著者
相田 慎 新堂 安孝 内山 将夫
出版者
一般社団法人 言語処理学会
雑誌
自然言語処理 (ISSN:13407619)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.405-422, 2013-06-14 (Released:2013-09-14)
参考文献数
46
被引用文献数
3

東日本大震災初期,Twitter に寄せられた膨大なツィートには,緊急性の高い救助要請候補が多数含まれていたものの,他の震災関連ツィートや「善意のリツィート」によって,通報されるべき情報が埋もれてしまった.この様な状況を解消するために,筆者らは 2011 年 3 月 16 日,Twitter 上の救助要請情報をテキストフィルタリングで抽出し,類似文を一つにまとめ一覧表示する Webサイトを開発・公開した.本論文では,本サイト技術のみならず,通報支援活動プロジェクト #99japan との具体的な連携・活用事例についても詳述する.なお #99japan は,救助状況の進捗・完了報告を重視する Twitter を用いた活動であると共に,発災 2 時間後に 2 ちゃんねる臨時地震板ボランティアらによって立ち上げられたスレッドに由来する.
著者
青山 貴則 相田 潤 竹原 順次 森田 学
出版者
一般社団法人 口腔衛生学会
雑誌
口腔衛生学会雑誌 (ISSN:00232831)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.16-24, 2008-01-30 (Released:2018-03-30)
参考文献数
49
被引用文献数
3

一般歯科医院において,修復物の生存期間とそれに関連する要因を検討することを目的とした.札幌市内の歯科医院にて,1991年1月1日から2005年3月31日の間に修復物を用いた治療を受け,その後,定期健診やその他の治療目的などで再来院した患者を対象とした.コンポジットレジン,メタルインレー,4/5冠,メタルクラウン,メタルブリッジの生存期間とそれに関連する因子をKaplan-Meier法と,Cox比例ハザードモデルを用いて検討した.総計95人,649歯の修復物について分析した結果,平均生存期間では,メタルインレーが3,804日と最も長く,次いでコンポジットレジン3,532日,4/5冠3,332日,メタルクラウン3,276日,メタルブリッジ2,557日であった.10年の生存率を推定した結果,メタルインレー67.5%,4/5冠60.5%,コンポジットレジン60.4%,メタルクラウン55.8%,メタルブリッジ31.9%であった.再治療の原因では二次う蝕によるものが多く,特にコンポジットレジン(78.2%),メタルインレー(72.4%)で著明であった.Cox比例ハザードモデルを用いて,修復物の生存期間の長さに影響している因子を検討した結果,アイヒナー分類で生存期間と有意な関連(p<0.05)がみられ,アイヒナー分類B1,B2,B3が予後不良であり,ハザード比はそれぞれ1.88 (1.16-3.05),3.18 (1.93-5.25),2.44 (1.31-4.53)であった.年齢,歯種,治療時の歯髄状態と生存期間との間に有意な関連は認められなかった.以上の結果から,メタルブリッジの生存期間が最も短く,また咬合の要因が生存期間と関連していることが示唆された.
著者
今瀧 夢 相田 直樹 村本 由紀子
出版者
日本社会心理学会
雑誌
社会心理学研究 (ISSN:09161503)
巻号頁・発行日
vol.33, no.3, pp.115-125, 2018-03-25 (Released:2018-03-25)
参考文献数
27
被引用文献数
1

The present study examined how leaders’ evaluation and judgment of members are influenced by their “implicit theories” (e.g., Dweck, 1999). Participants were asked to play the role of team leader and then observed a team member performing poorly. They were asked to decide how much reward they should distribute to the failed member and to allocate the remaining time between him/her and a new member who had not yet worked on the task. As a result, participants who believe in malleable abilities (incremental theorists) increased the evaluation of the failed member when that member claimed that he/she made an effort, whereas participants who believe in fixed abilities (entity theorists) evaluated that member based only on outcome. Furthermore, entity theorists expected a new member to achieve an average level of performance and allotted more time to him/her, whereas incremental theorists expected a new member’s performance to be below average. There was no difference between their expectations of the failed member’s next performance. Results suggest that entity theorists may be better than incremental theorists at placing the right people in the right place.
著者
相田 潤 近藤 克則
出版者
公益財団法人 医療科学研究所
雑誌
医療と社会 (ISSN:09169202)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.57-74, 2014-04-25 (Released:2014-05-12)
参考文献数
108
被引用文献数
12 8

