著者
佐々木 宏
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.113-136, 2014

現代福祉国家を構成する生活関連の諸施策(本稿では一括して「社会福祉」と呼ぶ)とそれにまつわる知は,学校教育,医療,司法の営みと同じく,20世紀後半にモダニズム批判として登場したポストモダニズムの諸論から「近代の抑圧的統治の装置」として,しばしば批判されてきた。本稿では,ポストモダニズムからの批判に対し,社会福祉政策とソーシャルワークにかんする諸理論がどのように応答してきたのかを整理した。この作業のねらいの一つは,ポストモダン以降の社会理論の可能性を検討することである。と同時に,日本社会において近年ますますその存在感を増している社会福祉という営みの内省の試みでもある。このような目的をおき,まずは,ポストモダニズムによる社会福祉批判を概観した。次いで,社会福祉からの応答を,社会福祉学の中核の動向と社会福祉という営みを哲学的に下支えする規範理論の動向に分けて整理した。これらの作業を通じては,ポストモダニズムからの批判に対する様々な応答のなかで,民主的対話の実現によって社会福祉の営みと知を常にオープンエンドにし続けておくという,「参加」を鍵概念とする応答が最も建設的であることが浮き彫りとなった。この点を確認した上で,「参加」を鍵概念とする応答が示唆している,後期近代における人間と社会をめぐる思考が錨を下ろすべき場の所在を,ポストモダン以降の社会理論の可能性として指摘した。
著者
横山 輝雄
出版者
科学・技術研究会
雑誌
科学・技術研究 (ISSN:21864942)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.37-41, 2022 (Released:2022-06-28)

科学と社会の関係が変化し、科学者は自分の専門領域で研究を進めるだけでなく、社会に対して積極的にかかわることが求められるようになり、「科学者の社会的責任」についても新たな視点が求められている。「科学と価値」の問題について科学哲学でなされてきた「認知的価値」と「社会的価値」についての議論,とりわけクーンやラウダンのそれを、科学技術社会論における、ラベッツの「ポスト・ノーマル・サイエンス」や、コリンズの「科学論の第三の波」の議論と関連させて、科学と社会の関係におけるタイプの違いを区別する必要がある。「不定性」がある場合、科学においても参加型が求められ非専門家の関与がなされるが、その場合社会的価値と認知的価値を区別し、専門家の暗黙知の役割に配慮することが必要である。
著者
小林 登
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1963, no.13, pp.16-30, 1963-03-31 (Released:2009-07-23)
著者
鈴木 雄大
出版者
The Philosophy of Science Society, Japan
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.5-25, 2016-12-20 (Released:2017-09-29)
参考文献数
19
被引用文献数
1

The aim of this paper is to argue for the anti-causal theory of action by associating separate ideas of action with one another: the logical connection argument, the anti-psychologism of reason, teleology, the disjunctivism of intention and the disjunctivism of bodily movement. I will also defend the anti-causal theory from the famous objection called “Davidsonʼs challenge” and reveal that the fundamental idea of the anti-causal theory is that an intention to act and the action itself do not exist independently of each other.
著者
竹村 瑞穂
出版者
現代文化人類学会
雑誌
文化人類学研究 (ISSN:1346132X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.2-11, 2021

<p> 本稿では、競技スポーツ界が要求する競技者の身体の自然性にまなざしを向け、そこに浮かび上がる矛盾や問題性について指摘したい。</p><p> スポーツとは、じつに長い歴史をもつ人間の身体文化であるが、その過程で、科学技術の恩恵を受けながらさまざまな変貌を遂げてきた。トラック環境一つ取り上げてもその変化には驚かされるものがあり、科学技術による外的環境の改変が、スポーツ・パフォーマンスを向上させてきたことは事実である。このようなスポーツの高度化の過程において、外的環境の改変とともに注目に値するのは、スポーツをする人間の身体に向けられた改変への志向、すなわちドーピングの問題である。</p><p> ドーピング問題に対する倫理・哲学的研究の中では、ドーピングを禁止する直接的な根拠は見当たらないという議論も展開されてきた。ドーピング禁止理由の一つの論点に「身体の自然性」という視点があるが、しかし、この自然な身体こそが競技スポーツ界で排除の対象となる場合も生じている。先天的にテストステロンの値が高い女性アスリートの場合は、この身体の自然性こそが問題視され、ナチュラル・ドーピングとして人為的にその自然性を治療しなければ競技に参加できないような事態が生じているのである。</p><p> 競技スポーツ界において求められる身体の自然性とは、いったい、どのような自然性なのだろうか。生殖細胞や体細胞を操作する遺伝子改良は"自然"なのだろうか。先天的にテストステロン値が高い女性アスリートは先天的に"自然ではない"のだろうか。このような疑問を背景に、競技スポーツ界が求める身体性をめぐる揺らぎと、要求する"恣意的な"自然性の在りようを読み解くこととする。</p>
著者
屋良 朝彦
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1996, no.47, pp.276-285, 1996-05-01 (Released:2009-07-23)

