著者
嶋津 武仁
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告音楽情報科学(MUS)
巻号頁・発行日
vol.1993, no.93, pp.9-15, 1993-10-23

アジアではじめて開かれたICMC93は、先日、9月15日、無事に終了した。科学と音楽の接点として、今日その権威と内容の豊かさにおいて、比べられるものがない国際会議であるといっていいだろう。その音楽における成果はもとより、その開催に向けて採られてきた様々なプロセスもまた、意味ある遺産になりうるものと思う。ここではそうした、プロセスをたどりながら、その成果と問題点、そして課題を考え、この会議のテーマとなった「新しき地平線」が真に実現せられるべきための、今後のこの会議のありかたにも言及してみたい。さらに現代の音楽における、この国際会議の意義についても、考えを述べ、より広範な音楽芸術のなかにおける位置づけについても考えてみたい。On September 15. the ICMC93 held in Asia as the first time was closed without serious trouble. It might be said that ICMC is the most important international conference on the point of its authority and the richness of its contents in the world today. I think not only the results on music but the process might be also the significant fortune in a short future in Japan. Here I'd like to report on the process at first and then on its results and problems and also on this conference as it ought to be in the close future. And, still more, I'll mention the significance of this conference in the contemporary music and I'd like to try to place the computer music as one of musical arts.
著者
小菅 健一
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.89-101, 1996-12-10

川端康成には本人が処女作と規定している作品が、「十六歳の日記」・「ちよ」・「招魂祭一景」の三つある。それぞれの特徴や作品相互の関係、さらには、<処女作群>としての存在意義を考察していきたいのだが、本稿では、純粋な創作活動の上で最も早い時期に書かれていて、表出(表現)行為における川端康成の問題意識が顕著に表われた、「十六歳の日記」を取り上げて、"日記"や"小説"という表現形態や作品構成の問題、その延長線上にある、《作品》概念の問題などを論じていくことによって、人間が自己の体験した様々な出来事を書いていくという行為自体を考察したものである。特に、焦点を絞って分析したことは、印象深い体験を作品化したにもかかわらず、まったく記憶に残らないということが、どういうことを意味しているのかを、表現主体である<私>という存在の内部世界において繰り広げられる、対象物の受容と定着、描出に関する基本的なメカニズムの問題である。
著者
山中 正樹
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.A41-A51, 1999-03-31

敗戦と相次ぐ知己の死去は、川端康成に大きな衝撃を与えた。それは川端文学に一貫して描き続けられたテーマをより根源的なものへと深化させることになる。そのため戦後の川端文学は、表面的には戦前のそれと大きく相貌を異にすることとなった。しかし<呪縛>と<解放>という観点から作品を眺めたとき、川端文学を通底する基本的な構造が浮かび上がってくる。本稿ではまず「古典回帰」といわれた戦後の川端の出発をふまえた上で、戦後作品にもつながっていく初期作品の特徴について考察した。
著者
高 啓豪
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.13, pp.35-47, 2013

