1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1904年12月08日, 1904-12-08

1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1900年06月01日, 1900-06-01

1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1906年12月30日, 1906-12-30
著者
本多 彩
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.157-182, 2016 (Released:2017-09-15)

日本人移民の仏教徒、日系アメリカ人仏教徒によるアメリカ本土の仏教会を舞台とした、一世紀以上にわたる食の提供と継承と広がりを論じる。浄土真宗は食の厳格な戒律を持たないが初期真宗の史料には精進料理の記述がある。アメリカの浄土真宗では開教当初から食が登場しており食に関わる女性仏教徒や青年仏教徒の活動があった。宗教儀礼後や仏教会活動や移民社会に提供される食、個人のために作られた食があった。人が結びつくところで食の役割は重要である。定期的に開催される仏教会のバザーの中心は食であり仏教会を財政面から支援してきた。バザーでは日系社会や地域社会に対して食が提供され食が地域密着型アメリカ仏教の展開にも一役買っている。さらに仏教会における日系アメリカ人仏教徒の料理は口頭でそして明文化されて継承されてきた。仏教会では、様々な食事が場や食べる人のことを考えて調理、提供され続け、個人や社会をつなぐ力となっている。
著者
藤井 郁雄 藤原 大佑 道上 雅孝
出版者
日本DDS学会
雑誌
Drug Delivery System (ISSN:09135006)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.212-221, 2020-07-25 (Released:2020-10-25)
参考文献数
16

近年、低分子化抗体がポスト抗体医薬として注目されている。筆者らは、抗体様活性をもつ中分子の創薬モダリティーとして、ヘリックス・ループ・ヘリックス構造をもつ分子標的HLHペプチド(分子量:約4k)の開発を進めている。ファージ表層や酵母表層提示ライブラリーを構築し、進化分子工学的手法により、さまざまな疾患関連タンパク質に対する分子標的ペプチドを開発している。このペプチドは、強固な立体構造をもつため生体内の酵素分解に対しても安定であり、抗体と同等の高い特異性と強い結合活性をもつ。本稿では、分子標的HLHペプチドの設計およびその生物機能について紹介する。
著者
石井 康子 梅原 薫 野毛 一郎 加藤 有希
出版者
静岡県立大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2012-04-01

吃逆の治療に使われる柿蔕(Kaki Calyx)のラット脳脊髄液中神経伝達物質に及ぼす影響を検討したところ、GABAの変動は観察されなかったが、アスパラギン酸やグリシン、更に、ドパミンの代謝物であるDOPACやHVA濃度に影響を及ぼすことが示唆された。今後、これらを指標として、日本産の柿の蔕から有効成分の探索を行う予定である。また、柿蔕液の治療効果を処方の異なる施設で後ろ向きに調査したところ、化学療法の施行により発症する吃逆の治療に、高濃度の柿蔕液の服用が適している可能性が示唆されたため、前向き調査によって確認する予定である。
著者
小川原 正道
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.1_145-1_167, 2013 (Released:2016-07-01)

The characteristic tendencies of religious administration by modern Japanese government were to use useful religion and to exclude dangerous one. These tendencies were typically appeared in the process of offering corporate body for religious groups by legislation. First bill of it was presented for imperial assembly in 1899, 2nd one was presented in 1927, 3rd one was presented in 1929, and last one was presented in 1939. First, 2nd, and 3rd bills were rejected, but last one was approved. Minister of Education who had jurisdiction over religion said in 1939, to supervise religious groups is important issue for guidance and enlightenment of people. I would like to clarify the actual conditions and background of these tendencies of religious administration paying attention to the relationship between the bills and freedom of religious faith clause of Meiji Constitution. As a conclusion, I clarified the actual conditions and background of these tendencies of religious administration and Japanese movement have watched new religions like socialism and mobilized traditional religions for war.
著者
大宮 徹 小林 裕之
出版者
富山県農林水産総合技術センター[森林研究所]
巻号頁・発行日
no.11, pp.25-38, 2019 (Released:2019-08-27)

立山弥陀ヶ原の追分付近における人為的攪乱の履歴を再現するため,過去の空中写真と地形図を比較検討した。GISを用いた解析により,1912年以降の登山道と車道の形成の経緯が明らかになった。この地域はラムサール条約に登録されているが,景観復元にあたっては,植生とともに,歴史的遺跡も適切に保全する必要がある。
著者
坂本 英夫
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.13, no.3, pp.220-241,281, 1961
被引用文献数
1 1

