著者
宮沢 孝幸 見上 彪 堀本 泰介 小野 憲一郎 土井 邦雄 高橋 英司 見上 彪 宮沢 孝幸 遠矢 幸伸 望月 雅美
出版者
東京大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1997

本研究はベトナムに棲息する各種食肉類(ネコ目)から、レトロウイルスを分離・同定し、既知のレトロウイルスとの比較において、レトロウイルスの起源の解析を試み、さらにレトロウイルスの浸潤状況を把握し、我が国に棲息する野生ネコ目も含めたネコ目の保全に寄与することを目的とする。本年度はホーチミン市近郊およびフエ市近郊で2回野外調査を行い、ハノイ農科大学で研究成果発表を行った。さらに、台湾においても家ネコの野外調査ならびに学術講演を行った。まずホーチミン市近郊の家ネコおよびベンガルヤマネコより採血を行い、血漿中のネコ免疫不全ウイルス(FIV)、ネコ巨細胞形成ウイルス(FSV)に対する抗体およびネコ白血病ウイルス(FeLV)のウイルス抗原を調べた。FeLVは家ネコ、ヤマネコともに陽性例は見られなかった。FIVは家ネコの22%が陽性であったが、ヤマネコには陽性例はなかった。FSVは家ネコの78%、ヤマネコの25%が陽性であった。次いで家ネコの末梢血リンパ球からFIVの分離を試み、6株の分離に成功した。env遺伝子のV3-V5領域の遺伝子解析から、5株がサブタイプCに、1株がサブタイプDに属することが明らかとなった。サブタイプCはカナダと台湾で流行していることが報告されている。今回の結果からホーチミン市近郊のFIVは、カナダや台湾から最近持ち込まれたか、もともと日本を除くアジアでサブタイプCが流行していた可能性が考えられた。アジアでのFIVの起源を明らかにするためには今後、ベトナム、台湾以外のアジア諸国のFIVの浸潤状況調査とザブタイピング解析を進める必要があると思われる。また、今回レトロウイルス以外のウイルス感染疫学調査から、ネコヘルペスウイルス1型、ネコカリキウイルス、ネコパルボウイルスの流行が明らかとなった。特に、ネコパルボウイルスでは今まで報告のない新しいタイプの株(CPV-2cと命名)を分離した。
著者
岩本 俊孝 ツルハ アデフリス テフェリ ゲメチュ 星野 次郎 庄武 孝義 森 明雄 河合 雅雄 TURGA Adefris ラフェリ ゲメチュ
出版者
宮崎大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1992

本研究の主たる目的は、エチオピア南部高原に生息するゲラダヒヒ、マントヒヒ、アヌビスヒヒ3種の生態的地位の重なり、社会構造、遺伝的距離を明らかにすることにより、3種の種分化過程を分析・復元することであった。さらに、アヌビスヒヒとマントヒヒとの間で生じている雑種個体群の分布域の広がり、雑種化を可能とした社会的機構、雑種ヒヒの遺伝的組成等を研究することにより、霊長類の種の競合及び新種形成のメカニズムに迫ろうとした。まず、アヌビスヒヒとマントヒヒの雑種形成過程についてであるが、南部高原のアルシ、バレ州においてこれまで分布上問題のあった2カ所について、より広範で詳細な分布調査を行った。森(1991)が雑種の存在を指摘していたアルシ州のセル高原地方では、近くにアヌビスヒヒの個体群は発見されていなかった。そのため、オスのアヌビスヒヒの長距離分散、あるいは低地乾燥地帯に生息するアヌビスヒヒ群の存在が予見されていた。しかし、今回の踏査でもアヌビスの個体群の存在は確認されず、逆に低地河床付近に生息するマントヒヒがアヌビスヒヒに似て体毛及び皮膚が暗色化する変異を持つことが発見された。そのため、この高地で先に雑種と認定された個体群は雑種ではなく、低地から遊動してきたマントヒヒの可能性が高くなった。これにより、マントヒヒ群の移動性の高さと形態的変異の大きさが改めて認識されるとともに、アヌビスヒヒの低地乾燥地帯での分布の可能性が否定された。他の1カ所の分布調査地はバレ州のセバジャ付近であり、前の調査で典型的な両種間の雑種が発見されていた地点よりアヌビス側に位置する。この地より東のマントヒヒ側では、東に行くほどアヌビス的特徴が急速に減少していたが、アヌビス側ではアヌビス、マント、雑種ヒヒ3個体群がモザイク状に入り組んで混在していることが明らかになった。すなわち、両種の雑種域の形成はマントヒヒの移動力の高さと、侵略性によるものである可能性が高いと結論できた。なお、初年度、政情不安のためこの地に入ることができなかったため、雑種ヒヒの捕獲作業が予定通り進まず、血液採取による遺伝学的分析は、行えなかった。しかし、平成5年度には、次期研究のための捕獲可能個体群の探索と、人付けの作業が行われた。アルシ州では、ゲラダヒヒとマントヒヒが同所的に生活している。両種の共存を可能にしているメカニズムを生態学的に把握するため、群れ構成、土地利用、食性分析、活動リズム、両種の出会い時の相互干渉などを観察した。その結果、両種はとまり場として同じ崖を共用しているだけで、食性、土地利用の仕方において全く異なった生態的特徴を持っており、その違いが共存を可能にしていると結論された。両者は出会うと比較的容易に融合するが、群れとしてはゲラダヒヒの方が劣位である。出会いの頻度が高いことを考えれば、両種の雑種化の可能性もある。遺伝学的分析が今後の重要な研究課題となる。平成4年度、南部高原での調査が政情不安のため実現できなかったので、北部高原のショワ州のゴシメダとゴンダール州のセミエン国立公園で、ゲラダヒヒの社会・生態学的研究を行った。その研究結果を、平成5年度に行った南部高原のアルシ州でのゲラダヒヒの資料と比較した。アルシ州のゲラダヒヒは、これまで知られている内では最も乾燥した厳しい環境下に生息しており、従来の常識を破る適応力を示していた。すなわち、食性において高い果実食の割合を示し、移動に長時間を費やしていた。また、社会行動でも、単オス群間の親和性が低く、遠距離を伝えるために音声が発達している等特殊な面が見られ、この土地のゲラダヒヒ個体群の、北部個体群からの遺伝的独自性(亜種の可能性)を十分予測させる観察結果を得ることができた。また、この南部高原で標高約1600mという極めて低標高の乾燥地帯に生息する群れを発見することができ、ゲラダヒヒの適応放散過程を知る上での貴重な生態資料を得た。また、今回の調査では、ゲラダヒヒの捕獲は不可能であったが、これまで北部高原で収集していた血液サンプルを分析し、ゲラダヒヒの個体群の起源は分布北限(セミエン国立公園)あたりにあるのではないかということ推測させる結果を得た。このデータは南部で今後得られる血液サンプルと比較のため利用される。以上、予知不可能な政情不安による調査地の限定という障害はあったが、エチオピア高原におけるヒヒ類の適応放散及び雑種化の過程では、マントヒヒの分散力・適応力の高さと、それを可能にする崖環境、すなわち峡谷系の発達が重要な鍵であったことが本研究で明らかになった。
著者
水野 信男 西尾 哲夫 堀内 正樹 粟倉 宏子 川床 睦夫
出版者
兵庫教育大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1993

