著者
村橋 昌樹 鈴木 雅雄 松浦 知史 宇仁田 明奈 加用 拓己 宗像 源之 三潴 忠道
出版者
公益社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.47-56, 2020 (Released:2020-07-13)
参考文献数
10

【目的】Guillain-Barre syndrome (GBS) は、 急性の弛緩性四肢麻痺を特徴とする免疫介在性末梢神経障害である。 今回、 GBSによる脱力感と強い下肢痛を訴える患者に対して、 鍼治療と漢方治療を行い症状の消失を認めたので報告する。 【症例】74歳男性。 主訴は両下肢、 右前腕尺側部の疼痛。 現病歴:X年9月末に感冒症状を認め、 10月14日に両下肢の脱力を自覚し、 その後、 歩行障害に加えて下肢と右前腕部に強い疼痛を自覚したため当院総合内科に入院となった。 入院後GBSと診断され免疫グロブリン療法が開始されたが、 症状の改善が認められなかったため主治医より10月30日に疼痛の緩和を目的に鍼治療が開始となった。 【方法】鍼治療は中医弁証に従い選穴し、 太衝、 合谷、 照海、 太渓、 足三里、 内関、 小海を用いた。 鍼治療の頻度は1日1回、 毎日実施した。 評価は疼痛および灼熱感を Numerical rating scale (以下NRS) にて評価し、 運動機能をHughesの機能グレード尺度 (以下FG)にて評価した。 【経過】初診時の両下肢痛はNRSで10点を示しておりFGは4であった。 鍼治療直後から疼痛は軽減し、 鍼治療7回目では疼痛の著明な改善を認めた。 しかし足底部の灼熱感を訴え始めたため、 弁証論治に従い漢方薬 (釣藤散料エキス製剤、 六味地黄丸料エキス製剤) の併用が開始となった。 併用開始から灼熱感は軽減を認め、 鍼治療20回目以降より疼痛および灼熱感の消失を認めた。 そのためリハビリテーションが強化され、 鍼治療開始から3カ月後にはFGが2まで改善したため退院に至った。 【考察】本症例の下肢痛および灼熱感はGBSに随伴する神経障害性疼痛と考えられた。 通常治療に鍼治療および漢方治療を併用することで疼痛と灼熱感は消失し歩行が可能となった。 【結語】GBSの随伴症状に鍼治療および漢方治療は有効であったと考えられた。
著者
黒田 奈良美 鶯 春夫 平島 賢一 田野 聡 水田 隼 木村 七恵 森下 照大 松浦 康 吉村 昇世
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement Vol.36 Suppl. No.2 (第44回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.A3P3089, 2009 (Released:2009-04-25)

【目的】 痛みは主観的な知覚であり,注意や環境,心理状態等の因子に加え,痛みに対する耐性や経験,性格等もその要因として考えられ,痛み刺激に対する認識の個人差に影響していることが予想される.そこで今回,健常成人の痛み閾値を評価し,閾値に対する個人差と,性格因子との関連性ついて検討した.【対象及び方法】 対象は本研究を説明し,同意が得られた健常成人36名(性別:男性18名,女性18名,平均年齢:22.8±4.4歳)である.方法は,閉眼・椅子座位にて,痛覚針(重り1~6gまで)を用い,非利き手の内側上顆~橈骨茎状突起を結んだ線上の中点を刺激部位とし,痛覚針を垂直に2度押し当てた.刺激は1gから漸増的に与え,痛いと感じた時点で申告するよう指示し,痛いと感じた重さから1つ前の重さに戻り,再び同様に施行し,痛みを感じた重さが一致した時に最終的な痛み閾値と決定した.再び痛みを感じた重さが異なった場合には上記過程を繰り返し閾値を決定した.性格検査は新版STAIを用いて不安傾向の検査を行い,状態不安尺度と特性不安尺度の得点を求めた.統計処理にはt検定を用い有意水準は5%以下とした.【結果】 痛み閾値は個人差がみられ,最頻値は6g(9名),中央値は5gとなった.男女別に比較すると,男性では最頻値は6g以上(5名),中央値は5.5gとなった.女性では最頻値は6g(5名),中央値は5gとなった.閾値の決定に至るまでの回数は男女とも半数以上が3回以内で決定しているが,13回要した者も存在した.なお,最初に痛みを感じた重さと最終的に異なる重さが閾値となった者は16名であった.性格との関連性については,新版STAIの結果と痛み閾値の5g以下群(20名),6g以上群(16名)の2群に分け,状態不安,特性不安に有意差があるか検討したが,ともに有意差はみられなかった.また初回と最終で痛み閾値に変化のあった群(16名)と変化のみられなかった群(20名)を分け,同様に検討を行ったが,同じく有意差はみられなかった.【考察】 「感覚」が「知覚」へ変化する過程に性格的因子や現在感じている心理的不安が影響するか否かを検討したが,本実験の結果から関連はみられなかった.しかし本実験から,痛み閾値には個人差が大きいことや閾値を決定する際にも検査開始時と終了時で閾値が変化する者がいることから,痛みの知覚は複雑なものであり,注意や記憶・経験,学習等により判断(思考)の変化が生じていることが考えられた.痛みをVAS(Visual analogue scale)やNRS(Numeric rating scale)を用いて評価する際にも,痛みの増減を点数化するということは難解な作業であり,点数変化を即治療効果の判定に用いることに対しては注意が必要と思われた.今後は対象者を拡げるとともに,他の因子の影響も考慮して検討を加えたい.
著者
松浦 博一 内藤 篤 菊地 淳志 植松 清次
出版者
日本応用動物昆虫学会
雑誌
日本応用動物昆虫学会誌 (ISSN:00214914)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.37-43, 1992
被引用文献数
1 2

