著者
小野 武年 西条 寿夫
出版者
一般社団法人 日本高次脳機能障害学会
雑誌
高次脳機能研究 (旧 失語症研究) (ISSN:13484818)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.116-128, 2005 (Released:2006-07-14)
参考文献数
40
被引用文献数
2 5

近年, 理性的な情報処理に中心的な役割を果たしていると考えられてきた前頭葉が, 感情や情動発現においても重要な役割を果たしていることが注目されている。すなわち, 1) 前頭葉背外側部は, 情動や感情に中心的な役割を果たしている大脳辺縁系の活動を制御 (抑制, あるいは促進) することにより, その個体が生存する確率を上げるように機能している, 2) 眼窩皮質は, すべての外界環境情報を脳内に再現し, それにもとづいて生物学的な行動戦略を形成することに関与する, 3) 前部帯状回は, 前頭葉背外側部や眼窩皮質からの高次情報を受けて, 自己の行動を生物学的に評価し, 適切な行動を導くことに関与していることなどが示唆されている。本稿では, これら領域のヒトの神経心理学的な研究やサルを用いてニューロン活動を記録した研究を紹介し, これら前頭葉の機能について考察する。
著者
大久保 努 原田 秀樹 小野寺 崇 上村 繁樹 山口 隆司 大橋 晶良
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集G (ISSN:18806082)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.187-195, 2008 (Released:2008-06-20)
参考文献数
43

インド・カルナール市において,下水を処理するUASB法の後段処理法として,我々が開発した下向流懸垂型スポンジ(Downflow Hanging Sponge: DHS)法の実規模リアクター(処理水量500m3/day,スポンジ容量に対するHRT: 1.5時間)を導入し,有機物処理特性評価を行った.DHS処理水の有機物濃度はインドの排出基準を満たし,全期間(900日間)を通じた平均全BODが6(標準偏差±4)mg/L,平均SSが8(±4)mg/Lであった.また,DHSからの余剰汚泥発生量は0.05kgSS/kgCOD-removedであり,現在までにUASBの後段処理として報告がある好気性処理法と比較して格段に少なかった.DHSは,メンテナンスフリーにも関わらず非常に安定した運転を長期間維持し,活性汚泥法に取って代わる開発途上国向けの新規下水処理技術としての波及が期待できた.
著者
小野瀬 裕子 草野 篤子
出版者
The Japan Society of Home Economics
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.123-133, 2001-02-15 (Released:2010-03-10)
参考文献数
22

本研究ではアメリカ合衆国が主導権を握っていたGHQの憲法草案作成の背景を整理した.日本と同じ第二次世界大戦で敗戦国となったドイツとイタリアの新憲法では, ベアテ草案の「男女平等」と「教育の機会の平等」はどの様に条文化されているか比較して考察を加えることで, ベアテ草案の特徴を明確にした.その結果を以下にまとめる.(1) GHQ草案の作成に至る経緯GHQ最高司令官のマッカーサー元帥 (アメリカ合衆国) は, 憲法改正について当初は日本側が自主的に検討すべき問題であると捉えていたが, 日本政府の草案が保守的で, 大日本帝国憲法の表面的変更にとどまるものであることを知り, また, 極東委員会が対日管理を1946年2月26日からFECに移行することを決定したことから, GHQはこれに先立って憲法を改正するためにモデル憲法を準備し提供することが効果的だと考えた.(2) 第二次世界大戦敗戦国の新憲法との対比戦後のドイツとイタリアの新憲法には, ベアテが起草しGHQによって削除された「母性保護」「非嫡出子差別禁止」「労働における男女平等」と同様の条文を見いだすことができた.ベアテ草案にあり, 3力国の憲法にはない内容として「家庭における男女平等」のなかに「個人の尊厳」という言葉がはいっていたことをあげることができた.ベアテが戦前の日本の家制度を否定し, その意味を明確にするために入れた注目すべき言葉であったといえる.(3) アメリカ合衆国憲法における家族の扱いと男女平等の実現のための憲法修正に対する動向日本はGHQ占領下において, 最高司令官マッカーサーによりアメリカ合衆国を介して間接統治されていた.アメリカ合衆国憲法では, 「家族」に関しては, プライヴァシーの範疇であると考え, 憲法に条文として規定することはなかったこと, 詳細な社会権の規定は憲法の下位規範である法律に委ねられていたこと, アメリカ本土で当時, 女性組織が女性保護法と対立するものと考えて男女平等のための憲法修正に反対していた事実がある.一方, ベアテ草案第6条「性別における差別の禁止」, ベアテ草案第18条「家庭における男女平等」は日本国憲法に残った条文であるが, アメリカ合衆国憲法にはなく, 本土よりも1歩進んだ条文であったということができる.(4) ベアテ草案削除に関してベアテ草案の「家族における男女平等」は残ったものの, その他の「家族」に関する条文や「労働における男女平等」などの条文の多くがGHQによって削除された理由として, 日本の歴史的背景が大きく関係していると考えられる.また, GHQの主導権を握っていたアメリカ合衆国憲法での状況として, 「男女平等」や「家族」に関するベアテ起草と同じ内容の社会権が, 憲法に条文として導入されることはなかった事実があることがわかった.
著者
藤井 竜也 藤井 哲郎 小野 定康 白川 千洋 白井 大介
出版者
一般社団法人 電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会 基礎・境界ソサイエティ Fundamentals Review (ISSN:18820875)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.80-89, 2011-07-01 (Released:2011-07-01)
参考文献数
31
被引用文献数
1

