著者
湯川 夏子 前田 佐江子 明神 千穂 平川 美奈子 寺田 弘美 村山 由美 久保 陽子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.29, 2017

【目的】料理活動は対象者の認知症の行動・心理症状(BPSD)の緩和や生活の質(QOL)の向上など様々な療法的効果が期待できる。我々はこれを「料理療法」として提唱し、実践的研究を行ってきた<sup>1)</sup>。<br />本研究の目的は、高齢者にとって懐かしい「粉もん」(小麦粉)メニューを開発し、効果を検証することである。今回は軽度認知障害(MCI)および軽度の認知症高齢者を対象とした実践結果を報告する。<br />【方法】2016年年7月~12月、有料老人ホーム一般居室入居者を対象に「おやつの会」を月1回、合計6回実施した。参加者は1回7-9名、スタッフは3-5名であった。各回約2週間前に参加者3名スタッフ2名で試作した。介入前後に認知症程度をCDRと「物忘れ相談プログラム」、QOL評価を高齢者用多元観察尺度(MOSES)およびPGCモラールスケールにて評価した。スタッフにより各回の全体評価(支援方法等)に加え観察調査を行った。京都教育大学研究倫理委員会の承認を受け実施した。<br />【結果】事前の聞き取りより、洋菓子を取り上げ、試作時の参加者からの提案を加味したレシピを作成した。初回は準備や支援方法に関して全体評価が低かったが2回目以降高評価であった。参加者への効果では、継続参加した7名中5名に認知症程度の改善がみられた。特に試作も含め全回参加した1名はMCIから健康な状態に回復し、MOSESによるQOLの向上、スタッフや参加者とのコミュニケーションの増加、表情の変化がみられた。他4名はMOSESや観察評価が向上し、他のアクティビティへの参加も増加した。また自室における料理回数が増加した参加者もいるなど日常生活の質の向上にも効果が見られた。<br /><sup>1)</sup> 湯川, 前田, 明神:認知症ケアと予防に役立つ料理療法, クリエイツかもがわ (2014).
著者
中村 泰人 平川 真由美 香川 治美
出版者
人間-生活環境系学会
雑誌
人間と生活環境 (ISSN:13407694)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.69-74, 2003
参考文献数
11

夏季の室温28℃への引き上げを実現するため、「袖なし通風ジャケット」(エコジャケツト)が開発された。これは、耐暑性に配慮して脇口が縦に大きく開いて風通しをよくし、品格を保つために襟がついたジャケットである。検討の結果、ファッションとしても十分、評価に耐えるものであることがわかった。つぎに、耐暑性の表現を与えるため、人工気候室を用いて熱負荷実験を行った。結果を基に発汗量、皮膚温などについて増加率を定義し、耐暑性能を評価した。その結果、「袖なし通風ジャケット」は通常のジャケットより1.5倍、耐暑性が優れていることがわかった。
著者
入江 裕之 吉満 研吾 石神 康生 田嶋 強 浅山 良樹 平川 雅和 牛島 泰宏 本田 浩
出版者
一般財団法人 日本消化器病学会
雑誌
日本消化器病学会雑誌 (ISSN:04466586)
巻号頁・発行日
vol.103, no.12, pp.1333-1338, 2006 (Released:2006-12-06)
参考文献数
12
被引用文献数
4

膵疾患のMDCT診断を行うための必要な知識として,MDCTの特長,膵のダイナミックCT, 3次元画像の臨床的有用性について解説した.MDCTの特長は高時間分解能と高空間分解能にあり,それらを利用して得られるボリュームデータは臨床に役立つ3次元画像を提供する.膵のダイナミックCTは膵実質相,門脈相,遅延相の3相撮像が基本であり,適切な撮像開始時間を設定するためには造影剤の血行動態を理解しておくことが重要である.CTAは膵疾患の術前血管造影を不要にし,MPRは膵疾患の診断能を向上させた.さらに主膵管の全長を1画像で表示できるCPRは膵疾患のMDCT診断にはなくてはならない画像となっている.
著者
園田 順一 武井 美智子 高山 巌 平川 忠敏 前田 直樹 畑田 惣一郎 黒浜 翔太 野添 新一
出版者
一般社団法人 日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.329-334, 2017

