著者
黒岩 義之 平井 利明 水越 厚史 中里 直美 鈴木 高弘 横田 俊平 北條 祥子
出版者
日本自律神経学会
雑誌
自律神経 (ISSN:02889250)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.72-81, 2022 (Released:2022-04-23)
参考文献数
34

環境ストレスには物理的感覚ストレス,化学的感覚ストレス,免疫・凝固系ストレス,心理社会的ストレス,内部環境ストレスがある.環境ストレスに対して生体が過敏症(ストレス感覚入力系の過敏状態)や不耐症(ストレス反応出力系の不全状態)を呈する病態を環境ストレス過敏症(不耐症)と定義した.その病像は視床下部性ストレス不耐・疲労症候群(脳室周囲器官制御破綻症候群)であり,自律神経・内分泌・免疫症状,筋痛,疲労,記憶障害等の多彩な症状が重層的に起こる.基礎疾患が明らかでない特発性タイプと,筋痛性脳脊髄炎・慢性疲労症候群,脳脊髄液漏出症,HPVワクチン後遺症,COVID-19後遺症,シックハウス症候群,ネオニコチノイド暴露など,基礎疾患が明らかな症候性タイプがある.3ステージ仮説(遺伝的要因,発症要因,トリガー要因)に基づき,その病態や予防について論じた.分子病態仮説としてプリン作動性神経伝達障害を考えた.
著者
漆畑 里美
出版者
日本看護技術学会
雑誌
日本看護技術学会誌 (ISSN:13495429)
巻号頁・発行日
vol.8, no.3, pp.74-83, 2009-12-05 (Released:2016-08-25)
参考文献数
36

本研究は日本の看護における「個別性のある看護」の概念的意味を明らかにし,展開と実態について考察することを目的に行った.医中誌Webを用いて日本語の「個別性のある看護」に関する30文献を選出しRodgersの概念分析法を用いて分析した.その結果,属性として【指導】【関わり】【支援 ・援助】の3カテゴリー,先行要件として{患者の状況}である【日常生活行動】【能力】【感情】,{状況を生み出している背景}である【自己認識】【生活】【パーソナリティ】【病歴】【経験 ・ 体験】【家族】,{現行の看護ケア}である【看護ケアの場】【実践】【看護姿勢】の計12カテゴリー,帰結として【進歩】【好転】【試み】【悪影響】の4カテゴリーが得られた.以上から「個別性のある看護」は「対象者の状態を望ましい方向へ移行するために,対象の置かれている状況およびその背景を把握し,それをもとに既存の看護を組み合わせる,調節 ・ 変更 ・ 改善することで創造される看護」と定義され,展開には適切な患者把握能力とケアの調整能力が必要であることが示唆された.

28 0 0 0 OA 秋田の油田

著者
中田 真一
出版者
大学等環境安全協議会
雑誌
環境と安全 (ISSN:18844375)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.1_53-1_58, 2013 (Released:2013-04-23)
参考文献数
16

秋田県の油田の歴史や現在の秋田県内の油ガス田、秋田県の原油・天然ガスの生産の現況、さらに最近国内で初めて採油に成功したシェールオイルの採油の話題などについて紹介する。
著者
荻布 優子 川崎 聡大
出版者
一般社団法人 日本小児精神神経学会
雑誌
小児の精神と神経 (ISSN:05599040)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.231-237, 2023-10-01 (Released:2023-10-06)
参考文献数
12

近年,不登校の背景にある学習のつまずきの存在が指摘され学習障害と集団不適応が併存する事例報告も散見されるが,情緒の安定化を第一に据え学習面への直接的な介入は避けられる傾向にある.われわれは就学直後に登校しぶりを呈していた児童に読み書きの困難さを見いだし,学習場面への心理的負荷に対する配慮を十分に講じたうえで認知特性に合わせたひらがな読み正確性指導を行った.結果,約7か月間週1回の指導によりひらがな音読はほぼ完成し,未指導のカタカナや漢字に対して興味を示し,生活の中でひらがなを読んだり遊びに取り入れたりする姿が観察されるようになった.読み書き困難が背景の一つであると推測される不適応状況の解決の糸口として,体系的な文字学習での度重なる失敗の経験が比較的少ない学童期初期においては,発達段階や認知特性に配慮したうえでの苦手さそのものに対する段階的なアプローチの有効性が示唆されたと考えられた.
著者
久保田 真功
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.49-61, 2011