個人の身体は、他者とのつながりによって初めて社会性を持つ。これを体現した言葉のひとつに「貞操」があると思われる。この言葉は、極めて私的な領域のものでありながら、公での評価によって初めて意義を持つという、両極端の意義を具有している。本発表では、明治時代の上野で起きた戊辰戦争と内国博覧会を背景に描いた芥川龍之介の「お富の貞操」を貞操のテクストとして取り上げ、語り手・芥川龍之介が駆使した貞操のレトリックを再考し、読み解いていきたい。物語の場所は明治元年と明治二十三年の上野というトポスである。同一の場所ながらも、そこに付与される意味合い・ニュアンスが時代推移によって変わる特徴的な作品として、近代化が表象され可視化されるのである。そこから戊辰戦争という戦時中における非戦闘員である女性に加えられるレイプという形の暴力問題、婦人貞操問題、ひいては日本の近代化などの問題を、身体論の視点から考える。物語のタイトル「お富の貞操」に鑑みて、作品の主人公がお富であることはたやすく思いつく。本作は、お富の持ち前のおおらかな性格が、家庭を幸福へと導く物語であることとの読み解き方が多かった。しかし、語り手芥川が、本作品を第三人称で描いているため、物語においてもう一人の登場人物新公にも同様の重みが置かれていることは見過ごされがちである。新公の立身出世が語られる結末があるからこそ、そこには描かれていないテクストとして、新公の改心談が対等的に存在すると思われる。そこで、本作品と芥川が題材を得たとみられるストリンドベリィの「令嬢ジュリー」(一八八八年)との比較を皮切りに、登場人物の男女の位相、男性の持つ上昇志向などを併せて論じたい。また、近代化では個人の自覚が要請されるが、結局のところ、本作での「近代化」は明治政府による国家の傘下に厳重に管理され、内国博覧会という形で収束されるメタファーとして描かれていると思われる。本発表は、一九二〇年代に発表された「お富の貞操」という作品を取り巻く言説の中から、近代化の中で貞操という概念は如何に確立され、国家の中においてどう機能しているかを考察する。「貞操」は女性のためにあるものか、男性のために作られた制度か。これは、身体・セクシュアリティのアプローチを通して考えると興味深いものである。
著者
常松 淳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.152-169, 2007-09-30

日本の法の世界では,「要件=効果」モデルを核心とする「法的思考」に収まる形で"ナマの"紛争を再構成することが自らの活動を法的なものにすると考えられている.民事訴訟において裁判官は,この枠組みに即して権利(不法行為責任の場合なら損害賠償請求権)の有無を判断することになるわけである.このような法的枠組みと,紛争当事者からの非‐法的な期待や意味付けとが齟齬を来すとき,社会からの自律を標榜する法は一体いかなる仕方でこれに対処しているのか? 本論文は,不法行為責任をめぐる近年の特徴的な事例――制裁的な慰謝料・懲罰的損害賠償を求めた裁判や,死亡した被害者の命日払いでの定期金(分割払い)方式による賠償請求――の分析を通じて,この問いに答えようとするものである.これらのケースは,法専門家によって広く共有された諸前提――不法行為制度が果たすべき目的に関する設定や,定期金方式を認めることの意義など――と相容れない要素を含んだ請求がなされた点で共通するが,前者は全面的に退けられ後者は(一部の訴訟に限っては)認められた.法の条件プログラム化がもたらす「(裁判官の)決定の結果に対する注意と責任からの解放」(N. Luhmann)という規範的想定と,法専門家に共有された制度目的論が,諸判決で示された法的判断の背後において特徴的な仕方で利用されている.
著者
仲矢 史雄 加藤 智成 井村 有里 片桐 昌直
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第4部門, 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.161-167, 2012-09

海外における先進的な科学教育の現状を捉えるため,アメリカにおいて科学教育アウトリーチ活動が盛んである事情を分析するとともに,日本のスーパーサイエンスハイスクール事業を通じて行われている海外科学教育研修について調査を行った。さらに,附属高校天王寺校舎が実施しているスーパーサイエンスハイスクール事業の高校生海外研修に同行し,アメリカの大学が提供する発展的な内容を含む科学教育アウトリーチ活動,高校・大学間の連携に関する取り組み,先進的な科学教育に特化した高校での授業や課題研究の取り組み,および科学博物館での教育活動について調査を行った。The concern with science outreach programs has been growing for the last several years in Japan. In this paper, we take up outreach in America, are quite active, and study-tours of abroad for Super Science High School (SSH) students, participated in outreach programs of abroad universities and research institutes. We reported as a case of abroad study-tours of Tennoji High School attached to Osaka Kyoiku University.
著者
今久保 伸二 中土 保 大橋 弘嗣
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2002, pp.249-249, 2003

