幣束 (@goshuinchou)

投稿一覧(最新100件)

22 0 0 0 OA 気比宮社記

RT @HisadomeK: この神話を微妙にアレンジしたのが『気比宮社記』 https://t.co/qDA2BMsuAQ 保食太神が口から食べ物を出すのを見た月読尊は激怒して天上に帰った。その後、天熊人神が派遣されると、保食太神は既に死んでいた(月読尊が殺したという記述は無…

33 0 0 0 OA 江戸文学選

RT @HisadomeK: @goshuinchou 虱の俗称を「千手観音」と呼ぶので、それを勘違いしたのかも。 https://t.co/UrIVXBdNFC
RT @HisadomeK: コノシロを焼いて火葬を偽装するエピソードは本地物の神社縁起などによく出て来ますね。 子持神社(群馬県渋川市)、大神神社(栃木県栃木市)、鷲宮神社(埼玉県久喜市)、静岡浅間神社(静岡県静岡市)など。 https://t.co/BUhA4j2KBo

14 0 0 0 OA 大日本仏教全書

RT @HisadomeK: これ、面白いなあ! 『拾遺往生伝』巻中の浄蔵法師の項https://t.co/Cf3zPQe3Crによると、浄蔵は天慶三年正月廿二日に横川で坂東賊首平将門調伏の為に大威徳法を修したそうですが、その大威徳明王が将門と合体してるのですね。 https:…

4 0 0 0 OA 国訳禅学大成

RT @HisadomeK: 鎌倉時代の臨済僧・無象静照の『興禅記』に「弘法大師、禅宗秘法記を述して曰く、自證は曹渓の流れを酌み、化佗は恵果の旨に在りと」と記されているので、(空海の真撰か偽撰かはともかく)鎌倉時代には「禅宗秘法記」が存在していた可能性は有ります。 https:…

24 0 0 0 OA 大日本地誌大系

RT @HisadomeK: 中山神社の末社・荒脛神社のお守りのデザインは遮光器土偶なんですね。 『新編武蔵風土記稿』 https://t.co/2q83iUMo3j にも記載のある由緒ある荒脛社ですが、『東日流外三郡誌』の影響を受けてしまっているのか。 https://t.c…

10 0 0 0 OA 史籍集覧

RT @HisadomeK: 天狗の正体は不明ですが、『神明鏡』によると、応永32年9月8日に鎌倉御所が炎上し、鶴岡八幡宮で狐が鳴き、今宮の傍に天狗が大木を以て家を作ったそうです。 https://t.co/nLDGnoiTE2 https://t.co/JGDchWfiCa

26 0 0 0 OA 太平記

RT @HisadomeK: 『太平記』の「神泉苑の事」のヴァージョンだと、守敏が軍荼利明王、空海が大威徳明王の法を修し、両明王の射た流鏑矢が空中で当って落下するところが好きです。 https://t.co/GZev6kQlxZ https://t.co/ih1SUqI6xK
RT @HisadomeK: @goshuinchou 熱田神宮もそうですね。末社の大福田社(大幸田神社)の創建の由来に平将門追討祈願の話が出てきます。 https://t.co/eRnvkzkfvT
@ideal_real いやー私も元寇と鎌倉時代豆知識!みたいな軽い本で知っただけなので詳しくはちょっとわからないんです申し訳ないです 論文はあるようです。 https://t.co/9ikJfPO0aB

14 0 0 0 OA 大日本仏教全書

RT @HisadomeK: これ、面白いなあ! 『拾遺往生伝』巻中の浄蔵法師の項https://t.co/Cf3zPQe3Crによると、浄蔵は天慶三年正月廿二日に横川で坂東賊首平将門調伏の為に大威徳法を修したそうですが、その大威徳明王が将門と合体してるのですね。 https:…

24 0 0 0 OA 大日本名所図会

RT @HisadomeK: 『尾張名所図会』https://t.co/SVuCigYPnuによると、津島牛頭天王社(現在の津島神社)の末社・蛇毒神社に八岐大蛇の霊を祀っていました。現在は荒御魂社と改称し、須佐之男命荒御魂を祀っていますが。 https://t.co/kABer…