Merleau-Ponty qualifiait la réversibilité de «vérité ultime». «La réversibilité» exprime la fonction ontologique d'alterner les deux termes <le voyant-le visible>, <le touchant-le touché>, tout en les faisant demeurer dans la même chair. Et plus il soulignait l'importance d' «une réversibilité toujours imminente et jamais réalisée en fait». Je ne parviens jamais à me toucher touchant. Il y a quelque chose qui déborde cette réversibilité. Le but de cette essai est rechercher le sens de l'imminence de la réversibilité. Est-ce la latence de l'Être ? ou la transcendance de l'Être ? ou la transcendance même au-delà de l'Être ? La possibilité de déchirer l'ontologie de la chair serait montrée, qui est «l'impensé» dans la dernière philosophie de Merleau-Ponty.
著者
香川 秀太
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.171-187, 2019 (Released:2019-03-26)
参考文献数
31
被引用文献数
5

本稿では,これまでの経済中心の資本主義社会ないし新自由主義に代わり構想され,出現しつつある「未来の社会構造」に関する哲学的諸議論(とりわけ,柄谷行人の交換論とHardt & Negriのマルチチュード)に着目し,それらと心理学的フィールド研究,ないしヴィゴツキー派心理学の活動理論との発展的な接合を試み,ポスト社会構成主義(ないしポスト活動理論)への道筋を探る。具体的には,第一に,Scribnerによる「歴史の四層構造モデル」を用いて従来の活動理論研究の限界を指摘し,各々の共同体や個人史レベルの議論だけでなく,社会構造の世界史に着目した議論の必要性を論じる。第二に,活動理論家Engeströmによる「生産様式の世界史」の議論の限界を指摘し,それを乗り越えうるものとして,柄谷の交換様式の世界史の理論を取り上げる。第三に,「次の社会」の萌芽的な事例として,相模原市藤野周辺地域での,資本制の価値観を乗り越えうる諸活動に着目する。第四に,事例をふまえて,従来の交換論や贈与論が,「独立した自己と他者」の間の「有体物・無体物の行き来」という移送(トランスファー)の言説に依拠してきたことを指摘し,この「移送的交換」では「次の社会構造」の展開が困難なことを指摘する。そして最後に,移送的交換がもたらす,「財の獲得か贈与か」の二元論を越える概念として,「創造的交歓(creative intercourse)」を提案する。
著者
申 昌浩
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2000

