著者
高倉新一郎著
出版者
竹村書房
巻号頁・発行日
1942
著者
小倉 昌男 小林 収
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1078, pp.68-72, 2001-02-12

問 ヤマト福祉財団が後押ししている障害者が働くパン屋さん、スワンベーカリーが好調なようですね。 答 ええ。東京・銀座店から始まって、昨年12月には広島県三原市に4店舗目が開店しました。駅前なので、朝7時から夜7時まで開けています。三原の駅前を活性化しようと張り切ってますよ。今、1日に7万から10万円程度売っています。
著者
堀 秀史 中倉 滋夫 酒井 喜久雄 宇佐 利隆 矢野 裕 井上 健 野元 域弘
出版者
一般社団法人 国立医療学会
雑誌
医療 (ISSN:00211699)
巻号頁・発行日
vol.52, no.7, pp.431-437, 1998-07-20 (Released:2011-10-19)
参考文献数
8

携帯型自動血圧計(ABPM)を用いた24時間血圧の測定が可能となり, 従来の随時血圧の測定ではわからなかった白衣高血圧, 早朝の急激な血圧上昇(morning surge)や夜間血圧におけるdipper型およびnon-dipPer型の存在が明らかになった. また, 24時間血圧は心血管系疾患や臓器障害の発症・進展と密接な関係にあることがわかってきた.今回, 本態性高血圧症患者21例(平均年齢63.6歳)を対象とし, αβ遮断薬塩酸アロチノロールの血圧日内変動におよぼす影響をABPMを用い検討した. 本剤の服用により, 24時間を通じ日内変動リズムのパターンに影響をおよぼすことなく良好な降圧効果が認められた. また, dipper型とnon-dipPer型に分けた検討において, non-dipper型でより良好な降圧効果が確認された. これより, 本剤は血圧日内変動に悪影響をおよぼさず安定した降圧効果を示す降圧薬であると考えられた.
著者
多湖 千晃 柳田 則之 成内 秀雄 落久 保文子 倉田 毅
出版者
耳鼻咽喉科臨床学会
雑誌
耳鼻咽喉科臨床 (ISSN:00326313)
巻号頁・発行日
vol.84, no.11, pp.1625-1631, 1991

We investigated the role of immunological mechanisms in sensorineural hearing disorders and the relationship between inner ear and renal pathologies.<br>Controls, and NZB/kl and MRL/lpr strain mice, in which autoimmune disease can be spontaneously induced, were used in this study. The mice were tested for acoustic brain stem response (ABR), cochlear and renal pathology and circulating immune-complexes (CIC) serology, using enzyme immunoassay (ETA). For ABR, click and high frequency tone bursts were used as stimuli. Pathological studies consisted of tissue changes observed following hematoxylin-eosin (HE) and indirect immunofluorescent staining under light microscopy.<br>Compared to controls, hearing was impaired in NZB/kl mice while hearing remained unaffected in MRL/lpr mice. On HE staining, no histological changes were observed in the cochleae of either strain of mice. However, indirect fluorescent staining showed IgG deposits in the stria vascularis in both strains of mice. In both strains, renal pathology consisted of an immune-complex glomerulonephritis. CIC values were significantly higher in MRL/lpr mice, but were not correlated to stria vascular lesions. The lesions in the stria vascularis in the two strains were different, which probably explains the discrepancy in hearing impairment, whereas the lesions in the kidney were similar. NZB/kl mice that had hearing impairment showed severe stria vascular lesions and there was a correlation between the degree of hearing impairment and the severity of stria vascular lesions. However, no correlation was seen between stria vascular and renal lesions and CIC values.<br>These findings suggest that autoimmune mechanisms exist yin the cochlea, mainly in stria vascularis. The NZB/kl mouse can be a useful model of sensorineural hearing disorder secondary to immunological disorders.
著者
新倉 貴仁
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.583-599, 2008-12-31
被引用文献数
1

