著者
松本 隆 マツモト タカシ Takashi MATSUMOTO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.35, pp.286-271, 2014

1874年に翻訳出版された化学入門書『ものわり の はしご』の語彙、特に巻頭の用語解説付録「ことば の さだめ」の見出し項目を分析した。本書は、漢字と漢語を廃し、化学的な現象や物質名を含め、全文を平仮名の和語で訳しており、その語彙分析から主な特徴として次の3点を見出した。(1)和語による造語は、それまでの漢字を用いた造語の流れを汲んでおり、和語でも体系的で簡明な命名が可能である。(2)類義関係にある和語動詞群を使い分けることにより、混同しやすい類似の化学現象を区別して表現できる。(3)漢語よりも和語の方が、現実世界の事象を巧みに言語に写像し命名した例も見られる。つまり本書は、近代の西洋思想を和語で表現し、論旨の通った文章を平仮名で表記できることを、化学の分野で世に示した先駆的実践ということができる。
著者
飯澤 恒 坂部 俊樹 酒井 正彦 草刈 圭一朗 西田 直樹
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. SS, ソフトウェアサイエンス (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.105, no.129, pp.25-30, 2005-06-17
被引用文献数
3

プログラミング言語Malbolgeは, 意図的に言語仕様を難解に設計し, その言語上でのプログラムの作成や解読を困難にすることを目的とした, 難読(難解)プログラミング言語である.本研究では, ソフトウェア保護技術であるプログラムの難読化に応用することを目的として, Malbolge上で高度な機能を実現するためのプログラミングの指針を示す.
著者
田野 大輔
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.71-87, 2000-06-30

ヒトラーについて語る場合, たいてい「カリスマ的支配」の概念が引きあいにだされるが, ドイツ民衆の目に映じた彼の魅力はけっして「英雄性」にもとづくものではなかった.注目すべきことに, ヒトラーはスターリンと違って自己の全身像をつくらせなかったのであり, それは彼がたんなる独裁者ではなかったことを意味している.ナチ体制下のメディアの全体的関連のなかでヒトラー・イメージを考察すると, 彼は-とくに写真において-むしろ「素朴」で「親しみやすい」人間として提示されていたことがわかる.民衆との近さを表現したこの親密なイメージ, 市民的価値に由来する「ごくありふれた人間」のイメージこそ, ヒトラーの人気の基盤だった.「総統」が体現していたのは, 政治を信頼できる個人に還元する「親密さの専制」 (R.セネット) にほかならず, こうした「罪なき個人性」の衣をまとったカリスマの陳腐さは, メディア時代の政治的公共性のありかたを考えるうえで重要な意味をもっている.
著者
古市 憲寿
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.376-390, 2012
被引用文献数
1

本稿は, 1990年代後半以降に政府や経済界から提出された「起業」や「起業家」像の検討を通して, 日本の社会秩序が「起業」や「起業家」をどう規定し, 受け入れてきたのかを分析するものである.<br>バブル経済が崩壊し日本型経営が見直しを迫られる中で, 「起業家」は日本経済の救世主として政財界から希求されたものだった. しかし, 一連の起業を推奨する言説にはあるアイロニーがある. それは, 自由意志と自己責任を強調し, 一人ひとりが独立自尊の精神を持った起業家になれと勧めるにもかかわらず, それが語られるコンテクストは必ず「日本経済の再生」や「わが国の活性化」などという国家的なものであったという点である. 自分の利益を追求し, 自分で自分の成功を規定するような者は「起業家」と呼ばれず, 「起業家」とはあくまでも「日本経済に貢献」する「経済の起爆剤」でなければならないのである. さらに, 若年雇用問題が社会問題化すると, 起業には雇用創出の役割までが期待されるようになった.<br>1999年の中小企業基本法の改正まで, 日本の中小企業政策は「二重構造」論の強い影響下, 中小企業の「近代化」や大企業との「格差是正」を目指すという社会政策的側面が強かった. その意味で, 起業家に自己責任と日本経済への貢献を同時に要求する理念は, 1990年代後半以降の時代特殊的なものと言える.
著者
樋口 麻里 Higuchi Mari ヒグチ マリ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.193-210, 2017-03-31