本研究では主にシナイ半島南部を調査対象地域とし、その遊牧民の伝承文化を学際的見地から、民族誌の諸手法をもとに解明することを目的としている。以下、交付申請書の実施計画と対応させながら、本年度の調査でえられた研究成果を略述する。なお本研究の研究成果の本格的なまとめは、6.でのべるように、来年度いっぱいをかけておこなう予定である。1.方言、口承文芸、歌謡、器楽、舞踊の記録・採集ならびに分析と考察。(1)方言については、トゥール市近郊のワ-ディ村で、ジェベリエ族の言語の記録・調査を実施した。その結果、彼らの方言が、シナイ半島の遊牧民のなかでも、特別の言語形態をもっており、中世以来のシナイ半島の宗教史ともかさねあわせて分析・整理することが可能となった。(2)口承文芸については、各部族の由来にかんする説話を中心に採集・記録した。解読作業はまだ途中であるが、その多様な語り口は、遊牧民各部族の系譜をたどる糸口を提示しているようにおもえる。(3)歌謡・器楽・舞踊など音楽全般については、とくに遊牧民の結婚式や聖者祭に焦点をあて、採集・録音・録画をおこなった。これらの資料分析から、彼らがアラブ民族の文化の原型をより忠実に保持していることがわかってきている。2.アラブ系遊牧民文化の東西海上交流史における位置づけ。この地域の海上交流史では、おもに紅海側の拠点港が関係しているが、今回の調査では、考古学の視点から、とくにトゥール遺跡での海上文化の流通経路と、その遊牧民文化との関連を調査した。3.聖カテリ-ナ修道院とそれに仕えてきたジェベリエ族の文化の実体調査。これは、1.の(1)とも関連するが、今回は当修道院の図書館が保有する文書(もんじょ)の収集と研究に主体をおいた。その文書類はギリシア正教関係の資料から、修道院生活・巡礼・商業などにかかわるものまで、きわめて多彩である。その解読作業は現在続行中である。シナイ半島は、歴史的にユダヤ教徒、キリスト教徒およびムスリムの巡礼路として位置づけられるが、今後のこれらの文書研究からその実態をうかがいしるデータがえられるはずである。4.現代の遊牧民の生活動態調査とその文化人類学的・社会学的考察。遊牧民の生活動態を、主に各部族の現状を中心に調査した。とくに各部族が内部でかかえる諸問題、また各部族間のあいだの共同と確執、またシナイ半島の観光地化と遊牧民文化の関係などを調べた。この結果、現代の遊牧民は、かつてのアラブの文化要素を一定程度保持する一方で、社会状況の現代的変貌に対応して、その生活と文化を急激に変化させてきていることが判明した。5.現地調査拠点での野外調査記録の整理と検討。1.でのべたように、本研究では遊牧民の伝承文化を学際的に照射し、その全体像をうきぼりにすることに重きをおいてきた。このため、調査拠点都市のトゥールでは、ほぼ連日、隊員5名全員のミーティングを開催し、その情報を不断に発表・討議し、翌日以降の調査にそなえた。6.今後の研究の展開にかんする計画。本研究は本年度(単年度)で終了するため、来年度は現地でえられた調査資料の分析研究をおこない、秋には日本砂漠学会と共催で、中近東文化センターにて、シンポジゥムを開催し、あわせて調査報告書を刊行する予定である。またこのシンポジゥムでは学際的視点から、次年度以降の継続調査にむけての問題点を整理することにしている。
著者
木村 学 堤 浩之 早坂 康隆 鈴木 康弘 瀬野 徹三 嶋本 利彦 渡辺 満久 榊原 正幸
出版者
東京大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1997

極東ロシアから日本列島に至る地域は被害地震が多発する地域である。近年これらの地震は北米・ユーラシア両プレート間の収束運動もしくはその他のいくつかのマイクロプレートが関与したプレート境界でのもの、ととらえられるようになった。相次ぐ被害地震にもかかわらず、ネオテクトニクスに関する研究はこれまで政治的・地理的・気候的制約があって進んでいない。そこで新年度に続き、極東ロシア、特にサハリン島北部地域の総合的なネオテクトニクス調査研究を実施した。具体的に以下の研究を行った。1. 航空写真による変動地形、活断層解析。特にサハリン島、中〜南部に分布、発達する活断層について変位のセンス及び変位置について解析した。2. 変動地形活断層の現地調査。特に中部及び南部サハリン。3. 地質学的調査。航空写真によって明らかになった活断層の累積変位、変位速度を明らかにするために現地で活断層露頭や、樹木成長の記録を調査した。サハリン変動帯最北部のシュミット半島にて、中生代来のオフィオライト、及び変形した堆積岩及びスレート帯について、構造解析を実施した。その結果、第三紀後期に北東南西方向の圧縮を受けて、地質体は激しく変形していることが明らかとなった。この変形様式は現在進行中の地殻変動と調和的である。従って、サハリン北部の地殻変動は第三紀以降、右横ずれの同じセンスのもが累積していることが明らかとなった。
著者
高橋 恒男 張 達栄 張 徳中 胡 運彪 三沢 裕之 斎藤 秀樹 安日 新 HU Yun Biaou 江 紹基
出版者
山形大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1990

潰瘍性大腸炎の漢方療法を行うにあたり、われわれは小柴胡湯と五苓散の合剤である柴苓湯に着目し臨床応用を開始した。潰瘍性大腸炎の治療に漢方を取り入れた目的は、ステロイドおよびサラゾピリンの副作用の減弱とステロイドの減量にあった。本研究の目的は潰瘍性大腸炎に対する漢方製剤特に柴苓湯の臨床的有用性を検討するとともに、その作用機序を解明するために柴苓湯の免疫能におよぼす影響を検討することにあった。さらに、日本と中国における潰瘍性大腸炎の疫学的差異を検討するとともに、中国における潰瘍性大腸炎に対する漢方療法を学び、本症に有効な漢方療法(漢方処方)を取り入れることにあった。1、潰瘍性大腸炎に対する柴苓湯の臨床効果について活動期の潰瘍性大腸炎患者16名を柴苓湯単独投与群と柴苓湯、ステロイドあるいはサラゾピリンの併用群の2群に分け検討した。その結果、柴苓湯単独投与で寛解導入できた例が認められた。しかし、総じて柴苓床単独投与の臨床効果は柴苓湯、ステロイド、サラゾピリン併用群に劣った。ステロイドとの併用群では、柴苓湯投与によりステロイドの量を減らすことができ、また寛解導入までの期間を短縮することができた。さらにステロイドの減量が可能だったため、ステロイドの副作用発現率も少なかった。柴苓湯はそれ自身も抗炎症作用を有するがステロイドに比較しその作用は弱く、本症に対する柴苓湯投与の意義はステロイド、サラゾピリン作用の補完にある。以上の検討により、潰瘍性大腸炎の治療における柴苓湯の臨床的有用性が確認された。2、潰瘍性大腸炎に対する柴苓湯の免疫学的作用について潰瘍性大腸炎の発症、再燃と好中球、リンパ球による大腸ん粘膜障害の関連が示唆されている。そこで、in vitroでこの粘膜障害を抑制する柴苓湯の効果を検討した。(1)活動期の潰瘍性大腸炎患者の末梢好中球の化学発光(以下CL)におよぼす柴苓湯の効果について検討した。その結果、好中球のCLは活動期に増強しているが、これを柴苓湯で処理するとCLは抑制された。(in vitro)これは柴苓湯が抗炎症作用を有していることを示すものである。活動期の潰瘍性大腸炎患者の末梢好中球のCLは肢苓湯の服用により抑制された。(in vivo)(2)潰瘍性大腸炎患者の大腸粘膜由来の培養T細胞株を樹立しその免疫学的機能を解析した。その結果、培養上清はγIFN,TNF,GMーCSFの各種サイトカインを含み、かつT細胞自体も細胞障害性を呈した。この培養T細胞は、正常大腸粘膜由来のT細胞に比べTNF産生量が多いが、柴苓湯はTNFの産生を抑制した。現在、さらにこの培養T細胞に対する柴苓湯の作用を検討中である以上の検討により柴苓湯は抗炎症作用のみならず免疫調節作用を有することが明らかになった。3、日本と中国における潰瘍性大腸炎の疫学的差異を検討するために平成3年1月に訪中し、西洋医学を主とする上海第二医科大学と、東洋医学を専門とする北京西御院を訪れ資料を交換した。4、中国における潰瘍性大腸炎の漢方療法漢方処方については日本と異なり生薬を使用し、また日本の漢方エキスが手に入らないため単純な比較はできない。原則として潰瘍性大腸炎の薬物療法は、日本と同様サラゾピリンあるいはステロイドを第一選択とする。軽症あるいは中等症の患者のうち難治性のものが、西洋医学部門から漢方診療部にまわってくる。漢方医はステロイド、サラゾピリンを減量しつつ漢方製剤を投与する。漢方製剤の投与法は、日本は異なり内服投与のほかに注腸による投与もおこなう。腹痛に対する内服処方は、陳皮、炒白芍、防風、枳実。血便に対する処方は、白頭翁、秦皮、黄拍、黄連である。内服投与で不十分な場合は、漢方剤の注腸をおこなう。軽症から中等症に対しては、錫類散、黄連素、塩水。中等症から重症例に対しては、苦散、黄耆、白笈、黄柏、雲南白薬、錫類散を注腸する。5、現在柴苓湯以外の漢方剤も検討している。具体的には萼帰膠芬湯や十全大補湯が有力な候補である。
著者
藤井 知昭 陳 興賢 高 立士 馬場 雄司 塚田 誠之 鈴木 道子 高橋 昭弘 樋口 昭 GAO Lishi LIANG Youshou 陣 興賢
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1991

