著者
ゴルドン イザベラ 小田原 アキ子
出版者
日本甲殻類学会
雑誌
甲殻類の研究 (ISSN:02873478)
巻号頁・発行日
no.4, pp.123-132, 1971-07

・ホワイト氏(彼のカタログは1847年及び1850年に出版された)が退職した頃は,甲殻類研究にはほとんど何も見るべきものがなかった。もっとも,トマス・ベルのコブシガニ(1885)が一連のモノグラフの先駆をなしていたし,また,C.スペンス・ベイトが端脚類(1862)のカタログを作るために雇われたりはしたが,マイヤースはホワイトの後を継いだ。彼は,ホワイトの多くのnominanudaを含む館内の収蔵品のうち,新しい種類や,よく知られていない種類を述べエビ,カニ類の数種について,また,シャコ類やヘラムシ科についても訂正した。それに加え,彼は多くの重要な採集物について報告し,ニュージーランドの有柄眼と無柄限甲殻類のカタログを出版した。この期間中,「収蔵品の鑑定ばかりでなく,記名,ラベルはり,分類などまで私ひとりの手でなしとげた」(1883年5月14日付書簡)ことを考えると,彼の組織的な仕事の量と質は驚くべきである。当時採集したものは,大体,生物の記録として新種のものになった。マイヤースは新種の名を脚註や他の種類のテキストの中でなにげなく紹介する傾向があったので,マイヤースの発見した新種を正確に数えることは容易ではない。しかし,彼は 大体のところ十脚類に32の属,亜属と260の種,亜種を加えた。そして甲殻類の目に4つの属と,72の種,あるいは変種をつけ加えた。名前は少し変ったかも知れないが,それらの大部分は今でも有効である。例えば最近,R.セレン博士によって編纂された西インド洋の短尾類の暫定的なリスト(未出版)の中には,143のマイヤースの発見した種類が含まれており,そのうち名前の変ったものは20しかない。(十脚類を含むマイヤースの文献のリストについては,Balss&Gruner.1961:1898と1989〜1991を参照されたい)ところで,彼の主要報告はどうであったろうか。甲殻類のサウス・ケンジングトンへの移転がマイヤースにとって大変厄介な時にやってきた。1883年5月14日付のギュンターへの手紙で,彼はその移転が,「軍艦アラートによって採集された甲殻類に関する報告の準備によって必然的に延びるチャレンジャーの短尾類の予備調査の完了まで延期される」ことを暗示した。ジョン・ミュラーは彼の報告書の長さと,それを図で説明するのに必要な図版の数によって評価されたいと望んでいた。しかし,マイヤースはこの望みをかなえてやらなかった。というのは彼は異尾類のほうにまわされることになっていたパロワとまだ討議しなければならなかったし,また,図版は10から15で十分であると考えたからである。ミュラーは1883年5月18日にこう書いている。「あなたの時間の多くが,博物館の移転に費やされてしまったのは残念です。しかしながら,せいぜい二月以内に,あなたが我々によい報告書をお与え下さることを望んでおります」。甲殻類は全部6月末までに移されたが収蔵品と書籍を整理するのに,数か月かかったにちがいない。つづく18か月をマイヤースは,彼の博物館の仕事が許すがぎり,チャレンジャー報告に費やした。しかし1885年の終りまで彼は病気がちで,健康をかたり害していたので11月に辞任した。チャレンジャーの原稿は,1886年4月1日から11月26日までの間に分けて,ミュラーのところへ送られ,マイヤースは健康の続く限り,それを校正した。彼は6月26日付のミュラーの手紙を読んで確認したに違いない。「ここ数年間,私はあなたの報告書をていねいに読んでおります。大変立派な,重要なものであり,今あなたのお送り下さった原稿は,大変明確でよく準備されてありますので,出版が完了するまで,大して,あなたにお手数をおかけしなくて済むと思います。あなたの名を高める報告書になるにちがいありません。すべての生物学者に,科学への最高の貢献であるとみなされるでしょう」。マイヤースはしばしばこの博物館で働いていたようである。その時彼はかなり元気で,乾燥標本を新しい標本棚に並べかえたりしていた。(ギュソター宛の書簡,1887年7月30日)この日以来,1892年1月19日の葉書しか残っていない。