社会学 : 研究ノート質的データ分析支援ソフトウエア(CAQDAS: Computer-Assisted Qualitative Data Analysis Software)を、有効に利用するには、各ソフトウエアがどのような分析を行うために開発されたのかを理解する必要がある。そこで本稿では、主要なソフトウエアであるAtlas.ti7とNVivo11を取り上げ、それぞれの機能の特徴から、各ソフトウエアの背景にある分析方法に対する考え方を探った。その結果、次のことが示唆された。Atlas.tiは、データに即した抽象度の低いコードを作成し、それらを関連づけながら概念を構築する機能を特徴としていた。これは、データの文脈に根差した分析を重視する、グラウンデッド・セオリー・アプローチの方法に適合的であった。一方、NVivo は、ミックスド・メソッド・アプローチといった、より多様な方法への対応を志向していた。これは、コーディングの機能に、概念構築とデータの分類という二つの異なる機能が備わっていることから考えられる。この機能は、量的データを含む大量のデータを分類して、データ全体の特徴を把握することに適していた。Behind the functionalities of analytical software, there is a methodological philosophy as to how analysis should be done. It is essential to understand such philosophies of each CAQDAS (Computer-Assisted Qualitative Data Analysis Software) in order to use them appropriately for qualitative data analysis. For this reason, this paper explores the functionalities of Atlas.ti7 and NVivo11 to elucidate their philosophical differences. The Atlas.ti can easily handle codes with low abstraction, which enables users to consider the relationship between codes and to construct concepts or theories grounded on data. The NVivo aims to respond to various methods. It emphasizes extracting the characteristics of large amounts of data by examining the data diversely with applying two functions of coding: constructing concepts and classifying the data.
著者
松本 一夫
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.453-474, 1987-11

論文一 はじめに二 建武四年末~尊氏の東国下向までの守護沿革考証について a 建武四年末~貞和年間 b 観応二年八月二五日付高階某奉書をめぐって三 尊氏東国在陣期における守護沿革考証について a 仁木頼章の下野国守護在職説について b 宇都宮氏綱の下野国守護在職説について c 小山氏政の文和二年における下野国守護在職の可能性について四 観応撹乱期における宇都宮・小山両氏の勢威五 東国の伝統的守護の存在形態 : むすびにかえて
著者
青山 怜史 須藤 翼 柿崎 洸佑 三上 修
出版者
日本鳥学会
雑誌
日本鳥学会誌 (ISSN:0913400X)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.11-18, 2017
被引用文献数
2

ハシボソガラス<i>Corvus corone</i>がクルミ(オニグルミ<i>Juglans mandshurica</i>の種子)を高い位置から投下して割って食べていることはよく知られている.ハシボソガラスが効率よくクルミを割るためには,どのくらいの重さのクルミをどれくらいの高さから何回落とすかが重要となる.そこで本研究では,ハシボソガラスのクルミ割り行動の基礎情報としてクルミの性質について理解することを目的とし,以下の3つを明らかにする実験を行った.(1)クルミはどの程度の高さから何回落とすことで割れるのか.(2)クルミの重さによって割れやすさに違いはあるのか.(3)クルミの外見の大きさ(殻の直径)およびクルミ(殻+子葉)の重さと,内部の子葉の重さに関係はあるのか.さらに簡易的に(4)ハシボソガラスは,重いクルミを選択するのかについても実験を行った.その結果,(1)落とす高さが高いほどクルミは割れやすい,(2)重さによって割れる確率に違いは見られないが,重いクルミは殻が欠けて割れ,軽いクルミは縫合線で割れる傾向がある,(3)重いあるいは大きなクルミほど可食部も重い,(4)ハシボソガラスは重いあるいは大きなクルミを選択的に持っていく,ことが明らかになった.
著者
古澤 直人 Furusawa Naoto
出版者
法政大学経済学部学会
雑誌
経済志林 (ISSN:00229741)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.283-337, 2013-03-15

Nobuyori Fujiwara has not been considered a powerful figure in Japan's history, but, thanks to Mr. Yasuo Motoki's reappraisal of Nobuyori since 2004, our understanding has changed and Nobuyori Fujiwara is now judged to have exerted much more power than we thought. In current academic circles, Motoki's views exert a strong influence. This paper is part of the writer's research on the rebellion, and an investigation of the motives behind the rebellion is its first aim. To test Mr. Motoki's ideas is the second. The results are as follows.(1) The reappraisal of Nobuyori Fujiwara cannot be supported.(2) In considering the rebellion, Nobuyori and Shinzei (信西) should not be considered as individuals but as <families>, and we should follow the descriptions given in "Gukansyo (愚管抄)".(3) It seems that Nobuyori felt a sense of crisis before the many able sons of the Shinzei family and when he looked at the next generation, he could not regain the status quo ante through the usual means. (4) The Shinzei family's advance into aristocratic circles evoked strong animosity, especially towards the 2nd or 3rd sons of the middle class aristocratic family. This is presumed to be the background against which Korekata (惟方) and Narichika (成親) and other participants joined forces in the rebellion.