本研究の目的は,暴走族マンガの分析をもとに,マンガに見られる暴走族の下位文化を明らかにし,青少年が暴走族マンガに惹かれる理由について検討することにある。分析を行った結果,①主要登場人物は,アイディンティティ獲得のツールとしてバイクを消費していること,②暴走族内には確固たる上下関係と,構成員が従うべき掟が存在すること,③主要登場人物の多くは暴走族引退後に社会復帰を果たしているとともに,現役の暴走族に教育的な働きかけをしていること,などが明らかとなった。これらの結果を踏まえ,マンガに見られる暴走族が,ドリフト理論で知られる Matzaの主張する非行少年像に類似していることを指摘した。そして,青少年は,暴走族の姿に Matzaが言うところの「隠れた価値」(subterranean values)を見出すことによって,登場人物の姿に共感し,暴走族マンガを好んで読んでいるものと考察した。
著者
神山 智美
出版者
富山大学経済学部
雑誌
富山大学紀要.富大経済論集 (ISSN:02863642)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.83-106, 2017-12

身近な公職選挙の一つに地方議会議員選挙がある。2016年(昨年),筆者の居住する富山市では,不祥事(政務活動費不正利用)のため多くの地方議会議員が辞職し,その補欠選挙もなされた。補欠選挙では,多くの候補者が斬新さと自身が掲げる政策案の実現をアピールして,世間の関心も高まった経緯がある。関西ではローカル・パーティー「大阪維新の会」が,東京都議会議員選挙でも,「都民ファーストの会」が大躍進を遂げており,地方政治における政策型選挙も定着してきた。一方,「市議会議員になる方法」等というタイトルのマニュアル本も多数刊行されている。しかし,転職先として人気のある地方議会議員は,その報酬から見ても都市部であり,中山間地域等に存する小規模な町村においては,高齢化および人口減少化のなかで定員を満たす立候補者を確保することが難しくなっている実態もある。こうした現況から,地方議会の実態と地方議会議員選挙の法的性質を踏まえ,地方議会議員とりわけ市町村議会議員に係る地方自治法(自治法,昭和22(1947)年法律67号)上および公職選挙法(公選法,昭和25(1950)年法律100号)上のいくつかの論点について検討するのが,本小稿の目的である。
著者
佐藤 幸治
出版者
日本学士院
雑誌
日本學士院紀要 (ISSN:03880036)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.185-202, 2022 (Released:2022-02-15)

The concept of human rights (natural rights), which stepped into the limelight of human history in the latter half of the eighteenth century, rapidly disappeared from the limelight in the nineteenth century and was replaced by the legal positivist concept of rights (in Japan, it was strongly advocated at the beginning of the Meiji Restoration in the latter half of the nineteenth century but rapidly faded away). After World War I, human rights came to be strongly advocated in the realm of international law, especially in the face of the tyranny of totalitarian regimes, and the United Nations Charter adopted at the San Francisco Conference in June 1945 proclaimed human dignity and respect for human rights. The Potsdam Declaration of July of the same year (accepted by the Japanese government in August) strongly called for “the establishment of respect for human rights.” Initially, the Japanese government and people did not take the meaning of this seriously but in February 1946, the General Headquarters strongly demanded that the Constitution stipulate the guarantee of human rights. The Constitution of Japan, which was enacted in the form of an amendment to the Meiji Constitution, sets forth that “the people shall not be prevented from enjoying any of the fundamental human rights” (Article 11) and calls for “the supreme consideration” for “their right to life, liberty, and the pursuit of happiness” (Article 13).(View PDF for the rest of the abstract.)
著者
富田俊基
出版者
野村総合研究所
雑誌
知的資産創造
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, 2005-01
著者
岩崎 学 吉田 清隆
出版者
日本計量生物学会
雑誌
計量生物学 (ISSN:09184430)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.53-63, 2005-12-31 (Released:2011-09-30)
参考文献数
16
被引用文献数
5

For the occurrence of a rare event A such as a severe adverse drug reaction, there exists the “Rule of Three” to remind practitioners that “absence of evidence is not evidence of absence.” The Rule of Three actually says that even if the event A was not observed among n patients it would be quite possible to observe three events among other n patients. The present paper examines this useful rule in detail and also extends it to a testing problem for occurrence probability of A.First, the Rule of Three is extended to the case that the number of the event observed among the first n patients is more than zero. We give rules that when k (> 0) events were observed among n patients, nk events would be possibly observed among other n patients. Next, a testing procedure is introduced to examine whether the occurrence probabilities of A for two populations are the same under the condition that k events were observed among n patients for one population. It will be shown that the relevant probability distribution is a negative binomial, and then critical regions for small k's are given. For a possible application of the procedure, we mention the signal detection for spontaneous reporting system of adverse drug reaction.
著者
室城 智志 中谷 隼 栗栖 聖 森口 祐一 花木 啓祐
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集G(環境) (ISSN:21856648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.6, pp.II_221-II_228, 2018 (Released:2019-03-29)
参考文献数
37
被引用文献数
3