これはコーンウェルの住所から発信したもので,かつての同僚にクリスマスの挨拶に対する感謝をしたためたものである(偶然にも,ヘンリー・マイヤースが1882年から1895年までこの博物館の職員であり,また,1926年から1939年まで大英博物館の理事をつとめている)。E.J.マイヤースは終生,動物学会員及びロンドンのリンネ学会員であった。日本の甲殻類に関するマイヤースの業績 日本の甲殻類に関する彼の重要な文献は,韓国と日本の海を7年間調査したことのある英国海軍のセント・ジョン海軍大佐によって集められた資料に関する1897年の報告である。資料の多くはドレッジで採集された深海のものである。それゆえ,デ・ハーンによってよく説明されている通常海岸に住む種類はほとんど含まれていなかった。この地域の深海の甲殻類については,アメリカ合衆国,北太平洋調査探検隊(1853〜56)に加わった動物学者スティンプソンがフィラデルフィア科学学士院委員会で,多数の属や種の特性についての短いラテン語の本を出版するまでは,比較的わずかしか知られていなかった。しかも,短尾類と異尾類の説明とさし絵は,かなり後まで出版されなかった。(スティンプソン1907)しかしながら,マイヤースは,セント・ジョンの資料と,スティンプソンによって命名され数年前スミソニアン協会から大英博物館に寄贈された日本近海で採れた標本とを比べることができた。提供された64種類のうち,26種類は明らかに新種であった。他の7種には彼は種名をつけなかった。彼はParatymolus, Pleistacantha, Pomatocheles, Heterocumaなどの属名を確立し,日本の動物相の関連について述べた。彼は後日Amphipoda, Isopoda, Cirripedia Pycnogonidaなどに関する出版をするつもりであったが,達成しなかった。マイヤースの出版物の多くは,さし絵を画家に石版刷りにさせているが,この図版のように石版工の名だけしか記されていないものは,恐らく下絵はマイヤース自身によるものであろう。1881年12月17日,ナポリの動物学研究所のピー・メイヤー博士がマイヤース宛ての書簡で,彼はあるアメリカ人,ホイットマン博士によって彼に送られた日本のエビの標本をいくつか送るつもりであると述べている。このエビは東京の近くの淡水池で採集された。メイヤーの手紙には,実際に誰がそれを採取したのか書いてない。この標本は成長した大きさよりせいぜい5mmしか小さくなかったのであるが,かなり小さかった。しかし私は,ホイットマン博士個人を通じて,この標本を送ったのは石川博士であるに違いないと思っている。というのは石川博士は,この種類を増やすことを研究していて,専門家にそれを名づけてもらいたがっていたからである。このことは,Atyaephra? Compressa De Haan(1882.マイヤース)に関するメモを受けとった時に石川博士が書いていることに一致するであろう。1882年6月12日に石川はこう書いている。「私があなたにお送りした標本は,皆小さいので,今度はもっと良い大きた標本をお送りしたいと思っているのですがご存じのとおり,アルコール標本を海外に郵送することは,我々にとって大変困難なことなのです。」それ故,大英博物館の収蔵品には,ナポリからメイヤー氏によって送られたこれらの標本(登録番号82.2)しかないのである。このエビは,久保博士によりParatya compressa improvisa Kempに属するものとされている。(1938.東京水産大学報告.33(1):71).英国軍艦チャレンジャーは,再び日本の海で採集し,1875年5月12日から6月17日までの間に獲得されたカニはマイヤースのリストに載っている。2種類だけ新種であることが分った。即ちCharybdis bimaculata(Miers)と深海産のEthusa(Ethusina)challengeri(Miers)である。又,マイヤースがよく述べていた西インド洋産の多くは,後に,日本の動物相に属することが分った。
著者
渕上 恭子
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
pp.49-76, 1995-06-10