90 0 0 0 OA 国史大系

RT @HisadomeK: 「一二三四五六七八九十而布瑠部由良由良止布瑠部」は『先代旧事本紀』の天神本紀https://t.co/0AfZAeUkXcに記載されていますから、平安時代には遡れるはず。 https://t.co/Lcn9Y8P0pn
RT @knada40: TLに流れてきた「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究」の内容の粗さに驚く。民俗学や中世〜近代史の人はどう思うのか。これで査読が通るとは...... https://t.co/2gnt8WVnoo
RT @temmusu_n: @hyousen @gishigaku 失礼します。細井浩志「中国天文思想導入以前の倭国の天体観に関する覚書 : 天体信仰と暦」https://t.co/99xuWg7iTh には、ミカは大きなという意味でミカバチ、ミカグリなどの用例があると紹介さ…

お気に入り一覧(最新100件)

@goshuinchou 発掘調査報告書では南側がスロープ上になっていたのでそこを利用した、と考えられています https://t.co/D5Z4D3kQ6h
鯨骨鳥居!いつか拝見したいと願っていたので、大変うれしいです。興味のある方向けにリンクをば。台湾の鵝鑾鼻神社や、色丹島の斜古丹神社・樺太の恵比寿神社の鯨骨鳥居の画像があります。 「鯨骨鳥居」は西欧の鯨骨門から転化した https://t.co/zBJ5RIhXqj https://t.co/GqNraih4Bq
@goshuinchou 検索したら「定印上に宝塔を載せる弥勒如来像の研究」の梗概が見つかりました。 https://t.co/M0ejIIxX1c
ちゃんとした論文は、大谷正幸「失われた浅間社の痕跡 城郭と富士塚地名から富士信仰文化圏へ」(宗教研究』400号、2021年)をご参照ください。 https://t.co/8ynUyoNLO7
@goshuinchou 参考までに 柳町 時敏「斉明天皇に祟る「鬼」・『書紀』の方法についての覚書-『扶桑略記』研究余滴-」 https://t.co/I7yUW5rIsU
@goshuinchou 観念的にそもそも生理や出産など女性の不浄という観念は、平安に遣唐使が持ち帰った「唐渡り」の考えで、神道にも取り入れられ今に至りますが日本土着の本来の観念でないのは資料からも定説。 ネトウヨの情弱ならいざ知らず、神職のくせにそれも知らないのがいるのに驚き https://t.co/OmNcNfnSut
明治初期飯田下伊那地価軽減運動史序論 飯田下伊那地域で地租軽減に粘り強く戦った平田派について上述されています。民権・国権の二分論では語り尽くせない明治国学の姿があります。 https://t.co/0AoRNkM4Mm
@goshuinchou 民話の類型化については恐らくウターの『国際昔話話型カタログ』が標準的ではないかと思います。 件の民話については810A*「司祭と悪魔」として立項されています。 ただし類話の分布はアジアでは中国と日本だけが挙げられており、インドネシアは未報告のようです。 https://t.co/DhOT7JkTsi
近代大礼における神楽秘曲――賀茂百樹『通俗講義登極令大要』と多田好問『登極令義解』を通して ―― 瓜田理子 https://t.co/zoM9DZjRj1 官製の「浦安の舞」後半部に似てるかな(´・ω・`) https://t.co/to6i7jun7H
@goshuinchou 罰則がアルハラ。 https://t.co/tsnHLyNYdp https://t.co/VxnNGZvvY0
@goshuinchou 高野山の水銀鉱床と真言宗の修験道の関係が書かれている論文です。少し古いですが、よろしければ。 「日本水銀鉱床の史的考察」 https://t.co/yN2pUuzyav

9 0 0 0 OA 国史大系

@goshuinchou @Sawayaka_san 史料で茶が確認できるのは、『日本後紀』巻二十四(弘仁六年四月癸亥)。 嵯峨天皇が近江国滋賀の韓埼(唐崎)に行幸された記事中に「大僧都永忠、手づから茶を煎じ奉御す」と記されています。 https://t.co/MBWDpoGsmA https://t.co/KfrQU5ND8f
@goshuinchou 一方では戌亥は祖霊神や福をもたらす神が行き来する方角として尊ばれたともあります。面白そうな論文見つけました。 古代の内神について : 胆沢城跡出土木簡から発して https://t.co/Q62wuM78DN