本稿は,ナショナリズム研究において提起されている構築主義的アプローチの批判的検討を通じ,その射程を描き出すことをめざすものである.<br>近年,ナショナリズム研究において,従来の近代主義と歴史主義の相克を乗り越える為に,構築主義的アプローチが提起されている.これは,国民国家批判に代表されるような政治的構築主義としてではなく,方法論的構築主義の立場から再検討される必要がある.<br>この企図のため,本稿はベネディクト・アンダーソンのナショナリズム論を再構成していく.アンダーソンは,「想像の共同体」という語に示されるように,ナショナリズムに対する構築主義的説明を行っている.だが,他方で彼は,「なぜ人はネーションのために死ぬのか」という問題をナショナリズムの中心的な問いに位置づける.すなわち,構築をめぐる知の問題系と,構築主義に突きつけられる死の問題系が,アンダーソンの議論には共存している.この理論的意義を検討することを通じ,以下の3点を示す.<br>第1に,アンダーソンの議論は,その主張以上に,観察可能な言説を対象とする点で方法論的構築主義に位置している.第2に,ナショナリズムは,構築の外部を排除しつつも内部へと包含するような構造を有している.そして,第3に,ナショナリズムにおける構築主義の理論的賭け金は,構築の外部を補足することの失敗自体を記述していくことにある.
著者
新倉 貴仁
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.583-599, 2008-12-31
被引用文献数
1

本稿は,ナショナリズム研究において提起されている構築主義的アプローチの批判的検討を通じ,その射程を描き出すことをめざすものである.<br>近年,ナショナリズム研究において,従来の近代主義と歴史主義の相克を乗り越える為に,構築主義的アプローチが提起されている.これは,国民国家批判に代表されるような政治的構築主義としてではなく,方法論的構築主義の立場から再検討される必要がある.<br>この企図のため,本稿はベネディクト・アンダーソンのナショナリズム論を再構成していく.アンダーソンは,「想像の共同体」という語に示されるように,ナショナリズムに対する構築主義的説明を行っている.だが,他方で彼は,「なぜ人はネーションのために死ぬのか」という問題をナショナリズムの中心的な問いに位置づける.すなわち,構築をめぐる知の問題系と,構築主義に突きつけられる死の問題系が,アンダーソンの議論には共存している.この理論的意義を検討することを通じ,以下の3点を示す.<br>第1に,アンダーソンの議論は,その主張以上に,観察可能な言説を対象とする点で方法論的構築主義に位置している.第2に,ナショナリズムは,構築の外部を排除しつつも内部へと包含するような構造を有している.そして,第3に,ナショナリズムにおける構築主義の理論的賭け金は,構築の外部を補足することの失敗自体を記述していくことにある.
著者
田辺 仁志 中山 忠三 浅山 哲 内海 進 栗栖 弍彦 市川 吉夫 河合 孝 鮎沢 千尋 河原畑 勇 福原 敏彦 橋本 陽子 久保 正太郎 楠野 正夫 中村 二郎 宮沢 左門 有賀 久雄 宮島 成寿 今井 退 小田 常治 川森 郁郎 川瀬 茂実 石川 義文 沖野 英男 山口 孝根 三好 健勝 倉田 啓而 鮎沢 啓夫 山口 定次郎 小林 勝 岩下 嘉光 細田 茂和 松沢 則子 山崎 寿 小林 あつ子 山田 たけを 市岡 正道 丸山 長治 高須 敏夫 佐藤 清 山崎 昭治 酒井 英卿 片岡 平 梅村 義雄 村上 昭雄 田島 弥太郎 鬼丸 喜美治 佐渡 敏彦 広部 達道 沓掛 久雄 渡部 仁 長野 ヒロ 小林 悦雄 佐伯 佳之 阿相 敏雄 佐藤 正市 平田 保夫 武井 隆三 長島 栄一 高沼 重義 蒲生 卓磨 一場 静夫 宮川 千三郎 清水 滋 堀内 彬明 波島 千恵子 安江 昇 辻田 光雄 真野 保久 板垣 正男 田中 義麿 中山 光育 筑紫 春生 土井 良宏 山下 興亜 長谷川 金作 小林 勝利 石戸谷 幸雄 楠木園 正雄 橋口 勉 吉武 成美 赤井 弘 森 精 有本 肇 小西 孝 小野 四郎 荒井 三雄 加藤 康雄 土橋 俊人 後藤田 さっき 吉田 勝 進士 安治 青木 一三 小松 計一 鳥居 礼子 橋本 嘉男 清水 正徳 坂口 育三 小笠原 真次 中川 房吉 北村 愛夫 佐藤 歌子 大野 巌 原田 泰介 関 文夫 石垣 隆謌 嶋崎 昭典 大沢 定敏 小島 哲雄 布目 順郎 小川 敬之 松田 和夫 大工原 建
出版者
The Japanese Society of Sericultural Science
雑誌
日本蚕糸学雑誌 (ISSN:00372455)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.207-221, 1965

