- 著者
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岡野 一郎
- 出版者
- 一般社団法人 社会情報学会
- 雑誌
- 社会情報学 (ISSN:21872775)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, no.2, pp.37-51, 2016 (Released:2017-02-03)
- 参考文献数
- 26
本稿の目的は, 情報化と呼ばれる現象を, 「情報の消費化」及び「情報の個人化」という観点から捉え直すことである。Websterが批判しているように, 情報化という要因によって社会に何か質的な変化が生じたことを示すのは困難であるし, そもそもBellらの言う物質中心の社会から情報中心の社会へという変化自体が疑わしい。むしろ検討するべきなのは, 情報に関して何が変化したのかである。本稿ではそのような変化として, 「情報の消費化」及び「情報の個人化」を検討する。まず, 情報の消費化とは, 資本主義市場がますます情報関連に広がっていくことを指す。製造業中心からサービス産業中心の社会への移行は, 市場が覆う生活の範囲の拡大として理解できる。しかし, 情報化と見える現象のすべてが「情報の消費化」で説明できるわけではない。Castellsらの言う「ネットワークされた個人主義」は, 「ネットワークの個人化」ないし「情報の個人化」として捉えることができる。Beckらは個人化を, リスク管理の責任がますます個人に課せられるようになる現象として描き出している。情報という観点からは, これは期待効用の最大化を目指すゲーム理論的人間観となる。これは「情報の消費化」と「情報の個人化」が重なることで生じたと言えるが, 進化ゲームの知見は, 私たちがゲーム理論的人間観になじまないことを示している。Beckらの示唆するシステム理論的観点からすれば, 私たちは市場のみに巻き込まれるのではなく, 多元的自己を持った存在として, 個人化の時代を生きていく必要がある。