著者
亀岡 慎一 礒田 修平 橋本 篤 伊藤 良栄 宮本 哲 和田 弦己 渡辺 直樹 亀岡 孝治
出版者
農業情報学会
雑誌
農業情報研究 (ISSN:09169482)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.11-25, 2017

<p>高品質ワイン生産を目的とした最適ブドウ栽培管理のためには,ワイン用ブドウ栽培における科学的な理解に基づいた栽培環境の長期的なモニタリングが必要と考えられる.本研究ではワイン用ブドウ圃場の既設無線センサネットワーク(WSN)のシステム更新を行い,WSNによる圃場の生育環境情報取得と,生産者がその栽培環境情報を栽培に活かせるようなWebアプリケーション開発を行った.システムに関しては,無線規格の2.4 GHz帯からWi-SUN規格に準ずる920 MHz帯への変更とウェザーステーション・土壌水分センサの変更を伴う無線ネットワークシステムの抜本的な更新を行い,WSNからのデータ取得では,共通基盤クラウドを経由した圃場生育環境情報取得による観測項目名と単位名の標準化を行った.また,隣接して設置した気象庁の検定付きウェザーステーションのデータと比較することで,ウェザーステーションデータの精度検定を行った.開発したWebアプリケーションでは,栽培管理に有効な生育環境情報の二次栽培指標である有効積算温度(AGDD),Growing Season Temperature(GST),Coolnight Index(CI),Heliothermal Index(HI),Biologically Effective Degree-Days(BEDD),Dryness Index(DI)を求めることにより,科学的根拠に基づいた栽培管理に寄与する定量的指標の提供を可能とした.</p>
著者
松本 孝朗 山下 直之 伊藤 僚 樊 孟 稲葉 泰嗣 渡辺 新大
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
日本体育学会大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.69, pp.130_1, 2018

<p> 2020東京オリンピックとパラリンピックが開催される真夏の東京の「高温・多湿」の暑さは、選手はもちろん、観客、スタッフやボランティアにとっても大きな問題であり、熱中症の大量発生も危惧される。【方法】2017年7・8月、東京オリ・パラのマラソンコース(国立競技場⇔浅草雷門)1km毎の21地点に、携帯型WBGT計(黒球式熱中症指数計、タニタ)を設置し、1分毎のWBGTを記録した。時間を横軸に、スタートからの距離を縦軸にとり、18℃~23℃(黄色)、23℃~28℃(褐色)、28℃~31℃(赤色)、31℃以上(黒色)の色スケールでWBGTを表し、「WBGT(時間×位置)マッピング」を作成した。【結果・考察】2017年の東京は涼夏であったが、実測した6日間のうち暑い方の2日においては、午前7時半(スタート予定時刻)~10時のコースほぼ全体が、WBGT28℃~31℃(赤色:熱中症リスク極めて高い、市民マラソン競技を行なってはならない)、31℃以上(黒色:原則運動中止)であった。スタート時刻を1時間繰り上げることで、大きく緩和できることが示された。【結語】スタート時刻の繰り上げを提言したい。</p>
著者
伊藤 久恵
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.46-57, 1997

In der letzten Halfte des 19. Jahrhunderts sind verschiedenartige Kunstwissenschaften wie die Wissenschaft fur bildende Kunst erschienen. Man kann auch sagen, dass die empirischen, positiven Kunstwissenschaften der traditionellen Asthetik uberlegen geworden sind. Guido Adler (1855&acd;1941) war einer der Musiwissenschaftler, die in dieser Zeit gelebt haben und versucht haben, Musikgeschichte als "Wissenschaft" zu systematisieren. Mit in Betracht Ziehung der damaligen Geistes- und Naturwissenschaft war er bemuht, die Methode der Musikgeschichte aufzustellen. Er hat seinen Blick auf die Stilfragen, die damals schon ein Thema in der Wissenschaft fur bildende Kunst waren, gerichtet. In seinen zwei Schriften 『Stil in der Musik』 (1911) und 『Methode der Musikgeschichte』 (1919) hat er den Begriff "Stil" neu in die Musikwissenschaft eingefuhrt. Das Ziel seiner musikhistorischen Forschung war die Erklarung der eigenen Entwicklungsgesetze der Musikgeschichte und der Stilzusammenhange in musikalischen Werken. Er hat dadurch den neuen Gedanken "Stilkritische Musikgeschichte" gepragt.
著者
大西 信治郎 吉浜 博太 上田 良穂 小林 恵子 伊藤 依子
出版者
公益社団法人 日本化学療法学会
雑誌
CHEMOTHERAPY (ISSN:00093165)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.780-785, 1985

