著者
成田 亮子 島村 綾 名倉 秀子 峯木 眞知子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.28, 2016

(目的)<br> 琉球王朝菓子ちんすこうは、豚脂(ラード)を使用し、西洋の焼菓子とは異なった食感と風味に特徴があり、保存性にもすぐれている。ラードの代わりに多種の油脂を用いて調製し、テクスチャーに与える影響を調べた。<br>(方法)<br> ちんすこうはラード(油脂)、薄力小麦粉(日清フーズ㈱)、砂糖(三井製糖㈱)で調製する。油脂は8種(ラード、バター、アボガドオイル、オリーブオイル、キャノーラ油、ココナッツオイル、胡麻油、米油)で、基本配合は予備実験より、小麦粉120g、砂糖90g、油脂58gとした。油脂を60℃に温め、砂糖を加え、みぞれ状態になったら、小麦粉を加えた。それを、&Oslash;3.5㎝の大きさ(各15g)に形成後、150℃で28分焼成した。焼成後の試料は、重量、体積、比体積、水分含有率、表面の焼き色、破断特性を測定し、官能評価を行った。焼成後の伸びを示すスプレッド値は、直径(㎜)/厚さ(㎜)で算出した。製品の水分含有率は赤外線水分計(㈱ケット)で110℃、80分の条件下で測定した。破断特性はレオナーRE2-3305 B-1(山電(株))で測定した。<br>(結果)<br> 8種の油脂を用いた試料では、ラードを用いた試料より、破断応力および破断歪が低く、もろい製品であった。アボガドオイル試料、オリーブオイル試料では、もろさおよびもろさ歪がかなり低かった。キャノーラ油試料ではスプレッド値、比体積、水分含有率がラードに近い値を示した。ココナツオイル試料では、スプレッド値が6.0と最も高く、水分含有率は3.6%で最も高い値を示した。胡麻油試料ではもろさおよびもろさ歪が高く、水分含有率が2.6%で最も低かった。油の種類により、食感の異なるちんすこう製品ができた。
出版者
日本書房
巻号頁・発行日
vol.第5巻 (ツーヒ), 1939
著者
奥田 昌男 中根 洋治 可児 幸彦 早川 清 松井 保
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.383-393, 2010

中国が源流といわれる版築工法は土の突固めが工法の要であるから,土の突固め技法が渡来人の持込んだ技術であろうと推察し,土の突固め技法を突固め用小型道具の側面から中国の文献に遡って調査した.滋賀県湖東には,地盤を突固めるための道具として,ぐりんさんと呼ばれる地搗石が残されている.このぐりんさんを用いて地盤の突固め実験をした.実験結果から,ぐりんさんを用いて突固めた土工事の歩掛りを推定すると共に,ぐりんさん伝承の背景を文献史学的に調査した.これらの結果,ぐりんさんによる地盤の突固め効果は,近代的な締固め工法による盛土の締固め効果に劣らぬことが判明し,手作業による土工事の歩掛りも推定できた.また,地搗石伝承の文献調査過程において,ぐりんさんが亥の子突き風習と関係ある事と共に,その語源も推察できた.
著者
西田 周平
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
no.11, pp.181-194, 2018-03