126) キンケムシの核多角体病に関する研究 (第1報) 発生実態調査と多角体の性状について<BR>127) キンケムシの核多角体病に関する研究 (第2報) ウイルスのキンケムシに対する感染力とウイルス伝播の-知見<BR>128) キンケムシの核多角体病に関する研究 (第3報) ウイルスの交差感染について<BR>129) 野外昆虫多角体病と家蚕多角体病に関する研究 (VIII) 家蚕, サクサンなどに感染性を示す核多角体病ウイルス
著者
郷倉 久徳 根本 正之 川原 淳
出版者
一般社団法人 環境情報科学センター
雑誌
環境情報科学論文集 Vol.20(第20回環境研究発表会)
巻号頁・発行日
pp.111-116, 2006 (Released:2008-12-02)

公園内の生物資源を保護し利活用するためには、画一的な管理では不十分で、立地条件に基づいたきめ細かな管理が必要となる。本研究では国営昭和記念公園で保護の対象となっている野生のネジバナが自生する、管理手法の異なる草地で植生調査を行い、管理が草本群落の構造に及ぼす影響を明らかにした。次に景観上から有用植物とされるネジバナの生活史を調査し、ネジバナの栄養成長期にみられる周辺植生が、光を透過しやすいイネ科雑草であること、また草刈り後の刈草を除去することがネジバナを生育域内で保全する上で重要であることを指摘した。
著者
輪倉 一広
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.31, pp.115-141, 2005-10-31

岩下壮一(一八八九~一九四〇)はカトリック司祭であり、一九三〇年から一九四〇年までの晩年の一〇年間「神山復生病院」の第六代院長として救癩事業に従事した社会事業家であった。また、岩下は昭和戦前期における中心的なカトリック思想家でもあった。
著者
角倉 一朗
出版者
東京芸術大学
雑誌
東京藝術大学音楽学部紀要 (ISSN:09148787)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.37-47, 1997

This is a summary of the lecture given on the 7th October 1997 for the 10th anniversary of the reconstructed Sogakudo (former concert hall of the Tokyo School of Music). Dr. Raphael von Koeber (1848-1923), philosopher and musician, lived from 1893 to 1923 in Japan and exerted a far-reaching influence on the cultural development of this country. Born as a Russian of German ancestry, he studied piano and composition under Nikolai Rubinstein and Pyotr Tchaikowsky at the Moscow Conservatory of Music. Aware of his inaptitude for public music-making, however, he went over to Germany to study philosophy in Jena and Heidelberg with Kuno Fischer and Eduard Hartmann among others. After completing his doctoral dissertation on the philosophical thought of Schopenhauer, he devoted himself to thinking and writing for nine years in Munich. In 1893 he was invited to Tokyo University to teach Western philosophy, aesthetics, and cultural history for 21 years. He attracted many students with his erudition and, above all, with his personality. Among his students were those who were to become most influential philosophers of Japan: Kitaro Nishida, Jiro Abe, Teturo Watuji, to name only a few. His eurocentric tendency notwithstanding, he was admired and welcomed for his teaching of Greek and German idealistic philosophy at the time when Western culture was being assimilated in Japan. Beside his activity as a teacher and writer of philosophy, Dr. Koeber was highly admired as a pianist. From 1894 to 1909 he gave over 60 public performances and taught piano playing and music history at the Tokyo School of Music (founded in 1887, later to become the Music Department of the Tokyo National University of Fine Art and Music) for eleven years from 1898 to 1909. Among his music students are found composers Rentaro Taki, Kosaku Yamada, a singer Tamaki Shibata (later Miura), among others. Koeber's repertory consisted mainly of German Classic-Romantic composers, centering on Beethoven, Mendelssohn, Schumann, Liszt, and Brahms. Though the name of J.S. Bach rarely appears in his repertory, he could have loved and admired the music of Bach most of all as the root of modern Western music. For, in 1923, shortly before his death, he gave a piece of paper with a musical riddle written down in his own hand to his beloved student Itoe Tachibana, which consists of two crossing staves with four different clefs and a note in their center so that the note, read in four different ways, turns out to be the name BACH. As a music teacher, he consistently emphasized the importance of humanistic culture and intelligence. Dr. Koeber, so records the great writer Soseki Natume, once remarked: "Japanese musicians will come to nothing as long as they play only with fingers without the brain." Dr. Koeber retired from public activity in 1909 to his secluded life for the last 22 years. Meanwhile the Japanese modernization was almost completed and the musical scene of the world saw drastic changes to leave Koeber the musician far behind. But the humanistic culture, as he so enthusiastically required of all the musicians, remains as actual as ever.
著者
張 煕 岩倉 博
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会論文誌. A, 基礎・境界 (ISSN:09135707)
巻号頁・発行日
vol.79, no.8, pp.1378-1384, 1996-08-25
被引用文献数
5