筆者らは,高品質な画質を要求される分野での映像コンテンツの流通を目的として超高精細画像システムの研究開発と,その動画像アプリケーションとして4K ディジタルシネマの開発を進めてきた.本稿では, その4K ディジタルシネマのれい明期から検討を行ってきた劇場向けライブストリーミングの実現技術と, そのディジタルシネマ用プロジェクタとシネマ配信用の高速光ファイバネットワークによってコスト的にもそのビジネス性可能性を高めた新たな映像配信アプリケーションである劇場向けライブ配信(ODS サービス)について説明する.
著者
小野 厚夫
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.42, pp.43-44, 1991-02-25

今日ほど情報という語が多用されている時代はない。しかしながら、肝心の情報という語がいつごろから、どのような形で使われだしたのか、必ずしも明白でない。そこで、改めて情報という語の由来を調べてみた。情報という語は中国でも使われているが、中国人自身が日本来源の中国語として認めており、漢語ではなくて和語とみなすことができる.また国語辞典に情報が現われるのは明治三十八年以降のことで、情報は明治になってから現われた語ではないかと考えられる。これまでの通説では、文豪である鴎外森林太郎が最初に用いたとする、鴎外造語説が有力であった。しかし、この説についてはすでに疑問とする見方もある。我々は明治期の情報の用例を調べて、兵語に由来することをつきとめ、兵書を重点的に調べた結果、鴎外が文筆活動を始める以前の明治九年に、既に情報という語が使われていることを見いだした。また明治十年代後半には、情報だけでなく、状報も並行して用いられていたことがわかった(1,2)。明治十五年三月二十日の睦達乙第十八号により陸軍省が制定した『野外演習軌典第一版』では、情報という語が多数用いられている。公式文書に情報という語が現れるのはおそらくこれが最初であろう。この野外演習軌典は、明治九年に陸軍少佐酒井忠恕がフランスの実地演習軌典を訳出した『佛國歩兵陣中要務賓地演習軌典』(3)を土台にしており、この訳本ではすでに情報という語が使われている。これ以前に出版されている兵書を調べてみても惰報という語が見あたらないことから。おそらくこの本が情報という語が使われた最初の出版物ではないかと考えられる。当時、陸軍が兵式をフランス式にすることに決めたことにともなって、兵学寮の教授たちがフランス軍の兵書や典範令を多数翻訳し、士官の教育や兵卒の訓練に用いた。一八七五(明治八)年にフランスで新式の歩兵陣中要務が刊行され、酒井がこれを翻訳して明治九年十月に内外兵事新聞局から発行したのが『佛國歩兵陣中要務賓地演習軌典』である。訳者である酒井忠恕は嘉永三年の生まれで、旧名を鳥居八十五郎といい、田安殿家老越前守の養子である。慶応元年に横浜表に創設された仏学伝習所の第一回伝習生徒としてフランス語を学び、の後開成学校の三等教授を経て、明治二年八月に兵部省に出仕し、上等通弁から兵学大助教、同少教授に昇任、明治六年に陸軍少佐になった。六年六月から十二月まで伝令使を勤めている。明治十二年に参謀本部に移り、十月に文庫課長、同十二月に翻訳課長となり文庫課長を兼任した。同十三年二月、同県に同姓名の者がいることを理由に改名を届出て、酒井忠恕から酒井清に改名している。同二十二年に陸軍省に退職を願い出、予備役に編入され、同三十年六月に死亡した.酒井は明治九年に『佛國歩兵陣中要務賓地演習軌典』を出版後、十四年に清名でその改訂版を発刊し、さらに十五年に『佛國歩兵陣中要務寅地演習軌典抄』を訳出している。最後の『實地演習軌典抄』は問答集であるが、この中で、情報に意訳を付けており、これらの添え書きから、情報を「敵情(状9)のようす、または知らせ」という意味で用いていることがわかる。したがって、情報は「情状の報告、または報知』を短縮したものと解釈することができる。野戦では斥候、偵察、間諜などを派遣して地勢や敵情を調べる。その報知を酒井は情報と訳した。その原語についてはまだ原本を確認していないが、つぎに述べる理由からフランス語のrenseignement と考えられる。(1)フランス語を主体として編集されている『五國対照兵語字書』にはinformationが採録されていない。(2)明治十八年に訳出された『佛國陣中軌典』では、情報に『ランセーギュマン」または『ランセギウマン」の添え書きがしてある。(3)一八九五年の『仏国陣中軌典携帯版』の原本ではrenseignementが対応している。(4)後述する『佛和辞典』のenseignementの項に状報が記載されている。
著者
小野 将
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.102, no.6, pp.1135-1157,1265-, 1993

The study of the Hayashi Family 林家 (also pronounced Rinke) and the Shoheiko 昌平黌 academy Neo-Confucian orthodox intellectuals under the Tokugawa Bakufu's direct control is indispensable to understanding the intellectual milieu of the period. However, the research literature of them especially for the latter part of the period, is still very small. In the present paper the author utilizes the new methodology developed recently by such scholar as Fujita Satoru, and conducts the first historical study on the previously unknown involvement of the Rinke in Bakufu-Court relations, in an attempt to illuminate their role played in state affairs from the Kansei era (i.e. during the 19th century) and their perception of politics. During the late Tokugawa