弓浜半島は過去の商品畑作農業の結果,過少農の卓越する人口稠密地域となり,特に開発の早かった半島北部では農業生産は既に副次的な意味しか有していない。これに比べて近世以降に開発の展開をみた半島中部では耕地細分化が北部ほど進行していないことや,地元の小都市とも距離を置き農業部門の地位は相対的に高い。ここでは蔬菜の輸送園芸が戦後盛んとなり,大阪を主とした関西市場へ共同出荷がなされている。透水性の大きい砂土に覆われた弓浜半島で蔬菜栽培を技術的に成立せしめているのが,江戸時代に開かれた米川用水路の働きである。そして普通の畑作物の中で,より労働集約的で土地使用的な性格を持っている蔬菜部門が戦後採択されたのは,過小農が卓越する弓ヶ浜農業の経営経済上の必然であった。この場合,共同出荷の推進母体たる農協は当初の販売担当機関に止ることなく,産地形成上の条件整備機関としての活動まで必要となった。このような共同出荷体制の組織化が社会的規制の形で進むか否かは,管内農家に対する農協の経済的比重の大小によって決定される。この点半島中部の農村は優良農協を中核とする生産-流通の体制が確立されて蔬菜の輸送園芸の中心地区となっている。これに対して,専業農家の少ない半島北部や共同化への関心の低い(米子)近郊は農協による個別経営の結合が弱く,程度の差はあれ輸送園芸の集団的形成を阻害している。弓ヶ浜産蔬菜の代表である葱は需要との関係が生産上の大きな条件となった。特有の農業気象によって早期収穫の可能性は秋の葱消費市場(大阪)を独占し有利な価格を保持している。ただ葱そのものの需要は限界があることや,弓ヶ浜からの出荷蔬菜中に市場での優越を誇る品目が他に見当らないことが問題である。新しい市場を求め,新しい品目を求めて蔬菜産地はその発展に努力しているのであるが,内外の状勢が何時までそれを許すのであろうか。
著者
野口 竜也 西田 良平 足立 正夫 荒井 猛
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
地震工学研究発表会講演論文集
巻号頁・発行日
no.26, pp.329-332, 2001

2000年10月6日の鳥取県西部地震によって, 弓ヶ浜半島の南東部の夜見町付近では, 一部で液状化による地盤被害が見られた. この付近の集落では一部住宅にも被害があったが, この住宅の隣近所では全く被害がみられず, これらの原因を探るために, この付近一帯において南北方向に3成分の微動観測およびアレイ観測を実施し, 被害を受けた住宅についても微動観測を行った. その結果は次のとおりである.1) H/Vのピーク周期は, 0.4-1.3秒で北に行くほど周期が長くなる傾向が見られた.2) 地盤の堆積層の層厚は約90mであった.3) 住宅の固有周期は約0.3秒であった. 今回の観測による解析結果からは, 微動による地盤特性と被害との明白な関係は見られなかった.よって, 今後より詳細な検討が必要である.
著者
楮原 京子 今泉 俊文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.96, 2003

