著者
長 洋一 Yoichi CHO
雑誌
論集
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.43-87, 1979-01
著者
藤野 ヤヨイ
出版者
新潟青陵大学・新潟青陵大学短期大学部
雑誌
新潟青陵大学紀要 (ISSN:13461737)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.201-215, 2005-03-10
被引用文献数
2

我が国における精神障害者に関する法制度の変遷をたどり、精神障害者が歴史的にどのように処遇されてきたかを明らかにする。精神障害者処遇の法制度は1900年に制定された精神病者監護法にはじまり、現在は精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に至っている。その間、精神衛生法、精神保健法と名称も変化した。その変化は、精神障害者処遇の歴史でもある。この研究では、文献から法改正の背景と改正による患者処遇の変化、そして、その問題点を明らかにする。
著者
北川 嘉野 武藤 崇 キタガワ カノ ムトウ タカシ Kitagawa Kano Muto Takashi
出版者
心理臨床科学編集委員会
雑誌
心理臨床科学 = Doshisha Clinical Psychology : therapy and research (ISSN:21864934)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.41-51, 2013-12-15

研究動向近年,瞑想などを取り入れたマインドフルネスに基づく心理療法が注目されている。マインドフルネスとは「意図的に,いまこの瞬間に,判断することなく注意をむけること」と定義される。本稿ではマインドフルネスとはいったい何なのか概要を示し,実際のマインドフルネスを促進する技法,そしてその効果やメカニズム解明に関する研究を紹介した。最後に,臨床研究・基礎研究の現状を踏まえ,マインドフルネスの促進困難への対応の指針を提案した。
著者
白山 映子
出版者
東京大学大学院教育学研究科
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.363-375, 2011

During the Meiji Restoration, Japan adopted Western culture, ideas, education and technology, and even introduced new animal breeds from the West, including new varieties of rabbits. Cross-breeding with domestic varieties produced rabbits with unusual coloring, and around 1873 these became the target of speculative trading. This phenomenon is known as the "Rabbit Mania". In the same period, the genre Kaika-mono (lowbrow fiction) was popular among the ordinary people. Stories in this genre include "Seiyou Douchuu Hizakurige" (1870), "Aguranabe" (1871), "Bummei Kaika" (1873), "Kaika Mondou" (1874) and "Bummei Inaka Mondou" (1878). This paper discusses two stories belonging to this genre that deal with the "Rabbit Mania" : "Tori Gekka Mondou" and "Usagi no Mondou". The style of these stories is light and comical, and the former has a rather risqué flavor. The author explores the "Rabbit Mania" through an examination of the dialogue in these stories, and reports about the phenomenon in both English and Japanese newspapers. The paper also refers to related nishikie (colored woodblock print) parodies.
著者
渡辺 和子
出版者
東洋英和女学院大学
雑誌
人文・社会科学論集 (ISSN:09157794)
巻号頁・発行日
no.38, pp.19-37, 2021-03

This article aims to contribute some material to the discussion on the Shamanism of Ancient Mesopotamia. A specialist, known as the āšipu, who belonged to some of the main temples, was responsible for treating most diseases in conjunction with other specialists who were organized under him. I believe that this āšipu should be regarded as a shaman in Mesopotamian society.This discussion will include a sample text (No.115) from a book by JoAnn Scurlock (2006) which outlines how the āšipu, in the first stage of his treatment, makes his diagnosis of a client based on their symptoms. When the āšipu ascertains that the disease has been inflicted on the living by a roving ghost (eṭemmu) that is assumed to dwell in the underworld, he organizes a treatment consisting of a series of ritual procedures which includes a set of recitations.In the second stage, he makes a clay figure of the ghost, sets up an offering table to the 'three great gods' (Ea, the god of wisdom and freshwater; Shamash or Šamaš, the sun god and Asarluhi or Marduk the son of Ea), and has the client recite a prayer that he (the āšipu) has prepared three times to the gods. In the third stage, the āšipu buries the figure of the ghost and pours water on it, presumably enabling the ghost to return to the underworld as the figure melts. In the final stage, he purifies the client with a censer and the flame of a torch and then sends the client home by a different path than the one he came by with instructions not to look back.In a case like this, where the disease was caused by a ghost, the healing ritual places great importance on the fact that the ghost is never attacked or made to perish, but is given proper care so that it can remain in the underworld and not venture out among the living again.Japanese people are quite familiar with this kind of understanding. Therefore, an insight into Japanese folk religion and its practices from the viewpoint of comparative studies of religion would shed much light on our understanding of Mesopotamian religion which, like Japanese folk religion, arose naturally over time (during ca. 3000-300 BC).
著者
土屋 久
出版者
島しょ医療研究会
雑誌
島しょ医療研究会誌
巻号頁・発行日
vol.11, pp.10-15, 2021