1.当調査の目的と課題について文部省科学研究費補金によって行なわれた昭和61年度の「インド東北部・ブータン民族音楽学術調査」および平成2年度の「ブータン民族音楽学術調査」に続き,チベット・ビルマ語系諸族を中心とした,いわゆる照葉樹林文化圏を軸とする音楽文化に焦点をあてることを目的としている。この目的の為,当調査では,中国雲南省及びこの地域と民族分布を共通させるタイ北部をその対象とした。過去10年間にわたって,クロスカルチュラルな視点からパキスタン北部よりブータンに及ぶ大ヒマラヤ圏における音楽文化の調査を継続し,音楽人類学の方法論によって,諸民族の文化的アイデンティティー,文化変容,動態等についてのデータを蓄積してきた。今回の調査は,この従来の調査による蓄積との比較研究をも目的とし,諸民族に伝承される音楽文化に関する情報とデータの充実化によって,音楽の伝播と変容の課題に新たな展開をもたらそうとするものである。2.新たに集積されたデータについて北部タイにおいては,チェンマイ近郊のリス族の村落と,チェンライ県に分布するアカ族のいくつかの村落を中心に,調査を行った。特にアカ族については,メーサロン地区の数ヵ村について,それぞれ楽器,舞踊,歌の特徴を押さえると共に,チェンライ県メースアイ郡のアカ族のブランコ祭りの全容を,記録することができた。タイ国内のアカ族は,ウロ,ロミ,パミの3集団に分かれるが,これら集団の差異の概要を押さえると共に,今回は,中でもウロアカの持つ音楽文化の実態を明らかにすることができた。当初,北部タイ山地に分布する,チベット・ビルマ語系の民族のうち,カレン族,リス族,アカ族に焦点を定めていたが,アカ族特有のブランコ祭りの調査が中心となった為,得られたデータは,アス族のものが中心となった。しかし,従来の調査によって得られた中国雲南省に居住する同じ系統のハニ族の文化との共通性および,変容に関する比較を通して,アカ族の民族音楽研究上多くの成果をあげることができた。3.成果の意義と今後への展望研究分担者は,それぞれ専門をする分野が民族音楽,比較文学(フォークロア),歴史と儀礼および芸能文化というように学際的であるため,フィールドで集積されたデータも,多面的に分析され,それぞれの分野での解明に利することとなった。民族音楽の分野では主としてタイ北部のアカ族の二大年中行事に一つブランコ祭の詳細なデータとアカ族の歌謡の概念とかなりの量の歌詞の採集を行うことができた。また,中国に関しても引き続き,イ語系,チベット・ビルマ語系語族の口頭伝承の語り物,及び婚礼習俗に関わる歌謡のデータを蓄積した。今回の調査で中国雲南省から移動したタイ北部山地に居住するアカ族が故地の文化を伝えている点が明らかとなり,これによって今後雲南省の比較研究を進展させる上で具体的な足がかりを得たといえる。また,これらの成果は,現地研究者との協力のもとで進められ,平成4年度は,この協力体制に基づいて,現地研究者を日本に招き,調査結果を共同で研究することが実現し,本格的な共同研究が緒についた。次回の調査として当調査隊はタイ北部及び中国西南部の両地域に加えてラオスを調査対象とし,東アジアから東南アジアに分布する諸民族の音楽文化の動態に関する調査を計画している。中国西南部を再度調査するのは,更にデータを蓄積充実するためであり,また,今回の調査で確立した現地研究者との学関交流を更に発展定着させるためである。更にラオスを対象地域に加えることにより,アカ族等中国から移動した諸部族に関する比較研究が一層充実し,多彩な成果を期待でき,ひいては中国西南部と東南アジア地域とのかかわりをもクリアーにすることが可能と考えられる。これらの調査を通じ,当プロジェクトは主としてヒマラヤ方面で行ってきた,「照葉樹林文化圏」の諸民族の音楽文化に関するデータ蓄積を,中国・東南アジア方面から充実させ得るて考えられる。
著者
小谷 凱宣 FITZHUGH W.W 新美 倫子 出利葉 浩司 切替 英雄 西本 豊弘 佐々木 利和 FTIZHUGH William W KENDALL L. POSTER A. G KATZ A. H FITZHUGH W. KREINER Jos POSTER A.G. KATZ A.H. OELSCHELEGER エッチ.デー KREINER J.
出版者
名古屋大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1994

本研究計画に関連するアイヌ・コレクションは、北米と西ヨーロッパに所蔵されている。このほかに、アイヌ資料はロシア各地の博物館に所蔵されていることは広く知られている。平成7年度より、ロシア国内のアイヌ資料調査が千葉大学・荻原眞子教授らのグループにより開始され、その研究成果がまとめられつつある。ロシア資料の調査結果と北米・西欧における研究成果と合わせることにより、海外のアイヌ・コレクションの全体像とアイヌ物質文化に関する新知見が得られよう。この一連の研究はさらに、北方地域の一民俗に関わる博物館資料の悉皆調査という初めての試みであり、現代文明の影響を受けて変容した北方狩猟民文化に関する研究資料の再検討という意味で、優れて現代的意義を有する。本研究計画による研究成果に、とくに北太平洋地域の研究者が一致して注目しているゆえんである。そして、本研究計画は、欧米の北方文化研究者が立案している「ジェサップ2計画」の先駆的役割を果たしつつある。西欧と北米のアイヌ資料との比較の試みを通して、欧米の研究者がアイヌ研究と資料収集に特に関心を抱いた知的背景が明確になってきた。西欧のアイヌ文化の研究者は、広義の自然史学(基礎科学)の枠組みの中で知的訓練を受けていることが指摘できる。このことが、アイヌ文化の伝統が維持されていた時期に調査収集が行われた事実と相まって、学術的に質の高いコレクション収集を可能にした背景である。さらにフランツ・フォン・シ-ボルト以降、「高貴な野蛮人」、「失われたヨーロッパ人」、「消滅しつつある狩猟民」としてのアイヌ民族文化への関心が、アイヌ研究を推進した。19世紀半ば頃から提唱された「アイヌ=コーカソイド仮説」は、欧米諸国民と研究者のアイヌ文化へ関心をいっそう高め、ドイツとアメリカにおけるコレクション収集を加速した。アイヌ文化を含む北方狩猟民文化研究の動きは、第一次大戦勃発とそれにともなう社会変化のために停止した。日本人研究者による本格的なアイヌ文化研究とコレクション収集の努力は、第一次大戦以降にはじまったことが浮き彫りにされてきた。前年までの在米アイヌ資料の調査の遺漏を補うために、シカゴ(シカゴ大学とフィールド自然史博物館)とニューヨーク(アメリカ自然史博物館)で補充調査を実施した。なかでも、シカゴ大学図書館特別資料部所蔵のフレデリック・スターのコレクションにふくまれる映像資料(スライド類)お精査し、さらに、写真類も入手したことにより、スターが収集したアイヌ関係資料の全容がほぼ判明してきた。すなわち、スターは明治末の10年足らずの間に、アイヌ資料を約1,200点、アイヌ関係映像資料を約100点、そのほかに膨大な量の未公表フィールドノートと往復書簡類を残していることが解明できた。スターが収集したアイヌ資料の数は北米の総資料の約40%を占め、世界的にもきわめて大きなアイヌ・コレクションの一つといえる。また、彼の残した未公表資料は貴重な背景資料であり、アイヌ文化研究史においても重要である。スターのアイヌ関係資料の集大成が緊急の課題である。最後に、スミソニアンの極北研究センターにおいて、アイヌ文化に関する特別展覧会の準備が開始されたことは注目に値する。これは本研究計画の成果が展覧会企画の契機になったもので、研究成果の相手国への還元につらなる。また、ジェサップ北太平洋調査開始から百周年を記念する国際学会が1997年秋にアメリカ自然史博物館で開催される予定であり、また、「ジェサップ2計画」(1897-1903に行われたF・ボアズによるジェサップ北太平洋調査時に収集された未公表の諸資料の整理公表の事業)が始まる予定である。新たなる眼で北方諸文化の資料を再整理し、変容しつつある先住民文化の理解の促進とアイデンティティ確立に資するものである。これは、本研究計画、アイヌ資料悉皆調査の目的と一致するものである。
著者
後藤 明 板垣 雄三 松原 正毅 佐々木 高明 板垣 雄三
出版者
東京大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1991