本博士論文は、現在の韓国政治、文化の枠組を支える「韓国的ナショナリズム」の形成過程に、いかに宗教が大きな役割を果たしているかについて考察したものである。その宗教は、特に、日本という近代国家によって開国を迫られ、近代化の課題に直面していた朝鮮半島において、東学、親日仏教、プロテスタント(改新教)の三つが新たに成立したのである。そして、それらの成立の背景としては、東アジアを取り巻く国際情勢、とりわけ日本と韓国との政治的ダイナミズムが深い関わりをもっている。それゆえ、本論文では三つの宗教のそれぞれの成立と展開を、政治的な背景と関連させつつ、考察する。<br /> 第一に東学について。東学は19世紀後半、朝鮮半島で初めて成立した自生宗教であり、朝鮮王朝の封建的な儒教中心の既存の政治体制と両班による政治政権の掌握と運用に新たな変革を求めたものである。それは民族の宗教としての始まりと、民衆の真意を反映した民族主義と民族運動を成立させる役割を果たした。そして、特権身分階級として政治的・経済的な支配者である両班とその儒教体制による封建的な社会構造に対して挑戦を挑んだ民衆レベルの宗教であった。この東学の誕生は、間接的な原因ではあるが19世紀の朝鮮王朝の支配を突き崩すほどの力を発揮したといえるだろう。民衆運動と宗教運動を基盤にして形成された東学は、開国以後、日本帝国の経済的な進出に対しても積極的に対抗し、民族の自主と自立の精神を培養しようとした。この東学の民族主義は、宗教の問題であると同時に、政治的な問題であるといった方がよいだろう。東学が唱えていた思想は、朝鮮末期の政治問題や経済問題に民衆を結集させ、宗教的な内容よりもむしろ自由民権の宗教的哲学根拠を提供し、近代的な改革や社会変革を求める政治的な内容がより強く表出するものであった。この時期に形成され始めた民族主義は、国家ナショナリズムというよりも、民衆レベルでの民族の危機意識と開化精神の始まりといえよう。東学思想は19世紀後半期において、封建体制の対外的危機に対応する、農民や商人、賎民、没落両班の階級的利害、欲望、要求を反映した民衆運動として登場し、韓国の民族主義形成に大きく関わりを持っている政治的なものであった。しかし、日韓併合後の東学は日本帝国の政治的な力の前に内部分裂を繰り返し、民族宗教としての存在感が薄くなってしまった。その結果、解放後においても民族を支える宗教としての役割や政治舞台の中心に立つことはできなかったのである。<br /> 第二に親日仏教について。これまで仏教は幾度も民族的な危機に際して民衆を支えてきた伝統宗教であった。しかし、朝鮮時代の儒教的な政治体制から排除されることによって、町からその姿を消し、山に閉じこもるようになった。政治政権を掌握している儒者たち、いわゆる両班からの政治的な抑圧と蔑視と差別によって、朝鮮の仏教は非政治的な宗教集団となっていた。この仏教が、1876年の開国と共に朝鮮半島に進出してきた日本の僧侶によって復活し、政治的にも再生されるようになった。朝鮮仏教の宗教活動が解禁されたのは、日本帝国の経済的な進出が活発な時期であり、朝鮮王朝の儒教思想にも民衆を統制する力がなく、国運が傾き始めた頃のことでもあった。開国以来、日本の経済的な進出と1895年の日本の僧侶による嘆願によって、解禁されたため近代韓国仏教の始まりを「親日」仏教の始まりであるともいっている。朝鮮仏教は日韓併合後も政治的性格が日本の政治的支配や宗教政策に対して大きな反発を示す宗教運動や政治的な活動や動きも少なかった。また、解放後の成立した新政府による仏教浄化政策よって、親日仏教というレッテルを貼られるようになった。<br /> 第三はプロテスタント。1880年代に入ってきたキリスト教は、いわゆるプロテスタントのことであるが、儒教社会に迫害を受けたカトリックとは違い、封建的な社会であった朝鮮に近代的な先進文物や教育をもたらした宗教である。キリスト教は国を失った人々に、独立に対する熱望と組織的な体制を与え、近代韓国に本格的な民族的アイデンティティをもたらし、自覚することを可能にしたといえる。キリスト教教会は信者を中心に一般民衆が独立運動や民衆運動に積極的に参加する基盤を提供する役割を果たすと共に成長した。この韓国的キリスト教は、いわば純粋な聖書を土台にした信仰の基礎を作り上げることによって形成されたものではなく、愛国啓蒙運動や抗日民族運動の拠点を築く際に形成されたのである。それが日本帝国の植民地下での反日民族独立運動に参加し、韓国特有の民族イデオロギーを形成し、成長させることに結びつくことになる。その後、日本植民地からの解放されたキリスト教は、政治的・宗教的な苦難に対抗したことを様々な民族的な苦難を乗り越えてきた信仰的伝統にも結びつけるのである。そして、多くのキリスト教者は解放に伴って成立した新国家建設に参与し、教会の再建を図るために、儒教的な権威主義を背景にもつ西洋キリスト教者と結びつくようになったのである。<br /> 以上、三つの宗教を取り上げ、韓国的な民族主義宗教の形成と展開を近代韓国における、いわゆる政治と宗教の状況について論じてきた。封建的な儒教体制に挑戦するために民衆を結集させた力を持つ東学、親日的政治的な性格が付けられている韓国の近代仏教、日本帝国に立ち向かい愛国啓蒙運動や民族主義運動の立て役者となり、解放後は南北に分断された国土で共産主義に対抗し、大きく成長、定着したキリスト教に要約されよう。要するに、韓国的ナショナリズムの形成は、とりわけ宗教が同時に政治思想を帯びていたことを特徴とするのである。
著者
直江 清隆
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.61-78,211, 1990-10-31 (Released:2017-02-15)