4 0 0 0 OA 神社と史蹟

@goshuinchou 鳴尾浦の漁師の網に神像がかかった時は「吾は是蛭児神なり。国々を廻りて今此処に来れり、是より西の方に好き宮地あり、彼の所に居らんと欲す。汝よく図らば幸を与へむ」と夢のお告げが有ったのでした。 https://t.co/j0Wn8XEoSj
井上章一が秦氏=ユダヤ人説とか太秦(うずまさ)大秦寺由来説をクソミソにdisってる文章見つけた 日本人とネストリアン https://t.co/mdgi0a8KG5

51 0 0 0 OA 源平盛衰記

@goshuinchou 『源平盛衰記』ですね。 「我天岩戸に有し時、落たりし剣也と仰す」 https://t.co/uKkKK7fBIf

27 0 0 0 OA 群書類従

祝部行丸『日吉社神道秘密記』には「八王子、俗形、束帯赤袍、太刀を帯す。千手。国狭槌尊。八十万神を引率して天降る」とあります。 https://t.co/A4nWrsMqkH

51 0 0 0 OA 源平盛衰記

@goshuinchou 木曾義仲は白山権現の三馬場に戦勝を祈願。 https://t.co/19iQq76b7o 合戦後には「義仲が力に非ず、偏に白山権現の御計にて平家は亡びにけり」と言い、金劔宮に馬を奉納しています。 https://t.co/zNbmJnFay7

51 0 0 0 OA 源平盛衰記

@goshuinchou 木曾義仲は白山権現の三馬場に戦勝を祈願。 https://t.co/19iQq76b7o 合戦後には「義仲が力に非ず、偏に白山権現の御計にて平家は亡びにけり」と言い、金劔宮に馬を奉納しています。 https://t.co/zNbmJnFay7

51 0 0 0 OA 源平盛衰記

@goshuinchou 木曾義仲の「火牛の計」が出て来るのは『源平盛衰記』の第二十九巻です。「四五百頭の牛の角に松明を燃して平家の陣に追入る」と書かれています。 https://t.co/I5lBkAwhG5

90 0 0 0 OA 国史大系

@goshuinchou 『釈日本紀』に引用された『天書』逸文によると、伊弉諾尊が温突血(カグツチ)を斬った時に赤霧が天漢(天の河)に達して星と成り、それが神と化して、磐裂(歳星)、根去(熒惑)、磐筒之男(太白)、磐筒之女(辰星)、経津主神(鎮星)と、五星の精が生まれました。 https://t.co/hddf4dWKPc

2 0 0 0 OA 大日本史料

慶長19年に東福寺の集雲守藤が浅間新宮(静岡浅間神社)について「又此神者、木花開耶姫、天津彦々火瓊々杵尊妻也」(『集雲和尚遺稿』)と記しており、木花開耶姫説は慶長年間にはある程度広まっていたと考えられます。 https://t.co/ZKMdFZDJRV https://t.co/ymXoWdeAN2
江戸時代には高倉山山上の古墳は「天岩戸」として信仰され、近くには参拝者相手の茶店も有ったそうです。 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも、弥次・喜多は外宮参拝の後に高倉山に登って岩戸を拝観していました。 https://t.co/ToX7Ow95gp

27 0 0 0 OA 群書類従

『走湯山縁起』には、伊豆山権現の容儀を「俗躰、其の長は八尺、壮齢五十余、頭に居士冠子を戴き、身に白素衣裙を着し、健陀色の袈裟を係け、右手に水精念珠を持し、左手に錫杖を把る。柔和忍辱、慈悲和雅也」と記していました。 この神像では居士冠ではなく烏帽子ですが。 https://t.co/ckkzXZq5xI https://t.co/sZKZPTQ615

22 0 0 0 OA 訓讀日本書紀

例えば、みんなが大好きな「鶺鴒も一度教へて呆れ果て」の元ネタは『日本書紀』の一書にあるエピソード。 https://t.co/ivs2s2U0eB
@QZvWJwdFMpmt0vq まず下記は犬を使った呪術が中国の蠱毒を起源とし日本で特異に呪術として広まったものであり密教と無関係である事を示す学術論文です 《密教と犬を用いた呪術を関連つける学術資料》があるなら提示して下さい 『犬神に関する一考察』 戸川巧基著 皇學館論叢第五十巻第一号 https://t.co/gzHN00nfDP
足半については、草履でなく、下駄でなく、そして機能目的の履き物であるため、近代化の中で真っ先に消えていくものと考えたかの渋沢敬三がアチックミューゼアムの最初の共同研究項目としたのね。いわばまだ「民具」の概念が育つ前に目をつけられた「プレ民具」。 https://t.co/bzKGNy1y4i
1975年以前と2000年以前の調査結果を比較すると、「雑煮の味が味噌仕立てであった地域が半減し,すまし仕立てが増えた」そうです。論文を探すと出てきました。地図でも比較されてます。 「日 本 の 食 文 化 研 究 と 地 域 性」 https://t.co/D2NXUcCnas