米国Pfizer社で開発されたβ-lactamase阻害剤SulbactamとABPCのmutual prodrugであるSultamicillinを耳鼻咽喉科領域感染症22例に投与し, 以下の成績を得た。<BR>慢性中耳炎12例, 急性副鼻腔炎1例, 慢性副鼻腔炎3例, 急性扁桃炎4例, 慢性扁桃炎1例, 慢性咽頭喉頭炎1例の計22例の臨床効果は, 著効4例, 有効8例, やや有効6例, 無効4例で有効率は54.5%であった。<BR>副作用としては2例に下痢が認められた。本剤によると思われる異常値は, BUNの上昇が1例, Al-Pの上昇が1例, γ-GTPおよびLDHの上昇が1例に認められた。
著者
伊藤 岳史 岩堀 裕介 筒井 求 梶田 幸宏 花村 浩克
出版者
日本肩関節学会
雑誌
肩関節 (ISSN:09104461)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.598-601, 2017

16歳女性,ハンドボール選手.ハンドボール中に右肩水平外転肢位を強制され,右肩関節が亜脱臼した.その後,右肩脱臼不安感が持続するため当科受診した.外傷性肩関節前方不安定症と診断し,Bankart損傷とSLAP損傷および関節上腕靭帯上腕骨側剥離(HAGL)損傷の鏡視下修復術を行った.術後に腋窩神経固有支配領域の知覚低下と三角筋麻痺を確認し,針筋電図検査にて三角筋に脱神経電位を認めたため,術後3か月時に腋窩神経剥離術を行った.HAGL修復に用いた縫合糸が腋窩神経を貫通し結紮していた.糸を除去した上で神経剥離術を行った.神経症状は良好に改善し,再手術後6か月でハンドボールに完全復帰した.HAGL損傷の鏡視下修復術の際には腋窩神経損傷の危険性を念頭に置いて慎重に行う必要がある.
著者
伊藤 穣一 浅川 直輝
出版者
日経BP社
雑誌
日経エレクトロニクス (ISSN:03851680)
巻号頁・発行日
no.1059, pp.79-81, 2011-06-27

2011年4月25日に明らかになった、「デジタルガレージ共同創業者の伊藤穣一氏がMIT Media Labの4代目所長に就任」というニュースは、二つの意味で驚きをもって迎えられた。一つは、伊藤氏が研究者としての学位を持たない人物であること。
著者
藤川 浩 伊藤 武
出版者
Japanese Society of Food Microbiology
雑誌
日本食品微生物学会雑誌 (ISSN:13408267)
巻号頁・発行日
vol.12, no.4, pp.203-208, 1996-03-20 (Released:2010-07-12)
参考文献数
45
被引用文献数
1
著者
伊藤 正二
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.45, no.5, pp.511-536,599-59, 1980-02-29 (Released:2017-07-15)