【はじめに】股関節外転筋力は歩容に大きく影響する。この度、人工股関節全置換術(THA)の前後において筋力が同等であるが、術後早期に歩容改善を認めた症例を経験した。そこで力学的な側面から検討を加え、歩容の安定化に影響した要因を調査した。【対象】57歳女性、身長148cm、体重50kgで左右とも進行期変形性股関節症であった。【経過】平成2年から左股関節の疼痛を自覚し、他院受診し変股症の診断を受け保存療法を継続していた。疼痛増悪にて平成13年2月当院整形外科を受診、当部において荷重下での運動療法を開始する。経過良好であったが、平成14年7月ごろより再度疼痛増悪し、平成14年10月に左THA施行にいたる。【方法】三次元動作解析装置(バイコン512)を使用し、術前と術後14日目の静止立位・片脚立位および歩行時における股関節内転角、モーメントおよび反対側骨盤挙上角度を求め、術前後の値を比較した。歩行速度は自由歩行とした。なおキンコム500Hを用い術前後に股外転筋力測定を行い、側臥位にて股関節中間位より最大等尺性収縮を5秒間記録し、その中の3秒間の値を平均し実測値とした。【結果】(1)実測値は術前67Nm、術後60Nm。(2)片脚立位時の最大内転角は、基準となる立位と比較して術前3.5度外転位、術後2.7度内転位で、その際反対側骨盤挙上は3.6度と1.1度であった。(3)片脚立位時の最大内転モーメントは術前15.3Nm、術後13.9Nmで、それぞれ最大内転後0.2秒後と0.17秒後であった。(4)歩行立脚期における股関節最大内転角は、術前13.5度、術後8.4度で、それぞれ踵接地から0.16秒後と0.19秒後であった。また同時期の反対側骨盤の下制は6.2度と2.8度であった。(5)歩行立脚期の股関節最大内転モーメントは術前23.8Nm、術後33.1Nmで、それぞれ最大内転後0.08秒後と0.07秒後であった。【考察】術前後ともに実測の股関節外転トルク値は、歩行および片脚立位時内転モーメントを大きく上回り、筋力的には十分と考えられる。その中で術前は股関節外転位・骨盤挙上にて片脚立位を安定化させる代償性の姿勢を取り、歩行立脚期には過度の骨盤下制を認めた。しかし術後は14日目という早期でありながら、股関節内転位で片脚立位が可能となり、より正常に近い姿勢が保てるようになった。その際モーメントの立ち上がり時間に遅延を認めたが、これは予測しにくい片足立ちという動作の特性が影響したと考える。また一般に変股症患者の歩行では、筋収縮タイミングの遅延が認められる。本症例においては術前において歩行中アライメントの崩れを認めたものの、モーメントの立ち上がりに関する遅延は認めなかった。荷重時のモーメントの立ち上がりが術前で失われなかったことが、早期の歩容改善をもたらした要因ではないかと考える。
著者
依田 博 YODA Hiroshi
出版者
京都女子大学
雑誌
現代社会研究科論集 (ISSN:18820921)
巻号頁・発行日
no.1, pp.39-64, 2007-03

本論文の目的は、ギデンズによる地政学的観点からの現代国家の類型に基づいて国家の多様性を示すことにある。そして、現代国家の地政学的位置は、当該国家の国内の政治経済状況の変化の影響を最も強く受ける、という仮説を検証する。冷戦が終結した現在、アメリカ合衆国が唯一の「中軸的/覇権的国家」であり、日本は、一貫して「中心的/(アメリカとの)同盟国家」である。中国とインドは、「中心的/非同盟国家」であり、中国は、安保理常任理事国としての国際的なスケールでの中心的国家であり、インドは、南アジア圏のそれである。インドが安保理常任理事国になると、国際的なスケールでの中心的国家になる可能性がある。両国は、長期にわたって国境紛争をかかえており、いずれも核保有国であり、中心的/非同盟国家としてライバル関係にある。また、かつてはいずれも帝国主義的な領域支配の野心を持たない「帝国」としての歴史を持っていたが、19世紀から20世紀前半にかけての帝国主義時代に領域を帝国主義国に蹂躙された経験を経て、両国は、現代的な中軸的/覇権的国家へと移行する可能性がある。つまり、国家がどのような姿を示すのかは、その国民がどのような政治体制のあり方を望むのかによってのみ決定されるのではなく、国際関係のあり様にも影響を受けるのである。The purposes of this paper are to identify the patterns of international relation of nation states from point of view of geopolitics, and to verify the hypothesis that the geopolitical position of any nation state would be influenced by a change of the international relation and internal conditions of the nation states. Most important elements of internal conditions are population, GDP, and military.
著者
御手洗 昭治 ミタライ ショウジ Shoji Mitarai
雑誌
比較文化論叢 : 札幌大学文化学部紀要
巻号頁・発行日
vol.6, pp.A41-A54, 2000-09-30