関東地方における耕地へのソーラーシェアリング(農地において営農を継続しながら太陽光発電を行う技術)の導入を検討する.作物類別に遮光への適応性が異なることを考慮し,パネルの設置比率と減収率の関係を定式化した.また,農作物の作付面積に対して,許容される減収率や地域の系統連系の空容量などの制限因子を考慮した発電ポテンシャル量を推計した.推定の結果,関東地方におけるソーラーシェアリングの導入賦存量は定格容量で65.1GW,年間発電量は69,118GWh/年であった.制約条件を考慮した導入ポテンシャルの算出結果から,電力系統への連系に関する制約条件によって最も強い制約を受けることが分かった.地域全体の収量を維持する制約条件では,農作物の導入優先度を設定し,減収分は各都県内の耕作放棄地で営農を再開することで導入ポテンシャルは最大化されることがわかった.また,ソーラーシェアリングは従来の耕作放棄地における通常太陽光発電設備の導入以上のポテンシャルを持つことが明らかとなった.
著者
髙橋 涼太朗
出版者
日本財政学会
雑誌
財政研究 (ISSN:24363421)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.213-236, 2020 (Released:2022-01-19)
参考文献数
50

巨額の財政赤字の発生を受けて,財政規律を維持する大蔵省による統制は1970年代には崩壊したと見なされてきた。本稿は1970年代後半の15か月予算の編成過程を分析し,大蔵省統制が機能していたにもかかわらず財政赤字が発生したことを明らかにする。15か月予算を構成する1977年度第2次補正予算まで,公債依存度を30%以内に抑えるルール下で予算編成がなされていた。一方,日本政府は円高に直面し,内需拡大政策をとる必要があった。このジレンマに対処するため,福田赳夫はアメリカへ秘密書簡を送る。これを根拠にアメリカ政府の強硬派が外交政策の主導権を握り,日本に対して「外圧」をかけた。その結果,福田は大蔵省統制を突破した予算編成を行うことができた。一方で大蔵省は後退した統制を強化するために「原状回復性」に着目して,公共事業の拡充と折半ルールの導入を行う。しかし,「原状回復性」を持つ政策は残存し,後年の財政赤字の要因となったのである。
著者
五十嵐 保
出版者
社団法人 日本流体力学会
雑誌
日本流体力学会誌「ながれ」 (ISSN:02863154)
巻号頁・発行日
vol.19, no.4, pp.253-262, 2000-08-30 (Released:2011-03-07)
参考文献数
4

静水に浮く正方形断面棒の姿勢を解析した.メタセンター (metacenter) や水線面の二次モメント等の専門知識およびポテンシャル・エネルギー最小の原理も用いずに, アルキメデスの原理と解の存在条件のみから解を求めることができた.角材の比重σとその傾き角φとの関係を求め, その姿勢の変化を図示した.また, 喫水線と最大喫水深さも求めた.角材の比重σ= (3-/3) /6~9/32およびσ=23/32~ (3+/3) /6のごく狭い範囲で, 傾き角φは0~45°あるいは45~0°に激変する.さらに種々の木材を用いて検証実験を行った.実際の木材は均一質でないため, 木材の姿勢は解析結果よりわずかにずれる.これは重心のずれにより説明される.
著者
宇田川 洋
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.217-249, 2003-03-31