In diesem Aufsatz wird gezeigt, Mannheims "Relationismus" als eine Ausdruckweise von "Seinsverbundenhiet" zu interpretieren und dadurch es von dem sogenannten "kulturellen Relativismus" zu unterscheiden. 1 . Seine in 1920-22 geschriebene Aufsätze und Schriften zeigen, daß Mannheim kulturelle Gebilde überhaupt (also auch Wissen) als eine spezifische Objektivität auffaßte. Sie sind, nach ihm, weder dinghaftig noch bloß subjektiv, sondern sinnhaftig. Diese Auffassung, die offensichtlich vom Neukantianismus stark beeinflußt wird, weist seinen nicht-psychologistischen Standpunkt. 2 . (1) Im einen nachläßigen Schrift (,Eine soziologische Theorie der Kultur und ihre Erkennbarkeit, 1924?) kann man seine Wendung zum Historismus sehen. Kulturgebilde werden nicht mehr, wie beim Neukantianismus, als absolut gültig gesehen. Mannheim sagt, daß die Behauptung von der absoluten Gültigkeit der Kulturformen einen künstlichen Produkt der Aufklärung ist. Aus der Kritik vom Neukantianismus also gelangt er zu dem Schluß, daß es nicht absoute Gültigkeit der kulturellen Gebilden gibt und diese immer als Funktion jeweilliger Gemeinschaft oder Gemeinschaftserlebnisse aufgefaßt werden müssen. (2) Aus diesen Schrift kann man auch seinen "Perspektivismus" tiefer verstehen. Nach ihm sind kulturelle Gebilde (als soziale Realität) und ihre Erkenntnis zwei verschiedenen Typus von kulturellen Gebilden überhaupt (oder Kollektivvorstellungen) und man kann sie als Momente von demselben Erfahrungsraum verstehen. Das bedeutet, daß der Gegensatz von an sich seienden objektiven Kulturgebilden zu subjektiven (und aus irgendwelcher soziologischen Gründe beschränkten) Gesichtpunkten für Mannheim nicht mehr Problem ist. "Perspektivismus" ist nicht ein Ausdruck von diesem Gegensatz, sondern er drückt seine eigentliche Behauptung aus, daß Erkenntnis (oder Wissen) ein Glied der Sozialen- "totalität" sei. Folglich können wir seine These von "Seinsverbundenheit", einerseits als Ablehnung der absolute Gültigkeit der Kulturformen (insbesondere Wissensformen), anderseits als Ausdruck der Beziehung der Erkenntnis zur Sozialentotalität, interpretieren. 3 . Das bedeutet nicht einfach die Relativität der Erkenntnis auf dem Sozialensein. Mannheim erblickt soziale Differenzierung der Wissensformen innerhalb einer Gemeinschaft und ihre gegenseitigen Bestimmungs- und Bedingungsverhältnisse. Er versucht, durch die Auffassung von diesen Verhältnisse, Relativismus zu überwinden. "Dynamische Relationismus" ist nicht mehr wertfreie Vergleichung mehrere Wissensformen, sondern er versucht, aufgrund der durch dieser Vergleichung gewonenne Totalität, sie zu werten. Mannheims Relationismus daher eröffnet den Weg zur kritische Vergleichung der Wissensformen und zu ihre Vereinigung in der mannigfaltig gespalteten Gegenwart.
著者
後藤 蔚
出版者
東洋大学
巻号頁・発行日
2009-03-25

2008
著者
清水 颯
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.237-251, 2022-01-31

