- 著者
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清水 克志
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- pp.100069, 2015 (Released:2015-10-05)
1.はじめに 近代日本における馬鈴薯(ジャガイモ)の生産地域としては,開拓と西洋農法・作物の推進が図られた北海道が圧倒的な地位にあることは周知の事実である.実際,馬鈴薯の全国生産量における北海道のシェアは,明治30年代(1897~)に過半数を超えて以来,高率を維持し,近年では約80%を占めている. ところが,明治20(1887)年における北海道の同割合は23%に過ぎず,中央高地や東北各県の地位が相対的に高かった.例えば山梨県(旧甲斐国)では,天明の飢饉(1782~88年)を契機に救荒作物として導入され,生産が拡大していった伝承が残っている.また,高野長英が天保7(1836)年に著した『救荒二物考』には,「甲斐国に於て明和年間,代官中井清太夫の奨励によりて早く該地に藩殖し,今に至るまで清太夫薯の名あり,是より信州,飛騨,上野,武蔵等にも伝わりしにや,信州にては甲州薯と呼び,飛騨にては信州薯と唱う」という記述があり,甲斐を起点として周辺地域に伝播していったことが知られている. 本報告では,明治初期に編纂された官庁統計類のうち,郡ごとに集計されている「全国農産表」(明治9~12年)や「共武政表」(明治12年)の分析を中心に,近代初頭時点における馬鈴薯の普及の実態を把握した上で,普及の地域差とその要因について検討する.2.馬鈴薯の郡別収穫量-「全国農産表」の分析- 明治9(1876)年から明治15(1882)年にかけて編纂された「全国農産表」(明治11年以降は「農産表」)には,馬鈴薯が米麦をはじめとする穀類や甘藷(サツマイモ)などとともに,「普通農産」14品目に含まれている.このうち明治9~12年の4年分が郡別に集計されている. 図1は,4年次分の馬鈴薯の収穫量について,明らかに誤記とみられる数値を適宜補正した上で平均値を割り出し,さらに「共武政表」(明治12年)の郡別の人口で除した値を,階級区分したものである.このうち,第1ランク(20斤=12kg以上)に該当する郡は7(図中A~G)であり,阿波郡の160斤が最大である.第2ランク以上の郡の多くが,北関東甲信越から東北地方にかけて集中していることや,東北日本・西南日本ともに,山間部が卓越する地域に属していることが読み取れる. その一方で,約700郡の3分の1にあたる231郡では,4年次ともに馬鈴薯の項目が記載されていないことから,明治前期の時点では,馬鈴薯が導入すらされていない地域が,広範に存在していたことも確認できる.このほか,4年間で収穫量が急増している郡も相当に確認できるが,これらの郡では,この時期が馬鈴薯の本格的な導入期に該当していたとみられる.3.馬鈴薯の大字別生産状況-「共武政表」の分析- 同時期の「共武政表」には,将来の徴用が見込める主要な産物が,郡別はもとより,「人口百人以上の輻輳地」については,大字(旧村)別に記録されている.この記載をもとに,馬鈴薯の生産地の分布をみると,東北日本を中心に山間部の村落に多い特徴が読み取れる.これは,甘藷の生産地が西南日本の沿岸部や島嶼に多く分布していることとは対照的であり,両者は相補分布の関係にあるといえる. 当日の発表では,近世から馬鈴薯の生産が盛んであった地域に焦点をあて,そこでの作物複合や伝統的加工法,在来品種の残存状況などについても報告する.