小稿では国際交渉による紛争解決の視点から、(1)インドとパキスタンが世界の潮流に逆らってまでなぜ核実験を行ったのか、(2)また他の国際社会が両国の挑戦にいかに対応すべきなのか、(3)加えて他の米ロを含む五大核保有国がCTBT著名問題や不核拡にどう対応するのかについて、元米国国務長官であったヘンリー・キッシンジャーや他の外交交渉の専門家達の見解も含め、ナショナリズムにも照らし合わせながら若干の考察を加えてみたい。なお、2000年3月21日にニューデリーで行われた歴史的接近へのファースト・ステップといわれた「米印首脳会談」に関するインド・パキスタン戦略交渉史に関しては、昨年オランダの国際政治心理学会で発表した内容も含め、他の学会誌等で論陣を張ってみたい。
著者
鎌田 美穂 辻 さやか 韓 立坤 藤原 信太郎 中川 泰治 高橋 宏輝 高瀬 嘉彦 岩永 哲朗
出版者
The Society of Cosmetic Chemists of Japan
雑誌
日本化粧品技術者会誌 (ISSN:03875253)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.93-100, 2014

本研究では,ポリグリセリン脂肪酸エステル(PGFE)を用いて,バイコンティニュアス型マイクロエマルションからなるメイク落とし製剤の開発を行った。HLBの異なるPGFEを混合し,さらに水の一部をポリオールに置き換え,系の相対的なHLBを調整することによってマイクロエマルションを得ることができた。PGFEおよびポリオキシエチレン(POE)型非イオン界面活性剤の油/水系の相図を比較すると,PGFEは低濃度から広い温度範囲でI相領域を形成することがわかった。これは,POE型非イオン界面活性剤と異なり,PGFEのHLBは温度の影響を受けにくいことを示している。実使用試験では,バイコンティニュアス型マイクロエマルションを用いた製剤の特徴が評価された。メイク落としは目の周りにも使用されることを考慮し眼刺激性試験も行ったところ,安全性が高いことが示唆される結果が得られた。よって,PGFEを用いたことにより界面活性剤が低濃度においても温度依存性の少ないマイクロエマルションが得られ,高い機能性と使用性および安全性を兼ね備えた製剤を開発することができた。
著者
青木 孝義 マッゾン ニコラ ヴァルッツィ マリア ローザ カザリン フィッリポ モデナ クラウディオ
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
構造工学論文集. B (ISSN:09108033)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.99-105, 2010-03-27

Dynamic test and analysis are very important to obtain reliable information relating to actual structural properties of existing multi-leaf stone masonry buildings. For this purpose a series of the shaking table tests of the two-story multi-leaf stone masonry buildings is carried out. This paper consists of two parts. The first part deals with dynamic identification of the two-story multi-leaf stone masonry building and the second part covers its damage detection by numerical model updating.
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1206, pp.54-56, 2003-09-01

東京・渋谷から電車で約30分の住宅地にある宮前平東急ストア(川崎市)。外見はごく普通のスーパーだが、その精肉売り場に立つと、一目で商品の違いに気づく。神戸牛の正規取扱店を示す認定書を掲げた棚には、1切れ4452円のステーキ肉が鎮座する。
著者
堀越 孝一
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.163-207, 2002-03-25