伊豆諸島南部地域の医療習俗について,八丈島と青ヶ島の巫俗(ふぞく:シャマニズム)を中心に考察した.神懸かりするミコ(巫女)は神役として中心的存在であり,祭祀儀礼に携わる他に各種相談に当たる役割も兼ねている.あるミコが対応した健康相談の内容を民俗病因論上類型化し,先行研究と比較した ところ多くの点で符号していた. 該当しない内容は祭文・経文の中に共通項を見出すことができた.当該地域に暮らす人々の伝統的な病気観や健康観,治療観を考察する作業は,保健医療の現場における問題を考える上で有用と思われる.
著者
仲村 匡平 村田 伸 村田 潤 古後 晴基 松尾 奈々
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.AbPI1121, 2011

【目的】一般にホットパック(Hot pack:HP)療法は湿熱法で利用するが,臨床の現場では衣類が湿ることやタオルの枚数が増え手間がかかることからビニール等でHPを包み乾熱法として使用することが多い.HP療法の作用には,温度上昇作用,血管拡張作用,筋緊張軽減作用,軟部組織の伸張性向上作用,鎮痛作用などがある.篠原らは,湿熱法でタオル10枚目の皮膚表面温度は乾熱法のタオル3枚目の皮膚表面温度にほぼ近似したと述べている.また,Lehmannらは,皮膚表面温度は8分後に42.5&deg;Cまで達するが,1cm以上の深部においては38&deg;C以上には達しないと報告している.先行研究では皮下血流を指標にした報告はあるが,筋血流量を指標とした報告は見当たらず、またこの皮下血流量に関する結果は,深部血流量に該当するとは限らない.そこで本研究では,HP表面温度と皮膚表面温をそれぞれ同じ値になるように調整し,湿熱法と乾熱法での下腿の筋血流量を比較検討した.<BR>【方法】健常成人5名(男性3名,女性2名)10脚.平均年齢は25.8±9.8歳,平均身長159.9±8.4cm,平均体重55.0±8.8kg.室温25&deg;C前後の室内にて実施した.測定姿位は治療用ベッドに腹臥位にて,下腿部後面とした.HPの実施時間は20分間とした.湿熱法はHPを直接タオルで巻き身体にあてる側を8枚,身体にあてない側は熱が放射しないようタオルを何層にも重ねた.乾熱法はHPをビニール袋で包んだ後,タオルで巻き身体にあてる側を3枚,湿熱法と同様に身体にあてない側は熱が放射しないようタオルを何層にも重ね実施した.対象者の左右の下腿部後面のうち一側を湿熱法,他側を乾熱法となるようそれぞれで設定したが,対象者にはHPの使用方法を伝えないよう留意した.なお,施行直前のHPの表面温度を赤外線温度計で測定し,HPの表面温度が40~45&deg;Cになったのを確認して実験を開始した.筋血流の測定はストレンゲージプレチスモグラフを使用してHP施行前後に実施した.大腿部に専用のカフを装着し,下腿周径の最も大きい部分にラバーストレンゲージを巻き付け,大腿部を50mmHgで10秒間駆血,5秒間解除を1分間測定した. 下腿の皮膚表面温はサーモグラフィーを使用してHP施行前後に行った.下腿部を専用カメラにて撮影した.HP施行前の値を基準として湿熱法施行後と乾熱施行後の下腿皮膚表面温,下腿の筋血流のそれぞれの変化率を算出し,HP施行前と湿熱法施行後・乾熱法施行後,湿熱法施行後と乾熱法施行後の変化率について比較した.統計処理は湿熱法と乾熱法における施行直前のHP表面温度の比較について,対応のないt検定を用いて比較した.下腿皮膚表面温の変化率および下腿の筋血流量の変化率について反復測定分散分析およびFisherのPLSDによる多重比較検定を実施した.解析には,SPSSを用い統計的有意水準を5%とした.<BR>【説明と同意】研究の趣旨と内容,得られたデータは研究目的以外には使用しないこと,および個人情報の取り扱いには十分に配慮することを説明し,参加は自由意志とした.<BR>【結果】湿熱法と乾熱法における施行直前のHP表面温度の平均値は,湿熱法HP表面温度が平均42.6±2.6&deg;C,乾熱法HP表面温度が平均42.8±2.6&deg;Cであり,2群間に有意差は認められなかった.下腿の皮膚表面温はHP施行前と比較し,湿熱法施行後および乾熱法施行後で有意な増加が認められた(P<0.01).一方,湿熱法施行後と乾熱法施行後の2群間に有意差は認められなかった.また,下腿の筋血流量はHP施行前と比較し,湿熱法施行後で有意な増加が認められた(F=4.8,P<0.05).<BR>【考察】温熱刺激によって身体は治療として意義のある生理的反応を起こし,その生理的反応の1つに血管拡張作用が挙げられる.温熱そのものの刺激は,軽い炎症と同様の変化をもたらす.温熱刺激によりヒスタミン様物質を放出する細胞を刺激することで血管拡張が起こる.また,温熱刺激により皮膚温度受容器を反応させ,求心性神経を介して軸索反射が起こることによって血管拡張がみられる.HP療法は皮膚と加熱媒体間の水分(湿気)の有無により湿性加温と乾性加温に分類されており,HPから出る水分は熱伝導性に関係する.篠原らは熱伝導性について空気および綿織物の熱伝導性はそれぞれ0.0092w/m&deg;C,0.0796 w/m&deg;Cに対して,蒸気0.251 w/m&deg;C,水0.595 w/m&deg;Cであり,湿熱法の熱伝導が乾熱法により遥かに良いと述べている.以上から,本研究では湿熱法を実施することで,より大きい熱伝導性により血管拡張に作用し,下腿の筋血流量の増加を生じさせたと推察された.<BR>【理学療法学研究としての意義】HPは下腿の筋血流量を増加させる手段として有効であり,特にその効果は湿熱法の方が乾熱法より高いことが示された.
著者
髙橋 修
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.1-34, 2018-09

