著者
藤井 龍和
出版者
智山勧学会
雑誌
智山學報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.163-170, 1988-03-31

「心理学」という用語は、日本が明治維新になって、富国強兵と殖産興業の旗下に、欧米化を目指して、世界に雄飛する近代国家を樹立していく「洋学」の過程の中から生まれた。それ以前の封建幕藩体制下で、擬似心理学的「心学」なる漢学の学問があったが、これは、科学的な現代心理学の系譜とは異なる東洋的心理学の土壊から出て来たものである。 「心理学」はギリシャ以来の哲学的心理学たる精神哲学(mental philosophy)の系統を引くもので、又、その訳である。このことを、アルバート・ヴェレク(Albert Wellek, 1950)は、「心理学は、母なる哲学の娘として生れた。」と言った。現在の「心理学」にあたる英語は、psychologyであるが、これは初め、西周によって、その心学の素養から「性理学」と訳語された。
著者
櫻木 新
出版者
芝浦工業大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011

本研究は日本語における記憶表現に焦点を当てる。分析哲学では他の多くの分析と同様に、記憶概念の研究は'remember'をはじめとする英語の記憶表現の検討を通して行われてきた。本研究では、日本語の記憶表現が詳細に検討され、英語の対応表現と比較された。また分析哲学において前提とされている一部の記憶概念が、'remember'の用法など英語の用法を前提としたものであることが明らかにされた。
著者
末木 文美士 阿部 泰郎 司馬 春英
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究は、日本中世仏教の思惟方法を検討し、それを他の諸思想と比較し、現代的意味を探ることを目的とした。具体的には、(1)真福寺などに写本で伝えられる文献を調査し、その思想内容を分析した。(2)平成24年度には研究会を開催し、仏教研究者のみならず、現代哲学研究者も出席して、広い視野からの比較研究を進めた。(3)平成25年度には、中日仏学会議(北京)、世界哲学会議(アテネ)に出席して、成果を発表した。(4)比較研究を進めるために、Bernard Faureの著作Unmasking Buddhismを和訳するとともに、拙著『浄土思想論』の中国語訳、『仏教vs.倫理』の英訳を作成した。
著者
荻原 理 神崎 繁 納富 信留 FERRARI Giovanni BRISSON Luc
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010-04-01

G. Ferrari, S. Obdrzalekを招き、東北大学にてシンポジウム「プラトンの神話」を開催した。『国家』第10巻の「エルの神話」における<あの世での、これから生きる生の選択>についての英語論文を国際プラトン学会大会(慶應義塾)で発表し(審査有)、改訂版を電子ジャーナル誌PLATOに掲載した(査読有)。『法律』第10巻の、死後の魂の再配置の話についての日本語論文をギリシャ哲学セミナー大会(専修大学)で発表し、同セミナー『論集』に掲載した。『法律』のこの話が置かれた文脈(宗教法)についての英語論文をシンポジウム「自由と国家―プラトンと古典的伝統」(オクスフォード大学)で発表した。
著者
伍 隆萓
出版者
筑波大学比較民俗研究会
雑誌
比較民俗研究 (ISSN:09157468)
巻号頁・発行日
no.18, pp.77-92, 2002-11