At the end of the 16th century, in the Momoyama period (1582~1615), the production of ceramics began in a new place in Japan. Of these, in Minoyō (美濃窯), Kiseto (黄瀬戸), Setoguro (瀬戸黒), Shino (志野), Oribe (織部), for example, new forms of tea bowls and tableware were produced. From Karatsu (唐津) was introduced a climbing kiln (登り窯). Minoyō achieved a stunning development in such ceramics compared with other kiln locates. However, demand decreased because of changes in the style of the tea ceremony. The Shino, Oribe in Minoyō did not last long, and were eventually and forgotten. In the Shōwa period (1926~1989), there were ceramic artists who strove to restore Shinoware. Their names were Arakawa Toyozō (荒川豊蔵) and Katō Tōkurō(加藤唐九郎). Arakawa Toyozō was born in Mino, and after having seen the Tamagawa bowl (玉川) from Shino held by the Sekido clan, discovered a ceramic fragment from Momoyama Shino in the mountains of ōkaya (大萱). After discovery, Arakawa spent the rest of his restoring Momoyama Shino ceramics. Katō Tōkurō was born in Seto (瀬戸). He acquired book of secrets from Katō Shuntai (加藤春岱), who had made Shinoware at the end of the Edo period (1603~1872). Further, Tōkurō learned from Katō Bakutai(加藤麦袋) how to create Shinoware and began making it in earnest. Of the ceramics Tōkurō produced, Shinoware was the only style he continued to make his entire life. This paper examines the process by which Arakawa and Tōkurō restored Momoyama Shinoware, which had been forgotten for a long time, and from their ceramic works, also considers future restoration of Momoyama Shino ceramics.文部科学省グローバルCOEプログラム 関西大学文化交渉学教育研究拠点[東アジアの言語と表象]
著者
上杉 和央 浜井 和史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.74, 2005

1.「墓標の島」 戦後,沖縄は「墓標の島」と例えられることがあった。「墓標」もさることながら,20万人とも推計される沖縄戦戦没者の慰霊碑が各地に建立された状況に由来するこの比喩は,戦後沖縄を象徴する1つの「モニュメント」である。2005年は戦後60年目にあたるが,この期間における沖縄の歴史地理を見る際,「墓標の島」への着目,言い換えるならば,遺骨の収集から納骨,納骨堂や慰霊碑の建立,慰霊祭の挙行といった「戦没者」(過去)に対する「生(存)者」(現在)の営みやその変容過程に対する着目は,ひとつの有益な立脚点となる。 しかし,この視角を支える沖縄戦戦没者の慰霊碑・慰霊祭に関する研究自体が,これまで決定的に欠けていた。基礎的研究すらないのが実情である。そこで,本発表では,戦後沖縄の慰霊碑・慰霊祭の多様性や変遷についての基礎的報告を行いたい。現地調査は2002年12月から2005年6月までに6回,沖縄本島で行っている。2.慰霊碑の建立時期と建立主体 沖縄県は1995年に慰霊碑一覧を掲載した書物を作成した(沖縄県生活福祉部援護課,1995)。そこには約350基の慰霊碑が計上されている(表1)。しかし,そこに記載されていない慰霊碑も数多く存在しているか,もしくは存在したことが,現地調査により明らかとなっている。また2002年建立の「慰霊之碑」(読谷村古堅区)など,95年以降に建立されたものもある。 建立主体は,国(日・米・韓),琉球政府,都道府県,市町村といった行政組織のほか,同窓会などの社会組織,退役軍人組織,遺族会などがある。なかでも,もっとも多くの慰霊碑を建立しているのは,市町村下の自治会組織であり,50年代を中心に建立が進んだ。また,「本土」の都道府県や遺族会が積極的に慰霊碑を建立したのは,60年代である。3.激戦地の慰霊空間 _-_慰霊碑・慰霊祭の地域差_-_ 沖縄本島のなかで,もっとも戦没者を出した地域は現糸満市周辺である。この地域では,「納骨堂」の機能を有した慰霊碑が作られ,戦没者の遺骨が納められた。その多くは無名戦没者であった。60年代以降,識名の中央納骨所(1957年),そして摩文仁の国立沖縄戦没者墓苑(1979年)への転骨が進み,「納骨堂」としての役割を終え,撤去された。慰霊祭もその時点で終了した場所が多い。現在,沖縄県下でもっとも慰霊碑数の多い糸満市域において,各自治会組織による慰霊祭は,意外に行われていない。激戦地の慰霊(追悼)は,沖縄県によって国の要人を来賓に迎えて挙行されるのである(沖縄全戦没者追悼式)。 一方,沖縄戦において,主戦場とならなかった地域では,遺骨の存在といった物理的な意味ではなく,精神的理由で慰霊空間が形成されたため,慰霊碑の建立には地域の中の「適切」な場所が選定された。転骨を理由とした慰霊碑の撤去はなく,道路整備やより「適切」な場所への指向により,慰霊碑(慰霊空間)が移された。4.「慰霊」祭の変容 慰霊祭という名称は,政府機関では(周到に)用いられない。ただ,県内の市区町村,自治会組織といったレベル,また社会組織などにおいては,ごく自然に用いられている。ただし,「33年忌」を期に,沖縄本島北部地域のなかには,「慰霊」祭から「平和祈願祭」へと名称を変更させた例もある。 慰霊祭の内容で,大きな変化としては,90年代以降顕著となった「平和学習」との関わりが挙げられる。慰霊祭参加者の高齢化と少数化に伴い,いくつかの自治会組織では,小中学校や子供会活動と連携し,地域の歴史を後世に伝えることを目指している。このような動きは,一方で戦争を「歴史化」することにもつながっている。 また,慰霊碑が建立されている地域住民とのつながりが希薄で,組織構成員自体の高齢化に悩む同窓会や退役軍人会といった組織では,将来的な慰霊祭開催や慰霊碑管理についての不安が顕在化している。実際,60年を節目として,慰霊祭が終焉した慰霊碑もある。文献:沖縄県生活福祉部援護課(1995),『沖縄の慰霊塔・碑』沖縄県生活福祉部援護課
著者
志土地 由香 井手 一郎 高橋 友和 村瀬 洋 SHIDOCHI Yuka IDE Ichiro TAKAHASHI Tomokazu MURASE Hiroshi
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会論文誌. A, 基礎・境界 (ISSN:09135707)
巻号頁・発行日
vol.94, no.7, pp.532-535, 2011-07