Most of the Indian zaibatstu, the owners of the larger industrial houses of present day India belong, community-wise, to the Marwaris, the Gujerati-Banyas, or the Parsis. This article examines the nature of business activity and institution of each of these three major business communities just before and after the time of their entry into modern industrial enterprises, i.e., around the middle of the 19th century in the case of the Parsis and the Gujerati-Banyas and at the turn of the present century in the case of the Marwaris. The main purpose of this article is to find out that these communities shared some common features when they entered the modern industrial fields in spite that they did so, as is well known, at different times and through different paths. The conclusions are as follow; Firstly, the fact that most of the owners of the present day Indian zaibatsu belong to a very few particular business cnmmunities originates from the historical facts that only the large scale merchant capitalists were in a position to start modern industry in the backward and colonial economy and that a few business communities dominated the industrial fields right from the beginning of the Indian modern industrial capitalism. Secondly, the success as prominent merchant class by the particular communities, especially the Marwaris and the Chettiars, and perhaps all the other successful business communities, was not a little due to existence of some kind or other of the institutions that accomodated unsparingly the needs and wants of their own communities' members. Thirdly, those merchants wgre no doubt basically compradors. But the few Parsis and Marwaris that first ventured in modern industry had been of less comprador nature: They had been engaged in such relatively independent business as foreign trade on their own account, or speculation on large scale. This article, en Passant, notes that absorption and amalgamation movement was not so unimportant a factor, as is usually argued, for bringing forth the larger managing agency houses so far as the cotton textile industry of Bombay, the strong-hold of Indian capitalists, during the nineteenth century is concerned. There occurred very many failures of the cotton mills then, which certainly helped some of the mnaging agency houses to emerge as dominant ones.
著者
伊藤 晋 山本 茂一 林 司 加藤 誠司 日裏 久英 松本 雅則 藤村 吉博
出版者
一般社団法人 日本輸血・細胞治療学会
雑誌
日本輸血細胞治療学会誌 (ISSN:18813011)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.27-35, 2010

ADAMTS13は,止血因子であるフォンビレブランド因子(VWF)のA2ドメイン内のTyr<sup>1605</sup>-Met<sup>1606</sup>間のペプチド結合を特異的に切断する酵素である.この切断により新たに生じるペプチドのC末端Tyr1605を特異的に認識するモノクローナル抗体を用いて,基質の切断生成物をELISA法で直接測定する原理に基づいたADAMTS13活性測定法のキット化を行い,そのキットの基本的な性能を評価した.<br> 本キットの最小検出感度は,健常人のADAMTS13活性100%に対して,0.4%と高感度であった.また,調製したプレート内のウエル間の均一性(変動係数(CV)=3.3%)は良好で,濃度の違う検体での同時再現性(CV=1.1~4.7%)及び日差再現性(CV=2.6~7.5%)も良好であった.希釈試験では,原点に回帰する良好な直線性が得られた.またヘモグロビンやビリルビン等の共存物質の影響は,検討した濃度範囲では認められなかった.反応はEDTAで完全に阻害された.<br> 臨床検体及び健常人検体を本キットで測定したときのADAMTS13活性は,健常人プール血漿100%に対し先天性のADAMTS13活性欠損症であるUpshaw-Schulman症候群(USS)で0.5%以下~2.7%,USS保因者群で7.7~85.3%,血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)群で0.5%以下~58.1%,健常人で54.7~134.4%と測定され,TTPの診断に必要な判別能を有しており,SDS-agaroseゲル電気泳動法との相関は相関係数(r)=0.931と良好であった.本キットは優れた性能と操作性を有していることから,TTPの診断や血小板輸血時の適否判断などにおいて有用であると考えられた.<br>
著者
海老原 聡 井岡 誠司 伊藤 義道 入部 正継 何 一偉 田中 孝徳 土居 元紀 中田 亮生
出版者
公益社団法人 日本工学教育協会
雑誌
工学教育 (ISSN:13412167)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.4_94-4_100, 2021 (Released:2021-08-01)
参考文献数
12