Matsui Isamu(松井 勇1894~1946) who was an engineer of special effect(SFX)at first time mostly in Japan. He went to the United States in the Taisyo period, and learned cinematography technique from Roy. J. POMEROY who won Academy Award the 1st time. Matsui Isamu acquired the patents of a movie after he went back to Japan. He produced the movies of special effects.It wasn't being studied about him because there was little related material, therefore it was unclear about his life and work. This paper aims to clearfy the following two points:first of all, I will write Matsui Isamu's biography, secondly, I will consider about the role he achieved in a Japanese movie.松井 勇(1894 ~ 1946)は、日本映画界にあってほぼ最初期の特撮映画の技師である。彼は大正期にアメリカに留学をし、第1回アカデミー賞技術効果賞受賞者である R.ポメロイから映画技術を学んだ。日本に帰国してからは、映画に関する特許を取得し、特撮技術を活用した映画を発表した。だが、従来の映画史では、関連資料が少なかったことから、彼に関する研究はなされておらず、その人と作品については不明であった。そこで本稿では、松井勇の生涯を実証的に明らかにし、そのことをとおして、彼が日本映画史に果たした役割を考察することを目的とする。
出版者
学術研究センター運営委員会
雑誌
東京経済大学学術研究センター年報 = Annals of Tokyo Keizai University Academic Research Center (ISSN:13465724)
巻号頁・発行日
no.13, pp.185-238, 2013-09-17

開催プログラム開会の辞「フクシマ」の問いにどう応えるか 徐京植[ソ・キョンシク](東京経済大学), 第1部 犠牲の構造を組みかえるために ― フクシマ・東北からの問いを受けて, 報告 1.加害と被害の往還の中で―〈東北〉のなりたち 山内明美(宮城大学地域連携センター), 2.在日朝鮮人の「被災」経験と植民地主義について 李杏理[リ・ヘンリ](一橋大学大学院), 3.原爆2世「患友」問題とフクシマ 韓洪九[ハン・ホング](韓国聖公会大学), 4.原発事故をめぐるいくつかの論点について ―責任論を中心に 高橋哲哉(東京大学), 司会 早尾貴紀(東京経済大学), 第2部 試される核の記憶 ― 東アジアの問いを受けて 報告 1.沖縄―広島―フクシマ 矢ケ崎克馬(琉球大学名誉教授), 2.「被爆ナショナリズム」をどう考えるべきか 権赫泰[クォン・ヒョクテ](韓国・聖公会大学), 3.現代中国の「核」政策と冷戦 丸川哲史(明治大学), 司会 戸邉秀明(東京経済大学), 総合討論 司会・コメント:徐京植・早尾貴紀・戸邉秀明学術フォーラム, 開催日:2012年5月19日(土), 会場:東京経済大学国分寺キャンパス6号館7階大会議室, 主催:東京経済大学学術研究センター
著者
田中 愼一
出版者
北海道大学
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.1-20, 2006-06-08

