Released:2017-10-05)

This article seeks to clarify concretely the relationship between two powerful families in the Sengoku period, the Gohojoshi and the Ashikagashi, as part of the author's research on Kogakubo (古河公方). While rejecting such explanations of these families' relationship as one of compromise or envelopment, theories which ignore the strained relationship between these families, the author examines step by step the strained relations between these two families. He concludes that their relationship developed in the following stages : 1.Before the establishment of marital relations 2.After the establishment of marital relations 3.After the rise of Kubo Yoshiuji (公方義氏) a.Hoshun・indono (芳春院殿) b.Hoshun・inshuko (芳春院周興) 4.The era of Hojo Ujiteru (北条氏照) After the fourth stage the Gohojoshi control of the government was accomplished, and the Kogakubo Ashikagashi existed only as a symbol of authority, thus distinguishing this period from earlier periods when the Ashikagashi held real power. Stages two and three were when the Kogakubo Ashikagashi tried to maintain its power through its symbolic authority. The Gohojoshi was establishing close relations with it through marriages. Then, as a member of the family and the actual Kanto Kanrei (関東管領), Gohojoshi took full advantage of its power and sought to establish itself as Daimyo-Ryogoku-Sei (大名領国制). Thus, the Gohojoshi held a two-sided relationship with the Ashikagashi. During the third stage this two-sided relationship continued when Yoshiuji was not at all a puppet. Hoshun・indono, the daughter of Hojo Ujitsuna (北条氏綱の娘) and mother of Yoshiuji, and then later on the Zen monk Hoshun・inshuko both played important function in developing this two-sided relationship to an extreme degree. Hoshun・inshuko, as the head of the sojya (奏者), had an important role in many ways, even in the composition of formal documents, and he took an active role in changing the power structure of the kubo. Also, at this time the Esso (越相) Alliance was formed between two former rivals, Echigo Uesugishi (越後上杉) and Gohojoshi. This new alliance confirmed the relationship between the Gohojoshi and the Kubo Yoshiuji, while it also brought to an end the external function of Yoshiuji. Thereby the Gohojoshi could end its two-sided relationship with Yoshiuji and changed him into just one of the feudal lords under the Gohojoshi rule. Yoshiuji survived only as a symbol of authority without any political base but for his position as an ancestor of the Ashikagashi.