類似した料理レシピ群における特徴的な調理手順の類似度に基づいて,代替可能な素材を発見する方法を提案する.これにより,利用者の要求に応じて料理レシピ中の素材を柔軟に置き換えられるようになることが期待される.
著者
王 揚
出版者
九州大学大学院地球社会統合科学府
雑誌
地球社会統合科学研究 = Integrated sciences for global society studies
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-14, 2019

In recent years, books with titles such as "Appearance influences 90% of people" and "The True Identity of a Beauty" have been attracting attention. For entertainers such as actors and singers, it can easily imagined that the appearance of the person is a major factor of their success. But in the business and political world however how important is Appearance? / The purpose of this paper is to empirically analyze the factors that determine the basis on which voters in select candidates in local elections. Here, it is assumed that the voters intuitively judge the candidate selection by Appearance, and the relationship between the "beauty degree" and "smiling degree" of the candidate and the number of votes obtained is analyzed. As data, we will use photos of the candidates listed in the "Election Bulletin" of the Tokyo Metropolitan Assembly election in 2017. "Beauty" is measured by a questionnaire survey of 100 students at Takushoku University's Faculty of Economics, and "Smile" is measured from the answers to "OKAO VISION" developed by OMRON. In this paper, it was deduced that not the candidates' degree of beauty and smiling were related to the percentage of votes obtained in the Tokyo Metropolitan Assembly election in 2017.
著者
田中 東子
出版者
三田社会学会
雑誌
三田社会学 (ISSN:13491458)
巻号頁・発行日
no.25, pp.15-29, 2020-11

1. 再帰するフェミニズム2. 今日のフェミニズム3. 複雑化するフェミニズム特集「マス・コミュニケーション研究と社会理論」
著者
大庭 広巳 千葉 麗子
出版者
日経BP社
雑誌
日経情報ストラテジ- (ISSN:09175342)
巻号頁・発行日
vol.7, no.11, pp.237-239, 1998-12

【千葉】リクルートというと,インターネットをバリバリ活用しているイメージがありますが,ホームページを立ち上げたのは,いつでしたっけ。【大庭】実験的な段階から徐々に拡充してきたので,いつと決めるのは難しいのですが,80年代の終わりごろには,すでに会社として電子メディア系のビジネスをやっていこうと決めていました。
著者
福沢研究センター
出版者
慶應義塾福沢研究センター
雑誌
近代日本研究 (ISSN:09114181)
巻号頁・発行日
no.37, pp.227-239, 2020