本論文では, 零符号間干渉を有するFIRナイキストフィルタを直接Remezアルゴリズムを用いて設計する方法を提案する. まず, 零符号間干渉を有するFIRナイキストフィルタの振幅特性の性質を示す. 零符号間干渉の条件から, ナイキストフィルタの通過域における振幅特性は主に阻止域の振幅特性に依存していることがわかる. 従って, ナイキストフィルタの設計問題は阻止域における振幅特性の最適化問題になる. 阻止域に直接Remezアルゴリズムを適用し, その設計問題を線形問題として定式化を行う. 簡単な線形方程式を解くことによりフィルタ係数が決定でき, 更に繰り返して反復計算を行い阻止域における等リプル特性が得られる. 本設計法の特長は従来法と比べて計算量が少なくなることである. 最後に, 本設計法を整合ナイキストフィルタ対やマルチステージナイキストフィルタ等の設計に応用する. 幾つかの例題を設計し, 本設計法の有効性を示す.
著者
梅沢 一弘 大倉 正 田崎 志郎
出版者
埼玉県水産試験場
巻号頁・発行日
no.45, pp.40-46, 1986 (Released:2011-03-05)
著者
佐藤 みほ 朝倉 京子 渡邊 生恵 下條 祐也
出版者
公益社団法人 日本看護科学学会
雑誌
日本看護科学会誌 (ISSN:02875330)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.63-71, 2015-05-15 (Released:2015-05-26)
参考文献数
26
被引用文献数
1 5

目的:北米で作成された職業コミットメント尺度(OCS)を日本語に翻訳し,日本語版OCSの信頼性と妥当性を検証した.対象と方法:看護師を対象とした予備調査において尺度の信頼性と因子構造を確認後,看護師4046名を対象に本調査を実施し,1331名(有効回答率32.9%)を分析対象とした.結果:探索的因子分析により,情緒的職業コミットメント,功利的職業コミットメント,規範的職業コミットメントの3因子が抽出され,確証的因子分析で良好な適合度が得られた.信頼性係数は尺度全体が0.817,下位尺度が0.756~0.837であり,I–T相関はおおむね良好な値が得られた.併存妥当性の基準とした職務満足感とは有意な正の相関が,離職意向とは有意な負の相関が認められた.結論:1項目のみ日本語訳の信頼性,妥当性が十分に得られず,結果の解釈に留意が必要であるものの,日本語版OCSについて,一定の信頼性,構成概念妥当性および併存妥当性が確認された.
著者
西野 隆典 梶田 将司 武田 一哉 板倉 文忠
出版者
一般社団法人日本音響学会
雑誌
日本音響学会誌 (ISSN:03694232)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.91-99, 1999-02-01
被引用文献数
47

ヘッドホン受聴では, 頭部伝達関数(Head Related Transfer Function ; HRTF)を用いることにより, 立体音場を忠実に再生することができる。しかし, HRTFは方向に依存した関数であるため, HRTFを用いた聴覚バーチャルリアリティシステムでは, 測定した音源方向については忠実な立体音場が再生できるが, その他の音源方向については, 再生に必要なHRTFを新たに測定するか, すでに測定されたHRTFから推定して求める必要がある。しかし, HRTFの補間が可能であれば, 少数の測定HRTFから全方位のHRTFが作れるため, データ削減の有効な手段となるだけでなく, 滑らかな移動感を得ることができる。本論文では, (1)線形2点補間, (2)主成分分析を用いた補間の2手法を用いて, 水平面上のHRTFのインパルス応答と周波数振幅応答の補間可能性を, 客観基準と主観基準(移動感並びに方向定位感)により評価した。その結果, (1)水平面上のHRTFは45゜もしくはそれ以下の角度間隔で測定を行い, 未知のHRTFはそれらから補間可能であること, (2)線形2点補間は主成分分析による補間手法と比べて, より良い補間が可能なこと, (3)補間対象のインパルス応答と周波数振幅応答の間では, 補間精度の有意な差はなく, 位相は最小位相であっても良いことが明らかになった。
著者
山口 哲央 足立 昌司 溝上 智英子 城田 晶子 米田 昌代 岩倉 研二 二階堂 任
出版者
日本静脈経腸栄養学会
雑誌
静脈経腸栄養 (ISSN:13444980)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.661-666, 2013 (Released:2013-04-24)
参考文献数
16