明治10年代に,東京府南葛飾郡在住のくみ取り人が本所区在住の地主を相手どって東京裁判所に訴えでた民事訴訟が起こっていた。この事件は第一審で原告側くみ取り人が勝訴したものの,その判決に不服な被告側地主が控訴した第二審では逆転敗訴となったため,さらに上告したが,第三審で敗訴が最終的に確定したのであった。訴訟の前提となる事実関係を再構築したうえで,裁判の進行過程を復元しつつ,訴訟当事者の利害状況を明らかにしようとした。くみ取り人は下掃除代を差配人に前払いしていた。その差配人が地主に罷免され,その地主的所有地には別のくみ取り人が来るようになり,元のくみ取り人は代金を取り戻せないまま,その地主的所有地から排除されたらしく,約束が違うと地主を訴えたのであった。下掃除代を交換価値とする肥料の交換が行われており,訴訟当事者には譲りがたい利害対立が醸成されていったのだった。こうしたことを追究しようとした。
著者
菅澤 貴之
出版者
九州大学大学院人間環境学研究院
雑誌
共生社会学 (ISSN:13462717)
巻号頁・発行日
no.5, pp.39-54, 2006

現代のわが国において大検を受検する者はいかなる社会的背景を有しているのだろうか。これが本稿の基本的な問いである。この問いに答える第一歩として、本稿では大検予備校在籍者に焦点をあて、大検受検者の社会的背景について検討を行う。具体的には、筆者が2004年に大検予備校在籍者を対象に実施した質問紙調査データと尾嶋史章が1997年に高校3年生を対象に実施した質問紙調査データとの比較を通して、現代の大検受検者の社会的背景を明らかにする。分析の結果、以下の知見を得た。尾嶋の高校生調査データと比較すると、大検受検者の父親、母親の学歴は、かなり高い。実に父親の約8割、母親の約7割が短大・大学卒である。次に、大検受検者の父親の職種は、「専門・管理」職が占める割合は3割を超えており、他方、「労務・サービス・農林」職が占める割合は低い。こうした職業構成を反映して、高校生世帯に比べて、大検受検者世帯では家計状況が良好な世帯が極めて多い。上記の分析結果を見ても明らかなように、現代のわが国において、大検を受検する者の社会的背景は限定されている。この点を踏まえると、現代の大検が、国家が意図した教育の「機会平等」をあちゆる者に保障するという機能を果たしていないことに気がつく。つまり、大検の社会的機能の理念と実態の乖離している可能性が指摘できるわけである。
著者
野島 利彰
出版者
駒澤大学
雑誌
論集 (ISSN:03899837)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.39-61, 1991-03
著者
村田 真一
出版者
佛教大学歴史学部
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
no.11, pp.107-122, 2021-03-01

「応令大神宇佐二氏任八幡大菩薩宮司事」と題される弘仁十二年の太政官符(「弘仁官符」)に引載された「大神清麿等解状」には、八幡神は「太上天皇の御霊なり」とあり、飯沼賢司はこれを聖武天皇のことだと指摘した。「弘仁官符」が八幡聖武同体説を示すのだとすれば、古代八幡信仰について八幡応神同体説を前提としない分析が求められる。この観点から以下のことを論じた、『続日本紀』の八幡神の出現と活躍は聖武天皇が皇神化を企図したものであり、また、それは百官諸氏が参集した八幡神の東大寺礼拝という儀礼において国家的神話として承認される。そして、このような聖武天皇と八幡神の特異な関係を前提に「弘仁官符」の八幡聖武同体説があらわれるのである。さらに「弘仁官符」は、八幡聖武同体説を基幹とした、大神氏による宇佐宮祭祀の必要性を訴える神話について、大宰府、太政官という官僚官人組織の経路において国家的に承認するものであった。八幡神聖武天皇応神天皇続日本紀弘仁官符