著者
安達 光治
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.7-21, 2006-10-18 (Released:2017-03-30)

「生活安全条例」は,現在では,多くの都道府県ないしは市町村で制定されており,また,この種の条例制定の促進は,政府の政策でもある.「生活安全条例」は内容面から次のように分類できる.すなわち,(1)地域の生活安全活動の理念を提示するもの,(2)学校,道路,公園,集合住宅等の設計において防犯の観点による行政や警察の積極的関与を規定するとともに,暴力犯罪や侵入窃盗などの前段階の行為を処罰するもの,(3)生活安全と生活環境の美化を融合させたもの,である.このような条例制定の狙いは,地域住民の防犯活動への積極的関与を促し,地域社会の犯罪抑止機能を回復することにある.条例は,地域住民の防犯に関する具体的なニーズに基づき,地域住民の主体性を前提とした民主的なプロセスを通して制定,展開されなければ,実効性を持ち得ない.そして,「生活安全条例」を機軸とした自主防犯活動には,住民自身による権力的な視点からの自己監視というリスクが潜んでいる.このようなリスクは,遍在性を有しており,またその存在に気づきにくいという意味で「リスク社会」に特徴的なものと考えられる.
著者
林 衛
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.81-91, 2006-12

2006年4月,富山大学人間発達科学部に,科学技術社会コミュニケーション研究室が誕生した。いままでの科学教育が,専門家養成のために体系化された科学知識のダイジェスト版を初等中等教育に提供するものであるとみるならば,ここに提案する新しい科学教育は,市民社会のさまざまな場面で,問題提起や判断,意思決定を保証できる能力の獲得をめざしている点が特徴的で,補足的だといえよう。地域をベースに有効な科学コミュニケーション手法の研究・開発を進めるとともに,科学の文化をスポーツや政治などのほかの文化と比較しながら,分析し,育んでいく研究・実践の舞台として,人間発達科学部には好条件が揃っている。
著者
太田 俊也 塚谷 秀範 根津 定満 柏尾 栄 近藤 正 山田 泰博 田中 郁夫 今林 泰
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会技術報告集 (ISSN:13419463)
巻号頁・発行日
vol.17, no.35, pp.171-176, 2011-02-20 (Released:2011-02-18)
参考文献数
2

For the central stations in big cities that serve regional area, it is impossible to discontinue the railway operations and difficult to transfer the railway tracks. The passengers’ safety and convenience need to be secured at first in order to start the development of the stations. This paper describes the case of JR Hakata Station project which solved such issues in the large central station development which were restricted by urban conditions, using various structural methods and techniques.
著者
笠松 直
出版者
日本歴史言語学会
雑誌
歴史言語学 (ISSN:21874859)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-22, 2022-12-27 (Released:2023-06-05)

動詞 bhū は本来,能動態で活用する動詞である。RV 以来,ほとんど例外はない。 しかし Saddhp の韻文部分には3 sg. ind. bhavate, 3 sg. opt. bhaveta などいくつかの 中動態語形が存する。こうした中動態語形は同時代の文献である Mahāvastu にも 稀にしか見られない。このような異例とも言える中動態語形はなぜ,どのように 用いられたものであろうか。 結論的には,多数存する bhaveta は BHS bhaveya を,韻律を崩すことなくサンス クリット語形とするため採用された詩的自由形 (poetic license) である。中央アジア 伝本の散文には一部 BHS bhaveya が残存している。これが本来の語形であろう。 韻文中の語形は早期に bhaveta と置換されたと思しく,多くの写本で読みは比較 的揃う。しかし新層のネパール伝本の一部では bhaveta を―韻律に反してまでも ― bhavet と校訂する傾向が看取される。異例な語形であるとの認識があったもの であろう。bhavate も,韻文ウパニシャッドに見られるそれと同様,韻律上の破格 と解釈できる。 2 sg. ipv. bhavasva は原 Saddhp に遡るとはいえない。2 pl. ipv. bhavadhvam ともど も,ギルギット・ネパール祖型段階に遡る語形と見える。その使用意図は,何ら か主語の関心を表現した可能性があるが,二次的な読みと言わざるを得ない。本 来の読みは中央アジア伝本に証される BHS bhavatha ないし Skt. bhavata の如くで あろう。 そもそも中動態の語形は少数で出典箇所も偏り,その活用は生産的でない。総 じて原 Saddhp では,bhū は能動態で活用形を展開したと思しい。仮に中動態の 語形が用いられていたとしても,元来中動態が持っていた機能は失われていたと 思われる。
著者
霍 沁宇
出版者
公益社団法人 日本語教育学会
雑誌
日本語教育 (ISSN:03894037)
巻号頁・発行日
vol.162, pp.97-112, 2015 (Released:2017-12-26)
参考文献数
11