4 0 0 0 OA 伊水温故

かつて、伊賀国一宮の敢国神社には相殿で甲賀三郎が配祀されていました。 菊岡如幻『伊水温故』は敢国社の祭神・御神体を  少彦名命ノ神体 仙人ノ影像也。  金山比咩ノ神体 蛇形蟠容儀。  相殿甲賀三郎霊儀 十一面観音座像 と記しています。 https://t.co/yPeOeWHoOZ

7 0 0 0 OA 塩尻 : 随筆

@goshuinchou また、天野信景『塩尻』巻之十一 https://t.co/WF09FgfX1F には「大和国金峯山蔵王権現は吉野に立、安閑天皇皇陵也。蔵王権現は宣化帝三年吉野に現すといへり」と書かれています。 宣化帝三年説は『先代旧事本紀大成経』が出典だったと思います。

13 0 0 0 OA 国民思想叢書

@goshuinchou 江戸時代の文献では時々見かけますね。 林羅山『本朝神社考』中巻の金峰山の条 https://t.co/q1FWNzJ9kQ に「世に伝ふ、金峯山の権現は、勾大兄国押武金日の天皇なり」と書かれています。"金峰"と"金日"が通じるという事らしい。
佐藤洋一郎氏によるイネの遺伝子の多様性を比較したDNA研究(の誤解?)については、科学雑誌に技術的な詳細が発表されていないなど疑問が呈されており、専門家の間で水田稲作の朝鮮半島経由説の否定が確定したとはとても言えないようです。初期の古代DNA研究では、 https://t.co/xOn5NBOLvY

43 0 0 0 OA 訓読日本書紀

@goshuinchou 筍じゃなくて笥。 『日本書紀』にも「角鹿の笥飯大神」「笥飯神」と書かれている古い表記です。 https://t.co/f6z4BrxH6H https://t.co/bcYaw3Fson https://t.co/Ro98m80uUe

43 0 0 0 OA 訓読日本書紀

@goshuinchou 筍じゃなくて笥。 『日本書紀』にも「角鹿の笥飯大神」「笥飯神」と書かれている古い表記です。 https://t.co/f6z4BrxH6H https://t.co/bcYaw3Fson https://t.co/Ro98m80uUe

45 0 0 0 OA 訓読日本書紀

@goshuinchou 筍じゃなくて笥。 『日本書紀』にも「角鹿の笥飯大神」「笥飯神」と書かれている古い表記です。 https://t.co/f6z4BrxH6H https://t.co/bcYaw3Fson https://t.co/Ro98m80uUe

22 0 0 0 OA 気比宮社記

この神話を微妙にアレンジしたのが『気比宮社記』 https://t.co/qDA2BMsuAQ 保食太神が口から食べ物を出すのを見た月読尊は激怒して天上に帰った。その後、天熊人神が派遣されると、保食太神は既に死んでいた(月読尊が殺したという記述は無い)。この保食太神を「笥飯太神」と崇めたのが気比神宮。 https://t.co/oePyZFT6aX

7 0 0 0 OA 太平記

そもそも「神璽」が勾玉である事も忘れられて、魔王の手形(『平家物語』剣巻 https://t.co/SzwxxBMhNX)であるとか、魔王の誓約書(『太平記』の「日本朝敵の事」https://t.co/NkHe7g3EbE)であると伝えられています。 https://t.co/4Gux7tNklz

26 0 0 0 OA 平家物語

そもそも「神璽」が勾玉である事も忘れられて、魔王の手形(『平家物語』剣巻 https://t.co/SzwxxBMhNX)であるとか、魔王の誓約書(『太平記』の「日本朝敵の事」https://t.co/NkHe7g3EbE)であると伝えられています。 https://t.co/4Gux7tNklz
事例の1つである今小路西遺跡から出土した頭蓋骨の写真はこの論文に載ってます。論文では「首実検後に首だけが遺族に返されず、そこに仮埋葬されたものらしい」と推定されていますが、はたしてそんなことがあるんだろうか????? https://t.co/tS4InVcnbZ https://t.co/y6qz28oS23
@goshuinchou @rurusekakiha 何故か下巻だけ国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。 https://t.co/N4a0ma6GkA 上巻は図書館送信限定 https://t.co/acbZ9JE5sW
@goshuinchou @rurusekakiha 何故か下巻だけ国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。 https://t.co/N4a0ma6GkA 上巻は図書館送信限定 https://t.co/acbZ9JE5sW