1.平成3年度調査研究実施計画にもとづき、学術調査の対象国をアメリカ合衆国にしぼり、同国の地域研究機関の研究実績面、組織・行政面の情報集積・解析・評価をおこなった。2.研究実施のための計画作業わが国における新しい「地域研究」の組織上の、また研究方法上の推進体制に関して国立民族博物館においておこなっている調査研究の作業の進行と密接に連携しつつ、本研究組織としては、欧米諸国における「地域研究」の歴史と現状に関する事前サ-ヴェイをさらに深化させるべく集中的討議をおこなうとともに、この学術調査の実施上の重点目標の確点、調査項目の調整、調査対象機関の選定、それとの連絡態勢の確立、調査対象機関における協力者との事前の協議など、計画の具体化をすすめた。3.研究遂行のための現地調査実施の概要1)現地調査のための派遣者(2名)研究分担者 板垣雄三(東京大学名誉教授)研究協力者 竹下典行(文部省学術国際局研究機関課課長補佐)2)現地調査のための派遣期間:平成3年11月5日〜16日(12日間)3)おもな訪問機関および応接者ワシントンDC(1)ジョ-ジタウン大学現代アラブ研究センタ-/イブラヒ-ム・イブラヒ-ム所長およびマイケル・ハドソン教授(2)ジョ-ジ・ワシントン大学政治学部/バ-ナ-ド・ライク教授(前学部長)(3)中東研究所/ロバ-ト・キ-リ-理事長(4)スミソニアン研究機構ウイルソン・センタ-/ロバ-ト・リトワク国際研究部長(5)アメリカン大学国際学部(SIS)/ルイス・グッドマン学部長およびシェリフ・マルディン教授マサチュウセッツ州ボストン(6)マサチュウセッツ工科大学アガカ-ン計画/バ-ブロ・エック部長(7)ハ-バ-ド大学中東研究センタ-/ウイリアム・グレアム所長(8)ハ-バ-ド大学国際開発研究所/大木正光研究員(前外務省中近東二課長)ニュ-ヨ-ク市(9)社会調査研究所/ジャネット・アブ-ルグド教授およびエリック・ホブズボ-ム教授(10)コロンビア大学中東研究所/グレゴリ-・ゴ-ズ3世助教授(11)社会科学研究所(SSRC)/メアリ-・マクドナルド事務局員4.観察結果および収集された情報資料にもとづく研究作業本研究組織としては、調査実施から得られた知見を整理・分析・評価する作業をすすめつつ、調査研究のつぎの段階の準備にとりくんでいる。本年度の調査にかぎっていえば、アメリカ合衆国においては、世界諸地域の地域研究がしばしば政策形成・実施のための応用研究に引き寄せられ基礎研究としての系統性と持続性に欠ける結果となってきたことへの反省が全般的につよく生じており、教育の次元からの再建・再編への動きが看取される。わが国における総合的な地域研究の組織化への志向は、そこで大きな関心を呼んでいる。
著者
濱崎 直孝 浜崎 直孝 (1989) 濱崎 直考 (1987) RICHARD J.La OMACHI Akira 大久保 研之 LABOTKA Lichard J. RICHARD J La
出版者
福岡大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1987

本研究は高エネルギーリン酸化合物であるホスホエノールピルビン酸が細胞膜を透過するという現象についての生化学的な研究である。この現象は、当時の常識を破って、赤血球膜について1975年に我々が見出したものである。その後の研究で赤血球膜のみにかぎらず、腎尿細管上皮や肝細胞膜もホスホエノールピルビン酸が透過することが判明している。この透過現象はホスホエノールピルビン酸に特異的であり、ATPなどの他の高エネルギーリン酸化合物やホスホエノールピルビン酸に構造式が類似している2ーホスホグリセリン酸は細胞膜を透過されないことが証明された。本課題研究はホスホエノールピルビン酸透過の分子機構を解明する目的で、蛋白質化学的手法とNMRなどを用いた物理化学的手法を組み合せた協同研究である。蛋白質化学的研究は主として福岡大学にて、NMRなどの研究は米国イリノイ大学にて行なった。その結果以下に列挙する知見を得た。1.ホスホエノールピルビン酸は赤血球膜の無機リン酸透過系によって媒介輸送される。2.その媒介担体は分子量約95,000の糖タンパク質であり、透過活性中心の1部を、この蛋白質のカルボキシル末端から60番目のリジンが構成している。3.さらに、細胞膜内側に存在しているヒスチジン残基も透過に必須のアミノ酸であることが判明した。4.このヒスチジン残基は、いわゆる透過活性中心を構成しているアミノ酸ではなく、この部位にAllostericに作用する部位だと考えられた。5.赤血球膜以外でも腎細胞、肝細胞膜においてもホスホエノールピルビン酸が透過するのは証明されたが、その透過機構が赤血球膜と同じか否かはまだ明らかでない。
著者
安岡 昭男 王 耀華 梅木 哲人 東 喜望 小川 徹 中俣 均 安江 孝司 櫻井 徳太郎 中村 哲 武者 英二 比嘉 実 中本 正智
出版者
法政大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1990

中国と琉球諸島の交流は,公的には1373年,明国皇帝の使者が沖繩に来て,中国皇帝への朝貢を勧められて,中山王が王弟を中国に派遣したことにはじまる。しかし,沖繩の先史時代の遺跡からは中国の戦国時代の貨幣などが数多く出土している。私的な交流は遥か昔から漂着などのような偶然的な事件をとうして中国の優れた文化が絶えることなく沖繩の島々に流れついていたことを想定させてくれる。私たちの今回の調査は琉球列島と中国との交流が公的に開始された時期から近代にいたるまでのことが中心であるが,両地域の言語研究や民俗研究はその時代だけに制約されない要素をもつ。換言すれば歴史的な文献や歴史遺跡の調査による歴史時代以後の研究と文献によらない研究のふたつの側面からなるものである。歴史文献や歴史遺跡にもとずく研究成果としては,琉球王国と宗主国中国との関係を規定する冊封体制の法的体系を,特に琉球王国に下賜されたものを対象に明らかにしたことが上げられる。中国を中心にした国際関係であるとする従来の冊封制度についての学説を批判して,それが皇帝を中心にした中国の国内における君臣関係の延長であることを体系的に明らかにした。また,中国の冊封秩序に組み込まれることで保証された中国貿易における琉球王国に対する免税などの特恵措置,貿易にともなう渡航,出入管理に関する官僚制度,沖繩の人々の福州で活動拠点であった琉球館,福州で死んだ沖繩の人々を葬った琉球人墓地などの調査はきわめて貴重な成果である。その外に福州から北京にいたる琉球使節のルートを実際に踏査することで二千キロにおよぶ道々に存在する琉球関係の諸施設,使節の人々が詠んだ漢詩の風景に接することができた。暖かい沖繩から真冬の北京に向かう進貢使路の途中多くの人が病に倒れたが,その旅の困難さを実感することができた。それに,今回の調査において宿泊施設や修学の地であった国子監を確認することができた。それに,今回の調査において鎖国体制にあった日本において対外関係の窓として機能していた琉球王国の役割を,医学,天文学,地理学,儒学に即して実証的に把握できたことも大きな成果のひとつであろう。建築では沖繩に現存する歴史的建造物,伝統的民居ならびに都市にみられる,中国の影響とみられる建築的要素を中心に福建省・泉州,福州市のそれらとの比較研究を実施した。その結果,沖繩民居の特徴とみられるヒンプンは中国渡来の建築要素のひとつであり,屋敷配置にみられる門-ヒンプン-中庭-仏壇といった家の中心軸線上の配置は,伝統的な中国建築の空間構成の手法であることがはっきりした。しかし,個別的な中国的建築要素については明らかな共通性と差異を発見することができた。最も大きな成果は現地研究者との連携で調査が実施できたことで,今後の研究に益すること大なるものがある。民俗,宗教では琉球諸島のそれに中国的習俗,特に道教的なヒヌカン,天妃(マソ)信仰,土帝君の影響が大きいことが今回の調査でいよいよはっきりした。言語では福建省の方言を調査した結果,琉球方言のタリー(父),ヘレー(追いはぎ),テーフア(冗談),マヤー(猫)などが福建語の流入であることを確認した。そのほか日本語の古層語彙と考えられるものが少なからず発見された。各専攻分野ごとに現地研究者と緊密な連携のもとに調査を実施することができた。今後とも両地域の比較研究を推進してゆくことが重要と考える。
著者
竹松 正樹 下 相慶 VOLKOV Y.N. 崔 ぴょん昊 羅 貞烈 金 くー 金 慶烈 蒲生 俊敬 磯田 豊 DANCHENKOV M GONCHAREKO I CREPON M. LI RongーFeng JI ZhougーZhe ZATSEPIN A.G MILLOT C. SU JiーLan 尹 宗煥 OSTROVSKII A 松野 健 柳 哲雄 山形 俊男 野崎 義行 大谷 清隆 小寺山 亘 今脇 資郎 増田 章 YUNG John-fung BYOG S-k. NA J.-y. KIM K.r. CHOI Byong-ho CREPON Michel 崔 秉昊 金 丘 オストロフスキー A.G YURASOV G.I. 金子 新 竹内 謙介 川建 和雄 JIーLAN Su FENG Li Rong FEI Ye Long YARICHIN V.G PONOMAREV V. RYABOV O.A.
出版者
九州大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1993