はじめに鳥取県の西部に位置する弓ヶ浜半島は,美保湾と中海を隔てるように,本土側から島根半島に向かって突き出した砂州であり,主として日野川から供給された砂礫層によって形成された.この砂州は大別して3列の浜堤列(中海側から内浜・中浜・外浜とよばれている)からなり,完新世の海面変化に伴って形成された.また,このうち,外浜は,中国山地で広く行われた「鉄穴流し」による土砂流出の影響を強く受けている(藤原,1972,貞方,1983,中村ほか,2000などの研究). 近年,日野川流域に建設された多数の砂防ダムや砂防堰堤によって流出土砂量が減少し,この砂州の基部にあたる皆生温泉付近では,海岸侵食が深刻化している.筆者らは,空中写真判読と現地調査,既存ボーリング資料,遺跡分布資料などから,弓ヶ浜半島の砂州の形成史と海岸線の変化を明らかにし,その上で,鉄穴流しのもたらした影響,現在深刻化する海岸侵食について2から3の考察を行った.主な結果1.内浜,中浜,外浜の分布形態から,内浜と外浜は,日野川からの土砂供給の多い時期に形成されと考えられる.これに対して,中浜は土砂供給の減少した時期に,内浜を侵食しながら,島根半島発達側へ拡大したと考えられる(図1).3つの浜堤列の形成年代を直接に示す資料は得られてないが,完新世の海面変化やボ[リング資料,浜堤上の遺跡の分布,鉄穴流しの最盛期等から考えると,内浜は6000から3000年前頃に,中浜は3000年から2000年前頃に,外浜は1000から100年前頃に,それぞれ形成された浜堤と推定される.2.各浜堤の面積・堆砂量(体積)を試算した.面積は地形分類図とGISソフトMapImfo7.0によって求めた.体積は半島を6地区に分割し,各地区の地質断面図から,各浜堤断面形を簡単な図形に置き換えて計測した断面積を浜堤毎に積算した.この場合,下限は海底地形が急変する水深9m(半島先端では-4m)までを浜堤堆積物と見なした.各浜堤の面積および堆積は図2に示す.3.各浜堤形成に要した時間を1.の結果とすると,各浜堤の平均堆積速度は,それぞれ内浜が1.56*105m3/年,中浜が0.58*105m3/年,外浜が1.61*105m3/年となる.外浜は,内浜の堆砂量の3分の1程度ではあるが,両者の速度には大差はない.つまり,鉄穴流しがもたらしたと考えられる地形変化は,完新世初期の土砂流出速度に匹敵する.これに対して,中浜の堆積速度は,内浜・外浜に比べると半分以下で明らかに遅い.4.日野川からの流出土砂の減少に伴って,弓ヶ浜半島基部では活発な侵食作用が始まる.中浜の面積を形成期間で除した値(0.14*105m2/年;浜堤の平均成長速度)より小さい区間では,侵食が卓越すると考えられる.現在の状況が中浜と同じとすると,侵食が著しい皆生海岸線(長さ3.5kmの区間)では,侵食速度は少なくとも平均約4m/年と見積もられる.この平均成長速度に基づいて,海岸線侵食速度を,弓ヶ浜海岸で行われた最近の土砂動態の実測値(日野川工事事務所,2002)と比較すると,例えば,皆生工区(3.32km区間)では,4.24m/年(実測値4.38m/年),工区全域(8.95km区間)では,1.57m/年(実測値2.65m/年)となり,ほぼ実測値と近似する.今回作成した地下断面は,主としてボーリング資料の記載内容と既存文献に基づくものであったので,今後は,試錐試料から,粒度分析,帯磁率,年代測定等を行い,確かなデータとしたい.

1 0 0 0 OA 巻頭言

著者
高野 伸栄
出版者
北海道大学公共政策大学院
雑誌
年報 公共政策学 (ISSN:18819818)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1, 2019
著者
光本 健次
出版者
東海大学
雑誌
東海大学紀要 開発工学部 (ISSN:09177612)
巻号頁・発行日
no.9, pp.33-41, 1999

講道館柔道の創始者である嘉納治五郎は,柔道の形について「将来は特殊の目的をもって行ういろいろな形が新たにできてよいはずである」(1930年)と述べている。この嘉納の言葉は,目的に応じて形を新たにつくり出すことを認めるものと受けとめることができる。私は,1997年日本武道学会においてデンマークで考案された「連絡の形」に関する研究の一端を発表した。この形は,形としての成立条件について課題は残されているものの,近代柔道を代表する選ばれた連絡技術を組み立てたという点に他にない特徴が見られ,先行的な試みとして注目できる。講道館柔道の形は一つ一つに歴史的背景はあるが,技と技を連絡するこの種の形は公表されていない。柔道の技は単なる一つの技にとどまらず,技に連絡の幅を持たせることは技能上達の上でも極めて重要なことである。本来,連絡技術は個々につくり上げていくものであるが,学校柔道や,柔道の発展途上にある海外指導でも連絡技術を学習できる形があれば,連絡技における「くずし」と「つくり」の原理も親しみやすく理解できるのではないかと思われる。本研究では,デンマーク「連絡の形」の着眼点に注目し,乱取の形とも言われる講道館柔道「投の形」とデンマーク「連絡の形」の比較において形の成立条件を明らかにし,この二つの形をベースに新たな「連絡の形」の創作を試みる。