H. WATANABE (1992) reported that if it can put the history of chashi upon the history of treasure, it will be enlightend a way to understand the social meaning of chashi through the relation of the social structure between the chashi and the treasure. And he considerd so that the treasures are inducements or a purpose of the struggle, both the treasures and chashi are the constructed element of “battle complex” in aynu.In this paper, I consider the prestige goods or the ikor such as treasures that are the sword, the lacquer ware and the tamasay (the necklace consisting of glass balls) and so on, from Satsumon period to Modern Age.K. YAMAURA (2000) introduced the trade as action at a distance by C. Renfrew. It is from Mode 1, the direct approach, to Mode 10, the trade at the barter port. And he arrived at the conclusion that there is Mode 4 in Epi-Jomon period and Mode 8 or 9 in Satsumon period. At present, this study of the prestige goods or the ikor such as treasures will give the data for searching the trade as action at a distance in aynu society.The materials of Satsumon Culture (Fig.3)There are some bronze bowls excavated at Biratori Town, Eniwa City and Kushiro City in Hokkaido from about 10th century to 12th century. In these materials, Sahari-bowls from so-called Korea Peninsula are including. And a bronze mirror, Koshu(Hu-zhou)-kyo, found at Zaimokucho 5 site in Kushiro City from Sekko-sho (Chekiang) in China, it may be 12th century. These kind of remains are of Continental origin. Another special material is laquered bowls from Honshu found in Sapporo City and Kushsiro City from 10th century to 13th century. In Yoichi Town, two bronze bells (taku) produced from China are found in a grave pit. And so two bronze portions of belt (katai-kanagu) are found in same Yoichi Town, these goods may be from Honshu.The materials of Okhotsk Culture (Fig.4)It is a well-known fact that the iron and bronze artifacts from Mohe or Tongren Culture and Jurchen Culture in the basin of the Amur River and the Maritime Province of Siberia are found in Okhotsk Culture. There are the bronze portions of belt, the bronze, copper and tin bells (taku and suzu) and iron halberds and so on found in Eshashi Town, Tokoro Town, Abashiri City, Nakashibetsu Town and Nemuro City.The peoples of Okhotsk Culture obtained some remains from Honshu as well as many metal artifacts from of Continental origin. For example, the Warabite-tou which is the sword with bracken like handle, are found in Esashi Town, Abashiri City, Tokoro Town and Rausu Town.The materials of so-called Middle Age and Modern Age (Fig.6~12)Figs.6 and 7 are the Japanese helmets made of iron and bronze found in Rumoi City, Fukagawa City, Biratori Town, Sapporo City, Kushiro City, Rikubetsu Town, Shizunai Town and Atsuma Town. The end of hoe-like materials (kuwasaki) made of iron and copper are Figs.8 and 9 found in Kuriyama Town, Shakotan Town, Yakumo Town, Sapporo City, Shizunai Town and Biratori Town and so on. It was recorded in the old documents of Edo era that these artifacts were the treasure named kira-us tomikamui, the god of treasure with horn, in aynu society.Another archaeological remains are the bronze mirrors showed Figs.10 and 11. Most of the mirrors are excavated from the grave pits of the Middle Age, and the greater part of the mirrors are made of Japan origin. Whenever the dress up time, aynu women wear the tamasay, the necklace consisting of glass balls, and the sitoki, the mirror or the disk made of metal hanging down the lower end of the tamasay. That is a matter of cource the tamasay and the sitoki are the treasures in aynu society. In referred to the Fig.11-16~18, the brass or bronze disks like the sitoki are found from the aynu grave pits in Akan Town, Setana Town and Nemuro City.Besides, the special artifacts at least I regard them as the prestige goods are found. For example, Fig.11-20~31 found in Tokoro Town, Biratori Town and Chitose City are the iron coil-like remains which are probably from of northern peoples origin like as shaman's belt. Fig.11-32~34 found in Biratori and Tokoro Town are the small bronze portions and the origin may be Mohe and Jurchen Culture in Siberia. In these bronze portions, a example of Fig.11-34 found in Tokoro Town belongs to Okhotsk Culture.Fig.12 is the white porcelains of Honshu origin which were excavated at Katsuyama-date site in Kaminokuni Town. The symbolic mark is notched out of the bottom of these plates that resemble closely the mark of itokpa, the mark of ancestor, or the mark of sirosi, the sign of owner, in aynu society. The aynu peoples have been living in the Katsuyama-date may think these porcelains as the prestige goods.Concerning the trade of archaeological materials, a lot of the prestige goods or the ikor such as treasures excavated at Menashidomari site in Eshashi Town of Okhotsk Culture, Moyoro site in Abashiri City of Okhotsk Culture and Ohkawa site in Yoichi Town of Satsumon Culture, Middle Age and Modern Age. So these three archaeological sites may be main barter ports of trade from Satsumon period to Modern Age.In this connection, we can find that the prestige goods are placed on chashi in the old documents of Edo era, and around the ikor many plunderer exist in aynu legends. For example, the name of topattumi (a thief), ikasitumi (a group robbers) and ikkatumi (a ruffian) appear at the main area of Hidaka, Tokachi, Kushiro and Nemuro district. Thus, it can be said that there is a possibility that a study of the prestige goods or the ikor make clear the process of a formation of the Aynu culture. We should treat these archaeological remains more carefully.