<p>ACT (Acceptance and Commitment Therapy) は, 1990年代に, 米国のヘイズら (Hayes SC, et al) によって発展され, 心理療法として, 急速に世界に広がった. わが国でも次第に知られるようになった. ACTは, その精神病理として6つの構成要素を挙げ, それに治療過程を対応させている. われわれは, これに倣って森田療法で対応した. 驚いたことに, ACTと森田療法はきわめて類似している. その共通点として, ACTと森田療法は, どちらも精神病理においては, 回避行動ととらわれがみられ, 治療過程においては, 受容と目的に沿った行動を強調している. このような中で, 1920年代に生まれたわが国の森田療法の存在は, 現在, 光り輝いている.</p>
著者
平川 南
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.35, pp.p67-130, 1991-11

古代の集落遺跡から出土する墨書土器は,古代の村落社会を解明する有力な資料である。また,これまで墨書土器は文字の普及の指標としてとらえてきた。その検討も含めて,これからは集落遺跡における墨書土器の意義は何かという大きな課題について新たな視点から考察する必要があるであろう。そこで,前稿(「古代集落と墨書土器」)では,特定した集落遺跡の分析を試みたが,本稿では,墨書土器の字形を中心に,より広域的見地から分析した。その検討結果は,要約するとつぎのとおりである。1)墨書土器の文字は,その種類がきわめて限定され,かつ東日本各地の遺跡で共通して記されている。2)共通文字の使用のみならず,墨書土器の字形も,各地で類似している。しかも,本来の文字が変形したままの字形が広く分布している。3)中国で考案された特殊文字―則天文字(そくてんもじ)―さらには篆書体(てんしょたい)などが日本各地に広く普及し,しかもそれに類するような我が国独自と思われる特殊な字形の文字を生みだしている。限定された共通文字は,東国各地の農民が会得した文字を取捨選択して記したものでないことを示している。また変形した字形や則天文字(そくてんもじ)・篆書体(てんしょたいなどの影響を受けた我が国独自に作成した特殊文字が広範囲で確認されている。以上の点からは,当時の東日本各地の村落において,土器の所有をそうした文字―記号で表示した可能性もあるが,むしろ一定の祭祀や儀礼行為等の際に土器になかば記号として意識された文字を記す,いいかえれば,祭祀形態に付随し,一定の字形なかば記号化した文字が記載されたのではないだろうか。このように,字形を中心とした検討結果からは,集落遺跡の墨書土器は,古代の村落内の神仏に対する祭祀・儀礼形態を表わし,必ずしも墨書土器が文字の普及のバロメーターとは直接的にはなりえないのではないだろうか。"Bokusho Doki", or earthenware with characters written in Chinese ink, excavated from the remains of ancient villages, is a valuable source of data for shedding light on village communities in ancient times.Until now, Bokusho Doki has been taken as an indication of the level of diffusion of characters in olden times. A new perspective has been lent to consideration of the major question concerning the significance of Bokusho Doki in the remains of ancient villages. In my previous paper, an analysis was made of specific village remains, and in this paper, an analysis is given from a broader viewpoint, focused on the shape of the characters on Bokusho Doki.The results of the analysis are outlined as follows:1) A very limited number of common types of Bokusho Doki characters are found on remains from various parts of Eastern Japan.2) Not only are common characters used, but there is a similarity between the shapes of the characters on Bokusho Doki found in various places. Furthermore, widespread distribution of modified original characters can also be seen.3) Special characters developed in China, such as "Sokuten-Moji", and "Tensho-Tai" are widely diffused in various parts of Japan, giving rise to similar characters of a distinctive shape thought to be unique to our country.The limited number of common characters shows that they were not selected by peasants in Eastern Japan from among the characters they had acquired to put on Bokusho Doki. Also, modified characters and special characters unique to Japan produced under the influence of "Sokuten-Moji" or "Tensho-Tai" have been identified over a wide area.From the above findings, it is presumed that in villages in Eastern Japan at the time, they used the characters almost consciously as symbols on the earthenware on the occasion of certain religious services or ceremonial activities. In other words, fixed forms of characters or semi-symbolic characters, incidental to the religious formalities, were put on the earthenware.In conclusion, the results of analysis focused on the shape of the characters would appear to show that Bokusho Doki excavated from the remains of ancient villages reflects a form of religious or ceremonial service to God or Buddha in the communities, and cannot always serve as an indicator of the level of character diffusion.
著者
平川 真 深田 博己 樋口 匡貴
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.15-24, 2012 (Released:2012-10-25)
参考文献数
23
被引用文献数
1