本稿は,2014年に都内の大学で行われた上級読解の授業及びそれによる学習者の読み方の意識変容プロセスに関する調査報告である。授業は,学習者の自己との対話,学習者同士の対話,教師を交えた全体の対話という「三つの対話」を用いて,正確な理解と批判的な読みという学術的文章を読むのに必要な読み方を身につけることを目的としたものである。調査では,22名の学習者へのインタビューデータを,修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いて分析し,彼らの読み方の意識変容プロセスを明らかにした。学習者は,授業の開始時期に【自分の読み方への固執】をしていた。授業では,【戸惑いと悩み】を感じながら,【努力と工夫】をし,【気づきと学び】が得られた。また,【授業スタイルの変化による相互作用の活性化】と【教室内外の活用及び達成感】を通して読み方が【より深く,より広く】変容していくことが明らかになった。
著者
細見 彰洋 草刈 眞一
出版者
関西病虫害研究会
雑誌
関西病虫害研究会報 (ISSN:03871002)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.9-13, 1995-05-01 (Released:2012-10-29)
参考文献数
6
被引用文献数
3 1

成熟直前のイチジクの果実腐敗における, 酵母菌の関与について調査した. 1. 圃場では, 果実全体が軟化腐敗し果皮に菌そうが生ずる, 黒かび病特有の腐敗果と, 果実内部が淡褐色に軟化腐敗し菌そうのない腐敗果が認められた. 前者からは, Phizopus nigricansが分離された. 後者からは長楕円形 (Type-L) と楕円形 (Type-O) の2種類の酵母が分離され, Type-Oを接種した果実切断面の果肉に部分的な腐敗が発生した.2. 圃場の軟腐果実に来訪していた昆虫は, ほとんどがキイロショウジョウバェ Drosophila melanogaster 成虫であった. 本虫を歩行させたPDA培地からは, R.nigricans Type-O に類似した酵母が分離された. 両菌をイチジク果実に接種した結果, R. nigricans では, 果実の開口部と果肉の何れに接種しても, 著しい腐敗が発生した. 一方, 酵母では, 果肉に接種した場合にのみ部分的な淡褐色の腐敗が発生した. 3. ファイトトロソ内の樹上のイチジク果実に, 圃場の軟腐果実から採取したキイロショウジョウバエの成虫を遭遇させた結果, 酵母 (Type-O) の接種で見られたものと同様の腐敗が高率に再現された. 以上から, 本邦におけるイチジクの成熟直前の腐敗については, その主な要因は, R.nigricansによる黒かび病である. しかし, 一部には酵母の一種による腐敗が, 単独もしくは複合して存在し, この媒介には少なくともキイロショウジョウバエが関与していると考えられた.
著者
岸上 伸啓 丹羽 典生 立川 陽仁 山口 睦 藤本 透子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.B12, 2016 (Released:2016-04-23)

本分科会では、マルセル・モースの贈与論の特徴を概略し、それが文化人類学においてどのような理論的展開をみてきたかを紹介する。その上で、アラスカ北西地域、カナダ北西海岸地域、オセアニアのフィジー、日本、中央アジアのカザフスタンにおける贈与交換の事例を検討することによって、モースの贈与論の限界と可能性を検証する。さらに、近年の霊長類学や進化生態学の成果を加味し、人類にとって贈与とは何かを考える。
著者
藤本 哲史 吉田 悟
出版者
特定非営利活動法人 組織学会
雑誌
組織科学 (ISSN:02869713)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.66-78, 1999 (Released:2022-07-27)
被引用文献数
3