In this paper, we report a case study of project-based learning (PBL). PBL aims to allow students to experience collaboration across disciplines. The class comprised several teams, each of which consisted of students belonging to different departments. First, the students learned biomimetics prior to PBL and attempted to develop new commercial goods with the knowledge gained. The teams could make full use of the university’s facilities, such as 3D printers, to produce objects precisely. The students’ final results included the development of a propeller for hydropower or a drone. The students evaluated themselves using a rubric that we specifically developed for the class. The evaluation confirmed that the students became aware of the need and importance of teamwork.
著者
白石 直樹 木村 竜一朗 森 樹史 澤田 貴宏 清水 重喜 坂井 和子 西尾 和人 伊藤 彰彦
出版者
一般社団法人 日本臨床衛生検査技師会
雑誌
医学検査 (ISSN:09158669)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.551-559, 2021-07-25 (Released:2021-07-28)
参考文献数
15

近年,分子標的薬の開発が急速に進み,特に原発性肺癌においてはコンパニオン診断として保険収載が多くの分子標的薬で行われている。近畿大学では2017年6月に肺癌に特化したコンパニオン検査を行うゲノムセンターを近畿大学医学部内に設置し,PD-L1(22C3),ALK(IHC),ALK(FISH),EGFR検査の受注を開始した。ゲノムセンターは2年の稼働期間に517件の検体を受け付け,検査を行った。充分量の悪性腫瘍が検出され,検査が実施できた割合は365件/517件(70.6%)であった。検査種ごとの検査数はEGFR検査が81件(稼働期間7カ月),PD-L1(22C3)は350件(稼働期間2年),ALK(IHC)は278件,ALK(FISH)は237件であった。病理部にてホルマリン固定検体を受け付けてから,検査結果を臨床に返却した日数の平均は11.8日(土日祝日を含む)であった。EGFR検査に限っては7.73日(土日祝日を含む)であった。外注検査と比較して十分に短いturnaround timeが得られた。今回,病院内で次世代シーケンサーを用いた遺伝子検査を行う新部署を新設したため,ゲノムセンターは2年間の上記検査の受注業務を終了した。自施設での検査を導入する際に起こり得る問題を提示しながら,これらの取り組みによりわかった自施設で検査を行うメリット,デメリットを報告する。
著者
伊藤 陽平
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. アーカイブズ研究篇 = The bulletin of the National Institute of Japanese Literature. 人間文化研究機構国文学研究資料館 編 (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.16, pp.39-55, 2020-03

本論の目的は、1950~60年代に展開した公文書管理改善運動の中で、行政の意思決定の中核を担っていた稟議制の性格が変容する過程を考察することである。公文書管理改善運動を推進していた人事院、行政管理庁は、末端の起案者から決裁権者の行政長官までが印判を押す稟議制による意思決定を非効率的だと認識していた。戦後初期まで、稟議制は実務に長けたベテランの下級官僚の属人的能力によって運用されており、彼らの影響力をいかに抑えるかが大きな課題となった。高度成長が本格化すると、行政需要の高まりとともに決裁文書も増大した。加えて、財政悪化を抑制するため、公務員数も抑制する必要が生じた。その結果、少ない人員で大量の文書を扱うことができる能率的な行政意思決定が必要となった。こうした状況を背景に、行政管理庁による公文書管理改善運動の最中、決裁権限の委譲と決裁規則の整備が各省庁で進行し、属人的に運用されていた稟議制はよりシステマティックな性格を帯びていった。公文書管理改善運動は、ベテラン下級官僚の力量に依存した属人的行政運営から、一定のマニュアルに基づくシステマティックな行政運営への転換を、文書行政の側面から促進するものであったと言えよう。
著者
伊藤 裕久 濱 定史 小見山 慧子 山崎 美樹
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
no.774, pp.1829-1839, 2020-08