本研究の目的は,Brown and Levinson(1987)のポライトネス理論に立脚し,要求表現の使い分けに及ぼす社会的距離,社会的地位,要求量の影響について検討することであった。本研究では,要求表現の丁寧度と間接度を区別し3要因の影響を検討するとともに,理論の重要な媒介変数であるフェイスに対する脅威度の認知を取り上げ,理論の検討を試みた。265名の大学生に対して場面想定法による実験を行った結果,3要因の認知が高まると丁寧な表現が使用されることが明らかとなったが,3要因の認知は使用される要求表現の間接度には影響を及ぼさないことが示された。また,その影響過程については,Brown and Levinson(1987)の見解とは異なり,社会的距離,社会的地位の認知に関しては直接影響を及ぼす過程も存在することが示された。本研究で得られた結果は,3要因が要求表現の使い分けに影響を及ぼすというBrown and Levinson(1987)の主張の根幹を支持するものであったが,影響を及ぼす次元やその影響過程については理論の妥当性に疑問を投げかけ,再考を促すものであった。
著者
松枝 秀二 小野 章史 松本 義信 平川 文江 平田 圭 守田 哲朗 長尾 憲樹 長尾 光城
出版者
The Japanese Society of Nutrition and Dietetics
雑誌
栄養学雑誌 (ISSN:00215147)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.233-239, 2001-10-01 (Released:2010-11-26)
参考文献数
25

Effects of 8-weeks low-intensity aerobic training on the body composition and basal metaboli sm were evaluated in untrained young females. Twelve subjects randomly divided into two groups. One group was sedentary control. The other half exercised at an intensity of 50% of the maximal aerobic capacity for 30 minutes per day, 4days a week for 8 weeks. Altough maximal aerobic capacity was improved by training the body weight, percent of fat, and lean body mass were not different between before and after training. The basal metabolic rates (BMR), expressed by per day, per body weight, and per lean body mass, decreased significantly (p<0.05) after training, -9%, -8%, -8%, respectively. The blood thyroid hormone, T3, concentration was significantly reduced after training (p<0.001), and T4 and free T4 concentrations also decreased significantly (p<0.05). However, no significant correlation was observed between the decrease of the thyroid hormone level and that of BMR. There were no differense in the daily energy intake of the subjects between before and after training. Interestingly, the estimated daily energy expenditure was reduced after training. This might be related to an increase of sleep-time, and decrease of daily activity level. These results suggest that 8-weeks low-intensity aerobic training did not change body composition in untrained young females, because training resulted reducing the daily activity level, and consequently decreased of BMR and blood thyroid hormone concentrations.
著者
平川 幸子
出版者
法政大学公共政策研究科『公共政策志林』編集委員会
雑誌
公共政策志林 = 公共政策志林 (ISSN:21875790)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.231-247, 2018-03-24

近年,途上国を中心に発生している新興・再興感染症が,人々の健康に重大な影響を与える公衆衛生危機として課題となっている。感染症パンデミックをはじめとする公衆衛生危機に備えて,日本でも事前の計画作成を行っているが,想定外の事象が発生することで柔軟な対応が求められる場合も多い。本稿では,日本と米国の公衆衛生緊急事態への対応について,2009年に発生した新型インフルエンザH1N1への対応を中心に分析し,日米の対応の比較を行った。米国においては大統領や州知事が緊急事態宣言,保健福祉省長官の公衆衛生危機事態宣言の発出等により,緊急対応が行われた。日本でも2012年に新型インフルエンザ等対策特別措置法が制定され,緊急事態宣言等を含めて整備されている。
著者
石野 岳志 竹野 幸夫 西 康行 平川 勝洋
出版者
耳鼻咽喉科展望会
雑誌
耳鼻咽喉科展望 (ISSN:03869687)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.182-187, 2008 (Released:2009-10-15)
参考文献数
6