ケゼは中国四川省涼山イ族地区に流布している伝統的なユニークな民間伝承である。イ族語ではケゼ(kep zzep)は「口をよく動かすこと」の意味で、言葉を巧妙に使うことを指している。そのほか、いくつかのほぼ同義であるが、あまり広範には用いられていない呼称がある。それらは異なる角度からケゼの特徴を具現している。ケゼは通常婚礼と高年齢の老人の葬礼や、または、いくつかの祝日の集まりにおいて用いられている。これらの場合にはよく二つ以上の家支が集まっている。その時、主人の側と客人の側が自分の家支の中(もしくは、別の所)からケゼの達人を選んでお互いに競い合う。その間にもしある家支の競技者が言葉に詰った時、この家支のほかの人が交代することが許される。吟詠対抗時には両者は一つの題目をめぐり、一方が一首のケゼを吟詠すると他方も一首を吟詠する。このようにして勝負がつくまで行う、量が多く題目にふさわしい、言葉使いの優れている側が勝つ。ケゼの内容は大体二つの部分に分かれている。あいさつと主体部分である。あいさつの部分はまた婚礼のあいさつと葬礼のあいさつに分かれる。その内容とスタイルは場合によって異なる。けれども「ケゼを初めから唱吟する」のは同じである。主体部分の内容はさまざまで、天文、地理、歴史、哲学、風俗などがある。ケゼではしばしば連辞、誇張、引用、比喩などいろいろな修辞法を用い題について吟詠する。それで自分たちの弁舌、博学とを巧妙に顕示する。ケゼとアビ(諺)、マズ(長篇詩歌)、民謡などとは異なるものである。ケゼの句型は五、七、九など奇数語の句から構成されるものが主流を占める。二音節が一拍で発せられるが、最後の音節は必ず一拍である。吟詠する時リズムを伴うのであるが、しかし、通常の話しかたでないのはもちろん、歌唱をするのとも異なる。ケゼは一つの奇妙な民間伝承である。どうしてこれは涼山地区で産まれ発展して広く伝承されているのか。これの使用されている場合と、使用されている形式、修辞の特徴を考え併せると、以下のような大胆な推理が可能である。文化生態学的角度から見ると、ケゼと涼山イ族の家支文化との密接な関係が指摘できる。家支文化はケゼの存在や発展の土壌である。家支は涼山イ族社会の政治組織の一つで、漢族の「宗族」は多少異なる。その目立った特徴は、政治、経済、軍事の上で激しく対抗し、衝突と競争が伴う点である。家支成員の一切の財(生命を含む)は家支の強弱に連関している。家支の個々の成員は小さい時から家支は文化の薫陶を受け、彼らの言行、振舞には家支の印が深く刻印されている。また、それは家支の利益を直接・間接に代表している。家支の衝突や競争が止んだことはなかった。だが、涼山イ族の婚姻は家支内では禁じられている。したがって家支間は競争あり、連盟ありの複雑な関係になった。家支婚姻関係を結び、他の家支の脅威を防ぐために同盟した。けれども、これが親類両方の家支間の衝突を解消するわけではない。婚姻は一家と一家の間だけだが、家支の全体的な利益が全てに優先されていた。婚姻関係を結んで親類になった家支間では衝突を緩和させることが競争になった。両方が一緒に座って、酒を飲んで遊ぶ婚礼や葬礼では、わざくらべは重要な位置を占める。知識を尊び弁論を尊ぶ涼山イ族社会の中に、ケゼの話術を利用して弁舌と知識を競い合うのは、大衆的な活動になった。ケゼの吟詠対抗は、その表面から見ると言葉の技巧の試合だが、その活動の眞の目的は「家支を誇示し、祖先を称揚する」ことにある。これは運動選手のレベルに似ていて、国家体育以外のレベルの尺度のようになった。ケゼの吟詠対抗に勝つのは、ある家支の中に技巧者が出ることを意味し、家支が栄誉を受けたことを示す。ケゼは家支の政治、経済、軍事の対立、衝突、競争のほかに「文化」的対立、衝突、競争の有機的構成部分となっている。ある意味で言えばケゼは家支文化の産物である。ケゼの内容、形式、修辞の特徴はケゼの宗旨によって決められる。吟詠をし、歌わないのは、たくさんの内容を含み、聞くものは理解しやすいからである。リズムの選択における技巧は、ケゼの話術に効果をもたらし、変化を与えている。修辞上の強調と比喩の活用により言葉をより一層上手に操れるようになれる。名人の名言とアビの引用は、詠み手の記憶と博識とを示している。誇張はケゼのユーモアや、愉快さを一層きわだたせるものである。
著者
立川 明
出版者
国際基督教大学
雑誌
国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.1-15, 2002-03

本論ではまず戦後の日本での高等教育改革の一つの前提となる,当時のアメリカ合衆国での教養教育の特色の一端を論じたい.その要点は,20世紀前半のアメリカの教養教育は,主として人文学の立場から構成されていた,という点である.この論点を,できるだけ戦後の教育改革に実際に携った人物の意見を中心として,再構成してみたい.その上で,教養教育についてのアメリカ側からの提起を,日本側がどう受け止めたのかについて,多少とも触れたい.最後に,戦後教育改革において,ウォールター・イールズの果たし(得)た役割について,ジュニア・カレジと教養教育との関係に焦点をあて,論じたいと考える.
著者
宮内 裕貴
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2006