千葉県館山市とその近郊の安房郡和田町において,12月中旬に野外と無加温ガラス温室にハスモンヨトウの幼虫と蛹を放飼し,越冬の可能性について検討した。<br>1) 暖冬の1986&sim;1987年と1987&sim;1988年の冬に行った試験では,館山市,和田町ともに放飼した幼虫の一部が3月下旬に生存しているのが確認された。生存率は若齢が中&sim;老齢に比べて高かった。しかし,平年に比べて寒冷であった1985&sim;1986年の冬に行った館山市の試験では,幼虫は3月下旬まで生存できなかった。<br>2) 和田町での幼虫生存率は,館山市のそれに比べて高かった。和田町は北西面が山で囲まれて寒風が遮られ,南東面が開けた日だまりのふところ地である。有効温度が0.9&deg;C以上の日が越冬試験期間の74%を占め,実験から得た有効温度についての越冬可能条件が満たされていた。日最低気温の極値も-3.5&deg;Cで,低温致死温度と考えられる-5&deg;Cに至らなかった。このような地形条件の場所が野外越冬の可能地と考えられる。<br>3) 冬季における大気温の日当り有効温度(<i>X</i>)と幼虫生息場所の日当り有効温度(<i>Y</i>)との間には,<i>Y</i>=0.54+0.68<i>X</i>(<i>r</i><sup>2</sup>=0.7303)の関係式が得られた。<br>4) 無加温ガラス温室に放飼した3, 4齢幼虫は3月下旬までに31%が羽化し,28%が蛹で生存した。冬季の死亡率は41%で生存率は高かった。3月下旬の生存蛹は,その後の加温飼育ですべて正常に羽化した。<br>5) 無加温ガラス温室内に設けたビニールハウスの中へ放飼した3, 4齢幼虫は,無加温ガラス温室へ放飼したそれらに比べて羽化時期が早く,死亡率も低かった。<br>6) 無加温ガラス温室の地中に埋めた蛹は,2月中旬に20&sim;40%生存したが,これらの蛹はその後の加温飼育ですべて奇形成虫となった。
著者
田中 圭 中田 高 松浦 律子 田力 正好 松田 時彦
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地學雜誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.127, no.3, pp.305-323, 2018
被引用文献数
1