1.本研究の特色は、研究分担者間の研究連絡・交流を促進し、研究成果の統合を図るに止まらず、研究課題に対する理解を格段に深めるのに必要な新しいデータセットの取得を提案し、実行することにある。実際、前年度の本研究主催の国際研究集会(福岡市)に於いて策定された計画に従い、平成6年7月に、日・韓・露の3国の参加を得て、日本海全域に亘る国際共同観測を実施した。この夏季観測では、海底までの精密CTD、化学計測、ドリフタ-の放流、測流用係留系(3本)の設置・回収と並んで、分担者の開発した特殊な曳航体を用いてクロロフィル、O_2、CO_2及び表層流速の測定が試みられた。特筆すべきは、日本海北部のロシア経済水域内の3点において、11ヶ月に及び長期測流データを取得したことである。これは、日本海誕生以来、初めて、日本海盆の中・深層の流動特性を明らかにしたもので貴重である。なお、現在、3本の係留計(うち1本にはセディメントトラップ付)が海中にあって測流中である。更に、冬期の過冷却による深層水の生成過程を調べる目的で、平成7年3月1日から、ウラジオストック沖において、3国共同観測が実施された。これは、次年度以降に予定されている本格的な冬季観測の準備観測として位置づけられている。2.現地観測による新しいデータセット取得の努力と並んで、室内実験に関する共同研究も活発に実施された。即ち、昨年度の研究集会での打ち合わせに従って、日・韓・露でそれぞれ冷却沈降過程に関する実験を進めるとともに、平成6年10月にはロシア・シルショフ研究所からディカレフ氏(研究協力者)を日本に招き、また、研究代表者が韓国漢陽大学を訪問し研究途中成果の比較検討を行った。この共同研究においては、特に、自由表面を確保する冷却(駆動)方法が試みられ、従来の固体表面を持つ実験と著しい差異があることを見出した。しかし、こうした実験結果を現実の沈降現象と結びつけるには、冬季における集中的現地観測の成果を持たねばならない。3.昨年1月の研究集会での検討・打合わせに従って、日・韓・仏・中・(米)の研究者により、日本海及び東シナ海域に関する数値モデル研究が共同で進められた。その成果として、東韓暖流の挙動(特に離岸現象)を忠実に再現できる新しい日本海数値モデルを開発するとともに、黒潮を含む東シナ海域の季節変動のメカニズムを解明するための数値モデル研究がなされた。4.夏季観測の際に放流したドリフタ-(アルゴスブイ)の挙動は韓国・成均館大学及び海洋研究所で受信され、衛星の熱赤外画像と高度計データは九州大学で連続的に収集された。こうした表層に関する情報を有機的に結合し、検討するため、平成7年1月に成均館大学の崔教授が九州大学を訪問した。5.以上の共同研究活動の全成果を多面的に検討し統合するために、平成6年11月7〜8日の2日間に亘り、韓国ソウル大学に於いて開催された国際研究集会に参加した。この集会には、日本・韓国・ロシアから、一般参加も含めて、約70名の参加者があった。参加者の専門分野が、海洋物理、化学、海洋工学及び生態学と多岐にわたっていることは学際性を標ぼうする本研究の特色を象徴するものである。アメリカからも2名の特別参加があり、本研究が口火を切った日本海及び東シナ海に関する学際的・国際的研究に対するアメリカの並々ならぬ関心が表明された。なお、ここで公表・検討された成果は、逐次、学術誌において印刷公表される予定である。過去2年に亘る本研究成果の総括もなされたが、そこでは、本研究が取得した新しいデータセットは、問題に解答を与えるというよりも、むしろ、新たな問題を提起する性質のものであることが認識された。そのため、最終セッションでは、提起された問題を解明して行くための今後の方策(主に現地観測)が詳細に検討された。
著者
小野 勇一 伊澤 雅子 岩本 俊孝 土肥 昭夫 NEWSOME Alan KIKKAWA Jiro
出版者
九州大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1988

代表者らのグル-プは,森林に起源を持つといわれている食肉目の社会進化を明らかにするために、これまでネコ科、特に小型種について研究を進めてきた。特に小型ネコ科の社会形態とその維持機構を、様々な環境で野生化したイエネコの研究によって明らかにしてきた。すなわち、小型ネコ科の社会の適応性は生息環境の資源量と強い関連性を持つことが示唆された。この適応性についての試論は国内では野生種の小型ネコ、イリオモテヤマネコとツシマヤマネコの調査によって、すでに検討を始めている。ネコ科の社会進化を論ずる上で、イエネコの人間社会と完全に隔離された自然状態での社会形態と、その起源種である野生種の小型ネコの社会形態と比較することは重要なポイントとなる。しかしながら、わが国において野生化したイエネコの生息域とその中の資源量は、ほとんどの地域で人間生活との関連が深く、完全に自然状態で野生化したイエネコの生息域はない。本研究では、オ-ストラリア大陸内部に人間社会の影響がほとんどない地域で野生化したイエネコを対象にして、その社会生態と環境資源利用の調査を実施した。オ-ストラリアには西洋人の入植以来200年間にイエネコが野生化し、現在では大陸のほとんどの地域に分布している。人間生活の影響をまったく受けない森林地帯・半乾燥地帯・砂漠などに生息している野生化したイエネコは、その始原種であるヤマネコと同様に、ハンティング(狩り)によって生活をしている。一方、この野生化したイエネコは、オ-ストラリア固有の貴重な動物相に重要な影響を及ぼしている。これらの固有種の保護のために、野生化したイエネコの生態学的調査も本研究の重要な課題のひとつである。調査は、ニュ-サウスウェルズ州のヤソン自然保護区で行った。この保護区内に調査地を設け、1988年と1989年の2年間に約12ヶ月間滞在して資料を収集した。調査地内のネコの大部分を補獲し、発信機あるいは耳環を装着して個体識別し、テレメトリ-法と直接観察によって行動が追跡された。この地域の野生化したイエネコは、年中ほとんどの餌を野生化したアナウサギに依存していることが明らかになった。このことから、2年目にはアナウサギの生態学的調査も行った。調査の結果は、完全な自然条件のもとで野生化したイエネコの社会形態の基本型は、小型ネコの野生種とほとんど変わらないこと、また生息地の資源量がその基本型の変異に強い影響を持つことが明らかとなり、研究グル-プの試論が証明される大きな成果が得られた。2年間に渡る継続した資料が得られたことから、調査地内のネコの定住性と分散過程の資料が得られ、哺乳類に頻繁に見られる「雄に偏よった分散」を実証でき、またその分散の要因が、定住雄の繁殖活動によることが観察によって明らかにされた。さらに分散が確められた個体の分散過程の資料も得られた。これらの結果は、ネコ科の社会形態の維持機構解明に重要な手がかりを与えるものである。次にこの地域の野生化したイエネコは年間の餌の大部分をアナウサギに依存していることから、単純な食う=食われる関係のもとに成り立っていた。このことからネコのホ-ムレンジの大きさは、餌資源の季節的な変化に対応して決定されること、またネコの繁殖も餌の利用しやすい時期と同調していることを用いて、食う=食われる関係のシュミレ-ションモデルが導かれた。また、保護区の鳥類相の調査も平行して行い、ネコによる被食の程度は、主な餌であるアナウサギの個体数が最も少なくなる厳冬季にはかなりの程度補食されていることが明かとなった。このことから、小型哺乳類の生息が少ない地域や季節には、野生化したネコのオ-ストラリア固有動相への影響は大きいことが示唆された。本研究で得られた研究結果は各分担者ごとにサブテ-マごとに論文として公表され、また全体的には報告書の形でまとめられた。この研究成果は、特にオ-ストラリアでこれまで大きな問題となっていた野生化したイエネコについて多くの新しい知見を与えるもので野生動物保護管理のうえで貢献するものと期待される。
著者
池田 浩士 村上 勝彦 玉 真之介 田中 学 坂下 明彦 川村 湊 馬 興国 劉 立善 劉 含発 衣 保中 黄 定夫 梁 玉多 山室 信一 森 久男 我部 政男 井村 哲郎 蘭 信三 徐 明勲 歩 平
出版者
京都大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1995