去る1993年7月、朝鮮の国祖檀君を祀る韓国の民族宗教である「檀君教本部聖殿」の教祖で、パクス巫堂(男性降神巫)にして韓国の政財界人のお抱え占い師・霊能師であったK氏が、「ハナニム」の召命によってキリスト教に改宗し、韓国の宗教界に多大なる衝撃を与えている。檀君教教祖の劇的な回心には、朝鮮の宗教史における民族宗教・檀君教とキリスト教間の「ハナニム」-元来朝鮮民族の神であるが、今ではキリスト教の神となっている-をめぐる神観念の連係と相剋が絡んでいると思われる。本稿では、K氏のキリスト教改宗の顛末を、朝鮮民族の始祖檀君との接神からイエス迎接に至るまでのK氏の霊的体験を中心に見てゆき、教祖論を展開しながら、韓国の民族宗教とキリスト教の彼方に広がる「ハナニム教」の地平を仰いでみたい。
著者
石島 英郎
出版者
日本衛生動物学会
雑誌
衛生動物 (ISSN:04247086)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.47-100, 1967
被引用文献数
62

筆者は日本産のハナバエ科, イエバエ科, クロバエ科およびニクバエ科に属する33属70種の3令幼虫について, その咽頭板, 前方気門, 後方気門, 肉質突起, および体表面の棘分布を調べ.それらの形態的特徴を記載し, 科および種の検索表を作り, 顕微鏡写真を付した.
著者
久松 英二
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.455-479, 2010

ビザンツ末期の一四世紀に正教修道霊性の中心地アトスで始まったヘシュカズムの霊性は、心身技法を伴う「イエスの祈り」の実践と、神の光の観想の意義および正統性弁護のための理論から成り立つ。体位法と呼吸法を伴った「イエスの祈り」は、ビザンツ修道制における静寂追求の伝統上に位置づけられるが、それによって得られる光の観想体験は「タボルの光」という聖書表現をもって解釈しなおされた。次に、ヘシュカズムの理論レベルにおいては、光の観想をめぐる東方キリスト教的な解釈が注目される。その特徴を端的に表現するのが、「働き」(エネルゲイア)という概念で、この概念は光の観想体験の意義および同体験の正統性の説明として機能する。よって、ヘシュカズムの理論は内在や本質の抽象論より、働きや作用のダイナミックな具体論を特徴としている。そのような理論に支えられたヘシュカズムの霊性は、「エネルゲイア・ダイナミズムの霊性」と称してもよかろう。
著者
中野 善逹
出版者
筑波大学
雑誌
筑波大学リハビリテーション研究 (ISSN:09178058)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.41-44, 1995

アメリカ合衆国では、1979年10月17日制定された教育省組織法(P.L.96-88 Department of Education Organization Act of 1979)により、保健・教育・福祉省から教育省が分離・独立することとなり、1980年5月4日、連邦政府の第13番目の省として教育省が新しく発足した。これは教育を重視し、教育省設置推進を選挙公約の1つに掲げて ...
著者
伊藤 喜彦
出版者
Architectural Institute of Japan
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.77, no.675, pp.1257-1264, 2012

In this article, we analyze how columns are used and to what extent they determine the architectural characteristics of the church of San Miguel de Escalada. This leads us to two important features of Escalada.<br>1. <i>Spolia</i> columns were not necessarily used as substitutes for those made ex <i>profeso</i>, but in fact played a pivotal role at the time of the building's conception, especially from aesthetic point of view.<br>2. The inherent incongruity between masonry walls and monolithic columns leads to quite distinguishable features where the two elements meet. In the case of Escalada, we can observe a growing interest in keeping the independence and wholeness of the columns adjacent to the walls.
著者
松本,晉一
出版者
日本歯科医史学会
雑誌
日本歯科医史学会会誌
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, 2012-09-30

熊本県人吉市出身の明治期の歯科医,一井正典の生誕150周年にちなみ,2012年6月の第2週,地元人吉市の有志により記念行事"ドクタージュグリット・ウイーク"が行われた.内容は1)「一井正典先生・町なか人物展」 2)「町なかミニ講話」2演題 3)「生誕150周年献花式」 4)ジュグリット先生講話及び講演会 5)生誕150周年記念誌刊行の5行事である.これらの行事開催により,郷土の先人に対する人々の認識がより深まること,それには報道メディアの協力が不可欠であること,その逸材を輩出した背景が重要であること,その人物遺産を今後はどう活かし,どう次の世代につなげるかが大切であると考える.
著者
川島 大輝 山崎 和彦
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.64, 2017

心理学の分野において生物が生きていくためには恐怖心を抱くことは大変重要な機能である。なぜなら恐怖心を抱くことによって生物は事前に危険から身を守ることで子孫を残すことに繋がるからである。また、恐怖心は利用方法によっては楽しいという感情を作り出すことも可能であり、擬似的な危険をもたらすジェットコースターやお化け屋敷、ホラー映画などがその例に挙げられる。しかし、中にはそれらを不快に感じる人も一定数いることは事実である。そこでその恐怖を臨場感として捉えることで非日常的な体験をし、恐怖に対するネガティヴな印象を和らげられるのではないかと考える。 本研究の目的は「身近な恐怖心を楽しむためのデザイン体験」を提案することである。
著者
篠崎 淳 牛田 享宏
出版者
日本脳神経外科コングレス
雑誌
脳神経外科ジャーナル (ISSN:0917950X)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.214-221, 2008-03-20 (Released:2017-06-02)
参考文献数
43