<p> <i>Kambara Jishinyama</i> (earthquake-mound) located on the west bank of lower reach of the Fujikawa river, is widely believed to be a mound that was tectonically formed at the time of the 1854 Ansei Tokai earthquake. Using old maps and aerial photogtaphs, geomorphological changes around <i>Kambara Jishinyama</i> before and after the earthquake are examined. The Fujikawa river frequently flooded and the course on its west bank changed especially after construction of the <i>Karigane-zutsumi</i> (big bank) in order to protect farmland on its east bank. The area around the lower reach of the river was surveyed in 1803 for the <i>Dai Nihon Enkai Yochizu</i> large-scale map, which is the so-called <i>Ino-Daizu</i>. On that map, the river was at almost the same location as its present course. The historical road map (<i>Kaido-Ezu</i>) of <i>Tokaido</i>, which was the trunk road connecting Edo and Kyoto, illustrated in the same period as <i>Ino-Daizu</i>, shows that the Fujikawa river shifted its course close to the foot of river terraces at the west bank. Due to lateral erosion of the river, part of the <i>Tokaido</i> between the towns of Iwabuchi and Kambara collapsed several times. Subsequently, the road was diverted to the new route via Shinzaka as shown on the 1:20,000 scale topographic map published in 1890. A micro-landform classification map of the alluvial lowland of the west bank of the Fujikawa river based on interpretations of aerial photographs taken in 1952 and 1953 reveals that <i>Kambara Jishinyama</i> was located on one of the former mid-channel bars in the braided channels of the river before the 1854 Ansei Tokai earthquake. The earthquake caused a large landslide that dammed the Fujikawa river for a short period at the foot of Shiratori-yama to the north of Iwabuchi. The discharged flood water changed the river course close to the present stream. Geomorphic evidence for tectonic uplift does not exist around <i>Kambara Jishinyama</i>. The Koike river, a small stream flowing in the former main stream of the Fujikawa river, abandoned at the time of the Ansei Tokai earthquake, concordantly flows into the present main stream of the Fujikawa river showing that co-seismic uplift did not take place at the west bank. We conclude that <i>Kambara Jishinyama</i> was not tectonically formed by the earthquake, but is a product of the river course change.</p>
著者
大島 伸一 藤田 民夫 小野 佳成 加藤 範夫 松浦 浩 竹内 宣久 西山 直樹 水谷 一夫
出版者
社団法人日本泌尿器科学会
雑誌
日本泌尿器科学会雑誌 (ISSN:00215287)
巻号頁・発行日
vol.85, no.11, pp.1673-1678, 1994
被引用文献数
2

多発性嚢胞腎疾患症例における腎機能廃絶後の透析期の腎盂腎炎および嚢胞感染, 嚢胞出血等の発生頻度とそれらの治療における腎摘出術の有効性を検討した. 対象は透析をうけている多発性嚢胞腎疾患症例41例で, 男性25例, 女性16例, 平均年齢は55歳, 平均経過観察期間69ヵ月である. 腎盂腎炎および嚢胞感染は13例 (32%) 21回が, 嚢胞出血は13例 (32%) 16回にみられた. ともに保存的治療に反応しない場合やくり返す場合には腎摘出術を行った. それぞれ両側腎摘出術を10例, 片腎摘出術を1例に, また, 両側腎摘出術を5例, 片側腎摘出術を2例に施行した. 手術死は1例にみられた. 不明1例を除く14例の術後平均観察期間70ヵ月であったが, 両側腎摘出術後の無腎状態から生ずる貧血は13例93%に, 低血圧は5例33%にみられた. 以上の結果より維持透析をうけている多発性嚢胞腎疾患では, (1) 腎盂腎炎および嚢胞感染, 嚢胞出血等の合併症が高頻度で生ずること, (2) これらの合併症が腎機能廃絶後では透析と相まって保存的治療では治療困難であること, (3) 貧血や低血圧に対する治療は必要となるものの両側腎摘出術は有効な治療法となりうることが示唆された.
著者
松浦 茂樹
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.275-285, 1987

近年水辺の復活、ウォーターフロントの開発等水辺が社会から注目されているが、戦前の河川改修でも河川環境は重視されていた。この状況を1935 (昭和10) 年の大水害後、翌1936年樹立された京都の鴨川改修計画に基づいて論ずる。<BR>鴨川の社会的特徴は、御所をはじめ千年の歴史をもつ社寺・史跡・風物のある古都・京都市街地を流れていることである。鴨川は「東山ノ山紫二対シ河流ノ水明ヲ唄ハレタル古都千年ノ名川」と認識されていた。また「鴨川は京都市の鴨川に非ず」と、我が国にとって重要な河川と主張された。京都の風致の重要性としては、文化面における国民の訓練、産業の発展、国際観光の三つがあげられた。<BR>このため鴨川改修計画では、治水上支障のない限りにおいて鴨川の風致を配慮した計画が樹立された。具体的にはコンクリートの露出をできるだけ避け、石垣、玉石張を中心にして行われたこと、曲線を用いた床止め工の形状等によく現われている。また高水敷にはみそそぎ川が残され、夏には納涼床が張り出されて京都の風物詩となっている。昔から鴨川での夕涼みは京都市民に親しまれていたが、1986年夏気象観測を行い、その状況を求めた。<BR>1936年の環境整備計画は、河川技術者集団の総意の下に行われたと推察される。河川技術者がそのような能力を機械施工化以前には常識としてもっていたものと判断される。なお1936年の改修計画は、鴨川に限られることなく京都市の大改造計画であり、京阪線の地下化、都市計画道路の築造等が一体として図られていた。これらの事業は近年の1979年より再開され、現在工事中である。
著者
松浦 邦昭 細野 隆次
出版者
The Japanese Nematological Society
雑誌
日本線虫研究会誌 (ISSN:03882357)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.17-22, 1987