本研究は、旧「満州」へ送り出された日本人農業移民の実態を総合的に解明し、日本の近現代史のひとこまを新たな視覚から再構成することを目的としたが、とりわけ次の諸点で成果を収めることができた。1.「旧水曲柳開拓団」の生存者たち、及び入植現地の中国農民生存者たちからの聞き取り調査と、日中双方の関係農村のフィールドワーク調査によって、日中農民の接触実態や土地収用とその後の営農状況等について、多くの証言と、それを裏付けるデータを得た。2.農業技術、雇用状態等、日中双方の農業史における未解明の領域で、具体的な実態を解明するための多くの手がかりを得た。3.稲作地帯である入植地の朝鮮族農民、さらには朝鮮半島から「満州」へ送り出された朝鮮人農民に関する調査研究を、韓国の研究者および中国の朝鮮族出身研究者たちとの共同作業として重点的に進め、未開拓のこのテーマについての証言とデータを多数得た。4.「満蒙開拓団」政策の形成と実施の過程に関する資料の探索・分析に努め、この政策を推進したイデオローグたちの役割を、思想史の中に位置付ける作業を行った。5.「満蒙開拓団」を、政治・経済・農業・軍事などの次元にとどまらず文化の領域における問題としてもとらえ、文学・報道・映画・音楽などとかかわるテーマとして考察した。これによって、日本国民の感性の中へ「満州」と「満蒙開拓団」が浸透していった実態の一端を解明することができた。6.聞き取りとフィールドワークの記録を、ビデオテープ、音声テープに大量に収録したが、生存者がますます少なくなっていくなかで、これらは重要な歴史的ドキュメントとなるであろう。
著者
宝来 聰 潘 以宏 斎藤 成也 石田 貴文 PAN I-Hung
出版者
国立遺伝学研究所
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1991

本研究は、2年間にわたる台湾先住少数民族の人類遺伝学的調査である。これら先住民族は、高山族(現地では山胞)と総称されているが、過去における言語・風俗の違いより、さらに9種族(プユマ族、ルカイ族、パイワン族、ブヌン族、アミ族、ヤミ族、タイヤル族、ツオウ族、サイセット族)に分類されている。この研究では、これら9族すべてを網羅した、各種遺伝マ-カ-を指標とした人類遺伝学的研究により、各種族の遺伝的特徴を明かにすると共に、高山族間の遺伝的関係さらには、他の人類集団との比較分析より高山族の遺伝的位置づけを解明することを目的としている。さらに、中国人や高山族間での混血化の進むいま、リンパ球の株化により人類遺伝学的に貴重な試料の永久保存もひとつの目的としている。平成2年度の調査は予想以上に進展し、台湾本島南部5種族(プユマ族、ルカイ族、パイワン族、ブヌン族、アミ族)および蘭嶼島のヤミ族に関しても調査、採血を終了することができた。従って平成3年度は、本島中北部の3種族(タイヤル族、サイセット族、ツオウ族)の調査・採血を行ない、当初予定した高山族9種族の研究調査が完了することが出来た。さらに、一種族あたり40名ぐらいの採血予定であったが、いずれの種族でもこの数を上回る検体が収集でき、9族で総計661名より血液試料を得ることができた。内訳は、プユマ族・64名、ルカイ族・54名、パイワン族・60名、ブヌン族・88名、アミ族・72名、ヤミ族・78名、タイヤル族・100名、ツオウ族・81名、サイセット族・64名である。2年間の調査研究によって台湾少数民族9種族の試料を分析することが可能になった。既に各種族ごとに血液型の分布を明らかにした。血液型は日赤医療センタ-との共同で、10形質についてすでに分析を終了したが、学術上極めて注目すべき結果が得られた。ミルテンバ-ガ-型は、東南アジア、中国においては約10%の抗原頻度を示し、日本においては1%以下の抗原頻度しかない。しかし、蘭嶼島のヤミ族では50%、本島海岸部のアミ族では90%と今までの人類集団では報告のない高い抗原頻度を示した。さらに、ブヌン族、パイワン族ではこの抗原は全く見いだされず、プユマ族、ルカイ族では10%以下と、高山族の各族で顕著に抗原頻度が異なることが明かとなった。さらに各種族ごとにHTLVー1抗体の陽性の頻度を検索したが、タイヤル族の1個体のみが陽性であった。さらに陽性個体に関してはウイルスゲノムの解析した。ミトコンドリアは、3%(タイヤル族)から46%(ヤミ族、ツオウ族)まで集団によって大きく異なる結果であったが、高山族全体では28%となり、いままで報告のある東アジア集団(日本人、韓国人、中国人)では一番の高値を示した。また、ミトコンドリアDNA・Dル-プの塩基配列を各種族より数個体で決定した。これらの塩基配列のデ-タは、大型コンピュ-タで処理し、種族内および種族間での遺伝的変異を定量化した。さらにミトコンドリアDNAの分子系統樹を日本人、中国人を含む他集団のデ-タを加えて作成し、高山族の遺伝的位置づけを行なった。ミトコンドリアDNAおよび血液型の調査結果からは、高山族全般には南方系モンゴロイド集団の特徴を示すことが明かとなった。しかし、9種族の族間の多様性が顕著に観察されたことより、比較的最近まで種族間において遺伝的隔離があったものと考えられる。また日本側班員のもつ最新のDNA分析技術の台湾への導入も国際学術研究としての大きな目標のひとつであった。さらにセルライン化した試料は先住少数民族の貴重な遺伝子資源として、将来台湾および日本間での様々な共同研究に応用できると考えられる。
著者
桂 紹隆 TILLEMENS To STEINKELBER 稲見 正浩 本田 義央 小川 英世 HAYES Richar TILLEMANS To STEINKELLNER エルンスト KRASSER Helm ERNST Prets MUCH T.Micha ERNST Steink
出版者
広島大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1996

インド原典からの「仏教論理学用語辞典」編纂の為の国際共同研究の最終年に当たり、昨年に引き続き仏教論理学の重要なインド原典のうちPramanavarttikalamkaraのコンピューター入力を完了した。本研究の主要なパートナーであるウィーン大学のチベット学仏教学研究所でもダルマキールティのHetubinduに対する複数の注釈のコンピュータ入力を完成している。今後の課題は、引き続き重要な仏教論理学テキスト、例えばTattvasamgrahapanjikaを入力し、広島大学文学部のホームページなどから一般に公開することである。ウィーン大学チベット学仏教学研究所から刊行予定の「仏教論理学用語辞典」は3部から構成される。第1部は、仏教論理学の主要な綱要書であるNyayabindu,Nyayapravesa,Tarkasopana,Hetutattvopadesaなどから集められた仏教論理学用語の定義集であり、これは既に完成している。第2部は、上記定義集には収められていないが重要と考えられる仏教論理学用語を理解するために必要な文章を綱要書以外の多数の仏教論理学テキストから集めたものである。記載項目は過去数度にわたる共同研究参加者の会合によって決定しているが、全ての項目について必要な情報が収集されるには到っていない。従って、近い将来その完成を目指している。第3部は、以上の資料にもとづいて、特に難解な仏教論理学用語の解説を試みるものである。その一部は、1997年11月広島市で開催した「第3回国際ダルマキールティ学会」において、各共同研究者が発表したものである。本研究の最終報告書には、1998年12月に共同研究者全員がウィーン大学に集まり検討を加えた第1部と第3部の一部を収めて公表する。なお、本研究参加者は、今後も機会を見つけて集まり、密接に連絡をとり、第2部を含めた本格的な『仏教論理学用語辞典』をウィーン大学チベット学仏教学研究所より刊行する予定である。
著者
池辺 幸正 任 天山 王 作元 永峰 康一郎 飯田 孝夫 WANG Zuoyuan
出版者
名古屋大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1992