保健行動や遺伝要因に加えて,健康の社会的決定要因を考慮する重要性が指摘され,実際の保健政策でも考慮されるようになってきた。これは,人々の行動や健康が周囲の社会環境の影響を受けていることが研究により明らかになってきたことが理由である。社会的決定要因のひとつが,人々の絆から生まれる資源であるソーシャル・キャピタルである。人々のつながりが豊かであることが,情報や行動の普及や助け合い,規範形成を通じて健康に寄与する可能性が指摘されている。ソーシャル・キャピタルには,集団間の健康格差に関わる地域や集団の社会的凝集性に基づいた考え方と,主に個人のネットワークに基づいた考え方が存在する。マルチレベル分析の社会疫学研究への導入により,前者の考え方でソーシャル・キャピタルと健康状態や死亡,保健行動との関係が実証されてきた。一方,信頼や互酬性の規範といった概念よりも踏み込み,より実体のあるネットワークに基づくリソースに注目する後者の考え方は,現実的なソーシャル・キャピタルのメカニズムの理解や,健康向上の介入に利用しやすいと考えられ,研究がすすみつつある。また,社会格差や災害からの復興に関しても,ソーシャル・キャピタルが健康に寄与すると考えられている。そしてまだ数は少ないものの,ソーシャル・キャピタルを活用した介入研究も報告されつつある。前向き研究や介入研究の少なさや負の側面の存在など今後の研究が必要な部分も多いが,健康格差を減らして健康的な社会をつくる方法のひとつとして,今後もソーシャル・キャピタル研究は進められていくべきであろう。
著者
丹羽 徹 渋川 周平 堀江 朋彦 相田 典子 橋本 順
出版者
日本小児放射線学会
雑誌
日本小児放射線学会雑誌 (ISSN:09188487)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.44-49, 2022 (Released:2022-04-15)
参考文献数
24

小児MRIにおいては,撮像にあまり時間がかけられず,使用できるシークエンスおよびその設定には制限があったが,近年の装置の進歩に伴い比較的短時間で画像データを取得できるようになってきている.本稿では主に小児頭部MRIにて日常臨床的にて使用可能な近年の撮像法に関して解説する.
著者
浅野 秀剛 恋田 知子 相田 満 太田 尚宏 青木 睦 田中 大士 入口 敦志 大友 一雄
出版者
人間文化研究機構国文学研究資料館
雑誌
国文研ニューズ = NIJL News (ISSN:18831931)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-16, 2015-07-31

●メッセージ画像データベースへの期待●研究ノート室町の信仰と物語草子―骸骨の物語絵をめぐって―生き物供養と橋供養―随心院蔵『慶長五年多摩六郷橋供養願文』と関連して―多摩地域の資料保存利用機関との連携に向けて●トピックス度重なる災害を乗り越えて―被災地釜石市の市庁舎燃焼文書のレスキュー―連続講座「くずし字で読む『百人一首』」特別展示「韓国古版画博物館名品展」平成27年度国文学研究資料館「古典の日」講演会第39回国際日本文学研究集会『幕藩政アーカイブズの総合的研究』の刊行総合研究大学院大学日本文学研究専攻の近況
著者
相田 勇
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.367-390, 1981-09-30

地震断層モデルを波源とする津波数値実験が,東海道沖においても有用であることは,1944年東南海津波の例によって認められた.ここでは数値実験によって,1854年安政東海津波,1707年宝永津波,1605年慶長津波,1498年明応津波の波源断層モデルのパラメータを求めた.いずれも東海道に問題を限って議論される.この中,安政,宝永津波については,かなり信頼度の高いモデルが確定された.しかし慶長,明応津波については,史料の乏しいことなどもあって,信頼度が低いことは否めない.これらの津波の特徴を比較すると,地域によっては明応津波が最も高く,災害予測の面から見落すことのできない津波であると考えられる.また局地モデルによる清水港の陸上遡上計算の結果,防波堤,埋立地などの港湾工事が,津波の高さを軽減するのにかなり効果を持っていることがわかった.また津波危険度の局地性についても,計算上の結果が得られた.
著者
相田 美穂 アイダ ミホ Miho Aida
雑誌
広島修大論集
巻号頁・発行日
vol.56-1, pp.61-74, 2015-09-30
著者
相田 勇
出版者
東京大学地震研究所
雑誌
東京大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, University of Tokyo (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.367-390, 1981-09-30