痛覚系は元来,侵害刺激から身を守るために重要なシステムであるが,組織が修復されているにもかかわらず痛みが持続し,患者を苦しめることがある,痛みは不快な感覚・情動を伴う主観的体験であり,固体が持つ要因による差が大きいことから,客観的評価を行うことが困難であった.近年,イメージング技術の発展により疼痛に関する脳内基盤が明らかにされつつあり,主に第一次・第二次体性感覚野,島皮質,前帯状回,前頭前野内側部が痛みの情報処理に関与していることがわかっている,さらにこれらの領域の中でも前帯状回と島皮質は痛みの情動的側面を担っているという傍証が多い.これらの領域の活動をイメージング技術でとらえることにより,慢性疼痛などの疾患に対する評価の方法として臨床応用していくことで,感覚面・情動面を統合した集学的治療が必要な痛みの治療に貢献できるものと考えられる.
著者
権 東祐
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.7-32, 2017-10-20

本稿は、富士山が信仰の場とされながらも、各々異なる祭神が形成され、変貌してきたことを〈神話解釈史〉という視座から考察することを目的とする。
著者
飯岡 由紀子 亀井 智子
出版者
公益社団法人 日本看護科学学会
雑誌
日本看護科学会誌 (ISSN:02875330)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.114-121, 2021 (Released:2021-08-12)
参考文献数
25
被引用文献数
1

目的:学際的チームを基盤とし,個人の認識からチームアプローチを評価するチームアプローチ評価尺度(TAAS)の信頼性と妥当性を検討し,TAAS改訂版(TAAS-Revised Edition)を開発する.方法:A県の総合病院3施設の医療専門職を対象にTAASを用いて無記名質問紙横断調査を行った.信頼性はα係数の算出,妥当性は探索的因子分析にて検討した.研究倫理審査委員会の承認を得て行った.結果:回収率27.1%,有効回答は789部だった.探索的因子分析は最尤法のプロマックス回転により,22項目となり,TAASの4因子から5因子構造(チームの機能,チームへの貢献,チーム活動の重要性,チームメンバーの役割遂行,目標と役割の明確化)となった.尺度全体のα係数は .93であり,各因子は .68~.91の範囲だった.結論:TAAS改訂版は,概ね信頼性と妥当性は確保された.
著者
松田 春香
出版者
東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター
雑誌
アメリカ太平洋研究 (ISSN:13462989)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.135-152, 2005-03

Outpost Countries'in East Asia, such as South Korea and Taiwan, proposed to make 'anticommunist'security pacts in order to get U.S. military support and strengthen their security since the international environment surrounding them had changed. They suggested making a 'Pacific Pact'in 1949, to be followed with 'The Asian People Anti-communist League (APACL)'after the Korean War. But South Korea and Taiwan could not reach a consensus on Japanese participation. That is why APACL, establisehd in 1954, could not get any support from the U.S., so became far from a collective security pact. On the other hand, the U.S. changed its policy and entered into bilateral security pacts with East Asian countries because it felt threatened by China. Furthermore, because it had become impossible for France to win in the First Indochina War in 1954, the U.S. asked other countries, including Japan, South Korea, and Taiwan, to cooperate in Indochina and tried to integrate this military cooperation into the collective security pacts. Eventually, the U.S. failed to develop a security pact among Japan, South Korea, and Taiwan due to worsening Japan-Korea relations. Consequently, the bilateral security pacts have been maintained and not been changed into a collective security pact in Northeast Asia. The proposals to make the collective security pacts by both 'Outpost Countries'in East Asia and U.S. had failed, but when the U.S. promoted close military relations among non-communist countries, the 'outpost countries'cooperated with them. APACL played a part in their cooperation.
著者
磯貝 富士男
雑誌
大東文化大学紀要. 人文科学 (ISSN:03861082)
巻号頁・発行日
no.59, pp.85-104, 2021-02-28

岩殿観音の正法寺縁起・濫觴の説話にみられる観音信仰について考察した。その縁起は18世紀に創作されたものであること、かつて現世利益信仰としての性格が濃厚であった観音信仰が、現世だけでなく来世救済の阿弥陀信仰を吸収して現当二世の救いを説く流れの中に位置付けられること、さらにその特徴は観音を本地の阿弥陀如来が娑婆に示現したものと説く点にあり18世紀には秩父や坂東の札所に広まっていたこと、その系譜的源として室町期の阿弥陀・観音融合思想、中でも秩父三十三所で説かれていた教説との関係を重視すべきこと、等を指摘した。