I 福沢諭吉自筆原稿II 小幡篤次郎書簡一資料紹介
著者
木山 実 大島 久幸
出版者
慶應義塾福沢研究センター
雑誌
近代日本研究 (ISSN:09114181)
巻号頁・発行日
no.37, pp.35-79, 2020

はじめに一 明治期から大正期にかけての学閥形成二 三井物産における慶應義塾卒業生おわりに特集 : 慶應義塾出身の経営者たち
著者
平野 隆
出版者
慶應義塾福沢研究センター
雑誌
近代日本研究 (ISSN:09114181)
巻号頁・発行日
no.37, pp.81-113, 2020

一 はじめに : 対象と課題二 慶應義塾出身百貨店経営者の企業家活動三 なぜ創成期百貨店に慶應義塾出身者が多かったのか?四 おわりに特集 : 慶應義塾出身の経営者たち
著者
竹原 健二 松田 智大 児玉 知子 渡會 睦子
出版者
日本エイズ学会
雑誌
日本エイズ学会誌 = The journal of AIDS research (ISSN:13449478)
巻号頁・発行日
vol.10, no.3, pp.215-220, 2008-08-20
参考文献数
17
被引用文献数
1

目的: HIV感染者増加を抑制すべく, HIVスクリーニング検査の普及が図られているが, 十分であるとは言えないのが現状である.HIV検査に関する先行研究では, 受検者を対象に受検動機や検査の実施体制について検討したものは見られるものの, 一般集団を対象にした実態調査は十分行われていない.本研究では, 若者のHIV検査に対する認識と利用状況を把握することを目的に調査を実施した.<BR>方法: 本研究は2007年6月から7月に東京都近郊の5つの大学に所属する大学生の男女271人を対象とした.そのうち十分な回答が得られた233人を分析対象とした.調査は対象者がWeb上の調査票にアクセスし, 回答してもらう方法を用いた.調査項目は, Misovich, S. J.らが開発したスケールを用いた.<BR>結果: 献血時にHIV検査が同時にできると考えている者が約70%であった.HIV検査によって感染を発見できるようになるまでに「ウインドウピリオド」があることを十分に理解していないものは約40%であった.HIV検査を受けられる場所を正しく挙げることができた者は男女ともに約75%であった.今までにHIV検査を受けたことがある者は3.596であった.<BR>結論: 本研究を通じて, 献血時に同時にHIV検査ができるという誤った認識の者も多く, 適切な情報提供, および受検行動につながるような取り組みを強化する必要があることが示唆された.
著者
添田 梨香 上田 公代 SOEDA Rika UEDA Kimiyo
出版者
一般社団法人 日本女性心身医学会
雑誌
女性心身医学 = Journal of Japanese Society of Psychosomatic Obstetrics and Gynecology (ISSN:13452894)
巻号頁・発行日
vol.21, no.3, pp.306-313, 2016

本研究では,妊娠中の「ストレス要因とそのストレス反応」について,その「ストレス対処」には「ソーシャルサポート」の強化,「生活満足度」や「心の健康度」の向上が有効に関連する,という概念枠組みのもと,相互の関連性を明らかにすることを目的とした.2011年4月25日~2012年3月9日,質問紙調査を行い,妊娠初期175名,中期207名,末期191名の計573名の妊婦を分析した.その結果,ストレス要因とその反応の得点は,妊娠3期別比較で有意差はなかった.ソーシャルサポートの実現度は,妊娠の全期間を通じて高い傾向にあり,生活満足度は初期より末期が有意に高く,夫に関連する満足度が高い傾向にあった.重回帰分析により,妊娠ストレスを低下させた要因は,生活満足度と心の疲労度(低い)であった.一方,妊娠ストレスを高めた要因は,日常ストレスであった.ストレス要因とストレス対処についての記述では,どちらも「夫」に関する内容が,それぞれ23.6%,33%と最も多く言及されており,夫に関することはストレス要因であり,同時にストレス対処要因と考えられた.</p><p> これらより,ストレス要因の緩和やストレス対処には,生活満足度の高揚と,心の疲労度(が低いこと)が重要であり,特に夫との関係性や夫のサポート力を高めることの重要性が示唆される.