90 0 0 0 OA 国史大系

卜部兼方『釈日本紀』では『日本書紀』の「素戔嗚尊、結束青草、以為笠蓑、而乞宿於衆神」の箇所に『備後国風土記』逸文(疫隈国社の条)を引用しています。つまり、衆神に宿を乞う素戔嗚尊の姿に、蘇民将来兄弟に宿を乞う武塔神の姿を重ねる意図なのです。 https://t.co/3jtV07htnx https://t.co/fv0tiEdNQD

8 0 0 0 OA 備後叢書

『備陽六郡志』所収の「備後州品治郡早苗山天龍院天王寺祇園社祠記」によると、天平勝宝年間に行基が備後国に来て当社に法楽を捧げると、「吾は浄瑠璃界の主である、衆生を済度するためこの地に現れた」と神託があり、行基は医王善逝(牛頭本地)を彫刻しました。 https://t.co/UrdVI4qwwA https://t.co/XiA8Bfhu7h

43 0 0 0 OA 訓読日本書紀

@goshuinchou ちなみに、戦前の岩波文庫版『訓読 日本書紀』では、一番面白い箇所が削除されています。 https://t.co/17F44QCOsw
【NEW論文】「馬巷城隍廟の保長公(白無常)信仰 ―無常鬼像の変遷を探るための一事例として―」 厦門を意味もなくずんずん歩いていた時に発見した無常鬼の祠(しかも3箇所!!)についての論文。僕の論はともかくこういう場所があるという事を知っていただきたい!ダウンロード↓ https://t.co/r4JO9yLao5 https://t.co/5LjVROcnI2

1 0 0 0 OA 伊曽乃神社志

この『伊曽乃神社志』ですが、神仏分離前の神宮寺についてもきちんと書かれています。 https://t.co/dIAZ9DSIEZ

1 0 0 0 OA 伊曽乃神社志

昭和12年の『伊曽乃神社志』 https://t.co/6rqtzlkpLr では摂社・古茂理神社は「祭神詳ならず」でしたが、現在は木花之佐久夜毘売命を祭神としています。 https://t.co/ZLfoi94YtD
@goshuinchou 那珂湊『補陀落渡海』の資料ありましたhttps://t.co/dUmgrPC47r
論文が出ました。石垣島で日本未記録のフエダイをたくさん釣り、フタホシフエダイと名付けました。ときにホソフエダイと呼ばれてきた種です。魚類学会会員しか見られませんので必要な方はDMください。青背景の未公開写真と、つっ、釣れた~うぉぉぉ!!!ってとこを貼ります。 https://t.co/3RiGQYa5g2 https://t.co/lTno9NsX9K
意外な収獲だったのが、曽根研三『伊和神社史の研究』。 https://t.co/zI3T5hYlQd 播磨国一宮の伊和神社に関する中世の縁起の内容が記載されており、同社および関連諸社の本地仏が判明しました。 https://t.co/Q6fpgji7qM

1 0 0 0 朝日村誌

今日は市の中央図書館で国会図書館デジタルコレクションの図書館送信資料を閲覧。 主目的は『朝日村誌』に掲載された湯殿山権現の縁起。大日坊の「大日坊由来」と注連寺の「亀鏡志」を読むことが出来ました。 https://t.co/621UDyzZI8

5 0 0 0 OA 伝教大師全集

@ikkaisai 最澄の「六天講式」(これが最澄の真撰か仮託かは分かりませんが)の荒神式にこの偈が出て来ます。 https://t.co/cjWFim3mYq

6 0 0 0 OA 志貴山縁起

@goshuinchou 首輪かな?な部分、写しでしたら拡大して見れます。 以上、ご参考まで。 信貴山縁起 [ コマ番号15 ] 国立国会図書館デジタルコレクションより https://t.co/fJ1qcBCFOh
中世諏訪の神仏習合史における「諏訪流神道」の研究 https://t.co/c635ezqppe えっ