period, high-ranking Bakufu officials often consulted Daigaku-no-Kami 大学頭, who was the head of the Rinke, concerning their negotiations with the Court in Kyoto. These officials usually adopted the advice as policy. Therefore, the position of the Rinke in Bakufu politics seems to have been much more important than it used to be during the earlier period. Due to its leadership in the compilation of state documents, the Rinke were considered to be experts in political precedents and decorum. This specialized knowledge and its interpretation functioned, and was in reality employed to answer the demands for rationale to legitimate the Bakufu's authority. For example, on the occasion of state ceremonies in which the Court bestowed titles (kan'i, kanshoku) on the shogun in 1827 and 1837, the Daigaku-no-Kami at the time, Hayashi Jussai 林述斎, took part in the preceding negotiations between the Bakufu and the Court. He not only outlined in detail the ritual forms to be performed, but also played a role in deciding what honorary titles the Court was to confer upon the shogun at that time. The author proves that Jussai fully understood the effectiveness of decorating the authority of the shogun with honorary titles, and was well aware of how to use traditions and institutions of ancient states past to supplement that authority. On the other hand, such protocol was also related to legitimizing the authority of the Court and strengthened the idea that the traditional authority prior to Tokugawa was still meaningful in the early modern state and politics, and thus resulted in the Bakufu's approval and promotion of its existence. The Rinke was also involved in many other things that symbolized the authority of the shogunate, and as such could be called ideologues who consciously attempted to supplement the authority of the shogun by manipulating a whole system of such symbols. In the process of creating the forms for representing the kind of authority the Rinke favored, what happened was a substitution of shogunal authority for very highly symbolized things, thus furthering a tendency already evident within the Bakufu to give great emphasis and respect to pomp and circumstance and build a state organization through the medium of such symbolized forms. The author draws the following conclusions. The interpretations offered by the Rinke contained highly political elements, and such intentions were actually approved by the Bakufu's high ranking officials. For this reason, the political character of the Rinke can no longer be ignored. Concrete examples of this process working to strengthen the authority of the Bakufu can be seen in the relations conducted between the Bakufu and the Court. The utilization by the Rinke of various traditions and symbols was a very important element to the ideological complex inherent to the Tokugawa state.