今年度は主に2つに分類される研究を平行して進めてきた。一つ目は昨年に引き続き、D.LewisとP.Griceの言語観を考察するという研究である。2人の言語観を考察するうえでかかせないのは、哲学で「命題的態度」と呼ばれる問題についての考察である。命題的態度は従来、例えば「私はクラーク・ケントは空か飛べないと信じている」のような信念文を分析するうえで、命題的態度の発話者Sが「クラーク・ケントは空か飛べない」という命題pとの間に、信じる(B)という関係に立っている、つまりSBpという構造を命題的態度が持っていると考えられて来た。この命題的態度についてS.Schifferの著書The Things We Meanを手がかりに研究を続けて来た。命題について問われるのはその存在論的身分である。一般的な物と違い、命題は目に見えるわけでも触れるわけでもない。しかしSchifferはPleonastic Propositionという命題を導入する事により、この命題が従来の存在論の中に組み込まれても従来の存在者の数を保存拡大(変化させない)ことにより、命題が存在する事によって生じる問題を排除したうえで、命題が存在するという立場をとる。このSchifferの立場が擁護可能かということを考察するのが今後の課題である。二つ目はD.Lewisが著書Conventionにおいて、conventionという概念を合理的再構成することによってconventionという概念の正当化を行ったことの意味を研究することである。論理実証主義者が算術命題の必然性を説明するために「規約主義(conventionalism)」という考え方をとり、その規約主義への批判がV.O.Quineらによって積極的になされ、その結果言語にconventionが存在するという考え方自体が否定されることを通して、conventionという概念自体が曖昧な概念だとみなされたことに対して、D.Lewisはconventionの概念(特に言語の中に存在する事)を全うな概念であると擁護し、それらの見解に対してアンチテーゼを提出したということができよう。問題はLewisがたとえconventionという概念を合理的再構成することによって正当化できていたとしても、その正当化はあくまで規約主義批判への応答という文脈に立ってなされていることである。これはどのようなことかと言うと、Lewisがconventionの概念を正当化するうえで、合理的再構成という手段をとったのは規約主義批判への応答の手段としてではないかということを明らかにする必要がおるからである。つまりLewisは現実にconvention(規約、慣習)のあり方を見て、実際に人々がどのように慣習にのっとって振る舞っているかを見て、そこから現実に成立しているconventionのメカニズムを探すことによってconventionの概念を正当化するという手段をとらなかった。Lewisはこのように現実的にconventionが成立している地点から出発することも可能だったはずである。しかしLewisはそういった地点からconvention概念の正当化をしようとはしなかった。この点についてもっと研究を進める必要がある。
著者
高田 和文
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.25, pp.105-121, 1977-03-20
被引用文献数
1