90 0 0 0 OA 大日本地誌大系

『新編相模国風土記稿』巻56の日蓮宗妙伝寺(厚木市上依知)の条には「無量光寺開祖一遍、同村遊化の時日蓮配流の由を聞、当所観音堂に来て日蓮に謁見す、是を因として当寺と無量光寺は世々の住持今に音信を通ずといへり」という記述が有ります。 https://t.co/nmxivQa23G https://t.co/JR0oyCgEak
@qhqhP50LVPVWamy @goshuinchou 資料です 明治六年の火葬禁止令における火葬観について 西野 光一 佛教文化学会紀要 1999 年 1999 巻 8 号 p. 92-115 DOI https://t.co/lcMQwnEb5P https://t.co/RQpRIrqA5O

33 0 0 0 OA 江戸文学選

@goshuinchou 虱の俗称を「千手観音」と呼ぶので、それを勘違いしたのかも。 https://t.co/UrIVXBdNFC
@goshuinchou >隠れキリシタンと似たような隠れ念仏の信仰が秘密裏に伝わった。 正直、禁教前から本願寺の主張する教理と離れたものが割と伝わってた節が。 薩摩に「山伏神子門長類、占祈濤いたし一向宗を勤め候」との記録が。 CiNii 論文 - 真宗禁制と山伏および売薬商人 https://t.co/MidZlxr77i #CiNii

11 0 0 0 OA 国史大系

@goshuinchou この話はホントに収録されているのですね。 https://t.co/K3IQ3U4iA4 https://t.co/cC2Gy0T1dB

2 0 0 0 OA 弘法大師全集

@goshuinchou 空海の『御請来目録』には「救抜焔口陀羅尼経一巻」が掲載されています。 https://t.co/uEe4ss8SMM また、空海が恵果の教えを記したとされる『秘蔵記』には「施餓鬼ノ義」を説いた一節が有ります。 https://t.co/71QhfMuuGh (『秘蔵記』の著者が空海かどうかは議論の余地が有りますが)

3 0 0 0 OA 弘法大師全集

@goshuinchou 空海の『御請来目録』には「救抜焔口陀羅尼経一巻」が掲載されています。 https://t.co/uEe4ss8SMM また、空海が恵果の教えを記したとされる『秘蔵記』には「施餓鬼ノ義」を説いた一節が有ります。 https://t.co/71QhfMuuGh (『秘蔵記』の著者が空海かどうかは議論の余地が有りますが)
西行が行った「反魂の術」について、史学や民族学の観点から考察した論考 《「反魂の秘術」から「生活続命の法」へ》中村一基著 かなり面白いですぞ! 西行が勧進聖であった事〜高野山奥の院の納骨/舎利信仰〜平安貴族の間でよく知られていた「反魂香」〜いわゆる立川流等々 https://t.co/BBEL4pBdjr https://t.co/Xmho4t3VDC

26 0 0 0 OA 平家物語

『平家物語』剣巻によると、内侍所に奉斎されていた宝鏡は、天岩戸神話の八咫鏡とは別物でした。 「手摩乳は、姫(稲田姫)の助かりたる事を喜び、尊(素盞嗚尊)を聟に取り奉る時、円さ三尺六寸の鏡を引出物に奉る、(中略)かの聟引出物の鏡は、今の内侍所是なり」 https://t.co/2ZcqSXD1fO

13 0 0 0 OA 国民思想叢書

@goshuinchou この『国民思想叢書 神道篇』の有難いところは、林羅山の「本朝神社考」が収録されていることです。 https://t.co/vPruWfCh1o

13 0 0 0 OA 国民思想叢書

@goshuinchou 『国民思想叢書 神道篇』に「神道大意」の書き下し文が収録されています。 国立国会図書館デジタルコレクションで読めます。 https://t.co/8tZg6ObvDe
神国教に関するオンラインの資料は非常に少ないんよな… 「井口丑二と神国教 : いわゆる地方改良との関連において」 https://t.co/Sf17kn2vvI
恩師から新著をお恵みいただきました。サイケデリックな装丁が目印!表紙の写真は、村上辰午郎『最新式実験催眠術講義』の「プランセット」の章の写真ですね。国会図書館のデジタルコレクションで見られます。 https://t.co/Wiok9Fu9rx https://t.co/7BomTjT05J
@tanz0r_kitune @goshuinchou インド文明・日本文明シュメール起源説に基づく釈迦族・日本民族同祖論を説いた高楠順次郎先生ですな(こら、自分) https://t.co/kTGCaI7bjp
拙稿「『諏方大明神画詞』諏方社祭絵第四、六月晦日条考―「藤嶋ノ明神」をめぐるテクストの諸相―」が、北大の機関リポジトリHUSCAPで読めるようになりました。 風神録製品版からちょうど12年というタイミングの昨年8月に出た、所謂「諏訪大戦」についての最新の論文です。 https://t.co/NMVagbudL5

