- 著者
-
宇田川 洋
- 出版者
- 一般社団法人 日本考古学協会
- 雑誌
- 日本考古学 (ISSN:13408488)
- 巻号頁・発行日
- vol.1, no.1, pp.155-167, 1994-11-01 (Released:2009-02-16)
- 参考文献数
- 67
北海道の擦文文化(8~13世紀頃)の指標である擦文土器の中には,底部外面に記号状のものが線刻されているものがある。「刻印記号」と呼んでいるが,浅鉢や坏形土器に多く認められる。道内で36遺跡から発見されているが,その分布は,日本海岸北方域,石狩川上流域,石狩川下流域・千歳川流域・小樽方面域,日本海岸南方域という日本海側に偏っている。そこで考えられるのは,日本海を挟んだ大陸側との文化交流である。シベリア大陸では,女真文化から後期青銅器文化の時代のものが報告されている。それらには,北海道の記号と類する「×」「-」「○」記号およびそれらの変種を含んでいる。その目的は,「護符の役割」「陶工記号」などがいわれている。中国大陸における場合は,金代から新石器文化の時代まで幅広く認められている。戦国~周代が特に多いようであるが,中国の研究者によると,それらの多くは甲骨文字あるいは金文に関係するものの如く説かれている。さらに新石器時代のそれについては,とくに仰韶文化に多く見られ,甲骨文字につながる要素を含むといえる。ここで問題にすべき資料がある。それは続縄文時代の余市町フゴッペ洞窟の岩壁画といわれるもので,「仮装人像」(シャーマン)の具象から抽象へすなわち記号化のプロセスが刻まれている。そして記号化されたものは,擦文土器の刻印記号とかなり類似しているものである。フゴッペ洞窟の例に類するものは,小樽市手宮洞窟においても発見されており,それは早くから鳥居龍藏らによって突厥文字との関係がいわれているものである。ところで,最近,シベリアでの古代突厥文字(ルーン文字)が再評価されてきている。それはヨーロッパのステップ地帯とアジア地域のものに分けられているが,後者の8~10世紀のルーン文字が北海道と関連する可能性が指摘できる。それらは,ストレートに結びつくことはないにしても,直接に日本海を渡った文化の流れが想定できるのである。現在,渤海と北日本との関係が注目されてきつつあるが,それに関連する問題提起として,当論文が役立てば幸いである。