真菌の同定が困難であったために, 好酸球性鼻副鼻腔炎として診断されえたが, 細菌検査の工夫により真菌の同定が可能となり, 抗真菌薬が有効であったため, アレルギー性真菌性鼻副鼻腔炎 (AFRS) と診断した2症例について報告した。症例1, 2とも内視鏡下鼻内副鼻腔手術を施行したものの, 経過観察中に症状の再発が認められた。再発時, 院内の細菌検査では真菌感染を認めなかったものの, 培養方法の改善により真菌の同定が可能で, テルフェナビンの投与により病状の著明な改善が得られた。しかし2症例とも抗真菌薬投与終了後約3ヵ月後に再発が認められた。症例1は再発後に抗真菌薬投与を行ったものの病状の改善は不良であったが, 症例2は再度の抗真菌薬投与で寛解を得られることができた。抗真菌薬が有効であったことと上下気道の疾患の共通性から, 難治性副鼻腔炎のうちAFRSと真菌が同定されないため好酸球性鼻副鼻腔炎とされている症例の一部はアレルギー性気管支肺アスペルギルス症 (ABPA) と発症機序が共通していることが考えられ, 抗真菌薬の変更などABPAの診断, 治療方法を改変して導入することでさらなる診断方法, 治療方法の改善が得られる可能性が考えられた。
著者
佐々木 崇文 中尾 周 木村 勇介 平川 篤 町田 登
出版者
公益社団法人 日本獣医師会
雑誌
日本獣医師会雑誌 (ISSN:04466454)
巻号頁・発行日
vol.73, no.6, pp.315-320, 2020-06-20 (Released:2020-07-20)
参考文献数
15
被引用文献数
1

第3度房室ブロックを示した猫22例の心臓について,詳細な病理学的検索を実施した.これら22例の基礎心疾患は,肥大型心筋症10例,拘束型心筋症(心内膜心筋型)3例,不整脈源性右室心筋症2例,陳旧性心筋梗塞1例であり,残り6例の心臓に明らかな病的変化は認められなかった.房室接合部の組織学的検索では,基礎心疾患の有無やその種類に関係なく,全例の中心線維体基部と心室中隔頂上部に重度の線維増生(心臓骨格左側硬化)が認められた.こうした病的変化は同領域を走行する房室伝導系を巻き込み,伝導系細胞の脱落を引き起こしていた.なお,房室伝導系の重度傷害はヒス束分岐部から左脚上部に主座しており,高齢者にみられる特発性ブロックの原因であるLev病に類似していた.
著者
増田 彰則 山中 隆夫 武井 美智子 平川 忠敏 志村 正子 古賀 靖之 鄭 忠和
出版者
一般社団法人 日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.44, no.12, pp.903-909, 2004-12-01 (Released:2017-08-01)
参考文献数
9
被引用文献数
1

子どもからみた家族機能が, 心身症の発症, 学校での適応, 思春期の精神面や生きる喜びに与える影響について検討した. その結果, 家族機能不良群は, 心身症の発症の相対危険度が良好群に比べ2倍であった. 小学, 中学時代にいじめを受けた者は2倍, しばしば学校を休んだ者が3倍高かった. 思春期になると一入こもるようになった, 他人の視線が気になる, 自己主張ができない, 人間関係をうまくつくれないと答えた者が約2倍高かった. さらに, 人を信用できない者は約5倍, 誰も相談相手がいない者は良好群に比べ相対危険度が3倍高く, 自分が必要とされていない, 生きる喜びがないと答えた者も約4倍高かった. 家族機能は, 心身症の発症のみならず, 学校適応や思春期の精神面, 生きる喜びにも影響を及ぼしていることがわかった.
著者
平川 南
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.153, pp.129-168, 2009-12