中国・日本を含むアジア地域における大気中トリチウム動態の解明に資するために、中国で実施されている環境トリチウムの全国組織による調査の機会に合わせて、中国における水蒸気中トリチウムの全国規模調査を実施した。1.測定法水蒸気のサンプリングにはモレキュラーシ-ブスを用いた。従来用いられてきたポンプを用いて捕集するactive法のほか、新たに開発した動力を用いないpassive法による捕集を行った。これは、アクリル製容器にモレキュラーシ-ブスを入れ、ふたに設けたフィルターを通して自然換気により一定速度で空気中水蒸気の捕集を行うものである。モレキュラーシ-ブスに吸着した水蒸気を加熱により水として回収するための装置を作成し、北京の衛生部工業衛生実験所に設置した。回収した水の蒸留および液体シンチレーションカウンター(Aloka LB-1)を用いた放射能計数は北京で行われた。上記の予備実験として、passive法とactive法による同時採取サンプルの放射能測定値の比較および同一水試料の中国側と日本側でのトリチウム濃度測定値の比較を行い、それぞれほぼ良好な一致を見た。passive法に用いた容器の気密性が完全でなく、月単位の期間では外気中の水蒸気の混入が問題となることが判明したため、サンプリング前後の容器は常に鉄製の密閉容器に保管した。2.passive法による地域分布の測定東アジア地域の水蒸気中トリチウムの地域分布をみるため、passive法によるサンプリングを二ヶ月毎くり返し実施した。採集期間は1992年6月から1993年9月までの16か月間(8回)、採集地点は中国全域にわたる13市(ハルピン、長春、北京、蘭州、武漢、西安、上海、杭州、福州、成都、深〓、ウルムチ、ラサ)および日本の5市(札幌、仙台、名古屋、熊本、那覇)である。得られた測定値の誤差についての最終的評価には至っていないが、測定の結果は以下の通りである。(1)中国・日本を含む東アジア地域の水蒸気中トリチウムの大略の地域分布が二ヶ月毎に得られた。また年平均値の地域分布を得た。(2)濃度レベルはウルムチと蘭州が最も高く、年平均濃度は約15Bq/lである。次に高いグループは、ハルピン、長春、北京、西安、ラサ(8〜11Bq/l)であり、武漢、成都がこれに次ぐ。沿岸部(杭州、福州、深〓)は数Bq/lで低濃度であり、日本の5地点は1〜2Bq/lで最も低いグループに属する。(3)地域分布には内陸効果および緯度効果が認められる。また過去の核実験の影響も検討すべき要素と思われる。(4)全体的に、濃度は秋、冬に高く、春、夏に低い傾向が認められる。(5)水蒸気中トリチウム濃度は、降水中濃度の推測値よりも高いレベルである。3.active法による日々変動の測定濃度の日々変動を見るため、active法によるサンプリングを地理的に特徴のある北京、蘭州、福州の3地点で実施した。サンプリングは春夏秋冬の各季節毎に10日間づつ、2日毎に実施した。北京では1992年9月の訪中時にもサンプリングを行い、水の回収および放射能測定を日本で行った。北京の9月、秋および冬のデータについては、2層流跡線モデルによる計算値との比較を行った。9月と秋のデータに関しては、測定値と計算値の濃度レベルはかなり近い値を示したが、1月の測定値は計算値の約3倍であり、今後に問題を残した。モデル計算においては、地表水のトリチウム濃度分布を過去の中国の文献値等から推測して発生源分布(蒸発による)として与えているが、今回の中国側の全国規模調査によって現在の発生源分布が測定によって得られるものと期待される。この研究で得られたデータと中国側が得ているデータに基づいて、今後トリチウムの広域環境動態の解析が進むものと期待される。
著者
伊藤 秀三 金 文洪 呉 文儒 李 じゅん伯 方 益燐 高 有峰 盧 洪吉 孫 泰俊 松野 健 松岡 数充 東 幹夫 茅野 博 OH Moon-you LEE Joon-baek GO You-bong RHO Hon-kil SOHN Tac-jun KIM Moon-hong 李 〓佰 方 益燦 慮 洪吉
出版者
長崎大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1992

済州島と佐世保の潮位差変動調査から,夏季には潮位差変動が比較的少ないこと,夏季の方が冬季に比べて潮位差が大きくなっていることが判明した.海面下3mに抵抗板を持つ漂流葉書を九州西方域に流し,それが海上で回収された結果から,同海域の対馬暖流の流れが,夏季には20cm/s程度であることが示唆された.東シナ海を鉛直方向に密度一様とした簡単な数値モデルをによると,朝鮮海峡に向かう流れが,東シナ海の等深線の分布に深く関係していることが示唆された.済州島周辺の海洋観測の結果,冬季には黄海暖流が済州島西方から朝鮮半島沿岸に流入し,夏季には黄海低層冷水が朝鮮半島沿岸を南下してくる様相が明らかになった.済州島周辺で1991年から1992年にかけての橈脚類群集の季節変化を調査した結果,黒潮域にも生息する7種の外洋性種が主要構成要素であり,Paracalanus indicusが早春,初夏,初冬に,Calanus sinicus,Acartia steuteri,Corycaeus affinis,Oncaea pluniferaが冬季と夏季に,A.omoriiが秋季のみに最高出現頻度を示すことが判明した.対馬浅芽湾および朝鮮半島南部沿岸の表層堆積物中の渦鞭毛藻シスト群集を初めて観察するとともに,表層水温と種多様度に正の相関関係のあることを示した.済州島の東水岳旧火口のボーリングにより,鬼界カルデラ起源のアカホヤ火山灰が済州島にも降下したことが判明した.西帰浦西方の旧火口ボーリングにより約50000年前以降の連続した堆積物が採取された.約20000年前の堆積物からは淡水産渦鞭毛藻シストが発見された.男女海盆の堆積物の花粉分析から最終氷期最盛期頃の照葉樹林は南九州低地部に対応していたことが明らかになった.陸上高等植物では,照葉樹129種について対馬暖流域の日韓島嶼域における分布を明らかにした.このうち53種は日本のみに,4種だけが韓国側に,残りは日韓両方の島嶼に分布する.岩角地植物のうち,チョウセンヤマツツジは日韓両方の尾根上と河岸の岩角地に自然分布し,済州島ではチョウセンヤマツツジ-シマタニワタリ群集が新記載された.また日韓両地にはダンギク-イワヒバ群集の岩角地での発達を確認した.朝鮮半島南部,済州島,五島・福江島,対馬,隠岐,鹿児島地域で採取したアユの19酵素をデンプンゲル電気泳動法で分析した結果,多型的な12の遺伝子座のうちGpi-1では福江島産と他地域,Pgm-1では隠岐産と他地域に明らかな差があり,いずれも人口アユ種苗放流による創始者効果によると考えられた.朝鮮半島南部,長崎周辺,福江島,中通島,対馬で採取したタカハヤに含まれる8種の酵素について検討した結果,朝鮮半島南部の個体群が九州本土や島嶼の個体群と僅かな遺伝的距離でつながっていることから本種の種個体群としての統一性が示されたとともに,中通島や下対馬のような分断された個体群では強い遺伝的浮動によって特異な遺伝子構成が保持されていることが明らかになった.血漿と赤血球中のタンパク質の電気泳動法およびミトコンドリアDNAの制限酵素切断法によって対州馬と済州馬の系統関係を検討した結果,両者は極めて近縁であることが判明したとともに,それらの起源が蒙古の野生馬(Equus przewalskii)にあることが示唆された.朝鮮半島,済州島,対馬,壱岐,五島列島,九州で採取したショウリョウバッタ,ショウリョウバッタモドキ,オンブバッタの過剰染色体(B染色体)を調査した結果,いずれの地域の集団にも過剰染色体が検出された.さらにオンブバッタでは朝鮮半島と九州の集団に共通の染色体多型がみられた.以上の事実は地質時代には朝鮮半島と九州が陸続きであった事を裏付けている.朝鮮半島,中国,台湾,南西諸島,九州およびその島嶼域のショウジョウトンボの染色体型を検討した結果,2n♂=24(n=12)型と2n♂=25(n=13)型の南北方向の分布境界が奄美大島と屋久島の間にあり,東西方向の分布境界が対馬と朝鮮半島の間にあること,さらに2n♂=24(n=12)型が日本列島に固有の染色体型であることが明らかになった.
著者
難波 恒雄 唐 暁軍 小松 かつ子 門田 重利 胡 世林 TANG Xiao-jun 宮代 博継
出版者
富山医科薬科大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1993