わが国において,ワーク・ファミリー・コンフリクトは急速に男女就業者共通の問題になりつつあるが,未だ十分に認識された問題とはいえない.本稿では,まずワーク・ファミリー・コンフリクトに関する心理学的アプローチと社会学的アプローチの特徴をまとめ,両者のハイブリッド化により問題の複雑さと広範さが明らかになる可能性を指摘する.続いて,ワーク・ファミリー・コンフリクトが経営組織に内包された問題であることや,コンフリクト緩和策には意外な盲点があることを示す.
著者
田中 雅一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.4, pp.425-445, 2018 (Released:2018-10-18)
参考文献数
67

本講演の目的は、ここで<格子>と<波>と名付ける二つの社会関係のモードを論じ、それら がどのような形で国家による統治やナショナリズムに関わるのかを考察することである。一方に、 <格子>モードとして、生者を「生ける屍」に変貌させるアーカイヴ的統治が認められる。それは、 たとえばベルティヨン・システム、現地人の身体計測、アウシュヴィッツにおける収容者の管理方 法という形で現れている。他方に、<波>モードとして、隣接性と身体性の密な人間関係が想定で きる。そこでは、おしゃべりあるいはオラリティ、風や水などが重要な役割を果たす。つぎに、ナ ショナリズムとの関係で<波>モードが特徴的な小説とアート作品を取り上げる。まず、ナショナ ルな物語に回収されることに抗する個人的な経験を水や音、意味の取れない発話などで表現する沖 縄の作家、目取真俊の小説を考察する。つぎに、死者を追悼するモニュメントに対比する形で、風、 ロウソクの炎、影、ささやきなどを利用するボルタンスキーの作品を紹介する。そこでは名前をつ けること、心臓音を集めるといったアーカイヴ的活動が重要になっている。ボルタンスキーの作品 はアーカイヴァル・アートの代表と評価されているが、それは国家によるアーカイヴ的統治に寄与 するというよりは、撹乱するものとして位置付けることが可能である。さらに、自己アーカイヴ化 とも言える私的蒐集活動に触れる。
著者
柏原 全孝
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.9-23, 2018-09-30 (Released:2019-09-30)
参考文献数
9

本稿は、2006 年にプロテニスのツアーに登場した判定テクノロジー、ホークアイの社会学的含意を考察するものである。ホークアイは、それ自身が審判に代わって判定を下す点、および判定根拠となる映像を自ら作成して示す点で画期的なテクノロジーである。しかし、それは一種のフェティシズムを引き起こす。ホークアイには不可避の誤差があることが知られているが、にもかかわらず、あたかも無謬であるかのように取り違えられ、その無謬性によって礼賛される。誤差をもっともよく認識している開発元でさえ、このフェティシズムに取り込まれてしまう。この事態が引き起こされるのは、ホークアイが動画であることが大きい。本来、判定のためにはボール落下痕とラインの関係が明示された2Dの静止画で十分なはずだが、ホークアイは3D動画に編集された映像を見せることによって、自らの圧倒的な力、すなわち、すべてを見る力を誇示する。そして、われわれはその動画を見ることを通じて、正しい判定への期待を満たしつつ、ホークアイの判定を進んで受け入れていく。こうしてフェティシズムに囚われたわれわれはホークアイがあれば誤審が起きないと信じるわけだが、ここには明らかな欺瞞がある。なぜなら、ホークアイは誤審を不可視化しただけだからだ。 なぜ、ホークアイやそれに類する判定テクノロジーが広がっていくのか。それは、勝負として決着を目指す有限のゲームとしてのスポーツが、テレビとの出会いによって、その有限のゲーム性を強化されたからである。その出会いは、放映権を生み出し、広告費を集め、スポーツを巨大ビジネスに仕立て上げた。その関係を支え、加速させるのがホークアイやその他の視覚的な判定テクノロジーである。スポーツのもう一つの側面、決着を先送りし続ける無限のゲームとしての側面は、こうした趨勢の前に後景へと退却している。