7 0 0 0 OA 日本村落史考

著者
小野武夫 著
出版者
刀江書院
巻号頁・発行日
1926
著者
小野寺 直人 櫻井 滋 吉田 優 小林 誠一郎 高橋 勝雄
出版者
一般社団法人 日本環境感染学会
雑誌
日本環境感染学会誌 (ISSN:1882532X)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.58-65, 2008 (Released:2009-01-14)
参考文献数
16
被引用文献数
1 1

岩手医科大学附属病院(以下,当院)では院内感染予防のための新たな支援策として,実施すべき予防策を指標色制定(color coding)により視覚的に周知させることを意図した,当院独自の「感染経路別ゾーニング・システム」を2005年4月から導入した.   本論文では,システム導入の経緯を示すとともに,新たな支援策が各種の感染制御指標に及ぼす影響について,1) 擦式手指消毒薬および2) 医療用手袋の使用量,3) MRSAの発生届出件数,4) 入院患者10,000人当たりのMRSA分離報告件数,5) 院内のアウトブレイク疑い事例に対するICTの介入件数の5指標を,システム導入前(2004年度)と導入期(2005年度),導入後(2006年度)の各年度で比較した.   調査の結果,導入前,導入期,導入後でそれぞれ,1) 擦式手指消毒薬の月平均総使用量は242L, 250L, 235Lと差が認められず,2) 医療用手袋の月平均使用量は261,700枚,338,000枚,410,100枚で導入期・導入後に増加,3) MRSA月平均発生届出件数は23.6±4.3, 20.3±5.5, 19.8±4.6と導入後有意に減少,4) MRSA月平均分離報告件数は21.1±5.1, 14.5±3.9, 13.6±3.1で導入期・導入後に有意に減少,5) 年間ICTの介入件数は7件,5件,3件と減少した.以上から「感染経路別ゾーニング・システム」の導入は院内感染対策の充実,特に大多数を占める接触感染の予防支援策として有効と考えられた.

7 0 0 0 OA 本草綱目草稿

著者
〔小野蘭山//著〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.第4冊,
著者
大水 智恵 小野寺 博義 小野 博美 手嶋 紀子 近 京子 渋谷 大助
出版者
公益社団法人 日本人間ドック学会
雑誌
人間ドック (Ningen Dock) (ISSN:18801021)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.59-64, 2015 (Released:2015-09-29)
参考文献数
8