La riforma teatrale attuata da Pirandello soprattutto con il suo capolavoro "Sei personaggi in cerca d'autore" e strettamente e organicamente legata alla sua concezione del mondo ed e quindi imprescindibile dalla tensione meditativa che si era andata formando nel drammaturgo negli anni precedenti. Si e discusso finora molto della filosofia pirandelliana, del cosiddetto "pirandellismo". Ma l'elemento riflessivo nella sua arte e stato da un lato accettato in modo negativo come "cerebralismo" che impedisce, come insisteva nel dire Croce, la nascita o lo svolgimento della pura poesia, e dall'altro lato e stato schematizzato astrattamente come antinomia tra la vita e la forma, teoria che si deve al critico Tilgher. Questo articolo si propone di esaminare due punti : individuare il concetto base del teatro pirandelliano attraverso la ricostruzione della sua Weltanschauung ricorrendo fra l'altro al suo saggio principale "L'umorismo" ; affermare che la riflessione pirandelliana e da considerare sempre nell'ambito della letteratura, cioe come un intervento critico nella creazione artistica. Il nucleo del concetto esistenziale ne "L'umorismo" si costituisce nella consapevolezza dell'illusorieta della realta apparente e nella disgregazione tragica dell'io ottocentesco-razionalistico. E qui e gia implicito il rapporto dialettico tra la realta e la finzione, la verita umana e la maschera esteriore, rapporto che approda o anzi trova lo sbocco naturale nella rappresentazione teatrale la cui essenza consiste nella dialettica palcoscenico-vita, personaggiopersona. Lo sdoppiamento umoristico rifiuta l'immedesimazione-illusione su cui si basava la drammaturgia naturalistica, vale a dire, costringe il pubblico a verificare la funzione illusoria del teatro invece di invitarlo a partecipare emotivamente alla rappresentazione scenica, e l'attore a vedere se stesso e quindi a distinguere se stesso dal personaggio nell'atto della recitazione. Quello che sta alla base del teatro pirandelliano e "la finzione consapevole" che, anticipando il teatro epico di Brecht e il teatro assurdo di Beckett e Ionesco, da l'avvio alla rivoluzione del teatro contemporaneo. Dunque, la rivoluzione pirandelliana e da attribuire piu sostanzialmente alla propria visione del mondo e degli uomini piuttosto che alla nuova tecnica espressiva scenica. Tuttavia si deve sempre tener presente che la sua riflessione non e motivata dall'esigenza filosofica e ideologica, bensi dalla sua sofferenza esistenziale della vita. Egli rappresento la crisi e il fallimento del razionalismo europeo nelle figure concrete dei personaggi invece di risolverli sul piano metafisico e teoretico. La smania ragionativa che scaturisce da quasi tutti i personaggi pirandelliani deriva dalla sofferenza del vivere, e ragionare e per cosi dire la passionecondanna dell'esistenza umana. Il conflitto inconsolabile in cui sono imprigionati i personaggi non si presenta in astratto, come un problema da risolvere sul piano filosofico, ma e "la stessa tragica alternativa di Hamlet". Si potrebbe dire che la tragedia pirandelliana nasce appunto dal suo rifiuto di ogni soluzione filosofica, e il motivo fondamentale della problematica pirandelliana dovrebbe essere rintracciato nello scetticismo e nel pessimismo -i germi dei quali si possono scorgere gia nei frammenti di poesie scritte dal Pirandello quindicenne-che perdurano in tutta la sua attivita letteraria e teatrale.
著者
奥津 聖
出版者
山口大学
雑誌
山口大学哲学研究 (ISSN:0919357X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.19-45, 2001

初期ルネッサンスのある時期から、絵画の中に文字を描くことはタブーとなった。遠近法的絵画は自然らしさを追及するものであったからである。二十世紀の欧米の前衛藝術はこのタブーに兆戦した。コンセプチュアル・アーティストたちはついには言語のみを用いた視覚藝術を生みだすに至る。藝術は一行の文章に集約されるというわけである。1989年『中国現代藝術展』でデヴューした中国人アーティストの多くも言語をテーマにする作品を発表し始めた。しかしかれらの作品のコンセプトは欧米のそれとは別のコンテクストから生み出されたものである。この論文では、主として徐冰の作品を取り上げて、かれの問題の所在を内在的に考察することを通じて、かれの作品が言語の構造、言語の本質を問うものであり、言語の構造としての視覚藝術を成立させようとするものであることを明らかにする。 これは「イメージの解釈学の成立」における言語とイメージの問題を考察するための新たな素材を発掘する試みでもある。
著者
光平 有希 Yuuki MITSUHIRA ミツヒラ ユウキ
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科
雑誌
総研大文化科学研究 (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.10, pp.251-271, 2014-03