大乗仏教(根本思想にインド医学が反映する)が伝播した地域で発達している伝統医学を,医療及び薬物の面から比較し,各地におけるインド医学(アーユルヴェーダ)の展開または対立関係を解明することを通して,北方系東洋医学の個々の特徴を明確にすること,及び調査の過程で現代医療に貢献できる薬物や養生法を見つけ出すことを目的にして現地及び文献調査を行った.具体的には、寺院(漢伝仏教系,蔵伝仏教系)で行われている医療(1a,b),仏教と融合した形で成立しているチベット医学(2)及びモンゴル医学(3)について,寺院,蔵(蒙)医院,製薬所,蔵(蒙)医学院などで聞き取り調査し,また経典中の医薬学部分または文献(4)を調査した.さらに,道家思想の基に発達した中国医学に仏教が影響を及ぼしたか(5)についても検討した.蒐集した薬物は原植物の同定研究及び血糖降下作用,抗HIV作用などの研究に供した(6).結果は次のとおりである.1a.河西走廊:敦煌石窟の医画,出土された医学の衛生予防面の内容(歯磨き,理髪,入浴,気功)に仏教の医学部分の影響が見られた(4〜9世紀の状況).現在の仏教の中心地の五台山,九華山,峨眉山,及び福建省など:漢伝仏教系寺院では善行としての医療活動がわずかに見られた.自己経験として中国医学を学んだ者,中草薬の知識のある者,気功や推拿術を修得した者(先祖代々;師から伝授;出家前に中医師;自身で名医の処方を集めた等)が医療にあたり,精神面を除くと草医師または中医師と変わらなかった.福建省では寺院に付属診療所を設けて中医師や西洋医師を雇っていた.1b.蔵伝仏教系寺院では医方明(医薬学)が重視され,かつては殆どの寺に医薬学院(マンパザサン)と医院があったが、現在残る所はわずかである。青海省の塔爾寺では40名の学僧が医薬学院で『四部医典』,『藍瑠璃』,『晶球本草』などを教科書にしてチベット医学を学び,また医院では40数名/目の患者を100種類の製剤を用いて治療していた.常用生薬は約500種類,その内主要品はインド薬物であった.2.チベット医学は理論面ではインド医学を踏襲するが、薬物の面では独自性があり,西蔵の蔵医院では丸剤が多用され(製剤数200〜350種類),原料生薬500〜700種類の内インド産は20%にすぎず70%が西蔵産,それらは高地性植物の地上部からなるものが多い.一方,青海省蔵医院では散剤が多く,薬浴によるリウマチ,皮膚病の治療に力が入れられていた.生薬は30%を中薬材公司から購入しており,中国化(漢化)が見られた.紅景天,兎耳草,冬虫夏草,蔵茵陳,独一味などが研究対象であった.3.モンゴル医学は外治療法(瀉血,灸,針刺,罨法,振動治療,接骨術)や食餌療法(馬乳酒の利用)に特徴があった,散剤が多用され,原料生薬はチベット生薬と同名であっても基源の異なるものがあった.4.チベット大蔵経丹珠爾の医方明部に収められた『アシュターンガ・フリダヤ・サンヒタ-(医学八分科精粋便覧)』はチベット,モンゴルへのインド医学の伝播に大きな役割を果たしていた.また,大正新脩大蔵経の律蔵の「根本説一切有部毘奈耶薬事」に収載された薬物は、今日でも主要なインド薬物であった.5.『金光明最勝玉経』や『摩訶僧祇律』に見られる「病に4種(風,熱,痰〓及び総集の病)があり,それぞれに101病がある」という概念は,陶弘景校訂の『補闕肘後百一方』,孫思〓著『千金要方』などに見られた.玉〓撰の『外台秘要』ではインドの眼科治療が紹介され,本書収載の処方の約1/3はインドの方剤であるなど,仏教医学は仏教隆盛期(6〜8世紀)には中国医学に影響を与えていた.当時伝来したインド薬物(訶子,鬱金,白豆葱,木香等)は現在でも重要な漢方処方の構成生薬になっている.6.チベット生薬86点,同製剤17点,モンゴル生薬約100点,同製剤50点,道地薬材(中薬,草薬)約200点,薬用資源植物約750点を蒐集し得た.その内チベット生薬sPru-nag,gYcr-ma,Bya-rgod sug-pa,sPang-sposなどの原植物を確証した.活性成分の研究ではSwertia mussotii Franch.の全草(蔵茵〓)のエタノールエキスの血糖降下作用を日本産のSwertia japonica Makinoなどと比較検討し,それらの活性成分がbellidifolinであることを明らかにした.またPhyllanthus emblica L.の果実から逆転写酵素阻害活性を有する化合物putranjivain A(50%阻害濃度3.9μmol/ml)を単離同定した.
著者
近藤 滋 COHN Melvin 本庶 佑
出版者
京都大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1996

複雑な生命現象を分子レベルで解析する場合、in vitroのシステムを確立することが重要である。クラススイッチを起こす細胞株はいくつか報告されているが、いずれもその効率はかなり低く、詳しい分子的解析には不向きであった。そこで我々は、高い効率で、安定してクラススイッチを起こす細胞を得る目的で、CH12.LX細胞に繰り返しシングルセルアイソレーションを行った結果、従来の約10倍の効率でクラススイッチを安定して誘導できる極めて優れた実験系を開発することができた。従来、ミエローマ等をつかって組み替え部位の解析が行われていたが、その場合、二次的な組み替えが関与している可能性があったため、正確な部位の特定ができているとは言い難かった。組み替え部位の特定は分子機構を探る上で再重要な情報である。CH12細胞をつかって組み替え部位の解析を行えば、組み替えの誘導から短時間でDNAの解析が行えるため、正確な(2次的組み替えの可能性のない)情報が収集できる。この考えに基づき、組み替え部位のDNAを200以上単離した。その結果、以下の意外な事実が判明した。1)遺伝子の組み替えは、従来考えられていたS領域以外の周辺領域でも、かなり活発におこっている。2)組み替えの起きる位置の上流の上限はgermline transcriptのスプライシング部位あたりであった。この2つの情報は従来のモデルの妥当性に関し、強く疑問を投げかけるとともに、新しいモデル構築の基礎となる可能性が大きい。
著者
鍔田 武志 RAJEWSKY Kla LEDERMAN Set CLARK Edward 近藤 滋 上阪 等 仲野 徹
出版者
東京医科歯科大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1994

我々は、濾胞性樹状細胞(FDC)やTリンパ球によるBリンパ球のプログラム死や分化の制御、とりわけ細胞間接触による制御の機構について検索を行った。活性化T細胞とB細胞が接触した際には、活性化T細胞上のCD40L分子がB細胞上のCD40分子と反応する。CD40を介するシグナルがB細胞の活性化や増殖、分化の際に重要な役割を果すことが示されていた。また、FDCがB細胞の生存や分化に何らかの役割を果たすことも示唆されていた。そこで、我々は、細胞株を用いて、T細胞やFDCとB細胞との反応を解析できる細胞系の確立を試みた。まず、我々は、T細胞株JarkatのCD40L陽性の変異株D1.1や可溶化CD40L分子、抗CD40抗体はいずれも、CD40を介してシグナルを伝達し、B細胞株の抗原レセプター架橋によるアポトーシス(プログラム死)を阻害することを明らかにした。また、これらCD40を介するシグナルはIL-4やTGF-βの存在下で、B細胞株CH12.LVのIgMからIgAへのクラススイッチを著明に誘導することを示し、さらに我々は、これらの刺激により非常に効率よくクラススイッチをおこすCH12.LVのサブクローンF3を得た。また、株化FDCと種々の株化B細胞を共培養し、FDCによるB細胞のプログラム死や分化の制御を検索したところ、B細胞株WEHI-231の抗原レセプター架橋によるアポトーシス(プログラム死)がFDCとの共培養により阻害されることを明らかにした。次に、以上の細胞系を用いて、FDCやT細胞によるB細胞のアポトーシスやクラススイッチの制御機構を解析した。まず、FDCによるWEHI-231のアポトーシス阻害の際には、FDCはCD40のリガンドを発現せず、また、LFA-1,ICAM-1,VCAM-1などの抗体ではFDCの作用を阻害できないので、CD40やこれらの接着分子を介さない経路によりWEHI-231のアポトーシスを阻害することが明らかとなった。また、WEHI-231ではCD40シグナルによりbcl-2やbcl-xといったアポトーシス阻害分子の発現が誘導されるが、FDCにはこのような作用はなく、CD40とは異なった機構でアポトーシスを阻害することが強く示唆された。FDCによるB細胞アポトーシス阻害に関与する分子を同定する目的で、WEHI-231やFDCに対するモノクローナル抗体を作成したが、B細胞アポトーシスの制御に関与する分子は同定できなかった。また我々は、CD40シグナルによるB細胞アポトーシス阻害の機構をWEHI-231を用いて検索した。まず、WEHI-231細胞においてCD40シグナルによりその発現が変化する遺伝子をdifferential displayにより同定することを試みた。しかしながら、differential displayの方法上の制約などのため、発現が大きく変化する遺伝子を同定することはできなかった。一方、我々は、WEHI-231の細胞周期回転の制御機構の研究から、CD40シグナルが細胞周期阻害分子p27^<Kip1>の発現を著明に阻害することを明らかにしていたが、p27^<Kip1>のアンチセンスオリゴによりp27^<Kip1>の発現を低下させると、WEHI-231の抗原レセプター架橋によるアポトーシスが阻害されることを明らかにし、p27^<Kip1>がCD40シグナルによるB細胞アポトーシスの制御で重要な標的分子であることを示した。また我々は、F3細胞を用いてCD40シグナルによるクラススイッチ誘導機構の解析を行った。まず、組み換えが起こる免疫グロブリンC領域の胚型転写とそのメチル化について検索したところ、脱メチル化の度合いとスイッチ組換えの起きる比率がきわめてよく相関していたが、胚型転写はスイッチとは相関しなかった。したがって、胚型転写は組換えとはあまり関係がなく、メチル化が組み換えの分子機構に何らかの関係があることが示唆された。さらに、CD40シグナルによる免疫グロブリンクラススイッチに関与する分子を同定する目的で、CD40Lなどで処理したF3細胞由来のcDNAと無処理のF3細胞のmRNAの間でサブトラクション法を行い、CD40Lなどの刺激で誘導される遺伝子を2つ単離した。現在、この遺伝子がクラススイッチに本当に関与しているか解析中である。