- 著者
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高橋 照彦
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.86, pp.131-184, 2001-03-30
日本の貨幣史については,既に文献史学や考古学の立場から様々な研究が進められているが,それらだけでは解明の困難な点が少なくない。その点を克服するため,筆者らの共同研究として,銭貨の理化学的な分析,なかでも鉛同位体比分析による調査を試みた。その成果を承けて,本稿では,文献史料や考古資料を含めて分析結果を再吟味し,日本の古代から近世に至る銭貨に関して原料調達という観点から歴史的に位置づける試みを行った。その変遷過程をごく簡単にまとめると,以下のようになる。 1.古代銭貨では,長門の長登鉱山周辺産鉛の使用が圧倒的であることが判明し,長門とともに鋳銭用鉛貢納国である豊前から産出された鉛の使用は少なかった可能性が高い。 2.中世銭貨のうち本邦模鋳銭では,14世紀代頃には中国産鉛を主体的に用いていたと推測されるのに対し,15世紀代頃以降には中国産鉛の使用がほとんど消滅し,西日本を中心とする国産鉛が使われるようになっていき,ごく一部ながら中国以外の海外産鉛も用いられることになる。 3.近世銭貨では,基本的に国産鉛が用いられているが,古寛永段階(17世紀前半)では鋳銭地近隣の鉱山を中心に原料供給を受けることが一般的ながら,東日本の鋳銭所では西日本産あるいは神岡鉱山産の鉛の供給を受けることがあった。 4.近世銭貨のうち,文銭の鋳造期(17世紀後半)には対馬の対州鉱山からの一括供給が行われ,その後は各地からの原料鉛の供給によっているが,次第に東北地方など東日本での鉛に依存していくようになるものと判断される。