「パリの住人の日記」は15世紀前半、パリで暮らした人が書き残した日記である。名も素性も知られていない。日記とは呼ぶが、その実、出来事の回想、一年を振り返っての感想文など、覚え書きふうの記述も目立つ。唯一たしかな15世紀後半の書体の写本がヴァチカン図書館に保存されている。フォリオ版の紙187枚を綴じた冊子であって、最終ページが9行で終わっている下の余白に筆生マシオの署名が見える。ほぼ同時期にやはりパリで暮らし、「ヴィヨン遺言詩」と総称される詩集を残した文人がいたが、その詩集が収められている詞華集のひとつで、パリの国立図書館の分館であるアルスナール図書館が保存する詞華集の最終ページにジルベー・クークィ、ジャン・マシオ、クロード・マシオの三つの人名が見える。ヴァチカン写本の「マシオ」は、このジャンかクロードかが同一人と思われる。日記の一番古い日付の記事は1405年9月のもので、一番新しいのは1449年10月の記事である。ブルグーン家とオルレアン家の張り合いが、オルレアン侯ルイの闇討ち事件(1407)を切っ掛けに党派の争いに展開し、そこにイングランドのランカスター王家が、またそろノルマンディーに兵を入れる(1415)。日記はそのあたりからパリの暮らしの日常と非日常を記録し始める。かれは二十歳代の若者だったろうか。四十年後、老人のかれは、サンマーティン大通りのモーブエの水場のあたりに、仮舞台が組まれていて、「平和と戦争の物語」が演じられていたと実見報告する。これが残された一番最後の記事であって、なにかかれはかれの日記は「平和と戦争の物語」だといいたげではないか。"Pari no jUnin no hikki"(in French, it is called customarry''Journal dlun bourgeois de Paris")is the journal of a person who lived in Paris in the first half of the fifteenth century. Neither its writer's name nor his social status is known to us, Only one verified manuscript is preserved in the Vatican Library. Its calligraphy points to the second half of the fifteenth century. The book contains 187 folios and on the last page one can see the signature"maciot", most probably the name of its scribe. About one generation earier, there also lived in Paris a poet who left a series of poems called collectively"Testament Villon". On the last page of the anthology of poems which contains"Testament Villon", preserved in the Arsenal Library of Paris, one can see three names, Gilbert Coquille, Jean Maciot and Claude Maciot. The Vatican"Maciot"is most probably one of these two"Maciots". The earliest dated item in the journal has the date of November 1405, the newest one October 1449. The feud between the house of Bourgogne and that of Orl6ans escalated into a partisan struggle on the murder of Louis, the duke of Orleans(1407). The royal house of Lancaster of England re-opened the French War and occupied Normandy(1415). The writer of the journal began his business. Conceivably he was in his twenties at that time. Pa『s6 quarant ans(after forty years), the now oldman reports that, on the temporary stage by the "fbntaine de maubue"(outlet of city water nicknamed maubue),"on fist une tsbelle histoire depaix et deguerre"(one presented a very beautiful history of peace and war). One reads it in the last item in the journal. As if he wanted to say that his joumel itself is a history of peace and waL
著者
西山 洋一郎
出版者
The Japan Institute of Marine Engineering
雑誌
日本舶用機関学会誌 (ISSN:03883051)
巻号頁・発行日
vol.32, no.9, pp.684-690, 1997-09-01
被引用文献数
1

The new hydrographic surver ship "SHOYO" with capacity of 3, 200tons, is now under construction in the Japan Maritime Safety Agency as a replacement of the old ship "SHOYO" which was constructed in 1972.<BR>This new ship is expected to be completed in March, 1998.<BR>The electric propulsion system was first employed in the Japan Meritime Safety Agency. It is equipped with diesel engine generators as a power source for every application on sailing.<BR>The electric propulsion system is provided with 2 sets of 2, 800kW main-generators to drive the fixed pitch propellers at a motor output and speed of 2, 100kW/262-290rpm ahead.<BR>The thyristor motor system is applied to driving 2 sets (2 shafts of propellers.)<BR>In addition, one set of bow-thruster (800kW) is located at the stem for controling the ship with the Joy-stick conbined to the electric propulsion system during fixed point observation.