太古から現代に至るまで、人間は心身の治療や健康促進、維持する手段として音楽を用いてきた。私はそうした音楽療法の奥深い歴史の中で生み出された大いなる遺産を紐解くことが、現代の音楽療法理解にも繋がると考えており、その1例として、本論文ではリチャード・ブラウンの『医療音楽』(1729)を取り上げた。というのも、薬剤師であるブラウンは、これまでは主として哲学者や聖職者が取り上げてきた音楽療法について、初めて医療の立場から『医療音楽』という1冊を割いて、音楽の持つ治療的作用について言及しており、このことは、音楽療法の歴史を考える上で先駆的なものであると考えられるからである。 しかし、同書についての先行研究に関しては、『医療音楽』全体に焦点を当てた著作や本格的な論文は未だ見当たらない現状にある。そこで本論文は『医療音楽』について、ブラウンによって匿名でその2年前に書かれた『歌唱・音楽・舞踊機械論』も参考にしながら、1.書誌学的考察、2.ブラウンの人物像、3.『医療音楽』の内容、4.『医療音楽』に見られる機械論的身体観、5.『医療音楽』で重視された治療原理、と稿をすすめながら、ブラウンの音楽療法を解明することを研究目的とし、それと共に音楽療法の歴史における『医療音楽』の位置づけも試みた。 その結果、ブラウンの音楽療法には、ピトケアン学派の影響が顕著に見られ、その中で治療原理として「アニマル・スピリッツ」と「非自然的事物」という2つの概念を重視していたことが明らかとなった。『医療音楽』は理論書であり、実践書ではないものの、現代の音楽療法と同様に、「歌唱」、「音楽」、「舞踊」を通じてもたらされる生理的、心理的、社会的な効果を応用して、心身の健康の回復、向上を図ることを目的として書かれている。その点で、『医療音楽』はやはり、音楽療法史上、現代音楽療法の萌芽とも言うべく、重要な著作であると考えられる。Since primeval times, people have used music as a component of physical and mental therapy and as a means of promoting and maintaining good health. To fully understand music therapy in its contemporary form, it is crucial to reveal the rich heritage of music therapy in the course of history. This study analyzes Medicina Musica (1729) by Richard Browne. Browne was an apothecary who worked on music therapy, a subject historically taken up primarily by philosophers and clergymen. His contribution in Medicina Musica made him the first to offer insight into music therapy from a medical perspective. Browne's description of the therapeutic effects of music is believed to be a pioneering work in the history of music therapy. In previous studies that treat this book, neither books nor scholarly articles focusing on Medicina Musica in its entirety have been found. This article investigates Browne's music therapy by analyzing Medicina Musica itself. Making reference also to a work that Browne wrote anonymously two years before the publication of Medicina Musica called A Mechanical Essay on Singing, Musick and Dancing (1727), this article includes (1) a bibliographical review, (2) an account of Browne's life and times, (3) a description of the content of Medicina Musica, (4) a description of the mechanistic view observed in Medicina Musica, and (5) a summary of the therapeutic principles found in Medicina Musica. Finally, I have tried to position Medicina Musica in the history of music therapy. Browne's approach to music therapy was significantly influenced by Pitcairn and his students. Furthermore, Browne emphasized two concepts which constitute his therapeutic principles: "animal spirits" and "non-natural things." Even though Medicina Musica is not a practical book but a theoretical one, like modern music therapy it highlights the theme that singing, music, and dancing can aid in the recovery of physical and mental health.
著者
伊藤 徹 荻野 雄 昆野 伸幸 平子 友長 長妻 三佐雄 笠原 一人 平芳 幸浩 松隈 洋 西川 貴子 日比 嘉高 若林 雅哉 秋富 克哉 宮野 真生子
出版者
京都工芸繊維大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究は、日本語としての「主体性」の概念の成立と使用の歴史を、哲学、社会思想、文学、美術、演劇、建築など多様な分野において、追跡したものである。それによって、日本が近代化に伴って経験した人間理解の変化を、多様なアスペクトにおいて解明することができた。また海外の日本文化研究者との共同研究および出版事業を通じて、日本におけるテクノロジーの発展と文化との関係についての知見を国際的に発信することができた。
著者
宇佐美 誠 嶋津 格 長谷川 晃 後藤 玲子 常木 淳 山田 八千子 吉原 直毅 那須 耕介
出版者
東京工業大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究では、法と経済学に関して、法哲学を基軸としつつ経済哲学的・実定法学的な視点も導入した学際的視座から、総合的かつ多角的な考察を実施した。(1)学問方法については、効率性・正義等の基本概念の分析、経済学的法観念と法学的法観念の比較検討、経済学的人間モデルの吟味、法解釈学の射程の論定、厚生経済学の批判的精査を、(2)学問対象については、経済学的研究が従来未開拓だった公的扶助、学校教育、民事訴訟での立証責任分配に関する分析を行った。