本稿では,義務づけ(obligatio / Verbindlichkeit)の根拠をめぐる18世紀ドイツ倫理思想を,完全性(perfectio / Vollkommenheit)との関連から考察する。完全性を実現するよう自らを義務づけるという発想を倫理学の原則として採用するのは,18世紀のドイツ倫理思想においては常識的見解だったからである。例えば,当時の講壇哲学を席巻していたヴォルフ学派の倫理学においては,完全性を求めることが倫理学の基本原理となっている。ここでは,三人のヴォルフ学派の思想家を取り上げる。 ヴォルフはライプニッツから多大な影響を受けながら,「多様なものの一致(Zusammenstimmung)」と定義される完全性を倫理学の中心概念へと据えた。完全性へと向かっていくよう努力することが人間には義務づけられており,それは自らの自然本性によって要求されるために,義務づけの根拠は「自然の法則(Gesetz der Natur)」となる。それゆえ,完全性へ努力する義務は「自己自身に対する義務」であると明確に打ち出しているヴォルフは,カントの義務づけ論の始祖とみなすことができるだろう。 その次に取り上げるモーゼス・メンデルスゾーンは,理性によって洞察される完全性を求めることを原理としたヴォルフ的な理性主義的完成主義の枠組みをほとんどそのまま採用している。しかし,理性だけではなかなか行為へと動かされない人間のあり方を鋭く見抜き,感情的側面と蓋然性を積極的に評価する点で,メンデルスゾーンの倫理学はヴォルフの倫理学とは異なっていた。 三人目として,カントが直接的に影響を受けていたバウムガルテンを取り上げ,完全性へと義務づけられるとはどういうことかを『第一実践哲学の原理』に則して紹介する。その際,カントによってバウムガルテンの著作に書き込まれた記述や講義録から,カントのバウムガルテンへの批判点にも注目する。最後に,カント以前の義務づけ論がカントへ流れていった形跡に簡単に触れることで,18世紀ドイツ倫理思想史の一側面が明らかにされる。
著者
成瀬 翔
出版者
日本福祉大学全学教育センター
雑誌
日本福祉大学全学教育センター紀要 = The Journal of Inter-Departmental Education Center (ISSN:2187607X)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.59-68, 2017-03-31

When we examine the theory of fiction, we usually consider the impact on arts and literatures. However, the most famous theorist Kendall Walton has attracted the attention other than arts and literatures. This paper considers an application of the Walton's theory in social philosophy. The contents of this paper are as follows. In Section 2, I will examine theory of make-believe. In Section 3, I will purpose an application to sports of theory of make-believe. Finally, in Section 4, I will consider John Searle’s idea: brute and institutional (or social) fact. And, I suggest that theory of make-believe is beneficial in social philosophy.
著者
北村 直彰
出版者
The Philosophy of Science Society, Japan
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.1-17, 2014-07-30 (Released:2015-07-24)
参考文献数
9

This paper aims to precisely characterize the theoretical significance of the notion of truthmakers. First, the closeness of the alleged principle of truthmaker theory and the realistic intuition on which it rests is assessed, thereby determining to what extent a certain kind of general objection against truthmaker theory carries weight. Second, the principle of truthmaker theory is reformulated on the basis of this assessment, and truthmaker theory is argued to offer a methodological role for identifying fundamental entities that ground metaphysically nonfundamental truths. The discussion suggests a sophisticated nonQuinean criterion of ontological commitment.
著者
吉野 裕介
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.299-320, 2022-03-10

本稿の目的は、フリードリッヒ・ハイエクのカール・マルクスに対する評価の変遷を抽出し、その意義を闡明することである。ハイエクの長い執筆活動のほとんどは、自由主義(資本主義)の擁護と、社会主義の批判に費やされた。にもかかわらず、膨大な書き物のうち、マルクスあるいはマルクス主義に関する言及は、ほとんど断片的と言えるくらい限られている。この理由を探ることで、ハイエクの社会主義批判の意図がより明確になるのではないか。こうした問題意識に基づいて、本稿は、第1節で初期ハイエクの経済理論的考察、第2節で中期ハイエクの方法論的考察、第3節で後期ハイエクの社会哲学的考察の3つに活動時期を区切り、それぞれの時期におけるマルクスへの言及を抽出したうえでその意義を考察した。かくして、ハイエクによるマルクス批判は確かに徹底的とは言えないものだが、それはかれがマルクス思想の背後にある科学主義や合理主義を批判したことが一因だと結論付けた。