【目的】ビタミン群の欠乏は認知機能障害の原因となることがある。認知機能障害をともなう低栄養が疑われた患者においてニコチン酸濃度を中心に種々の栄養指標を測定して、解析を行った。【対象と方法】平成21年6月から平成23年8月まで当院を受診した患者55名を対象とした。調査項目は、年齢、性別、身長、体重、BMI、血清総蛋白濃度、血清アルブミン濃度、白血球数、リンパ球数、血清ビタミンB1濃度、血清ビタミンB12濃度、血清ニコチン酸濃度、飲酒歴の有無などであった。【結果】ニコチン酸濃度は、低栄養患者のアルブミン濃度、総蛋白濃度、小野寺の予後栄養指数と相関関係を示したが (p<0.05) 、他のビタミン濃度はそれらと相関関係を示さなかった。【結論】ニコチン酸欠乏はペラグラ脳症で知られる認知症類似の症状をきたすことが知られている。認知機能障害をともなう低栄養患者のなかに、欠乏症が潜在している可能性が示唆された。低栄養患者に対してビタミンを投与する際はニコチン酸の併用が必要と考えられた。
著者
岩倉 三奈
出版者
東京女子大学
雑誌
日本文學 (ISSN:03863336)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.29-41, 2001-09-30
著者
沼倉 研史 沼倉 満帆
出版者
日本英学史学会
雑誌
英学史研究 (ISSN:03869490)
巻号頁・発行日
vol.1989, no.21, pp.91-111, 1988-10-01 (Released:2010-08-10)
参考文献数
72

Taizo Masaki is most prominently mentioned in “Yoshida Torajiro”, a short story by Robert Louis Stevenson. After the Meiji Restoration, he was dispatched to Great Britain twice from 1871 to 1881, and became the first president of Tokyo Shokko Gakko (now Tokyo Institute of Technology). He worked earnestly for industrial education for nearly twenty years in the early years of Meiji Era. In 1890, Masaki was transferred to the Foreign Office, and went to Honolulu as consul in Hawaii. After one year, he was promoted to consul general. He stayed in Honolulu for 2 years and a half, however, his activities in Hawaii were not made clear yet. In this article, various kinds of documents between Japanese Foreign Office and Consul Masaki were studied, and the present writers tried to learn from them how he acted as Hawaiian consul.The diplomatic relation between Japan and Hawaii Kingdom began in 1860. It continued only 40 years, because of the Hawaiian revolution in 1893 and the annexation by the U.S.A. The largest pending problem of both countries was the immigration for the sugar beet farms from Japan. As sugar was the main product of Hawaii, the sugar beet farms needed a large number of workers. On the other hand, Japanese agricultural villages were in a long depression after the Meiji Restoration. After short preliminary negotiations, both governments arrived at an agreement that Japan would supply round numbers of immigrants for Hawaiian sugar farms periodically. In 1884, the Japanese consulate was opened at Honolulu, and the first ship “the City of Tokyo” carried 948 emigrants to Hawaii in 1885. This emigration organized by the Japanese government continued for ten years, and 29, 139 Japanese emigrants voyaged to Hawaii as often as 26 times. As the government-sponsored emigration brought about many conflicts, various kinds of troubles occurred.Taizo Masaki made a voyage to Honolulu as the fourth consul in May, 1890. It was the peak period of governmental emigration, and more than twelve thousand emigrants voyaged.There are many documents, and correspondance archives referring to Hawaii in the Diplomatic Record Office. We can infer the activities of Taizo Masaki in Hawaii as consul. The most important business of the Hawaiian consulate was the remittance of immigrants to their family in Japan. Because there was no branch of a Japanese bank in those early years, it was very difficult. Masaki invited a new branch of Yokohama Shokin Bank to Honolulu for Japanese immigrants. The remittance to Japan became easier.Masaki sent many formal annd informal reports which included important information. One of them referred to the suffrage of immigrants. The Hawaiian constitution amended in 1887, approved the right to vote of those other than American or European immigrants. Masaki gave a report on the historical situation and pointed out those problems. The other important reports were referring to the political change of the Hawaiian Government. In those days, the political situation in Hawaii was very unstable; therefore, coups d'état and reorganizations of the cabinet were done frequently. Masaki's reports described the circumstances of the changes of Hawaiian government and his opinions about them. His final report was dated Nov. 9, 1892, because he returned to Japan in December. It was only one month before the Hawaiian Kingdom collapsed and transferred to the republic form of government.The analysis in this article is not enough; a more detailed examination will be reported in the following articles. The other documents of Taizo Masaki referring to many other items will be introduced, too.In the meantime, Robert Louis Stevenson was making a tour of the islands in the Pacific Ocean, and visited Hawaii at least twice. We have much interest in the question whether the two old friends could meet again or not.