目的:主膵管の変化をとらえることは膵疾患の診断に有用性が高く,また膵管拡張が膵がんのハイリスクであるとの報告もあることから,腹部超音波検査にて主膵管の拡張を認めた症例のその後について調査し,経過観察をどうすべきかを検討した.方法:対象は平成8年4月から平成25年3月に,当協会の腹部超音波検診にて膵管拡張が指摘された162症例である.さらにそれらの症例のうち,当協会が検診後約1ヵ月に実施している2次超音波検査(US)を受診した症例を,2次USでも膵管拡張を認めたA群(31例)と,認めなかったB群(98例)に分けて比較検討した.結果:血液検査データには両群間で有意差を認めなかった.A群からは慢性膵炎5例,膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN)3例,膵嚢胞1例,膵がん1例が発見された.B群からも2年後に膵がんのハイリスクとされる膵嚢胞2例,8年後に粘液非産生性膵管内乳頭粘液腫瘍1例が発見された.結論:膵管径は生理的に経時的な変化をすることが知られており,検診後に拡張が消失した場合は積極的には経過観察を行っていなかった.しかし,そのような場合にも経過観察が必要であると考えられた.
著者
小野寺 拓也 山根 徹也 三ツ松 誠 平山 昇 森田 直子 池田 勇太
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究計画の目的は、近代社会において合理主義が進むなかで、にもかかわらず(あるいは、だからこそ)感情や情動といった「非合理的」とされる要素が果たす役割やそれが起動するメカニズムを明らかにすることである。具体的には、「感情体制」というマクロな構造を視野に入れつつ、エゴドキュメントという史料をもとにミクロにそのメカニズムを解明する。第一に19世紀の国民国家形成期と、20世紀前半の大衆社会や総力戦の時代の日本とドイツにおける多層的な「感情体制」のありようを明らかにする。第二に、多様なエゴドキュメントの分析を通じて、感情や直感が必要とされ人々の行動基準となっていくメカニズムを解明する。
著者
小野田 一幸 宮本 真二 藤田 裕嗣 米家 泰作 河原 典史 川口 洋
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.1-28, 2013 (Released:2018-01-26)
参考文献数
222
被引用文献数
1

本稿では,1980年以降の日本における歴史地理学,地図史,および歴史GISに関する主要な研究成果について展望する。この30年間にわが国では,H. C.プリンスによって定義された現実的世界,イメージの世界,および抽象的世界を対象とした豊かな研究成果が生み出されてきた。現実的世界を対象とした研究では,景観や地域構造の復原が引き続き基礎的課題となっている。とりわけ,過去と現代をつなぐ役割を担う近代期の研究意義が注目されるようになった。最新の研究動向として,環境史と学際的研究の進展があげられる。後者については,地理学,歴史学,考古学の研究分野で史資料と研究方法の共有化が進み,歴史地理学の方法論が隣接分野に受け入れられて学際的研究に発展する動向がみとめられる。イメージの世界については,過去に生きた人々の世界観に関する理解を深めるために,1980年代から古地図・絵図研究が本格化した。抽象的世界に関する研究は,歴史GISを活用することにより,21世紀初頭から新たな段階を迎えた。歴史GISは,歴史地理学を含む人文・社会科学における個別研究の成果を統合する「しくみ」としても有用とみられる。

7 0 0 0 桜の園

著者
チェーホフ作 小野理子訳
出版者
岩波書店
巻号頁・発行日
1998
著者
浅川 朋宏 川畑 秀伸 村上 学 木佐 健悟 大島 寿美子 寺下 貴美 小野寺 慧洲 大滝 純司
出版者
一般社団法人 日本プライマリ・ケア連合学会
雑誌
日本プライマリ・ケア連合学会誌 (ISSN:21852928)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.249-253, 2014 (Released:2014-09-26)
参考文献数
15

目的 : 財政破綻を機に医療資源の縮小を伴う医療の合理化に直面した住民の思いと, 新たな医療体制への住民の考え方を明らかにし, 医療の合理化において考慮すべき要素を探索する.方法 : 自治体の財政破綻に直面したX市の住民を対象に, 医療の合理化に対する思いと今後の医療のあり方への考え方の2点を質問し, 質的な分析を行った.結果 : 医療資源縮小を伴う医療の合理化への住民の思いと, 新たな医療体制への住民の考え方として「医療の合理化の進め方」, 「地域医療のあり方」, 「行政, 医療者の姿勢」の3つのテーマが抽出された.結論 : 医療の合理化おいて, 行政や医療機関が合理化の過程および内容に関して住民の意見を受け止め, 地域の歴史的背景や住民の心情を理解することが重要である.