1.<SUP>3</SUP>HラベルしたAChを用いる、JOHNSON & RUSSELLの方法はマツノザイセンチュウのAChE活性を高感度(測定可能な最低素酵素蛋白量で1.0μg)で測定できた。<BR>2.線虫体の磨砕物を素酵素液として、AChEの活性を検討したところ、至適pHは約7.0、至適温度は約35℃ であった。素酵素液を遠心分画した後に酵素活性を比較した結果、最大比活性は105,000×gで60分遠心後の沈澱部に認められた。25℃ における最大反応速度は8.7nmole・ACh/min/mg・蛋白、ミカエリス定数は6.25μMであった。<BR>3.AChEの素酵素液に対する各種薬剤の阻害作用を調べた。ダィスルフォトンを除く3種の有機りん剤の阻害活性はチオノ型よりオクソン型の方が100~300倍高かった。即ち、チオノ型のI<SUB>50</SUB>値は、フェンスルフォチオンで8.4×10<SUP>-5</SUP>M、チオナジンで3.4×10<SUP>-4</SUP>M、メスルフェンフォスで2.4×10<SUP>-4</SUP>M、ダイスルフォトンで2.8×10<SUP>-4</SUP>Mであったのに対して、オクソン型では、フェンスルフォチオンで4.8×10<SUP>-7</SUP>M、チオナジンで1.1×10<SUP>-6</SUP>M、メスルフェンフォスで2.0×10<SUP>-6</SUP>M、ダイスルフォトンで1.8×10<SUP>-4</SUP>Mであった。<BR>4.有機りん剤以外でもAChE阻害活性が認められ、I<SUB>50</SUB>はメソミルで6.0×10<SUP>-7</SUP>M、酒石酸モランテルで2.4×10<SUP>-6</SUP>M、塩酸レバミゾールで2.3×10<SUP>-5</SUP>Mであった。
著者
松浦 健治郎 巌佐 朋広 浦山 益郎
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.917-922, 2006

本研究は、39道県庁所在都市を対象として、明治・大正期における官庁街の立地特性及び都市デザイン手法を明らかにするものである。明らかとなったのは、1)近世城下町都市では城郭地区内に官庁街が形成され、それ以外の都市では主要街路沿い又は主要街路沿いに位置する商業地区の裏手に形成されること、2)城郭地区立地型・主要街路沿い立地型で主要街路を活用した4つの都市デザイン手法がみられたこと、3)主要街路から直交する引き込み街路を活用した4つの都市デザイン手法が商業地区裏手立地型で多くみられたこと、4)主要街路又は引き込み街路のアイキャッチに官公庁施設を置く都市デザイン手法は官庁街の立地特性や都市の成立起源に関わりなく、明治・大正期に広く用いられた都市デザイン手法だったこと、である。
著者
松浦 健治郎 二之湯 裕久 巌佐 朋広 浦山 益郎
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画. 別冊, 都市計画論文集 = City planning review. Special issue, Papers on city planning (ISSN:09131280)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.445-450, 2007-10-25
参考文献数
35
被引用文献数
1

本研究は、近世城下町を基盤とする府県庁所在都市30を対象として、戦前の府県市庁舎が敷地内に保存された場合に、1) 城下町基盤を活用した都市デザインが影響を及ぼしているのか、2) 新庁舎をどのように増築しているのか、を明らかにするものである。明らかとなったのは、1) 「建築空間」の保存については、建築的条件(罹災が無いこと・耐火造・建築年が昭和以降)と立地的条件(敷地面積)が主要な要因となっていること、2) 「都市空間」の保存については、都市デザイン的条件(主要街路のアイキャッチ・堀沿い等)が主要な要因であること、3) 庁舎を保存するための工夫として、「新庁舎の高層化」・「重要な部分の保存」・「新庁舎を郊外に移転」の3つの手法が確認されたことである。
著者
西長 明継 杉本 岩雄 松浦 輝男
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
日本化学会誌(化学と工業化学) (ISSN:03694577)
巻号頁・発行日
vol.1988, no.4, pp.495-499, 1988-04-10 (Released:2011-05-30)
参考文献数
15
被引用文献数
6