43 0 0 0 OA 訓読日本書紀

@goshuinchou この箇所ですね。神功皇后三十九年。 https://t.co/K8Sp8IQiAD

28 0 0 0 OA 石神問答

#1日1地図 No.95  サバ神社マップ 境川流域とその周辺にはサバ神社が密集している。 古くは柳田国男先生にも特殊な例として紹介されている。(石神問答p57 https://t.co/2zUuVH0TVK) #地図で見る神奈川 https://t.co/2iWB2gGIMS
@goshuinchou ちなみに、同書には大社の神仏習合の様子も記されています。 「宮中を見れば御正台と申して鏡の如き内に、仏像を鋳顕し(中略)社の西に輪蔵あり、三重の塔あり、大日堂は胎蔵界、本尊は行基の作なりなどほこる」 https://t.co/MhaSHcFEkk
@goshuinchou 出雲大社の慶長造営の社殿について、黒沢石斎『懐橘談』は以下のように書き残していました。 「正殿南向、柱は九本、何も丹青にて彩り、後の不堊不丹といふ聖法神勅とは事かはれり」 https://t.co/rw0vqTaRt9
『名古屋の名所旧蹟(昭和13年)』という本を読んでいたら、「法浄寺犬御堂の黒犬像・白犬像」というのが出てきた。 なにこれ、めちゃくちゃ可愛い。 https://t.co/SOYX1MYn0K https://t.co/STyedTsqoy

26 0 0 0 OA 平家物語

@hyousen @goshuinchou あえて挙げるなら、『平家物語』剣巻の「此剣大蛇の尾に在りし時、黒雲常に覆ふ。故に天叢雲剣と名づけたり。此の大蛇は、尾より風を出し、頭より雨をふらす、風水龍王の天降りけるなり」かなと思うのですが、雨は大蛇の尾ではなく頭から降っているんですね。 https://t.co/MzS9cpDOlF

24 0 0 0 OA 大日本地誌大系

中山神社の末社・荒脛神社のお守りのデザインは遮光器土偶なんですね。 『新編武蔵風土記稿』 https://t.co/2q83iUMo3j にも記載のある由緒ある荒脛社ですが、『東日流外三郡誌』の影響を受けてしまっているのか。 https://t.co/T7dV5oVAVw
CiNii 論文 -  琉球列島における「女性の霊的優位」の文化史的位置 https://t.co/f2MN7rJqT3 #CiNii 「儒教や仏教の影響で女性を排除した本土神道が失ったものが、琉球に残っている」的な言説(比嘉康雄みたいな)は無理があり、首里王府が広めた比較的新しい祭祀形態なのでは、と……

4 0 0 0 OA 甲斐国志

@goshuinchou 魔王天神社の神楽のツイート、楽しみにしています! なお、『甲斐国志』を見ると、鳴澤村の神社として春日明神と魔王社が掲載されているので、同書の編纂された文化年間には「魔王社」と呼ばれていたようですね。 https://t.co/HxytpNgnc8
@_GHOST_CHASER されてないですね(以前とあるツテでバックナンバーを見せてもらった男) ここにシリーズのまとめが載っている号の紹介があるので参考になれば https://t.co/b0ohHH1GjC

10 0 0 0 OA 史籍集覧

天狗の正体は不明ですが、『神明鏡』によると、応永32年9月8日に鎌倉御所が炎上し、鶴岡八幡宮で狐が鳴き、今宮の傍に天狗が大木を以て家を作ったそうです。 https://t.co/nLDGnoiTE2 https://t.co/JGDchWfiCa

4 0 0 0 OA 国訳禅学大成

鎌倉時代の臨済僧・無象静照の『興禅記』に「弘法大師、禅宗秘法記を述して曰く、自證は曹渓の流れを酌み、化佗は恵果の旨に在りと」と記されているので、(空海の真撰か偽撰かはともかく)鎌倉時代には「禅宗秘法記」が存在していた可能性は有ります。 https://t.co/6OV8ark7C8 https://t.co/6KMOfvJ292
@goshuinchou 論文だとhttps://t.co/8piAiI2OI3 https://t.co/sjuPqYT2rb ですかね