<p> This paper seeks to clarify the transition of the townscape and the dwelling pattern of Shake-machi (Shinto priest town) of the Kasuga Taisha Shinto Shrine in the pre-modern times through the analyses of the Toma family's house which was built in the late 18th century and the existent archival materials from Toma family archives. We especially examined the formative process of the dwelling pattern of Negi (the lower-class Shinto priest) in Shake-machi during the Edo era, while paying attention to the difference before and after the Great Fire of Takabatake in 1717. The contents are as follows.</p><p> Introduction.</p><p> 1. Spatial composition and the dwelling pattern of Shake-machi at the beginning of the Meiji era.</p><p> The organization of the Kasuga Taisha Shinto shrine was constructed by the two hierarchies of the Shinto priest called Shake (the upper-class) and Negi(the lower-class). They lived in the north and south settlements separately. The north (Noda) declined, and the south (Takabatake) developed in the Edo era and 21 Shake and 93 Negi families lived in Takabatake in 1872. The houses of Negi were aligned along both sides of the main street there. Their dwelling lots of Tanzakugata-jiwari (Strip shaped land allotment) were divided into three types of the frontage dimensions (Narrow3ken/Middle5ken /Wide7-10ken). Middle and wide types accounted for most of their dwelling lots.</p><p> 2. Changing process of Shake-machi in the pre-modern times and its dwelling pattern.</p><p> In 1698, 30 Shake and 205 Negi families (double in 1872) lived in Takabatake and more over there were many Negi families which did not own their dwellings but were the tenants. Negi families did not only conduct exclusively religious services but also worked as actors, craftsmen and merchants like common people of the city. Therefore, the dwelling pattern of Negi was similar to Machiya (traditional town house of common people) style. Half of the Shake-machi was burned down in the Great Fire of Takabatake in 1717. Small Negi families without possessions or wealth were overwhelmed, and it was estimated that the new dwelling lots of a large frontage size increased by integrating their narrow dwelling lots after the Great Fire in 1717 and the new townscape with the dignity as Shake-machi was reconstructed by the sequence of the large frontage of mud walls and front gates along the street.</p><p> 3. Architectural characteristics of the house of Toma Family who was the Negi and its reconstructive study.</p><p> Toma family's house is surrounded by Tsuijibei (mud wall with a roof) with Yakui-mon Gate on its north side, and the main building has the large gable roof and Shikidai (the formal entrance). These features show the high formality of an influential Negi family. According to the reconstructive study, it was revealed that Toma family's house had been built in the late 18th century and the 2rows×3rooms plan with the earthen floor passage was originally the1row×3rooms plan connecting the lower ridge style Zashiki (2rooms). It resembles to the old Machiya of Nara-machi in the late 18th century. In this way, it is worthy of notice that Negi family's house had been developed from Machiya style by the reduction of small Negi families and the integration of their dwelling lots after the Great Fire of Takabatake in 1717.</p><p> Conclusion.</p>
著者
友信 綾 國田 広規 伊藤 有希 間嶋 満
出版者
公益社団法人 埼玉県理学療法士会
雑誌
理学療法 - 臨床・研究・教育 (ISSN:1880893X)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.51-54, 2011 (Released:2011-03-30)
参考文献数
5

脊髄性筋萎縮症(SMA)Ⅰ型では乳児期から重度の肢体不自由を呈するが,一般的に知的な遅れはあっても軽度とされており,福祉機器を使用することでコミュニケーション手段の獲得に至っている例も多い。本報告では当院入院中のSMAⅠ型児に対してコミュニケーション手段の獲得を最終目標に,導入期としてスイッチを工夫して玩具を操作できる環境を設定し,その理解度を4段階で評価した。その結果,児は現在機器操作の理解度の3段階目にあたり,スイッチと機器との一次的な繋がりは理解しているものの,完全な理解には至っていないということが解った。その背景として,子どもがコミュニケーション能力を発達させていく過程で必要な相互作用が,本児には与えられる機会が極めて乏しかったという経緯が示唆された。今回の結果を受けコミュニケーション手段獲得に向けた今後の課題として,フィードバックを強化した機器操作練習と,児からの働きかけを汲み取り,応答し,さらなる表出を促していくような取り組みの必要性を検証することができた。