百済の都の東北部・扶餘双北里遺跡から出土した木簡は、「那尓波連公」と人名のみを記した物品付札である。本木簡の出土した一九九八年の調査地は、百済の外椋部とよばれる財政を司る役所の南に展開する官衙と考えられる一帯であり、白馬江の水上交通を利用した物資の集積地の一角であったとされている。「那尓波」は〝難波〟を指し、当時難波は対外交流の玄関口であり、外交にたずさわる人々は、ウジ名または名に難波を好んで用いた。一般的には、「連公」は文字通り「連+公」、「公」は尊称と解されている。しかし、奈良県石神遺跡木簡は「大家臣加□」などの人名とともに、「石上大連公」と連記され、『先代旧事本紀』・『新撰姓氏録』では連にのみ公が付されていることから、「連公」のみが連に対する尊称という解釈を下すことはできない。おそらくは「連公」はのちの天武八姓(六八四年)の「連」の前段階のカバネ表記であったと考えるべきであろう。木簡の年代も、七世紀半ば頃とされる石神遺跡木簡や法隆寺命過幡「山ア名嶋弖古連公(~~)過命時幡」と同様の時期と考えられ、一九九八年の双北里遺跡の発掘調査の所見(七世紀半ば頃)と合致するものであろう。また八~九世紀に作成された史書・説話集・文書および時期は異なるが系譜書などの場合は、例外なく「連公」表記は氏姓・系譜の〝祖〟に限定されている。これらは、各氏族に伝わる旧記のようなものをもとに作成されたと考えられる。本木簡は、七世紀半ば頃の倭国と百済との密接な関係からいえば、百済の都泗沘に滞在した倭系官人が作成した木簡という可能性もありえよう。しかし、本木簡は大きくは次のような三つの特徴を有している。①古代日本に数多く類例のある名のみ記した小型の付札である。②「那尓波」の表記は『日本書紀』に収載された古代歌謡にほぼ同じ「那你婆」とある。③「連公」は、古代日本における七世紀半ば以前のカバネの特徴的表記である。以上から、倭国で作製され、調度物などに付せられた荷札が物品とともに百済の都にもたらされ、札がはずされた可能性の方がより高いであろう。いずれにしても、倭人(日本人)名を記載した木簡がはじめて古代朝鮮の地で発見されたことの意義はきわめて大きい。The wooden tablet excavated from the Hyeonnae-ri site in Paekche's northeastern capital Buyeo is a baggage tag inscribed with just the name of the person "Naniwa no Muraji-no-Kimi". The archaeological site where this wooden tablet was excavated in 1998 was a government office in an area south of the office which administered Paekche's finances, itself situated in a commercial hub which benefited from the use of the Penmagan waterways for the transport of goods."Naniwa( 那尓波)" refers to "Naniwa( 難波)". In those days Naniwa was the gateway to the outside world, and people involved with foreign diplomacy liked to use Naniwa as their first or family name.Generally speaking, the meaning of " 連公" (Muraji-no-kimi) is as the characters suggest: " 連 + 公"— "Muraji" was a name used by the Yamato royal family and "kimi" is an honorific title. However, wooden tablets from the Ishigami site in Nara Prefecture feature inscriptions of names such as "Ohoyake-no-Omi KaXX" ( 大家臣加□ ) alongside "Isonokami Oo-Muraji-no-Kimi", while for "Sendai Kuji Hongi" and "Shinsen Shojiroku", "Kimi" is only ever attributed to "Muraji", making it impossible to interpret "Muraji-no-Kimi" solely as an honorific name relating to "Muraji". It is perhaps best to consider that "Muraji-no-Kimi" was an insignia from a previous historical stage to the "Muraji" of 684. The era of the wooden tablet can also be argued to be the same period as the wooden tablet of the Ishigami site and "Meika-ban" (ancient Buddhist banner) of Horyuji Temple, which are considered to be from the middle of the 7th century, which tallies with the observation of the archaeological excavation from the 1998 Hyeonnae-ri site (that it is mid-7th century). In the case of history books, literary collections and documents produced during the 8-9th centuries, as well as genealogical documents from different eras, the "Muraji-no-Kimi" insignia relates without exception solely to the family's nominal or genealogical "ancestor", so it can be argued that it was created as a kind of record to be handed down to each clan.If one considers the close relationship between Japan and Paekche of the mid-7th century, the possibility would seem to exit that this wooden tablet was made by a Japanese official resident in the Paekche town of Sabi. However, the wooden tablet clearly exhibits the following three characteristics: 1. It is a small baggage tag with just a name inscribed on it, of which numerous other examples exist from ancient Japan. 2. The inscription "Naniwa" ( 那尓波) is more or less the same as the "Naniwa" ( 那你婆) which appears in ancient ballads collected in the "Nihon-Shoki". 3. "Muraji-no-Kimi" is a characteristic insignia of a name from before the middle of the 7th century in ancient Japan.Taking the above into account, I would argue that there is a greater probability that the tablet was made in Japan, was attached to some commercial goods as a baggage tag and brought to Paekche, and that the tag became detached after arrival.Whatever the case, there is enormous significance to the fact that for the first time a wooden tablet with a Japanese name inscribed on it was discovered at an ancient Korean site.
著者
平川 彰
出版者
大谷大学佛教学会
雑誌
佛教学セミナー = BUDDHIST SEMINAR (ISSN:02871556)
巻号頁・発行日
no.20, pp.26-44, 1974-10-31