- 著者
-
青木 隆浩
- 出版者
- 経済地理学会
- 雑誌
- 経済地理学年報 (ISSN:00045683)
- 巻号頁・発行日
- vol.43, no.2, pp.83-99, 1997-05-31 (Released:2017-05-19)
本稿では, 埼玉県の酒造家を系譜の出身地別にまとめ, その経営方法の違いとそれに伴う盛衰の状況について比較考察した. その結果, 近江商人, 越後出身者, 地元出身者の家組織には大きな違いがあり, この組織力の差が, 明治以降のそれぞれの盛衰に関わっていることがわかった. 埼玉県に出店した近江商人は酒造家の約9割が日野屋と十一屋で占められている. 日野屋が本家中心の同族団を, 十一屋が同郷での人間関係によるグループを形成しており, 最も強い組織力をもち, 戦後まで安定経営を続けてきた. 越後出身者は, 分家別家を数多く独立させたが, 明治期に同族団が崩壊し, 1軒あたりの生産量が増えるにつれグループ内での競争が激化し, 多くの転廃業をだした. 中には, 大石屋のように商圏が重ならないように離れて立地したことにより安定した市場を確保し, 戦後まで繁栄した例もみられた. これらに対し, 地元埼玉出身者は分家別家, 親類の酒造家が少なく, 単独経営で家組織が脆弱だったため, 戦前までに多くが転廃業をすることとなった. また, 販売網と市場にも系譜の出身地別に大きな違いがあった. 近江商人は主要街道沿いでかつ江戸出荷に便利な河川沿いに支店網を築いた. しかし, 19世紀中頃から江戸市場における地廻り酒のシェアが低下すると, 近江商人は地方市場へ販売先を切り替えていった. これにより, 従来から地元販売を主としてきた地元出身の酒造家は競争に破れ, 衰退していった.