反応場の変化に応じてジオキシゲナーゼ型およびモノオキシゲナーゼ型反応の触媒活性を示すコバルト(II)シップ塩基錯体が,酸化剤としてt-ブチルヒドロペルオキシドを用いると置換ベンジルアルコールの脱水素反応を触媒し,高選択的に対応する置換ベンズアルデヒドを生成する。生体内酸化反応におけるヘム錯体の示す多様な触媒活性によく似ていて興味深い。この脱水素反応の活性種はt-ブチルペルオキソコバルト(III)錯体種であって,配位不飽和の状態で強い活性を示すが,ジクロロメタン中では溶媒の関与する自己分解が競争的に起こる。配位飽和状態では活性は低下するが脱水素の選択性は増大する。ベンジルアルコールの脱水素反応に活性なt-ブチルペルオキソコバルト(III)錯体は同様の反応条件下ジベンジルエーテルから脱水素しないので,脱水素反応に対しては基質のアルコール性ヒドロキシル基の関与する機構を含むものと考えられる。
著者
松浦 康之 高田 宗樹
出版者
一般社団法人日本衛生学会
雑誌
日本衛生学雑誌 (ISSN:00215082)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.2-11, 2016
被引用文献数
1

The use of stereoscopic images has been spreading rapidly. Nowadays, stereoscopic movies are nothing new to people. Stereoscopic systems date back to 280 A.D. when Euclid first recognized the concept of depth perception by humans. Despite the increase in the production of three-dimensional (3D) display products and many studies on stereoscopic vision, the effect of stereoscopic vision on the human body has been insufficiently understood. However, symptoms such as eye fatigue and 3D sickness have been the concerns when viewing 3D films for a prolonged period of time; therefore, it is important to consider the safety of viewing virtual 3D contents as a contribution to society. It is generally explained to the public that accommodation and convergence are mismatched during stereoscopic vision and that this is the main reason for the visual fatigue and visually induced motion sickness (VIMS) during 3D viewing. We have devised a method to simultaneously measure lens accommodation and convergence. We used this simultaneous measurement device to characterize 3D vision. Fixation distance was compared between accommodation and convergence during the viewing of 3D films with repeated measurements. Time courses of these fixation distances and their distributions were compared in subjects who viewed 2D and 3D video clips. The results indicated that after 90 s of continuously viewing 3D images, the accommodative power does not correspond to the distance of convergence. In this paper, remarks on methods to measure the severity of motion sickness induced by viewing 3D films are also given. From the epidemiological viewpoint, it is useful to obtain novel knowledge for reduction and/or prevention of VIMS. We should accumulate empirical data on motion sickness, which may contribute to the development of relevant fields in science and technology.
著者
諏訪 大八郎 西野 暢彦 松浦 めぐみ 神谷 欣志 松本 圭五 馬場 恵 田中 達郎 今野 弘之 中村 達 馬塲 正三 青木 克憲
出版者
The Japan Broncho-esophagological Society
雑誌
日本気管食道科学会会報 (ISSN:00290645)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.378-385, 1998-08-10 (Released:2010-10-20)
参考文献数
47
被引用文献数
3 2

Esophageal perforation is a serious acute disease. In this paper, a case of esophageal perforation by a fish-bone with severe mediastinitis and a cervical abscess is reported.For a 50-year-old male, the diagnosis was made 15 days after he had swallowed a fish-bone, because the symptoms were slight before severe chest pain began. Two esophageal perforations (19-21 cm and 24-31 cm from his initial tooth line) were confirmed by endoscopy. Moreover, mediastinitis and a huge cervical abscess were recognized perioperatively. Most of his esophagus was resected due to the two long perforations, and mediastinal drainage, cervical esophagostomy and gastrostomy were also performed. After the operation, the patient suffered from a severe pyothorax, but he fortunately recovered. 10 months later, an esophageal reconstraction by gastric tube was done. Since fish-bones sometimes cause esophageal perforations and severe complications are often seen, strict follow-up is needed for patients who accidentally swallow them.
著者
松浦 俊輔
出版者
名古屋工業大学外国語教室
雑誌
Litteratura (ISSN:03893197)
巻号頁・発行日
no.11, pp.134-144, 1990-10-15