26 0 0 0 OA 太平記

神璽は鏡・剣に比べて神話上の存在感が薄いので、中世には第六天魔王に由来するという説が生まれました。 『平家物語』剣巻 https://t.co/c1KbIcNcqr 『太平記』 https://t.co/fLS5c6KReW

26 0 0 0 OA 平家物語

神璽は鏡・剣に比べて神話上の存在感が薄いので、中世には第六天魔王に由来するという説が生まれました。 『平家物語』剣巻 https://t.co/c1KbIcNcqr 『太平記』 https://t.co/fLS5c6KReW
CiNii 図書 - 明治維新後に於ける氏子制度の展開 https://t.co/XHnlq8w3xH #CiNii あ、この本面白そう。神祇院の本で1943年刊…。

52 0 0 0 OA 国史大系

富士山の山頂に大日寺が創建された事は『本朝世紀』の久安五年(1149)四月の条に記されています。「駿河国有一上人。号富士上人。其名称末代。攀登富士山。已及数百度。山頂構仏閣、号之大日寺」 https://t.co/Am8T3UuJS3 https://t.co/FKpvJH5DaE

50 0 0 0 OA 船形山の民俗

「船形山手引草」は『船形山の民俗』で翻刻されています。 https://t.co/2Sq2db8V8e https://t.co/eZHnUFgmjS

26 0 0 0 OA 太平記

『太平記』の「神泉苑の事」のヴァージョンだと、守敏が軍荼利明王、空海が大威徳明王の法を修し、両明王の射た流鏑矢が空中で当って落下するところが好きです。 https://t.co/GZev6kQlxZ https://t.co/ih1SUqI6xK
「1954年に公開された『ゴジラ』は、終戦し、復興し、明るい未来に向かっていく戦後日本に対し、忘却されかけていた過去の怨念(原爆・戦死者など)が報復に来る映画」という解釈、原点は川本三郎さんの”「ゴジラ」はなぜ「暗い」のか”あたりかと https://t.co/x7KJ5HTbAT

90 0 0 0 OA 大日本地誌大系

昨日は神奈川県愛甲郡愛川町の八菅山に行って来ました。 標高225メートルの低山ですが、昔は京都聖護院直末で、本山派修験道の関東における重要拠点の一つ。この八菅山を拠点として相模大山一帯を回峰する独自の峰入りが行われていたそうです。 https://t.co/KURg4vBEbb https://t.co/9O5KduXA4A
@goshuinchou 熱田神宮もそうですね。末社の大福田社(大幸田神社)の創建の由来に平将門追討祈願の話が出てきます。 https://t.co/eRnvkzkfvT

27 0 0 0 OA 群書類従

『尾張国熱田太神宮縁記』https://t.co/Kt32ShBV5pには「新羅沙門道行」と書いて有りますので、同縁記の成立した時期(平安末期~鎌倉初期)には新羅僧と考えられていたようです。 https://t.co/2jBAIxSV68

123 0 0 0 OA 大日本地誌大系

初詣として深沢地区の寺社を参拝して来ました。 梶原の御霊神社 『新編相模国風土記稿』巻百五(鎌倉郡深沢庄)より梶原村https://t.co/33p4LVKiDP: ○御霊社 村の鎮守とす、鎌倉権五郎景政が霊社なり、木像二躯を神躰とす(一は長一尺二寸余、一は少しく小なり、景政夫婦の像なりと伝ふ) https://t.co/U81V4ojYWB

40 0 0 0 OA 大日本地誌大系

鎌倉の鶴岡八幡宮の本地仏も愛染明王でした。『新編相模国風土記稿』https://t.co/Tl7LOgNcM0には「愛染堂 楼門の西にあり、像は運慶の作、即八幡の本地仏なり」と記されています。 一方、『御殿司億持記』には「八幡大菩薩 本地阿弥陀」とあり、愛染・阿弥陀の両説があった事が判ります。 https://t.co/E0mTjQ34My

43 0 0 0 OA 訓読日本書紀

大神神社の摂社・活日神社のご祭神である高橋活日命(『日本書紀』では"高橋邑の人活日")が杜氏の祖神とされているのです。 https://t.co/8nZyngr6nX https://t.co/MUAaf2bZiM

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