地震断層モデルを波源とする津波数値実験が,東海道沖においても有用であることは,1944年東南海津波の例によって認められた.ここでは数値実験によって,1854年安政東海津波,1707年宝永津波,1605年慶長津波,1498年明応津波の波源断層モデルのパラメータを求めた.いずれも東海道に問題を限って議論される.この中,安政,宝永津波については,かなり信頼度の高いモデルが確定された.しかし慶長,明応津波については,史料の乏しいことなどもあって,信頼度が低いことは否めない.これらの津波の特徴を比較すると,地域によっては明応津波が最も高く,災害予測の面から見落すことのできない津波であると考えられる.また局地モデルによる清水港の陸上遡上計算の結果,防波堤,埋立地などの港湾工事が,津波の高さを軽減するのにかなり効果を持っていることがわかった.また津波危険度の局地性についても,計算上の結果が得られた.
著者
相田 満
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 文学研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature (ISSN:24363316)
巻号頁・発行日
no.49, pp.177-198, 2023-03-24

橋供養とは辞書の説明に「橋をかけ終わった時、橋の上で供養をすること。また、その供養。橋の供養」(日本国語大辞典)や、「架橋工事が終わった後、其の橋上で行う法会」(大漢和辞典)などとある。『古事類苑』地部の橋の項には橋供養とその下位に橋祈祷・橋祭が配されるなど、その祭儀がよく知られていたことを物語っている。 橋供養の最古の例は大化二年(六四六)紀年を持つ宇治橋断碑にまで遡り得る。特に関東に膨大な数の碑塔が残されていることも特徴的で、現存の供養碑も埼玉県を最多として二千基を超える橋供養碑が現存する。 橋供養碑の多くは「橋供養」あるいは「橋供養塔」を碑面に明記するが、近代以降には「記念碑(紀念碑)」等の記載も見られる。今では宗教色を薄めた記載となっているが、かつて行われた法会等の営みが記念祭に置き換わったものといえ、建碑意識に変わりはない。そして、神儒仏の三教合一で説かれる善書による広宣もあった。これらは、文献上は、日・中・台で確認され、残存する供養碑の存在や、善書に見える絵画や文章からは、放生に関わって堕地獄からの救済を求める営みを奨励する文言がうかがえるのである。 本稿は、橋供養を象徴的なものとして採りあげ、生き物供養と何でも供養が決して無関係ではなく、モノの供養が基本的に生き物(特に牛馬)への供養と不即不離の関係で連綿と続いていることを説くものである。 The definition of Hashi Kuyo in the dictionary is “When a bridge is finished, a memorial service is held on top of the bridge. A memorial service held on that bridge'(Daikanji Dictionary). 'Kojiruien shows that the ceremony was well known, such as the bridge memorial service and the bridge prayer and bridge festival under it in the section on the bridge in the ground. The oldest example of bridge memorial services can be traced back to the Uji Bridge Monument dated 646 (Taika 2). Especially in the Kanto region, a huge number of stone monuments remain, and Saitama Prefecture has the largest number of existing bridge memorial monuments, with more than 2,000 bridges memorial monuments. Many of the bridge monuments are clearly marked as 'Bridge memorial service'Or 'bridge memorial tower' on the surface of the monument, but in modern times. Youcan also see things that are just "memorial". Although the description is now lessreligious, it can be said that the pujas and other activities that were once held have beenreplaced with memorial ceremonies, and the awareness of erecting the monument hasnot changed. In addition, there was also publicity by good books preached in the unity of the three teachings of Shinto Confucianism and Buddhism. These are confirmed in Japan, China, and Taiwan in literature, and the existence of surviving memorial monuments and paintings and writings that appear to be good books encourage people to seek salvation from hell by being involved in hojo. rice field. This paper takes up the bridge memorial service as a symbolic one, and the memorial service for living creatures and the memorial service for everything are by no means unrelated, and the memorial service for things basically continues in an inseparable relationship with the memorial service for living things (especially cattle and horses).